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2023年01月20日 イイね!

2003年に成人式を迎えたクルマ達

昨年、一昨年と20年前を振り返った次には、さらに20年を遡るを続けてきました。今年もやろうと決めてはいたのですが、企画はたってもブログに超す時間が中々確保できず、苦労させられることしきり。元は成人式ネタですから、あまり時間を開けたくもありませんし。

本業の多忙を縫って、何とか作ってみました。20年前より40年前の方が文章が簡単に浮かんだのに大いに助けられた、という話もあったりします。

〇トヨタ

5月19日 ターセル/コルサ(フルモデルチェンジ)/カローラII(新発表)

試作に近かった初代ターセル/コルサを、3兄弟に広げつつ、ファミリアに対抗できるだけの商品力を持たせたのは、かなり周到な商品企画あってこそかと。周到が過ぎて、特にスタイル面でファミリアの真似と酷評されたのも事実ですけれども。

画像の通り、ターセルは5ドア、コルサは4ドア、カローラIIは3ドアをイメージリーダにしてキャラクターを分けていました。この中では当初カローラIIのみに設定された3ドアが特に好評で、翌年にはターセル/コルサにも追加されることになります。並行してこの時期には割と3兄弟間で異なっていた仕様や設定の相違は徐々に共通化が進み、やがて販売店の違いによる正しくバッジエンジニアリングへと転じていきます。



8月30日 スプリンター・カリブ(新発表)

3兄弟に遅れる事、約3ヶ月。
前年のモーターショーに「RV-5」名で出品された4WDワゴンが、スプリンター・カリブ名で加わることになります。スクープ段階では、カローラIIに準じてスプリンターIIと噂されていました。

FF縦置きのメリットを生かして、70カローラのリヤアクスルを流用しつつで4WDを構成。その成り立ちには、4WDの先駆者レオーネとの比較で、安直なマネという批評がありましたが、特種なジャンルと認識されがちだった4WDを身近にした点は評価すべきと思います。

見所はむしろスタイリングかもしれません。低い車がカッコ良かった時代に、ミドルルーフのワゴンボディのみというのは、個性的なリヤスタイルと相まって意欲的に映ったりします。

※RV-5の画像もありましたので、参考掲載してみます。架装を外せば、かなり市販車に近い装いですから、一年前の時点で相当仕込みは進んでいたのでしょうね。



11月8日 タウンエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)/マスターエース・サーフ(新発表)

ワンボックスワゴンブームの一角を占めていたトヨタは、この年ライトエース以外のワンボックスを一新。タウンエースと新たに追加されたマスターエース・サーフは、従来型あるいはライバル車等のワンボックスから大きく進歩した、フラッシュサーフェス主体のモダンなフォルムに驚かされたものです。このスタイリングは、ライバル車の次世代にも影響を与えたと認識しています。

リヤアクスルが、リジッドながらもバンと共通の板バネからワゴン独自のリンクコイルへと変わったのも、新たな時代を感じさせたものです。バンとワゴンでサスを変えるというのは相当な決断だった筈と推測します。



12月9日 ハイエース・ワゴン(フルモデルチェンジ)

上に掲載したタウンエース系の翌月に登場。
どうしても比較してしまう訳で、こちらはルーチェレガートを連想させる縦目に驚かされたくらいで、デザインとしては保守的に映ったことを思い出します。
もっとも、特にバンの方はキャラバン/ホーミーと激戦状態でしたし、長らく搭載され続けてきたR型エンジンの世代交代対応等、近代化の視点でも必要なモデルチェンジではあったのでしょうね。

トヨタは、OHV1.8Lの13T、OHC2.0Lの21Rに替わる新世代エンジンとして、縦置きにも横置きにも使えるS型を乗用車に展開していましたが、ワンボックス&商用車系にはOHVのY型を新たに起こしています。敢えてのOHVだった筈で、座席の下にコンパクトに収めたいから、がその理由と読んだ記憶があります。



1月19日 コロナ FF5ドア(車種追加)

当時の扱いは車種追加ということで掲載を迷ったのですが、実質的にはモデルチェンジ同等ということで掲載することにしました。この時期のトヨタ特有の周到な戦略を象徴する一台とも思えますし。

カムリ/ビスタ、カリブと前年に姿を現していた車の市販化が続く中、予想外の姿に驚かされたのが、このFFコロナでした。130型で設定のあったリフトバックは140型になく、後からFFで追加されるという噂はありましたが、誰もがビスタの兄弟車という予想を立てていたのです。

それだけにスタイルはもちろん、シャシーも異なる形での登場にはかなり驚かされたものです。

もちろんこの5ドアだけに留まることはなく、4ドア・ツインカムと順次の移行を
果たして、実質的にはモデルチェンジという位置付けになっていきます。この移行、一見では慎重に映る一方、登場順等、よくよく考えると理路整然としているのが何とも恐ろしいところではあります。

もっとも、この5ドアだけは急遽投入された疑いはありまして、当初の1.8キャブ&3ATは、一年も経たない4ドアの追加時にセントラルインジェクション&4AT化され、1.8EFI・1.5等エンジンバリエーションも大幅に増やされています。
FRコロナは、登場当初こそ910の連勝記録を止めましたが、新たに追加された4ドアハードトップが追い風となった910にしばらくすると逆転され、次第に劣勢になるという状況でしたから、早期投入が求められたのかなとは。


トヨタは、この年の7月、自工と自販が合併していまして、この後の新型車攻勢に大なり小なり影響を与えたと見受けています。カローラ・クラウンといったメインの大物は翌年度に控えつつ、谷間の年を感じさせない展開ですし。

これら新型車以外にも、ツインカム24、ツインカムターボ、ディーゼルターボが投入されて、市場の大きな話題となっています。特にツインカム24は、トヨタの悲願でもあった2.0Lクラスで日産との逆転にも大きく寄与していくことになります。



〇日産


4月27日 パルサー(フルモデルチェンジ)
6月1日 ラングレー(フルモデルチェンジ)
6月15日 リベルタビラ(新発表)

ファミリアに影響されたのは、日産も同様だったと言えるでしょう。
3・4・5ドアを揃えて、3兄弟に配しつつ各車を別の販売系列で売るという戦略もトヨタと軌を一としていました。

今視点で眺めて驚かされるのは、先代の末期でパワートレーンを一新したとはいえ、先代からの踏襲が優先されていて、同クラスであるサニーとの共用が意外なほど少ない点が挙げられます。

日産直系の鶴見とプリンス由来の荻窪という開発拠点の違いがその理由と推測しますが、購買層も含めた外野的視点では何とも理解しにくいとしか。パルサーの発表時点では2ボックスのN12と3ボックスのB11で差異を表すのかなと予想していたら、間もなくこちらにも3ボックスが追加されたのはさらなる驚きでありました。

その3ボックスの兄弟車リベルタビラの登場を機に前年に登場したバイオレットリベルタはラインナップから落とされています。日産店としてはブルーバードに近すぎて売り分けに苦労させられたバイオレットリベルタよりも、当時の売れ筋の一つである1.5セダンに販路を広げられるこちらの方が歓迎されたようです。



8月24日 プレーリー(新発表)

先月取り上げたばかりですので、今回は略とします。



10月22日 マーチ(新発表)

シャレードの好評を受けてか、当初は穴場的存在だった1000cc市場が再び注目されるようになり、その二番手に名乗りを上げたのが日産でした。

発表当時から明らかにシャレードのフォロワーと映っていましたが、日産からしてみれば、サニー、チェリーと長く続けてきた市場でもあり、元祖はこちらと言いたかったのかもしれません。

NX018名でモーターショーに出品後、車名募集で注目を集めるという手法はサニー登場時の再現でもありました。

※NX018の画像もありましたので、張り付けてみます。スプリンター・カリブ以上に市販車に近い装い(というか、内外装色とシート生地等を除けば、ほぼ市販車のままですね)で出品されていました。

軽自動車からの拡大を意識したシャレードは3気筒でしたが、こちらは逆にダウンサイジング層を意識してか4気筒を選択。当初から3速ATが選べるという有利さもありました。

コストの制約が厳しいことが逆に幸いしたのか、てらいやあざとさを感じさせないキャラクター、プレーリーに続いて兄弟車を作ることをせずに日産店・サニー店・チェリー店へ同じモデルを投入する等、好感の持てるモデルでもありました。

さすがに、ここから10年作り続けるとは思いませんでしたけれど。先日ラインナップから落とされるまでの40年間で4代ですから、長寿を宿命づけられていたと言えるかもしれません。


日産も、創業50周年、ブルーバードのFF化、長らく続いたL型6気筒に変わるV6の投入等、話題を匂わせつつで仕込みを進めていた谷間の年にあたるかと思います。

鶴見が仕込みに勤しんでいる間にプレーリー、マーチと荻窪からの新型車が相次いだという見方もできそうです。

国外では折角築いたダットサンブランドをニッサンブランドへ変更するという変革も進んでいました。
変えるを優先した影響からか、既存モデルへのカンフル剤投入等でタイミングを逸し、手隙が生じていた印象は拭えません。その隙を容赦なく突いていたのがトヨタらしいとも。70年代までは逆転があるかもと思わせたトヨタと日産の関係が、その後大きく差が開く元は、この時期が端緒と思えたりします。



