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2021年02月13日 イイね!

プログレのオプションリーフレット

プログレのオプションリーフレットつい先日年を越したと思ったら、もう2月。
年間を通して、もっとも忙しい年度末が近づきつつあるのです。

それなら、やれるうちに更新をしてしまおうということで。
今回はカタログ話の中からオプション編です。

お題はプログレ。
既に登場から四半世紀近く、最終型でも15年に達しようというクルマ。末期は新車の販売台数が少なかったこともあって、中古車でも見つけ難くなりつつあるようで。そんな現状ではありますが、関係者界隈では今一番旬な車なのです(笑)

プログレ本体に関しては、以前にこんなブログを書いていますので、ご参考まで。今回は重複を避けることも意識しつつ。


オプションカタログ、先ずは登場時点(1998年5月)のものからです。



見開きでは、”Stylish Package”と名付けられたエクステリアのパーツが装着車と共に紹介されています。

ノーマルでは地味目なセダンもエアロパーツとメッキグリルを装着することで、雰囲気を変えることが可能ですよ、という提案ですね。現在では、TRDやモデリスタの領分となるのでしょう。

トヨタは、エアロパーツを用品設定とすることには他社よりも慎重だったように記憶します。初期のエアロは取付段階での塗装が必要で色が合わない、あるいは、装着のための穴あけが原因で錆を誘発といった辺りの懸念があったのでしょう。この辺りの課題解決の目途が立ち、用品設定が始まったのは90年代に入ってから。もう一つの背景には規制緩和もありました。

エアロパーツを追加するならタイヤ&ホイールもインチアップして、といきたいところですが、プログレでは困難でした。車幅を1.7mで収めるため、ホイールサイズは6J-15、インセット58mmという設定。これでもフロントがギリギリとあっては、インチアップにはかなりのローダウンが必要だったのです。

3種類のメッキアイテムは、バブル期のトヨタサルーンには標準装着されていたものでもあります。光物=豪華と結び付きやすいですからね。そうしたメッキアイテム類の中でも、賛否が一番分かれそうなのはメッキグリルでしょうか。メッシュ部をダーク処理すれば、もう少し印象も変わったように思いますけれど。

ウッド調パネルは、もちろん本木目のウォールナットパッケージには設定なし。アッパー部に追加となるのですけれど、シフトパネルやP/Wスイッチ等への設定があっても良かった気はします。

ブラインドコーナーモニターは、今でも通用する便利装備で当時の最先端でもあります。さすがにいいお値段がしますね。これでバンパー補修やら交換となると恐ろしい金額になりそうな。この後、カメラの高性能化と小型化が進み、末期にはフロントグリル部への装着に変化していきます。





折り込まれた部分を開くとベーシックなアイテムが掲載されています。
自分で買うなら欲しいなと思えるアイテムも沢山(笑)

当時は、コーナーセンサーとフェンダーランプはどちらかを選択という設定でした。私はセンサーは今一つ信用できずで、フェンダーランプの方がギリギリまで寄せられると思っていたものです。

ヘッドランプ減光システムは、自分の81にも欲しくて、実際に後年、社外品を装着しました。自分のは車速のみの制御でしたが、純正品はシフトポジション等も含めての制御でした。ヘッドランプにLEDが使われることが増え、目には厳しいと感じることが多くなった現在、再考して欲しい用品でもあります。車速0なら一部を消灯する、LEDなら容易だと思うのですが。

時代背景からか、フロアマットとハーフシートカバーの設定は、車格の割に淡泊な印象を受けます。バブル期なら緞通調にハーフロイヤルを設定となっていたでしょうね。

ナンバーフレームも掲載されているのは、当時の最上級、クロムメッキタイプのみ。装着自体は別の物も可能だったでしょうけれど。これも自分の81に流用したアイテムの一つです。



続いては最終型(2005年12月)からです。



掲載順は迷ったのですけれど、表紙と裏表紙の組合せから。

裏表紙には登場から7年以上を経過して、ある意味一番大きく進化したナビ関連が掲載されています。

今ではスマホで容易に入手できる渋滞情報も、当時はVICSの追加装着が必要でした。3メディアの内、高速道路の電波ビーコンはETC2.0が機能を代替。この辺りに時代の推移も感じつつ。そのETCも、モデル中盤以降に登場したアイテムですね。

オーディオは、高さ1.5DINの特殊サイズかつ空調パネルと一体だったため、交換は困難でした。最初から最後までCD&カセットという設定だった理由でもあります。このため、外付けのMDorCDチェンジャーを用品として設定していました。
100系マークII3兄弟のツアラー&ルラーン等では、CDチェンジャー6をコンソールに設置することが可能でしたが、プログレではスペース的に難しく、トランクに設置する想定だったようです。





