
12月に入り、すっかり寒い日が続くようになりました。寒波の到来により所によっては大雪というニュースも入ってきています。不要不急の外出を避けるのが一番の安全なのかもしれませんが、この時期そんなことは無理という方も確実に存在するわけで。皆さま、くれぐれも安全第一に。
さて、今回も思い出のクルマ話の回です。当初は別の車種を想定していたのですが、確かこの辺りに保管していた筈…の場所で何故か発掘できず。発掘の過程でつい当時を思い出した別の車種に代役を務めてもらうことにしました。
今回お題にするのは、シャレード・ソシアルが初登場した時のカタログとなります。ソシアルはシャレード初の4ドアセダンとして3代目のモデル途中で追加され、4代目にも継続。モデル廃止となるまで設定が続いた名称でした。こうしたモデルの場合、3代目シャレード・ソシアルだと違和感ありということで、表題をどうすべきか迷った末、形式名に頼ることに。
元々1960年代中頃において、大衆車というのは1000ccクラスと認識されていました。そこに+100ccの余裕を掲げて投入されたのが初代カローラであり、ライバル車もカローラに引っ張られる形で上級移行。その結果、1000ccクラスは1970年代中頃には空白地帯と化していました。そこに投入されたのが初代シャレードであり、新たなリッターカー市場を開拓することにもなりました。
しかしながら、シャレード自身もリッターカーに留まり続けることはできず、作り手曰く「発売後10年が経っていますので、区切りをもって新しい方向への転換」ということで3代目でついに4気筒1300を追加。当時は追加の理由をターボに代わるものと説明していたのですが、結局主力を1300に移すことになります。ソシアルは上級に移行し始めたシャレードの次なるステップでもあったのです。
それでは登場直後となる1989年3月に発行されたカタログの紹介に入っていきます。
見開きにはイメージリーダーとなるSXがダークグリーンのボディカラーで掲載されています。後述する理由により、イメージリーダー=販売の主力ではないというのが微妙なところ。
ハッチバックの全長3,680mmに対して、ソシアルは全長3,995mmということで315mmリヤを伸ばしてハッチバックベースのセダンを成立させています。スタイリング優先なら、もう少しCピラーを寝かせてトランクももう少し伸ばしたいところです。一クラス上は、やや短かったジェミニを除き、全長が4,200mm前後でしたから、恐らく全長4m以内というのが確定事項だったのだろうというのは推測。3代目シャレードは、北米輸出対応もあり、大型バンパーの採用で70mm長くなっていますので、その分でも苦しかったろうなとは。
当時はモノフォルムではなく、セダンは明確な3BOXが当然という認識でもありましたから、限られた寸法ではこうしたフォルムで構成するしかなかったのでしょうね。全高が高く映るかもしれませんが、実は1,385mmしかなかったりします。
リヤドアは5ドアと共用。3代目シャレードのハッチバックはBピラーを頂点にして3次曲面的にリヤを絞り込んだことがデザインの特徴となっていましたから、セダンを起こす際の制約となった感は否めません。逆に厳しい制約の中で成立させたという点では初代シャレードと同じという見方もできますけれども。
同じくSXの内装画像となります。
インパネやフロントシートはハッチバックと共用していました。
オーディオは、標準では1dinサイズのみ装着可能でしたが、写真のフロントコンソールを装着すると何と計3.5dinまで拡張可能。他車に先駆けてAMのみながらも電子チューナーラジオを設定したり、フロントスピーカーもインパネ下ではなく音重視で前席に向けたインパネ上部に装着する等、意外とオーディオに凝った設定がされていました。
リヤシートは、5ドアではリクライニング機構やタイヤハウスを覆った構造等を採用したグレードがあったものの、こちらは不等式分割前倒のみでした。不等分割ならセンターアームレストの併設も可能だったかもですが、車幅からすると苦しいかもで。
室内長はハッチバックの1,750mmに対して、こちらは15mmのプラス。
全3グレード構成の内、残りの2グレードの紹介頁となります。
左頁は販売の主力だったSXリミテッド。
SXをベースに装備を上乗せする一方、オプションや内外装のカラーは制約。「SXがアラカルトでSXリミテッドは定食」と書いたのは当時の月刊自家用車誌ですが、内容的にもそのものズバリ。
ハッチバックには、特別仕様車から標準仕様となったKISSA(キサ)というグレードがあり、KISSAのセダン版がSXリミテッドでもありました。
右頁は廉価グレードとなるSG。
ハッチバックにはKISSAの廉価版として1000にWILL S(ウィルS)の設定がありましたが、こちらは1300のみということもあってか、独自グレードとなっていました。経済性や価格を重視する方向けの設定に映るかもですが、後で書く価格設定からすると、エントリー価格を下げるための設定のようでもあり。