〇三菱

5月14日 スタリオン(新発表)

メーカー作のデザインストーリーによると、セレステの後継から発展して三菱のフラグシップスポーツへと転じる経緯だったようです。その過程では当時提携していたクライスラーの関与もあったようで。

GTOの後継となったラムダが、年々スペシャルティ色を強めてラグジュアリーに舵を切っていましたから、GTOの再来となる久方ぶりのスポーツカーに期するものがあったであろうことは想像できます。

私的には、スタリオンは登場がもう一年早かったら、売れ方が違っただろうと思っています。1981年はターボ旋風が巻き起こって、三菱もその恩恵を受けた社の一つでした。その時期に登場していたら、大いに注目され更なる追い風となったであろうことは先ず間違いなく。

そこから僅か1年の間に、リトラクタブルはセリカXX、コスモが先行し、ハイパワーウォーズはツインカム6の170馬力、4バルブDOHCの150馬力とDOHCが巻き返す中では、遅れて登場したことで機を逸した感は否めませんでした。

登場後のスタリオンは、インタークーラーを付けて175馬力、シリウスDASHで200馬力と4G63ターボのパワーアップを順次行い、足回りも熟成を進めていきます。三菱の真面目さの表れと感じますし、北米では国内以上に好評で長く続いた点は付記すべきでしょうね。




2月23日 シャリオ(新発表)

プレーリーに続いたFFのスペースワゴンがシャリオでした。

先日コメントを頂戴した際に、1979年のモーターショー出品から3年間の時間差の謎を解くことができてもいます。(こちらのデザインストーリーへのリンク

ミラージュベースからトレディア/コルディアベースへの変更が生じていたようで。市販モデルの方がショー参考出品時より胴長の印象があったのですが、なるほどと。

ワンボックスとの近似を感じさせるプレーリーに対して、ステーションワゴンとの近似を感じさせるのが興味深かったりします。初代オデッセイに近いとも言えるのですが、こちらは10年以上前の登場ですからね。

スタリオン同様、ターボ、4WDと熟成しつつで商品展開を拡げていきますが、こと国内に限っては広く市場で受け入れられた言い難く。企画も製品も決して悪くなかったことからすると、ワンボックスブームとRVブームの谷間の時期に登場したのが不運だったとしか思えません。



2月25日 パジェロ・ワゴン(新発表)

スタリオン、シャリオは共に意欲作。でも何よりのエポックは、このパジェロワゴンであったと思います。

SUVという言葉が一般化するずっと前、このカテゴリから5ナンバーが登場したことが驚きなら、ディーゼルターボだけではなくガソリンターボも選べたのは何よりの驚きでもありました。

オンロードを意識したクロカンというコンセプトをさらに乗用車寄りに進めた形ですが、クロカンの歴史を変える、新たなそして偉大な一歩だったと言えます。

新しい息吹を感じ取られた方は、当初こそ少ないながらも確実に存在していました。父が長らくお世話になり、私もお世話になったことのある整備工場の社長さん、2代目の登場早々に購入した280Zから、やはり発売直後にこちらへ代替されていまして。方向性は異なりながらも、スポーツカー同様、一般的な乗用車に飽き足らない層に新鮮なモーターリングを提供したことは間違いなく。


車種追加のため掲載は見送りましたが、この時期にはデリカに4WDも追加されています。こちらは今も続くとなるわけで、大量販売とまではなりませんでしたが、偉大な財産を残したのかなとは。



〇マツダ

9月22日 カペラ(フルモデルチェンジ)

ファミリアが見せた逆境からの大逆転劇、夢を再びということで内外からの期待を集めたのがカペラでした。

このクラスとしては早めのFF化であり、製品の出来としても上々。間違いだらけ・・・を始め、専門家筋の評価も高く、カー・オブ・ザ・イヤーも獲得していますが、国内の販売は期待されたほどには伸びず。むしろ国外の方が好評だった感があります。

当初は4ドアセダンをイメージキャラクターにしますが、赤のボディカラーがファミリアXGを意識していたとしたら、その上級移行には5ドアを当初から据えるべきだったのかもしれません。5ドアは、マイナーチェンジで追加となりますが、他車のFF移行が一通り終わった時期にはインパクトが弱く。

あと、このカペラで何より一番強く印象として残るのは、アラン・ドロンを起用してのCMでしょうね。




10月4日 フォード・レーザー/テルスター(新発表)

マツダの歴史視点としては、オートラマも外すことはできません。
カープラザ店、ベルノ店、ビスタ店等、他社の先行導入事例を踏まえての新系列展開は、他事業からのディーラー加盟も多く、後の5チャンネルにも繋がることとなります。

投入された商品は、フォード名を掲げているものの実質的にはマツダのファミリアとカペラの兄弟車で構成。
もっとも、レーザーはファミリアに先行しての1.5インジェクション、テルスターはカペラに先行しての5ドアと実験要素も含まれていました。



〇ホンダ

11月25日 プレリュード(フルモデルチェンジ)

この年一番のエポックがパジェロワゴンとすれば、商流での一番の成功はこのプレリュードではないでしょうか。

先代の不人気とは一転しての人気急上昇は、初期の販売台数の少なさも相まって、しばらくの間中古車価格が全く落ちないという現象へと繋がっていきました。

パーソナルカーとスポーツカーを混同してハイパワー戦争に明け暮れていた他社からは離れて、パーソナルカー、デートカーの要素を追求したのが成功の要因だったと思います。MTよりAT、フル装備でスマートに、というのは同じ頃巻き起こったハイソカーと重なる部分でもありました。

コスモ、ラムダ、シルビアとこの種で一定の成功を収めていたのに上手く繋げられなかった他社からすれば、かなり悔しくあったでしょうね。

2.0Siが追加されるまでは1.8一本のみだったのもむしろ成功したと認識します。買う際に迷わず、買ってからもプライドが持てるとなるわけで。
初代カリーナEDを作る際、グレード設定の参考となったことが語られていたりします。

92レビン/トレノ、S13シルビア共に2代目プレリュードがあってこその企画と映りますが、いかがでしょうか。


ホンダのこの年で思い出すのは、国内だとシティターボ、国外だとアコードの現地生産になります。前者はシティの人気に拍車をかけた存在、後者は北米でのホンダ人気を不動のものにすることに貢献しました。
共にホンダの80年代の躍進に一役担ったと言えそうです。



〇いすゞ

3月10日 フローリアン・アスカ(新発表)

ディーゼルというカンフル剤で何とか長寿に繋げられたフローリアンに変わっていすゞが投入したのがアスカでした。

当時一番のボリュームゾーンに投入する新型車ですから、相当期するものがあったのは間違いなく。

想定外は、ボリュームゾーンだからこそ他社も力作を連発していて、アスカの段ではインパクトに欠けたことでしょうか。ベースとなったJカーは、数年前から噂が立っていて、危機感を持った各メーカーは対抗馬の開発を急ぎました。その成果がFF化された各小型車達だったわけです。

市場投入がもう少し早ければ、歴史が変っていたかもと思わされるのが、このアスカであり、もう少し後で登場するサンタナですね。



〇ダイハツ

11月17日 デルタワイド・ワゴン(フルモデルチェンジ)

本家はこちらとも言えそうですが、タウンエースの項で取り上げているため、略とします。



1月20日 シャレード(フルモデルチェンジ)
画像は後に追加されたガソリンターボ

排ガス規制と上級移行が相まって空白となっていたのが、1000ccクラス。
そこに3気筒を積んで登場したシャレードは、第2次オイルショックで省エネが重要視された時代の流れにも乗って、先行者利益を充分享受することができました。トヨタの下請け的存在に成りかねなかったダイハツを救った救世主でもあったと思います。

一台当たりの利益は少ないながらも一定数の需要が見込める市場を他社が見過ごす筈はなく、受けて立つ立場となった2代目でもありました。

3ドアの4グレードのみに絞って登場したマーチに対して、こちらは3ドア・5ドア、ガソリンにディーゼル、少し間をおいての両ターボと、正しく全力投球の様相を感じさせもしました。デ・トマソ、926もこの2代目で登場していますし。

見どころは多々ありましたが、究極はやはり空前絶後のリッターディーゼルに尽きるでしょうね。経済車の究極という書き方でも間違いはないと思います。
上級移行へのアンチテーゼだったシャレードが自身もその誘惑に陥り、上手く残せなかったのが何とも惜しまれます。



〇スズキ

6月9日 セルボ(フルモデルチェンジ)