”Stylish Package”は、リヤスポイラーを追加して”Elegant Sports”に進化。既にこの時期には、何でもSports化が進行していたのだなと思わずにはいられません(笑)
そのリヤスポイラー、150クラウンの後期ロイヤルに設定された時と同じくらいの驚きではありました。私感前提で書くと、その驚きは”やっちゃった感”。見た目からして派手なウイングタイプが必要だったのかは、未だに私的疑問符で、設定するにしても小型のベタ付けタイプでよかったのではないかと思っています。

当初版と比較すると、各用品の価格が下がっているのですが、取付工賃が販売店設定になったのが理由ですね。販売店の裁量が増え、用品代と工賃が明確になった反面、買い手側からすると価格が判りづらくなった感は否めません。

自動防眩ミラーも追加された用品の一つ。後付の用品は、配線を引かずに電池で対応するタイプだったかと思います。
余談半分で書くと、これも後年81に後付した用品で、この時は30セルシオ用を流用しました。流用の悲しさで、サンバイザーを使う時に引っかかったり、センサーがやや鈍く感じて前側のセンサー部にフィルムを貼ったな、とか懐かしく思い出します。





こちらに掲載されている用品は、ほぼ前期からの引継ぎですかね。
見比べてみながらで、何かしらの発見としていただければ幸いです。

先に書いたブラインドコーナーモニターの他にも、ヘッドランプ減光は設定が落とされています。ディスチャージヘッドランプが標準になったためですね。





こちらは、おまけ的掲載。
前期のオプションカタログは、裏表紙に各販売店の価格表が入れられるようになっていました。

これは登場時点に埼玉トヨペットから頂戴したもの。
以前にも書いていますが、プログレはその姿が噂になった時点から、ずっと登場を待ちわびていた存在でした。ようやくと言ってもいい登場は、親子して盛り上がるものがあったのです。

この時は、試乗車を自宅まで持ち込んでもらって、車庫入れまで試したことを思い出します。売る方からすると、81セダンの顧客というのは重点アピールの対象でしょうから、いい反応ではあったのです。結局、自分で買った初めての愛車である81を手放すのが忍びなくて、縁は繋がらずとなるのですけれど。今、思い返すと、クルマ人生における分かれ目がここにあったのだなと思わずにはいられません。


最後はやや脱線しつつの回となってしまいました。
今回取り上げるにあたり、改めて見返してみると、今の用品設定とは明らかに異なるものを感じざるを得ません。かといって、90年代初頭までのハーフカバーとフロアマットだけで数種類、その内いくつかは全て最上級、みたいな設定とも異なります。用品には時代の反映が必ずある、というのが持論ですが、益々その思いが強くなりました。

そして私はこの時代までの用品設定に親近感を覚えるのだなとも。
自分が前期のプログレに乗っていると仮定して欲しい用品は、オートエアピュリ、フェンダーランプ前後、ヘッドランプ減光、マッドガード、ドアエッジプロテクター、トランクサイドケース、ノースモーカーズボックス、フロアマット、ハーフカバー、サイドバイザー、ナンバーフレーム。さらに予算に余裕があればホイールアーチモール、サイドシルモールも検討したいところ。まぁ、中々見事な用品満載仕様でありまして(笑)

今の愛車でも幾つかは実現したものの、まだノーマルの範疇(ですよね?)
現行のメルセデスはもちろん、今のクラウンでもそんなに用品欲は湧かなくて、それを以て私はノーマル派に転向したと認識していたのですが、どうも錯覚だったのかなと。

もちろん、似合うか否かという話があって、そこは自意識や自己主張に左右される部分でもありますから、今の設定が悪いという話には結びつかないのですけれどね。

そして私の用品欲は、前にも書いたのですけれど、満艦飾を未だに好む父の(特に幼少時代の)クルマに大いに影響されているのだなとも。


最後に久方ぶりにプログレを取り上げたこともありますので、私感も少しばかり。
私は、プログレの思想、特に高級感の表現は、クラウンに引き継いでもらいたかったと常々思っています。「どうだ凄いだろう」と思わせる威圧感や存在感とは縁遠くありながらも、乗る人の上品や知性が伝わってくる存在。ゼロ以降のクラウンが意識せずにはいられない、ジャーマン3とは明らかに異なる和風高級感がそこには表現されていました。

今はセンチュリーだけに残る世界観と言えます。歴代のクラウンが共に築き、プログレで大き過ぎないサイズも実現しただけに、この系譜が途絶えたのは本当に惜しまれてならないのです。

早めに老成したのか(笑)、私はプログレに魅かれ続けてきました。年齢を重ねたことで、現代流に翻訳したプログレが再登場して欲しいとも心底思います。失われたことでその偉大さに改めて気づくことができる、このクルマは筆頭の一台だと確信しています。
2019年02月25日 イイね!

