• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+
イイね!
2023年01月20日

2003年に成人式を迎えたクルマ達

昨年、一昨年と20年前を振り返った次には、さらに20年を遡るを続けてきました。今年もやろうと決めてはいたのですが、企画はたってもブログに超す時間が中々確保できず、苦労させられることしきり。元は成人式ネタですから、あまり時間を開けたくもありませんし。

本業の多忙を縫って、何とか作ってみました。20年前より40年前の方が文章が簡単に浮かんだのに大いに助けられた、という話もあったりします。

〇トヨタ

5月19日 ターセル/コルサ(フルモデルチェンジ)/カローラII(新発表)

試作に近かった初代ターセル/コルサを、3兄弟に広げつつ、ファミリアに対抗できるだけの商品力を持たせたのは、かなり周到な商品企画あってこそかと。周到が過ぎて、特にスタイル面でファミリアの真似と酷評されたのも事実ですけれども。

画像の通り、ターセルは5ドア、コルサは4ドア、カローラIIは3ドアをイメージリーダにしてキャラクターを分けていました。この中では当初カローラIIのみに設定された3ドアが特に好評で、翌年にはターセル/コルサにも追加されることになります。並行してこの時期には割と3兄弟間で異なっていた仕様や設定の相違は徐々に共通化が進み、やがて販売店の違いによる正しくバッジエンジニアリングへと転じていきます。



8月30日 スプリンター・カリブ(新発表)

3兄弟に遅れる事、約3ヶ月。
前年のモーターショーに「RV-5」名で出品された4WDワゴンが、スプリンター・カリブ名で加わることになります。スクープ段階では、カローラIIに準じてスプリンターIIと噂されていました。

FF縦置きのメリットを生かして、70カローラのリヤアクスルを流用しつつで4WDを構成。その成り立ちには、4WDの先駆者レオーネとの比較で、安直なマネという批評がありましたが、特種なジャンルと認識されがちだった4WDを身近にした点は評価すべきと思います。

見所はむしろスタイリングかもしれません。低い車がカッコ良かった時代に、ミドルルーフのワゴンボディのみというのは、個性的なリヤスタイルと相まって意欲的に映ったりします。

※RV-5の画像もありましたので、参考掲載してみます。架装を外せば、かなり市販車に近い装いですから、一年前の時点で相当仕込みは進んでいたのでしょうね。



11月8日 タウンエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)/マスターエース・サーフ(新発表)

ワンボックスワゴンブームの一角を占めていたトヨタは、この年ライトエース以外のワンボックスを一新。タウンエースと新たに追加されたマスターエース・サーフは、従来型あるいはライバル車等のワンボックスから大きく進歩した、フラッシュサーフェス主体のモダンなフォルムに驚かされたものです。このスタイリングは、ライバル車の次世代にも影響を与えたと認識しています。

リヤアクスルが、リジッドながらもバンと共通の板バネからワゴン独自のリンクコイルへと変わったのも、新たな時代を感じさせたものです。バンとワゴンでサスを変えるというのは相当な決断だった筈と推測します。



12月9日 ハイエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)

上に掲載したタウンエース系の翌月に登場。
どうしても比較してしまう訳で、こちらはルーチェレガートを連想させる縦目に驚かされたくらいで、デザインとしては保守的に映ったことを思い出します。
もっとも、特にバンの方はキャラバン/ホーミーと激戦状態でしたし、長らく搭載され続けてきたR型エンジンの世代交代対応等、近代化の視点でも必要なモデルチェンジではあったのでしょうね。

トヨタは、OHV1.8Lの13T、OHC2.0Lの21Rに替わる新世代エンジンとして、縦置きにも横置きにも使えるS型を乗用車に展開していましたが、ワンボックス&商用車系にはOHVのY型を新たに起こしています。敢えてのOHVだった筈で、座席の下にコンパクトに収めたいから、がその理由と読んだ記憶があります。



1月19日 コロナ FF5ドア(車種追加)

当時の扱いは車種追加ということで掲載を迷ったのですが、実質的にはモデルチェンジ同等ということで掲載することにしました。この時期のトヨタ特有の周到な戦略を象徴する一台とも思えますし。

カムリ/ビスタ、カリブと前年に姿を現していた車の市販化が続く中、予想外の姿に驚かされたのが、このFFコロナでした。130型で設定のあったリフトバックは140型になく、後からFFで追加されるという噂はありましたが、誰もがビスタの兄弟車という予想を立てていたのです。

それだけにスタイルはもちろん、シャシーも異なる形での登場にはかなり驚かされたものです。

もちろんこの5ドアだけに留まることはなく、4ドア・ツインカムと順次の移行を
果たして、実質的にはモデルチェンジという位置付けになっていきます。この移行、一見では慎重に映る一方、登場順等、よくよく考えると理路整然としているのが何とも恐ろしいところではあります。

もっとも、この5ドアだけは急遽投入された疑いはありまして、当初の1.8キャブ&3ATは、一年も経たない4ドアの追加時にセントラルインジェクション&4AT化され、1.8EFI・1.5等エンジンバリエーションも大幅に増やされています。
FRコロナは、登場当初こそ910の連勝記録を止めましたが、新たに追加された4ドアハードトップが追い風となった910にしばらくすると逆転され、次第に劣勢になるという状況でしたから、早期投入が求められたのかなとは。


