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2021年03月17日

1980年のチェリーバネットのカタログ

1980年のチェリーバネットのカタログ 気が付けば今年も早3月です。後半月もすれば、年度替りとなります。
コロナ禍の方は最早相変わらずとなりつつありますが、年度替わりに伴う出会いと別れは必ず訪れる筈。もちろん心機一転と意を決している方もいらっしゃるでしょう。コロナ禍も年度替わりを契機に、新年度には少しでも状況が好転することを願っています。


さて、ブログの話です。

クロカン4駆、ピックアップ4駆と昨年末にかけてきて続けてきた1980年代初期のRVブームの話ですが、当時のブームの最大勢力はワンボックスワゴンだったと言えます。このブームを盛り上げていたワンボックスで思い浮かぶのは何台かあるのですが、今回取り上げる車もその一台に該当します。ちょうど年代も重なりますので、だいぶ前に取り上げたこの車と比較しつつで書いてみようかと。

先ずは前史から。
スバル360からあまり時間を開けずでサンバーが誕生したように、1960年代中頃から各社が大衆車を市場に送り込むのとほぼ時期を同じくして、ワンボックス型のバンが各社から送り出されています。マツダボンゴ、三菱デリカ、日産サニーキャブ、トヨタミニエース・ライトエースといったクルマ達ですね。

これらの販売の主力はバンにあったものの、セダンでは望めないその広大なスペースを生かしたワゴンというのも設定がありました。もっともこれらは広さをゆとりにというよりは、多人数を乗せての移動を目的としていた点は現在のミニバンとは異なります。

これらのワゴンは、サニーキャブとチェリーキャブが細々と継続された以外、排ガス規制を機に一度リセットとなります。元より台数が然程多くなかったことに加えて、乗用車の排ガス規制は商用車よりも一足早く厳しい数値を求められたことがその要因です。多くが商用車とエンジンを共用していたことから、未対策時代でも動力性能に余裕はなく、排ガス対応のデバイスを加えると、性能が満たせなかったということが大きかったのでしょう。

この状況から、他社に先駆けていち早く復活したのがトヨタのタウンエース ワゴンとなります。
ライトエースよりも一クラス上という狙いに、T型エンジンを搭載可能にするべくフロント周りを新設しつつ(トレッド幅からすると同時期のハイエースからの流用もありそうな)、センター以降のフロアはライトエースをベースに拡幅したものを繋ぐという成り立ちでした。

同じ頃、それまでスピード一辺倒だった時代が一段落したことで、ワンボックスのバンをベースに改造を加える所謂”バニング”のブームが起こっています。このブームと結びついたことで、タウンエース ワゴンは想定以上の売り上げを見せることになります。

当然、他社がこうしたムーブメントを見逃せるはずはなく、マツダ、日産、三菱の順でモデルチェンジを実施。従前のバンに加えて、ワゴンにも注力したモデルを送り出します。受けて立つトヨタもタウンエースに改良を加えつつ、ライトエースをモデルチェンジして陣容を強化。
一度ブームの火が点くと、一気に押し寄せて大火にしてしまう構図は今のSUVブームと同じという見方もできるかと思います。


今回ご紹介するのは、そんなワンボックスワゴンの中から、日産のバネットシリーズの一角、チェリーバネットとなります。

バネットシリーズは、それまでのサニーキャブ・チェリーキャブの後継車として1978年に登場。サニーと多くのパーツを共用するという成り立ちは同じながらも、前輪位置を前席足元から前席の直下に変更するという大きな変更が行われました。共に一長一短があるのですが、当時の主流だったレイアウトを取り入れたというのが、妥当な見方でしょう。

登場直後から好評だったこともあり、バネットシリーズには矢継ぎ早の改良とバリエーション追加が行われています。さらにサニーバネットとチェリーバネットの兄弟にダットサンバネットが加わり、3兄弟の構成に。今回のカタログは、1980年6月に発行されたチェリーバネット、モデルとしてはIII型となります。僅か2年足らずの間にIII型ですから、当時どれほど動きが早かったかを物語ってもいますね。


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新たに追加となった1500SGLサンルーフが最初の見開きに登場しています。
SGLは、当時流行していた角目4灯を新採用。丸目を採用していたバンや他グレードとの差別化も意図していました。