スズキはカルタスが登場するまでの前夜ということで、この時期は軽自動車の専業メーカーでした。

フロンテクーペはライバル他社がスポーツ&スペシャルティからの撤退が相次ぐ中、唯一新規格に適合させた上で初代セルボへと転じましたが、ベースとなるフロンテがRRからFFへ移行したことに伴い宙に浮いた形となっていました。

それなら、FFベースで新型クーペを作ろうとなったのだろうと推測しています。
スポーツカーへの社会的認知が低く、軽自動車への規制も今よりはるかに厳しかったという時代背景からすると、先代以上にスタイル優先のスペシャルティとなったことも仕方ないと思えます。

翌年にはターボが追加されてスポーティ色を強めますが、キャラクターとしては逆に不鮮明になった気もします。

このボディからマイティボーイが生まれた点は特筆すべきでしょう。クーペとトラック、全く異なるジャンルの垣根を超えたのはスズキならではのアイデアと思いますし。


ここからは全体俯瞰へと移ります。
この年を一言で纏めるなら、好調の波に乗るトヨタ、ホンダとその影響を受ける日産、三菱の構図でしょうか。

北米輸出の台数制限もあって、国内市場の確保に各社総力戦の様相となっていたのは間違いなく、出てくるモデルも新時代の到来を思わせるモデルが続いていました。その背景には、FRからFFへの移行という一大転機が絡んでもいて。

こうして並べて見ると、売れる or 売れないを分けたのは、紙一重の違いだったとも思います。企画から製品化に至るまで多くの分岐があり、一つの間違えが想定以上の差となって現れていたのではないかなとも。性能以外の各面からも評価が入るクルマという製品の怖さですね。

そして中には新たな一歩を刻んだもの、時代を創ったものがいたりもします。
40年前ともなると、当時を覚えている方も少なくなってくるのかなと思います。我流の解説付きとなりますが、当時を懐かしんでもらえるとありがたく存じます。



【画像の出展】
・ターセル/コルサ/カローラII、シャリオ、アスカ、シャレード、セルボ:自動車ガイドブック
・ハイエース:トヨタ75年史サイト
・その他:FavCars.com
Posted at 2023/01/20 18:37:07 | コメント(8) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2023年01月09日 イイね!

2023年に二十歳の集いを迎えるクルマ達

年末年始の休みも終わり、出勤してみれば何かと忙しく。
割と手間のかかるお題ということで、少しずつ積み上げた回となります。
20年経って振り返ってみる、いい機会ではあるので何とか頑張ってみました。

軽く調べてみたところ、成人年齢の引き下げがあったものの、成人の日自体は「二十歳の集い」と名前を変えるのみで式典自体は従前のままという自治体も多いとのこと。それならばと、ここもタイトルを変えただけで2002年4月2日から2003年4月1日で進めることにします。

自動車の平均耐用年数や自動車税制の重課等からすると、18年というのも一理ある気はするのですが、20年で続けてきたものを変えるとなると、空白期間が出来てしまいますし、かといって「複数年分とかとても無理」なのです。

今回も自動車ガイドブックの掲載順に合わせて、メーカーのアルファベット順で、先ずは日本車から掲載していきます。

〇ダイハツ

6月9日 コペン(新発表)


10月15日 ムーヴ(フルモデルチェンジ)
12月20日 ミラ(フルモデルチェンジ)

コペン、もう20年なのだなぁと。
当時はABCトリオ同様、短期間で終わるのかなと思っていたのですが。
この種はどうしても最初に人気が集まり、あとは細くで続ける商いとなってしまいます。モデルの切り替えに伴う休止期間はあれども、20年続けたのは評価されていいと思います。

1998年に新規格への切替に伴い、全車ほぼ一斉の再スタートとなった軽自動車。ムーヴとミラはその中から先陣を切ってのモデルチェンジとなりました。トヨタの関与が強まった影響からか、質感の向上が著しかったことが記憶に残っています。MEGAWEBに展示されていた時期があったのですが、コンパクトカーの一群と比較しても、あまり差異は感じなかったような。



〇ホンダ

9月18日 モビリオ・スパイク(新発表)
10月10日 アコード(フルモデルチェンジ)


11月22日 FCX(新発表)
11月29日 フィット・アリア(新発表)


2月27日 MDX(新発表)

この中だと印象に残るはアコードです。
3枠に移行しながらも大き過ぎではないサイズ。輸出想定もあってか、作り手も手抜き無の感があり、3・4代目以来、久方ぶりに買ってもいいかなと思わされた一台でした。

登場に驚いたのは、フィットアリア。
フィットの面影をここまで残しつつでセダンを作るんだと思ったものです。プラッツでも軽く感じましたが、このクラスではセダンが作りにくいことを感じ始めたことを思い出します。



〇マツダ

5月20日 アテンザ(新発表)
8月7日 デミオ(フルモデルチェンジ)

比較的長く関係の続いたフォードが離れ、販売の最前線は大廉売を連発と先行きを心配させたのが当時のマツダ。アテンザは危惧を払拭させる会心の一撃だったと思います。

カペラから社名を変えての3枠への移行は、どうしてもクロノス姉妹を連想せずにはいられませんでしたが、こちらは幸いにも二の舞とはならず、イメージ一新も含めて成功したと言っていいでしょう。

苦しい台所事情を支えたデミオもこの年、2世代へ移行しています。
こちらは画像であえて選んだスーパーコージーが印象的でした。この仕様、昨年副社長を退任された藤原さんの提案だそうで(リンクはこちら)、今に至るマツダ快進撃の狼煙という見方もできそうな。



〇三菱

11月11日 コルト(新発表)

お家の一大事を経ての心機一転、陽の目を見た全くの新型車がコルトでした。
車名を聞いた時、どうしてもギャラン以前のモデル群の姿が脳裏に浮かんだものです。

コピーの通り、真面目で出来自体も決して悪くはなかったものの、当時のこのクラスは、先述のデミオの他、ヴィッツ、マーチ、フィットと群雄割拠の激戦区。後発で既納ユーザーも少なくとなると、不利は否めなかったかなと。



〇光岡

6月6日 レイ(フルモデルチェンジ)

記憶から完全に消されていた一台です。
キャロルベースは記憶にあるのですが、ミラジーノベースでも作っていたのですね。

ダイハツとの関係はこれだけなのかなと思いつつも、再度手を結べるとするなら。何となく埋没している感のあるミラトコットをベースにして、再現できないのかなとつい想像させられたりします。



〇日産

4月10日 モコ(新発表)
5月21日 エルグランド(フルモデルチェンジ)


7月30日 フェアレディZ(フルモデルチェンジ)
10月8日 キューブ(フルモデルチェンジ)


2月3日 ティアナ(新発表)

前年に続いて90年代からは離れた新世代群が登場しています。
コンパクト、ミニバン、クーペ、セダンと全方位に向かってもいて。後年とは異なり、まだまだ市場確保に積極的だったのだなと。

日産オリジナルの中ではティアナが記憶に残ります。前にも書いたかもですが、登場早々に試乗車を借り出していまして。運転席よりも助手席に座る人から喜ばれそうなお洒落さという評だったかと。

別枠で一番衝撃的だったのは、実はモコ。
トヨタと日産は軽自動車に参入しないと思っていただけに、OEMとはいえ、日産エンブレムを掲げての登場には驚かされたものです。その後の経緯や現況を鑑みると、歴史を作った第一歩とも思えます。



〇スズキ

1月22日 ツイン(新発表)

当時のスズキの軽自動車は、新規格以降一巡していた時期で、その谷間に出てきたビックリ箱というか。スマートの登場以降、マイクロサイズの2シーターが注目を集めていて、スズキが作るとこうなるんだ、というのが当時の感想でした。

日産で触れたモコはスズキがオリジナル。
この提供が契機となって、しばらく日産と近づくこととなります。この時期に限らず、提携先の渡り歩き方が何ともしたたかではありますね。


〇トヨタ

5月8日 イスト(新発表)
5月22日 アルファードG/アルファードV(新発表)
7月2日 プロボックス/サクシード(新発表)


8月20日 ヴォルツ(新発表)
9月13日 カルディナ(フルモデルチェンジ)


10月7日 ハイラックス・サーフ(フルモデルチェンジ)
10月7日 ランドクルーザー・プラド(フルモデルチェンジ)


10月21日 ウィル・サイファ(新発表)
11月18日 FCHV(新発表)


1月20日 ウィッシュ(新発表)
2月17日 ハリアー(フルモデルチェンジ)

日産がリバイバル期に突入したこともあり、独走の感が強くなったのがトヨタ。
改めて振り返っても、矢継ぎ早に新型を登場させている感がありますね。
国内を固めた次なる挑戦として販売台数世界一に向けての動きが始まったのが、この時期と言えそうな。厳しい書き方をすると、台数を求めるあまり手段を選ばなくなったというか。売れているライバル車に対して後追いでの正面対峙が何台か。この時期以前にも散見されてはいたのですが、ここまであからさまにやるんだ的な。この辺り、当時から評価が分断されていました。

