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2022年01月16日

20年前に新成人を迎えたクルマ達(2022年版)

文章作成がやっとの状況に新たなお題を捻出できる余裕もなく、今年も昨年に続いてのネタをお送りすることにします。(昨年版はこちら

1年進んだことにより、1981年4月2日から1982年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

引用元の関係で、輸出仕様の画像が多く含まれていますが、可能な限り国内仕様に近いものを選んではいまして、雰囲気がつかめれば幸いです。

〇トヨタ

7月2日 セリカ(フルモデルチェンジ)

この年度はソアラに続いてのDOHC-6搭載が大いに話題を集めたセリカから始まっています。

初代は、このジャンルを開拓し大いに普及させた記念碑的存在でした。続く2代目は、斬新なデザインを求めてアメリカに設立したデザインスタジオCALTYの案を採用したところ、曲線基調のデザインが国内では受けず、後発の3代目シルビア(&ガゼール)に苦戦を強いられています。

デザイン案を国内に戻して、直線基調で再びの若者人気を狙ったのがこの3代目。2000GT以来のリトラクタブルライトを採用したXXは、好評で受け入れられますが、ライズアップライトを採用した4気筒は期待に反する結果に。

販売の主力となる北米においては、2代目の方がデザイン評価は高く、ブラックマスクへの変更を経て、FFへの転換を図る次世代では再び曲線基調へと振れることになります。




9月7日 カリーナ(フルモデルチェンジ)
1月26日 コロナ(フルモデルチェンジ)

スクープ記事では、共にFFへの変更が噂された2台でした。
前年のセリカ・カムリのみへのIRSの採用、2代目までは同時に変更されてきたセリカのモデルチェンジが初めて先行となったことが噂の根拠ともなり。

結局、セリカから少し遅れ、FRを継続しての登場となりました。
このセグメントは、910が登場して以降、ブルーバードが独走していて、多くの顧客を抱える販売店は、(特にコロナは)新型車の早期登場を熱望。その過程においてFRの堅持要望が強かったのだろうというのは推測。

カリーナは、新型車効果でブルーバードの連勝記録に挑んだものの、マークIIに続いて、僅かながら及ばず。連勝記録をV27で止める役目は、最大のライバルであるコロナが果たすことになります。

当時は、それまで別のシャシーだった両車がシャシー共用となったことが話題となりました。兄弟車ながらも割と異なっているように映ったものですが、こうして並べて見ると、血筋は争えずの感はありますね。

この世代、FF化までの過渡期の感は否めず、コロナが先行してFFに主力を移した後、カリーナも後を追うことになります。




3月24日 カムリ(フルモデルチェンジ)/ビスタ(新発表)

販売前年秋のモーターショーに、F-120の車名で5ドアが参考出品という過程を経ての発表でした。

先代のセリカ・カムリは、当初カローラ店に投入された後、僅かに遅れてビスタ店の設立と同時にビスタ店との併売となっていましたが、この代で兄弟車関係へと進化しています。

当初は両モデル共、4ドアの1800 5Fのみということで、生産が立ち上がった仕様を急遽投入した感が否めずでした。先代がカリーナの兄弟車だったことと合わせて車格設定が理解されず、(特に専門家筋の)評価は極めて高いながらも、販売に苦心する要因となっています。


前年度にマークII3兄弟、ソアラとアッパーミドルクラスを固めたトヨタは、この年度で一つ下のミドルクラスの陣容を一新しています。70年代末の時点では、ミドルクラス以上は日産が優勢、以下はトヨタが強いという力関係があり、このクラスの強化は課題ともなっていました。
ブルーバードの独走もあって、相当に力が入っていたことは見て取れますが、この後の動きからすると、過渡期特有の混乱や不整合が各所に散見できた感はありますね。



〇日産


6月19日 スタンザ/オースター/バイオレット(フルモデルチェンジ)

発表の席上で社長自ら「かなりの車種をFF化してゆく。このクルマはそのようなプロジェクトの第一弾。そして世界戦略車でもある。」と高らかに宣言し、正しく鳴り物入りで登場したのがこの3兄弟でした。

FF化に伴い、社運を賭けた級の投資をし、エンジン・サスペンション等殆どのコンポーネンツを一新。ボルト、ナット以外は全て新設計から生まれた新型車は、従来のイメージを刷新し、専門家筋の評価は極めて良好。ところが、一番肝心な販売が燦々たる結果となりました。

専門家が評価する車は売れないというジンクスは既に存在していましたが、ここまで真逆の結果は極めて稀であり、当の日産にとっても全くの想定外だったことも間違いなく。
販売不振の理由は、新し過ぎて理解されなかったことが第一。何より大きかったのは、車格の設定が新車価格も含めて、当時のベストセラーであるブルーバードに近付き過ぎたことでしょう。

特に同じ販売系列となるバイオレットでは致命的なミスであり、僅か1年で販売中止という結果となっています。この結果、この3兄弟だけに留まらず、日産本体、あるいは他社の販売戦略へも少なからぬ影響となりました。

出来の悪くない大いなる意欲作が販売戦略で失敗。日本車の有史に残る出来事だと思いますし、だからこそ嫌いになれないモデルなのです。
(スタンザFXのセールスマニュアルはこちら




8月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)