トヨタは、この年の7月、自工と自販が合併していまして、この後の新型車攻勢に大なり小なり影響を与えたと見受けています。カローラ・クラウンといったメインの大物は翌年度に控えつつ、谷間の年を感じさせない展開ですし。

これら新型車以外にも、ツインカム24、ツインカムターボ、ディーゼルターボが投入されて、市場の大きな話題となっています。特にツインカム24は、トヨタの悲願でもあった2.0Lクラスで日産との逆転にも大きく寄与していくことになります。



〇日産


4月27日 パルサー(フルモデルチェンジ)
6月1日 ラングレー(フルモデルチェンジ)
6月15日 リベルタビラ(新発表)

ファミリアに影響されたのは、日産も同様だったと言えるでしょう。
3・4・5ドアを揃えて、3兄弟に配しつつ各車を別の販売系列で売るという戦略もトヨタと軌を一としていました。

今視点で眺めて驚かされるのは、先代の末期でパワートレーンを一新したとはいえ、先代からの踏襲が優先されていて、同クラスであるサニーとの共用が意外なほど少ない点が挙げられます。

日産直系の鶴見とプリンス由来の荻窪という開発拠点の違いがその理由と推測しますが、購買層も含めた外野的視点では何とも理解しにくいとしか。パルサーの発表時点では2ボックスのN12と3ボックスのB11で差異を表すのかなと予想していたら、間もなくこちらにも3ボックスが追加されたのはさらなる驚きでありました。

その3ボックスの兄弟車リベルタビラの登場を機に前年に登場したバイオレットリベルタはラインナップから落とされています。日産店としてはブルーバードに近すぎて売り分けに苦労させられたバイオレットリベルタよりも、当時の売れ筋の一つである1.5セダンに販路を広げられるこちらの方が歓迎されたようです。



8月24日 プレーリー(新発表)

先月取り上げたばかりですので、今回は略とします。



10月22日 マーチ(新発表)

シャレードの好評を受けてか、当初は穴場的存在だった1000cc市場が再び注目されるようになり、その二番手に名乗りを上げたのが日産でした。

発表当時から明らかにシャレードのフォロワーと映っていましたが、日産からしてみれば、サニー、チェリーと長く続けてきた市場でもあり、元祖はこちらと言いたかったのかもしれません。

NX018名でモーターショーに出品後、車名募集で注目を集めるという手法はサニー登場時の再現でもありました。

※NX018の画像もありましたので、張り付けてみます。スプリンター・カリブ以上に市販車に近い装い(というか、内外装色とシート生地等を除けば、ほぼ市販車のままですね)で出品されていました。

軽自動車からの拡大を意識したシャレードは3気筒でしたが、こちらは逆にダウンサイジング層を意識してか4気筒を選択。当初から3速ATが選べるという有利さもありました。

コストの制約が厳しいことが逆に幸いしたのか、てらいやあざとさを感じさせないキャラクター、プレーリーに続いて兄弟車を作ることをせずに日産店・サニー店・チェリー店へ同じモデルを投入する等、好感の持てるモデルでもありました。

さすがに、ここから10年作り続けるとは思いませんでしたけれど。先日ラインナップから落とされるまでの40年間で4代ですから、長寿を宿命づけられていたと言えるかもしれません。


日産も、創業50周年、ブルーバードのFF化、長らく続いたL型6気筒に変わるV6の投入等、話題を匂わせつつで仕込みを進めていた谷間の年にあたるかと思います。

鶴見が仕込みに勤しんでいる間にプレーリー、マーチと荻窪からの新型車が相次いだという見方もできそうです。

国外では折角築いたダットサンブランドをニッサンブランドへ変更するという変革も進んでいました。
変えるを優先した影響からか、既存モデルへのカンフル剤投入等でタイミングを逸し、手隙が生じていた印象は拭えません。その隙を容赦なく突いていたのがトヨタらしいとも。70年代までは逆転があるかもと思わせたトヨタと日産の関係が、その後大きく差が開く元は、この時期が端緒と思えたりします。



〇三菱

5月14日 スタリオン(新発表)

メーカー作のデザインストーリーによると、セレステの後継から発展して三菱のフラグシップスポーツへと転じる経緯だったようです。その過程では当時提携していたクライスラーの関与もあったようで。

GTOの後継となったラムダが、年々スペシャルティ色を強めてラグジュアリーに舵を切っていましたから、GTOの再来となる久方ぶりのスポーツカーに期するものがあったであろうことは想像できます。

私的には、スタリオンは登場がもう一年早かったら、売れ方が違っただろうと思っています。1981年はターボ旋風が巻き起こって、三菱もその恩恵を受けた社の一つでした。その時期に登場していたら、大いに注目され更なる追い風となったであろうことは先ず間違いなく。

そこから僅か1年の間に、リトラクタブルはセリカXX、コスモが先行し、ハイパワーウォーズはツインカム6の170馬力、4バルブDOHCの150馬力とDOHCが巻き返す中では、遅れて登場したことで機を逸した感は否めませんでした。

