
気が付けば今年も早3月です。後半月もすれば、年度替りとなります。
コロナ禍の方は最早相変わらずとなりつつありますが、年度替わりに伴う出会いと別れは必ず訪れる筈。もちろん心機一転と意を決している方もいらっしゃるでしょう。コロナ禍も年度替わりを契機に、新年度には少しでも状況が好転することを願っています。
さて、ブログの話です。
クロカン4駆、ピックアップ4駆と昨年末にかけてきて続けてきた1980年代初期のRVブームの話ですが、当時のブームの最大勢力はワンボックスワゴンだったと言えます。このブームを盛り上げていたワンボックスで思い浮かぶのは何台かあるのですが、今回取り上げる車もその一台に該当します。ちょうど年代も重なりますので、だいぶ前に取り上げた
この車と比較しつつで書いてみようかと。
先ずは前史から。
スバル360からあまり時間を開けずでサンバーが誕生したように、1960年代中頃から各社が大衆車を市場に送り込むのとほぼ時期を同じくして、ワンボックス型のバンが各社から送り出されています。マツダボンゴ、三菱デリカ、日産サニーキャブ、トヨタミニエース・ライトエースといったクルマ達ですね。
これらの販売の主力はバンにあったものの、セダンでは望めないその広大なスペースを生かしたワゴンというのも設定がありました。もっともこれらは広さをゆとりにというよりは、多人数を乗せての移動を目的としていた点は現在のミニバンとは異なります。
これらのワゴンは、サニーキャブとチェリーキャブが細々と継続された以外、排ガス規制を機に一度リセットとなります。元より台数が然程多くなかったことに加えて、乗用車の排ガス規制は商用車よりも一足早く厳しい数値を求められたことがその要因です。多くが商用車とエンジンを共用していたことから、未対策時代でも動力性能に余裕はなく、排ガス対応のデバイスを加えると、性能が満たせなかったということが大きかったのでしょう。
この状況から、他社に先駆けていち早く復活したのがトヨタのタウンエース ワゴンとなります。
ライトエースよりも一クラス上という狙いに、T型エンジンを搭載可能にするべくフロント周りを新設しつつ(トレッド幅からすると同時期のハイエースからの流用もありそうな)、センター以降のフロアはライトエースをベースに拡幅したものを繋ぐという成り立ちでした。
同じ頃、それまでスピード一辺倒だった時代が一段落したことで、ワンボックスのバンをベースに改造を加える所謂”バニング”のブームが起こっています。このブームと結びついたことで、タウンエース ワゴンは想定以上の売り上げを見せることになります。
当然、他社がこうしたムーブメントを見逃せるはずはなく、マツダ、日産、三菱の順でモデルチェンジを実施。従前のバンに加えて、ワゴンにも注力したモデルを送り出します。受けて立つトヨタもタウンエースに改良を加えつつ、ライトエースをモデルチェンジして陣容を強化。
一度ブームの火が点くと、一気に押し寄せて大火にしてしまう構図は今のSUVブームと同じという見方もできるかと思います。
今回ご紹介するのは、そんなワンボックスワゴンの中から、日産のバネットシリーズの一角、チェリーバネットとなります。
バネットシリーズは、それまでのサニーキャブ・チェリーキャブの後継車として1978年に登場。サニーと多くのパーツを共用するという成り立ちは同じながらも、前輪位置を前席足元から前席の直下に変更するという大きな変更が行われました。共に一長一短があるのですが、当時の主流だったレイアウトを取り入れたというのが、妥当な見方でしょう。
登場直後から好評だったこともあり、バネットシリーズには矢継ぎ早の改良とバリエーション追加が行われています。さらにサニーバネットとチェリーバネットの兄弟にダットサンバネットが加わり、3兄弟の構成に。今回のカタログは、1980年6月に発行されたチェリーバネット、モデルとしてはIII型となります。僅か2年足らずの間にIII型ですから、当時どれほど動きが早かったかを物語ってもいますね。