車種数は多いのですが、セダンが一台もないのも印象的。で、登場しているのがアルファード、プラド、ハリアーと今に続く人気車達なのですから、現況を予見していたかのようでもあります。ポストセダンは模索の時期も過ぎ、移行の段に進んでいたのでしょうね。



ここからは輸入車編です。
当時の自動車ガイドブックに沿って、ブランド別ではなく当時の輸入元をアルファベット順で並べてみました。

〇アウディ

7月16日 A4カブリオレ(フルモデルチェンジ)
1月20日 RS6/RS6アバント(新発表)

〇BMW

1月10日 Z4(新発表)

〇シトロエン

9月20日 C3(新発表)

〇コーンズ・アンド・カンパニー

5月22日 マセラティ・クーペ(新発表)
5月29日 フェラーリ575Mマラネロ(新発表)


〇ダイムラー・クライスラー

4月25日 CLKクラス(フルモデルチェンジ)
6月13日 Eクラス(フルモデルチェンジ)


9月17日 マイバッハ(新発表)

〇フィアット

1月23日 ムルティプラ(新発表)

〇ゼネラルモーターズ

7月2日 オペル・ベクトラ(フルモデルチェンジ)
10月15日 オペル・スピードスター(新発表)


1月20日 サーブ9-3(フルモデルチェンジ)
2月24日 キャディラック・CTS(新発表)

〇ヒュンダイ

10月2日 TB(新発表)

〇ランドローバー

4月2日 レンジローバー(フルモデルチェンジ)

〇ポルシェ

9月26日 カイエン(新発表)

〇ルノー

11月22日 アヴァンタイム(新発表)
1月24日 ラグナ(新発表)

〇フォルクスワーゲン

5月28日 ポロ(フルモデルチェンジ)


この中で特に記憶に残るのをいくつか。

マイバッハとカイエンは、共にこのセグメントに参入するんだというのが驚きでした。当時、生き残るには台数が正義という考えが強くあって、従前とは異なる新たな展開があった中の象徴的な動きですね。

カイエンは社の発展に寄与した一方、マイバッハは期待ほどの成果には至らずとなりました。新たな商いは難しいを表していると思います。


スタイルの常識が覆されたというか、デザインに驚かされたのはムルティプラとアヴァンタイム。デザインやパッケージングはもちろん、市場に出るまでのプロセスも含めて、凄いなと思いました。

後者はまだ日産の本社が銀座にあった当時、地下駐車場に実車がとまっていて、関係者の車だろうと推測したことを覚えています。


毎年思うのですが、こんなのあったと頭の片隅から出てくる車がある一方、当たり前に見かける存在でもう20年経ったんだという車もあったりします。後者は、そういえば最近見かけなくなったと再認識することになったりしますね。

あと、毎年掲載は新発表とフルモデルチェンジに限っています。一方並行して一部改良や特別仕様車の投入も数多く行われてもいます。思惑や事情は多々あれど、今よりも国内市場が重視されていたことだけは間違いないと言えそうです。


私自身は、JZX81の修繕を図りつつ、GX81の上級仕様化に邁進していた頃となります。GX81はあまり手をかけずに乗ろうという当初の考えはどこへやら。古くて上級と新しくて中級を比較するのですから、どうしても両方に手を入れずにはいられなくなりまして。
内装以外の部品は、輸出仕様も含めて新品が問題なく出ましたし、製廃が始まっていた内装部品も廃車多数で調達に困った記憶はなく。その過程で自宅は付ける部品、予備で確保した部品、外した部品etcがどんどん増えてもいきました。当時は置き場に困らなかったのも歯止めがかからなかった理由です。

既に3世代前となっていた普通のセダンを2台並べた挙句、新車も買えていたであろう出費を投じています。その結果、一般的なカーライフでは先ず得られないであろう知識と経験が習得できました。今より遥かに趣味的でかつ没頭していたのは間違いなく。「20年前に戻れたと仮定して、もう一回同じ選択をするのか?」と問われたら、回答はしばらく考え込んでしまうのですけれどね。


【画像の出展】
・ミラ、ムーヴ、レイ:自動車ガイドブック
・他車:FavCars.com
Posted at 2023/01/09 06:29:35 | コメント(12) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2022年01月16日 イイね!

20年前に新成人を迎えたクルマ達(2022年版)

文章作成がやっとの状況に新たなお題を捻出できる余裕もなく、今年も昨年に続いてのネタをお送りすることにします。(昨年版はこちら

1年進んだことにより、1981年4月2日から1982年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

引用元の関係で、輸出仕様の画像が多く含まれていますが、可能な限り国内仕様に近いものを選んではいまして、雰囲気がつかめれば幸いです。

〇トヨタ

7月2日 セリカ(フルモデルチェンジ)

この年度はソアラに続いてのDOHC-6搭載が大いに話題を集めたセリカから始まっています。

初代は、このジャンルを開拓し大いに普及させた記念碑的存在でした。続く2代目は、斬新なデザインを求めてアメリカに設立したデザインスタジオCALTYの案を採用したところ、曲線基調のデザインが国内では受けず、後発の3代目シルビア(&ガゼール)に苦戦を強いられています。

デザイン案を国内に戻して、直線基調で再びの若者人気を狙ったのがこの3代目。2000GT以来のリトラクタブルライトを採用したXXは、好評で受け入れられますが、ライズアップライトを採用した4気筒は期待に反する結果に。

販売の主力となる北米においては、2代目の方がデザイン評価は高く、ブラックマスクへの変更を経て、FFへの転換を図る次世代では再び曲線基調へと振れることになります。




9月7日 カリーナ(フルモデルチェンジ)
1月26日 コロナ(フルモデルチェンジ)

スクープ記事では、共にFFへの変更が噂された2台でした。
前年のセリカ・カムリのみへのIRSの採用、2代目までは同時に変更されてきたセリカのモデルチェンジが初めて先行となったことが噂の根拠ともなり。

結局、セリカから少し遅れ、FRを継続しての登場となりました。
このセグメントは、910が登場して以降、ブルーバードが独走していて、多くの顧客を抱える販売店は、(特にコロナは)新型車の早期登場を熱望。その過程においてFRの堅持要望が強かったのだろうというのは推測。

カリーナは、新型車効果でブルーバードの連勝記録に挑んだものの、マークIIに続いて、僅かながら及ばず。連勝記録をV27で止める役目は、最大のライバルであるコロナが果たすことになります。

当時は、それまで別のシャシーだった両車がシャシー共用となったことが話題となりました。兄弟車ながらも割と異なっているように映ったものですが、こうして並べて見ると、血筋は争えずの感はありますね。

この世代、FF化までの過渡期の感は否めず、コロナが先行してFFに主力を移した後、カリーナも後を追うことになります。




3月24日 カムリ(フルモデルチェンジ)/ビスタ(新発表)

販売前年秋のモーターショーに、F-120の車名で5ドアが参考出品という過程を経ての発表でした。

先代のセリカ・カムリは、当初カローラ店に投入された後、僅かに遅れてビスタ店の設立と同時にビスタ店との併売となっていましたが、この代で兄弟車関係へと進化しています。

当初は両モデル共、4ドアの1800 5Fのみということで、生産が立ち上がった仕様を急遽投入した感が否めずでした。先代がカリーナの兄弟車だったことと合わせて車格設定が理解されず、(特に専門家筋の)評価は極めて高いながらも、販売に苦心する要因となっています。


前年度にマークII3兄弟、ソアラとアッパーミドルクラスを固めたトヨタは、この年度で一つ下のミドルクラスの陣容を一新しています。70年代末の時点では、ミドルクラス以上は日産が優勢、以下はトヨタが強いという力関係があり、このクラスの強化は課題ともなっていました。
ブルーバードの独走もあって、相当に力が入っていたことは見て取れますが、この後の動きからすると、過渡期特有の混乱や不整合が各所に散見できた感はありますね。



〇日産


6月19日 スタンザ/オースター/バイオレット(フルモデルチェンジ)

発表の席上で社長自ら「かなりの車種をFF化してゆく。このクルマはそのようなプロジェクトの第一弾。そして世界戦略車でもある。」と高らかに宣言し、正しく鳴り物入りで登場したのがこの3兄弟でした。

FF化に伴い、社運を賭けた級の投資をし、エンジン・サスペンション等殆どのコンポーネンツを一新。ボルト、ナット以外は全て新設計から生まれた新型車は、従来のイメージを刷新し、専門家筋の評価は極めて良好。ところが、一番肝心な販売が燦々たる結果となりました。

専門家が評価する車は売れないというジンクスは既に存在していましたが、ここまで真逆の結果は極めて稀であり、当の日産にとっても全くの想定外だったことも間違いなく。
販売不振の理由は、新し過ぎて理解されなかったことが第一。何より大きかったのは、車格の設定が新車価格も含めて、当時のベストセラーであるブルーバードに近付き過ぎたことでしょう。

