危惧された通りというべきか、コロナ禍は新規感染者が爆発的な増大傾向にあるようです。このことに伴い、緊急事態宣言及びまん延防止等の措置が再び広い範囲で実施されることに。
これまでの経緯もあり、受け取り方は様々あるであろうと思います。何れにせよ、守るべきものは己の健康であり、大切な人の健康であることだけは揺るぎません。罹患時の医療体制は心許なくもあり、軽率な行動だけは慎むのが自他ともに正かと思います。
堅い話はさておき、8月3日にちなんだ話を軽く書いてみることにします。ステイホーム中の軽い読み物としていただければ幸いです。
私が”83”というワードから展開するには、やはりMX83以外なかろうということで(笑)
今回の主役、MX83は1989年(平成元年)8月の登場となります。
X80系の登場からは1年を経過してからの追加。この追加の背景には、この年の4月に行われた自動車税制の改正、具体的には普通自動車税の引き下げ及び物品税の廃止とそれに替わる消費税の導入がありました。言い方を変えると、両税制の変更がなければ、MX83が国内導入はなかったとも言えます。
1年程前に、「
昭和時代のローレルとマークIIの3ナンバー」というお題で書いているのですが、3ナンバーというのは改正以前は一般的な存在とは言えず、この改正により一気に身近になった車となります。
どんな改正だったのかを軽く記載してみます。
○自動車税(3000cc級) 81,500円 → 51,000円
○物品税&消費税
・クラウン4HT 2.0 ロイヤルサルーン 351.1万円 → 328.07万円(消費税6%込)
・クラウン4HT 3.0 ロイヤルサルーン 387.5万円 → 347.15万円(消費税6%込)
この時の改正により、小型乗用車は約8%、普通乗用車は約11%新車価格が安くなりました。「おかげでワンランク上が買えるようになった」というのは当時よく聞けた話。高額なクルマほど引き下げの恩恵が受けられる形でもあった訳です。
余談に過ぎませんが、平成元年の3月までは減税待ちの買い控えが起こり、新車販売は奨励金を大量投入しての大乱売となっています。
普通乗用車が受け入れられる土壌は出来上がり、早速日産は、セドリック/グロリアのマイナーチェンジの際に、2.0ブロアムのワイドボディ仕様を投入。パジェロ、スープラとワイドボディ仕様の追加が続いた後で登場したのが、このMX83となります。
税制改正後、僅か4ヶ月で追加できた大きな要因は、輸出仕様クレシーダには同様の仕様が既に存在していたから。主な輸出先となる北米では、直6&FRのレイアウトが販売の支障となって、V6&FFのマキシマに完全に寄り切られることとなるのですが、こと国内展開に関しては、輸出を見切っていなかったのが功を奏した形です。