新たに追加となった1500SGLサンルーフが最初の見開きに登場しています。
SGLは、当時流行していた角目4灯を新採用。丸目を採用していたバンや他グレードとの差別化も意図していました。
派手なサイドストライプが当時のワンボックスワゴンの特徴の一つでした。こちらもバンとの差別化が目的。同じ理由でホワイトのボディカラーは非設定となることが多かったのです。もっとも、ホワイトのボディカラーについては、ボディコーティングが普及していなかった当時にあっては、このボディ形状は(特にルーフ部の)洗車が大変で、汚れが目立つ色は避けられていたという事情もありますけれど。
メッキ仕立ての大型となるカスタムミラーやアルミホイールは、上に書いたバニングで流行したアイテムでもあります。
ハイルーフは前年の1979年8月に追加されています。
標準ルーフより215mmのプラスにより、ほぼ小型車枠一杯まで高さを稼いでいます。初代ライトエースが起源となるルーフ形状ですが、車内空間が広く使えるということで、標準ルーフよりも人気がありました。
こちらはサンルーフ無。
画像は2世帯のニューファミリーが映っています。当時の主流となるセダンでは同時の移動が困難な人数で、大勢で一緒に移動できますよというアピールも兼ねていたのでしょうね。
こちらはハイルーフGLとロングDX。
廉価グレードになるほど、商業車感が強まるというのはご理解いただけるかと。
ロングは、ハイルーフと同時に追加されています。
バネットは、一番のライバルとなるタウンエースよりもボディサイズがやや小さく、そのハンデを補うべく追加されたものと推測しています。キャラバン/ホーミーとの中間サイズの意味合いもあったでしょうね。
標準比330mmの延長により、全長は4,230mmに。このサイズに4列を可能としているのですから、効果も大きく。スライドドアの後ろではなく、リムジン風にフロントとリヤドアの間で延ばしているのは珍しい事例かと思います。ルーフ等に繋目が残っている辺り、もう少し見せ方はあっただろうなとは思いつつ。
コーチでは10人乗りに限られることもあり、ロングを見かけることは少なかったのですが、バンでは結構見かけたように記憶しています。大人数を乗せるに限らず、ボンゴ マルチワゴンのように広く使うで訴求する方法もあったように思いますが、標準ルーフに限定した設定も含めて、この辺りは淡白でした。
1500SGLのインパネです。
この時の変更で、当時流行のツインスポークステアリングを採用すると共にアンダー部分のスイッチパネルを立体的な形状に変更しています。この部分は、フロントパネル裏の目隠しにもなっていました。
空調はエアミックス方式ではなく、独立式を採用。ヒーターは2本レバーでの調整ですが、レバーを引っ張っての風量調整は安全コロナを連想させます。
後頁に掲載がある前席の冷房は、助手席下の吊り下げクーラーでした。乗用車ではインパネ組み込みが一般化していましたから、時代遅れ感はやや否めず。
この辺り、同じ独立式空調ながらもエアミックス風に見せたライトエースは上手かったとも言えますね。
1500SGLのインテリアです。
当時バネットが先陣を切った回転体座シートが大きくアピールされています。瞬く間に他車の採用が相次いだのですから、一世を風靡した装備と言っていいでしょう。21世紀初頭ぐらいまでは採用例が続いた装備でもありますが、安全性の強化が必然となった近年では見かけなくなった装備でもありますね。
元々バネットは、タウンエースよりもサードシートの位置が後より=積載より室内空間重視でした。サードシートの足元はリヤホイールハウスに影響されていることがカタログからも見て取れますが、ライトエースではバネットのレイアウトに追随していますから、この考えが正だったのでしょう。
ちなみに、助手席側セカンドシートは回転とはならず、テーブル的な使用を見せています。