1992年のエテルナのオプションカタログ

1992年のエテルナのオプションカタログここのところ、意図せずながらもブログではトヨタ車ばかりが続いていますので、何か良さげなネタがないかと、もはや魔窟と化している(笑)カタログ保管棚を詮索。ふと見つかったのが、このカタログでありました。

タイトル画像からお判りのとおり、1992年にギャランと時を同じくしてモデルチェンジされたエテルナ。かなりのマイナー車であろうことは疑いようもなく、更にオプションカタログともなると、相当なレアネタであることも異論はないかと思います。

今回は、このカタログをお題に話を進めていくことにいたしましょう。1992年5月の発行とありますので、登場当初のものとなるようです。


以下、カタログに沿って進めていきます。

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最初に掲載されているのは、オーディオとなります。
三菱グループ内にオーディオメーカーがあった関係もあり、歴代の三菱車のカーオーディオ(特に上級グレード)は、ライバル車と比べると豪華なシステム構成となることが常でした。このエテルナも、上級グレードはCDチェンジャーコントロール機構付きのフルロジック1DINサイズオーディオを標準設定。市販品では同機能が付いた製品が主流となっていたものの、純正品ではラジオ・カセットのみの方がまだまだ多かったですから、一歩先んじていたと言えます。標準のスピーカーも、フロントドア・リヤトレイの両方に16cmが設置されるだけでなく、インパネにも10cmが設置された6スピーカー構成という豪華さ。

更にオプションでは、ライブビジョンと名付けられたTVモニターも選択可能(ナビゲーション付はMMCSとなります)。更なる上級車には、オーディオやエアコンコントロール機能を組み込んだマルチモニターが人気を集めていて、こちらもMMCSが設定されていましたが、そうした機能を持たないものも選択可能というのが珍しくありました。
この配置だとモニターがインパネの上段を占めてしまい、操作頻度の高そうなエアコン&オーディオが下に追いやられてしまうのですが、操作性よりも見た目の豪華さを追うことが許された時代ですね。



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オーディオの紹介が続きます。
中級グレードには、チェンジャーコントロール機能なしの1DINサイズ・カセットデッキが標準。こちらもCDプレーヤーやCDチェンジャーの追加が可能でした。
CDチェンジャーは6連奏をトランクに床置き。トランク容量は限られてしまいますが、音飛びを減らすにはこの位置が良くて、こうした装着は市販品含めて多くみられました。

右頁は純正品と入れ替える形の市販品の紹介。
ここでは、三菱・パイオニア・ケンウッドの3社が並んでいます。各社がカーオーディオで激戦を繰り広げていた時代で、ほぼ機能や値段は横並びながらも、デザイン等には各々の主張があったことが見て取れるかと思います。



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AV製品が続きます。後席モニター、カービデオ、電子手帳等、当時のミドルサルーンとは思えない設定がされていました。ディアマンテやデボネアの用品と紹介されても違和感がありません。

近年ではETC2.0が受信の役目を担うビーコンが出始めた時期となります。アンテナをリヤボード上に置くというのは珍しいと思います。熱線が電波を遮断する要因となるため、フロントのダッシュボード上に置くのが後の主流となっています。



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セーフティに類されたオプションです。
コーナーセンサーは左側のみでリモコンポールはフロントのみ設定されていました。
他車では他の位置の設定もありましたが、必要度の高い位置のみとされていた形です。



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セーフティのオプションが続きます。
この見開きにあるのは、同年代のオプションカタログで既視感のあるものばかりです。チャイルドシートが3銘柄設定というのは珍しいかもしれません。


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スポーティに類されたオプションです。
大人し目の位置付けを意識してか、エアロパーツの設定はリヤスポイラーのみで、フロントやサイドの設定は無。こうした設定は珍しい気がします。

アルミホイールはメーカーオプションで設定されていたのが、ディーラーオプションでも選択可能ということだと思います。



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ドレスアップ/コンフォートで類されたオプションです。
私の最大の驚きが、このウッドパネルでした。何と木目調ではなく、ゼブラウッド製の本木目です。当然、それなりのお値段設定となっていまして、相当な希少アイテムだと思います。バブルの残り香としても、ミドルサルーンでそこまで求められていたのかは当時でも謎であります。

バイザーやナンバーフレームは一種類のみの設定。廉価品はなく、上級品のみが設定されている形ですね。



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前頁とは逆のコンフォート/ドレスアップとされたオプションです。
比重が逆ということですね(笑)

