
日産グローバル本社ギャラリーのヘリテージ系展示車は、先月取り上げたばかりなのですが、今回の入替はたとえ短期間であっても再訪するに値すると判断しまして。
結構個人的に琴線の3台なのです。
琴線に加えて、ギャラリーの来訪者は少なかったこともあって、つい撮影枚数を増やしてしまいました。
それでは、早速ご紹介していきます。
●ティーダ15S(2005年:C11)
これがもうヘリテージなの?の感が強いですが、調べてみるとこの秋で初期型登場から17年が経過。生産終了から数えても間もなく9年に達することが判り、時の速さに驚かされました。
そういえば、4ドアセダンのティーダラティオ共々、急速に街中で見る機会が減っているような。もうしばらく時間が経つと、懐かしい感が出てくるのでしょうね。
みん友さん含めた関係者界隈では、評価の高かった車でありまして、実際に買われた方も何人かいらっしゃいます。全てラティオの方かな。
私自身も最初の認識は「新生パルサー&サニーでしょ」ってなもんでしたが、実車を見て、乗ったら、これいいかも、と懺悔しつつで認識を改めています。
それまでのこのクラスって、上級車と比較すると、何となく我慢の感は漂っていた訳です。あるいは、着飾って背伸びをしたような車とか。ティーダにはそれがなかったですね。高さを生かした広い室内、サイズもクッションもたっぷりとしたシート。素直な走りetc。決して派手ではないですけれど、大人が乗るに足るというか、いい趣味のクルマに乗っている感があったのです。こうした成り立ちは、ダウンサイジング需要にも適していて。
展示車は、シートから15Gの間違いじゃないのと思ったのですが、エアコンパネルで15Sと納得(笑)。数多く出た特別仕様車の中の一つなのでしょうね。
最近出たオーラは、ティーダの再解釈的存在に映っています。
●ティアナ230JK(2004年:J31)
こちらも、もうヘリテージの一台。経過年数で驚くのも同じく。
初代は最終型の一部以外、既に重課税対象なのです。
懺悔半分で明かしてしまうと、当時私は最終セフィーロが好きだったもので、名前を変えたのも含めて、馴染めない一台でした。
これもみん友さんと登場直後に試乗車を借り出したことを思い出します。
確実にお洒落になっていたのですが、スペースとか使い勝手はセフィーロだよね、というのが当時の評。今、思い返すとお洒落とは中々言い難かった90年代までの日産車が、新しい世代の幕を開ける契機となった記念すべき一台だと言えます。
当時はキャビンの造形等、B5型のVWパサートの面影を重ねていました。この後紹介する初代セフィーロと並べてみると、先祖返りしたように映るのが興味深いところ。セフィーロはマキシマとの統合もあって、2代目以降、お洒落路線から実質的な方向に舵を切りますが、ティアナは新たな解釈で再びお洒落セダンをやりたかったのだなと。
展示車はイメージカラーだったファウンテンブルー。高級セダンはダークブルーがお約束だったところに、ミディアム領域のブルーを持ち込んだところが新鮮に感じました。ベースグレードとなるJKのようですが、シートはパールスエードということで、こちらも特別仕様車かなと。この外装色ならアガート内装と言いたいところですが、カシミア内装もいい趣味で。
年月を経るほど真価に気付いたというか、見直した一台です。セダンと言えば、判で押したようにスポーティに傾倒していく中で、貴重なキャラクターでした。
その他にも、大き過ぎないサイズ、愛でるに足る内外装のデザイン、過不足を感じさせないV6、これを上手く残せなかったことが本当に惜しまれてなりません。
●セフィーロ(1988年:A31)
今回の主目的かつ最大の目玉と思っています。
気が付けば登場から30年が経過。ドリ車改造された車が暴れまわった頃からも15年は経過しているぞと。同世代の81、C33、R32、皆長らくの間、あれは現在車と揶揄されてきましたが、今では旧車に類することに異論は少ないでしょう。
イベント等でなければ、中々見かけない一台でもあります。
これは、81の登場直後ということで結構記憶に残っています。
マークII3兄弟vsセフィーロ、販売の最前線の激突はもちろん、免許取得間近の高校生の間でも、どちらが良いか激論が交わされたものです。それはトヨタvs日産と同義でもあったのですけれども。