特に同じ販売系列となるバイオレットでは致命的なミスであり、僅か1年で販売中止という結果となっています。この結果、この3兄弟だけに留まらず、日産本体、あるいは他社の販売戦略へも少なからぬ影響となりました。

出来の悪くない大いなる意欲作が販売戦略で失敗。日本車の有史に残る出来事だと思いますし、だからこそ嫌いになれないモデルなのです。
(スタンザFXのセールスマニュアルはこちら




8月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)

この時期で一番注目を集めたモデルチェンジだったと思います。

ローレルとの兄弟関係がより近くなる一方、それまでノーズの長さを変えていた4気筒と6気筒がロングノーズを共用することになり、賛否が分かれる話題となりました。

先行して4気筒のみとされていたブルーバードとの競合関係が緩和されたものの、この選択がスカイラインの分水嶺の一つとなった感はあり、判断も分かれるだろうと思うところです。

モデルチェンジから少し遅れて、久方ぶりの4バルブDOHCを搭載したRSが追加され、新たな柱となります。一方販売の中心だったGTは、新世代6気筒と4ATの投入が遅れたことを主な要因として、マークIIに追い付かれ、やがて逆転される結果に。長年のライバル、マークIIを3兄弟に増やし、ソアラやセリカも絡めてスカイライン一大包囲網を構築したトヨタが強かであり、スカイラインが翻弄されたとしても仕方なかったと言えますけれども。




10月13日 サニー(フルモデルチェンジ)
1月12日 ローレルスピリット(新発表)

FF化されたファミリアが人気急上昇となっていた時期に、カローラより先行してのFF化ということで注目されたモデルでした。

やはりFF化のインパクトは大きく、カローラの国内販売台数V70を阻止しています。以降はカローラの巻き返しにファミリアも加わっての販売合戦が繰り広げられることに。

4ドアが好調に売れたものの、2BOX人気に押されてクーペが国内では苦戦したのは想定外だった筈。結局2年後のマイナーチェンジでは、クーペに替わってハッチバックが新たに設定されることになります。

少し遅れて追加されたローレルスピリットは、モーター店向けのサニーというのが当初の想定。やがては増えてゆく差異も、当初は極一部に留まっていました。ボンネットとFフェンダーに追加されたエンブレムでもローレルとの繋がりを主張していたのだな、というのは今回並べての比較での発見でした。


トヨタとは逆に、コンパクト・ミドル・アッパーミドルと偏りなく登場させたのが日産でした。どれも意欲作なのですが、カリーナとコロナを兄弟関係にしてしまったトヨタと比べると、先に登場していたブルーバードやパルサーとの関係等、整理&再構築の点では後手となった感が強く。背景には鶴見と荻窪の確執があったことは疑いようがなく、後に開発体制は厚木に一元化されるものの、日産の財務体質を蝕む一因となっていきます。



〇三菱

1月22日 ランサー・フィオーレ(新発表)

従前は2BOXのみだったミラージュは、マイナーチェンジでミラージュIIに呼称を変更し、3BOXの4ドアセダンが追加されています。新たに兄弟車として投入された三菱店版ミラージュII4ドアがランサー・フィオーレでした。

ミラージュIIの3ドアには、このクラス初のターボが投入され人気を集める一方、4ドアにはMDと名付けられた可変気筒エンジンが一部グレードに設定され、当時の低燃費ブームに話題を投じています。

ランサーが2代目に変わる際、車格を少し上げ1600と1400を主体としたことに伴う空白地帯への補完という役割だったのだろうなとは。

この時期の三菱は、クライスラーとの提携関係に引き摺られ、新車の開発が遅れていた感がありました。ミラージュも登場から4年近くでのマイナーチェンジということで、ライバル車との関係は覆せず。ランサー・フィオーレは、2年足らずで2代目へと進化することになります。



2月22日 コルディア/トレディア(新発表)

コルディアもまた、前年秋のモーターショーに参考出品されています。
セレステの後継車を想定した三菱店向けのコルディアXG、ミラージュからの上級移行を想定したカープラザ店向けのコルディアXP、ランサーの後継を見据えつつ同格の新型FF車としてカープラザ店に投入されたトレディア。どれも、コンパクトとミドルの中間を狙っていた点も含めて、三菱なりの戦略はあったのだろうと思います。

しかしながら当時は、コンパクトクラスはカローラ・サニー・ファミリアが大乱戦。ミドルクラスはブルーバード・コロナ・カリーナが同様の戦いの真っ只中にありました。特に前者は、販売奨励金の投入に伴う大幅値引き、相当数の自社登録や業販卸によるノルマ消化とルール無用の様相を呈してもいて。

そんな乱戦は、巻き込まれなかった車の方が少ないくらいであり、どちらかと言えば地味系のニューネームが喰い込んでいける余地は殆どなかったことは間違いなく。

結果的に、こと国内においては、日産のT11 3兄弟と同等、あるいはそれ以上の燦々たる結果となってしまいます。しかしながら、後年追加された4WDの1800ターボが冠雪のラリーフィールドにおいて成績を残している点は、忘れずに書き残すことにします。


コロナとブルーバードの少し上、マークIIやスカイラインも見据えた位置に置いたギャランΣとΛが成功を収めて以降、三菱はトヨタと日産のラインナップの中間を狙う商品構成となっていました。少ない車種構成で二大大手と対峙する工夫でもあったのでしょう。
コルディア/トレディア以降、三菱は2社のラインナップの隙間ではなく、正面から対峙する車種構成へと修正が図られていきます。その点では三菱のターニングポイントとなった車種という見方はできるかと思います。

この時期は、フルラインターボが一つのキーワードでした。2000に続き1800を登場させていたターボは、ミラージュIIに1400、コルディア/トレディアに1600版が設定され、200cc刻みの構成を成立させています。折角のフルラインターボでしたが、近過ぎて使い分けに苦慮した感はあり。また、爆発的に盛り上がったターボブームもこの頃には峠を過ぎ、下り坂の局面に入っていました。その点、もう1年早ければまた違う結果だったかも、とは。
後年にはフルライン4WDやフルラインGDIがあり、同じ頃にはフルラインバンパーガードという揶揄もされた三菱。その端緒がフルラインターボですね。



〇マツダ


9月1日 コスモ(フルモデルチェンジ)
10月16日 ルーチェ(フルモデルチェンジ)

元々先代のコスモは、北米からの要望を背景に、2代目ルーチェをベースとした2ドアクーペという成り立ちでした。117クーペ程度しかなかったラグジュアリークーペへの参入。排ガス規制に伴い牙を抜かれた車が相次ぐ中、燃費を代償としたパワフルな走りもこのカテゴリでは例外的に受け入れられ、困窮を極めていたマツダが立て直すきっかけとなりました。

その後、コスモにはノッチバック&ランドゥトップに仕立てたLが追加され、ロングライフモデルとなる一方、ルーチェは追加車種としてのレガート名をサブネームとした過渡期を経て、正式に3代目となります。

結果的に2世代のシャシーが併存していた形であり、このクラスのラインナップの整理は課題の一つとなっていました。

この両車、2ヶ月弱の間に何故か五月雨式の登場であり、9月1日時点では2ドアのレシプロ版のみ登場。10月1日にレシプロのみのコスモ4ドアHTが追加された後、10月16日にコスモにもロータリーとサルーンが追加され、両車が出揃う形となっています。

それまでは全く別の車種として認知されていた両車を、マツダ店向けのルーチェ、マツダオート店向けのコスモという形で統合したのは明らかに失策であり、販売台数が伸び悩む理由ともなりました。
それまでの経緯からすると、コスモの2・4ドアHTとルーチェサルーンまではいいものの、コスモサルーンは蛇足だった感が拭えず。またルーチェにはもっとサルーンに近い別の4ドアHTが投入されていれば、結果は変わっていただろうと思わされたりします。

遅れて投入されたロータリーも、燃費を重視して、それまでの13Bに変わり12Aの設定。ターボブームでハイパワーに慣らされた市場では歓迎されなかった変更であり、これも後に追加される12Aターボや13Bが当初から設定されていれば、とは。


前年に投入されたファミリアが想定をも超える大成功を収めたマツダは、この両車でさらに波に乗ってと考えていたであろうことは容易に推測できます。期待に反する結果と書きつつも、マツダも想定していなかったであろうロングライフ商品となった点は書き添えたいところです。
この型のサルーンは、カスタムキャブと名前を変えて20年近くも売られ続けているのですから。



〇ホンダ


9月22日 アコード(フルモデルチェンジ)/ビガー(新発表)

コロナやブルーバートは少し異なる購買層の確保に成功したアコードもライバル車のFF化による競争の激化が予想される中、どう進化するのか興味を持たれた一台でした。

2代目は初代の熟成路線であり、ベルノ店の最上級車として兄弟車のビガーを加えての登場。ビガーが1800のみとされたのは、少し下に置かれたクイントへの配慮でしょうね。

