
気が付けば今年も早クリスマスということで、残すところ約1週間となりました。年末恒例の振り返り等を考慮すると、今回がクルマネタとしては今年最後かなというところで。
何を取り上げるべきかは少し考えたのですが、今の車界隈で話題となっている一台は、来年早々の発表が決定しているノアとヴォクシー。長年のライバル車となるステップワゴンもモデル切替となるようで、既に前哨戦の様相を呈してもいます。
このセグメント、最近はユーザーのダウンサイジング傾向の影響は否定できないものの、この国のファミリーカーとしては一大マーケットを形成しているのは、疑いようのない事実かと思います。
それなら、これを機に創生期を振り返ってみようと思い付いたという訳なのです。
ノアとヴォクシーは、今もライトバンとトラックの名称で残るタウンエース(とライトエース)のワゴン版の系譜となります。初代ライトエースにもワゴンが存在していたという事実はありますが、一般的に広く売れたとは言い難く、このマーケットの開拓者は初代タウンエースと認識しています。個人的には歴史を作った一台かなとも。(軽く書いた回は
こちら)
初代タウンエースの登場は、1976年10月ということで、ちょうど45年前となります。時は、排ガス規制の真っ只中。商用車より一足早く乗用車には厳しい規制が導入された関係もあり、チェリーキャブ/サニーキャブ以外はこのクラスのキャブワゴンから撤退。バンモデルもモデルチェンジの先延ばしが行われていました。
そんな中で登場したタウンエースは、ライトエースのワイド&改良版という成り立ちながらも、久方ぶりの新型であり、ワゴンを携えていたことも話題となりました。この後、ライバル車の一新が続くのですが、少し早かった先行者の利は大きなものだったのです。
といったところで、カタログの本編に入っていきます。
今回取り上げるのは、1976年(昭和51年)10月に発行された最初期のもの。よくよく調べたら、オート店版のようで中々珍しいものかと思います。
カローラ店版との違いは、バン1200の有無。オート店はライトエースバンを継続販売していたため、タウンエースの内、バン1600とワゴンのみを扱っていたのです。どうやら、バン1600も短期間で扱いを止めているようでもありまして。
最初期型のカタログのみバンとワゴンが一体での掲載。さらに最初に掲載されているのはバンということで、販売の想定はバン>ワゴンとなっていました。
当時のプレスリリースによると、月販目標台数は、バンが3,000台、ワゴンが1,000台だったようです。
初代ライトエースからドアを流用しつつで拡大されたボディサイズは、初代ライトエース比で全長:120mm、全幅:85mm、ホイールベース:145mmのプラス。
初代ライトエースにはハイルーフの設定がありましたが、タウンエースでは最初期型には投入されず、後日追加となっています。
ボディカラーはバンの専用色となるブルー。街中ではこの色のバンをかなり多く見かけたように記憶しています。
全幅:1,650mmというのは、当時のミドルクラスセダンよりも幅広ですし、Fトレッド:1,430mmというのもより一層。K型より一回り大きいT型エンジンを搭載するにあたり、キャブ周辺のフロアパネルや足回り等、ハイエースとの共用があったのではないか?というのは推測です。
バネットが後年ワイド版のラルゴを追加したり、デリカが全幅:1,690mmで登場したことからすると、先見の明があったとも思います。
Rトレッドは、フロントよりも85mmナローとなる1,345mm。これでもライトエースからは75mmの拡大であり、当時としても幅広の部類とはなるのですが、フロントのワイドさと比較するとホイール位置の差は一目瞭然でした。
フロントガーニッシュに特徴のあったライトエース。こちらもライト脇のガーニッシュが印象的であり。丸目、バンパー下のターンレンズと相まって愛嬌のある顔と言っていいかなと。
リヤビューは、リヤコンビの外側を吊り上げた当時のトヨタ流。カローラ30バンと共通するイメージですね。
今視点では明らかにシンプルなインパネですが、当時はインパネにボディパネル色がないだけで、かなり豪華に映ったものでした。ステレオはカセットではなく8トラック、吊り下げクーラー共々時代を感じさせるオプションですね。ステアリングはカローラ系からの流用。
(恐らくエンジン高の関係で)センター部にシートは設けられず、2座となっていました。見方によっては乗用車風とも。セパレートシートだからなのか、シート背面にはディビジョンバーを設置。エンジンにアクセスするための、シートバック前倒し機能はあるものの、バンではノンリクライニングとされていました。
バン1600では、2人乗車時750kg、5人乗車時500kgで設定。これはバン1200&ライトエースの3人乗車時600kg、6人乗車時400kgよりも過積載が可能であり、このクラス最大の積載量ということでアピールされていました。このクラスのキャブオーバーは5年間で2.5倍の台数に急拡大していたそうですから、ミニエースの後継ではなく、一クラス上を狙うというのは戦略的でもあったのです。
荷室部分のサイズは、長さ方向はライトエースとほぼ同じで、幅方向が85mmのプラス。エンジンより後部のフロアパネルは、ライトエースを拡幅して使っているのだろうなと。
タウンエースバンもライバルに先駆けての部分は多々ありますが、新しい潮流を創った点ではワゴンが抜きんでていると感じます。
特に大きかったのは、ワゴンのみに設定されたカスタムの存在。初代ライトエース同様、デラックスに留めていたら、間違いなくその後の歴史は変わっていただろうとも思うところです。
