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2021年10月22日

B14サニーのリーフレット

B14サニーのリーフレット 10月も下旬になると、涼しいを通り過ぎて寒いという言葉が適当になってきます。暑さへの戻りがきっとあると予想したのですが、気温は多少の上下こそあるものの、今のところは順調に秋深くから冬へと向かっているようです。

さて、今回は書庫から一掴みの回となります。
車種・年代がランダムで詰まれているカタログ棚を見ていて、面白いお題かなと思いまして。

今回取り上げるのは、B14型サニーとなります。
タイトル画像に用いた"12マイル・サニー"のコピーを懐かしく思い出される方も多いかなと。
すっかり頭の片隅に追いやられた感こそ拭えないものの、そんなに昔ではないと認識していたのですが、数えてみたら登場から28年目に突入中。経過年数だけなら、旧車の域に片足入っている気もしてきます。

1990年代の日産車は総じて1980年代のモデルよりも評価が低い感が強いのですが、このクルマもその一台と言っていいでしょうね。同年代の日産車の中では、良くも悪くも目立たない感があるのも特徴の一つ。実際、販売成績の方も特筆すべきものは残せていません。とは言いながらも、モデル末期となる1997年以外はベスト10内に留まっていたのですから、不人気という判定も妥当ではなく。

忘れかけていたモデルを思い出す的にお付き合いいただければ幸いです。


今回は早めに、1994年1月に発行されたリーフレットを引用しつつでご紹介に入っていきます。


最初の見開きに代表グレードとなる2つが並べて掲載されています。

左側は、サニーの本流となるスーパーサルーン。
B12で従前のSGLエクストラに相当するグレードとして登場。以降は、サニーセダンの代名詞存在となってきました。

カラーは、ライトブルーイッシュシルバー。前期型のイメージカラーでもあり、この代のサニーで真っ先に思い浮かぶカラーというのは私感。それまではあまりイメージカラーに選ばれる事のなかった域のカラーであり、それが新鮮でもありました。イメージ構成に寄与はしたものの、販売比率自体はあまり高くはなかったような。まぁ自車にかなり似た色を選んでいる以上、私的には嫌うことのできないカラーではありまして。


右側には、スーパーツーリング。TypeSということで、さらにスポーティな装いとなっています。
先代ではGT-S、もっと歴史を遡るとGX系に辿り着く系列ですね。こちらは1600と1800のみの設定。1500のスーパーサルーンでもTypeSは選択可能で、タイヤ&ホイール等相違点もありますが、これに近い装いとすることは可能でした。TypeS自体、あまり見かけなかったように思いますけれど。
この後の歴史からすると、ブロアムとグランツーリスモ、メダリストとクラブS的な対比をここで狙うもありだったかもしれません。グレード設定があまり上手くなかった感は否めず。

こちらのカラーはダークグレー。濃色系はこの色のみということで、スーパーサルーンやEXサルーン等でも結構見かけたような記憶があります。





左側を開いた状態です。

その1のデザインは、B14で大きく変わったものの一つだと言えます。
B11からB12に変わる際、デザインやパッケージングをオーソドックスと言うべきか保守的な方向に振り、B13もB12の基本のまま進化させたという経緯でしたから、この変わりようは結構な驚きでもありました。
初代プリメーラが、日本のセダンの形を変える契機となり、それが好評だったことも後押しとなったのだろうと推測。

イラスト図にある変化のさせ方は、正しくプリメーラ的手法と言えまして、唯一ロングホイールベースが目新しくあり。出た時には、視覚的も含めて随分ロングホイールベースと感じましたが、その後のセダンの進化からすると、正しい選択だったと言えます。Cピラーを寝かせているのは、後輪の位置を後ろ寄りと感じさせない効果も狙ってと映りますが、トランクが短い点も相まって、何となく近年のセダンの造形への継続性も感じられたりします。
リヤコンビランプの位置も影響しているのか、リヤクォーター周辺だけ見ているとキャバリエ風味も感じられるのは興味深いところ。北米もマーケットの一つでしたから、海の向こうを意識したがあるのでしょうね。


その2の実用性として、大きなトランクルームと最小回転半径の小ささが挙げられています。
トランクの短さを補うべく、低い所から大きく開けることで補う構図ですね。プリメーラではリッドのステーを工夫した点も高評価の一つでしたが、こちらは従前からの構造。リヤクォーターは絞られていますので、開口部の広さを取ったという見方はできそうです。容量もありそうですが、サイズの記載はありません。

最小回転半径の小ささは、サニーの伝統でもありました。B11でFF化される際も、挙げられていた特徴となります。B14も2,535mmのホイールベースで4.6mですから、かなり頑張ったと言っていいと思います。さすがにこの数値は、13インチタイヤ仕様のみの限定だったようです。


その3の居住性はパッケージング一新で効果が現れたことの一つ。特に後席の足元スペースは、先代よりかなり広くなりました。2ドアのルキノの後席で移動したことがあるのですが、頭上空間こそ厳しいものの、お尻を前に出して座れるだけの余裕があったことを思い出します。後席足元の拡大は、前席シートを新開発したことも寄与しています。先代比でシート素材はかなり素っ気なくなりましたが、これは当時の精一杯でしょうね。





その4には、乗り心地の記載。
先代までのパラレルリンク式ストラットに替わり、新開発のスコット・ラッセルリンク機構を用いたトーションビームをFFのリヤサスに採用しています。同機構は、この後登場する日産の前輪駆動車でも多く採用されていますが、お初はこのB14サニーでした。
”マルチリンク”ビームと名付けたのが結構なポイントで、よく解らないけれど何となくスゴイ新時代の足回りと思わせる効果は絶大だったように記憶しています。S13以降のリヤサス、R32やP10のフロントサス、どちらもマルチリンクは高性能と認識させるに充分な成果を挙げていましたし。このマルチリンクビームは、性能よりも合理化優先での開発だったというのは、今振り返っての私感です。
記載の通り、ロングホイールベースはここでも効果を発揮しますね。