登場後のスタリオンは、インタークーラーを付けて175馬力、シリウスDASHで200馬力と4G63ターボのパワーアップを順次行い、足回りも熟成を進めていきます。三菱の真面目さの表れと感じますし、北米では国内以上に好評で長く続いた点は付記すべきでしょうね。




2月23日 シャリオ(新発表)

プレーリーに続いたFFのスペースワゴンがシャリオでした。

先日コメントを頂戴した際に、1979年のモーターショー出品から3年間の時間差の謎を解くことができてもいます。(こちらのデザインストーリーへのリンク

ミラージュベースからトレディア/コルディアベースへの変更が生じていたようで。市販モデルの方がショー参考出品時より胴長の印象があったのですが、なるほどと。

ワンボックスとの近似を感じさせるプレーリーに対して、ステーションワゴンとの近似を感じさせるのが興味深かったりします。初代オデッセイに近いとも言えるのですが、こちらは10年以上前の登場ですからね。

スタリオン同様、ターボ、4WDと熟成しつつで商品展開を拡げていきますが、こと国内に限っては広く市場で受け入れられた言い難く。企画も製品も決して悪くなかったことからすると、ワンボックスブームとRVブームの谷間の時期に登場したのが不運だったとしか思えません。



2月25日 パジェロ・ワゴン(新発表)

スタリオン、シャリオは共に意欲作。でも何よりのエポックは、このパジェロワゴンであったと思います。

SUVという言葉が一般化するずっと前、このカテゴリから5ナンバーが登場したことが驚きなら、ディーゼルターボだけではなくガソリンターボも選べたのは何よりの驚きでもありました。

オンロードを意識したクロカンというコンセプトをさらに乗用車寄りに進めた形ですが、クロカンの歴史を変える、新たなそして偉大な一歩だったと言えます。

新しい息吹を感じ取られた方は、当初こそ少ないながらも確実に存在していました。父が長らくお世話になり、私もお世話になったことのある整備工場の社長さん、2代目の登場早々に購入した280Zから、やはり発売直後にこちらへ代替されていまして。方向性は異なりながらも、スポーツカー同様、一般的な乗用車に飽き足らない層に新鮮なモーターリングを提供したことは間違いなく。


車種追加のため掲載は見送りましたが、この時期にはデリカに4WDも追加されています。こちらは今も続くとなるわけで、大量販売とまではなりませんでしたが、偉大な財産を残したのかなとは。



〇マツダ

9月22日 カペラ(フルモデルチェンジ)

ファミリアが見せた逆境からの大逆転劇、夢を再びということで内外からの期待を集めたのがカペラでした。

このクラスとしては早めのFF化であり、製品の出来としても上々。間違いだらけ・・・を始め、専門家筋の評価も高く、カー・オブ・ザ・イヤーも獲得していますが、国内の販売は期待されたほどには伸びず。むしろ国外の方が好評だった感があります。

当初は4ドアセダンをイメージキャラクターにしますが、赤のボディカラーがファミリアXGを意識していたとしたら、その上級移行には5ドアを当初から据えるべきだったのかもしれません。5ドアは、マイナーチェンジで追加となりますが、他車のFF移行が一通り終わった時期にはインパクトが弱く。

あと、このカペラで何より一番強く印象として残るのは、アラン・ドロンを起用してのCMでしょうね。




10月4日 フォード・レーザー/テルスター(新発表)

マツダの歴史視点としては、オートラマも外すことはできません。
カープラザ店、ベルノ店、ビスタ店等、他社の先行導入事例を踏まえての新系列展開は、他事業からのディーラー加盟も多く、後の5チャンネルにも繋がることとなります。

投入された商品は、フォード名を掲げているものの実質的にはマツダのファミリアとカペラの兄弟車で構成。
もっとも、レーザーはファミリアに先行しての1.5インジェクション、テルスターはカペラに先行しての5ドアと実験要素も含まれていました。



〇ホンダ

11月25日 プレリュード(フルモデルチェンジ)

この年一番のエポックがパジェロワゴンとすれば、商流での一番の成功はこのプレリュードではないでしょうか。

先代の不人気とは一転しての人気急上昇は、初期の販売台数の少なさも相まって、しばらくの間中古車価格が全く落ちないという現象へと繋がっていきました。

パーソナルカーとスポーツカーを混同してハイパワー戦争に明け暮れていた他社からは離れて、パーソナルカー、デートカーの要素を追求したのが成功の要因だったと思います。MTよりAT、フル装備でスマートに、というのは同じ頃巻き起こったハイソカーと重なる部分でもありました。

コスモ、ラムダ、シルビアとこの種で一定の成功を収めていたのに上手く繋げられなかった他社からすれば、かなり悔しくあったでしょうね。

2.0Siが追加されるまでは1.8一本のみだったのもむしろ成功したと認識します。買う際に迷わず、買ってからもプライドが持てるとなるわけで。
初代カリーナEDを作る際、グレード設定の参考となったことが語られていたりします。