廉価グレードだと、シート生地の一部にビニールレザーを使用するのがお約束でしたが、この時期には前面にはフルファブリックが奢られています。ドアトリムへの生地折り込み等、今以上に感じられる部分もあります。やはりいい時代ではあったのです。
メカニズムの紹介頁です。
元々3代目シャレードは、4気筒1300を搭載する前提で設計がスタートしていたようです。「よりよいエンジンへの仕上がりと、3代目シャレードの投入タイミングの決め方、これとの整合で、どうしてもタイミングが合わず、モデルチェンジのニーズを優先した」と当時のインタビュー記事には書かれています。
1300は1988年2月の登場時点では、先述の通りガソリンターボの代わりということでEFI仕様のみ(HC-E型)での登場でした。しかしながら価格面で不利と判断されたらしく、ソシアル登場の少し前に行われたハッチバックのマイナーチェンジ時(1989年2月)に電子制御キャブ仕様(HC-F型)が追加され、ソシアルの搭載エンジンともされています。
このエンジン設定の影響もあってか、ハッチバックにはKISSAの上級にTRとCRの設定があったのですが、ソシアルでは当初同等グレードの設定はありませんでした。1991年1月の変更で、1300は再びEFI仕様のみとなり、KISSAもEFI仕様へ。この際、ソシアルはSX→SRへと変更されています。同時期にキャブを廃しインジェクション化を進めていたトヨタに影響された感が強い変遷ですが、機を見るに敏or日和見主義、見解が分かれるところでしょうね。スペック上の比較では、HC-Eが当然最高出力&最大トルクで勝るものの、HC-FはHC-Eから高回転部分を削った形で燃費もHC-Fが好燃費となっていた点も判定を悩ませる点ではあります。
トヨタには4気筒1300、ワンカム12バルブのE型が先にあり、HC型はワンカム16バルブで登場するものの、その後E型も排気量拡大と同時にハイメカツインカムでの16バルブ化が行われ、両者は併存することになります。今なら確実にエンジン共用という判断となっていた筈で、当時のダイハツはトヨタとは離れた関係にあったのです。
当時らしいと言えば、リヤサスペンションも同様。
先代までは5リンクリジットでしたが、この代で4輪ストラットの独立式へ進化。この時期採用の多かったデュアルアーム式ですね。やがてこの方式は採用されなくなり、今に続くトーションビームへと変更されていくことになります。
ユーティリティ等の頁。
このサイズだとリヤシートのスペースに皺寄せがいくのは仕方なく、掲載画像は背のあまり高くない女性、ついでに前席はかなり前出しとされています。前席を一般的なポジションにすると、後席のレッグスペース・ヘッドルーム共にギリギリでしょう。今のトール等とは、隔世の感はあるかもですね。
反面、トランクはハイデッキも効いているのか意外と大容量。トランクの内張&フロアマットも結構しっかりした作りとなっている点も挙げたいところです。
空調はオートエアコンが選べる点が当時のこのクラスでは珍しく。販売の主力SXリミテッドはマニュアルが標準でしたし、装着率は決して高くはなかったでしょうけれどね。
ATのシフトロックは、この前年に本機構を採用した車が登場し始めていて、変更を機に採用が急拡大してもいました。この機構が開発された理由は、アクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走ということで課題点は今と同じ。運転者は決まって「車が勝手に暴走した」と欠陥車の如く主張し、マスコミがそれを煽っていたのも時空を超えて繋がる点。結局は運転者の誤操作に尽きるんじゃないの?とは。機械側で抑止するには、大いなる知恵と労力が必要となってしまうのですから。
装備類の紹介頁です。
標準装備は、当時の水準というか割とシンプルな設定でしたが、反面オプションは豊富に用意されていました。
オートエアコンを始め、空気清浄器、オートライト、オートワイパーまで選択可能。内装頁にある通り、オーディオもAM/FM電子チューナーにフルロジックカセットデッキはもちろん、CDプレーヤーやグライコを追加することも可能でした。
購入検討をした際に、お試しで金額度外視で積み上げたら、オプションだけで7桁近くになって驚かされたものです。
最終頁には全グレードが一覧で掲載されています。
当時の車両価格は、SG:89.8万円、SX:99.8万円、SXリミテッド:105.0万円(東京地区の5MT。3ATは各4.5万円高)
SGにエアコンを付ければ、SXリミテッドの価格と然程変わらずとなる筈で、SXリミテッドのお買い得は抜き出ていました。こうした設定だとSGは装備より価格重視、SXはリミテッドで満足できない、ぐらいしか選択理由が成立しないですよね。