その5には、経済性として燃費の良さが謳われています。
この少し前に燃費計測の方法が、10モードから10・15モードに変更され、数値が上がる要因となったのですが、それを加味しても19.6km/L(スーパーサルーン MT車)の燃費は結構な驚きでした。サブネーム的に”12マイル”を謳った由来ですね。この代で1300と1500がインジェクション化されたことも数値に寄与している筈。
参考までに同時期のライバル車の燃費をMT同士で比較すると、カローラ SEリミテッド:17.0km/L、ターセル VX:19.0km/L、ファミリア RS:17.2km/L、インプレッサ CSエクストラ:15.8km/Lという具合でサニーは頭一つ抜け出ていました。


最後のその6には、当時注目を集めていた安全性が書かれています。
設計年次の新しさで、一早く助手席エアバッグが選択可能という有利はあったものの、運転席エアバッグとABSも含めてまだオプションでした。この後登場した2代目セフィーロの運転席エアバッグ標準が売れた理由の一つとなったことからすると、ここで安全装備の充実を謳うはありだった気はします。詳しくは後述しますが、コストの厳しいこのクラスでそこまでやれなかった事情も理解はしつつ。
この後、エアバッグやABSの標準化が急速に進むことになります。





裏表紙にはビジネスユースを想定したFEを除く全グレードが一覧で掲載されています。
この時期、トヨタの同クラスには4速MTと3速ATが廉価グレードに残っていたことからすると、全車5速MTと4速ATというのはユーザーフレンドリーでありました。

先代は豪華装備や質感の高さをアピールしていましたが、この時点では少し後退。スーパーサルーン名は継続ながらも、先代と比較すると、パワーアンテナやオートエアコンは落とされていました。スーパーサルーンGは、そうした点を補え、さらにカセットも標準となりますが、スーパーサルーンに17万円強のプラス。
価格こそ先代と同等ながらも装備を落とすという、こうした装備設定は不評で、僅か半年足らずのルキノ追加時に装備内容を見直したVシリーズが投入されることになります。
見開きと異なり、こちらはマッドガードレスだなと気付きました。調べてみると、サウンドパッケージに含まれるオプションだったようで。全く無関係に思えるサウンド類とのセットは不可思議で、さらに豪華になるラグジュアリーパッケージのみセット、あるいは標準でもよかったように思います。

スーパーツーリングのtypeS非装着の姿はこちら。フロントバンパーとタイヤ&ホイールが異なるくらいでスーパーサルーン以下との識別点は知る人ぞ知るの感はありました。
スーパーツーリングのこの姿は、機動捜査用の車両を思い出される方も多そうではあります。
こちらのマッドガードもサウンドパッケージに含まれるオプション。ただし、スーパーサルーンと異なり車体同色になる特典あり。走り系の装備は充実しますが、快適装備はスーパーサルーンに近い設定でした。



初期型のリーフレットからの紹介はこのくらいで。
このB14、初期の印象では決して悪くなかったように思います。先代の豪華で質感高く、さらにお買い得といったキャラクターからは大きく転換しましたが、シンプルで合理的というキャラクターは充分伝わるものがありました。歴代を振り返って考えてみると、実はB14での訴求は初代由来の伝統芸が久方ぶりに復活した形とも言えて。

プリメーラに続いてサニーがこのクラスの姿を変えるのかもという予感すらもあったのですが。

そんな予想とは裏腹に、このB14、初動から販売で躓きます。
最大の理由は、このクラスはモデルの魅力云々よりも価格競争の局面に突入していた点かと思います。

価格競争は三菱が最初に仕掛けて、トヨタと日産が大幅値引きで応酬、そこに価格破壊を掲げた値引きのマツダが加わるという構図が出来上がっていました。ホンダとスバルは価格競争からやや外れていた感はあるものの、完全に無視できたとも言えず。(関連話の回はこちら
B13は、当初こそ高級を掲げたものの、中盤以降は特別仕様車の設定等でお買い得を前面に出して、この大乱戦を善戦していた訳です。

そこに合理的な新型で魅力を訴求する、ここまではいいのですが、肝心の価格競争力が落ちては最後の選択に残れなかったのです。上で書いたVシリーズは、そうした初動販売の不振への対策でもありました。
何となくモデルチェンジを急ぎ過ぎた印象はあって、ルキノと同時に最初からVシリーズの陣容で登場していれば、もう少し状況は変わっていたのかも、なんて思ったりします。

ルキノはセダンとは一転して、お買い得価格を訴求していました。
特に最廉価のMMは、商品力と価格の両立の点で、ライバル車で対抗できるグレードは思い浮かばずの域にありました。最大のライバルとなるミラージュ アスティVよりお値段はやや上がるものの、+200cc、ATは4速、アスティ程女性向け訴求ではないといった理由で選ばれ易く。MMの価格(MTの東京地区車両本体価格が88.7万円)は、一クラス下のコンパクトとも重なるぐらいでしたし。

私事となりますが、このMMを買われた方が職場界隈で複数名。古い車からの代替だったり、お初の車だったり、プロフィールは多々でしたけれど、何れもお値段が最大の決め手というのは一致していました。当時オーディオを取り付けたり、乗せてもらったりというのもありまして、記憶に残る一台ではあります。インストパネルを外したりするとお値段の理由が垣間見えてくるものの、全般的には破綻もなくお値段の割にはよくできていたという印象も強く。


ルキノ話のまま、脱線しそうなのでセダンに話を戻します。

販売の不利は日産の陣容にも理由がありました。
プリメーラはプリンス店(チェリー店を含む)、プレセアはサニー店、モーター店というのが両車の発売時の配置でした。この両車、当初はプレセアの方が売れますが、翌年サニー店でもプリメーラを扱うようになると販売台数が逆転することになります。ブルーバードがU13へのモデルチェンジで台数を落とすと、さらにプリメーラの販売台数は伸びてもいます。

プリメーラ、市場評価も高く、売り易いモデルだったと言えます。そんな車がB14が登場した時点ではモデル後半に突入していて大廉売中。1.8Ciをベースにした特別仕様車が連発されてもいました。サニー、特にスーパーツーリング系で商談を始めるとプリメーラをいかが?となったことは容易に想像できます。スーパーツーリングが機捜に大量投入された背景でもありますね。

一方、下にはK11型マーチが存在。
こちらもコンパクトカーとして評価が高く、販売もサニー以上の台数を毎月計上していました。特に車には拘らない、あるいは最初の一台として選ぶには最適な存在でした。