92レビン/トレノ、S13シルビア共に2代目プレリュードがあってこその企画と映りますが、いかがでしょうか。


ホンダのこの年で思い出すのは、国内だとシティターボ、国外だとアコードの現地生産になります。前者はシティの人気に拍車をかけた存在、後者は北米でのホンダ人気を不動のものにすることに貢献しました。
共にホンダの80年代の躍進に一役担ったと言えそうです。



〇いすゞ

3月10日 フローリアン・アスカ(新発表)

ディーゼルというカンフル剤で何とか長寿に繋げられたフローリアンに変わっていすゞが投入したのがアスカでした。

当時一番のボリュームゾーンに投入する新型車ですから、相当期するものがあったのは間違いなく。

想定外は、ボリュームゾーンだからこそ他社も力作を連発していて、アスカの段ではインパクトに欠けたことでしょうか。ベースとなったJカーは、数年前から噂が立っていて、危機感を持った各メーカーは対抗馬の開発を急ぎました。その成果がFF化された各小型車達だったわけです。

市場投入がもう少し早ければ、歴史が変っていたかもと思わされるのが、このアスカであり、もう少し後で登場するサンタナですね。



〇ダイハツ

11月17日 デルタワイド・ワゴン(フルモデルチェンジ)

本家はこちらとも言えそうですが、タウンエースの項で取り上げているため、略とします。



1月20日 シャレード(フルモデルチェンジ)
画像は後に追加されたガソリンターボ

排ガス規制と上級移行が相まって空白となっていたのが、1000ccクラス。
そこに3気筒を積んで登場したシャレードは、第2次オイルショックで省エネが重要視された時代の流れにも乗って、先行者利益を充分享受することができました。トヨタの下請け的存在に成りかねなかったダイハツを救った救世主でもあったと思います。

一台当たりの利益は少ないながらも一定数の需要が見込める市場を他社が見過ごす筈はなく、受けて立つ立場となった2代目でもありました。

3ドアの4グレードのみに絞って登場したマーチに対して、こちらは3ドア・5ドア、ガソリンにディーゼル、少し間をおいての両ターボと、正しく全力投球の様相を感じさせもしました。デ・トマソ、926もこの2代目で登場していますし。

見どころは多々ありましたが、究極はやはり空前絶後のリッターディーゼルに尽きるでしょうね。経済車の究極という書き方でも間違いはないと思います。
上級移行へのアンチテーゼだったシャレードが自身もその誘惑に陥り、上手く残せなかったのが何とも惜しまれます。



〇スズキ

6月9日 セルボ(フルモデルチェンジ)

スズキはカルタスが登場するまでの前夜ということで、この時期は軽自動車の専業メーカーでした。

フロンテクーペはライバル他社がスポーツ&スペシャルティからの撤退が相次ぐ中、唯一新規格に適合させた上で初代セルボへと転じましたが、ベースとなるフロンテがRRからFFへ移行したことに伴い宙に浮いた形となっていました。

それなら、FFベースで新型クーペを作ろうとなったのだろうと推測しています。
スポーツカーへの社会的認知が低く、軽自動車への規制も今よりはるかに厳しかったという時代背景からすると、先代以上にスタイル優先のスペシャルティとなったことも仕方ないと思えます。

翌年にはターボが追加されてスポーティ色を強めますが、キャラクターとしては逆に不鮮明になった気もします。

このボディからマイティボーイが生まれた点は特筆すべきでしょう。クーペとトラック、全く異なるジャンルの垣根を超えたのはスズキならではのアイデアと思いますし。


ここからは全体俯瞰へと移ります。
この年を一言で纏めるなら、好調の波に乗るトヨタ、ホンダとその影響を受ける日産、三菱の構図でしょうか。

北米輸出の台数制限もあって、国内市場の確保に各社総力戦の様相となっていたのは間違いなく、出てくるモデルも新時代の到来を思わせるモデルが続いていました。その背景には、FRからFFへの移行という一大転機が絡んでもいて。

こうして並べて見ると、売れる or 売れないを分けたのは、紙一重の違いだったとも思います。企画から製品化に至るまで多くの分岐があり、一つの間違えが想定以上の差となって現れていたのではないかなとも。性能以外の各面からも評価が入るクルマという製品の怖さですね。

そして中には新たな一歩を刻んだもの、時代を創ったものがいたりもします。
40年前ともなると、当時を覚えている方も少なくなってくるのかなと思います。我流の解説付きとなりますが、当時を懐かしんでもらえるとありがたく存じます。



【画像の出展】
・ターセル/コルサ/カローラII、シャリオ、アスカ、シャレード、セルボ:自動車ガイドブック
・ハイエース:トヨタ75年史サイト
・その他:FavCars.com
ブログ一覧 | 徒然昔話 | クルマ
Posted at 2023/01/20 18:37:07