この中ではツールクッションが珍しいと思います。上級グレードのみの設定ですし、この価格なら標準設定でも良かったような・・・。



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レジャーで類されたオプションです。

チェーンは、14インチは標準的なスチールの設定ですが、15インチはスプリングチェーンとスーパーサイルチェーンのみでした。注意書きからすると、ホイールハウスのクリアランスが少ないためということのようですが、フロント装着の想定の割にクリアランスを詰めていたことを想像させます。

ラック類も多数の設定がされていました。今では、積載を求めるならセダン以外でとなりそうですが、当時はラック類で対応するというのも多く見られました。ラック類のステーはルーフモール部に設置ということで、モールが別部品で設定されているというのは当時ならではのきめ細かさに感じます。



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シートカバーはフル・ハーフ共に3種類の設定。近年ではこうしたハーフカバーの設定は無ということが多く、設定があっても1種類止まりが殆どです。当時は、販売店の付属品設定を上と中から選んで(グレードで分ける場合もあり)、お安いのは付けたいけれど価格を抑えたいという分かれ方でした。複数設定もそれなりに意味があったのです。



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フロアカーペットも3種類の設定。柄だけでなく、毛足の長さと密度も見せているのは珍しくかつ良心的だと思います。長くみっちりが高くなるのはお約束ということで(笑)



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最後に表表紙と裏表紙を見開きで。
裏表紙だけだと何やら・・・ですが、リヤスポイラーを付けたリヤビューなのですね。

といったところでいかがだったでしょうか。
あまり取り上げられる機会も少なかろうというクルマですので、諸考察を書いてみます。

エテルナは、新型車ミラージュの発売に合わせて新たに設立されたカープラザ店向けのギャランというのが元々の出自でした。ギャランシグマエテルナ→エテルナシグマという名前の変更はあるものの、大同小異のバッジエンジニアリングの関係が3世代続いています。その関係が崩れたのは、この型の先代となります。

先代ギャランでは、ギャランシグマの4気筒セダンを置き換える形でシグマ名を取り去り、4ドアセダンのみで先行発売。この時点では、ハードトップ及び6気筒セダンはギャランシグマ・エテルナシグマの両方に設定される一方、エテルナシグマのみ4気筒セダンも残されています。

その後、従前のエテルナシグマを残しつつ、ギャランをベースにやや屋根を低くした5ドアのエテルナをカープラザ向けに発売。その翌年、ギャランのマイナーチェンジと合わせる形で、5ドアのルーフラインをベース=ギャランよりもルーフラインを低くした4ドアセダン、エテルナ・サヴァがエテルナシグマの4気筒セダンの後継として追加されています。このサヴァについては、三菱流解釈のカリーナEDあるいはエメロードの前史と見ることができるかと思います。

残されたシグマ系は、その後3ナンバーサイズに拡大されたディアマンテ・シグマが後継となるのですが、今回のお題からは外れるため、ここでは触れずとします。

こうしてギャランと別の外観を纏ったエテルナは、この代になってルーフラインだけではなくボディデザインを大きく変えるという選択を取りました。先代、特にギャランは男性受けしたものの女性受けが今一つという市場調査結果があったようで、ギャランは先代のイメージを受け継ぎつつややマイルドに寄せる一方、エテルナでは更に女性受けを意識したボディデザインとされています。別ボディの想定があったからこその戦略ではあったのですが、実を伴ったとはいい難い結果に終わりました。結局、次世代ではアスパイアに名を変えて、ギャランとのバッジエンジニアリングに戻されています。シグマ時代を含めた歴代視点で見ると、この世代は大きな差別化を行えた唯一の世代と見ることができるわけです。


実を伴わなかったについては、ギャランを含めて語る必要があるかと思いますので、時を遡りしつつで、もう少し対象を広げて書いてみます。
ギャランは、元々コロナ・ブルーバードと同クラスに位置していましたが、1976年にシグマというサブネームを付けて以降は、従前からの2大ライバルに加えて、マークII・ローレルといった上級車との競合も意識した車格設定が行われるようになりました。車種数の少なさを補えること、(半ば系列専用車と化していたデボネアを除けば)三菱の最上級車となること、(結果的に)トヨタ・日産との直接競合を避けられること等に意義を見出したからなのですが、一方で車格の位置付けの曖昧がキャラクターを不鮮明にした弊害をもたらしもしました。

車名をギャランに戻し、本来の車格に戻したのがこの先代となるのですが、この代では先に書いたディアマンテ・シグマという上級車が加わったにも関わらず、以前の中間車格に戻った感が否めません。おそらく国内専用車ではなく輸出への配慮もあったのだろうとは思うのですが。

