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2021年12月18日

思い出のクルマをカタログで振り返る39(G100系シャレード・ソシアル)

思い出のクルマをカタログで振り返る39(G100系シャレード・ソシアル)  12月に入り、すっかり寒い日が続くようになりました。寒波の到来により所によっては大雪というニュースも入ってきています。不要不急の外出を避けるのが一番の安全なのかもしれませんが、この時期そんなことは無理という方も確実に存在するわけで。皆さま、くれぐれも安全第一に。

さて、今回も思い出のクルマ話の回です。当初は別の車種を想定していたのですが、確かこの辺りに保管していた筈…の場所で何故か発掘できず。発掘の過程でつい当時を思い出した別の車種に代役を務めてもらうことにしました。

今回お題にするのは、シャレード・ソシアルが初登場した時のカタログとなります。ソシアルはシャレード初の4ドアセダンとして3代目のモデル途中で追加され、4代目にも継続。モデル廃止となるまで設定が続いた名称でした。こうしたモデルの場合、3代目シャレード・ソシアルだと違和感ありということで、表題をどうすべきか迷った末、形式名に頼ることに。

元々1960年代中頃において、大衆車というのは1000ccクラスと認識されていました。そこに+100ccの余裕を掲げて投入されたのが初代カローラであり、ライバル車もカローラに引っ張られる形で上級移行。その結果、1000ccクラスは1970年代中頃には空白地帯と化していました。そこに投入されたのが初代シャレードであり、新たなリッターカー市場を開拓することにもなりました。

しかしながら、シャレード自身もリッターカーに留まり続けることはできず、作り手曰く「発売後10年が経っていますので、区切りをもって新しい方向への転換」ということで3代目でついに4気筒1300を追加。当時は追加の理由をターボに代わるものと説明していたのですが、結局主力を1300に移すことになります。ソシアルは上級に移行し始めたシャレードの次なるステップでもあったのです。

それでは登場直後となる1989年3月に発行されたカタログの紹介に入っていきます。
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見開きにはイメージリーダーとなるSXがダークグリーンのボディカラーで掲載されています。後述する理由により、イメージリーダー=販売の主力ではないというのが微妙なところ。

ハッチバックの全長3,680mmに対して、ソシアルは全長3,995mmということで315mmリヤを伸ばしてハッチバックベースのセダンを成立させています。スタイリング優先なら、もう少しCピラーを寝かせてトランクももう少し伸ばしたいところです。一クラス上は、やや短かったジェミニを除き、全長が4,200mm前後でしたから、恐らく全長4m以内というのが確定事項だったのだろうというのは推測。3代目シャレードは、北米輸出対応もあり、大型バンパーの採用で70mm長くなっていますので、その分でも苦しかったろうなとは。

当時はモノフォルムではなく、セダンは明確な3BOXが当然という認識でもありましたから、限られた寸法ではこうしたフォルムで構成するしかなかったのでしょうね。全高が高く映るかもしれませんが、実は1,385mmしかなかったりします。

リヤドアは5ドアと共用。3代目シャレードのハッチバックはBピラーを頂点にして3次曲面的にリヤを絞り込んだことがデザインの特徴となっていましたから、セダンを起こす際の制約となった感は否めません。逆に厳しい制約の中で成立させたという点では初代シャレードと同じという見方もできますけれども。



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同じくSXの内装画像となります。

インパネやフロントシートはハッチバックと共用していました。
オーディオは、標準では1dinサイズのみ装着可能でしたが、写真のフロントコンソールを装着すると何と計3.5dinまで拡張可能。他車に先駆けてAMのみながらも電子チューナーラジオを設定したり、フロントスピーカーもインパネ下ではなく音重視で前席に向けたインパネ上部に装着する等、意外とオーディオに凝った設定がされていました。

リヤシートは、5ドアではリクライニング機構やタイヤハウスを覆った構造等を採用したグレードがあったものの、こちらは不等式分割前倒のみでした。不等分割ならセンターアームレストの併設も可能だったかもですが、車幅からすると苦しいかもで。

室内長はハッチバックの1,750mmに対して、こちらは15mmのプラス。



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全3グレード構成の内、残りの2グレードの紹介頁となります。

