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2022年01月10日 イイね!

2022年に新成人を迎えるクルマ達

時間が取れれば、久方ぶりの首都圏の雪から思い出話でも書きたかったところなのですが、新年明けて以降、何かと忙しく。
それどころか、タイミングを逃すわけにはいかないこのお題を作るのすら、時間に追われる始末。また、この年は意外と登場車種が多いじゃないかと、嘆いてみたくもなる訳で。

何とか間に合わせた自分を褒めつつ、それでは2001年4月2日から2002年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

今回は自動車ガイドブックの掲載順に合わせて、日本車はメーカーのアルファベット順としてみます。

〇ダイハツ
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10月10日 マックス(新発表)

軽自動車の新規格適合から一段落して、モデルライフの谷間で派生車種を追加していた時期となります。ダイハツからはマックスが登場。
自分的にはしばらくぶりの名称を懐かしみましたが、販売的にはミラやムーヴといったメインストリームに呑まれた感は否めません。結局一世代で絶版となっています。



〇ホンダ
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4月5日 ステップワゴン(フルモデルチェンジ)
6月21日 フィット(新発表)

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7月2日 インテグラ(フルモデルチェンジ)
9月18日 CR-V(フルモデルチェンジ)

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12月21日 モビリオ(新発表)
2月7日 ザッツ(新発表)

90年代末を彩ったクリエイティブムーバーの一部が2世代目に突入しています。この辺りは初代の好評を受けてのキープコンセプトとなっていますが、その分初代程のインパクトとはならなかった感はあります。

ホンダとしては、この年登場したフィットとモビリオが成功したことの方が大きいでしょうね。特にフィットは長年続いたカローラのベストセラーの座をついに交代させる存在となりました。

軽自動車の派生車種、ホンダからはザッツが登場。これまた一世代での絶版車ですね。



〇マツダ
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2月15日 スピアーノ(新発表)

唯一の新型車はラパンのOEMでした。オリジナル車種は、経営が苦しかった時期かつアテンザ以降の新世代の仕込み時期となり、この年はお休みでした。毎週のように大廉売を繰り返していた時期とも言えそうな。



〇三菱
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6月20日 エアトレック(新発表)
10月11日 ekワゴン(新発表)

一大騒動となったリコール隠しも何とか一段落して、この年はこの2台が登場。
SUVと軽自動車という体制は、既にこの時期に片鱗が現れていたとも言えそうです。前者はあまり大きなインパクトとはならなかった感が強いですが、後者は三菱の軽自動車の中心車種に成長。騒動がなければ、その後の三菱の軽自動車の歴史は変わっていただろうと思わされたりします。


〇日産
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6月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)
10月16日 ステージア(フルモデルチェンジ)

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2月26日 マーチ(フルモデルチェンジ)

リバイバルプランを引き続き展開していた時期となります。
この中でスカイラインは守旧派のファンから集中攻撃の様相となりました。S54からR34までの流れとは明らかに異なるけれど、初代への先祖返りじゃないのと言われて腑に落ちたというのは当時の思い出話。そういえば、ジャパンやR30だって売れていたのはXタイプだったよなとは。

私的にはむしろ肯定的に受け入れられなかったのがマーチ。ヴィッツやフィットとの比較だけでなく、パッケージング的には先代よりも後退に映ったくらいで。無論、見る目の無さを反省。
実は時代を超えられる存在だったのでは、というのは私感。このまま続いていれば和製フィアット500になれたのかなとも。続けられなかったのが実に日産らしいとも言えるのですけれど。



〇スバル
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2月12日 フォレスター(フルモデルチェンジ)

前年のインプレッサに続き、フォレスターも2世代目に進化。インプレッサ同様、中身は熟成路線と言えるものですが、フォレスターとしてはキャラクターの確立の点が大きかった世代かなと。この年に登場したクルマ達の中でも、古さをあまり感じないなというのは私感。



〇スズキ
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11月16日 MRワゴン(新発表)
1月22日 アルト・ラパン(新発表)

スズキもまた、軽自動車の派生車種を登場させています。
MRワゴンは、Aクラスからの影響を感じさせる一台。2代目も登場していますが初代とは結構大きく変わることに。この世代だと、むしろモコの方が印象も強かったりしまして。