コロナ・ブルーバードと比較した時には3ナンバーサイズや6気筒エンジンが贅沢に映る、またマークII・ローレルと比較した時にはボディサイズの小ささもありやや格落ちに映るというのが競争力の阻害となりました。比較の仕方次第とも言えるのですが、当時はネガ>ポジという捉え方が一般的だったように思います。

加えて、不運だったのは登場の少し前まで極限状態に膨らんだバブル景気の崩壊。
これまで持て囃された贅沢さというのは、一転して敬遠されることとなりました。当時、コロナ・ブルーバード等の伝統ブランドを除きこのクラスで人気を集めたのは、プリメーラ・レガシイといった質実剛健なクルマたちで、その点ギャラン共々三菱は、先代で獲得したこのクラスの販売シェアを他社に譲ることとなってしまいます。急遽、三菱もお買い得グレードを前面に出しての再構築を図りますが、当初のイメージを覆すには至りませんでした。こうした経緯を辿ったこともあり、次世代のセダンでは新開発のGDIを前面に出した1800と最上級の2500V6ターボという中間が抜けたバリエーションで構成されるに至ります。


今視点で見ると、全長4,610mm×全幅1,730mm×全高1,395mmで構成されるボディサイズは大き過ぎず、エンジンルームには小排気量のV6が搭載ということで中々面白い存在に映るのですが、時代の巡り会わせに恵まれませんでしたね。

見方にも依りますが、プログレ・ブレビス、ユーノス500、アスコット・ラファーガといった小型高級車が見直されているのであれば、この兄弟も同じ再評価があってもよいように思うのです。


俯瞰的視点で見ていったときに、このエテルナというのは意欲的な取組がありながらも、評価されずに終わった一台ということになるかと思います。同じような経緯を辿った同時代の車となると、クロノス兄弟が先ず筆頭、同じ三菱だとエメロードが先に思い浮かんできます。また三菱の小排気量V6だと、同年代のミラージュ・ランサーですよね。これらはマイナー車視点で語られることがあるものの、このエテルナというのはそこからも外れた稀有な存在に映ります。ボディスタイルにその象徴を見るのですが、何となく無色で強い主張も感じないのが、その理由の一つかもしれません。

だからこそ、こうした機会で振り返ってみるのも趣深い気はします。同時代のクルマたちを対象としたミーティングにこのクルマ、それがさらに今回取り上げたようなオプションを纏った姿ともなれば、注目を集めることは間違いないと思うのです。少なくても私は視線を奪われます。

最後は無理繰りまとめた感もありますが、日本車の長い歴史の積み重ねの中にあっては、埋もれつつある存在だけに、こうした機会に改めて着目していただけると、取り上げた身としてもとても嬉しく思います。
2017年01月05日 イイね!

1992年のカローラセレス/FXのオプションカタログ

1992年のカローラセレス/FXのオプションカタログさて、このお正月、2日に奥様のお供で初売りに繰り出したところ、ものの見事に風邪を貰い受けてしまいました。さらに悪いことに、偏頭痛も併発。

この影響で、2日夕方から3日までは、すっかり寝正月。昨日開始の初仕事には何とか間に合いましたが、この惨状、なんともはやとしか言いようもなく。

本来は他のネタを考えていたのですが、時間をかけて大物に手を付けるという状態でもないため、軽いネタで間をつなぐことに。そんな訳で、急遽浮上したのが、このオプションカタログ。振り返って見ると、ほぼ半年ぶりのオプションカタログネタとなるようです。


今回は100系カローラのモデルチェンジから1年後に追加となったカローラセレス/FXとなります。カローラのオプションカタログは、以前に100系後期のセダンとワゴンを掲載していますので、対比してみるのも一興かと思われます。

それでは、以下紹介していきます。




最初はエクステリアです。
左頁では主にキャリア類、右頁ではその他外観の小物類が掲載されています。

サッシュレスドア&ウィンドーモールが小さめということで、キャリア類の設定は難しかっただろうと推測するのですが、何とか成立。さらにサイドバイザーとの両立すらも可能としています。この辺りは純正用品ならでは、と言えそうです。経年でウェザーが劣化した時でも大丈夫だったのかは若干気になる点ではありますが。

もう一つ特記すべきは、シャイニングエンブレム。上級車種では設定の多かった用品ですが、このセレスでも選択可能だったようです。もっとも画像で見る限り、やや出っ張った形での装着となるようで、後付け感は明確。当時も見かけた記憶はなくて、残っていればかなりの希少品とは言えそうです。





続いてはインテリアです。

ステアリングとMTのシフトレバーノブはMOMO製が選択可能でした。FXではメーカーOPも選択可能だったようですが、別に用品設定もあったことが判ります。エアバッグが選択可能な時代に入りつつありましたが、用品の方はまだエアバッグレスですね。