フロントディスクブレーキ、(乗用車でもまだ珍しかった)ラジアルタイヤ、サイドストライプ、ファブリックシート。これらがバンの垣根を超えて、乗用車の領域に入り込む武器となりました。
パッケージング自体は初代ライトエース由来ということで、この後のワンボックス群と比較するとラゲッジ部分が長く、その分車室側が短いというシート配置でした。
メカニズムや装備品を紹介した見開きです。
エンジンはバンが2T-Jでワゴンが12T。後者は触媒付きのTTC-C、2T-Uも搭載可能だった筈ですが、希薄燃焼のTTC-Lが選択され、51年規制に適合していました。II型以降は、1800に拡大&触媒を付加した53年規制の13T-Uに換装されることになります。
因みにバン1200は64馬力。30馬力近い違いは、積載量増にも耐えられる1600のパワフルさが際立ってもいたのです。
ワゴンはこの後、カスタムエクストラ → スーパーエクストラ → グランドエクストラとグレード&装備の上積みが図られていきますが、この年代はまだバンと一体で掲載できるぐらいではありました。
イエローとブラウンのボディカラーがワゴン専用色。バンと共通のホワイトも選択可能でしたが、やはりこの2色が大半だったように記憶しています。
裏表紙は主要諸元表。
全長は当時のカローラクラスと同等。全幅は当時のコロナとマークIIの中間くらいの設定でした。このサイズ設定は、当時の大き過ぎない小さ過ぎない絶妙なところを突いていました。売れた要因の一つと認識するところです。
装備がまだまだシンプルということもあり、車重もワゴンで1,075kgと意外と軽量。当時のコロナ1600でも1,000kg前後の車重でした。バンの4ドアに+45kgですから、シート1列分+αぐらいですよね。もちろん、後年は豪華装備でどんどん車重が増えていきます。
ギヤ比は、バンとワゴンで共通というのが意外な驚き。II型以降はよりクロスレシオとなったワゴン用のギヤ比が採用されています。このギヤ比はバンが最大積載量を積んだ時を考慮した設定で、人数or荷物が少ない時ならセカンド発進も可能なぐらいの数値。この型のワゴンに乗せて貰った時も、ローは使ったとしても一転がりで直ぐにシフトアップという乗り方をされていました。
タイヤは165-14のラジアルを標準としたカスタム以外、ライトトラック規格の5.50-13のバイアスが標準。バン1600は積載量増に対応するため、リヤのみプライ数が上げられていました。ワゴンも商用車用というのが意外ですが、適当なサイズの乗用車用バイアスがなかったためかなと。
プレスリリースによると、当時の東京地区の価格で
ワゴン デラックス:96.6万円、同カスタム:106.1万円。
デラックスで当時のコロナ1800DX、カスタムだとコロナ2000GLが近似の価格でした。セダンと比較すると、やはり少しお高めではあるのですが、それでも検討対象に上がれる価格設定ではあったのです。
といったところでいかがだったでしょうか。
70年代前半まではクルマは何よりスピードが第一だった時代。そこからオイルショック、排ガス規制が入ってきて、スピード重視から離れた価値観が芽生え始めていました。西海岸由来の文化となるバニングが静かなブームとなり始めていたのも、そんなムーヴメントからでした。
そのブームに上手く乗ったのがタウンエースと言えます。逆にブームを加速させる存在だったという言い方でもいいかもしれません。
トヨタが上手かったなと思わせるのは、ここでのカスタムの設定であり、2年後に登場するII型への手の入れ方もあります。初期型のカタログを見ていて、気になる点はII型でほぼ改良が行われていたりもしますし。
このセグメント、大衆キャブワゴンと分類するようですが、特にワゴンにおいては台数では凌駕されることがあったとしても、存在感としてはタウンエースが中心であり続けました。後継となるノアも少なからず同じような存在かなと思うところでもあります。
最後にいつものように思い出話を。
この型、兄弟車のデルタワイドの方でしたが、父の友人が父と長く親しくしていたセールス氏を通して、登場早々に購入しています。グレードは真ん中ということでデラックス。松竹梅の竹ということで選び易かったのでしょう。
もう一台は、後年父が知り合った方で、こちらはタウンエースのカスタムでした。
両者共に職業で、バスやトラック等に乗られていた方で、このボディ形状への違和感は少なかったようです。乗り始めて見ると、乗用車ではとても望めないようなユーティリティがあるということで、便利に使われていたというのも同様。
我が家が引っ越すという時も、タウンエースを出してくれて、大量の荷物を積めることに改めて驚き、何より感謝をしたことを鮮明に覚えていたりもします。
父はタウンエースを運転する機会があり、
2代目のライトエースワゴンと比較するとこちらはパワーがない、なんて言い方をしていたような。
ご近所界隈でも、この型のワゴンが車庫に収まる姿を段々見かけるようになりましたから、キャブワゴンを一般家庭の購入対象に上がらせた立役者と言っていいかなとも。周りの増え方からしても、月販1,000台は余裕でクリアしていただろうと推測します。
以前にも何度か書いているのですが、このセグメントが約半世紀という長い時間の中で一番大きく変わり、何より進化をしたと思っています。その推進力となったのは、需要が確実に存在するからだと認識もします。
今に至る土台というか基礎を作ったのは、間違いなくこのタウンエース。今に通ずる部分、今と大きく異なる部分、各々を見出していただければ幸いです。