国内においては、同級他車が次々FF化する中で、初代程の存在感を発揮できず、どちらかというとあまり目立たない存在となります。一方、北米では初代に続いて大人気となり、初の現地生産車ともなります。規格型の角目4灯を用いたビガーのフロントマスクは、輸出仕様の転用だったりしますね。



10月29日 シティ(新発表)

2代目シビック以降、保守的な新型車が続いたホンダが、久方ぶりに放った革新系ビックリ箱がシティでした。

若手で構成された開発陣が作ったモデルは、初代シビックを連想させる、安いからではなく好きだから選ぶのだと言えるクラスレス感にあふれていました。追い込まれていた状況からの開き直りに映る点も、両車の共通点。

全高1,460mmは今の基準では標準的な数値ですが、当時の小型乗用車としては驚きの高さであり、ステアリングやシート等もパッケージングに合わせる形で新たに起こされています。ミラの後追い的に書かれたこともありますが、その点は大きな違いであり。

市場人気は沸騰し、当時としては例外的な値引き殆ど無でも飛ぶように売れていきますが、反面一時的なブームとなってしまったのは想定外だったのかもしれません。この後ターボが登場すると、人気はそちらに移行した後、急速にしぼんでしまうことになります。

ここで構築されたパッケージングは、シビックシャトルでも活用されますが、当のシティは2代目で真逆のクラウチングスタイルに大変身。細く長く売るが理想的だったと思いますし、それが可能だった意欲作だったと思うのですけれども。


シティの爆発的ヒットが明らかなターニングポイントとなったホンダは、この後、2代目プレリュード、3代目シビックとヒット作を連発し、80年代の躍進に繋げていきます。



〇スバル

8月20日 レックス(フルモデルチェンジ)

アルト/フロンテが起爆剤となった新世代の軽自動車は、ミラ/クオーレを経て、この年レックス/レックスコンビが登場しています。

スズキに続いてのRRからFFへの転換となりますが、スバル360からの伝統的レイアウトからの変更という観点では、一大転機だったことも間違いなく。最後までRRを続けたサンバーとの決別点という見方もできますね。

ライバル車を研究した上での最新型は性能面での評価は高く、4ナンバーのコンビに設定された上級仕様は、他車にも影響を与えています。女性比率が急上昇していた軽自動車においては、ミラのようにスタイリングが人気を牽引するとはならなかった点が惜しまれ、その辺り、当時のスバルらしい一台と言えるかもしれません。



〇いすゞ

5月13日 ピアッツア(新発表)

10年以上も生産が続き、後継車の登場が急務だったのが117クーペ。
後継車は、1979年のモーターショーに「アッソ・ディ・フィオーリ」名で参考出品された後、市販版が新たな名称「ピアッツア」と名付けられ市場投入されています。

近年の研究において「アッソ・ディ・フィオーリ」と「ピアッツア」の関係は先行開発と市販版の関係ではなく、全く別物として時期をずらしつつの開発だったことが推測されていたりもしますね。

いすゞ期待の一作でしたが、販売はもちろん、人気も前評判程には盛り上がらずの結果となりました。

一つには、ベースとなったジェミニが既に末期状態で登場せざるを得なかったこと、もう一つには、117クーペの時代にはライバル車として思い浮かぶのは、2代目コスモぐらいで強いて言えばセリカXXが挙げられるくらいだった上級のラグジュアリークーペ市場に、レパードやソアラが参入したことが挙げられるかと思います。レパードやソアラと重なるピアッツアの価格設定は、スペックで比較となった時に不利であることが明白でした。他車には脇目も振らず、一目惚れでの購入以外は成立しにくい車種だったとも言えます。

この時期にはアスカの開発も隣で進行していた時期となりますが、ピアッツアのタイミングとは合わず、アスカはFFということもあって、ジェミニベースは当初からの方針でもあったのでしょうね。

今視点だと明らかな先進性が見て取れるデザインも、当時は識者が高く評価したくらいで一般的な人気とはならずでした。直線的なデザインの車が人気を集める中で、理解され辛い存在だったのだろうとは。

この数年後に、ピアッツアからの影響が感じられる3ドアクーペがいくつか登場。
登場から年月を経るほど、内外装の仕立てが再評価された感はあります。デザインだけで買う価値あり、という認識も後年の方が成立し易くなった気も。



〇ダイハツ

10月8日 シャルマン(フルモデルチェンジ)

モデルチェンジ時期が重なっていたカリーナとの新たな兄弟関係の構築、あるいは冗談半分で今度はカローラ30ベースと揶揄されたのがシャルマンの新型車。順当に(?)カローラの70系ベースで登場しています。

登場の背景に20と30の併存があり、各所に20の面影を残していた初代に対して、ほぼ70の印象を消した内外装を纏えたのは、デルタワイド(&タウンエース)、シャレード、ミラ/クオーレとヒットモデルを続けられていたのが大きな理由でしょうね。決して多くの台数とは言えないものの、廃止の選択を躊躇うくらいの事情も存在していたのでしょう。

このモデル自体は、当初クラスを超えた豪華仕様アルティアが話題となったものの、その後は埋没した感は否めません。70関連だと、後にカローラバンの生産を受託するようになるダイハツ。FRで残った利点を走りや廉価に生かせれば、また別の展開も可能だったかもとは思います。シャレードやミラがライバル車と争いつつで売れていましたから、シャルマンまで手が回らなかったと想像はできますね。
(シャルマンの思い出話はこちら


この時期の日本車の動きとしては、殆どの社の利益の源泉だった北米輸出が、現地メーカーや雇用への圧迫という理由で台数制限が導入され、大きな転機を迎えていました。ホンダを皮切りに現地生産の検討を始める一方、排ガス対策も一段落して、まだまだ成長していた国内市場に活路を見出すようになります。

この年に登場した新型車達は何れも、国内市場を戦い抜くために必要とされた駒だった訳です。兄弟車が数多く登場しているのも、各販売チャンネルに供給するためであり、総力戦の火蓋が切って落とされたという見方でいいかと思います。


この年度に登場した新型車達へ、あまり取り上げられない視点を意識しつつで書き加えた我流の解説。結構厳しい書き方をしているかもですけれど、後年に登場したモデルよりは明らかに国内市場を意識した成り立ちを愛おしく思いつつで書いていたりします。何より個人的には前回で取り上げた車たちよりも明らかに書きやすくもありまして。

私と同世代以上にとっては懐かしく、以下では情報と想像だけで知る年代かと思います。当時への橋渡しの一助として、ご笑覧いただけるとありがたく存じます。



【画像の出展】
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Posted at 2022/01/16 20:27:08 | コメント(7) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2022年01月10日 イイね!

2022年に新成人を迎えるクルマ達

時間が取れれば、久方ぶりの首都圏の雪から思い出話でも書きたかったところなのですが、新年明けて以降、何かと忙しく。
それどころか、タイミングを逃すわけにはいかないこのお題を作るのすら、時間に追われる始末。また、この年は意外と登場車種が多いじゃないかと、嘆いてみたくもなる訳で。

何とか間に合わせた自分を褒めつつ、それでは2001年4月2日から2002年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

今回は自動車ガイドブックの掲載順に合わせて、日本車はメーカーのアルファベット順としてみます。

〇ダイハツ
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10月10日 マックス(新発表)

軽自動車の新規格適合から一段落して、モデルライフの谷間で派生車種を追加していた時期となります。ダイハツからはマックスが登場。
自分的にはしばらくぶりの名称を懐かしみましたが、販売的にはミラやムーヴといったメインストリームに呑まれた感は否めません。結局一世代で絶版となっています。



〇ホンダ
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4月5日 ステップワゴン(フルモデルチェンジ)
6月21日 フィット(新発表)

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7月2日 インテグラ(フルモデルチェンジ)
9月18日 CR-V(フルモデルチェンジ)

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12月21日 モビリオ(新発表)
2月7日 ザッツ(新発表)

90年代末を彩ったクリエイティブムーバーの一部が2世代目に突入しています。この辺りは初代の好評を受けてのキープコンセプトとなっていますが、その分初代程のインパクトとはならなかった感はあります。

ホンダとしては、この年登場したフィットとモビリオが成功したことの方が大きいでしょうね。特にフィットは長年続いたカローラのベストセラーの座をついに交代させる存在となりました。

軽自動車の派生車種、ホンダからはザッツが登場。これまた一世代での絶版車ですね。



〇マツダ
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2月15日 スピアーノ(新発表)

唯一の新型車はラパンのOEMでした。オリジナル車種は、経営が苦しかった時期かつアテンザ以降の新世代の仕込み時期となり、この年はお休みでした。毎週のように大廉売を繰り返していた時期とも言えそうな。



〇三菱
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6月20日 エアトレック(新発表)
10月11日 ekワゴン(新発表)