回転対座時の足元スペースの確保は課題の一つで、各社様々な工夫が見られました。バネットではサードシート位置をさらに後ろに下げることで対策としています。
シートアレンジの例が次の見開きで紹介されています。
左頁のアレンジは、それまでのワンボックスでも可能なものでした。
一方の右頁上は、バネットの新たなる提案。見せ方の工夫が感じられる構成です。
リヤシートのヘッドレストは先例があったものの、埋込式というのが工夫点。これなら外した時の置き場にも困りません。当時の日産上級車のシートデザインを連想させるものもありました。
サンルーフの設定自体はタウンエースに先を越されましたが、こちらは電動式というのがアピールポイント。クラスを超えた設定で流行を作ったという点では、時期を前後して登場したFFファミリアのXGと双璧とも思います。
広い空間にはいい音を、なのかワンボックスワゴンにはほぼ例外なくカーコンポのオプション設定がありました。
もちろんバネットも採用。標準のラジオとのデザイン差が・・・(笑)
似たデザインがスカイラインやローレルのオプションにもあり、同じテクニクス製かと思ったら、こちらはクラリオン製だったようです。R30スカイラインのGT-EXエクストラは、クラリオンが純正で近いデザインのものが採用されていました。
それまでは、リヤクーラーの搭載位置は助手席の背面というのが一般的でしたが、新たに運転席側のボディサイドに埋め込まれることになりました。運転席側にスライドドアがない構造を生かした設置個所ではあります。
折角、助手席後ろがフリーになりながらも、リクライニング機構を持たせなかったのは勿体ない感あり。エンジンルームへのアクセスが設計要件にありましたし、当時のワンボックスは助手席の使用頻度が低く、運転手以外の家族は皆後ろが一般的でもありましたから、不要と判断されたのでしょうね。
エンジンはサニーから流用されたA型を採用。
SGLを追加する際に、サニーより一足早く1400を1500に拡大しています。ライバル車の多くは1800を搭載する中で、1400は如何にも小さく映っていましたから、モアパワーの声に応えた形です。+100cc(厳密には+90cc)により、最高出力は8ps、最大トルクは0.7kgmの増強。
ライバル車との激闘、装備が増える一方の状況では充足したとは言い切れず、後にZ20を搭載するSGXが追加されることになります。
当時は見抜けませんでしたが、A型の採用がフロント3人乗りを可能にしていたようです。Z20、LD20の搭載車は、センターシートが外され2人乗りとされています。
ここもセンターのデッドスペースにコンソールを設けたり、フロアシフトで乗用車感覚を訴求したトヨタは商売上手の感が強し。
バネットは、他車よりも早くからオートマチックの設定がありました。まだマニュアルが主流の時代にありながら、コラムシフトの操作から解放されるのですから、多数派とは言えずとも先見の明がありました。
バリエーションの一覧が、標準装備一覧表、内外装色の組合せと共に掲載されています。
一番左は、グレード別の並びながらもボディタイプ別も兼ねているのがポイント。並べてみると、SGLに設定された角目4灯、樹脂バンパー、(A型の)ツインスポークステアリング、ローバックシート等がちょうど70年代と80年代の区分けのようにも映るのが興味深い所です。
外装色は、SGLでは6色と豊富な設定ですが、内装色はブラウンの単色設定。この時代のワンボックスや軽自動車では、70年代に多く見られたブラック内装に替り、カラーコーディネートとセットでよく見かけた内装色でした。
裏表紙は主要諸元表となります。
全長3,900mm × 全幅1,600mmという平面サイズは、同級他車の中で一番小さいものでした。当時流行していたFF2BOXもこのサイズに近く、その中に大人数や大荷物が載せられるというのがセールスポイントだったのです。