シートカバーは最高級が一種類で、その下に高級が複数並ぶ体系。セレスとFXで設定が違っていたりするあたりが、微妙でもあります。





続いてはアメニティに属するとされている用品です。

空気清浄器もリヤパッケージトレイを備えるセレスにはビルトインタイプのエアピュリファイヤー、頭上空間に余裕のあるFXには吊り下げタイプのクリーンエースと設定が分けられています。

トレイ付きのカップホルダーもセレスのみの設定。ドライバー寄りにラウンドしたインパネ形状に対応させるため、斜めにスライドする形状となっていたようです。カップホルダーの設置場所がなくて用品設定で対応したという見方も出来そうです。

右頁の用品群は、他車で紹介済ですので、ここでは省略してしまいます。





続いては、左頁にセーフティ&イージードライブに属される用品群、右はそれに被せる形でFXのみに設定されていた用品が紹介されています。

左頁でやや意外なのは、電動リモコン式のフェンダーランプがFXには設定がないこと。形状の近いセダン&ワゴンには設定がありましたので、独自形状のバンパーが支障となったかなというのは推測。

右頁での意外はゴールドエンブレム。セレスにも設定があってよさそうなものですが、メーカーエンブレムはシャイニングエンブレムの設定があったこと、車名エンブレムは独立タイプだったことから設定が見送られたのでしょうね。





上の頁を開くと、この頁が表れます。

左頁はセーフティ&イージードライブの続き、右はクリアランスと名付けられています。整理の意味合いなのでしょうね。

ここも、他車で紹介済の用品が多い気が・・・。インパネトレイが助手席エアバッグが普及する前ならでは、というくらいでしょうか。このトレイ、フタが取り外し可能で手鏡になるというのはアイデアものですね。





用品の最後には、オーディオが掲載されていました。

この両車、若者向けを狙っていたこともあって、メーカーOPで選択可能だったスーパーライブサウンドシステムはかなり凝ったものが装着可能でした。それだけにあえてこちらを選択するケースというのは、少なかっただろと想像するところです。標準在庫車に、高級オーディオをお得に装着みたいなケースもあっただろうとは思いますが。

DSPを活用して専用音場設計というあたり、結構凝っていたりします。もちろんお値段は相応。





最終ページは汎用品設定のため、省略。


といったところで、軽く流してみました。
これだけだと、軽すぎる感があるため(?)、以下私解釈。


ニューモデル速報誌によると、カローラ/スプリンター系にハードトップを追加する構想は、先代の登場直後であったことが語られています。想定ユーザーとしては、レビン/トレノがFF化により女性ユーザーを多く取り込んで広がったことから、その卒業生であるとも。レビン/トレノを卒業したユーザーが、いきなりセダンに移行するかというと、そうじゃないだろうという思いがあったようです。

今ではなかなか理解が難しい領域の話かもしれませんが、当時のモデルレンジの中にあっては、レビン/トレノにリヤドアを付けたようなスペシャルティ4ドアハードトップというのは、確かにそんな予測を成立させるに足り得る存在ではありました。

この4ドアハードトップシリーズというのは、クラウンから始まって、マークII/チェイサー、カリーナ/コロナと順を追うように展開が下りてきて、ついにカローラ/スプリンター系にも追加された形となります。そこには、ビジネス用途での使用も考慮するセダンとオーナー層向けのハードトップという切り分けを行っていくという思惑もあったように思います。

ところが、当初こそ売れたものの、やがてユーザーはメーカーとの思惑とは別の動きをするようになっていきます。想定ユーザーとするレビン/トレノの卒業生たちは、セレス/マリノではなく、ツーリングワゴンやカリブへと移っていくこととなるのです。

フルラインセダンに続いて、フルラインハードトップが完成となった時期と前後して、同時にトランク付きのセダンが衰退する傾向が始まっていくこととなります。そこには、フルラインで揃ったセダン系の序列に飽き足らないばかりでなく、同時にセダン・ハードトップというボディ形態への限界すら感じて見切ってしまった(飽きてしまった)層が確実に存在していたのではないでしょうか。

以降、セダンへのユーザー回帰が何度か試されますが、ユーザーが以前のように回帰することは決してなく、現在までその状況は続いていますね。



セレスと同時に追加されたFXは、この世代に至って、3ドアのスポーティモデルのみに集約される結果となりました。

思えばこのFX、登場当初から3ドアのスポーティモデルが想定以上に売れたクルマでありましたから、この選択はある種自然の流れだったのかもしれません。その裏には5ドアが傍流であったことや同系列の直ぐ下位モデルとしてカローラIIが存在していたことが関係していたこともあります。