一大騒動となったリコール隠しも何とか一段落して、この年はこの2台が登場。
SUVと軽自動車という体制は、既にこの時期に片鱗が現れていたとも言えそうです。前者はあまり大きなインパクトとはならなかった感が強いですが、後者は三菱の軽自動車の中心車種に成長。騒動がなければ、その後の三菱の軽自動車の歴史は変わっていただろうと思わされたりします。


〇日産
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6月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)
10月16日 ステージア(フルモデルチェンジ)

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2月26日 マーチ(フルモデルチェンジ)

リバイバルプランを引き続き展開していた時期となります。
この中でスカイラインは守旧派のファンから集中攻撃の様相となりました。S54からR34までの流れとは明らかに異なるけれど、初代への先祖返りじゃないのと言われて腑に落ちたというのは当時の思い出話。そういえば、ジャパンやR30だって売れていたのはXタイプだったよなとは。

私的にはむしろ肯定的に受け入れられなかったのがマーチ。ヴィッツやフィットとの比較だけでなく、パッケージング的には先代よりも後退に映ったくらいで。無論、見る目の無さを反省。
実は時代を超えられる存在だったのでは、というのは私感。このまま続いていれば和製フィアット500になれたのかなとも。続けられなかったのが実に日産らしいとも言えるのですけれど。



〇スバル
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2月12日 フォレスター(フルモデルチェンジ)

前年のインプレッサに続き、フォレスターも2世代目に進化。インプレッサ同様、中身は熟成路線と言えるものですが、フォレスターとしてはキャラクターの確立の点が大きかった世代かなと。この年に登場したクルマ達の中でも、古さをあまり感じないなというのは私感。



〇スズキ
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11月16日 MRワゴン(新発表)
1月22日 アルト・ラパン(新発表)

スズキもまた、軽自動車の派生車種を登場させています。
MRワゴンは、Aクラスからの影響を感じさせる一台。2代目も登場していますが初代とは結構大きく変わることに。この世代だと、むしろモコの方が印象も強かったりしまして。

ラパンも時間の経過を感じさせない一台ですね。登場時点ではここまで続くとは予想できませんでした。大きく売れたというよりは、根強い人気が潜在するが今も変わらずで続く理由なのでしょうね。



〇トヨタ
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4月3日 ソアラ(フルモデルチェンジ)
4月6日 Will VS(新発表)

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5月14日 イプサム(フルモデルチェンジ)
5月21日 カローラ・スパシオ(フルモデルチェンジ)

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6月4日 ブレビス(新発表)
7月6日 ヴェロッサ(新発表)

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8月1日 クラウン・セダン(フルモデルチェンジ)
9月27日 カムリ(フルモデルチェンジ)

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11月16日 ヴォクシー/ノア(新発表)
12月25日 プレミオ/アリオン(新発表)

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1月25日 マークIIブリット(新発表)

他社が苦戦する中、独走状態に入りつつあったのがトヨタ。新型車の数だけでも、当時の状況が垣間見えたりします。
ヴィッツに端を発したコンパクトカーの再構築は一段落ということで、他のセグメントが主となります。それでもこの車種数。今の車種構成からすると、これだけの新型が出ることは、もうなかろうとも。
内訳的には、新発表は幾つかあれど、車名変更に因るものが大半。当時は車名を変えなくてもいいのでは、と思ったものです。セダン・イノベーション最後の挑戦とも言えそうな。

国内市場を完全に抑えたトヨタは、世界一を取りに行く体制となっていきます。その体制はリーマンショックで大やけどとなるのですけれども。

当時の界隈で一番話題になったのは、実はクラウンセダン。
150という確立したセダンワールドから、クラウンコンフォートの上級版への変更は果たしてフルモデルチェンジと言っていいのか、熱い論議が交わされたものです。当初はスーパーデラックス系のみでしたが、バンパーとサイドモールを大型化してロイヤルサルーンと名乗らせるに至っては、深夜のファミレス座談会の格好のネタともなりました。

父が「新しいクラウン、テールランプがたくさん点いて、カッコイイじゃない」と言い出し、「実はあのシャシー・・・」と即座に止めたのも、今では懐かしく思い出されたりします。



昨年に引き続き、輸入車も掲載してみます。
引用元から、画像は現地仕様が大半であり、モデルイヤーを含め、当時の国内仕様と微妙に異なっている箇所があります。雰囲気が伝わればということでご容赦くださいませ。

〇GM
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9月4日 シボレー・トレイルブレイザー(新発表)
10月22日 シボレー・クルーズ(新発表)

〇フォード
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4月17日 モンデオ(フルモデルチェンジ)

〇クライスラー
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5月25日 ボイジャー(フルモデルチェンジ)
9月25日 チェロキー(フルモデルチェンジ)

〇ジャガー
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8月29日 Xタイプ(新発表)

〇ランドローバー
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1月23日 ディフェンダー(新発表)

〇VW
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7月10日 ルポ(新発表)

〇アウディ
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5月14日 A4(フルモデルチェンジ)

〇BMW
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10月18日 ミニ(新発表)
10月18日 7シリーズ(フルモデルチェンジ)

〇メルセデス・ベンツ
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10月24日 SLクラス(フルモデルチェンジ)

〇アルファロメオ
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9月19日 147(新発表)

〇マセラティ
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10月10日 スパイダー(新発表)

〇ルノー
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3月27日 カングー(新発表)

〇プジョー
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9月26日 307(新発表)
10月22日 607(新発表)

〇シトロエン
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6月21日 C5(新発表)

〇ヒュンダイ
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5月15日 XG(新発表)


今年も輸入車は感想を一纏めで。
本国発表からしばらく経ての国内導入が含まれることから、日本車以上に多彩ですね。今も続くモデルが含まれる一方、少量の輸入のみで打ち切られたモデルもあって、その点でも多彩。

この年の輸入車で一番話題となったのはBMWでしょうね。ミニのクラシックからの大きな変容に驚かされ、別の意味で7シリーズのスタイリングに驚きもし。

ミニはどうなるのかと思っていたら、その後はバリエーションを拡げて大きな成功に。逆に中身はモンデオと知りつつも、佇まいがいいなと思えたジャガーのXタイプはその後失速。これだけでも、登場時点の個人的評価なるものはあてにならないと自戒を込めて認識するのです。


こうして並べて見ると、その後も続いていて、(特にキャラクターを変えていないと)もう20年?と思える車種がある一方、あっという間にしぼんで、今ではカルトカーに類される車種も含まれていたりします。20年という時間の中で評価が変わった車も多数。等しく時間は流れている筈なのですけれどね。


私自身は、81マークIIセダンの2台体制を整えると共に、実家を出て自分の居を構えた年となります。「男30 GTアゲイン」というCMコピーを思い出しながら、30代を迎えての一大転機を進めていたことは間違えないのですが、これで人生設計の大半は整ったという想定は大きく外れる結果となります。

何事も未来が予想と異なることは多々あるということですね。


【画像の出展】
・マックス、eKワゴン、MRワゴン、ザッツ:自動車ガイドブック
・他車:FavCars.com
Posted at 2022/01/10 05:59:11 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2021年08月26日 イイね!

37年前の思い出話から

気がつけば、8月も残り一週間を切っていることに気づきました。
関東はお盆前後の長雨も終わり、暑さが戻ったところで、気候からは月日の移り変わりを実感しづらいところとなりますが。

幼少時代のこの時期を思い返すと、夏休みの宿題の残りに追われていた頃かな。きっと同世代の方は皆同じではないかなとも。もっとも、何時の頃からか夏休みの終わりは8月31日ではなく、もう少し前倒しとなっているようですけれど。


今回はそんな話を端緒にして、思い出話をブログネタに起こしてみることにします。

この時期の出来事で真っ先に思い出すのは、今から37年前となる1984年。てっきり26日と思い込んでいたのですが、気になってカレンダーを見返したところ、1984年の8月は26日が日曜日だったようです。となると、26日発売の雑誌は24日に店頭に並んでいたと推測され、日付はちょっと曖昧になります。

最初の発端は、確かラジオ体操から戻って読み始めた新聞の広告。まだ当時は自動車雑誌も盛んに新聞広告を出していたことを思い出します。そこには、数日前に登場した新型マークIIの文字が大きく掲載されていました。形式名は”X70”。後に代表的な型式名の”GX71”や通称名の“ナナイチ”で呼ばれるようになる型ですね。

当時住んでいた家の近くには書店があり、毎月欠くことなく月刊自家用車誌をそこで買うのが習慣となっていました。

いつもなら、新車情報は今とは異なる毎月1日の発売だった月刊自家用車誌の発売を待っていたのですが、この時だけはとてもそこまで待てなくて。

ここも当時の情報を検索して判ったのですけれど、ナナイチの発表は8月22日。新聞の新製品情報への掲載が翌23日となると、恐らく24日の朝刊には新型マークIIの広告が掲載されていた筈。それもあって、居ても立っても居られなかったのでしょうね。