上と下に売り易いモデルがあるのですから、販売系列名に掲げるくらいの主役でありながらも、販売に全力とならないのも当然ではあったのです。

B14の開発時点では、B12、B13とモデルを経る中で高齢化が進んでいたであろうユーザー層の若返りが視野にあったろうと推測します。B14の構成には、そうした思想の反映を感じもするところです。ところが、販売側はこんな事情ですから、新規ユーザーは系列内の他銘柄に流れ、結局は先代以前からの代替ユーザーに頼らざるを得ないとなる訳です。

B12やB13の既納顧客視点で見たB14、特に初期型は、その変わり方が受け入れられなかっただろうと思います。明らかに大きく変わり過ぎたなと。

もちろん日産は、そんな状況は即座に把握できますから、早速改良に乗り出します。Vシリーズ以降も、比較的大きな規模での変更が何回か入っていますね。


最終型と思わしき姿を、1997年12月に登場したリミテッドシリーズのリーフレットでご紹介。




初期型と比較すると、Cピラー以降を中心に結構大きく手が入ったことがご理解いただけるかと。プロポーションは変えず、ディテールの変更が主でここまで見え方が変わった点も特筆すべきでしょうね。




安全装備の充実ぶりも目を引きます。約4年の間で安全装備の水準が一気に上がったことの反映です。初期型でこの域を頑張っていればと感じさせる理由でもあり。




内外装色の設定も初期型からは大きく変わっています。明らかに想定年齢層が上がったことを感じさせる一方、歴代のサニーを乗り継いだカスタマーには安心をさせる設定とも言えそうです。

初期型と最終型、どちらがいいというのは見解が明らかに分かれる予感です。私的にはチャレンジ精神を評価して初期型に一票。
初期型に投じる理由は、この世代の変遷がE80カローラ/スプリンターのセダン系と重なって映るからもあります。初期型で挑戦し過ぎて、幾多の修正となる。挑戦の背景、理知的なパッケージング等、共通点も多かったりしますし。


かくして、日産は屋台骨の一つであるサニーを残すべく多大な尽力を払うのですが、時代背景はそんな尽力を軽く飲み込むほどの勢いで変遷していきます。

90年代初頭にブームとなったRV車は、一時的な人気という予想は外れ、セダン離れを加速させていきます。カローラ ツーリングワゴン、サニー カリフォルニアといった従前はサブの扱いだったモデルが注目を集めるようになるのが、この頃になります。

日産はそうした需要に応えるべく、ルキノハッチ、ウイングロードとこのシリーズに追加していくのですが、元々全く別のシリーズだったパルサー一族との境界線は曖昧になり、結局大きな成功とは言い難くありました。
この頃には、年々日産自身の財務状況が厳しくなり、やりたくてもやれないが段々増えていったという事情も存在しているのでしょうけれども。

結局、サニーはB14末期の方向性を受け継いだ次世代B15が最終となります。B14での混迷と迷走、特にユーザー層の若返りの期を逃したがサニーの終焉を早めてしまった感は否めずとも思うところです。

もっとも、少々厳しく書きつつ、B14って、意あって力足らず、あるいはコマが上手く揃わなかった一台と認識しています。少なくとも、同年代に多く見られた、従前の基本構成のままコストダウンを最優先にしたと映るクルマ達に含めるのは異議ありでして。サニーの私的歴代ベストは他の世代かなと思いつつも、B14を嫌いにはなれない理由です。

何れにしても、あまり顧みられることのない一台。ここでの取り上げが振り返りのきっかけとなれば幸いです。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2021/10/22 19:50:58

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この記事へのコメント

2021年10月22日 20:24
こんばんは。
B14サニー。1994年のデビュー当初、スーパーツーリングを考えました。理由はサニーにリアワイパーがついた!という変な理由。しかし、まだヴィヴィオを買って2年しか経っていないので、縁がありませんでした。その後B14のモデル後期となった1996年に日産車を購入する機会があったのですが、これまたデビューしたてのU14ブルーバードディーゼルルグランを購入しました。私にとっては機会があっても縁のない、されど気になる存在のB14サニーです。
コメントへの返答
2021年10月22日 21:20
こんばんは
このクラスだとハッチバックへのリヤワイパー装備は早期からありましたが、確かにセダンには少なかったかもですね。
スーパーサルーンではなくスーパーツーリングという点に、ディーゼルルグランに通じる一捻りを感じます。
機会があっても縁のない車、気になりますよね。あの時買っていればと、時折空想対象になったりするように思います。
2021年10月22日 21:20
私のスタイリング評(好み)に於いて後軸の位置は大変重要です(笑)
かつて80年代前半にFRからFFへの動きがあった時、WB延長に伴う後軸位置の変化とROHの減少が見られ、当時「カッコ悪くなったナア」と言うのが総じての自分の印象でした。
310サニーからB11になった時にもそれを感じたわけですが、510ブルの再来とも言われた次代B12はCMキャッチでの「カタチがキレイ」は旧来のスタイル好きには好ましく思えたものです。
その後B13でもその正常進化系と思われた後のB14ですから、「?」の印象が強かった思い出が。
世代は違えどスバルff1000辺りのイメージ。
E3系ギャランから初代ディアマンテへの進化でも、後軸の後退とCピラーの傾斜など同じ現象で「レオーネみたくなった」と感じたり。
結果的にB15がB13までのフォルムに戻った事から、私と同じ様に感じた保守的ユーザーも多かったのでしょう。
WB延長は「良い事」と分かっていても、好みの方が優先される事もあるんですね。