この時期で一番注目を集めたモデルチェンジだったと思います。

ローレルとの兄弟関係がより近くなる一方、それまでノーズの長さを変えていた4気筒と6気筒がロングノーズを共用することになり、賛否が分かれる話題となりました。

先行して4気筒のみとされていたブルーバードとの競合関係が緩和されたものの、この選択がスカイラインの分水嶺の一つとなった感はあり、判断も分かれるだろうと思うところです。

モデルチェンジから少し遅れて、久方ぶりの4バルブDOHCを搭載したRSが追加され、新たな柱となります。一方販売の中心だったGTは、新世代6気筒と4ATの投入が遅れたことを主な要因として、マークIIに追い付かれ、やがて逆転される結果に。長年のライバル、マークIIを3兄弟に増やし、ソアラやセリカも絡めてスカイライン一大包囲網を構築したトヨタが強かであり、スカイラインが翻弄されたとしても仕方なかったと言えますけれども。




10月13日 サニー(フルモデルチェンジ)
1月12日 ローレルスピリット(新発表)

FF化されたファミリアが人気急上昇となっていた時期に、カローラより先行してのFF化ということで注目されたモデルでした。

やはりFF化のインパクトは大きく、カローラの国内販売台数V70を阻止しています。以降はカローラの巻き返しにファミリアも加わっての販売合戦が繰り広げられることに。

4ドアが好調に売れたものの、2BOX人気に押されてクーペが国内では苦戦したのは想定外だった筈。結局2年後のマイナーチェンジでは、クーペに替わってハッチバックが新たに設定されることになります。

少し遅れて追加されたローレルスピリットは、モーター店向けのサニーというのが当初の想定。やがては増えてゆく差異も、当初は極一部に留まっていました。ボンネットとFフェンダーに追加されたエンブレムでもローレルとの繋がりを主張していたのだな、というのは今回並べての比較での発見でした。


トヨタとは逆に、コンパクト・ミドル・アッパーミドルと偏りなく登場させたのが日産でした。どれも意欲作なのですが、カリーナとコロナを兄弟関係にしてしまったトヨタと比べると、先に登場していたブルーバードやパルサーとの関係等、整理&再構築の点では後手となった感が強く。背景には鶴見と荻窪の確執があったことは疑いようがなく、後に開発体制は厚木に一元化されるものの、日産の財務体質を蝕む一因となっていきます。



〇三菱

1月22日 ランサー・フィオーレ(新発表)

従前は2BOXのみだったミラージュは、マイナーチェンジでミラージュIIに呼称を変更し、3BOXの4ドアセダンが追加されています。新たに兄弟車として投入された三菱店版ミラージュII4ドアがランサー・フィオーレでした。

ミラージュIIの3ドアには、このクラス初のターボが投入され人気を集める一方、4ドアにはMDと名付けられた可変気筒エンジンが一部グレードに設定され、当時の低燃費ブームに話題を投じています。

ランサーが2代目に変わる際、車格を少し上げ1600と1400を主体としたことに伴う空白地帯への補完という役割だったのだろうなとは。

この時期の三菱は、クライスラーとの提携関係に引き摺られ、新車の開発が遅れていた感がありました。ミラージュも登場から4年近くでのマイナーチェンジということで、ライバル車との関係は覆せず。ランサー・フィオーレは、2年足らずで2代目へと進化することになります。



2月22日 コルディア/トレディア(新発表)

コルディアもまた、前年秋のモーターショーに参考出品されています。
セレステの後継車を想定した三菱店向けのコルディアXG、ミラージュからの上級移行を想定したカープラザ店向けのコルディアXP、ランサーの後継を見据えつつ同格の新型FF車としてカープラザ店に投入されたトレディア。どれも、コンパクトとミドルの中間を狙っていた点も含めて、三菱なりの戦略はあったのだろうと思います。

しかしながら当時は、コンパクトクラスはカローラ・サニー・ファミリアが大乱戦。ミドルクラスはブルーバード・コロナ・カリーナが同様の戦いの真っ只中にありました。特に前者は、販売奨励金の投入に伴う大幅値引き、相当数の自社登録や業販卸によるノルマ消化とルール無用の様相を呈してもいて。

そんな乱戦は、巻き込まれなかった車の方が少ないくらいであり、どちらかと言えば地味系のニューネームが喰い込んでいける余地は殆どなかったことは間違いなく。

結果的に、こと国内においては、日産のT11 3兄弟と同等、あるいはそれ以上の燦々たる結果となってしまいます。しかしながら、後年追加された4WDの1800ターボが冠雪のラリーフィールドにおいて成績を残している点は、忘れずに書き残すことにします。


コロナとブルーバードの少し上、マークIIやスカイラインも見据えた位置に置いたギャランΣとΛが成功を収めて以降、三菱はトヨタと日産のラインナップの中間を狙う商品構成となっていました。少ない車種構成で二大大手と対峙する工夫でもあったのでしょう。
コルディア/トレディア以降、三菱は2社のラインナップの隙間ではなく、正面から対峙する車種構成へと修正が図られていきます。その点では三菱のターニングポイントとなった車種という見方はできるかと思います。

この時期は、フルラインターボが一つのキーワードでした。2000に続き1800を登場させていたターボは、ミラージュIIに1400、コルディア/トレディアに1600版が設定され、200cc刻みの構成を成立させています。折角のフルラインターボでしたが、近過ぎて使い分けに苦慮した感はあり。また、爆発的に盛り上がったターボブームもこの頃には峠を過ぎ、下り坂の局面に入っていました。その点、もう1年早ければまた違う結果だったかも、とは。
後年にはフルライン4WDやフルラインGDIがあり、同じ頃にはフルラインバンパーガードという揶揄もされた三菱。その端緒がフルラインターボですね。