左頁は販売の主力だったSXリミテッド。
SXをベースに装備を上乗せする一方、オプションや内外装のカラーは制約。「SXがアラカルトでSXリミテッドは定食」と書いたのは当時の月刊自家用車誌ですが、内容的にもそのものズバリ。

ハッチバックには、特別仕様車から標準仕様となったKISSA(キサ)というグレードがあり、KISSAのセダン版がSXリミテッドでもありました。


右頁は廉価グレードとなるSG。
ハッチバックにはKISSAの廉価版として1000にWILL S(ウィルS)の設定がありましたが、こちらは1300のみということもあってか、独自グレードとなっていました。経済性や価格を重視する方向けの設定に映るかもですが、後で書く価格設定からすると、エントリー価格を下げるための設定のようでもあり。

廉価グレードだと、シート生地の一部にビニールレザーを使用するのがお約束でしたが、この時期には前面にはフルファブリックが奢られています。ドアトリムへの生地折り込み等、今以上に感じられる部分もあります。やはりいい時代ではあったのです。





メカニズムの紹介頁です。

元々3代目シャレードは、4気筒1300を搭載する前提で設計がスタートしていたようです。「よりよいエンジンへの仕上がりと、3代目シャレードの投入タイミングの決め方、これとの整合で、どうしてもタイミングが合わず、モデルチェンジのニーズを優先した」と当時のインタビュー記事には書かれています。

1300は1988年2月の登場時点では、先述の通りガソリンターボの代わりということでEFI仕様のみ(HC-E型)での登場でした。しかしながら価格面で不利と判断されたらしく、ソシアル登場の少し前に行われたハッチバックのマイナーチェンジ時(1989年2月)に電子制御キャブ仕様(HC-F型)が追加され、ソシアルの搭載エンジンともされています。

このエンジン設定の影響もあってか、ハッチバックにはKISSAの上級にTRとCRの設定があったのですが、ソシアルでは当初同等グレードの設定はありませんでした。1991年1月の変更で、1300は再びEFI仕様のみとなり、KISSAもEFI仕様へ。この際、ソシアルはSX→SRへと変更されています。同時期にキャブを廃しインジェクション化を進めていたトヨタに影響された感が強い変遷ですが、機を見るに敏or日和見主義、見解が分かれるところでしょうね。スペック上の比較では、HC-Eが当然最高出力&最大トルクで勝るものの、HC-FはHC-Eから高回転部分を削った形で燃費もHC-Fが好燃費となっていた点も判定を悩ませる点ではあります。

トヨタには4気筒1300、ワンカム12バルブのE型が先にあり、HC型はワンカム16バルブで登場するものの、その後E型も排気量拡大と同時にハイメカツインカムでの16バルブ化が行われ、両者は併存することになります。今なら確実にエンジン共用という判断となっていた筈で、当時のダイハツはトヨタとは離れた関係にあったのです。

当時らしいと言えば、リヤサスペンションも同様。
先代までは5リンクリジットでしたが、この代で4輪ストラットの独立式へ進化。この時期採用の多かったデュアルアーム式ですね。やがてこの方式は採用されなくなり、今に続くトーションビームへと変更されていくことになります。





ユーティリティ等の頁。

このサイズだとリヤシートのスペースに皺寄せがいくのは仕方なく、掲載画像は背のあまり高くない女性、ついでに前席はかなり前出しとされています。前席を一般的なポジションにすると、後席のレッグスペース・ヘッドルーム共にギリギリでしょう。今のトール等とは、隔世の感はあるかもですね。

反面、トランクはハイデッキも効いているのか意外と大容量。トランクの内張&フロアマットも結構しっかりした作りとなっている点も挙げたいところです。

空調はオートエアコンが選べる点が当時のこのクラスでは珍しく。販売の主力SXリミテッドはマニュアルが標準でしたし、装着率は決して高くはなかったでしょうけれどね。

ATのシフトロックは、この前年に本機構を採用した車が登場し始めていて、変更を機に採用が急拡大してもいました。この機構が開発された理由は、アクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走ということで課題点は今と同じ。運転者は決まって「車が勝手に暴走した」と欠陥車の如く主張し、マスコミがそれを煽っていたのも時空を超えて繋がる点。結局は運転者の誤操作に尽きるんじゃないの?とは。機械側で抑止するには、大いなる知恵と労力が必要となってしまうのですから。