ラパンも時間の経過を感じさせない一台ですね。登場時点ではここまで続くとは予想できませんでした。大きく売れたというよりは、根強い人気が潜在するが今も変わらずで続く理由なのでしょうね。



〇トヨタ
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4月3日 ソアラ(フルモデルチェンジ)
4月6日 Will VS(新発表)

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5月14日 イプサム(フルモデルチェンジ)
5月21日 カローラ・スパシオ(フルモデルチェンジ)

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6月4日 ブレビス(新発表)
7月6日 ヴェロッサ(新発表)

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8月1日 クラウン・セダン(フルモデルチェンジ)
9月27日 カムリ(フルモデルチェンジ)

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11月16日 ヴォクシー/ノア(新発表)
12月25日 プレミオ/アリオン(新発表)

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1月25日 マークIIブリット(新発表)

他社が苦戦する中、独走状態に入りつつあったのがトヨタ。新型車の数だけでも、当時の状況が垣間見えたりします。
ヴィッツに端を発したコンパクトカーの再構築は一段落ということで、他のセグメントが主となります。それでもこの車種数。今の車種構成からすると、これだけの新型が出ることは、もうなかろうとも。
内訳的には、新発表は幾つかあれど、車名変更に因るものが大半。当時は車名を変えなくてもいいのでは、と思ったものです。セダン・イノベーション最後の挑戦とも言えそうな。

国内市場を完全に抑えたトヨタは、世界一を取りに行く体制となっていきます。その体制はリーマンショックで大やけどとなるのですけれども。

当時の界隈で一番話題になったのは、実はクラウンセダン。
150という確立したセダンワールドから、クラウンコンフォートの上級版への変更は果たしてフルモデルチェンジと言っていいのか、熱い論議が交わされたものです。当初はスーパーデラックス系のみでしたが、バンパーとサイドモールを大型化してロイヤルサルーンと名乗らせるに至っては、深夜のファミレス座談会の格好のネタともなりました。

父が「新しいクラウン、テールランプがたくさん点いて、カッコイイじゃない」と言い出し、「実はあのシャシー・・・」と即座に止めたのも、今では懐かしく思い出されたりします。



昨年に引き続き、輸入車も掲載してみます。
引用元から、画像は現地仕様が大半であり、モデルイヤーを含め、当時の国内仕様と微妙に異なっている箇所があります。雰囲気が伝わればということでご容赦くださいませ。

〇GM
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9月4日 シボレー・トレイルブレイザー(新発表)
10月22日 シボレー・クルーズ(新発表)

〇フォード
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4月17日 モンデオ(フルモデルチェンジ)

〇クライスラー
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5月25日 ボイジャー(フルモデルチェンジ)
9月25日 チェロキー(フルモデルチェンジ)

〇ジャガー
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8月29日 Xタイプ(新発表)

〇ランドローバー
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1月23日 ディフェンダー(新発表)

〇VW
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7月10日 ルポ(新発表)

〇アウディ
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5月14日 A4(フルモデルチェンジ)

〇BMW
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10月18日 ミニ(新発表)
10月18日 7シリーズ(フルモデルチェンジ)

〇メルセデス・ベンツ
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10月24日 SLクラス(フルモデルチェンジ)

〇アルファロメオ
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9月19日 147(新発表)

〇マセラティ
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10月10日 スパイダー(新発表)

〇ルノー
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3月27日 カングー(新発表)

〇プジョー
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9月26日 307(新発表)
10月22日 607(新発表)

〇シトロエン
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6月21日 C5(新発表)

〇ヒュンダイ
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5月15日 XG(新発表)


今年も輸入車は感想を一纏めで。
本国発表からしばらく経ての国内導入が含まれることから、日本車以上に多彩ですね。今も続くモデルが含まれる一方、少量の輸入のみで打ち切られたモデルもあって、その点でも多彩。

この年の輸入車で一番話題となったのはBMWでしょうね。ミニのクラシックからの大きな変容に驚かされ、別の意味で7シリーズのスタイリングに驚きもし。

ミニはどうなるのかと思っていたら、その後はバリエーションを拡げて大きな成功に。逆に中身はモンデオと知りつつも、佇まいがいいなと思えたジャガーのXタイプはその後失速。これだけでも、登場時点の個人的評価なるものはあてにならないと自戒を込めて認識するのです。