〇マツダ


9月1日 コスモ(フルモデルチェンジ)
10月16日 ルーチェ(フルモデルチェンジ)

元々先代のコスモは、北米からの要望を背景に、2代目ルーチェをベースとした2ドアクーペという成り立ちでした。117クーペ程度しかなかったラグジュアリークーペへの参入。排ガス規制に伴い牙を抜かれた車が相次ぐ中、燃費を代償としたパワフルな走りもこのカテゴリでは例外的に受け入れられ、困窮を極めていたマツダが立て直すきっかけとなりました。

その後、コスモにはノッチバック&ランドゥトップに仕立てたLが追加され、ロングライフモデルとなる一方、ルーチェは追加車種としてのレガート名をサブネームとした過渡期を経て、正式に3代目となります。

結果的に2世代のシャシーが併存していた形であり、このクラスのラインナップの整理は課題の一つとなっていました。

この両車、2ヶ月弱の間に何故か五月雨式の登場であり、9月1日時点では2ドアのレシプロ版のみ登場。10月1日にレシプロのみのコスモ4ドアHTが追加された後、10月16日にコスモにもロータリーとサルーンが追加され、両車が出揃う形となっています。

それまでは全く別の車種として認知されていた両車を、マツダ店向けのルーチェ、マツダオート店向けのコスモという形で統合したのは明らかに失策であり、販売台数が伸び悩む理由ともなりました。
それまでの経緯からすると、コスモの2・4ドアHTとルーチェサルーンまではいいものの、コスモサルーンは蛇足だった感が拭えず。またルーチェにはもっとサルーンに近い別の4ドアHTが投入されていれば、結果は変わっていただろうと思わされたりします。

遅れて投入されたロータリーも、燃費を重視して、それまでの13Bに変わり12Aの設定。ターボブームでハイパワーに慣らされた市場では歓迎されなかった変更であり、これも後に追加される12Aターボや13Bが当初から設定されていれば、とは。


前年に投入されたファミリアが想定をも超える大成功を収めたマツダは、この両車でさらに波に乗ってと考えていたであろうことは容易に推測できます。期待に反する結果と書きつつも、マツダも想定していなかったであろうロングライフ商品となった点は書き添えたいところです。
この型のサルーンは、カスタムキャブと名前を変えて20年近くも売られ続けているのですから。



〇ホンダ


9月22日 アコード(フルモデルチェンジ)/ビガー(新発表)

コロナやブルーバートは少し異なる購買層の確保に成功したアコードもライバル車のFF化による競争の激化が予想される中、どう進化するのか興味を持たれた一台でした。

2代目は初代の熟成路線であり、ベルノ店の最上級車として兄弟車のビガーを加えての登場。ビガーが1800のみとされたのは、少し下に置かれたクイントへの配慮でしょうね。

国内においては、同級他車が次々FF化する中で、初代程の存在感を発揮できず、どちらかというとあまり目立たない存在となります。一方、北米では初代に続いて大人気となり、初の現地生産車ともなります。規格型の角目4灯を用いたビガーのフロントマスクは、輸出仕様の転用だったりしますね。



10月29日 シティ(新発表)

2代目シビック以降、保守的な新型車が続いたホンダが、久方ぶりに放った革新系ビックリ箱がシティでした。

若手で構成された開発陣が作ったモデルは、初代シビックを連想させる、安いからではなく好きだから選ぶのだと言えるクラスレス感にあふれていました。追い込まれていた状況からの開き直りに映る点も、両車の共通点。

全高1,460mmは今の基準では標準的な数値ですが、当時の小型乗用車としては驚きの高さであり、ステアリングやシート等もパッケージングに合わせる形で新たに起こされています。ミラの後追い的に書かれたこともありますが、その点は大きな違いであり。

市場人気は沸騰し、当時としては例外的な値引き殆ど無でも飛ぶように売れていきますが、反面一時的なブームとなってしまったのは想定外だったのかもしれません。この後ターボが登場すると、人気はそちらに移行した後、急速にしぼんでしまうことになります。

ここで構築されたパッケージングは、シビックシャトルでも活用されますが、当のシティは2代目で真逆のクラウチングスタイルに大変身。細く長く売るが理想的だったと思いますし、それが可能だった意欲作だったと思うのですけれども。


シティの爆発的ヒットが明らかなターニングポイントとなったホンダは、この後、2代目プレリュード、3代目シビックとヒット作を連発し、80年代の躍進に繋げていきます。



〇スバル

8月20日 レックス(フルモデルチェンジ)

アルト/フロンテが起爆剤となった新世代の軽自動車は、ミラ/クオーレを経て、この年レックス/レックスコンビが登場しています。

スズキに続いてのRRからFFへの転換となりますが、スバル360からの伝統的レイアウトからの変更という観点では、一大転機だったことも間違いなく。最後までRRを続けたサンバーとの決別点という見方もできますね。

ライバル車を研究した上での最新型は性能面での評価は高く、4ナンバーのコンビに設定された上級仕様は、他車にも影響を与えています。女性比率が急上昇していた軽自動車においては、ミラのようにスタイリングが人気を牽引するとはならなかった点が惜しまれ、その辺り、当時のスバルらしい一台と言えるかもしれません。