1989年モデルとして登場したクレシーダ。
それまでの5M-GEに替り、新たに7M-GEを搭載していました。
クレシーダは、国内版ではマークIIセダンに相当する単一のボディで展開されていましたが、国内展開にあたっては、もちろん兄弟車を含めての全ボディでの展開となりました。
それまでのGX81との識別点は、ナンバーが一番判り易いとも言える装いですが、実は細かく仕様を変えていて、最上級グレードを選ぶユーザーの満足感を高めていたりします。
外装だと、”3.0”の前後エンブレムの他、新たに起こされたポリッシュ仕立ての15インチメッシュアルミホイール、205/60R15タイヤ、大型サイドモール等が専用の装い。
内装では、スーパーチャージャーではオプションだった助手席パワーシートとワイヤレスキーの標準化に加え、革巻きシフトノブを新たに設定、さらに本革シートも選択可能となりました。
このメッシュアルミ、初見の時はソアラ用の流用?と映ったのですが、よく見ると別物。結構人気を集めたようで、2.0のパールホワイトの特別仕様車に流用された後、後期に替わる直前には205/60タイヤとのセットでスーパーチャージャーでも選択可能に。後期では特別仕様車の定番装備でもありました。私も、入手を検討したアイテムの一つであり。
これらアイテムには、オーナーや詳しい人だけが判る差別化と先にスーパーチャージャー仕様を買われた方をがっかりさせない両立があったのです。
もっとも時代はバブル最盛期ですから、僅か1年でスーパーチャージャーから3.0に代替したなんて方もそこそこいらっしゃったように記憶しますけれども。
60後期以降、この3兄弟はずっと5ナンバーだけでやってきて、それが定着した中での久方ぶりの3ナンバー。復活というよりは、新たな時代の到来の感が強かったように思います。
正直言って、パワーだけなら既にあったGTツインターボの1G-GTEの方がパワフルではあったのです。3.0の7M-GEは、スーパーチャージャーの1G-GZE同様、ATのみでしたし。
(参考スペック)
【エンジン型式】7M-GE:1G-GTE:1G-GZE
【最高出力 PS/rpm】200/5600:210/6200:170/6000
【最大トルク kg・m/rpm】27.0/3600:28.0/3800:23.0/3600
速さを重視するなら、この時に205/60R15(ピレリP6)から205/55R16(ピレリP600)にインチアップしたGTツインターボ、さらに極めるならMTを、というのが選ばれ方でした。一方で3.0の持ち味は低速からのたっぷりとしたトルクによる高級感。1G-GTEと比較した時の1G-GZEの長所でもあったのですが、7Mはその上位互換ということで。
元々は軽量を謳って登場した1Gも過給機等の追加により、1G-GZではだいぶ重量級となっていましたから、7Mを搭載することで重量配分や操縦性が大きく変わるということはありませんでした。しかしながら、1G-GZよりも重量が増していたのは確実だったようで、フロントサス一式をそのまま流用した前期型では、経年に伴いノーズ下がりが起こるという特徴がありました。(後期は対策が行われたことで、やはり共用とされた1JZ-GEのノーズが逆に上がることになります)
装備の差もあって、価格順はマークIIHTを例にすると、7M-GE(301.8万円)>1G-GZE(289.1万円)>1G-GTE(272.8万円)でしたから、一番高いの持って来いなら3.0が納車されることに。
さらに絶妙な価格設定と言えるのが、3.0に少しプラスすると、直後にマイナーチェンジが行われたクラウンのスーパーチャージャー(同:309.5万円)が買えるという並び。ここでクラウンに目移りすると、少し上にワイドボディ(316.6万円)と3.0アスリートL(314.9万円)があって、そのもう少し上には3.0ロイヤルサルーン(334.8万円)がありました。(この項の価格は、当時の東京地区の税抜き標準価格となります)
上を見始めると際限がない一方で、3兄弟を求めるユーザーには最上級&3ナンバーの優越感で満足させる。この時代のトヨタのラインナップは、今よりはるかに緻密に構成されていたのです。
このMX83、前期モデルだけに限れば約1年の間に、マークIIセダン:約700台、マークIIHT:約12,300台、チェイサー:約3,400台、クレスタ:約4,500台を売っています。余談半分で書くと、MX83セダンは後期を含めても下手な限定車以上の希少種であり、マークIIHTは兄弟車の中でも上級グレードが売れていたと言えます。
この3兄弟は総数にすると月販30,000台以上のペースで販売台数を計上していたことからすると、MX83は決して多くの台数とは言えなかったのですが、クラウンへの架け橋となった点、2.0以上の拡大が遅れたセフィーロ&ローレルへのアドバンテージも考慮すると、存在には大きな意味があったと言えます。
このクラスの3ナンバーに商機ありと見たトヨタは、翌年のマイナーチェンジの際に1G-GZEと1G-GTEに替わる新開発の2.5L、1JZ-GEと1JZ-GTEを新たに設定し、新たなライバル車ディアマンテと激突しつつで3ナンバー市場へ攻勢をかけることになります。
少し思い出話を書いてみます。
MX83が登場した時は、ちょうど170コロナを購入した直後で、トヨペット店には新車時点検等で何回か通っていた頃でした。マークIIもついに3.0と感慨深かったのも束の間、直後にはクラウンがV8の4.0を搭載しての登場。排気量のインフレというか、時代背景共々イケイケドンドン、当時は右肩上がりを信じて疑わなかったなぁと感慨深く。社会に出始めの身には、MX83を自分の車に、みたいな感覚には遠く、ハイメカ24バルブでも充分満足できるのに、だったかなと。
そこから僅か3年でJZX81を購入しているのですから、どれだけ好景気だったのかという話です。実は、JZX81を購入する際、MX83というのは頭の片隅には候補として存在していました。既にクラウン系は後継の2JZ-GEに切り替わっていましたので、最後のM型となることは確実。父がM型のマークIIを2台乗り継いでいたこともあって、思い入れだけは人並み以上にあったのです。
いざ商談を始めてみたら、MX83はJZX81よりも新車価格が高いにも関わらず、2年経過の下取り価格は結構な差で逆転。加えて車両保険のクラスもMX83の方が上位ということで結局思い入れを現実のものにすることはできませんでした。
先に書いた通り、MX83のセダンは殊更の希少種ですから、後年になって、あの時買っていれば、みたいな気持ちに時にはなったのですけれどね。
JZX81と乗り比べてのMX83というのは、低速トルクの太さと音の野太さが印象的でした。JZX81よりややワイルド系という評価かな。あとはフロントがやはり重い的な感覚も。これらはMX83ならではの特徴という書き方もできますけれども。
余談のついででもう少しだけ続けます。
この3兄弟、3.0の追加と同時に小改良も行われています。ボディカラーでは、それまでのダークレッドマイカ(3H3)に替わって、次の2色が新たに設定されました。

この色はグリニッシュシルバー(174)。単色の設定では前期のみに留まりますが、同時に切り替えられたクレスタのツートン(パールフレーバートーニング(23K)→パールクリアトーニング(27N))の下部色として、末期まで設定されることになります。

こちらの色はダークブルーイッシュグレー(183)。この3兄弟を皮切りに設定する車種が次第に増えていって、最盛期にはマジェスタからタコII3兄弟まで、セダン系ではほぼフルラインで選択可能でした。自分で選んだ色でもあるということで、感慨深くなれる色でもあります。
以上、取り留めもなく、思い出すままに記してみました。
約300万円で3.0Lの車が買えて、乗れば周りは羨み、自分自身も深く満足できた時代。昨今の車を取り巻く環境からすると、当時は間違いなく空前絶後の日本車の黄金期であり、何より佳き時代だったのだなと思わずにはいられません。
【画像の出展】
・クレシーダ、マークIIセダン、クレスタ(183):FavCars.com
・マークIIHT、チェイサー、クレスタ(049):自動車ガイドブック(1990年版)
【新車価格及び販売台数の出展】
・月刊自家用車誌