こうして並べて見ると、その後も続いていて、(特にキャラクターを変えていないと)もう20年?と思える車種がある一方、あっという間にしぼんで、今ではカルトカーに類される車種も含まれていたりします。20年という時間の中で評価が変わった車も多数。等しく時間は流れている筈なのですけれどね。


私自身は、81マークIIセダンの2台体制を整えると共に、実家を出て自分の居を構えた年となります。「男30 GTアゲイン」というCMコピーを思い出しながら、30代を迎えての一大転機を進めていたことは間違えないのですが、これで人生設計の大半は整ったという想定は大きく外れる結果となります。

何事も未来が予想と異なることは多々あるということですね。


【画像の出展】
・マックス、eKワゴン、MRワゴン、ザッツ:自動車ガイドブック
・他車:FavCars.com
Posted at 2022/01/10 05:59:11 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2022年01月01日 イイね!

2022年最初の投稿

明けましておめでとうございます。

コロナ禍が起こって以降、激動の昨今、今年も引き続きの予感です。ここも引き続き愛車共々相変わらずで続けていきたいと考えています。
本年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


今年の干支は「壬寅(みずのえとら)」。

とらの名で思い出すのは、このクルマでしょうか。
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ラテン語で虎を意味するTigraを車名としたこのクルマ、当時はVitaのクーペ版として一定の知名度はあったと記憶しますが、今では懐かしいの属性かもしれませんね。


後は、タイガース ミラとかも頭に浮かんだのですが、今一つ話が広がらない感は拭えません。そこで、今年も連想ゲームのように話を拡げてしまうことにします。

私的には、虎から真っ先に連想するのは、阪神タイガース。野球をすっかり見なくなって久しいのですけれど、タイガース ミラの祈念が実現した1985年の日本一は今でも鮮明に覚えていたりします。21年ぶりの優勝ということもあり、今よりはるかに野球が日常に溶け込んでいた時代にあっては、そこまでの軌跡も含めて、社会現象と化していました。

父が関西出身ということもあり、当時は親子揃っての阪神ファン。どこかで落ちるんじゃないかと不安を抱えつつも、「こまかいこと言わんとき とにかく打ちゃええんや」とばかりに勝ち進むその姿に私も熱狂したものでした。





伝説のバックスクリーン3連発は父のカローラのラジオで聞き、優勝の瞬間は自宅のTVで見たことを覚えています。


この1985年、思い返すとクルマ業界も活況を呈していました。
流面形セリカ3兄弟、7thスカイライン、リトラのアコード、FC3S RX-7、FFジェミニ等、名メーカーから次々、今も記憶に残る名車が誕生した年となります。

一方で、フルモデルチェンジではなく車種追加やマイナーチェンジだったりしますけれど、個人的に何より印象深かったのはこの3車だったりします。
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1月7日にマイナーチェンジと同時に追加された、ソアラ3.0GTリミテッド
クラウンで先行実施された6M-GEUへの換装は予想通りでしたが、エレクトロ・マルチビジョンに何より驚かされました。トランク脇から自動で立ち上がる2本のアンテナがまた、とてもカッコよく映ったものです。


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9月9日にマイナーチェンジと同時に追加された、クラウン スーパーチャージャー
「いつかはクラウン」は当初TWINCAM24が主力。好調に売れながらも、ATと組み合わせた時の評判は今一つ(評論家筋は酷評)でした。それを覆すべく生まれたCHARGED LASREαの第一弾。
この世代、マイナーチェンジによるリファインが上手く行われた感もありますね。


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10月9日に追加された、マークII/チェイサー/クレスタのGTツインターボ
クラウン以上に好調に売れていたのがこの3兄弟。特にマークIIは社会現象としても語られていました。こちらも1G-Gベースながら、異なる解を求めたCHARGED LASREαの第二弾。
GTは、従前のTWINCAM24よりも走り重視の設定。それがまたチューンドカーっぽさを感じさせて格好よく映りました。


無理繰り感を厭わずで書いてしまうと、トヨタ版猛虎打線とでも。どれも最高潮を迎えていたハイソカーブームに乗って高価にも関わらず、毎月多くの台数を販売していました。老若男女を問わずで多くの人の心を捉え、また憧れの存在ともなっていたのです。