〇いすゞ

5月13日 ピアッツア(新発表)

10年以上も生産が続き、後継車の登場が急務だったのが117クーペ。
後継車は、1979年のモーターショーに「アッソ・ディ・フィオーリ」名で参考出品された後、市販版が新たな名称「ピアッツア」と名付けられ市場投入されています。

近年の研究において「アッソ・ディ・フィオーリ」と「ピアッツア」の関係は先行開発と市販版の関係ではなく、全く別物として時期をずらしつつの開発だったことが推測されていたりもしますね。

いすゞ期待の一作でしたが、販売はもちろん、人気も前評判程には盛り上がらずの結果となりました。

一つには、ベースとなったジェミニが既に末期状態で登場せざるを得なかったこと、もう一つには、117クーペの時代にはライバル車として思い浮かぶのは、2代目コスモぐらいで強いて言えばセリカXXが挙げられるくらいだった上級のラグジュアリークーペ市場に、レパードやソアラが参入したことが挙げられるかと思います。レパードやソアラと重なるピアッツアの価格設定は、スペックで比較となった時に不利であることが明白でした。他車には脇目も振らず、一目惚れでの購入以外は成立しにくい車種だったとも言えます。

この時期にはアスカの開発も隣で進行していた時期となりますが、ピアッツアのタイミングとは合わず、アスカはFFということもあって、ジェミニベースは当初からの方針でもあったのでしょうね。

今視点だと明らかな先進性が見て取れるデザインも、当時は識者が高く評価したくらいで一般的な人気とはならずでした。直線的なデザインの車が人気を集める中で、理解され辛い存在だったのだろうとは。

この数年後に、ピアッツアからの影響が感じられる3ドアクーペがいくつか登場。
登場から年月を経るほど、内外装の仕立てが再評価された感はあります。デザインだけで買う価値あり、という認識も後年の方が成立し易くなった気も。



〇ダイハツ

10月8日 シャルマン(フルモデルチェンジ)

モデルチェンジ時期が重なっていたカリーナとの新たな兄弟関係の構築、あるいは冗談半分で今度はカローラ30ベースと揶揄されたのがシャルマンの新型車。順当に(?)カローラの70系ベースで登場しています。

登場の背景に20と30の併存があり、各所に20の面影を残していた初代に対して、ほぼ70の印象を消した内外装を纏えたのは、デルタワイド(&タウンエース)、シャレード、ミラ/クオーレとヒットモデルを続けられていたのが大きな理由でしょうね。決して多くの台数とは言えないものの、廃止の選択を躊躇うくらいの事情も存在していたのでしょう。

このモデル自体は、当初クラスを超えた豪華仕様アルティアが話題となったものの、その後は埋没した感は否めません。70関連だと、後にカローラバンの生産を受託するようになるダイハツ。FRで残った利点を走りや廉価に生かせれば、また別の展開も可能だったかもとは思います。シャレードやミラがライバル車と争いつつで売れていましたから、シャルマンまで手が回らなかったと想像はできますね。
(シャルマンの思い出話はこちら


この時期の日本車の動きとしては、殆どの社の利益の源泉だった北米輸出が、現地メーカーや雇用への圧迫という理由で台数制限が導入され、大きな転機を迎えていました。ホンダを皮切りに現地生産の検討を始める一方、排ガス対策も一段落して、まだまだ成長していた国内市場に活路を見出すようになります。

この年に登場した新型車達は何れも、国内市場を戦い抜くために必要とされた駒だった訳です。兄弟車が数多く登場しているのも、各販売チャンネルに供給するためであり、総力戦の火蓋が切って落とされたという見方でいいかと思います。


この年度に登場した新型車達へ、あまり取り上げられない視点を意識しつつで書き加えた我流の解説。結構厳しい書き方をしているかもですけれど、後年に登場したモデルよりは明らかに国内市場を意識した成り立ちを愛おしく思いつつで書いていたりします。何より個人的には前回で取り上げた車たちよりも明らかに書きやすくもありまして。

私と同世代以上にとっては懐かしく、以下では情報と想像だけで知る年代かと思います。当時への橋渡しの一助として、ご笑覧いただけるとありがたく存じます。



【画像の出展】
FavCars.com
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Posted at 2022/01/16 20:27:08

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この記事へのコメント

2022年1月16日 21:29
こんばんは。

私が1歳の時に登場したクルマですが、それからしばらくの間売られ、何年かは路上に存在するわけで、一部は見覚えのあるクルマたちです。

というのも、トヨタの各車と、サニー、スカイライン、シティー、レックス辺りはよく覚えているものの、三菱やマツダ、ダイハツ、いすゞの出したクルマや、スタンザの兄弟は記憶がないのです。

スタンザの兄弟は、どうしてでしょう、ブルーバードやコロナ・カリーナよりも下のクラスに見えてしまいます。クルマのデザインの難しいところで、スラントノーズでそう見えるのか、グリルの天地方向が大きいのでワイド感が出ないのか。マイナーチェンジでそのあたりを修正したので、日産としてもまずかったとの認識だったんでしょうね。

FF化でノーズを短くしキャビンを大きくとるのは、パッケージの面では正論ですから自動車評論家の評価も上々なのですが、見栄えの面では厳しいわけで。日産のスタンザ兄弟の開発者は、真面目にいいクルマを作ったのに売れず、さぞ悔しかったろうと思います。