シビックを代表とする他社の同級ハッチバックモデルも同様の傾向を強めていただけに、その選択も理解はできるのですが、ことこのシリーズに関してはよりスポーティなモデルとしてレビンの存在があっただけに、スポーティグレードだけに絞った選択が正しかったのかは些か疑問が残るところです。もちろんメーカー自身は、それを承知していましたから、目標台数1,000台というライバル車以下となる絞り込みを行っていますが。

異論覚悟で書くと、この時期には、カローラIIも3ドアのみとなっていましたから、もしかすると5ドアでの設定の方が展開が開けていたのかもしれません。この後のRVブームや2世代後のランクス/アレックスがそう思わせるのです。


この2台、確実に言えそうなのは、セダン・ワゴン・クーペといった当時の売れ筋の隙間を埋めるクルマということでマーケティング主導で作られたのだろうということと、実際のマーケットは当時という激変する時代の中では導き出された答えとは違う動きをしたということ。

私にはマーケティングでクルマをつくる怖さを表している気がしてなりません。


・・・などと、やや厳しい書き方をしてみるものの、主観的な見方に立てば、バブル景気を反映した凝った作り込みがされていますし、この後には続かなかったボディ形状たちということでメモリアル的価値を感じていたりするのも事実。

あまり顧みられることはありませんが、今実車を見ると、ちょっと見入ってしまいそうな気がしています。

これまた、現在では再現されることはなさそうなクルマ達なのです。
2016年06月21日 イイね!

1973年のサニーのオプションカタログ

1973年のサニーのオプションカタログ今回は、しばらくお休みされた後、復帰されたみん友さんへの私なりのメッセージのつもりです。

カタログ話(オプション編)の前回は1993年でしたので、そこから20年ほど時を遡った形となりますね。

車種は違えど、共に日本を代表する大衆車の雄。
オプションとして設定された用品の差は、そのまま時代の差の反映と捉えていいと思います。
20年という時間の中で、消えていった用品もあれば、機能が進化した用品もありますね。



3頁にわたって、主な用品が紹介されています。
中段左は4ドアセダン1200GL、右はクーペ1400GLです。

メーターの数を競っていた時代ということもあって、隙間があればメーターを埋めちゃう的な思想が感じられますね。手動式のカレンダーやタコボルトメーター等一技あるのも興味深いところです。

オーディオは8トラとカセットへの過渡期で、冷房は空冷のみというのも時代を反映しています。

前席3点式シートベルトは、最初?だったのですが、一覧表と合わせて納得。GX以外は腰ベルトのみ標準で肩ベルトがオプションだったようです。当時は一本ものではなく分離式だったからこそ、可能だった設定ですね。





左頁は見開きの上頁ということで、裏表紙と組み合わせてみました。

一覧表に価格の記載があれば、さらに楽しめたのですが、価格なしでも十分価値ある内容だと思います。



といったところで、頁数が少ないこともあって、簡単な記載としてしまいましたので、自分的思い出話等を記してみます。



この210サニーって、物心ついた時にはギリギリ新車で売っているクルマでした。そういう意味では、先日日産ギャラリーに展示されていた、初代&2代目よりも親しみのある世代です。

当時のベストセラーカーでしたから、ご近所や父の友人関係で乗られている方も多かったように記憶しています。グレードもGX・GL・DXと全て見かけましたし、ボディタイプもそれは同様でした。

その中でも一番印象に残っているのは、サンバーの回で書いたお隣さんが時折乗って帰ってきていた、バン1200DXです。ちょうど父が入院していた時期とも重なって、サンバー同様、随分乗せてもらったことを覚えています。今のADよりはるかに小さなサイズは、狭い道も苦にしない取り回しの良さがありましたっけ。



210は、110・310と並べた時にはそのデザインといい、歴代でやや異色の感はあるかもしれません。それも、オイルショックが起こる前の経済成長は右肩上がりが当然だった時代背景を考えれば、納得できるものがあります。

一言で書けば、大衆車クラスと言えども、上級者並みの豪華さが求められる時代になりつつあったということなんですよね。ケンメリスカイラインやブルーバードUを彷彿させるデザインは、きっとその回答かと。

110ではホイールベースが異なっていた1200と1400は、210でホイールベースは統一、フロントオーバーハングのみ異なる形に整理されています。この後登場するカローラ30は、1200と1400・1600でフロントマスク&テールランプの形状を変えてきますが、ほぼ間違いなくサニーからの影響だと推測しています。210はカローラに影響されたという書かれ方をする時もある訳で、市場の希望を鑑みつつ、様々な面でお互いを意識していたのでしょうね。

惜しむらくは、搭載を予定していたロータリーがオイルショックにより、陽の目を見なかったことでありまして、もしもそれが実現していたとしたら、エクセレントクーペが、当時の帝王サバンナとサーキットで競う構図となっていたのかもしれません。


オイルショックとそれに続く排ガス規制は、大衆車の求められる形を大きく変えてしまうこととなるのですが、210の開発時点でそれを予見するのは難しかったと思います。
一つ確実に言えるのは、カローラ・サニー・シビックという各車が80年代中盤から後半にかけてとはまた違った形で構成されていたということですね。

段々、この当時に親近感を持つ方が減りつつあるかなと思うところがありまして、このカタログやブログが何かしらの興味を持つきっかけとなれれば、などとささやか乍らに思うのです。
2016年05月27日 イイね!