少し路線は違いますが、同じ80年デビューで
小型枠など無視して北米スタイルで作られ、ROHが長く伸びやかなスタイルのランクル60に対し、小型枠に収めROHをショートと統一し、その分長大なWBの合理的スタイルのサファリ。
でも全幅の違いがあるにせよ人気は明らかに、ランクル60>初代サファリでしたね。
流石にこの後のランクル80へのFMCでは、60に比べ後軸が後退、WBが伸びてROHが減少、クロカンで有利な理に適ったスタイルは多くの人に受け入れられましたが、一方で伸びやかでノスタルジックなスタイルのランクル60が懐かしがられるのもあるんですよね。
コメントへの返答
2021年10月22日 22:01
後輪の位置はスタイリングに大きく影響するに一票です。CピラーとROHを絡めて語りたくもあります。
80年代前半のFRからFFへの転換に伴う後軸位置の変化、一番違和感を感じたのは、L10ターセル/コルサのセダンかもしれません。今見るとスバル1000に通じる印象もありますね。V10カムリ/ビスタもロングホイールベースで成立させていますが、こちらはワイドトレッドやスタイリングの工夫で違和感は減っていたりします。
FFファミリアの影響が大きいと思うのですが、B11の当時はビッグキャビンが主流でしたからね。B12では、キャビンの大きさがあまり求められなくなり、プロポーションの美しさ等が重視されるようになりました。古臭い的な批評もありましたが、市場評価は高かったですね。本文でも書きましたが、B13はB12の正常進化で受け入れられていますから、B14は変わり過ぎたという印象だったのだろうなと。
E3系ギャランでは、エテルナサヴァの追加もありました。ミラージュセダンとランサーで変えてもいますね。
B15はB13風に見せるに苦心したようです。あれで良くも悪くもサニーセダンのイメージが確立したように思います。変えられなくなったという言い方が近いのかもしれません。
私感では、後席が広いのはLWBでも、スタイリングではSWBというもありますから。

ランクル60のROHの長さは、先代となる56の存在も関係ありと見ています。サファリのロングは先代無ですから、ショートに寄せるのが自然かなと。
悪路におけるアングルの確保では一長一短として、LWBによる最小回転半径は結構痛い点かもしれません。板バネだと舵角も限られますし。
56からの継続を感じさせっる60に対して、80で一気に近代化が進んだ感はあります。今の姿に繋がる始祖的な。
それだけにノスタルジーは60により強く感じるのだろうとも思います。当時はかなり大きく感じましたが、サイズのインフラが進んだ今視点だと、大き過ぎず却って使い易い感もありますね。
2021年10月22日 22:46
このサニーが出た当時は高校生でしたがデザインのプレーンさにやられて「サニーのすべて」買いました。
たしか開発責任者ってスカイラインの渡邉 衡三さんだったような?

ネットでは全くヒットしないのでウロ覚えですが。埋もれてしまうには惜しい歴史です。違うかな。
コメントへの返答
2021年10月24日 7:06
私も「~のすべて」を随分買っていまして「サニーのすべて」もその中の一冊です。
この代の開発責任者は、深井 吉男さんですね。この後のB15も深井さんが担当されています。

雑誌や新車情報等で理知的に解説されていたというのが印象強かったりします。
2021年10月23日 0:31
B14サニー、もう登場から間もなく28年にもなるんですね。
我が家でもあの頃話題になった1台だったので久しぶりにコメントさせていただきます。

当時母親がB12サニーのトリプルビスカス4WDに乗っており、ちょうど7年目の車検を迎えた頃だったでしょうか、担当のセールス氏から「売れなくて困っている」というB14を紹介していただき、家族総出で見に行くとそこにあったのはカタログ写真と同じ、タイプSではないライトブルーの1800スーパーツーリングでした。
確かに見た目はまさに捜査用車両みたいな...苦笑
ナンバー付きで走行数千キロの個体だったので全員で試乗もさせてもらいましたが、サニーとは思えないパワフルな走りと安定感に驚いた覚えがあります。
まさに小さなブルーバードSSSとも言える雰囲気を感じました。

価格も当時の相場としては破格の値段を提示してもらうなど、結構いいところまで商談は進んだのですが、1800ccでハイオク仕様という母親にとっては不要な高性能と維持費の高さ、そして我が家では必需品であった四駆ではなかったことがネックとなり、最終的に購入には至りませんでした。
セールス氏も、「サニーで1800というところで全員購入を諦める」と溜息まじりに仰っていたのが今でも記憶に残っています。

結局トラッドサニーをもう2年乗り、N15パルサーセダンの4WDを購入したのですが、居住性やトランクの広さは若干パルサーに優位性があったと感じましたね。
特に我が家のパルサーは廉価グレードなのに「4独で4輪ディスクの4駆」という変な車でしたから、エンジンに対して足回りが完全に勝っていたという点ではテンハチサニー以上のしっかり感がありましたよ。

でも、あの時サニーを購入していればトランクフードに唯一輝く「1.8」のエンブレムに優越感を覚えられたのになぁ、と今でも思うのはマニア心というべきものでしょうか(笑)
日産の販売戦略のツメの甘さに翻弄されたモデルではありましたが、B14は街中でもたくさん見かけましたし、中期型以降のデザインもいい意味で増した「オジサン臭さ」がサニーらしいと私は思うのですが…。

何はともあれ、いつの時代もサニーというクルマはどこか気になる存在ですね。
コメントへの返答
2021年10月24日 7:47
年数を数えて驚いた次第です。一昔前なら、20年越えで旧車と思えたのですけれどね。

B12サニーのトリプルビスカス4WDというのも、途中の追加グレードで希少のような。
生産計画を見誤ったのか、タイプS無の1800スーパーツーリング、大量在庫を抱えていたようです。試乗車等への内部の卸しでは消化しきれず、捜査用車両で大量に押し込むという経緯だったと記憶しています。

約1.1tの車重に1800の17.0kgmのトルクですから、サニーとは思えないパワフルな走りとなりますよね。
ライバル車は1600をハイオク仕様で展開していましたから、こちらもハイオク仕様、さらに+200ccという選択となったのでしょうが、却ってユーザー層が限られる結果となってしまいました。タイプS無だと、スポーティとラグジュアリーどちらにも振れていない点も足枷ではあったのでしょうね。

特にFR時代は、カローラが1600や1800を設定する一方、サニーはエクセレント以外、1400で留めていたという歴史もありますからね。当時はカローラも1800で失敗していて、E120まで1600以上は不可侵を続けていたくらいで(TRD2000を除く)。プリメーラが併売でなければ、1800の商機ももう少しあった気はするのですけれど。B13は1800のATTESAが設定されていましたが、この代では1800の4WDは未設定でしたね。