トヨタは、FF第1世代はFRと併売で選択肢を用意し、FF第2世代以降はカムリ、ビスタをはじめ、カローラもコロナも広さよりも低くワイドな見栄え優先路線で成功し上手だったと思いますが、その後、20世紀の終わりになるとFFのパッケージング改革をトヨタが先行して進め成功するわけで、先を読んでのクルマの開発の難しさを感じさせられるところです。
それにしても、スタンザのデザイン。改めて写真を見て、もうちょっと日本的というか、保守的にしていたら・・・と思うと、もったいないです。
コメントへの返答
2022年1月16日 22:14
こんばんは

この年代だと、80年代後半に淘汰が始まり、バブル景気の中で多くが消えていったとなるかと思います。

覚えているで挙げられているのは、販売台数が多かった車達であり、逆は販売台数が伸びなかった車達となりますね。

日産はレパードから、スラントノーズとフロントの絞り込みを見せるようになりました。小さく見える造形ですが、空気抵抗の低減が見込まれるということで実利を選択しています。この兄弟は、さらにFF故のノーズの短さやキャビンの大きさが加わることで、下のクラスに映るのだろうと思います。
当時、小さく見えるは気にされていた点で、開発陣は気にしつつの挑戦、評論家は高く評価となりましたが、市場評価には繋がらずでした。
マイナーチェンジでのフロントマスク一新は、市場評価の反映もありますが、末期まで売れ続けた910ブルーバードの影響が大と認識します。U11もスタイリングは大きく変えずでしたから、日産のデザインとして統一感は出せた形でしたが。
以前にT12を取り上げた時に、T11の結果を反映が語られていたりもしますね。

トヨタも、カムリ/ビスタ、カローラ/スプリンターとFF第1世代はスタイリングで苦戦した感が否めず、カリーナED以降はワイド&ローに軸足を移しています。170コロナではハイデッキを取り入れている等、一見同じに感じさせつつも新たな取組みは行われていたりしますね。
20世紀末もビスタでパッケージング改革を再び問うも、やはり市場評価は今一つであり、120カローラでは開発の終盤で車高を低くする修正が行われています。

3代目シルビア以降、日産のデザインは高評価が続いていて、自信はあったのだろうと推測します。原案はオースターらしく、スタンザは和風高級感を加飾したようです。この2年後の登場なら、もっと受け入れられていた可能性は高いと思え、早過ぎたのかなというのは私感です。
2022年1月17日 14:59
 昨日は仕入れたJZS131に乗っていました。ワンオーナー、黒、走行47000キロの上物です。それに乗っていて感じたのは、ピラーが細くてグラスエリアが広くて解放感があって新鮮でした。今回のお題の車両を含め同様だと思います。そのお題の中でも自分の中での白眉はシティです。パッケージ、車のキャラとスタイリングの関連度
、そしてCMのインパクト。

シティに限らず安全基準の関係で現代ではちょっと成立が難しいスタイリングの車ばかりですね。

コメントへの返答
2022年1月17日 19:54
130がクラウンワールドの極みと確信しますし、JZS131or133がその中でもベストと思います。上物なら、現在車では得られない世界観が満喫できること請け合い。ピラーの細さは開放感に繋がりますよね。

シティは、フィアット500的なオマージュが可能なパッケージ&デザインと感じます。もっとも再現したとしても当時の650kgでは成立せず、800kgで成立できるかくらいでしょうか。安全性の大幅向上と引き換えに失ったものも確実に存在しますね。
2022年1月17日 16:53
どの車も知り合いの誰かが乗っていたりして物凄く懐かしいです。。

この時代ぐらいからデジタルメーターや各種装備の電子電動化が進んできていてギミック好きの私は装備の仕組みや効果をよく調べたりしていました。現代とは違ってその先進装備や豪華装備は最上級グレードしか付いていないのが当たり前で街中で目にする多くのグレードは中間普及グレード。偶に見る上級グレードに憧れ、それが優越な時代でもあり、グレード名もデカデカと誇示されていましたよね。70カローラとかフロントグリルの真ん中にSEやGLとか付いているのが今思えば凄いなと笑
最後のFR、カリーナ、コロナもSEやEXサルーンでも十分な装備は付いていましたがエクストラEDやADはやはり特別で印象深いです。仲のいい裕福な友人のお母さま達それぞれ専用車に両車が存在していた影響が多いにあるか思います。羨ましかった。
オースターJXは小学校の担任が乗っていてたまに乗せてもらいましてCSという低グレードでしたが車内も広くMT車でとても軽快に走っていたのを憶えています。その後は新車の2代目シャレード後期ディーゼルターボに乗り換えて私にターボだぞと自慢してました笑
2代目アコード、初代ビガー。2代目アコードは私にとってもあの日までは気にもしない凄く地味な存在でした。中学の担任が前期のEX-Rに乗っていて部活の試合会場に乗せてもらった時にクルコンにエレクトロニックナビゲータ、車高調整オートサスまで付いていてこんなに地味なのにギミック満載で一気に興味が沸きました。シートも運転席と助手席で形状が違うなど意欲作だったなと。セミオートマのホンダマチックから通常の4ATに変わるなどホンダも変化の時でしたね。
ピアッツァもデジタルメーターオタクしては絶対に外せない魅惑のコクピットでした。いすゞはトラックの技術を乗用車に生かしたり逆にトラックに応用するために乗用車で試したり。NAVi5はまさにそうですよね、信号スタートからNAVi5のアスカの走行音を耳を澄まして聞いたものです笑 
バイオレットリベルタは悲運。最初からブルーバード店に設定しなくても良かったのではとも思いますが。メーカーもほんとクラス間の隙間を埋めようと新しい車種を追加するか既存車種を豪華に仕立て上げるか。それによってあの当時は不運にも売れなかったけど今に思えば印象深い車種も生まれたわけで、車好きとしては友人と評論し甲斐のあるいい時代でした。
思い出しては書いているのでごちゃごちゃになってしまいましたが、どの車を取り上げても色々と思い出してきて書ききれないですね。
コメントへの返答
2022年1月17日 20:41
1年間で抽出すると、人気車も含まれてきて、ご近所あるいは誰かが乗っていたとなりますよね。