幼少時代、自動車雑誌の購入は自分のお小遣いの中でやり繰りしていたのですけれど、両親にもこれだけは特別に買わせてと言って、朝早くから書店の開店を待ち遠しくしていて。開店間もなくの書店では、開封待ちの雑誌群が通路の片隅に積みあがる中、発売されたばかりの自動車雑誌が既に並んでいました。

数誌を見比べた後、掲載写真の奇麗さやその他の記事の面白さから、カートップとカーアンドドライバー(CD)の2誌を早々にお買い上げ。真っ直ぐに自宅に戻って、買ったばかり雑誌をずっと眺めていたことは今でも結構鮮明に覚えています。


カートップの方は既に残っていないのですけれど、CD誌のナナイチに関する部分は、長い年月の経過の中でも特別な思い入れが続いて、今も残してあります。

今回は、その部分を載せてみることにしましょう。
目次の次の見開きがこの3兄弟に関する情報でした。
その他の新車は、ターセル/コルサ/カローラIIのマイナーチェンジ、シャレード ディーゼルターボ、スカイライン ターボRSのAT、アスカ NAVI-5の各追加でしたから、順番としては妥当なのですけれども。

3兄弟に関して、個別に細かく書いていくと、それだけで一回のブログではとても収まらなくなることが確実(笑)。そこで、今回は(泣く泣く?)微細に入らないことを意識しつつで書いてみることにします。



最初の掲載がマークIIではなくクレスタというのが、若い読者が多かったCD誌らしいと感じます。

クレスタは3兄弟の最後発でありながら、平均購入年齢が一番若く、独自の人気も形成していました。初代は80年代の4ドアハードトップブームの立役者であり、ハイソカーブームの牽引役の一人であったとも言えます。

そのクレスタがサッシュレスのハードトップからサッシュ付のセダンに替わったというのは、他の何より大きな驚きでした。若者比率の高かったクレスタを中高年層にも訴求したかったこと、3兄弟全てをハードトップで並立させることは難しいと判断されたことからの変更ですが、当初は賛否両論が渦巻いたものでした。

内装画像の説明にOPとありますが、これは誤りで、シングルカムとターボのスーパールーセントに標準の仕様ですね。シートサイド部に唯一本革をあしらったのが特徴でした。これも今視点だと、パーソナルでモダンに映りますが、当時これを見た父曰く「好きじゃない。(別の画像の)ルースクッションの方がいい。」 革とビニールを近似で理解していた世代というのが大きいでしょうね。




続いてのチェイサーは、クレスタと同色ながらも塗分けの異なるツートンで掲載されています。クレスタのパールツートンが人気色となった一方で、こちらの販売は今一つ伸びずでした。
もう一つのダークブルーツートン共々、キャラクターラインでの塗分けとされていますが、サイドモールの位置で塗分けた方が受け入れられたのかなと今視点では思います。

マークIIセダンと共に、短尺版のフロントノーズを採用。シンプル&スリムで当初からのキャラクターであるスポーティを強調というのが当時のアピールでしたが、ノーズが短いのは逆にネガに受け取られ、市場の人気は兄弟の中で今一つでした。比較的早期から独自のキャラクターを確立したクレスタとは異なり、チェイサーがマークII兄弟という枠の中でスポーティを訴求するのは中々難しく、最終型でようやくキャラクターが確立できたと言えるかもしれません。

初代、先代とセダン、ハードトップの2種からハードトップのみに特化したのは、クレスタのセダン特化に続く驚き。
それまで他社も含めて、ベースグレードの領域はセダンの受け持ちでハードトップは上級グレードのみという思い込みが形成されていましたから、ベースグレードからハードトップで構成というのは結構な勇断に思えたものです。間もなく教習車でもその姿を見るようになり、やがて見慣れていくのですけれども。




最後はマークII。
HTは、スラントしたロングノーズ、唯一のフォグランプやクリスタルピラー等、チェイサー以上にスポーティかつゴージャスにも映りました。HTでの継続を望んでいた初代クレスタユーザーの一部を吸収しながら、先代以上の人気車に成長。
その売れ行きは、販売側の予想をはるかに超えて、社会現象の一つとしても語られるようになります。車の売れ行きが社会現象として分析されるのは、初代ファミリアかこの世代のマークIIが最初だったと記憶するところです。

個人的に、これら4ボディの中で一番いいなと思えたのは、マークIIセダンだったりします。掲載はスーパーシルバーIIで、この色だとバンパーモールとサイドモールの高さの違いが気になるのですが、これがダークブルーだったりすると、それも気にならなくなり。
この世代のセダンのスタイリング、特にリヤクォーターからのプロポーションはC2世代のアウディ100の面影を重ねたりするのですけれど。もっとも、この時期前後のトヨタ車は、マークIIセダンに限らず、T150コロナやV20カムリ等、アウディからのオマージュを連想させるクルマ達がいくつか思い浮かんだりしますね。

あまり書いたことはないと記憶するのですが、セダンのデザインに関しては、自分で乗っていたX80よりX70の方がカッコいいと思っていたりします。




4ボディに共通しての印象をいくつか。
先ずは、ノーズが短くなってバランスが良くなった。これは、ロングノーズを強調した3代目のプラットフォームを継承した先代比でカウル位置を前出しした効果によるもの。
次に、先代のマイナーチェンジで過飾に映ったディテールがシンプルに回帰した、でしょうか。この点は、X70でもマイナーチェンジの際、再び装飾を増やす方に向かっていますね。(マイナー前後の対比は、トヨタ全体の傾向とも言えそうで)
あとは、バリエーションがずいぶん整理された。先代の後期でバリエーション集約の傾向は出始めていたのですが、この世代に至るとグランデ・アバンテ・スーパールーセントで一塊。後はそれ以外的な構成を強めています。


CD誌は、当時から凝った写真を多用し、それが独自の人気を集めることになるのですが、新型車の速報という事もあって、この号ではメーカーから提供された画像が基となって構成されています。数日後に発売された月刊自家用車誌もここで使われたものと同じ画像が掲載されていたりもして。
自動車雑誌は、新型車の批評はしても、基本的にはメーカーとの協力関係にあったということなのでしょうね。


ここで再び私的な話をしてみます。
当時、家のクルマは既に3代目マークIIから5代目カローラに代替していましたし、当時既に自動車評論を牽引していた「間違いだらけのクルマ選び」にかなり影響を受けて、親子揃って一番の興味はこの3兄弟からカムリ/ビスタに移っていました。間違いだらけで高く評価されていたのがカムリ/ビスタで、一方ロクイチのマークIIは表題からして「最も日本的かつ後進的」と書かれ低評価でした。

今思い返すと、本来個人的趣向の域で好きなものを、合理性とかで若干捻じ曲げていた気もするんですけれどね。この時は、3代目のグランデの時に抱いた、やがては家にやってくる的な予想は全くと言っていいほど出来なくて、初代ソアラや3代目セリカのXXに持った憧れの要素が多かったんじゃないかなとも。
その頃は、後年再びマークIIとの縁が繋がるなんて想像もできなかったです。


CD誌は、翌月の26日号で「完全ガイド」と銘打ち、14頁にわたるこの3兄弟の一大特集記事を掲載して、私もその号を再び買い求めています。こちらももちろん残してあるのですが、当時の人気を反映してか、今見返しても、何とも力の入った特集だなと感じるところであり。
この2冊の購入が契機となって、CD誌はその後20年近く毎号欠かさず買い求めるようになります。そういう意味では、CD誌と巡り合わせたのが、X70なんですよね。CD誌の記事から、自分の自動車の感性が形成された部分は少なからずあることからすると、それは良縁だったと言えます。20年近くの間に相当な出費をしているという言い方もできますけれど(笑)


(いつものように?)長くなりましたが、もう少しだけ話を拡げてみます。
当時、直ぐに得られた新車情報はこれらの記事だけでした。カタログは販売店でもらうしかなくて、まだ中学生の身には入手は容易ではありませんでした。父は車好きであったのですけれど、販売店を回ってカタログを必ず入手というほどではなくて。当時懇意にしていた整備工場のカタログコーナーから、数冊持ち帰るという程度でした。
そんな環境にいると、新車をより詳しく知ろうとした時、一番身近な手段というのは自動車雑誌だったことは間違いありません。新車速報、その翌月の特集記事、いずれも待ち遠しかったですし、買ったらずっと眺めてもいたものです。

今では、発表日当日の夕方には、WEBに全容が明かされ、カタログも即日でPDFが掲載されるようになりました。当時と比較すると、情報入手の速報性や正確性等は正に隔世の感があります。本当に便利になったとつくづく思います。
その一方で、出てくる情報を待ちわびる期待感というのはかなり薄れたようにも感じるのです。情報が公開されてから、「あ、出たんだ」と思うことも最近では多くなっていて。
今の新車に対する期待感が薄れたことも関係していそうですが、便利になるのも良し悪しあるのかなと、時々思ったりするのですね。
Posted at 2021/08/26 19:20:56 | コメント(8) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ

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