N15パルサーは、B14の少し後出しで、若干ボディサイズも大きく、スペースは勝っていました。B14はルキノと共用する関係でスペースの制約となったという経緯かと思います。
マルチリンクビームは4WDで成立せず、ABSの設定等の理由から「4独で4輪ディスクの4駆」が出来上がっています。この時期、新旧過渡期の感はあったりです。

拘りの選択は、多分に自己満足的なものながらも優越感に繋がりますね。それと捜査用車両と間違えられて系のエピソードは体験できたかもしれません(笑)
日産らしい販売戦略のツメの甘さ、これがB14の命運に多分に影響しています。初志を貫徹できない点も”らしい”に含まれる感もありまして。

約40年に渡る歴史で、大量に売れてもいます。思い出をお持ちの方も多いのではないかなと。
2021年10月23日 0:46
意外な選択でしたが、懐かしいB14サニーですし、「書庫から一掴み」っていう企画も日曜午後二時東京FM的なネーミングで好みです(笑)。


当時、小学生でしたが親が日産車だったこともありサニーのカタログは早い段階で入手できました。12マイルサニー、織田哲郎さんの曲が使われたCMもなつかしいです。B13からは随分ずんぐりむっくりしたなと思ったものですが当時は、プリメーラもそうですが、コロナやマークII、カリーナもこういうプロポーションだったのでそれが時代の空気なんだなと当時は受け入れていました。前期型の意気込みを買っているのでベストと判断しますが、後期型は細部の処理がおじさん臭くなってしまって、個人的には中期型が一番売れそうな見た目だと思いました。

今回改めてカタログを見せて貰いましたが、決して悪い車では無いなと感じますが、当時は失敗作という言われ方をしていましたね。

私が自分で買うならワンパターン人間なのでスーパーツーリングTYPE_Sの1800で決まりです。15インチが選べてLSDまで着くとは・・・。でもそれが少しやり過ぎなのかも知れませんが(笑)。
カローラGTに対抗という意味ではそこまでしなくても良かっただろうに・・・。

あと、リーンバーンエンジンのCXもありましたね。確か20.5km/Lだったでしょうか?本当の数値は忘れましたが20を越えるなんてすごいと当時は素直に感心していました。

ルキノはルキノで「100万円で買える赤いクーペ」という売り文句が価格破壊時代を思わせますね。あのCMのガレージの後ろに飾ってあった190コロナのホイールカバーがどうしても気になるところです。

B14は高専時代の同級生(白い変な人)の実家のダークグレーのEXサルーン(5MT)があり運転もしました。GA15DEで十分よく走ります。MTなら1.5L、105psあればその気になれば(何らかの)リミッターに当てて走れる性能で申し分ありませんでしたし、確か1tを切っていたかギリギリの車重だったので13インチのタイヤでもコーナリングは155/80R13だから初動の手応え感はふんわりしていますが切ったら切っただけ曲がる気持ちよさを持っていました。当時の自分にはハイレベルなスポーティカーのように感じたくらいです。NV目線だとカローラと比べて高周波の音が良く耳についた記憶があります。
ただ、その代わりこもったりはしなかったので、ボディはしっかりしていたのかもしれません。

質感という面ではソフトパッドのインパネと言うこともありAE110前期よりは上質だと思いましたし、ダイヤル式エアコン操作パネルも当時としては手探り操作性に優れるとしてレバー式よりも先進的に映っていました。(事実操作しやすくて良かったですよ)

更に中期型は大学院時代の同郷の後輩が祖父のスーパーサルーンを乗り回しており、深夜大雪で交通が麻痺した状態で、夏タイヤで積雪した峠を越えようとしたことがありました。FFだから頑張れば、諦めて路肩に乗り捨てられた車を横目に坂道を上っていけました。頂上付近で登れなくなり、このまま死ぬかと思いましたがトランクを漁ると金属チェーンを発見し、やっとの思いで無事帰宅することが出来たというハラハラドキドキの思い出です。B14サニーというとこの二台のことがすぐに思い出されます。

B14前期型のエクステリアを良しとする私ですから、後期からB15へのFMCによる高齢化の流れは残念に感じました。(B15の方がコンサバデザインとしては纏まりが良かったのでB15前期は認めていますが後期は再びついて行けなくなりました)

カローラも大幅商品力アップでまともになってきた時期だったので尚更です。

いずれにしても、ちょっと意外な選択ながら、当時の低評価のままでいるのも可愛そうなくらい力の入ったモデルでしたし、乗っても印象の悪くない車でした。
コメントへの返答
2021年10月24日 8:42
歴史の中で埋もれているクルマを取り上げてみる、ですね。あと間口の広さも見せてみたいかなと。「書庫から一掴み」、正しくそこからの捩りです(笑)

この型のカタログは、まだ銀座にあった日産の本社でもらったと記憶しています。
先代のB13は、登場時期が近かったP10プリメーラとの対比で日本や北米の市場にはこの様式が正しいという回答だったのですけれどね。プリメーラが売れたことで欧州寄りにできた感はあります。パルサーとの部品共用の関係もあるかもですが。
前期がシンプルで後期は加飾の不文律ですね。中期は中庸。製品としては前期で、(特にサニーという)商品としては中期か後期となるように思います。

カスタマーを多く抱えているブランドながら、結構冒険していますからね。販売戦略の失敗が最大で、量産車故に大きな失策に至ったが正しい分析に感じます。

内装はスーパーサルーンの方が好みですが、私も選ぶなら1800スーパーツーリング。TypeS無でラグジュアリーパッケージを追加。
出力は-20psですが、+200ccの余裕でトルクは+0.5kgm。B110GXの時代からカローラに負けるわけにはいかないが伝統芸でありまして(笑)

リーンバーンのCXは、ルキノと同時の追加ですね。数値はいいのに、80年代程の燃費スペシャルではない点に技術の進歩を感じたことを思い出します。

ルキノのCM、結構気になった方も多かったかと思います。他社のホイールカバー、ましてや当時新車で売っていましたからね。
日産の旧車のカバーなら、また違う観点で話題になったのかもしれません。

