
台風16号は、当初危惧された首都圏上陸こそ外れたものの、東寄りの海上を北上中。大事にならずの通過を祈るばかりです。
そして9月から10月への月替わりとなりました。
この月替わりは、長く続いた緊急事態措置及びまん延防止等重点措置の終了も意味するため、今回ばかりは少し感慨深いものがあったりします。ようやくの終了ということで開放感は確実にあり、また第6波の到来も考慮すると、今のうちにという感すらあるのは否定できません。かと言って、一気の緩和は再拡大への逆戻りに直結しそうなのが難しい所。自制が大切な局面ですね。
前段はさておき、本題に入っていきます。
一月ほど前、
初代カリーナEDの後期の特別仕様車を取り上げています。この回を作る際、特別仕様車の資料がまとまって保管されていたことを確認。前期・後期を通しでやるのは、本文が長くなり不適。さらに私都合で後期を先行させたという経緯があります。
その後、前期もやろうと機会を伺っていたものの、他のネタを優先したことから先送りとなっていました。約一月遅れでようやく順番が回ってきたということで。
後期を取り上げた際、登場の経緯やモデル変遷等は書いていますので、今回この辺りは補足のみに留めることにします。
初代EDは、1985年8月の登場後、当初想定をはるかに超えた人気を集め、販売台数も好調に推移しています。ところが、翌1986年5月には早くも、セダンのマイナーチェンジと合わせる形で一部改良が行われています。
兄弟車でありながらも、GWを挟んでセリカの方が4日程発表&発売が早かったというのは、深海領域の話。
この時の主な変更内容としては、
・ボディカラーの変更。ホワイト(041)→スーパーホワイトII(040)
・一部ボディカラーにおいて、カラードドアミラーを採用。
・後席中央シートベルトの追加
・Sをベースに電動ムーンルーフやスポーツシートを備えたSツーリングを追加
等が行われています。
白が大半で売れていましたから、ボディカラーの変更はカラードドアミラー化と合わせ、初期型を買ったユーザーには結構厳しい仕打ちだったような。さらに追い討ち的に映ったのが、これからご紹介する特別仕様車となります。
実は中学生の時に車好きという理由から仲が良かった同級生の家が正しくその該当でありまして。同時期に出たビスタHT共々、複雑な心境を隠すこともなかったのは、今でも思い出す出来事の一つ。
【40周年記念特別仕様車】
●ベース車両:1800X
●1986年9月 - 12月
(特別装備)
A1.カラードバンパーモール
A2.カラードサイドプロテクションモール
A3.カラードアルミホイール(13インチ)&センターオーナメント
A4.専用フロントエンブレム
A5.サイドストライプ(ベージュ色)
A6.ロッカーモール(メッキ)
A7.電動格納式ドアミラー
A8.専用シート表皮&ドアトリム表皮
A9.カセット一体AM/FMマルチ電子チューナー付ラジオ(レス車も設定)
(外装色/内装色)
a1.スーパーホワイトII(040)/ブラウン(HB43)
標準では黒のモール類をカラードにするというのは、マークII3兄弟の特別仕様車に続くアプローチ。特別仕様車の定番装備となる過程を経た後、カラードモールが標準装備に含まれていくことになります。
まだ、この時期では特別感のある新鮮な装備ではありました。
電動格納式ミラーも、標準仕様では後期まで待ちとなるため、一足早くの採用。前期では唯一の採用と認識しています。
特別装備の内、カセット一体AM/FMマルチ電子チューナー付ラジオ(サウンドフレーバー・システム付)(名前長!)が選択装備だったというのは、比較的珍しい設定かと思います。
あまり聞き慣れないであろうサウンドフレーバーについて解説すると、ボタン一つで6つのモードのトーンコントロールを選択可能にした機能となります。車室形状に最適な音響効果を叶えたフィックスイコライザーと合わせて音質向上を図るというのが狙い。
標準オーディオも、4アンプの電子チューナー、ロジックコントロールデッキ、グラフィックイコライザーを備え、スピーカーもライブサウンドスピーカーと名付けられた高音質の物が共通で使われていました。機能はサウンドフレーバーの有無を除けばほぼ同じで、最大出力も10W×4と15W×4という違い。それだけに選択装備でも充分という判断だったのでしょうね。
深海領域の話も少し。
マークII3兄弟と同様に、この3兄弟も、標準のオーディオは、セリカが富士通テン、コロナクーペとカリーナEDは松下。サウンドフレーバー付は全て富士通テンという形で製造元が分かれていました。
さらに余談。
自分の最初の車となったAT170コロナでは、メーカーオプションで同様のオーディオシステムを選択しています。こちらは松下製でしたが、2DINデッキには”Technics”の表記で、リヤのスピーカーグリルには”Live Sound System”のバッジ付。同世代の例外に漏れずオーディオ好きの少年としては、結構高価なメーカーオプションを奮発させるに充分魅力的な装備だったわけです。サウンドフレーバーは、最初触っていたものの、やがて高音強調のPOPSポジションで固定となり。まぁ、ありがちなオチということで。