イイね!0件



今、あなたにおすすめ

ブログ人気記事

ドライブの無い休日 余韻の休日
hiroMさん

✨👜お買いもの👜✨
Mayu-Boxさん

セルシオ
avot-kunさん

ドローン初体験
Zono Motonaさん

近場でのエボオフとランチビュッフェ
もけけxさん

平原の滝ドライブ&BGM
kurajiさん

この記事へのコメント

2023年1月20日 23:05
2代目ターセルまで縦置きFFだったんですね。初代カリブが縦置き4WDと今知って調べました。
北海道では初代長く乗られてました。歯車の向きを変えるロスは有りますがハンドル切れ角大きく取れて小回り効いた。横置きでもドライブシャフトの進化で切れ角大きく取れるようになったけど。ユーザーに愛用された隠れた理由かと思います。
初代マーチ。荻窪の旧プリンスと鶴見の日産との比較すると面白いかも。サニー3ドアハッチバックとかと。
コメントへの返答
2023年1月20日 23:28
一番最初のトヨタFFでしたが、結局縦置きは初代と2代目のみで終わっていますね。
縦置きだとボンネット高が下げられない反面、切れ角は大きく取れそうです。初代はロングホイールベースの分、このクラスとしては大き目の数値ですけれど、FRのカリーナ並みではありますね。
荻窪と鶴見を比較するアイデア、確かに面白そうです。サニーとパルサーは、ブルーバードとスカイラインの代理戦争の感もありますね。
2023年1月20日 23:06
こんにゃんば

1982年1月に成人式したカロンにゃwww
当時はその年に二十歳になる人を祝う自治体と満年齢で二十歳になった人を祝う自治体で分かれていたにゃ。

今はどっち基準なんだろう?

そー言えばどれも二十歳の頃に出た新車にゃ♪
マーチについては1000cc元祖アピールだけで出した車と言ってイイにゃ
だから初代サニー1000と同様に一般公募でマーチと命名されたのにゃwww
オイラも名付け親の一人だったけど、命名記念品1000名様の抽選には漏れてしまったにゃ。

何だかとっても懐かしい!
その頃産まれた赤ん坊は今や40のオッサンオバハン♪
光陰矢の如しにゃwww
コメントへの返答
2023年1月21日 0:21
こんばんは

成人式からご年齢を逆算してしまいました。。。
成人式はこれまで満年齢ばかりと思っていたのですが、これからなる人を祝う自治体もあったのですね。

今は18歳への引き下げにコロナ禍での中止の救済も加わって、さらに祝い方が分かれているようです。

車名の一般公募と言い、マーチは初代サニーとどうしても重なりますね。さすがに販売系列を新たに起こすとはなりませんでしたが。
車名公募、父が応募していて、発表を見ていたのも覚えています。途中発表ではポニーとフレンドが人気の1・2でサニーの時も同じだったかと思います。マーチは100位台からの選抜だったような。

個人的には、記憶に割と残る年ですが、もう40年経過ですからね。40年後の自分の年齢・・・と考えると光陰矢の如しが身に沁みます。

2023年1月21日 0:02
カリブのショーカー初めて見ました。
あそこがガルウイングに・・・
開きそうな形ですよね、言われてみれば(^^;;
ちょうど40年前に免許取得したアタクシには、キラキラ輝いて見えたクルマたちです。
もうあんなにときめくことはないだろうな・・・
コメントへの返答
2023年1月21日 0:29
当時のパンフレット、貰った記憶はあるものの手元に残っていないため、画像の存在に助けられました。
スクープ誌には、市販型は開かないと早々に書かれていました(笑)

排ガス規制も一段落して、ハイパワーや新技術を謳う新型車が次々発売ですから、そりゃ夢中になりますよね。
悲しい予想となるのですが、あの時代のときめきの再来はないに同感です。
2023年1月21日 8:12
今、V90CCに乗っているので挙げて頂いた車の中ですとカリブに
コメントします。

カリブのヒントは恐らくイーグルワゴンなのは異論のないところ
だと思いますが、当然レオーネバンも同様だったと思います。
当時北米ではイーグルワゴンはそこそこ売れていたと聞きますので、
イーグルを小型化して、レオーネを判り易い方向にもっていったの
がカリブと推察します。確か、北米でターセルワゴンとして割と売れ
たようです。

20年+20年で40年ですが、クロスオーバーワゴンと云うかリフト
アップワゴンは、台数は出ないまでも割と息の長いカテゴリーで
すが、やはり玄人好みなのでしょうか、なかなか一般受けはしませ
ん。乗ってみると、駐車場を選ばない、オンロードはワゴンと同等
の走りと乗り心地、ボルボクロスカントリーやスバルアウトバック
ではあれば最低地上高200㎜超なので、ラフロードの走破性能もか
なりのものですが、やはり見た目の中途半端感が災いするのでしょ
うか…

最近は、私の店でADバンの4WDモデル(ノーマルでもリフトアップ状態)をボディーとアースカラー、バンパーを黒に塗って、ブロック
タイヤに黒い鉄ホイール、グリルに大きなNISSANエンブレムを付けるとそこそこ売れたりします。

新車市場と中古市場の差異もなかなかおもしろいものです。
コメントへの返答
2023年1月21日 10:44
イーグルについて軽く調べてみました。
ビッグ3の隙間を狙う戦略といい、セダン、ワゴン、ショートハッチ等のボディ構成といい、同時期のレオーネと重なる点が多く、何とも興味深く。
当時は明らかにニッチだった市場へトヨタが参入したした形ですが、元々ターセル自体、北米・カナダからの(雪道の走破性を求めての)FF要望が由来のようですので、同市場を見据えていたのは間違いなかろうと推測します。そのターセルワゴン、両市場のみ翌年から2WDが追加されていたりするのが面白い点かと思います。