B14、私は本文で書いたルキノ体験だけだったりします。MMの5MTでしたので、書かれているEXサルーンの仕様に近いですね。
やはり軽量が効いていたように思います。エンジン音は高回転まで回しても豪快とはならないのですが、意外と速度は乗る印象がありまして。4人乗っても動力性能に不足は感じなかったような。タイヤは見た目も含めて、もう少し奢りたいと感じましたが、これも街中限定なら軽快感に繋がってもいて。

質感はどこに基準を置くかというのもありますね。
GX81やらEL43等、バブル期の質感に慣れた身には、やけにあっさりと感じたものです。センタークラスターのパネルは、隠れのねじ止めが当たり前という認識でしたから、はめ込んであるだけと知った時には驚いたことを鮮明に記憶しています。ネジが見つからず、外すときに割れるんじゃないかと冷や冷やしたのも思い出で。
既にオートエアコンが必須装備という人でしたので、私はあまりマニュアルのダイヤルパネルを気にしなかったのですが、確かに操作性はレバー式やプッシュ式より勝りますね。どこの位置というのも一目で識別できますし。

B14のすべて本を読み返したところ、当時のユーザーの平均年齢が48歳まで上がっていたと書かれていました。40代が一番多く、次が50代とも。この平均年齢を10歳若返らせるという意図だったようです。
意図は叶わず、その後の顧客に合わせる形での変化は、高齢化という表現がズバリかと思います。
当時はパルサーが少し若者向けに受け取られていた影響もあるのかなとは。

サニーではなく、新規商品なら、また別の展望が開けていたように感じます。この後のセダンの進み方からすると、少し早過ぎたという言い方も出来そうですし。評価の低いまま、顧みられることもなくというのも、勿体なくはありまして。
ここを読まれている方は、失敗作とは違う理解をされているようで、少し安心した次第です。
2021年10月23日 3:43
家のクルマがB310サニーの時期があったのでサニーのモデルチェンジには興味がありました。B11が出た時、父は全く眼中になく私もさほど興味が湧かなかったのですが、友人宅が珍しい後期のカリフォルニアSGXを購入していてそれもBF後期のレガシイWに変えるまで長く乗っていたので初心者マークで良く出かけました。5速で軽快に走ってましたね。トラッドも前期のスーパーサルーンに知人が乗っていたので良く乗りましたが11よりも確かに進化していて質感の向上とカッチリ感がありました。個人的にはローレルスピリットが好きで笑
B14は後期で10万K走行車が下取りに入ってきたのを半年足で乗りましたがこれがなかなか良くてへたりも無く軽快に走行できてエアコンが効かなくなった以外は良くできたいいクルマでした。
義父がN15パルサーを同じ色の前期後期と乗り継いでいたのが印象的で大人4人で荷物もそこそこ積めて乗りやすかったと言っていました。
前期後期でデザインが保守的に変化するのはあの当時の日本車の特徴ですよね。デザイン変革の過渡期なのか前期はヨーロピアンなスタイリッシュ路線やシンプルな実用路線で発売するのですがやはり保守層にはまだ受けないと判断、メッキ装飾やランプ、バンパーの大型化で従来型に修正。。
私もトヨペット時代にST210プレミオに乗っていましたが前期は欧州車的なデザインで純正エアロまであって好みでしたがMC後はやはり和風テイストに。。でもそれはそれで当時の購買層には歓迎されてましたが笑
コメントへの返答
2021年10月24日 9:02
サニーは90年代半ばまで、カローラとベストセラーを争う車でしたから、乗られていた方も多いのかなと思うところです。
B310でカリフォルニアが追加された時には、第一次RVブームも背景にあって結構話題となったものの、その後は珍しいの扱いでしたね。新車よりむしろ中古車の方で密かな人気があったような。
カリフォルニアが再び注目を集めるのは、B系列から離れたY10でした。あまり時間を置かずで、新たなネーム、ウイングロードへと変遷しますけれど。
ローレルスピリットは、小さな高級車好きなら避けては通れない逸材。どの世代かが悩みどころですが、何れ取り上げようと思っています。

RVブームがあって、セダンユーザーの高齢化やセダン離れが既に起こっていたのでしょうね。セダンの新型が出る度に若返りという文言を見た気がします。
固定層は保守的なのでしょうね。結局従来型への回帰となって。時代背景にコストダウンがあり、シンプル過ぎからの戻しもあったりしますけれど。
210プレミオ、170に乗っていた一人として、前期の外観は結構高評価でした。欧州パッケージの和風翻訳と理解しまして。後期は大型バンパーとリヤリフレクターがバンパーに移設された点が評価を分けるのかなと。購買層が求める高級感なら、後期への変化は歓迎だったでしょうね。
2021年10月23日 7:13
おはようございます。
B14サニー登場当時は幼稚園年長の頃でしたが、今回挙げられた開発の狙いや志は知る由もなく、なんともずんぐりむっくりな変な車にしか映らず、苦手に属する車だったと記憶しています(苦笑)
それでも改めて見返すと、(減りつつある)近年のセダンに比べると違和感がないどころかスマートにさえ見えてしまうのですから、不思議です。

前期型は後年になり、USDM方面で価値を見い出されていたように思います。新車販売当時に、この大らかな雰囲気をサニー全体の若返りに上手く繋げられなかったのは惜しかったと言いますか…。
コメントへの返答
2021年10月24日 9:40
おはようございます
当時はビッグキャビンとずんぐりむっくりが殆ど同義でしたからね。
車高は1,385mmですし、今の安全基準にこのノーズの低さは適合しないでしょう。スマートに見える要因とも思うところです。

北米輸出も想定の一つですから、USDM方面に見出されたというのも納得です。本文で触れたとおり、何となくGM風味もありますし。もう少しこの方向で粘れなかったのかなと思ったりします。販売が難しかった以上、方向修正も止む無くではあるのですが。
2021年10月23日 8:32
昨晩は飲み屋でバブル景気について講釈を垂れておりました。相手しているおねーちゃん達はバブル後生まれ。時代を感じます。

 バブル後のサニーなわけですが、やはり安っぽいな、と云うのが当時も今もカタログと実車を見た印象でした。今見るとそんなに悪くはない、と思える上に全体のプロポーションはフィアットあたりが作りそうな印象も受けますが、ディテールの造り込みで損をしている車でしょうか。

