
SUVが今のブームだそうです。
SUVとは”Sport Utility Vehicle”の略称となりまして、定義は若干曖昧かなとも思うのですが、ブームに乗る形で軽自動車からフルサイズまでフルラインSUVの様相、しかもそれらが売れているのですから、ブームであることは間違いないでしょう。高級セダンの代名詞でもあるクラウンですら、無視できなかったくらいですし(笑)
アメリカ、ヨーロッパ、日本でSUVのルーツは異なってくるのですが、日本に限定して遡ると、1990年代のRVブームが連なるように思います。このRV、”Recreational Vehicle”というやつも、思い返せばクロカン4駆・ライトトラック・ワンボックスワゴン・ステーションワゴン等、セダン・ハードトップ・ハッチバック以外は全て網羅している様相ではありました。
この内、クロカン4駆が一般に普及した最大の功労車は、今回紹介するパジェロとなるように認識します。
自衛隊の前身となる警察予備隊への納入が発端となりそうなトヨタランドクルーザー、日産パトロール、三菱ジープといったクルマ達は、輸出に販路こそあったものの、こと国内においては特殊用途的な捉え方をされていて、それ故販売台数も少なく、近代化からは取り残される形となっていました。
そんな状況から最初に動いたのが日産で、サファリを発売。続いてトヨタは40を継続しつつも50を60にフルモデルチェンジします。同じ頃、ライトトラックの4輪駆動が輸出のドル箱となり、いすゞはライトトラック、ロデオのコンポーネンツを多用したビッグホーンで参入しています。
三菱は、ジープの近代化を模索し、パジェロ名でモーターショーの参考出品を繰り返していますが、クライスラーとの提携もあって、結局最後発となっていますね。
今回ご紹介するのは、そのパジェロの最初期型となります。
他車はショートとロングの2種類以上をバリエーションとして持っていましたが、パジェロは当初ショートのみで登場しています。ショートでもキャンバストップとメタルトップの2形態というのは、他車でも見られた設定です。ライバル車には、中間にFRP製のトップを持つ車もありましたが、パジェロには設定はなく。
三角窓は残すものの、トーボードが廃止され、フェンダーが一体化されたスタイルは従前の4輪駆動車に比べ、明らかに新時代を感じさせるものでした。
4WD初のターボディーゼルということで、2台の”DIESEL TURBO”グレードが掲載されています。(余談ですがターボとディーゼル、順番が紛らわしいですね)
当時、サファリとランクルは、エンジンをトラックと共用。ビッグホーンは乗用車との共用でしたが、NAのみということで、このターボディーゼルはパジェロの大きなアドバンテージとなりました。
当時はまだRVという言葉が一般化していないように記憶していますが、既にカタログでは使われていますね。
外観同様、インパネも近代を感じさせるものでした。
サファリ以前の4輪駆動車は、鉄板むき出しのインパネにプルスイッチを多用という具合でしたからね。
メタルトップディーゼルターボだけは、乗用を意識した設定だったようで、唯一パワーステアリングにカセットステレオが標準でした。
パワーステアリングは、ギヤ比が16.4とクイックになるのですが、オフロードだとマニュアルの20.5~24.5にも長所はあった筈です。
一方でアングル角等は相当な数値。一見では乗用車に近付いたように映るかもしれないが決して軟弱になったのではないというのは、強調しておきたかったのでしょうね。
インパネは最終までほぼ変わらずでしたが、最初期型のインテリアはかなりシンプルになります。
フロアはビニールマットではなくカーペットとなりますが、トリム類は結構省かれていますね。
4ナンバーの制約もあり、リヤシートは狭く・小さくとなりますが、それまでの横向きシートからすれば、前向きになっただけでも、新時代を感じられたのです。
サスペンションシートは、飛んだり跳ねたりの用途を想定したはずで他車にも設定が広がったと記憶していますが、現在では見られなくなった装備かと思います。シートスライド量は80mmと少なめですが、サスペンション機構の皺寄せかもしれません。
近代化ではベンチレーションも大きな改善の一つ。エアミックスヒーターは乗用車が先に採用していましたが、4輪駆動車では中々望めなかった装備なのです。
後年にはV6・3000まで積んでしまう初代パジェロですが、当初はガソリン2000とディーゼル2300、同ターボ付きの3種類でした。ガソリンは当時の最新シリウスシリーズですが、ディーゼルは一世代前となるアストロンシリーズというのは、少し前に話題になった点ですね。
4輪駆動は燃料消費がどうしても多く、できればディーゼルというのが当時の買われ方でしたから、そこにターボというのは先述の通り、セールスポイントとして大きなものがありました。トヨタはパジェロの登場後、間もなく2L-Tを登場させますが、4輪駆動への搭載はしばらく時間がかかっていますね。
後年の売れ方からか、メタルトップの印象が強いパジェロですが、ソフトトップの設定もありました。モーターショーへの参考出品はこちらでしたね。