派手なサイドストライプが当時のワンボックスワゴンの特徴の一つでした。こちらもバンとの差別化が目的。同じ理由でホワイトのボディカラーは非設定となることが多かったのです。もっとも、ホワイトのボディカラーについては、ボディコーティングが普及していなかった当時にあっては、このボディ形状は(特にルーフ部の)洗車が大変で、汚れが目立つ色は避けられていたという事情もありますけれど。

メッキ仕立ての大型となるカスタムミラーやアルミホイールは、上に書いたバニングで流行したアイテムでもあります。



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ハイルーフは前年の1979年8月に追加されています。
標準ルーフより215mmのプラスにより、ほぼ小型車枠一杯まで高さを稼いでいます。初代ライトエースが起源となるルーフ形状ですが、車内空間が広く使えるということで、標準ルーフよりも人気がありました。
こちらはサンルーフ無。

画像は2世帯のニューファミリーが映っています。当時の主流となるセダンでは同時の移動が困難な人数で、大勢で一緒に移動できますよというアピールも兼ねていたのでしょうね。



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こちらはハイルーフGLとロングDX。
廉価グレードになるほど、商業車感が強まるというのはご理解いただけるかと。

ロングは、ハイルーフと同時に追加されています。
バネットは、一番のライバルとなるタウンエースよりもボディサイズがやや小さく、そのハンデを補うべく追加されたものと推測しています。キャラバン/ホーミーとの中間サイズの意味合いもあったでしょうね。

標準比330mmの延長により、全長は4,230mmに。このサイズに4列を可能としているのですから、効果も大きく。スライドドアの後ろではなく、リムジン風にフロントとリヤドアの間で延ばしているのは珍しい事例かと思います。ルーフ等に繋目が残っている辺り、もう少し見せ方はあっただろうなとは思いつつ。

コーチでは10人乗りに限られることもあり、ロングを見かけることは少なかったのですが、バンでは結構見かけたように記憶しています。大人数を乗せるに限らず、ボンゴ マルチワゴンのように広く使うで訴求する方法もあったように思いますが、標準ルーフに限定した設定も含めて、この辺りは淡白でした。



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1500SGLのインパネです。
この時の変更で、当時流行のツインスポークステアリングを採用すると共にアンダー部分のスイッチパネルを立体的な形状に変更しています。この部分は、フロントパネル裏の目隠しにもなっていました。

空調はエアミックス方式ではなく、独立式を採用。ヒーターは2本レバーでの調整ですが、レバーを引っ張っての風量調整は安全コロナを連想させます。
後頁に掲載がある前席の冷房は、助手席下の吊り下げクーラーでした。乗用車ではインパネ組み込みが一般化していましたから、時代遅れ感はやや否めず。
この辺り、同じ独立式空調ながらもエアミックス風に見せたライトエースは上手かったとも言えますね。



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1500SGLのインテリアです。
当時バネットが先陣を切った回転体座シートが大きくアピールされています。瞬く間に他車の採用が相次いだのですから、一世を風靡した装備と言っていいでしょう。21世紀初頭ぐらいまでは採用例が続いた装備でもありますが、安全性の強化が必然となった近年では見かけなくなった装備でもありますね。

元々バネットは、タウンエースよりもサードシートの位置が後より=積載より室内空間重視でした。サードシートの足元はリヤホイールハウスに影響されていることがカタログからも見て取れますが、ライトエースではバネットのレイアウトに追随していますから、この考えが正だったのでしょう。

ちなみに、助手席側セカンドシートは回転とはならず、テーブル的な使用を見せています。
回転対座時の足元スペースの確保は課題の一つで、各社様々な工夫が見られました。バネットではサードシート位置をさらに後ろに下げることで対策としています。



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シートアレンジの例が次の見開きで紹介されています。
左頁のアレンジは、それまでのワンボックスでも可能なものでした。

一方の右頁上は、バネットの新たなる提案。見せ方の工夫が感じられる構成です。

リヤシートのヘッドレストは先例があったものの、埋込式というのが工夫点。これなら外した時の置き場にも困りません。当時の日産上級車のシートデザインを連想させるものもありました。