私も、年初にソアラで驚き、秋に出た6気筒4ドア群に心を奪われもしました。

ソアラとクラウンはこの中では少し高みにあった存在。多少なりとも身近に感じられたのが3兄弟。その中でも一番のお気に入りはこの仕様でした。
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バンパーモールとサイドモールの高さ違いを隠すのが、このパールシルエット・トーニング。当初はTWINCAM24の専用設定色でしたが、この時GTとシングルカム ルーセントにも設定を拡大しています。
GTは高望みで、シングルカムで充分とか思っていました。


今から遡る37年前(寅年で繋がらなかったのが少しばかり残念)、阪神の快進撃とトヨタの高級車に夢中になっていた日々だったなと、今はしみじみ。

当時はまだ中学生でしたから、カタログを早々に入手し、自動車雑誌共々ひたすら眺めるだけではあったのですけれどね。

それでも、精一杯の背伸びあるいは力一杯のジャンプでなら、将来もしかすると手が届くかもと感じられてはいたように思います。縁の糸が断線している諦め感はなくて、長く絡まりながらもきっと繋がっている筈という希望を持てたというか。

今の世相的には、この種の少しだけ遠い憧れはだんだん存在が減っている感は否めません。現実の生活に即した車か天上界的な趣味車の2極化が進んでいるように映っています。

それでもクルマを日常としては用いない私にとっては、手の届く範囲という条件の中で、利便性よりも性能やスタイリングでいいクルマ感を感じたいと思うのです。諦めたりせず、少しだけ遠い憧れを再び見させて欲しいというのは切なる願いです。

このブログ、主体は昔を懐かしむなのですけれど、何かしらの気付きが見出され、そこから何かが生まれるかもと思いつつで続けています。新車だけを追わないのは、現実から少し離れた場所でもありたいから。

今年も時に現実から離れつつ、東西南北の各地へ出かける日々を過ごしたいと思っています。特に今年は、第一の目標である100,000km到達も大切なミッションですしね。

また今年も初日から長くなってしまいました。
以上、初日の挨拶に代えさせて頂きます。

令和4年元旦

画像の出展
OPEL Tigra:FavCars.comより
その他:CAR and DRIVER誌の各DRIVING REPORTより
Posted at 2022/01/01 00:02:51 | コメント(9) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2021年12月29日 イイね!

2021年を振り返ってみる(後編)

2021年を振り返ってみる(後編)前編に引き続き、後編では下期分を掲載します。

7月・8月はオリピック・パラリンピックが無観客で開催される中、新規感染患者数が激増。近場のお買い物くらいで遠出は控えていました。

さらに8月は、お盆明けに年次点検でしばらく預けたこともあり、今年一番距離を乗らなかった月ともなりました。点検期間中にお借りした最終型W205の完成度に感心しつつも、整備され戻ってきた自車にやっぱりこっちが馴染む、と思うのはいつものこと。

タイトル画像は9月の雨中、横浜のハンマーヘッドにて。
これも買い物で出かけた際に撮影したもの。

長く緊急事態宣言の解除を待ちわびる日々でしたが、9月30日を以って解除。
以降、堰を切ったかのように各地へ日帰りの旅に出かけていきます。

〇10月 群馬
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先ずは、何とか旬に間にあった梨を求めて、高崎のフルーツ街道へ
この頃は秋というより残暑の方が近いくらいの風景が広がっていました。


〇10月 小田原
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群馬に出かけた翌週には小田原へ
市内を散策し小田原城を撮影後、芦ノ湖に向かいました。帰路には、NAVIの推奨を無視し往路とは別のルートを求めて、仙石原・乙女トンネル経由で御殿場から東名という帰路を選択したら大失敗。東名本線は厚木で起きた事故の影響で殆ど動かずの大渋滞中。急遽逃げた足柄SAからは1時間以上出られず、さらに足柄から海老名まで2時間を要する渋滞にも嵌りました。


〇10月 長野
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さらに2週間後には秋の味覚を求めて小布施へ
長野に行くなら善光寺参りもセット
久方ぶりの長距離ということもあり、大型貨物の速度域で往復の高速巡行をしたら、かなり良い燃費が表示されて喜んだというのは裏話。


〇10月 88,888kmに到達
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今回は少し前から準備していたので、無事撮影に成功
横浜から戻る、多摩沿線道路のガス橋付近にて


〇12月 パレットタウン
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開設以来何度も通ったこの地も、年末にはMEGAWEB、来春にはヴィーナスフォートが閉館となることが発表済。
最後の訪問かなと思いつつで撮影しました。
クリスマス装飾もあってか結構な人出。これなら閉館しなくてもいいのでは、とつい思ったりした次第。