装備類の紹介頁です。
標準装備は、当時の水準というか割とシンプルな設定でしたが、反面オプションは豊富に用意されていました。

オートエアコンを始め、空気清浄器、オートライト、オートワイパーまで選択可能。内装頁にある通り、オーディオもAM/FM電子チューナーにフルロジックカセットデッキはもちろん、CDプレーヤーやグライコを追加することも可能でした。
購入検討をした際に、お試しで金額度外視で積み上げたら、オプションだけで7桁近くになって驚かされたものです。





最終頁には全グレードが一覧で掲載されています。
当時の車両価格は、SG:89.8万円、SX:99.8万円、SXリミテッド:105.0万円(東京地区の5MT。3ATは各4.5万円高)

SGにエアコンを付ければ、SXリミテッドの価格と然程変わらずとなる筈で、SXリミテッドのお買い得は抜き出ていました。こうした設定だとSGは装備より価格重視、SXはリミテッドで満足できない、ぐらいしか選択理由が成立しないですよね。

と書きつつも、自分でこの中から選ぶなら、定食よりアラカルトでSXのATにエレクトロパックとアルミホイールDを装着。色は外装:ネイビーブルー&内装:ブルーかなと。エアコンは当時からオート一択と思っていましたし、敢えてのSXならリミテッドでは選べない仕様にしたくもなります。

収入比では一番安かった時代かもしれません。最近アルトが100万円を切るということで話題になりましたが、当時は1300の4ドアセダンがエアコン付きでほぼ同等の価格で購入できたのです。





裏表紙には、主要装備一覧表と主要諸元表。

時はバブル最高潮ということで、このクラスにも装備水準急上昇の波は押し寄せていました。SGが少し前の標準で、SXリミテッドが当時の標準くらいの感じでしょうか。


ボディサイズの全長4m、全幅1.6mというのは、70年代のカローラやサニーのサイズと重なるところでした。両車がサイズアップした隙間を狙ったという点では、初代シャレードの精神再びという見方ができるかもしれません。安全基準が厳しくなる一方ですから、このサイズの4ドアセダンというのは再現されることが困難であることも間違いなくて。

このクラスだと4MTもまだ多かった時代に全車5MTが選択でした。一方、ATは3速が主流ながらも4ATの設定が増えている中、3速に留まる形。価格設定からしても、経済性等を重視してMTで買われる方がまだまだ多かったのでしょうね。


といったところでいかがだったでしょうか。
ソシアルが3代目の途中で追加された背景には、当時の北米輸出があったと推測しています。当時の北米市場では、防犯の観点でハッチバックよりノッチバックが望まれていると言われていたのです。

一方、国内市場では、シャレードのユーザーが上級移行を望んだ時の受け皿がないことが課題となってもいました。軽自動車だと小型車への移行って維持費を含めて低からずの壁となるのですが、1000が1500になっても税金等はあまり変わらずとなりますからね。当時は2boxより3boxが高級という認識も強かったですし。かと言ってシャルマンは、ソシアル登場のだいぶ前に商品力を失ってもいて。

こうした背景から投入されたソシアル、ダイハツとしてはセダンとしては隙間を狙ったこともあって期するものはあったのだろうと思います。そもそも3代目はツーサムでアピールして、想定を下回る販売状況からマイナーチェンジに特別仕様車の投入等、相当なテコ入れを図っていた訳です。

ソシアルは、失敗作とは言えずですが、シャレードを支える新たな柱となるほどではなかったと記憶します。近い価格帯には、1300のカローラXEサルーンやサニーEXサルーンGIIがあり、販売台数を背景にした大幅値引きで来られると表示価格では有利でも、実勢価格では逆転もしばし見られていた筈で。

もっとも関係者を含むダイハツブランド(特にセダン)に拘る層にとって、福音となる追加であったことは事実であり、アプローズが登場早々に欠陥車騒動で商品力を失ったこともあって、目立たないながらも失くせないモデルではありました。だからこそシャレードのモデル廃止まで設定が続いたのだろうとも思うところです。