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サンルーフの設定自体はタウンエースに先を越されましたが、こちらは電動式というのがアピールポイント。クラスを超えた設定で流行を作ったという点では、時期を前後して登場したFFファミリアのXGと双璧とも思います。

広い空間にはいい音を、なのかワンボックスワゴンにはほぼ例外なくカーコンポのオプション設定がありました。
もちろんバネットも採用。標準のラジオとのデザイン差が・・・(笑) 
似たデザインがスカイラインやローレルのオプションにもあり、同じテクニクス製かと思ったら、こちらはクラリオン製だったようです。R30スカイラインのGT-EXエクストラは、クラリオンが純正で近いデザインのものが採用されていました。

それまでは、リヤクーラーの搭載位置は助手席の背面というのが一般的でしたが、新たに運転席側のボディサイドに埋め込まれることになりました。運転席側にスライドドアがない構造を生かした設置個所ではあります。
折角、助手席後ろがフリーになりながらも、リクライニング機構を持たせなかったのは勿体ない感あり。エンジンルームへのアクセスが設計要件にありましたし、当時のワンボックスは助手席の使用頻度が低く、運転手以外の家族は皆後ろが一般的でもありましたから、不要と判断されたのでしょうね。



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エンジンはサニーから流用されたA型を採用。
SGLを追加する際に、サニーより一足早く1400を1500に拡大しています。ライバル車の多くは1800を搭載する中で、1400は如何にも小さく映っていましたから、モアパワーの声に応えた形です。+100cc(厳密には+90cc)により、最高出力は8ps、最大トルクは0.7kgmの増強。
ライバル車との激闘、装備が増える一方の状況では充足したとは言い切れず、後にZ20を搭載するSGXが追加されることになります。

当時は見抜けませんでしたが、A型の採用がフロント3人乗りを可能にしていたようです。Z20、LD20の搭載車は、センターシートが外され2人乗りとされています。
ここもセンターのデッドスペースにコンソールを設けたり、フロアシフトで乗用車感覚を訴求したトヨタは商売上手の感が強し。

バネットは、他車よりも早くからオートマチックの設定がありました。まだマニュアルが主流の時代にありながら、コラムシフトの操作から解放されるのですから、多数派とは言えずとも先見の明がありました。



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バリエーションの一覧が、標準装備一覧表、内外装色の組合せと共に掲載されています。

一番左は、グレード別の並びながらもボディタイプ別も兼ねているのがポイント。並べてみると、SGLに設定された角目4灯、樹脂バンパー、(A型の)ツインスポークステアリング、ローバックシート等がちょうど70年代と80年代の区分けのようにも映るのが興味深い所です。

外装色は、SGLでは6色と豊富な設定ですが、内装色はブラウンの単色設定。この時代のワンボックスや軽自動車では、70年代に多く見られたブラック内装に替り、カラーコーディネートとセットでよく見かけた内装色でした。



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裏表紙は主要諸元表となります。

全長3,900mm × 全幅1,600mmという平面サイズは、同級他車の中で一番小さいものでした。当時流行していたFF2BOXもこのサイズに近く、その中に大人数や大荷物が載せられるというのがセールスポイントだったのです。

改めて諸元表を見ていて気付いたのは、標準ルーフのGLとDXのマニュアルのみファイナルレシオが高速寄りとされていること。当時の乗用車にも多く見られた、カタログ燃費(特に10モード)をよくするための手法ですね。燃費に関しては、他社よりコンパクト&小排気量でアドバンテージがあったのは確実であり。

前後のオーバーハングが、ロングも含めてほぼ同じというのも興味深く。そしてイラスト図からすると、やはりこの種のクルマの一等席はセカンドシートですね。


といったところでいかがだったでしょうか。

当時、最終的にライトエースに決める過程においてバネットを落としたのは、内装、特にインパネのデザイン、コラムシフトと-300ccに差を感じたからでした。バネットにも直前のIII型への改良により回転対座シートやリヤクーラーの配置等、装備面の優位をあったのですけれど。当時、回転対座シートはギミックに映っていましたし、クーラーはフロントのみという条件だったので決め手とはならなかったのです。