ガソリンとディーゼルターボは5速で、ディーゼルは4速を採用。ATはまだありません。ギヤ比を見ると、5速は乗用車に近く、4速は1速がかなりローギヤードの商用車の系譜を感じさせるものとなっています。
加えて、4駆のローレンジはギヤ比1.944ですから、4速はオフロードユース向きと言えるかもしれません。トランスファーの4L・N・4H・2Hという組み合わせは他車にも多かった作りですね。
はしご型フレームに組み込まれるサスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーンで、リヤはリーフリジッド。走破性だけならフロントも固定軸が勝りますが、操縦性と乗り心地も重視しての選択かと。
パートタイム4駆では必須に近いフリーホイールハブは、マニュアルタイプとオートマチックタイプの両方が選択可能でした。イージーさではオートマチックですが、本格的なサバイバルモードではマニュアルの確実性が勝るが故の設定ですね。
バリエーション一覧です。
後年の豪華さとは別の車に思えるくらいシンプル装備のグレードが並んでいます。パジェロがシンプルということではなく、当時の4駆では逆に装備が充実していたくらいですけれど。
まだ5ナンバーや3ナンバーの設定はなく、これら全てが4ナンバーとなります。
装備の紹介頁です。
アクセサリーの類は少なくて、機能装備が大半です。ターボだけはやや上級の設定。
オプションも用途からして、オフロードでの使用を想定したものが多く用意されていました。
裏表紙は主要諸元です。
全長3,870~3,930mm×全幅1,680mmというのは、今だとロッキー/ライズに近いサイズです。大径タイヤにフルフレームを備える全高だけは、1,845~1,875mmと250mmほど高くなります。
車両重量は、ボディサイズやシンプル装備の割に重量級ですが、構造からして仕方なし。ガソリンとキャンバストップの組合せが最軽量で、逆のメタルトップディーゼルターボとは150kg以上の差がありました。
当時のお値段は、最廉価がキャンバストップのガソリンで約135万円、最上級はメタルトップのターボディーゼルで200万円弱の設定がされていました。当時のギャランシグマと並べると、最廉価は1800の中間グレードと同等、最上級は2000ターボの最上級と同等となります。4輪駆動は、ワンボックス以上に意外とお高いクルマだったのです。
セダンと違って、どうにも解説し辛いと言い訳しつつ。
後年の豪華なパジェロだけを知る方なら、初期型というのは新鮮に映るかと思います。
最初期型はディーゼルターボ以外、あまり大きな特徴を持たないように映ったパジェロでしたが、ここからの進化には目を見張るものがありました。
他車では先ずやらないだろうという組み合わせは、当時の三菱ならではのものでしたが初代パジェロに関しては、これが上手く嵌った感が強いですね。
先ず翌年には、5ナンバーのワゴンが追加。これにはディーゼルターボに加えてガソリンターボの設定があり驚かされたものです。この手の4駆にハイパワーって、当時は水と油と思っていましたから。5ナンバー枠でハイパワーを求めた結果なのですけれど、パジェロの独自性となりました。
ここは余談ですが。
ショートのワゴンガソリンターボは、親子2代でお世話になった整備工場の社長さんが登場直後に購入されました。何台か車をお持ちの方でしたが、メインは初代セリカLB1600GT→280ZT2by2(これも登場直後の購入)を経ての購入。
スポーティカーからRVへの代替は、当時としてはまだ少なかった筈で、後年、流行の先駆けだったのだなと改めて。もっとも、ご当人は初代VR-4を次車に選ばれていたりするのですが。「最初は新鮮だったのですが、やはり速い乗用車が恋しくなりまして」というのは、当時語られていた話です。
その後も、ロング、AT、etcという進化が続き、RVが一般に浸透する牽引力ともなりました。最終のロングエクシードともなれば、最初期型とは名前以外別の車と言ってもいいくらいですよね。
乗用車が主流だった三菱にとって、パジェロが社の柱になるというのは、当初は想定になかったことかと思います。支柱がどんどん太くなって、やがては大黒柱となる。その過程でパジェロは、どんどん大きく・重く・高価になりました。
ユーザーの声に応えた結果とも言えますが、昨年国内の販売が終わった最終型というのは、色々な面で簡単には手が届かない車になっていたように思います。そこからすると、この初期型というのは改めて振り返る価値があるようにも思うのです。40年近い時代の差がありますから、再販というのはあり得ないのですけれど、コンセプト等には今でも参考になるものがあるように感じます。
そして最後にもう一つ。
社が苦しかったのは重々承知と前置きしたうえで。
社のアイデンティティともなったこの車は、車名なり何なり、何かしらの形で残すべきだったように思えてなりません。この車名は間違いなく、社の代名詞の一つでした。それが国内から消えたことで、社としての碇を失ってしまったように思うのです。そして替わりは簡単には見つかりそうもなくて。
今に続くSUVの歴史を振り返ると、三菱の貢献というのはパジェロに限らずで大きいと思っています。そんな名門の新たなる提案を心待ちにしています。