最後に思い出話を書いて終えることにします。
だいぶ前に、3代目シャレードは最初のクルマとして購入を検討した一台だったと書いたことがあります。時は1989年2月のマイナーチェンジ直後、ソシアルが登場する前となります。

今に続くリヤドアありの方が便利という考えで、5ドアハッチバックで商談を開始したものの、やはり今に続くハッチバックよりノッチバックという認識は当時も頭の片隅にありました。

そのタイミングで登場したのがソシアルでした。ダイハツのセールス氏とは長い間かなり親しくしていたこともあって、父が大乗り気。カタログも早々に入手してきたと記憶しています。

父曰く「いきなりいいクルマを買ってもつまらない。ステップアップしていった方がカーライフを楽しめる。俺なんかフェローMAXから入ったんだから」と。ある種昭和的とも言える考え方ですが、今でも鮮明に覚えている言葉でありまして。

私は教習所に通い始めるまではかなりのMT派で、実際に5MTで商談していたくらいだったのですけれど、教習が進むうちにATの方が楽とあっさり転向。4ATが増えていた当時に3ATは明らかな見劣りを感じ、他車への目移りとなっています。
今思い返すと、マークIIやクラウンがカローラと販売台数のトップ争いをしていた時代にあって、自身も高級という言葉に誘われた感が否めずとは思うところです。シャレードを検討の際にも、最上級にオプション多数とか考えていたところでしたし。小さな高級、これもまた内に持つ趣向の一つなのでしょう。

結局当時の目一杯の背伸びで購入したのは、170コロナ。それも当初の想定は叶わず短期間で手元から離れて行きました。あの時にソシアルの方を選んでいたら…、というのは今回の振り返りで軽く空想したりもした次第です。次に選ぶ車が異なっていた可能性も高いかなとは。少し前の投稿企画で、「最初の一台というのは、基準にもなり得る非常に重要な意味を持つ」なんてことを書いていまして、その事は実体験に基づく言葉ではあるのです。
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Posted at 2021/12/18 15:27:58

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この記事へのコメント

2021年12月18日 20:09
こんばんは。

3代目シャレード、懐かしいですね。しかし、思い出すのはハッチバックで、セダンの方はほとんど見かけた記憶がありません。

リアドアまでハッチバックと共用と制約がある中でまとめるのは大変だったのでしょうが、ぱっと見、BGファミリア調のリア周りは、明らかに寸足らず。この代で特徴的だったリアのホイールハウスも、セダンに合わせるのに苦心したでしょうね。

この頃は、スズキもカルタスのセダンを粘り強く(!)用意していましたが、そちらもあまり売れていなかったと思います。
100万円前後の価格設定は、今見るととても廉価に感じますが、当時のカローラやファミリアの1300辺りも100万円台前半からとさほど価格差がなかったと思われ、車庫の制約がある等でなければ、なかなか選ばれにくかったと思います。

しかし、車庫の制約もどうしてもセダンでなければハッチバックがあり、どうしてもセダンという方はトヨタのターセル・コルサを選ぶかな…と。L40系へのモデルチェンジ前なら、アドバンテージもあったかもしれませんが…。

パラレルリンクストラットの4輪独立は、カローラ、サニーに比肩するものですが、ご紹介のように上級グレードでも3ATは厳しいですね…。サスの形式よりもATの段数の方が、はるかに分かりやすいので。

開発中は、ターセル・コルサに加え、サニーも3ATが普通でしたが、大衆車クラスも一気に4AT化が進み、ほぼ同時期のL200系の新規格ミラにも4ATがあったように記憶していますので、車体寸法ではなく、コストの制約上難しかったんでしょうね。
コメントへの返答
2021年12月18日 21:17
こんばんは

シャレードだと懐かしネタになるのは大抵初代かデトマソ辺り。3代目でもGT-tiとかですよね。

Cピラーを寝かせれば寸足らず感は減ったかもですが、ハッチバックのスタイリングには効果的だったプレスドアが足枷だったのかもしれません。ドア共用ならワゴンの方がやり易かったようにも感じます。