エレクトロニクスの導入は日本車が早くて、外国車と争う際の武器となっていたように思います。商品力の向上にも繋がる装備であり、単なる思い付きやアクセサリーの類も多かったりはしますね。
国内だと車の普及も進んで、差別化が重要な局面に入っていたのでしょうね。グレード名だけでなく、TWINCAM、16VALVE、TEMS、ESC等のデカールもこの年代の特徴と言えるかと思います。
コロナとカリーナは1500が多く売れていましたが、1800の最上級グレードは2000からの代替でも見劣りせぬよう、豪華仕様としていたようです。

T11は、スタンザFXに叔父が乗っていて、やはり室内が広いと感じました。軽量ボディで最上級グレードでも1t以下だったりしますね。

2代目アコード、装備の充実と室内の豪華さは初代から大きく進歩した点と感じます。当時のホンダの最上級でしたから、お試し的な装備が盛り込まれたりもして。EX-RのATを父が借りてきて出足がとても悪いと言うので現車を見たら、初期型のホンダマチックだったという思い出があります。後期は3バルブにALBと進化の過程にある車でもありました。

ピアッツアのカタログには、デジタルメーターとサテライトスイッチの説明頁があり、感心しつつで見入ったものです。あの操作系、デザイン以外の理由はない気もしますけれど(笑)。NAVi5は、MTとATのいいとこ取りをした5速という想像でしたが、実物は理想通りにいかない実例でもありました。当時の技術では早過ぎたとなるのでしょうね。

バイオレットはA10の時点で唯一1400と1600の構成でしたから、やはりリベルタビラに繋げるが自然だったでしょうね。リベルタなら、むしろモーター店の方が上手く売っただろうとも思います。リベルタに限らず、日産は車種の配置で損をしていると感じたものが散見されたりしますね。

メジャー車がある一方、マイナー車も多く生まれた年代なんですよね。探求のし甲斐がありますし、後年の効率第一とは異なる作られ方が興味深くも感じます。同世代だと夜通しで語れる年代かもしれませんね。
2022年1月18日 14:35
こんにちは。

1981年と言えば、70カローラセダンの前期を購入した年です。
やっとの思いで購入したカローラですが、新型車が矢継ぎ早に出た事で、あっという間に古く見えました。
特にヘッドライトのデザインが、丸型角型異型と変わって、この先のデザインはどうなるのか気になったものです。

この中では、ピアッツァを見た時は衝撃でした。
今まで見たことのないデザインで、今でも名作だと思います。

ランサーフィオーレですが、ミラージュセダンととらえてました。
1982年のある日、初代ランサーの後期から新車でミラージュを購入したのを思い出しました。
今まで乗っていた初代ランサーは、ボディの艶がなくなって凹みがあった事で、ポンコツ車と呼んでました。
5年か6年で、ここまで劣化するのかと思ってましたが、他の車でもボロく見えた車がありました。

この当時の広告に、カーエレやデジタルが登場して、訳がわからないまま知ったかしてました。
今の時代からすると、かなりシンプルな感じですが、2000年になると自動運転が当たり前になると思いながらも、2010年にはガソリンが枯渇すると思ってました。

蓋を開けてみると、これらの予測は全部外れてましたが、車を取り巻く環境は変化していて、常に目が離せません。
コメントへの返答
2022年1月18日 20:15
こんばんは

70カローラは、当初シリーズ中唯一の丸目4灯で登場しましたが、この年のマイナーチェンジで異型の角目へと変わっていますね。定番の内外装以外にもメカニズム等、結構変更箇所は多くて、FFへと変わりゆくライバル車を迎撃するためだったのだろうと思います。

私はどちらかというとピアッツアよりアッソの方が衝撃的でした。初見の印象は正しくショーモデルであり、これを市販化できるのかと思ったものです。

ランサーはEXも継続販売されていましたから、フィオーレはミラージュセダンの三菱店版という理解でした。70年代だと防錆対策が不十分かつ電解腐食等の欠点を抱える車種も多くて、ランサーに限らず劣化は早かったですね。平均寿命もまだ8年程度だった頃です。

ご指摘の通り、この頃からデジタル化やCPUによる制御が始まっています。統合制御以前であり、CPUをシート下やグローブボックス奥に抱えていました。エレクトロニクスで車がどんどん便利になると言われてもいました。一方、省エネが当時の世相であり、将来的なガソリンの枯渇に話が繋がっていたように記憶します。