もっとも、今こうして振り返ってみると、装備以外にも素性のいいA型を搭載して走りと燃費をバランス、9人乗りも可能で、ATの設定もアリと、優先条件次第ではバネットという選択もあり得たであろうことは感じます。


もう少し俯瞰的に書いてみます。

初代バネットと2代目ライトエースの対比では、ライトエースが1年後という差は出ているように感じます。先ず間違いなくライトエースは、先行したバネットをよく研究した上での後追いをやっているかなと。上で書いた装備面のビハインドも、僅か数か月後の一部改良と同時に追加したFXVでは追いつき・追い越す勢いでの豪華装備を揃えていますし。

もちろん日産も防戦一方ではなく、この翌年にはZ20とLD20搭載車を追加して新たな魅力を訴求することになります。その翌年には、初代ライトエースから初代タウンエースが派生したように、ワイド版のバネットラルゴが追加され、バリエーション・シリーズは拡大の一途を辿ります。

以前にも書いていますが、この時代のワンボックスは両車のみならず、各社が力を入れていて、新型車や一部改良も相次いでいます。次は何が来るのだろうと非常に興味を持てた時代だったのです。


その後、このクラスのワンボックス、それから転じたミニバン市場においては、離脱する他社を横目に、トヨタvs日産の構図だけは変わることはありませんでした。そしてその激突において、トヨタがワンサイドゲーム状態になった時代というのも存在しません。結構いい勝負を繰り広げ、時に装備や機構で日産がトヨタに一矢を報いるの繰り返しだったように思うのです。

多くのカテゴリにおいて、トヨタが日産をうっちゃり、やがては占有するという構図が繰り返された中にあっては、このカテゴリにおける日産の粘り強さは特筆に値すると思っています。

その理由はいくつも思い浮かぶのですが、私的にはキャブからバネットを経てセレナに至るこのシリーズの生い立ちの部分は欠かせないと考えています。

バネットシリーズというのは、先代のチェリーキャブ・サニーキャブの時代からC23バネットセレナとその拡大版ラルゴの時代まで、日産のエンブレムを掲げつつも実際は、かつてはコニーを作っていた愛知機械工業が開発と生産を担っていました。プリンスを血統とするクルマと同様、純日産車と比べると独自性が垣間見える理由ですね。

セレナのFF化&ラルゴの廃止の時に、愛知機械工業の手を離れることになるのですけれど、物作りのノウハウや伝統芸という自負の部分は継承され、守られているように感じるのです。

私感に過ぎませんが、多くの日産車が車種統合される中でも存続し続ける強かさも、この生い立ちが関係しているように思えてなりません。


現在、このセグメントのミニバンは、SUVが優勢とされる中で退潮傾向であることが指摘されています。それでも日産は、このセグメントで粘り続けるんじゃないか、根拠はないのですけれど、そんなことまでこれまでの歴史と重ねて思ったりもします。

よく書くのですけれど、競争があってこそ良い商品が成り立つと私は思います。40年前も今も競争が成立しているのが、このカテゴリ。このまま切磋琢磨が続くことを願って止みません。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2021/03/17 20:44:43

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この記事へのコメント

2021年3月17日 21:51
こんばんは。

今では考えられないですが、丸目2灯 丸目4灯
角目4灯と3種の顔がありました。
くだらない差別化だと思いますが、角目4灯は特別感を出して上級グレードに誘導するうってつけのか方法だったと思います。

バネットのロングは時々見かけました。
あれを買うならキャラバンを買えば早いと思いますが、販売店の兼ね合いやタウンエースと同等のクラスがなかったのがネックになったのかと思います。

1982年にマイナーチェンジでラルゴが追加されます。
衝突安全に対応させるためのマイナーチェンジですが、ラルゴが出た時は不思議な兄弟車が出たと思いました。
ジウジアーロが40年以上前に提案した未来のタクシーは、ラルゴに似たデザインでNV200タクシーを先取りしたコンセプトで驚いてしまいました。

今はタウンエースとバネットは、ライバルというのかどうなのかわからないですね。
コメントへの返答
2021年3月18日 17:30
こんばんは

登場時点では全車丸目2灯、1979年の変更で丸目4灯が追加になり、さらに角目4灯も追加という展開でした。
商業車との差別化は必須課題で、丸目と角目、規格と異形といった形で他車も含めて差別化が長く続いていますね。