 話は少しずれて、初期の下級グレードのステアリングは、ある時期のY31営業車のこれまた下級グレードと共通です。ホーンパッドがペラペラで後に解体屋から買ったY31グランツのステアリングに換装しました。ホーンパッドのペラペラ具合にコストダウンを感じたものです。同時期のスーパーカスタム以上はY10サニーカリフォルニアと共通だったと思います。ついでにサニーの下級グレードとY31営業車のラジオも共通でした。
コメントへの返答
2021年10月24日 10:50
約10年前、新採で平成生まれが来ると話題になったことを思い出します。戦前戦後に近い分断をバブルに感じたりもしまして。

B13は質感が高かった点もそんな印象に影響しているのでしょう。今視点だと、同世代の他車よりむしろ自然に感じるくらいかなと。プロポーションを国際風味にした分、ディテールはサニーらしさであえて残したようです。さじ加減は多分にありますね。

Y31の営業車、95年の変更の際に切り替えられていますね。エアバッグ付きは自家用と営業用で分けられていましたが、自家用でエアバッグレスを選択すると、書かれている営業用スーパーカスタム以上のものに変更だったと記憶しています。この頃は、部品の共用に邁進していましたから、折角の新型もまた同じ部品を使っているというがっかり感は多々ありました。
2021年10月23日 9:54
おはようございます。

サニーは祖父が乗り続けていて、この前型のB13後期まで乗っていました。B14が出た当時は、他社の含めモデルチェンジで質感低下が珍しくない頃でしたが、書かれているようにスーパーサルーンでもエアコンがマニュアルのダイヤル式になるなど、B13と比べるとコストダウンを感じたものでした。

B13は好評だったトラッドサニーの正常進化版といった形で、一部自動車評論家の評価は古臭いと良くなかったものの、万人受けするフォルムでもあったわけで、私も結構好きでした。それがB14になって、ハイデッキのトランク上方に細いテールランプ。当時は拒絶反応に近い驚きを感じたものです。ルキノの方がその感が少なかったのも、売れた理由かもしれません。

その後、マイナーチェンジで随分手直しをされて、特にトランク周りは、140クラウンと並ぶ大手術。中期型が出たときには、初めからこれで出していればと思ったものでした。
さらにいじって、フロント周りにメッキ増し、テールランプをスモーク調にした、最後にご紹介の後期型が出たときには、ちょっとやりすぎと感じましたが…コメントされている方がいらっしゃいましたが、私も中期型が一番だと思っていました。

思っていましたと書いたのは、たまたま最近、初期型のサニーを見かけたのです。お年寄りがずっと乗られている感じで、随分とくたびれたサニーでしたが、四半世紀の間に見方が変わり、かっこよく見えたのです。

初代プリウスもそうですが、時代を先取りしていたんですね。この後のギャランフォルティスやアクセラで、ハイデッキのトランクの上方に細いテールランプといったセダンが登場しますが、時代を先取りしていたんだと思いました。B13で「間違いだらけ」等でデザインが古臭いと酷評されていたので、当時の日産のデザイナー陣は奮起したのかもしれません。
コメントへの返答
2021年10月24日 11:34
おはようございます

他車もモデル変更の際に質感低下が相次いでいた頃ではあるのですけれどね。オートエアコンからマニュアルエアコンへの変更は、この後100系カローラでも行われていますが、先だった分目立った感はあるかもしれません。

B12とB13、書かれているように評論家筋は否定的だったものの、市場評価は高かったようです。B13では、プレスドアやグリップ式風ドアハンドル等の作り込みもあって、私も好感の一台でした。
B14は、サニーでここまでやるんだという感じが近かったような。ルキノはセダンより縦方向にテールを伸ばしていますからね。中期以降のセダンの元とも言えて。

140クラウンのマイナーは、認証でもめたという話がありましたから、サニーも大丈夫なのかと心配したものです。イメージカラーのブラウニッシュグレーの関係もあるのか、想定年齢層が明らかに上がったことも感じました。コメントにもありました110カローラが質感を上げてきた影響もあるのでしょう。後期型でさらに手が入っていたりしますね。ご指摘の通り、やり過ぎの感は否めずで、中期と後期の比較なら、私も中期に一票です。

B14型サニーは時代を先取りしていた。全く同感です。先に進み過ぎていて、特に既納顧客層に受け入れられず戻した、そんな印象を受けています。
後年、近いテイストが出ているのですから方向性は間違えていなかった筈なんですけれどね。サニーでやることの難しさが現れてしまった感はあります。
当時のすべて本によると、外観は80年代の記号論的なものから離れて実質機能を重視した、とあります。先に次世代Sクラスはこの方向性(ビッグキャビン・スラントノーズ・ハイデッキ)という議論があり、サニーに反映されたという経緯のようですね。
2021年10月25日 15:16
こんにちは。

12マイルサニー懐かしいですね。
街中でもあまり見なくなりました。

B14サニーが登場した時、サニーまでプリメーラのパッケージを取り入れたなと思いました。
全体的に丸くなり、若い人にも乗って欲しいというのが、かえって裏目に出た感じです。

B15サニーは、プラットホームを刷新したのにも関わらず、B13に先祖返りしました。
この時の開発者のコメントが、オーナーの高齢化に逆らわない発言をしました。

140クラウンが登場した時も、昔からのオーナーさんから否定されて、後期型で四角になって売り上げ挽回してました。

どんなに良い車を作っても、開発者が満足するだけでは、売上に繋がらないのが如実に出ました。

1993年頃から、見てわかるコストダウンが激しいモデルチェンジがありました。
ミラージュアスティやファミリアの100万円切った本体価格がニュースになってました。

質感よりも安全装備とボディ構造に注目された反面、スタビを省略して雑誌主催のテストでボロが出たエピソードを記憶してます。

この当時は、逆に旧モデルの方が良いと思ったほどです。

この後、中古で1994年式のマークⅡの後期を買います。
コストダウン激しいと思いながら、乗って見ると問題ないと思った事を思い出しました。
つくづく雑誌の記事を鵜呑みにしてはいけないと痛感します。
コメントへの返答
2021年10月25日 19:02
こんばんは

