
今年もまた、スズキとダイハツにより軽自動車の年間販売台数のトップ争いが行われているようです。ここ20年ぐらいの風物詩とでも言いますか。
そんな2社ですが、長い歴史の中においては、スズキが自社の軽自動車にダイハツのエンジンを搭載して販売していた時期があったりします。
若い方には意外に感じられそうな、この出来事ですが、発端は軽自動車枠の拡大と排ガス規制となります。第一次の軽自動車ブームが過ぎた70年代中盤、排ガス規制への適合の関係から、多くが2ストロークから4ストロークに移行する中、スズキは2ストロークのまま拡大の方針を採ります。この2ストが、乗用車の53年規制に適合困難という話が浮上したのです。
当時のスズキの国内販売は、軽自動車のみ。商用車が継続できたとしても、乗用車が継続できないのは死活問題に近い訳で、急遽他社からの供給を求めることに。その結果、ダイハツのエンジンが供給されることになります。当時もライバル関係にあった2社なのですが、この供給関係には確かトヨタが絡んでいたと記憶しています。
結局、期限間近になって2ストの53年規制適合が可能となり、スズキはフロンテに自社製の2ストエンジンとダイハツ製の4ストエンジンを併存させる形となります。この供給、スズキ側はあくまでも暫定的な対応という認識だったようで、約1年後に行われたフロンテのモデルチェンジでは、RRからFFに転換すると共に自社製の3気筒4ストエンジンを採用。この辺りは、スズキの強かさが感じられて仕方ありません。
このフロンテのモデルチェンジと同時に発表されたのが、47万円で大きな話題となったアルトです。アルトは価格優先ということもあり、当初は2ストのみでの発売ではあったのですが。
アルトは、他社先んじた新規格でのモデルチェンジと低価格を武器に販売台数を伸ばし、火が消えかかったかのように見えた軽自動車を再興させることに成功します。当然、他社もこの動きは無視できず、早速スバルは、それまでレックス バンスタンダードとして売っていたグレードをファミリーレックスと名付け、4.4万円の値下げを敢行。48万円で追随します。
この一連の流れの中でアルトから遅れる事、約1年で登場したのが今回紹介するミラクオーレとなります。ダイハツの軽自動車としては、途中やや大規模なマイナーチェンジは挟んでいるものの、フェローMAX以来、約10年ぶりのモデルチェンジでもありました。
いつものように前置きが長くなりました。
ここからはカタログの紹介に入っていきます。
どうしても先代との対比視点で書いてしまいますので、先代のカタログのリンクを先に貼っておきます。先代のカタログは
こちら。
今ではミラの名のみが残りますが、当時はクオーレの4ナンバー仕様のみ、ミラがサブネーム的に付けられていました。ダイハツのボンネットタイプ軽自動車は、時にメインネームとサブネームが下剋上状態になるというのがお家芸の一種でもありますね。
「これからのタウンミニ」というコピーが掲げられていますが、むしろ前面に出ていたのは「1.5BOX」だったように記憶しています。1BOXと2BOXという言葉が既に定着していた時代にあって、従前の2BOXではなく1BOXの背が高くてノーズが短いという特徴を取り入れているというのが主張でした。
そのアピールは、新鮮に映ったデザイン共々新たな潮流として受け入れられることになります。もっとも、デザインのテーマとしては同じ流れに映る初代シティの開発陣によると、ミラクオーレはパッケージングとしては軽自動車の枠内にあると分析されていたりします。アップライトなドライビングポジションを実現させるべく、コンポーネンツの大半を新設計したシティほどの革新さはないということなのでしょう。
むしろ大きく流れを変えたのは、リヤピラーを起こした点で、それまではバンに映るということで、皆が避けていたテーマへの挑戦は評価すべき点かと思います。3ドアからバンを起こしたように映るアルトに対して、バン単体としても成立するデザインのミラクオーレは対照的でもありました。
ホイールベースは先代から60mmの延長。先代は新規格に対応する際にバンパーの延長で対応していましたから、ようやくの新規格設計でもありました。ホイールも従前の合わせタイプから、今風のものとなる等、10年分の進歩は各所に散見することができます。