国内市場はハイトワゴンが好評なこともあって、背の高い(≒頭上高の広い)クルマがむしろ好まれたりしますからね。一般的にはリフトアップワゴンよりSUVとなるのだろうと思います。
もっとも、セダン、ワゴン、コンパクトの一部は、カッコよさを追求するあまり最低地上高はもちろん、デパーチャーアングルの不足も生じ始めていることからすると、多少リフトアップした方が日常の使い勝手含めてむしろ使い易くなる気はするのですが。

ADバンの4WDとは、ベース車も高くないですし、面白い目の付け所と感じます。ドレスアップ手法は最近の定番と化している手法ですね。
ベース車、指向先、手法は変われども、中古車をベースにしてドレスアップで代用するは、実は長い歴史かと思います。アイデア勝負の感はあって、フォロワーの参入あるいはベース車の価格が高騰するまでの短期決戦とも言えそうですね。
2023年1月21日 23:48
ついに自分が産まれた年です。もうすっかり白髪(染めてますが)のおっさんになりましたが、取り上げていただいた車は私が幼い頃なら現役で見かけていました。

好きなのはやっぱりスプリンターカリブです。一時乗りたくて探したことがあるのです。RVスペシャルの色不問エクストラロー付きMTが希望でしたがご縁が無く、RAV4が見つかってくれました。私の住んでいた関西地方でも乗っていた人が数人思い浮かぶメジャーな車でした。縦型リアコンビ含めてメカニズムもデザインも個性的に映りしました。FFがあったのはびっくりしました。国内で出さなくて正解だなと。

150コロナも懐かしいですね。親戚も中学時代の恩師も知人も乗っていましたので身近な車でした。ただ、5ドアはレアでしたね。某うどん屋さんの愛車を自由に乗らせていただいたことがありましたが、スーパーマリオブラザーズのノコノコを思わせる丸っこいフォルムから想像もつかない必要にして十分以上の加速は気持ちよかったです。低速トルク型の1SエンジンにワイドレシオのMTが巧くハマった感がありMTだけど過度に走り系じゃない、だけど運転が楽しい車でした。あとこの車、一旦乗り込むとインサイドハンドルが分かりにくくて、子供の頃に親戚の1.8GXから降りられなくなった事もありました。

パルサー系も懐かしい。リベルタビラだけ車検の代車で我が家にやって来た記憶がある程度だったのですが、今は無き上九一色村の某施設に止まっていたパルサーセダンがこの世代だったかなと。毎日のようにワイドショーやニュースで映り込んでいたと記憶しています。

セルボは幼稚園の担任の愛車でした。私は集団行動が苦手で結構な問題児(今も?)だったんで年少組時代は怒られてばかりだったのですが、年長クラスの担任は一転してものすごく優しい先生でした。幼稚園の記憶が嫌な記憶ばかりにならなかったのは当時の年長組の担任のお陰だったと感謝しています。いまは既に還暦を過ぎていらっしゃると思うのですが、どうかお元気でいて欲しいなぁと思います。セルボはトミカを持っていたくらい好きなデザインでした。セルボという名前はスタイリッシュ軽として時々復活していますが、●●クロスみたいな感じじゃ無いと売れない昨今ではクーペスタイルでの再復活は難しそうです・・・。
コメントへの返答
2023年1月22日 20:53
染めるとどうしても髪を傷めてしまうのが悩みどころです。まぁロマンスグレーという言葉もありますし。
当時の平均耐用年数から逆算すると平成初頭ぐらいで多くが寿命を迎えたとなりますね。

初代だとRVスペシャルは後からの追加ですよね。台数としてはAV-IIの方が多かったように思います。
縦型テールの4WDワゴンという初代のインパクトがやはり大きくて、結局モデル廃止となる3代目まで、キャラクター変えずで続けていますね。
初代の時点だとカローラ、カリーナ等はバンとワゴンをFRで継続していましたから、FFワゴンの需要はあったかもですが、出さずで正解だったに同感です。RVブームに乗ったことで3代目では2WDも追加していますが、キャラクターが曖昧になった感が否めずでした。

150コロナ、当初は5ドアも一定数出たようですが、4ドア追加以降はレアな存在となってしまいました。GXベースの特別仕様車が多く売れていたので、5ドアでも出していれば、また結果も違っていた筈と思ったりします。
140の直線基調から丸っこいフォルムになったことで、デザインは賛否が分かれたようです。150カリーナが受け皿的な見解もありました。歴代あまり評価されなかった評論家筋にも、150は走り含めて概ね評価高だったことを思い出します。
インサイドハンドルは電磁ロック有無でも位置と形状が変わるんですよね。無の方が見つかり難かったですね。

兄弟車含めてサニー以上にバリエーションを拡げた世代でした。初期はEXAが話題となったのですが、中盤以降、3ドアとセダンが売れ筋となっていきますね。上九一色、年代からすると底値で拾ったとかでしょうね。