ロングは初代のみでしたが、いい企画だったと思います。ご指摘の通り、販売店対策と対タウンエースを背景にしての追加ですね。

初代ラルゴは、2代目タウンエースと登場時期が重なったこともあって、私も過渡期的な受け取り方をしていました。今思うと、初代ライトエースからタウンエースを派生させた手法ですし、初代バネットの延命にも寄与したとは思うのですが。

現行タウンエースは、現代版ミニエース的成り立ちですからね。ノアとセレナがライバル関係を継承していると見るのが妥当ではないでしょうか。
2021年3月17日 21:54
こんばんは。

チェリーバネットは、クルマ好きだった小学校の同級生の家で乗っていて、この名前がよく出たので懐かしく思いました。1200と言っていたので、ご紹介のモデルよりも前の年式でしょうか。
最近でこそ、小排気量のクルマが増えてきましたが、いくら小柄とは言え、ワンボックスカーが1200CCとは、軽ベースのドミンゴはともかく、子どもながらに小さいエンジンだなと思ったものです。

トヨタと日産の切磋琢磨の件は、近年差が開く一方に感じ残念ですが、自動車業界の発展に貢献してきたのは間違いないと思います。

日産が日本市場にまだ力を入れていた2000年代半ば、ティーダを発売した際には、ライバルとなる120カローラが大掛かりなマイナーチェンジを行い、お得な特別仕様車も次々と用意していたのを思い出します。

気づけば日産がトヨタと真正面から張り合っているのは、ご紹介のようにセレナぐらいになってしまいました。モデルチェンジしたノートもeパワー専用で価格帯が上に移行してしまい、むしろトヨタのヤリス辺りとはずらしてきているかに感じます。

ここまで差が開くと、なかなかトヨタに追いつくのは難しいと思いますが、登録車はさっぱりだったスズキの2代目スイフトの時のように、いいクルマを出せばしっかり売れるわけで、日産には頑張ってもらいたいですね。
コメントへの返答
2021年3月18日 17:57
こんばんは

コーチは当初から1400のみでしたので、1200だと商業車かなと推測します。
ワゴンは排ガス対策や装備追加に伴う重量増で排気量拡大が行われていますが、経済性が重視されるバンは1200や1300も意外と長く作られていたりしますね。こちらも遅れて排ガス規制が強化されたことで継続できずとなりますが。

トヨタと日産だけに限りませんが、大抵切磋琢磨が魅力的な商品を生む土壌を作ることとなりますね。

事例として挙げられているとおり、登場後年数を経たモデルが、新型車に対して、特別仕様車や値引きでお買い得を訴求するのもライバル関係にあるからこそだと言えます。

昔より販売力の差が大きく開いていますから、真正面からの対決をあえて避けるというのも一つの戦略かもしれませんけれどね。それでも全くの別よりは、比較対象の範囲に留まれるがお互いにとって望ましいようには感じます。

今は定番モデルに人気が集中する傾向が強まっているようで、新たなカテゴリが開拓できる余地自体、少なくなっているのかもしれません。それでも日産とマツダは逆境から蘇った歴史があるだけに、期待せずにはいられないのですけれどね。
2021年3月19日 13:46
初代バネットは78年のデビューにも関わらず、この80年のSGL追加のmcからが印象に残っており、それまでのモデルはあまり印象にありません。
70年代前半のコークボトルラインから、80年代を予感させる四角いボディが続々と登場する頃でもあったわけですが、前年登場の2代目ボンゴ/ハイエースのデザインテイストと比べても圧倒的にアップデートされた感があったものです。
もっともそれ以前のサニーキャブやキャブスターが古すぎたとも言えるのですが。
その見てくれに対し、吊り下げクーラーなどセダンより随分近代化が遅れていたのもご指摘の通りですね。
追加のSGLで随分と違った車に見えたのも、GL以下とで微に入り細に入り差別化を図ったお陰であり、はからずも「70/80年代を分ける」とのご指摘はまさにその通りと思います。