数年前まではエコカー補助金から生き延びた個体を時折見かけましたが、今はそれもすっかり減ったように感じます。既に懐かしいの域ですよね。

プリメーラが売れたことでビッグキャビンやハイデッキの後押しになったはあると思います。ビッグキャビンに関しては、FRからFFへの転換時にも見られた現象ではあるので、回帰と言う言い方も出来そうですが。
本文に書いた通り、当初想定した売り方が販売店側の事情で出来なかったが大きいように感じます。B15の時にはセダン離れが本格化していましたから、既納顧客層を確実に取りに行くで正しかったのでしょう。深井さんは並行してティーノも担当されていましたので、新規顧客はそちらで取ると考えられていたのだと思います。

開発責任者は将来を予想し、幾多の選択の中から最善を尽くしています。この予想が様々な事情から外れることが多々あるのが難しさとも言えます。それだけに、ここで取り上げる時には売上以外の面も考察したいとは思っていまして。

コストダウンが設計に反映され始めるのが、この辺りからでしょうね。価格破壊という言葉が使われ始めた時期ともなります。ミラージュやファミリアはこの時期の代表格と言えるかなと。

安全が注目されるようになった当初は、サイドドアビームやエアバッグ等の受動安全が主でした。ABSやESP等の能動安全はその後ですね。今も続く清水和夫氏のDSTは、当初NAVI誌の掲載で、初期のテスト結果は散々という車種もあったことを思い出します。

クルマの基本性能は、年々進歩しますからね。81と90の比較も一方的な結果とはならず、長短併存と確信しています。どちらが好きというのは、さらに別の次元の話ではありますね。
2021年12月19日 17:56
懐かしく読ませてもらいました。自分が、サニーを考えたのは、第1にツーリングカーレースでカッコいいと思ったのが、ありますね。そしてマニュアルが、有ることでした。競合に関しては、カローラとファミリアでしたね。ファミリアネオもプリウスみたいなリアでかっこ良いと思いしたが、マニュアルがなかったので諦めてたですね。カローラは、価格は悪くなかったですか、余り熱心差が、なかったですね。サニーは、熱心差が有りすぎたのはありますね。乗った感じは、やはり最新のサスで余りロールはなかったかなと。タイヤは、出始めの低燃費車のタイヤでしたので、怖かったですね。
色々部品を入れましたが、楽しんで乗りましたね
コメントへの返答
2021年12月19日 19:34
コメントをありがとうございます。車歴を拝見しまして、EXサルーンVにお乗りだったのですね。
JTCC、日産はプリメーラが主体でしたが、サニーでも参戦していますね。この年代のセダンだと他車も含めてJTCCの雄姿に魅かれてというのを割と聞いたように思います。
カローラとファミリアだと正しく競合車ですね。商談に関してはタイミングやセールス氏との相性も影響していそうで、それもまた運命なのかもと思ったりします。
あの時代も燃費競争があり、低燃費タイヤが一つの手法でした。確かに初期モノですから性能は二の次の感が強くて。
素がベースだと手の入れ甲斐もありますよね。
2021年12月19日 19:46
今の会社に入って、仕事の関係でタイヤショップやホイール屋さんに行った時に30年前に買ったこと有りますよねと言うわれました。凄いなと思いましたね。
なかなか真摯に車のことを話したり相談出来るショップがなくなってしまいましたよね。
コメントへの返答
2021年12月19日 20:52
30年前の購入歴を覚えていたのは確かに凄いですね。何か強く印象に残る出来事が重なっていたとかでしょうか。
最近の車だと手が入りにくくなったことが大きいかもしれません。ノーマルで満足される方が増えたようにも感じますね。
2024年3月11日 2:49
こんばんは。祖父が平成8年1月初度登録のスーパーサルーンに乗っていた身として、コメントしない訳にいきませんでした(笑)

見た目とメカこそ新しさのないクルマだったと思いますが、助手席に乗っていてもとにかく走りが軽快でかつ、静粛性の高いクルマだったことを今でも思い出します。今乗っているCY31と比較しても、引けを取らない静かさだったなと。
「スペックだけでクルマの素質は図れない」ということを教えてもらった一台でしたね。

世間的に中期はドが付くくらいの不人気車でしたが、それでもエコカー減税前の街中では結構見かけていたように思います。当時でもダークグレーパールをさほど見かけなかったのは軽く優越感を感じてましたっけ。
現存台数が少ないのはエコカー減税もそうですが、積雪地ではサビの弱さも災いしたんじゃないかと。実際祖父のクルマも14年12万キロでグサグサになってしまい、FN15パルサーに代替となりましたから・・・。未だに乗れなかったことがU14に並んで悔しいクルマですし、後々のカーライフに大きな影響を与えた一台でした。まさか着地点がCY31になろうとは思いもしなかったのですが。

「今の視点で乗りたい半分、腐ると分かりきって乗れないが半分」なる複雑な想いがありますが、「やっぱりサニーにもう一度」という気持ちはどこか捨てきれないままでいます。未練がましく車検証入れ一式とエンブレムを持ち続けていますが、果たしてどうなることか全く予想がつかないですねぇ・・・。
コメントへの返答
2024年3月11日 21:26
平成8年1月の初度登録だと中期型になりますね。

私自身は既に1JZ-GEに乗っていた時分で、RB25やSR20等と比較しても、GA15はメカメカしい感じは少なかったように記憶します。
軽量ということもあって想像以上に軽快だった印象もありますね。

この年代が一番スクラップインセンティブの影響を受けていますかね。自宅から徒歩圏内には生き延びた前期スーパーサルーンのダークグレーが残っていたのですが、それも10年ほど前に先代ノートへ代替となりました。屋外駐車で水平面の塗装こそ劣化が進んでいましたが、錆に弱い印象はありませんでした。ご近所界隈だと他車も同じような感じで、積雪地との環境の違いは大きい気はしますね。

コレクションにするなら季節限定で乗る選択肢もありますが、一台でとなると錆の問題は無視できないだろうとは思います。
よくよく考えたら、自分も殆ど放出したものの、当時の車検証入れと未使用も含むエンブレムは手元に残していました。場所を取らずの保管で候補に挙がり易いアイテムかもしれませんね。

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「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
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