改めて諸元表を見ていて気付いたのは、標準ルーフのGLとDXのマニュアルのみファイナルレシオが高速寄りとされていること。当時の乗用車にも多く見られた、カタログ燃費(特に10モード)をよくするための手法ですね。燃費に関しては、他社よりコンパクト&小排気量でアドバンテージがあったのは確実であり。
前後のオーバーハングが、ロングも含めてほぼ同じというのも興味深く。そしてイラスト図からすると、やはりこの種のクルマの一等席はセカンドシートですね。
といったところでいかがだったでしょうか。
当時、最終的にライトエースに決める過程においてバネットを落としたのは、内装、特にインパネのデザイン、コラムシフトと-300ccに差を感じたからでした。バネットにも直前のIII型への改良により回転対座シートやリヤクーラーの配置等、装備面の優位をあったのですけれど。当時、回転対座シートはギミックに映っていましたし、クーラーはフロントのみという条件だったので決め手とはならなかったのです。
もっとも、今こうして振り返ってみると、装備以外にも素性のいいA型を搭載して走りと燃費をバランス、9人乗りも可能で、ATの設定もアリと、優先条件次第ではバネットという選択もあり得たであろうことは感じます。
もう少し俯瞰的に書いてみます。
初代バネットと2代目ライトエースの対比では、ライトエースが1年後という差は出ているように感じます。先ず間違いなくライトエースは、先行したバネットをよく研究した上での後追いをやっているかなと。上で書いた装備面のビハインドも、僅か数か月後の一部改良と同時に追加したFXVでは追いつき・追い越す勢いでの豪華装備を揃えていますし。
もちろん日産も防戦一方ではなく、この翌年にはZ20とLD20搭載車を追加して新たな魅力を訴求することになります。その翌年には、初代ライトエースから初代タウンエースが派生したように、ワイド版のバネットラルゴが追加され、バリエーション・シリーズは拡大の一途を辿ります。
以前にも書いていますが、この時代のワンボックスは両車のみならず、各社が力を入れていて、新型車や一部改良も相次いでいます。次は何が来るのだろうと非常に興味を持てた時代だったのです。
その後、このクラスのワンボックス、それから転じたミニバン市場においては、離脱する他社を横目に、トヨタvs日産の構図だけは変わることはありませんでした。そしてその激突において、トヨタがワンサイドゲーム状態になった時代というのも存在しません。結構いい勝負を繰り広げ、時に装備や機構で日産がトヨタに一矢を報いるの繰り返しだったように思うのです。
多くのカテゴリにおいて、トヨタが日産をうっちゃり、やがては占有するという構図が繰り返された中にあっては、このカテゴリにおける日産の粘り強さは特筆に値すると思っています。
その理由はいくつも思い浮かぶのですが、私的にはキャブからバネットを経てセレナに至るこのシリーズの生い立ちの部分は欠かせないと考えています。
バネットシリーズというのは、先代のチェリーキャブ・サニーキャブの時代からC23バネットセレナとその拡大版ラルゴの時代まで、日産のエンブレムを掲げつつも実際は、かつてはコニーを作っていた愛知機械工業が開発と生産を担っていました。プリンスを血統とするクルマと同様、純日産車と比べると独自性が垣間見える理由ですね。
セレナのFF化&ラルゴの廃止の時に、愛知機械工業の手を離れることになるのですけれど、物作りのノウハウや伝統芸という自負の部分は継承され、守られているように感じるのです。
私感に過ぎませんが、多くの日産車が車種統合される中でも存続し続ける強かさも、この生い立ちが関係しているように思えてなりません。
現在、このセグメントのミニバンは、SUVが優勢とされる中で退潮傾向であることが指摘されています。それでも日産は、このセグメントで粘り続けるんじゃないか、根拠はないのですけれど、そんなことまでこれまでの歴史と重ねて思ったりもします。
よく書くのですけれど、競争があってこそ良い商品が成り立つと私は思います。40年前も今も競争が成立しているのが、このカテゴリ。このまま切磋琢磨が続くことを願って止みません。