ボンネットを前傾させたデザインは、VWゴルフに影響されたものと思っています。ここまでの傾斜は日本車ではあまりなくて、当時の流行だった角目の採用と合わせて、失礼ながらダイハツもこんなデザインができるんだという驚きがありました。先代のデザインからの飛躍という観点でもそれは同じであり。
アルトは価格実現のために、助手席のキー穴も省略するという割切りぶりでしたが、こちらはサイドストライプの採用も含めて、ややコストに余裕があったかなと推測させます。お値段は、このAタイプで49.3万円。アルトの2.3万円高でした。
フロントがゴルフなら、リヤビューにはルノー5が重なります。
大型と書いてあるリヤコンビネーションランプは、当時としても小振りでリヤゲートの開口を優先したかなと推測します。これもバン様式で(ガラスハッチとなるクオーレの5ドアは全く変えていますね)、一度は採用したシビックも2代目では変更したくらい、敬遠されがちなデザインでしたが、思い切っての採用でした。ミラのアイコンの一つとなった感はありまして、後のエッセやミライース等、このデザインへのオマージュと思えるものがいくつかあったりします。
先代のバンは、上下2分割のリヤゲートを持っていましたが、この代では1枚ものに改められています。
従前の営業車需要に留まらず、セカンドカー需要としても買われたこの種のボンネットバンは、早期からイージードライブが求められ、先ずファミリーレックスが登場直後に電磁クラッチを用いたオートクラッチ仕様を追加します。続いてのアルトは、2速のトルコンAT仕様を追加。
操作性の面では当然ATとなりますが、性能的には4速ギヤが使えるオートクラッチが勝る、という一長一短がありました。ダイハツはこの時点では、オートクラッチを採用しています。
朧げな記憶ですが、当時の自動車雑誌のテストでは、アルトのATの最高速は100km/hに届かず、ミラクオーレのオートクラッチは、+10km/hほどだったかと思います。エンジンの違いもありますから、一概にミッションだけの差とは言えませんけれどね。
当時の軽自動車の法定最高速度は80km/hでしたから、当時のアルトの性能でも問題とはなりませんでしたし、120km/hで巡行できる今の軽自動車の性能は、隔世の感があるとも言えます。
また、オートクラッチ仕様のみ画像のセンターコンソールが標準。このコンソールは足元の邪魔になるという評価が多かったようで、2年後のマイナーチェンジでは省略されています。
また、トルコンATとオートクラッチの評価は、前者に軍配が上がり、登場後3年経過したマイナーチェンジでは、オートクラッチはトルコンATに設定変更されることになります。
エンジンや足回り等は、先代からの継続ということもあってか、比較的簡易な記載。女性ドライバーの比率が多くなることを想定していた可能性もありますけれど。
エンジンの出力は、乗用車版の31ps/6000rpm、4.2kg-m/3500rpmに対して、こちらは29ps/6000rpm、4.0kg-m/3500rpmとやや低スペック。当時は商用車の方が排ガス規制が緩かったですから、実際は軽量と相まって逆転していたかと思います。
この世代のリヤサスは、リーフ式。先代のバンの踏襲でもありますし、アルトも同様でしたから、商品力のビハインドとはなりませんでした。
エクステリアが10年分の進歩なら、インパネもまた同じ進歩を感じさせるデザインでした。
機能的にも、ベンチレーションの改善が大きく。先代は独立ヒーターだけで、換気は走行風頼り。停車中の強制換気機能はなかったのです。
ステアリングコラムはマルチユースレバーも含めて、恐らく先代からの継続。当時のダイハツは、シャレードも含めてライトとワイパーのスイッチ位置が今とは逆でした。他社でもこうした配置は、時折見受けられて、現代様式に統一されるのはもう少し後となります。このミラも、途中のマイナーチェンジで逆に改められていた筈。
販売直前で仕様変更が入ったのか、トリップメーターが消されていますね(笑)