当時の未来予測にはかなり悲観的なものがありましたが、現実は大きく悪い方には進まなかったと感じています。変化はこの先も続くのでしょうが、車が使い辛くならないことを祈るばかりです。
2022年1月19日 17:22
セダンに限っての話ではありますが、ちょうど昭和56年度はFR最終とFF化最初期とがクロスした年度と認識してましたが、改めて見るとFR最終はカリーナコロナとシャルマンだけなんですね。
このカリーナ/コロナはFR最終に相応しくFRのプロポーションはそのままで四角くアップデートされた、私好みの世代なんです。
しかし謎なのは既にモデル中盤でFF追加が決定事項だった中で敢えてFRを出したのか?
繋ぎにしては投資が大きすぎるかと。
トヨタ内での政治的抗争も連想してしまいます。
80カローラとレビンの関係ならよくわかるのですがね。

またFFなのにアコードやサニー、レックスが旧態なスタイルに写るのは興味深いですね。
逆にコスモ/ルーチェが現在の目でも斬新とは言え、纏まったスタイルとは言えないかな?と思えるのも面白いですね。
FFはビッグキャビン・ロングWB、FRはロングノーズでショートデッキとわかりやすいのもこの頃の特徴でしょうか。
お陰でスタンザ兄弟も、同時期のブル/スカイライン/レパードなどのFRセダンと比べると何とも鈍重に写ります。
商品は理屈だけでは無く、好みも大事と言う好例ですね。
コメントへの返答
2022年1月19日 18:56
国内各社は、GMのJカーに対抗できる車の開発を急いでいた時期であり、FR4気筒で出せたのは70カローラベースのシャルマンと、多くの保有母体を持つカリーナ/コロナくらいだったとも言えそうです。
FR最終の両車は、910ブルーバードが念頭にあったことは間違いなく、カッコよさは相当重視していたのではないかと。それまで別シャシーだったコロナを統合し、フロアパンは恐らく先代からの改良版ということからすると、将来のFF化を見据えた形跡ありと見受けています。カムリ/ビスタが存在する中、コロナ/カリーナ用にFFの別シャシーを起こすかは賛否が分かれたようで、セリカのFF化も含めての整理で承認だったと記憶しています。

バンパーが鉄→ウレタン→ボディ一体となる過渡期で、見た目に影響している感はありますね。サニーに関しては、従前のユーザーに敬遠されないようFFを意識させないがテーマにあったことも理由の一つかもしれません。
コスモ/ルーチェは、ハードトップ系が斬新に走り過ぎかなと。マイナーチェンジでやや戻されていて、エンジン構成も含めて最初からこの型でやれなかったのかなと思わされたりします。

T11の3兄弟、旧型があまり人気が出なかったこともあり、理詰めの提案型で進めたと推測しています。A10が人気車だったらイメージを残すとなっていたと思いますし。
カムリ/ビスタも似た部分がありますが、第一世代のFFは室内の広さがFRとの差別化も出せて最優先とされたと感じます。ご指摘の通り製品と商品の違いで、主張に賛同された方は高く評価しても、多くの支持は集まらなかった、そんな事例と思います。
2022年1月22日 0:29
20年前の20年前=40年前
∴冷や汗

今年、数えで前厄に当たる私は、「うっかり時の流れは…」的なことを言いそうになります。

FR円熟期とFF普及期がこの辺りですね。私が幼少期によく街で見かけました。どれも「深く考えずに右肩上がり」が打ち砕かれて一時的に混乱した70年的な流れから脱却した様にも見えます。(FR系ノンプレミアムカーも完成度が上がったように私には見えます)

FFもFRも意欲的と言うのは、FRが好きな人には羨ましい時代だったのでは無いかと思います。2022年の現代の状況もハイブリッドとガソリンエンジンで選べる喜び、とか解釈される時代が来るかも知れませんけれど。

バイオレットの致命的ミス、という部分。確かに1年で廃止というのは普通は考えられない対応ですね。(開発費や金型の減価償却を考えれば2-3年は生産して販売しないとペイしないでしょうが輸出需要と兄弟車の存在が大きかったのかも)このあたり、もし悲惨さがわかるお話があれば聞かせて下さい。バイオレットという名車510を引き継いだそれなりに重要なブランドなのによほどだったのでしょうね。

同じく初代カムリ/ビスタも失敗と言われていますが前期と後期で随分手を入れていますね。無責任かも知れませんが、やっぱりトヨタがたまに出す理想主義カーはピュアな前期に惹かれつつも、決して諦めなかった後期型のガッツも応援したくなります。(後期カムリは祖母が乗っていたので非常に思い出のある車です)
コメントへの返答
2022年1月22日 8:00
20年後や40年後の自分の年齢を数えると、さらに冷たい汗が…

私自身、時の早さを改めて認識しますが、それでも無意識で時を重ねるよりはいいかなと。時折振り返るも大事ですね。

長く重くの足かせだった排ガス規制を超えたことが大きくて、性能改善はもちろんようやくその他にも資源を回せるようになってもいます。クルマ本体の魅力を追求できる環境が整ったという言い方かもしれませんね。

FFの良さは認知されつつもFRも残る余地があると考えられていました。大型車やハイパワー対応等、FFがFRの領域を侵食していった歴史からすると、確かにハイブリッドとガソリンが同じ関係にあると言えそうです。BEVとHEVも該当するかは後年を振り返る方の領域。