コンセプトは33歳のセダン。レビン・トレノ、シルビア、プレリュードを卒業したユーザーが主なターゲットでした。それまでは多くがマークII3兄弟に移行していた層ですね。セダンでありながらもファミリーではなく、DINKS想定を思わせたのも特徴。こちらは同時期に登場した170カリーナと重なる部分となります。
今のセダン難の時代からでは、当時の様相は想像すらも難しいのかもしれません。
プロポーションからして、後席を重視していないことは明らかで、カリーナED路線とは違ったスタイリッシュな4ドアを作りたかったのでしょうね。今の流行で作るなら、ルーフをもう少し伸ばしてリヤウィンドーもさらに倒し、トランクを短くするかな。私的には、トランクはこれぐらいの長さがあった方が安心できる、となりますが。
今でも語り継がれるCMを始め、すごく挑戦的でトレンディでもあったのですけれど、話題をパッと集めたものの、それが細く長くに転じることができなかったのは日産の誤算かもしれません。ローレル、スカイラインの世代更新が後に続いた中で、段々埋没していった感が強いのです。確たるファンを持たない新規名称であることに加えて、後続がC33、R32という歴代の筆頭と思える世代だったことも、先行したセフィーロにとっては不運だったかなとは。
81よりも一回り軽量でシャシーの素性が良かったセフィーロは、パーツ流用の容易さと改造範囲の広さが買われて、新車時とは異なる層に支持されることになります。元々の台数が決して多くはなかったこともあって、それは一時期のブームに過ぎなかったと言えますが、今でもセフィーロの名から、改造された姿を連想される方も多いのかもしれません。
展示車は、当時のイメージカラーだったブルーイッシュシルバー。シルビアのライムグリーンとの繋がりを連想させるグリニッシュシルバー(こちらは「あぶない刑事」の劇用車を思い出す方が多そうですね)と並べてのシルバーでの訴求は、ブームこそ一段落したものの、人気が根強かったホワイト主流の時代の中では新鮮でもありました。内装は、ボディカラーとセットで推奨されていたダンディではなく、希少と思われるモダンで少々驚かされました。大半はダンディとエレガントで売れていたように記憶しています。
初代セフィーロは、コーディネート名を表に出さないのが特徴の一つ(仕様名はセンターコンソールの蓋の裏側にあり)だったため、グレードの特定は難しい所ですが、紹介文とホイールからの推測ではクルージング。クルージングは、スポーツタウンライドと共に推奨グレードから外されていたため、これまた珍しいなと。さらに内装画像でお分かりの通り5速MTですから。幾多のコーディネートの中から、この選択。初代オーナーは、結構拘りの強い方と見受けるのですが。
この3台の中で、セフィーロを撮影されている方は一際多かったです。同世代くらいかなと。
私が81に特別な感情を持っているもありますが、佳きライバルとして好きな一台です。この1980年代、特に末期は日本車のvintage year、そしてそれは空前絶後と確信しています。老若男女を問わずでクルマに熱狂できた時代ですね。
セフィーロは3代でティアナを後継として絶版に。そのティアナも昨年ラインナップから落とされてしまいました。後継は、このV37スカイラインとされています。
伝統かつ伝説の名ブランド”スカイライン”の名が重すぎる感は拭えませんが、初代セフィーロの系譜と思えば、むしろ腑に落ちるような気も。
日本車の全体傾向としてセダンの廃止や縮小が続く中で、年々存在価値は上がっていると思います。時代の流れという激しい風雪に立ち向かう姿は、末期のマークXと重なるものもあり。
今世代限りであることがスクープされ、即日で否定されるという顛末が記憶に新しいところですが、今の販売台数、日産を取り巻く環境からすると、正直かなり厳しいかなとは。日本のセダンのもう一つの名ブランドであるクラウンも大きく変わると噂される中にあって、何とか残って欲しいと願わずにはいられません。
セフィーロの当時はセダンの全盛期であり、ティアナの当時だってセダンは残るものと信じて疑いませんでした。そこから20年足らず、未来は本当に予測できないものだと強く感じます。
余談以外の何物でもなく。
帰り道で85,000kmに達しました。
近場主体になっても順調に距離を伸ばしています。今一番の目標、100,000kmまで、あと15,000km。ここからは何となくカウントダウンの感が強くなりそうに思えます。