セルボに限らずですが、記憶に残る車は自身の思い出とセットとなるのかなと。
素敵な思い出話をありがとうございます。自分の幼稚園時代をつい思い出したりしてしまいました。私は逆に年少時代が良き思い出でして。当時だと園長先生の息子さんくらいで先生が車通勤をしていた記憶がなかったりもします。

散発的とはなりますが、セルボも割と長期に渡って使われてきたネームですよね。私自身はイグニスはセルボ名でもよかったのでは、と思ったりします。軽自動車で、となると確かに再復活はしばらくなさそうですね。
2023年1月22日 8:54
おはようございます。

このあたりのクルマ達からカタログ収集始めたので、いろいろ思うところ有ります。

やたら立派なカタログだったレーザー/テルスター、本当に本カタログ手に入らなかったセルボ、初めて紹介販売した(最終型ですが)コルサセダン・・・ママチャリ漕いで新宿(トヨタ・スバル・いすゞ)~四谷(スズキ)~銀座(トヨタ・日産)~日本橋(ダイハツ)と、メーカーショールーム巡りツアーなんてアホなコトをしたものです(苦笑)

何が悲しいって、このクルマ達がほとんど残っていないこと。かろうじてタウンエースにハイエース・・・は商用車だけだし、名前変わりこそしたけどカペラ・・・もマツダ6が末裔とはにわかに信じがたい(苦笑)

時代の流れは冷酷って云うか、ワタシが老けたんですねぇ~
コメントへの返答
2023年1月22日 21:13
こんばんは

早い年齢からカタログ収集を始められていますよね。メーカーショールームを巡れた地の利を感じずにはいられません。いすゞ、スズキ、ダイハツのショールーム、そんな場所にあったのですね。ダイハツは月島かと思っていました。

一般的なディーラーだとどうしても敷居が高いとなりますし、入ったとしても冷たい対応をされた可能性も高く。

当時のスズキだとバイク屋さんにカタログがあった記憶です。母がバイクを購入した際、私はその間フロンテやアルトのカタログを眺めていました(笑)
パンフレットで本カタは別かもしれずですが。

確かに40年間で名称が残っていないですね。ガイドブックの記載の関係もあって、乗用車のみで抽出しているのですが、商用車以外残らずですからね。
この直前でようやくカムリが入るくらいでしょうか。

当時を経験しているからこそ、語れる話もありますからね。時代の流れに逆らわずとも、迎合までする必要はないと思っています。
2023年1月22日 14:18
こんにちは。

こちらのブログにコメントされている皆さんの博識の高さに驚いてます。

1982年は、小学校の低学年でしたが、発売されてすぐに走っていたのが、コルサやパルサーでした。
ハイエースやタウンエース バネットラルゴも忘れられないです。

シャリオを見て、ミラージュの3列シートバージョンだと思ってました。
ベースがトレディアなので、なぜミラージュのヘッドライトを使ったのかが謎でした。

ベースがミラージュからトレディアに変わったことと、開発が頓挫しかけた時に、ミラージュのマイナーチェンジでシャリオのヘッドライトを使ったのではと思いました。

これは行けると思って開発しても、経営陣は中途半端に見えて慎重になったのでしょう。

個人的には、プレーリーもシャリオも魅力的な車で、3BOXと1BOXの良い所を掛け合わせた印象でした。

今の世の中を先取りした車なのに、今は残ってないのが寂しいですが、その後に日産と三菱が共同で軽自動車を作り、業務提携する時代になるとは思わなかったです。
コメントへの返答
2023年1月22日 21:36
こんばんは

皆さん、詳しい知識をお持ちですよね。コメントから知る知見もあって、私自身勉強になっています。

ファミリアの対抗をトヨタ・日産が出したという観点からも話題となった両3兄弟でした。
挙げられているワンボックスだと、ワゴン以外にもバンを記憶される方も多いかもです。この辺りから差異が大きくなっていきますね。

シャリオのフロントマスク、明らかにミラージュIIとの相似でしたからね。

1979年のショーモデルから変更された部位の一つであり、他にも選択肢があった筈と推測するのですが、真相は謎ですね。
リンクにある通り、開発が一時中断した経緯はあるので、書かれているのも推測として成り立つ気はします。

車格の見せ方としては不利だった感はあって、シグマのマスク流用の方が適だったと思っています。
元々、シグマエステートが念頭にあっての開発のようですから、作り方によっては同車(特に2.0スーパーエステート)の後継的位置付けでもいけた気はします。実際は、2代目ミラージュベースのバン/ワゴンが後継となっていますけれども。
この種はプレーリー含めて、売り方も試行錯誤で進んでいますね。ポテンシャルはあるのに、市場認知が追い付かなかった感があります。

この時代の三菱の軽自動車だと、FR末期のミニカLと同エコノとかですからね。この後のFFへの進化に驚かされたことも懐かしく。
その軽自動車がマーチを国内から押し出してしまう。これもまた予測できなかったであろう一つかと思います。
2023年1月23日 21:30
こんばんは。

もしかしたら昨年度も書いたかもしれませんが、先に紹介された今から20年前に登場のクルマは、見る機会は減ったとはいえ今見ても違和感はありませんが、20年前に40年前のクルマを見ることはほとんどなかったし、仮に見れば「おおっ、懐かしい!」と思ったはずです。