〇12月 90,000kmに到達
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これまた横浜から戻る途中の環八 蘆花恒春園付近にて
細かなアクシデントはあれども、大過なく乗れたと言っていいでしょう。ここまでの信頼性は想像していたよりはるかに高く。
その後も距離を重ねていて、年内には91,000kmを超えることが確実。


〇12月 佐野
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コロナ禍で見送っていたものの一つが厄除け。今年は方位が当たっていたのです。
これまでこれなかったことを詫びつつ、それでも無事に過ごせたことに感謝。
境内は既に新年の準備が進んでいる状態ですね。


〇12月 南房総
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急に寒さが増し、暖を求めて南房総へ。
定番のルートのため、次どこへ行こうと悩まないのが利点。
期待通り、昼間は暖かかったのですが、夕方から強風が吹き荒れる荒天に。
東京湾フェリーは欠航。アクアラインでも直進すら気を遣う様相となりました。


上期の我慢もあり、日帰りながらも各地へ出かけた下期でした。
そんな日常も、ワクチンの接種も一段落で、しばらくは落ち着いた日々を過ごせるのかと思いきや、年の瀬を迎えて新種となるオミクロン株が潜入し、また風向きが怪しくなりつつあります。

自由な移動を体験してきた身にとって、どんな形にせよそれが制約されるのは辛いこととしみじみ感じた一年でした。だからこそ、日頃の予防が大切とも切に感じます。完全収束の望みだって、捨てたくはありませんしね。


クルマ関連だと、コロナ禍に起因する半導体不足が今年一番の問題でしょうか。
欲しい車が直ぐに手に入らない状況というのは、これまで一部車種では起こっても、全体で起こったことはなかったことだけに混乱するのも仕方ないかなと見ています。これまで新車を売ることばかりに注力し過ぎていた印象はあって、少し異なる力が作用するとしたら悪いことばかりではないのかも、とは。
短期の収束が何度も言われながら、何やら長期化の様相も呈していて、これも新しい日常の一部になるのだろうか…というのは危惧だったりしますけれど。

もっとも、これらだって変革&激動の時代の中で次々訪れる高波の一つに過ぎないのかもしれません。全てを避けきれずだとしても、溺れるや沈むはもちろん、いたずらに流されることもなく乗り越えていきたいとは思うところです。


私は、何とかこの一年自車を維持でき、このサイトもマイペースで続けることができました。訪問された方、読まれた方、コメントをくださった方、全ての方に深く御礼申し上げます。

今年も残すところ、あと二日と少々となりました。
皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。
Posted at 2021/12/29 22:02:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2021年12月27日 イイね!

2021年を振り返ってみる(前編)

2021年を振り返ってみる(前編)いよいよ年末も残り5日を切り、2021年を振り返る時期を迎えてしまいました。

今年も昨年に引き続き、コロナ禍に振り回された年だったと言っていいでしょうね。本業はコロナ関連で予定が変わること度々でしたし、プライベートもお出かけしようにも思うようにいかずとなりました。後者に関しては、緊急事態宣言に一喜一憂したという言い方でもいいかもしれません。

そんな一年でしたが、今年もブログで取り上げなかった出来事を主にスマホの画像から拾いつつでの振り返りをしてみます。

以下、画像にキャプションを付けつつでご紹介。


〇1月 東京プリンスホテル駐車場
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芝公園界隈に所用で出かけた際に利用。
背景の東京プリンスホテルは、1960年代にはプレス向け新型車試乗会の拠点となったこともある名門。


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反対側から撮影。
芝公園・芝大門方面のビル群。ビル群の中には、貴重な資料が多数収蔵されている自動車図書館があります。同図書館が入る「芝NBFタワー」は「またまたあぶない刑事」の撮影が行われた場所でもありますね。


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感染を気にしつつも、年明け間もなくの平日ということもあり、あまりに閑散としていた東京タワーの展望台へ。
飯倉・青山を経て新宿の高層ビル街を望む方角。
日々建物の更新が続く東京ではこの風景もまたあっという間に変わっていくことが確実です。


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同じく展望台から、新橋・日本橋方面を経てスカイツリーを望む方角。
撮影は失念しましたが、足元の浜松町・大門界隈では街区丸ごとの刷新が進行中。
つい「ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかも知れんな」なんて台詞を思い出します。車は決してそうじゃない、と信じつつ。