エスティーム→クレセントですね。カルタスもまた、GT-i、コンバチ、fの69.8万円、ワゴン等他のモデルの方が話題となっていますね。
カローラとファミリアも表示価格は確かに然程の差はありませんでした。A/CとP/Wが標準の分お得という売り方ですね。本文に書いた通り、値引き込みだと分が悪かった感も強く。

各車3ドアと4ドアが残り、5ドアが落とされ始めた時期ではあるのです。エスティーム、L40共にもう少し長かったりもします。もっともそこまでの車庫の制約でセダンというのは少なかったと思われ、やはりダイハツ党が求めていたのかなと。

スターレット、L40系はリンクビーム式だったのですが比較してどうこうという話とはなりませんでした。
ギヤ比からすると、トヨタと共通のA13#・3ATだったようです。となるとA24#・4ATが積めた筈で、不要という判断、あるいは調達等諸事情があったかもですね。
ATの比率が急上昇してもいましたので、商品力の点で不利だったことは否めません。

ミラの4ATは、660に拡大後少し経ってからの追加となりますが、軽自動車にもついに4AT!と驚かされたものです。シャレードも4代目では電子制御4ATを採用していますね。
2021年12月19日 1:02
いやぁ懐かしい。
まさに子供の頃によーく見かけたシャレードです。

1988年式のGT-XXを運転させて頂いた経験があり、なんと気が遠くなるほど速い車なのだろうかと恐ろしくなった事を思い出しました。現代でも通用するようなえげつない俊敏さを持った車でした。

今回のソシアルはゴルフに対するジェッタ、フィットに対するグレイスのようなHB改造セダンですね。立派にセダンに見えるカローラ30と同じような諸元でありながらどことなく腰高に見えてしまうのはクオーターピラーの形状であると感じました。

Rrドアを流用しているようですがハッチバックのBピラー以降は空力を考えて絞り込まれるのが常でセダンにするとトランク部分が無くなってしまうと言う事でこの手のセダンは大変難しいと聞いた事があります。流用しないと原価的な旨みが無いし、専用開発してもクオーターピラーとタイヤの位置関係などの調整が難しい・・・単にトランク付けるだけに見えるのに仕事として割に合わないでしょうね。

それでもセダンが欲しかったのはparl-siroさんが書かれているとおり当時の上級移行を食い止めるには真っ当なセダンが必要だった、というのが当時の一般的な感覚だったのだろうと思います。現在ならSUVを選ぶのでハッチバックの車体との親和性も高く、だからロッキーは纏まりが良いのかも?という勝手な感想です。

カタログでも何とかソシアルを立派なセダンとして見て貰いたいという親心なのかFrタイヤに比べてRrタイヤの部分が引き延ばされているように見えました。ソシアルの場合Rrタイヤの真上にクオーターピラーがあり、少しでも伸びやかに見せたかったのかなぁと(笑)

現代のHB改造型セダンはクオーターピラーを後ろに引いてトランクを短くして流麗さを表現する事例が多数見受けられますが、トランクの使い勝手はソシアルの方が数段上だと思います。前述のカローラ30は鞍型Rrガラスを採用してヘッドクリアランスと流麗さを両立していました。ここは現代でも悩みどころですね。(寸法があるのにクーペスタイルにするセダンは論外として)

グレード構成ですがリミテッドの「コレにしときなはれ」感がスゴいですね(笑)私だったらアルミホイールに目をつぶってコレを選んでしまいます。

この世代のソシアルなんですが、小学生時代の同級生一家がガンメタのソシアルに乗っていました。中学卒業するくらいまでの長期間(1990年代末期まで)乗られていた記憶があります。黒縁めがねのすごく真面目そうなお父さんだったなという、ぼんやりとした記憶なのですが家族5人でぎゅうぎゅう詰めで乗っていたのも見た事があります。今は何に乗っているのかなぁ…。(孫も居そうだからパッソセッテだったりして)
コメントへの返答
2021年12月19日 9:05
ノイマイヤーさんの世代だと「ザ・シャレード」かもしれませんね。