さてロング10人乗りの存在は当時から不思議でした。
純然たる近距離人員輸送車でしたが、ロングボディまで作って意味があったのかと(笑)
たしかに登場時にはラルゴは企画も無かったでしょうから、中間を埋める試みだったのでしょうか?
空前絶後の10人乗りとも言えるでしょう。
Bピラー部拡大による延長もハイエースのロング化以外知りません。
現在10人乗りと言えばハイエースですが、3列では無理、4列では余るシートのその配置に、現在でもその「鉄板レイアウト」は決まっていません。
車両構造での安全基準は9人と10人乗りで大きな差があるのですが、その辺もこの様な谷間車種である事が原因の様です。

コメントへの返答
2021年3月19日 20:08
SGL追加までは短期間の変更が繰り返され、以降はグレード追加や一部改良はあったものの、末期までほぼ同じで続いたことが印象に影響しているかもしれませんね。続いたのですからSGLでのUPDATE&差別化は正解だったのでしょう。
同時期の日産の小型セダン同様に、余計な装飾ラインもなくシンプルな良さを感じます。あとホイール位置等、プロポーションが意外と整っているような。
この前の世代は、他社も含めて排ガス対策の余波で、想定以上の長寿となったことも大きいですね。

機能は同じでも、センターベンチレーションとした2代目ライトエースがかなり新しく感じたものです。バネットはラルゴの登場まで待ちとなりますね。

バンはロングの需要が見込めたとしても、ワゴンが想定した需要を満たしたのかは謎ですね。末期までロングの10人乗りは設定が続いていますから、需要自体はあったのだろうとは思いますが。この10人乗りと2代目初期まであったハイエースの標準ボディ12人乗りが空前絶後を競うと思っています(笑)
ロング化の手法も、キャラバンはスライドドアの後ろで延ばしているだけに謎の一つです。愛知機械の製造事情かなと推測するのですが。

今の10人乗りの安全基準はハイエースとキャラバンでワゴンを成立させるための特例を推測させます。乗貨共用での使い勝手としては、今のワゴンから4列目を取っ払って3列目までに8人程度を乗せるが便利そうなのですが、安全基準の縛りで成立は困難ですね。
2021年3月21日 23:33
私は90年代以降のミニバンの方が実体験ベースでたくさんみて来ましたので、その前史は大変興味深いものがあります。チェリーバネット。私が中学生だった1990年代後半くらいまでは地元のスーパーなどでも見かけることがありましたが、こうしてカタログをみると古さを感じざるを得ません。カタログ的にファミリー系よりもヤング系のカットが多く、若者の遊び車としての提案だったのかなとも感じました。確かにクーペやハードトップが多かったですから外しの選択としてRV車は有力だったでしょう。

チェリーバネットは最上級は乗用車らしい差別化が満載でカッコいいですね。どうしても商用ベースの場合は徹底的に差別化されていないとちょっと手を出しにくいなと個人的には感じますからGLでも内装は頑張ってるなと感じます。

それにしても1500で1tの車重はまだしも、多人数乗車で夏場の東名の御殿場に向かう上り坂とか考えるだけでゾッとしてしまいます(笑)しかも、フロントサスが横置きリーフスプリングなんですね。旧い自動車工学の本でしかみたことのない形式がこの時代まで採用されていたということにも驚きでした。

バネットをルーツにもつセレナは今もノアやヴォクシーと正面きって競合できるモデルとして残っていますが、91年にいち早くセミキャブ化に舵を切り、トヨタがセミキャブになったらFF化し、いち早く(S-)HV化したり、自動ブレーキを訴求したり、e-POWER化するなど日産として異例なほどの時流に先んじた姿勢がいい結果に繋がった珍しい(失礼)モデルなのでは無いでしょうか。
コメントへの返答
2021年3月22日 20:01
1980年前後のワンボックスブームを体験しているのはアラフィフ世代以上でしょうから、どうしても詳しい前史が見当たらずとなりますね。
書かれているように、長く使われた車も少なからずですが、原設計は70年代の商業車ですから、同年代の乗用車と比べても古さとなってしまいます。
バニングは財布の軽い若者から始まっています。そこにファミリー層が加わった構図。キャラバン/ホーミーもありましたし、ヤングに向けてとなるのも自然かなと。ライトエースとハイエースも同じような関係ですね。