バイオレットリベルタは、センターをスタンザに譲り、1600に中心を置く等、ブルーバードに最大限配慮したのですが、価格帯が重なってはどうにもならずでした。モデル廃止って、通常は販社から反対の声が上がるのですが、替わりとなるリベルタビラの投入がむしろ歓迎されたくらいで。
元々は上級移行という理由も含めてコロナとマークIIの関係に倣ったのが発端ですが、両車を離しながら並立の量販車に育てたトヨタに対して日産はここで終了。販売力と企画力の差の一つの象徴と映ります。

カムリ/ビスタ、前期もカリーナ/コロナがFRで多くを売る中、充分善戦したと思うのですが、想定以下の台数の理由を高級感の不足に求めていますね。後期は奥様からの反対が減り、売り易くなったと聞きます。ガッツとしては、売れ筋となる中間グレードの仕様変遷も特仕の追加含めて奥が深かったりしますね。
2022年1月22日 21:47
こんばんは。
140コロナのデビューからもうそんなになりますか。
小学校も上級生になり、行動範囲が広がったのとともに、初めて親抜きで発表展示会に行ったり、このカタログ道にずっぽりハマるきっかけになったのが140でした。
東京都下在住でしたが、多摩地区にはトヨタ店が少なく、ママチャリで近所のトヨペットに。建屋の隣の畑にママチャリ置いて、さすがに入るのに逡巡しました(笑)
最初がトヨペットで良かったんでしょうね、アンケートとか取られる事も無く、忙しい中でも大判の本カタログと何かしらのノベルティを手渡して「ゆっくり見ていってくださいね」と無視とか邪険にされることなく、帰るころには「親口説いてこれ買わせよう」と意気揚々と帰った記憶があります。
で、その数か月後、とにかくクレスタのカタログが欲しくて、近所にディーラーは無いし・・・なんて思っていたら、親父の会社のはす向かいがトヨタ自販本社なのを思い出し、京王線~都営新宿線直通になったので、一本で学校の帰りに寄れる!と土曜日の半ドンの日に九段下まで。
当時、親に買ってもらったお気に入りの洋書を持ってソロリソロリとショウルームに入ると、土曜の午後ですからガラ~ンとしていて、それでもトヨタ・プリティのお姉さまが「いらっしゃいませ~」
本とランドセルをソファに置いて、もうパラダイスに放り込まれたかのように5台の展示車見て回り、落ち着いたところでカタログを。
クレスタはもちろん、まだ40だったランクル、コースターなどのカタログもらっていると、フロアマネージャーらしき男性がワタシの持ってきていた洋書に目が留まり、「これ、君の本?」
その本、戦後アメリカに輸入された乗用車の広告切り抜きの合本集で、輸出仕様車の写真がドッサリ。
「せっかくここに来てくれたんだから、これを持って帰ってよ」とその男性に案内されて入れていただいたのがカタログ倉庫。
「この棚が輸出用、こっちがタクシーや教習車なんかの変わり型、なんでも持っていていいですよ」といの一番に手に取ったのが今回写真でも使われているオレンジメタの140が表紙のカタログ。
「コロナはこの間変わったばかりだよ」なんて話をしながら、結局手提げの大袋2つ分のカタログを分けてもらいました。
小学校高学年の多感な頃に、これだけ親切にされりゃどうしてもトヨタびいきにはなりますわな(苦笑)
結局のところ、家のクルマはコロナではなくビスタになり、自分初の自家用車も140でなく150になるわけですが、いまでもオークション検索で「コロナ」はパワーワードです。
コメントへの返答
2022年1月23日 11:17
こんにちは

当時の素敵な思い出話をありがとうございます。コメントに留めておくのが勿体ないと感じつつで拝読しました。回想を基調としながらも、当時を体験しているからこそ解るキーワードも数多く散見され、同調連鎖的に私自身が思い出したこともあったりします。

910に土俵際まで追い込まれたコロナの起死回生のモデルチェンジ。4年を経ずという前倒しを想像させる登場もあって、今でも割と鮮明な記憶だったりします。
そう、当時の東京地区はコロナとカリーナをトヨタ店とトヨペット店で併売していました。140は父が2代目マークIIから3代目マークIIに代替する少し前の登場で、中古車店舗にはまだ本カタログは置いてありませんでした。後日無事契約となり、長く懇意にしていたセールス氏と飲みに行った父がお土産代わりに持ち帰ったことを知らされたのは翌朝(笑)。登校前の限られた時間ながらも、当時まだ珍しかった大判カタログ、かつてないくらいムーディーな画像多数に「かっこいいなぁ」と感じつつで見入ったことを思い出します。

ここから数か月後だとマイナーチェンジ&ツインカム24の追加時でしょうか。これ、マークIIは早期に入手できたのですが、チェイサーとクレスタは後年、まだ底値だった時代に入手となりました。ビスタ東京は販売店舗が少なくて、しばらくは東京トヨペットでも扱っていたことを思い出します。トヨペット的には完全に脇役の扱いで棚も分けられていたものです。恐らく商談も同様だったのだろうとは。

私自身が積極的に収集に乗り出すのは80年代後半以降でありまして、早くからの収集に感心すると共に、初期の体験が後押しになっていたのだろうなと感じました。
今は、カタログもネットで見れてしまう時代。店舗に行くや実車に触れられる機会が減ることにも繋がる訳で、便利になった反面、幼少期に自動車に興味を持つ機会も減っているのかな、なんて思ったりします。

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何シテル?   03/16 21:58
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