GT-XX、X4に通ずる部分があるかもしれません。モータースポーツ用途の想定があったのかなと推測。実際は目立った歴は残していなかったりですが。この年代は他車共々ハイパワー版はノーマルから一転して過激な設定が多いですよね。

国内だと1.5L級が先にHB改造セダンをやっていて、ついにこのクラスにも、と思ったものです。
先代より車高を低くしているのに腰高に見えてしまうのですから、デザインが理由と言っていいかと思います。HBは、Cd値0.32だそうでご指摘の通りBピラー以降を絞っていますね。プレスドアでなければ上半分だけを変えるという選択も出来ますが、それも不可能で、デザイナーは制約に相当苦労しただろうと察するところです。セダン構想は恐らく後からで、最初から要件にあればもう少し整合が図れたのかもしれません。

当時は5ドアが減り4ドアに移行する車種が多かったりもしましたからね。アプローズはスーパーリッドで両得を狙いましたが、やはりセダンの見た目が必要だったのでしょう。
そう、今ならSUVですよね。XVのようにハッチバックとの共用もあるくらいで、標準様式が確立していない由のやり易さはあるのかなとは。

なるほど、Rrタイヤの部分、引き伸ばされていますね。裏表紙の寸法図と比較すると解り易くて(笑)
ワイド&ローに見せるため等で、一部を引き伸ばすというのは長年続いた伝統芸でもあり、今視点だと微笑ましく映ったりもします。

現代ならホイールベースももっと延びる筈で、クォーターピラーの上端は変わらずとも下端がもっと後ろとなるのでしょう。デザイン上はもう少し寝かせたいクォーターピラーもパッケージング的にはこれで正解とも言えますね。制約の影響は否めませんがパッケージングは割と真面目な印象を受けたりもします。

このグレード設定ならリミテッド以外は不要にも感じます(笑)。EFIとオートエアコンが付いたSRリミテッドがあれば…というのは当時感じたことですが、恐らく価格競争力が重視されたのだろうと推測しています。

車のキャラクターからしても真面目そうな方が合う印象はありますね。当時は5人が乗れて荷物も積めることが喜ばれたのだろうとも。書かれている事例に限らず、5人家族でもセダンというのが割と普通だったように記憶します。ダイハツの普通車枠だと、パッソセッテ以外にもメビウスにアルティス等、好事家を喜ばせそうな選択が浮かんできますよね。
2021年12月19日 22:10
こんばんは。

シャレードソシアルは、ディーラー勤務時代にさわったことがある車です。
先輩方に聞くと、初代と二代目はボディが軽いので、よく走るとおっしゃってました。
実際、初代を運転するとパワステレスでも軽い操作感と、ターボ無しでも軽快に走ってくれました。

三代目G100になると、ボディが重くて走りに影響がありました。
AT車ですが、Dポジションで信号待ちすると、振動が激しくておのずとNにしてました。1000CC3気筒だと、耳鳴りがするので、4気筒がオススメになります。
ソシアルは、圧倒的に多いのが、SXリミテッドです。
その後、SGリミテッドとSRリミテッドの2つになりますが、圧倒的なのがSRリミテッドでした。
G100のエンジン回転が重かったですね。
AT車はそれが随所でした。

次期モデルのG200になると、先代の悪い部分が消えていたので、アプローズを3年で乗り換えた営業マンが、G200ソシアルでは10年近く乗って、本社から買い換え命令が出たという噂があった位です。

自分がオススメするとなると、GT-XXは別格として、4MTのWiLLか1300の特別仕様車のLA,GEARです。
LAGEARは、カラーモールと81グランデリミテッドに似たメッシュアルミが装備されてます。

SXをベースに、エレクトロパックにアルミホイールにしてから、モールをシルバーがゴールドに塗って、ラグジュアリーを表現すると、いろんな意味で目立つと思います。
コメントへの返答
2021年12月19日 22:44
こんばんは

3代目は車が良くなった一方で重くなり、ノンターボの1000ccでは足りなくなったが実情なのでしょうね。
スペック的には大きな増ではなくても元が600kg台では意外と大きな影響となったのかなと。