続いてはインテリア。
商用車ですから、リヤシートはミニマムサイズ。画像では助手席を前に出して足元の狭さを見せないようにしていますけれど。
フロントシートなんかは、シンプルの極みに映るかもしれませんが、先代のスタンダードのシートからすれば、立体的な形状のツートンになって、リクライニングが付いただけでも、えらく豪華になっていたのです(笑)
リヤシートを狭めた分、リヤラゲッジは拡大されています。先代のセダンは、トランクタイプということもあり、物を入れるのだけでも一苦労していたのとは大きな違い。リヤシートとリヤラゲッジの配分は、税金の安さも考慮しつつでユーザーの選択に任された形です。当時は、これで十分割り切れるという買われ方をしていました。
最後の見開き、左上にはもう一つのグレード、Bタイプが紹介されています。
実はこれまで掲載されていたのは、安い方のAタイプで、とかく豪華さを訴えがちなカタログとしては珍しい構成かと思います。
アルトの例もありますし、ダイハツとしても売れ筋はAタイプと予想していたのでしょう。実際は5.3万円のプラスで装備が充実するBタイプが売れ、軽自動車の装備は高級への道を進むことになります。ミラも2年後のマイナーチェンジでは、更なる上級グレードCタイプ、その翌年にはスポーティなSタイプを追加。ここが分水嶺だったと言ってよいでしょうね。
下にはカラーバリエーション。
今だとブラックが加わりそうですが、当時は軽自動車のカラー設定としてはあり得ず。ビジネスユースで買われそうなことからすると、シルバーがBタイプのみなのは意外で、ブルーと逆でもよかった気はしますけれども。
裏表紙には諸元表と、イメージキャラクターだった岡田奈々さんが掲載されています。
アイドル要素も備えた女優さんがキャラクターとして前面に登場するのも、この辺りが走りで、他社も追随することになります。次はどなたがキャラクターとして登場されるのか、当時は密かな楽しみでもありました。
といったところでいかがだったでしょうか。
このミラクオーレ、先行したアルトを徹底的に研究し、ネガと判断した部分をつぶして登場したことを改めて感じます。スズキが先行して、ダイハツが後を追う。今でもよくある流れなのですが、その源流はここにある気がしてなりません。
商売としては大成功で、ミラはシャレードに続いてダイハツの懐を潤すことに大いに貢献します。先代のフロンテとクオーレでは、販売台数で大きな差が開いていたのに対して、ミラは末期に向かって台数を伸ばしアルトの台数に肉薄することになるのです。
アルトとミラの対決は、販売台数だけでなくハイパワーモデル、モータースポーツと場面を変えながら、激突を繰り返していきます。
冒頭にここ20年の風物詩と書きましたが、その基となったのも、このミラに行き付くように思うのです。
最後に思い出話を記すことに。
先代にあたるMAXクオーレを6万円で父が買ってきたという話は、これまで何度か書いています。実は、この選択は最初から決まっていたわけではないのです。
このミラクオーレも検討の段階は経ています。残念ながら、家族4人で乗るには狭いという理由で選択には至りませんでした。それならということで、5ドアのクオーレも候補に挙がったのですが、こちらは価格がネックに。
この型が登場して2年経過の時点でしたから、ミラ・クオーレ共々、まだ中古車もタマが無かったですし、あっても高価格、さらに人気も高くて直ぐに売れてしまう状態だったのです。
そうこうしている内に、父が「お安いのない?」で買ってきたのがMAXクオーレだったと。それでも一度はこの型を検討した後ですからね。玄関先で「車を買ってきた」と言われ、外に出て実車を見た時のショックと言ったら、それはもう。今でも鮮明に覚えている出来事です(笑)
今となっては、MAXクオーレも懐かしく、琴線に触れる一台ですけれど、当時は家にある間ずっと、カッコ悪いよなって思っていました。
要はそれぐらい大きな変わり方をしているんですよね。
ダイハツにとっては、初代シャレードに次いで転換点となった一台に違いありません。名車の一台とも思います。個人的な心境には、そんな理由で若干複雑なものが混ざってしまうんですけれどね。