本筋に戻します。
この特別仕様車は、トヨタ店の40周年記念ということで、クラウン(HT ロイヤルサルーンSCがベース)、カリーナ(1500SGエクストラがベース)と同時での展開がされていました。
何れも当時の最多量販グレードがベースであり、特別仕様の内容も結構凝ったもの。メモリアルであるから、が最大の理由となるのですが、同時期に進行していた”T50作戦”と無関係とは思えずです。
当時のトヨタは、創立50周年を迎えるにあたり、軽自動車を除いた国内乗用車市場の占有率で50%を超えることを目標としていて、相当荒っぽい手法も含めつつで強力な販売推進が行われていました。T50作戦は、数か月後に大量の中古車を早期発生させる副作用を招きつつも、一先ずは1986年10月に達成という形で終わるのですが、今回の特別仕様車もそこに大きく貢献していたのは、疑いようのない事実と言えるかと思います。
T50の最前線となる販社各系列は、各々強力な持ち駒を欲し、新型車が一巡していたトヨタ店はこれらの特別仕様車を作らせた。期間限定だった点も考慮すると、多少の見当違いはあれど、大筋はそんなところと推測しています。
続いての特別仕様車は、前期の末期に追加されたものとなります。
前回ご紹介したVの前史的位置にもなりますね。
【ED特別仕様車】
●ベース車両:1800L
●1987年4月 - 7月
(特別装備)
B1.ワンタッチ式パワーウィンドゥ
B2.電磁式ドアロック
B3.ブロンズガラス(ブラウン内装)/ティンテッドガラス(グレー内装)
B4.高級シート(S用)・オープンスルーヘッドレスト
B5.185/70R13タイヤ
B6.フルホイールキャップ
B7.マッドガード
B8.ペイントストライプ
B9.ドアポケット(前席両側)
B10.リヤウィンドゥアンテナ
(外装色/内装色)
b1.スーパーホワイトII(040)/ブラウン(QA43)orグレー(QA13)
b2.グリニッシュシルバーM(154)/グレー(QA13)
b3.ブルーイッシュシルバーM(160)/グレー(QA13)
タイトル画像でも用いた、当カタログの表紙は、EDとWANTEDを重ねた、中々の技ありですね。
最近はまた異なる傾向が見受けられつつあるものの、新車の販売傾向としては、登場初期は上級グレードが人気を集めた後、月日が経過すると、やがて中下級グレードに比重が移っていくが、半ばお約束となってきました。
初代EDの場合は、その傾向に加えて、販売台数が増えるに従い、対象ユーザーの拡大も影響していたりします。当初は、スペシャルティーカーの位置付けが強かったものの、段々ファミリーカーとしても受け入れられることに。後者での売れ筋は、1800の中間グレードとなってくるわけです。EDの最廉価グレードとなるLは、価格訴求の要素が強い設定でしたから、激戦区で勝ち抜けるための商品力向上が必要度を増していたと言えるわけです。
特別装備は、そんな背景を反映したものと言えるかと思います。
細かく見ていくと差異は少なからずあるものの、少なくとも外観の一見なら、1800Xとあまり変わらない仕様となったと言えそうで。
一つ上のFとの関係では、シートやオーディオ等は下級に留まるものの、185/70タイヤやマッドガード等では逆転していたりします。
朧げな記憶という前提となりますが。
少なくとも前期のLは、リヤバンパー下部のロッカーパネルがボディ同色で、ブラックアウトされた他グレードと並べた時に、結構な見栄えの差を感じずにはいられませんでした。当時は白が大半で売れていますから、尚更で。
この特別仕様車、後期のL共々この部分の変更も行われていたのかは失念していまして、気になる点ではあります。
ベースグレードが異なるのを承知の上で上の特別仕様車とインパネを比較すると、空調スイッチはプッシュ式からレバー式となり、オーディオはカセットレス以外にラジオもFMこそ備わるものの、電子チューナーからボタン式のメカニカルチューナーとなります。見た目の高級感に大きな影響を与える一方で、当時流のお買い得価格に抑える策は、この辺りにあったと言っていいでしょう。
当時としては既に珍しかった6連メーターの一部が警告灯となる点も、廉価グレードの特徴でした。このメーター配置には、初代セリカやカリーナへのオマージュを感じたというのは私感です。
ラジオは、元々AM5ボタンが製品化された後、内2ボタンをFM受信機能の追加の際に割り振ったという経緯があります。5ボタンでは放送局の増加に追い付けないことから、過渡期では6ボタン式も製品化されていますが、やがて電子チューナーへ移行していくことになります。メカニカルチューナーの末期とも言える時期です。
首都圏に限っても、この翌年ぐらいから、BAYFM、J-WAVE、NACK5等、FMの新規開局が相次いでいます。
激戦区と書きましたので、当時のライバル車との価格関係も少し書いてみます。記載している価格は、当時の月刊自家用車誌から、東京地区のAT車の標準価格となります。