〇2月 三鷹の一凛珈琲
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開店以来お気に入りの場所で、何度も通ったものでしたが、惜しくも閉店。
閉店を全く知らずに出向いたら、実は最終日でしかも残り一時間と判り、大変驚かされました。
導かれたのかなと思いつつ、名残惜しんでの撮影。
今は建物は残りつつも塗り替えられ、焼き肉店となっています。



〇3月 南房総
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東京の緊急事態宣言が明けるのを待ち、南房総へ。
今年は見送りかなと半ば諦めていました。


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金谷港では日没時間と重なり、幻想的な雰囲気に。



〇3月 横浜
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横浜へ買い物に向かう際、みなとみらいの出口が混雑していたため、東神奈川で降り、コットン大橋、みなとみらい橋経由に急遽変更。道中、少しだけ寄り道しました。
「BAR POLESTAR」と「Bar StarDust」。
70年代から80年代のアクションドラマでは、ロケ地として多用。当時と変わらない佇まいが残っています。



〇3月 麻生川沿いの桜の風景
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柿生から新百合ヶ丘にかけて小田急線に連なるかのように流れる麻生川沿いの散歩道。
コロナ禍の前には屋台が出ていたりもしたものですが、今は寂しく小雨交じりで人出も極小。



〇6月 腰越漁港
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東京が緊急事態宣言からまん延防止措置に移行したのを待ち、鎌倉へ。
腰越漁港から江の島を望む構図。


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腰越から江ノ電に揺られて、鶴岡八幡宮へ。


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再び腰越に戻り、次に向かったのが葉山マリーナ。
ここも、70年代から80年代のアクションドラマの撮影で多く使われた場所です。


この時期は、オリンピック・パラリンピックの開催動向を固唾を吞んで見守っていたことを思い出します。結局、無観客開催に決定。その判断に関してはノーコメントということで。


上期はこのくらいで、下期は次回に送ることにします。
Posted at 2021/12/27 19:50:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2021年12月24日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る40(最初期型タウンエース)

思い出のクルマをカタログで振り返る40(最初期型タウンエース) 気が付けば今年も早クリスマスということで、残すところ約1週間となりました。年末恒例の振り返り等を考慮すると、今回がクルマネタとしては今年最後かなというところで。

何を取り上げるべきかは少し考えたのですが、今の車界隈で話題となっている一台は、来年早々の発表が決定しているノアとヴォクシー。長年のライバル車となるステップワゴンもモデル切替となるようで、既に前哨戦の様相を呈してもいます。

このセグメント、最近はユーザーのダウンサイジング傾向の影響は否定できないものの、この国のファミリーカーとしては一大マーケットを形成しているのは、疑いようのない事実かと思います。

それなら、これを機に創生期を振り返ってみようと思い付いたという訳なのです。


ノアとヴォクシーは、今もライトバンとトラックの名称で残るタウンエース(とライトエース)のワゴン版の系譜となります。初代ライトエースにもワゴンが存在していたという事実はありますが、一般的に広く売れたとは言い難く、このマーケットの開拓者は初代タウンエースと認識しています。個人的には歴史を作った一台かなとも。(軽く書いた回はこちら

初代タウンエースの登場は、1976年10月ということで、ちょうど45年前となります。時は、排ガス規制の真っ只中。商用車より一足早く乗用車には厳しい規制が導入された関係もあり、チェリーキャブ/サニーキャブ以外はこのクラスのキャブワゴンから撤退。バンモデルもモデルチェンジの先延ばしが行われていました。

そんな中で登場したタウンエースは、ライトエースのワイド&改良版という成り立ちながらも、久方ぶりの新型であり、ワゴンを携えていたことも話題となりました。この後、ライバル車の一新が続くのですが、少し早かった先行者の利は大きなものだったのです。


といったところで、カタログの本編に入っていきます。
今回取り上げるのは、1976年(昭和51年)10月に発行された最初期のもの。よくよく調べたら、オート店版のようで中々珍しいものかと思います。カローラ店版との違いは、バン1200の有無。オート店はライトエースバンを継続販売していたため、タウンエースの内、バン1600とワゴンのみを扱っていたのです。どうやら、バン1600も短期間で扱いを止めているようでもありまして。