ちょうど同時期に登場したタコⅡ三兄弟と、パルサー兄弟は、ややパルサーのほうが車格が上なんでしょうが、カラードの大型バンパーを付けたタコⅡの方が現在に近く見えますね。

パルサーの兄弟は、黒ウレタンにカラーのモールが入っているものの、細いバンパーで一世代前に見えるのが不思議なものです。
もっとも、この頃はカラードバンパーは上級グレードだけで、売れ線の普及グレードは黒の素地色でしたし、さらに次のEL30系はバンパーが小型化→バンパー下に鉄板が出現。という先祖返りもあるのがまた面白いです(トヨタはほかの車種でもありましたよね)

また、写真のリベルタビラはドアサッシがブラック化していないのも、ちょっと古く見えますね。当時は低グレードはみんなそうでしたが…。

ご紹介のようにこの世代のタコⅡ兄弟は、先代からのFF縦置きを踏襲していますが、今は奇異に見えるそのメカニズムも、まだカローラもスターレットもFRで縦置きの時代ですから、違和感もなかったのかもしれません。スプリンターカリブは、今よりずっとヒエラルキーが重んじられていた時分に、そのメカニズムを生かして格下のクルマのメカニズムを上手に使って仕立て上げられていますが、そういえば初代ターセルも海外ではカローラの名前を付けて売っていましたね…

そして、初代FFコロナですが、先に登場した5ドアがキャブ仕様の1Sの3ATだったのは知りませんでした。先に1Sが搭載されたカムリ・ビスタはキャブ仕様の1Sだったのは承知していましたが…

どうも、家にあった60、70後期のマークⅡが縦置きとはいえ同じキャブ仕様の1Sでしたので、この手の話に反応してしまいます。そちらはATこそ4速だったとはいえ、70にモデルチェンジしたときにインジェクションになんでしてくれなかったんだろう…と、晩年キャブの不調でATなのに復帰しないアイドルストップ→エンストするようになっていたので、思ってしまうのです。
コメントへの返答
2023年1月23日 22:39
こんばんは

ご指摘の通りで、20年前の時点で20年落ちを見ると先ず懐かしいとなったように記憶します。バブルの時期で大半が淘汰され、さらに1年車検の時期も経ているクルマ達ですから。同年代でも継続販売されていた一部は旧車として認知されていたようにも思います。

カローラの少し下の3兄弟とサニーと同格の3兄弟といったところでしょうか。カラードバンパーよりボディにインテグレートされた大型樹脂バンパーの方が新しさを感じるに同感です。
大型の一体だとまだ設計の自由度が低い、あるいは傷つけた際の補修性に難(≒修理費用が高い)といった点はあったようで、この後は先祖返り的な動きも見られますね。

ドアサッシは、まだ窓を一体で大きく見せる一辺倒ではない時代かもしれません。ピラーの存在感を出すがデザイン処理の手法として認められていた感があります。高級車だと、光輝処理やサッシモール等もありましたし。

ターセルとコルサが縦置きを採用した理由については、ドラシャの等長化が容易、ミッションを一から開発しなくて済む等があったようです。A型は同車で初登場したエンジンですが、縦置きの前提で開発されていますね。
次作となるカムリ/ビスタ以降は横置きを選択したことで、結局異端となってしまいましたが。
シビックに対抗できるFFの要望は海外からの方が強かったようで、知名度のあるカローラ名を付けて、カローラのFF版に見せたという理由もあったようです。

FFコロナの5ドア、1年足らずでエンジン&ATが変更ですから、初期型を購入したユーザーは不満だったでしょうね。ATの大きさの関係か、カムリ/ビスタが先行搭載していた4ATの流用は難しかったようで、当初は3ATで登場。FFカローラで初登場した小型の4ATを流用することで、4AT化に対応していたりします。

70マークIIの時点で、1S-iは登場していましたから、私もこちらになると予想をしていたのですが。恐らく価格も重要視される1800ということでコストが重視されたのだろうと推測をしています。キャブは意外とメンテがシビアであったり、制御の緻密化に限界があったりもしますので、簡易型でもインジェクション化が理想形ではあったのでしょうが。
この後もインジェクションの低価格化は急速に進みましたから、80ではハイメカツインカム&Ciへと一足飛びの進化を果たすこととなりますね。

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

1989年式マークII3.0グランデG感想文 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/08/05 19:34:14

愛車一覧

メルセデス・ベンツ Cクラス セダン メルセデス・ベンツ Cクラス セダン
2013年9月14日納車 アドバンストライトパッケージ ボディカラー:988 ダイヤモン ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1995年12月登録(同型最終年月) 2001年6月購入 2013年9月譲渡 ボディカ ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1992年6月購入 2009年3月一時抹消 2009年6月永久抹消 ボディカラー:18 ...
トヨタ クレスタ トヨタ クレスタ
1991年7月登録 2000年11月購入 2001年6月譲渡 ボディカラー:27N パ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ

あなたの愛車、今いくら?

複数社の査定額を比較して愛車の最高額を調べよう!

あなたの愛車、今いくら?
メーカー
モデル
年式
走行距離(km)
© LY Corporation