今回の特別仕様車の価格は探せなかったものの、L:147.4万円、F:166.4万円という価格と追加装備から推測すると、恐らく155万円前後だったと思われます。
4ドアハードトップに絞って、ライバル車を見渡すと結構イイ線の設定ではありまして。
直接かつ最大のライバルは、この少し前に追加されたブルーバードLXセレクトリミテッド:154.8万円のみ。近い価格帯では、ビスタVLエクストラ:153.2万円、チェイサーXLエクストラ:153.4万円があるものの、この両車はP/Wが非装着というのが大きな違いでした。この頃になると、A/C、P/S、4ATに続く形で、P/Wもかなり必須装備と認識されつつありましたし。視点を少しずらすと、チェイサーをこの価格帯に捻じ込んだオート店の執念も感じずにはいられないのですが、それはまた
別の話ということで。
ちなみに、この時期と重なる形で発表された、カローラSEリミテッドは137.8万円。スプリンターSEサルーン、サニースーパーサルーン等含めて、値引き込みなら競合関係は生じていたと言っていいと思います。「こちらは一クラス上のハードトップです。それが今ならお買い得価格でご提供出来ます。」なんてセールストークが聞こえてきそうでもあり。モデル末期のお買い得で対抗は、マイナーチェンジとフルモデルチェンジという違いこそあるものの、コロナ1800セレクトサルーンと重なるところでもあります。
これまた余談の域ですが。
この年の8月にEDがマイナーチェンジを行った翌日、ビスタには、VLエクストラをベースとしてこの特別装備の殆どを追加した特別仕様車エトワールが追加設定されていたりします。明らかに意識しての設定であることは疑いようもなく。
といったところでいかがだったでしょうか。
前回ご紹介した特別仕様車との違いや、当時のライバル関係等様々な視点から検証、あるいはお楽しみいただければ嬉しく思います。
ブログのお題としては、ここまででほぼ満たせそうなのですが、初代EDを取り上げるのは、これでもうしばらくはなさそうなので、この機会に書いてしまいましょということで。
EDについて、当時話題の一つとなったのが、トヨタ初のピラーレス4ドアハードトップというボディ形状を採用したことでした。トヨタ自身が、5代目クラウンにおいて4ドアピラードハードトップを展開するにあたり、安全性等の点からセンターピラーは必要であることを謳い、事実以降の4ドアハードトップは全てセンターピラーありとしてきたことからすれば、EDの選択は自己矛盾にも映るものだった訳です。当然賛否も分かれています。
この選択について、当時の主査で、後の副社長となる和田明広氏は、次の2点を上げられていたりします。
●小さくてしかもヒップポイントが低いため、前席の乗降時にセンターピラーのベルトライン部と当たり易く、後席の乗降時の靴の干渉抑止と両立するには、ピラーレスタイプを採用しかつセンターピラーを比較的前方に配置するのが理想的。
●トヨタは技術がないのでピラーレスのハードトップを作ることが出来ないとまことしやかに(他社が)宣伝することに腹を立てている販売部門からの強い要望があった。
一つ目の理由については、前席の乗降時にリヤウィンドゥが開いていることは少なく、ピラー分の数センチはあまり大きな影響とならないと思われることからすると、どちらかというと後者の要素が大きかったのでは、というのは推測。
加えて和田氏は、初代セリカがクーペでありながらもピラーレスの開放感が人気の要素となっていたこと、さらに初期の販売に苦戦したカリーナがハードトップを追加して以降、販売が上向き人気車に昇格したことを目の当たりに見ていますから、再びとなるピラーレスをやりたかったのだろうなとは。
懸念された安全性に関しては、フロントピラーを転覆要件や衝突要件がかなり厳しい北米基準に適合したセリカと共用すること、ルーフサイドレールの長さは、4ドアハードトップでありながら2ドアハードトップと比べても短いことで対応したようです。前者に関しては当時としてもAピラーが骨太ですし、後者に関してはそれだけAピラーが寝かされていたとも言えますけれど。
4ドアピラーレスで生産する場合、ドアガラスの建付は確たる基準点がなくなるため、かなり難易度があがることになります。しかしながら、組立サイドからピラードへの変更要望が上がることはなく、懸命な取組みにより量産が立ち上がったとのこと。初の4ドアピラーレスハードトップへの挑戦とEDという商品企画があってこそのエピソードなのでしょうね。
そんないくつもの逸話を残した4ドアピラーレスハードトップですが、90年代からの安全性重視の中では継続は困難となり、結局トヨタにおいては、初代と2代目のED、それと兄弟車となる初代Exivのみで終わってしまいました。
私自身は、当時から商品性重視の採用と映り、否定的に見ていましたし、その後の変遷からしても、ピラードだけで展開しておくべきだったに一票を投じます。それでも、EDの販売が大成功した理由の一つであること、商品化の裏に関係各位の多大なる尽力があったことは忘れてはならない点であるとも思います。
このことに限らずですが、何事も好き嫌いだけで安易に断じてはならない、自身の肝に銘じていることの一つになります。