最初期型のカタログのみバンとワゴンが一体での掲載。さらに最初に掲載されているのはバンということで、販売の想定はバン>ワゴンとなっていました。当時のプレスリリースによると、月販目標台数は、バンが3,000台、ワゴンが1,000台だったようです。

初代ライトエースからドアを流用しつつで拡大されたボディサイズは、初代ライトエース比で全長:120mm、全幅:85mm、ホイールベース:145mmのプラス。

初代ライトエースにはハイルーフの設定がありましたが、タウンエースでは最初期型には投入されず、後日追加となっています。

ボディカラーはバンの専用色となるブルー。街中ではこの色のバンをかなり多く見かけたように記憶しています。





全幅:1,650mmというのは、当時のミドルクラスセダンよりも幅広ですし、Fトレッド:1,430mmというのもより一層。K型より一回り大きいT型エンジンを搭載するにあたり、キャブ周辺のフロアパネルや足回り等、ハイエースとの共用があったのではないか?というのは推測です。

バネットが後年ワイド版のラルゴを追加したり、デリカが全幅:1,690mmで登場したことからすると、先見の明があったとも思います。

Rトレッドは、フロントよりも85mmナローとなる1,345mm。これでもライトエースからは75mmの拡大であり、当時としても幅広の部類とはなるのですが、フロントのワイドさと比較するとホイール位置の差は一目瞭然でした。

フロントガーニッシュに特徴のあったライトエース。こちらもライト脇のガーニッシュが印象的であり。丸目、バンパー下のターンレンズと相まって愛嬌のある顔と言っていいかなと。

リヤビューは、リヤコンビの外側を吊り上げた当時のトヨタ流。カローラ30バンと共通するイメージですね。





今視点では明らかにシンプルなインパネですが、当時はインパネにボディパネル色がないだけで、かなり豪華に映ったものでした。ステレオはカセットではなく8トラック、吊り下げクーラー共々時代を感じさせるオプションですね。ステアリングはカローラ系からの流用。

(恐らくエンジン高の関係で)センター部にシートは設けられず、2座となっていました。見方によっては乗用車風とも。セパレートシートだからなのか、シート背面にはディビジョンバーを設置。エンジンにアクセスするための、シートバック前倒し機能はあるものの、バンではノンリクライニングとされていました。





バン1600では、2人乗車時750kg、5人乗車時500kgで設定。これはバン1200&ライトエースの3人乗車時600kg、6人乗車時400kgよりも過積載が可能であり、このクラス最大の積載量ということでアピールされていました。このクラスのキャブオーバーは5年間で2.5倍の台数に急拡大していたそうですから、ミニエースの後継ではなく、一クラス上を狙うというのは戦略的でもあったのです。

荷室部分のサイズは、長さ方向はライトエースとほぼ同じで、幅方向が85mmのプラス。エンジンより後部のフロアパネルは、ライトエースを拡幅して使っているのだろうなと。





タウンエースバンもライバルに先駆けての部分は多々ありますが、新しい潮流を創った点ではワゴンが抜きんでていると感じます。

特に大きかったのは、ワゴンのみに設定されたカスタムの存在。初代ライトエース同様、デラックスに留めていたら、間違いなくその後の歴史は変わっていただろうとも思うところです。

フロントディスクブレーキ、(乗用車でもまだ珍しかった)ラジアルタイヤ、サイドストライプ、ファブリックシート。これらがバンの垣根を超えて、乗用車の領域に入り込む武器となりました。

パッケージング自体は初代ライトエース由来ということで、この後のワンボックス群と比較するとラゲッジ部分が長く、その分車室側が短いというシート配置でした。





メカニズムや装備品を紹介した見開きです。

エンジンはバンが2T-Jでワゴンが12T。後者は触媒付きのTTC-C、2T-Uも搭載可能だった筈ですが、希薄燃焼のTTC-Lが選択され、51年規制に適合していました。II型以降は、1800に拡大&触媒を付加した53年規制の13T-Uに換装されることになります。

因みにバン1200は64馬力。30馬力近い違いは、積載量増にも耐えられる1600のパワフルさが際立ってもいたのです。

ワゴンはこの後、カスタムエクストラ → スーパーエクストラ → グランドエクストラとグレード&装備の上積みが図られていきますが、この年代はまだバンと一体で掲載できるぐらいではありました。