この時期のワンボックスは、豪華になる=乗用車に近付くで作られています。その過程で商業車との差別化も進んでいて。初期のステーションワゴンがバンに見られて定着しなかった歴史もありますから、絶対的に差別化は必要という認識はあったでしょうね。

合法的に9人が乗れる1500でATも選べる…とは言うものの負荷が高い時にはA/Cを切る工夫なんかは必要だったでしょうね。この年代だと水温計との睨めっこだった可能性も高くて。
なるほど、サスペンションの解説が略されている理由ですね。このクラスだと商業車の価格設定も大事だったのだろうとは。

この系列は、ライトエース系と並べると、大体先手なんですよね。後からトヨタが欠点を潰してくる構図とも言えますが。
日産内の他車と比べても、明らかに意欲的だし粘り強くもありますね。このセグメントだけは絶対に譲れない、そんな自負を感じます。プラットフォームを3世代使いまわしましたので、次の一手がそろそろ気になってきますね。
2021年3月21日 23:49
parl-siroさん、こんばんは。
何とも懐かしい、そして個人的な思い出のある一台を取り上げていただきありがとうございます♪

中学の時の恩師がサニーバネットのハイルーフ、ガソリンのSGLコラムマニュアル、ボディカラーはブラックでエアコン無しという仕様に乗っていたので乗せてもらう機会こそありませんでしたが毎日見かけるという生活を平成2~4年の春先まで送っておりました(笑)
当時はバブルの絶頂期からのバブル崩壊という時期でしたがこの型のバネット自体ほぼ走っていなかったので珍しいなと思って過ごしていました。しかも随分と古いバネットだなとも思ったりして。

それもそのはず、恩師のバネットも外装コンディションは悲惨な状態でボディ全体が艶消し黒状態、ホイールアーチ他はサビでボロボロ、アルミテープのような物で穴を塞いだ上から缶スプレーで自家塗装を施したような満身創痍の有り様でした(汗)このような個体が多かったせいか早期淘汰だったのかな?とも思えたりで。

私が中学3年になる平成4年春に突如、新車のラルゴ4WDのフロア5速、またしてもエアコンレスに乗り換えたのにはビックりしました。どうやらエアコンが苦手な体質だったとかで(笑)
さらに衝撃的だったのが、納車直後に恩師が乗っていたサニーバネットらしきクルマが解体屋のトラックから荷崩れして並走していた当時最新の初代プレセアを下敷きにしてしまうという事故のニュースを見てしまい・・・幸い物損だけの事故でしたが今思うと大雑把な時代だったなと、このバネットを見ると真っ先に思い出してしまいます。
なんだか取り留めもない思い出話ですみません。
コメントへの返答
2021年3月22日 21:20
こんばんは
コメントを拝見して、そういえばという話を私も思い出しました。

平成4年だと、この型も後期が少し残るくらいで既に前期は珍しかったように記憶します。
実は父が81を買った平成4年の夏に帰省した際、ワゴン車で皆で観光をしようという話の展開になりまして。何が来るのかと期待したら、親戚筋で借りてきたこれの前期SGLディーゼル、標準ルーフの5Fという代物でした。ボディカラーがブラウンだったことも印象に残っています。

当時既に10年落ち。書かれている程の満身創痍でこそありませんでしたが、経年劣化は否めずの様相に、折角の借り物ながらも同乗は丁重にお断り。あまり悩まずで81での後追いを選びました。
この選択、当時の唯一の後悔は前走するLD20からの黒煙(笑)。今の後悔は乗っておいた方が良かったかなで。

実は私もエアコンは苦手だったりします。直接冷風を当てていると確実に風邪を引く体質。直接当てなければ良いのですが、おかげでエアコンの弱いクルマは遠慮したいところです。弱いと直接風を当ててとなりますからね。

解体屋さんは潰すクルマということもあって、得てして扱いがぞんざいだったりしますよね。忙しい時期だと尚更で。さすがに荷崩れというのは、あまり聞かない話ですが。今だと確実にニュース扱いでしょうね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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