当時の試乗レポート等でも1000のNAでは苦しくて、1300がベストと書かれていたりします。3気筒もバランサーシャフトを積んでいたりしますが、4気筒と比較すると差は生じていたのでしょう。

ソシアルの初期設定ならSXリミテッドが売れますよね。確か91年1月の変更でSGリミテッドとSRリミテッドに分かれたと記憶しています。この年代のダイハツはほぼ年次で変更が入っていますので把握も難しかったりしますね。

G200はG100の熟成版の感はあるかもで。G200ソシアルからだと代替が見つからず結果的に長く乗ったというのもあるかもしれませんね。

WiLLは特別仕様車で登場し、WiLL-SとWiLL-Gが派生の後、再度WiLLに収束していますね。そしてLA,GEARは末期の特別仕様車でした。後者はG100の集大成の感もありますね。

ダークブルーでモールをシルバーだと、セルジオタッキーニ風にもなるのかなと。G100の初動が伸びなかった一番の理由は若い女性が取れていないという分析があったらしく、そこに向けて投入したのがセルジオタッキーニと当時のインタビュー記事で語られていたりします。
2021年12月20日 21:02
懐かしいですね~
実家の三軒隣のダイハツ車しか乗らないお宅が2代目の後期からソシアルに乗り換えてました。たしかダークブルーの素のSXだったと思います。そのお宅は私の記憶がある頃に初代前期後期とシャルマンにお乗りでそれから2代目後期シャレード、そしてソシアルでした。あの当時はおっしゃられる通り、私も高級車趣向でこのスタイルに全く興味が無かったので気にも留めてなかったのですが、こうしてカタログをじっくり見るとなかなかいいリアデザインだなと。特に斜め後方からのリアスタイル。なんか可愛くて欲しくなってしまいそう。
この車を思い出したのはトヨペットの営業マン時代で新車種投入の噂があり初代ヴィッツが出るぞとみんなで待ち望んだものですがトヨペットの新車種はプラッツ。。ハッチバック車にトランクを付けたあのスタイルでソシアルを思い出したのです笑 あの時、トヨペットはことごとく外されファンカーゴ出るぞとなればうちに来たのはキャミ笑 なかなか苦戦を強いられました。余談です。
しかし当時はミラでも4独でしたし、いい足回り。たしかに色が選べないリミテッドより、私もカラーはレッドでAAC付けて5MT、Dタイプアルミ、エレクトロパックに、オートライト、オートワイパーあれば最高です。サンルーフの設定あれば言うことないですが笑
最初のクルマって色々考えました。私は中古での車選びで実家が雪国なので初代後期のアルシオーネ4WDとか(^^)デジパネ付きで地元のスバルに安くていいものがあったのですが購入一歩手前で売約済みで惜しくも断念。今でも欲しいなと思っています。
コメントへの返答
2021年12月20日 22:02
30年以上前の登場ということで懐かしんでいただければ幸いです。
ダークブルーだとリミテッドではなく素のSXですね。初代シャルマンからだと2代目シャルマンへの代替が一般的に感じますが、2代目シャレードを経てソシアルへと替えられたのですね。
当時は、水平基調で車高が低いが売れ筋でしたから、そこから離れたソシアルは、パッケージング重視と見受けつつもカッコイイとは思えずでした。

確かにソシアルとプラッツ、通ずるものを感じますね。トヨペットはコロナやマークIIの関係があるからか、コルサの時分から他の兄弟よりも4ドアの比率が高いという特徴がありました。2代目では、カローラIIの3ドア、ターセルの5ドアに対して、4ドアがイメージリーダーでしたし。その流れから、プラッツをスプリンターの後継となるN店と共に配置となったのでしょうね。後継となるベルタも併売先はC店に変わりつつもP店扱いでした。セダン離れがもう少し遅ければ、勝算はあったのかもしれません。

オプションを眺めている分には想像が膨らむ設定なのですが、実際にSXで積み上げると、一クラス上が十分射程圏内となって、リミテッドに落ち着くor他車に目移りするとなる気がします(笑)

中古車って一期一会ですからね。購入一歩手前まで行きながらも縁の無かった車って、割と記憶に残ったりします。あの時買えていたら…とつい空想してしまう存在でもありますね。

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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