イエローとブラウンのボディカラーがワゴン専用色。バンと共通のホワイトも選択可能でしたが、やはりこの2色が大半だったように記憶しています。





裏表紙は主要諸元表。

全長は当時のカローラクラスと同等。全幅は当時のコロナとマークIIの中間くらいの設定でした。このサイズ設定は、当時の大き過ぎない小さ過ぎない絶妙なところを突いていました。売れた要因の一つと認識するところです。

装備がまだまだシンプルということもあり、車重もワゴンで1,075kgと意外と軽量。当時のコロナ1600でも1,000kg前後の車重でした。バンの4ドアに+45kgですから、シート1列分+αぐらいですよね。もちろん、後年は豪華装備でどんどん車重が増えていきます。

ギヤ比は、バンとワゴンで共通というのが意外な驚き。II型以降はよりクロスレシオとなったワゴン用のギヤ比が採用されています。このギヤ比はバンが最大積載量を積んだ時を考慮した設定で、人数or荷物が少ない時ならセカンド発進も可能なぐらいの数値。この型のワゴンに乗せて貰った時も、ローは使ったとしても一転がりで直ぐにシフトアップという乗り方をされていました。

タイヤは165-14のラジアルを標準としたカスタム以外、ライトトラック規格の5.50-13のバイアスが標準。バン1600は積載量増に対応するため、リヤのみプライ数が上げられていました。ワゴンも商用車用というのが意外ですが、適当なサイズの乗用車用バイアスがなかったためかなと。


プレスリリースによると、当時の東京地区の価格で
 ワゴン デラックス:96.6万円、同カスタム:106.1万円。

デラックスで当時のコロナ1800DX、カスタムだとコロナ2000GLが近似の価格でした。セダンと比較すると、やはり少しお高めではあるのですが、それでも検討対象に上がれる価格設定ではあったのです。


といったところでいかがだったでしょうか。
70年代前半まではクルマは何よりスピードが第一だった時代。そこからオイルショック、排ガス規制が入ってきて、スピード重視から離れた価値観が芽生え始めていました。西海岸由来の文化となるバニングが静かなブームとなり始めていたのも、そんなムーヴメントからでした。

そのブームに上手く乗ったのがタウンエースと言えます。逆にブームを加速させる存在だったという言い方でもいいかもしれません。

トヨタが上手かったなと思わせるのは、ここでのカスタムの設定であり、2年後に登場するII型への手の入れ方もあります。初期型のカタログを見ていて、気になる点はII型でほぼ改良が行われていたりもしますし。

このセグメント、大衆キャブワゴンと分類するようですが、特にワゴンにおいては台数では凌駕されることがあったとしても、存在感としてはタウンエースが中心であり続けました。後継となるノアも少なからず同じような存在かなと思うところでもあります。


最後にいつものように思い出話を。

この型、兄弟車のデルタワイドの方でしたが、父の友人が父と長く親しくしていたセールス氏を通して、登場早々に購入しています。グレードは真ん中ということでデラックス。松竹梅の竹ということで選び易かったのでしょう。

もう一台は、後年父が知り合った方で、こちらはタウンエースのカスタムでした。

両者共に職業で、バスやトラック等に乗られていた方で、このボディ形状への違和感は少なかったようです。乗り始めて見ると、乗用車ではとても望めないようなユーティリティがあるということで、便利に使われていたというのも同様。
我が家が引っ越すという時も、タウンエースを出してくれて、大量の荷物を積めることに改めて驚き、何より感謝をしたことを鮮明に覚えていたりもします。

父はタウンエースを運転する機会があり、2代目のライトエースワゴンと比較するとこちらはパワーがない、なんて言い方をしていたような。

ご近所界隈でも、この型のワゴンが車庫に収まる姿を段々見かけるようになりましたから、キャブワゴンを一般家庭の購入対象に上がらせた立役者と言っていいかなとも。周りの増え方からしても、月販1,000台は余裕でクリアしていただろうと推測します。


以前にも何度か書いているのですが、このセグメントが約半世紀という長い時間の中で一番大きく変わり、何より進化をしたと思っています。その推進力となったのは、需要が確実に存在するからだと認識もします。

今に至る土台というか基礎を作ったのは、間違いなくこのタウンエース。今に通ずる部分、今と大きく異なる部分、各々を見出していただければ幸いです。

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2021/08/05 19:34:14

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