と書きつつも、自分でこの中から選ぶなら、定食よりアラカルトでSXのATにエレクトロパックとアルミホイールDを装着。色は外装:ネイビーブルー&内装:ブルーかなと。エアコンは当時からオート一択と思っていましたし、敢えてのSXならリミテッドでは選べない仕様にしたくもなります。
収入比では一番安かった時代かもしれません。最近アルトが100万円を切るということで話題になりましたが、当時は1300の4ドアセダンがエアコン付きでほぼ同等の価格で購入できたのです。
裏表紙には、主要装備一覧表と主要諸元表。
時はバブル最高潮ということで、このクラスにも装備水準急上昇の波は押し寄せていました。SGが少し前の標準で、SXリミテッドが当時の標準くらいの感じでしょうか。
ボディサイズの全長4m、全幅1.6mというのは、70年代のカローラやサニーのサイズと重なるところでした。両車がサイズアップした隙間を狙ったという点では、初代シャレードの精神再びという見方ができるかもしれません。安全基準が厳しくなる一方ですから、このサイズの4ドアセダンというのは再現されることが困難であることも間違いなくて。
このクラスだと4MTもまだ多かった時代に全車5MTが選択でした。一方、ATは3速が主流ながらも4ATの設定が増えている中、3速に留まる形。価格設定からしても、経済性等を重視してMTで買われる方がまだまだ多かったのでしょうね。
といったところでいかがだったでしょうか。
ソシアルが3代目の途中で追加された背景には、当時の北米輸出があったと推測しています。当時の北米市場では、防犯の観点でハッチバックよりノッチバックが望まれていると言われていたのです。
一方、国内市場では、シャレードのユーザーが上級移行を望んだ時の受け皿がないことが課題となってもいました。軽自動車だと小型車への移行って維持費を含めて低からずの壁となるのですが、1000が1500になっても税金等はあまり変わらずとなりますからね。当時は2boxより3boxが高級という認識も強かったですし。かと言ってシャルマンは、ソシアル登場のだいぶ前に商品力を失ってもいて。
こうした背景から投入されたソシアル、ダイハツとしてはセダンとしては隙間を狙ったこともあって期するものはあったのだろうと思います。そもそも3代目はツーサムでアピールして、想定を下回る販売状況からマイナーチェンジに特別仕様車の投入等、相当なテコ入れを図っていた訳です。
ソシアルは、失敗作とは言えずですが、シャレードを支える新たな柱となるほどではなかったと記憶します。近い価格帯には、1300のカローラXEサルーンやサニーEXサルーンGIIがあり、販売台数を背景にした大幅値引きで来られると表示価格では有利でも、実勢価格では逆転もしばし見られていた筈で。
もっとも関係者を含むダイハツブランド(特にセダン)に拘る層にとって、福音となる追加であったことは事実であり、アプローズが登場早々に欠陥車騒動で商品力を失ったこともあって、目立たないながらも失くせないモデルではありました。だからこそシャレードのモデル廃止まで設定が続いたのだろうとも思うところです。
最後に思い出話を書いて終えることにします。
だいぶ前に、3代目シャレードは最初のクルマとして購入を検討した一台だったと書いたことがあります。時は1989年2月のマイナーチェンジ直後、ソシアルが登場する前となります。
今に続くリヤドアありの方が便利という考えで、5ドアハッチバックで商談を開始したものの、やはり今に続くハッチバックよりノッチバックという認識は当時も頭の片隅にありました。
そのタイミングで登場したのがソシアルでした。ダイハツのセールス氏とは長い間かなり親しくしていたこともあって、父が大乗り気。カタログも早々に入手してきたと記憶しています。
父曰く「いきなりいいクルマを買ってもつまらない。ステップアップしていった方がカーライフを楽しめる。俺なんかフェローMAXから入ったんだから」と。ある種昭和的とも言える考え方ですが、今でも鮮明に覚えている言葉でありまして。
私は教習所に通い始めるまではかなりのMT派で、実際に5MTで商談していたくらいだったのですけれど、教習が進むうちにATの方が楽とあっさり転向。4ATが増えていた当時に3ATは明らかな見劣りを感じ、他車への目移りとなっています。
今思い返すと、マークIIやクラウンがカローラと販売台数のトップ争いをしていた時代にあって、自身も高級という言葉に誘われた感が否めずとは思うところです。シャレードを検討の際にも、最上級にオプション多数とか考えていたところでしたし。小さな高級、これもまた内に持つ趣向の一つなのでしょう。
結局当時の目一杯の背伸びで購入したのは、170コロナ。それも当初の想定は叶わず短期間で手元から離れて行きました。あの時にソシアルの方を選んでいたら…、というのは今回の振り返りで軽く空想したりもした次第です。次に選ぶ車が異なっていた可能性も高いかなとは。
少し前の投稿企画で、「最初の一台というのは、基準にもなり得る非常に重要な意味を持つ」なんてことを書いていまして、その事は実体験に基づく言葉ではあるのです。