1993年のカローラのオプションカタログ

1993年のカローラのオプションカタログもしも・・・で始まる好きなセダンの話が続いてきました。
もちろん他にも好きなセダンは多いのですが、そろそろカタログ話に戻そうかと思います。

今回は、1993年のカローラ(セダン・ワゴン)のオプションカタログです。
カローラは、今年の暮れでちょうど登場から50周年を迎えることとなります。多くの車名が登場しては消費されていった中で、長い歴史を有しつつ現在に残る数少ないクルマとなりました。

今回取り上げる100系は、1991年の登場。
今から25年前ですから、カローラのここまでの歴史の中のちょうど中間点となります。クルマとしても100系は一つの到達点だった気がする・・・という話は後述することにして、カタログを紹介していくことにします。

発行は、マイナーチェンジ時点となる、1993年(平成5年)5月の発行です。



最初は、オーディオが掲載されています。
この時代、それまでのラジオ・カセットに加えて、CDが新たなソースとして主流になっていました。

また、それまで標準装備だったラジオが、レス仕様として選択可能になったのもこの時代です。お好きなオーディオ(ナビ)をどうぞという今の主流は、この時代に始まっているわけです。

そんな反映もあって一気に機種が増えています。特にカローラは、この前後世代を含めて、オーディオスペースが豊富(100系ではインパネ中央部に1DINとセンターコンソールに2DIN)だったという事情もあります。

半ば余談ですが、各形式の”-”前のアルファベットは、製造メーカーの識別でありまして、N=ナショナル(現パナソニック)、T=富士通テン、P=パイオニアを表しています。
同時期の市販品では各メーカーの独自デザインを競う一方で、純正品ではかなり似通ったデザインを納入していたわけです。おそらくトヨタからの要望によるものだと思われますが。





左頁は、オーディオの続きです。
デッキの意匠や端子数・配置は統一されていたものの、CDチェンジャーとコントローラー間のプロトコルは、各メーカー独自のままとされていました。そのため、CDチェンジャーは各メーカーが納入していた形です。

当然、組合せには制約があるのですが、これだけの機種があると、誤発注もあったのではないかと心配したりしますね。


右頁は、空調&通信です。
エアピュリは、この代から上級モデル同様のビルトインタイプとなりまして、ついにカローラもかと感慨を覚えたものです。

自動車電話やファクシミリは、他車との共通品で、当時ならではの設定ですね。営業車用途としても使われたクルマですから、意外と装着率は高かったのかもしれません。





続いてはインテリアとなります。

オーディオスペースに余裕のあったクルマらしく、その空きスペースを埋められる小物入れが複数設定されています。センター部分のコンソールボックスやインパネトレイ等、小物入れは他にもいくつか設定あり。この辺りは小物入れを必要とするファミリーカーらしいと言えるかもしれません。

各照明類や静電防止プレート等は、上級モデルの機能に近づけさせようという設定ですね。標準装備にするとスタート価格が跳ね上がるため、お好みでどうぞというわけです。





左頁は、インテリアの続きです。
ドアオープニングブライトは、LEDあっての用品ですね。ドアカーテシランプの設定がないカローラでは、それを補う意味合いもありました。

ハイマウントストップは、装着義務が課せられる前のため、LEDタイプを用品として設定。この翌年の部分改良で、バルブタイプが標準装備となります。見栄えでは、こちらの方が良かったと思うのですけれどね。

各サンシェードはガラスの高機能化前ならでは。ワイヤレスドアロックと共に、今では標準装備に含まれていますね。こうした用品で需要があったからこそ、標準に含まれるようになったと言えます。


右頁からは、エクステリアとなります。
コーナーセンサーの設定はあるものの、コーナー部分の把握には照明タイプが併存。先代比ではやや悪化したものの、何とかコーナーが見切れるボディデザインだったことが大きいですね。





左頁は、ラック類やタイヤチェーン等です。
販売の主流はセダン、しかも一部グレードを除けばトランクスルーもありませんでしたから、大物を積むにはラック類に頼らざるを得ませんでした。

タイヤチェーンは、今よりも種類が豊富。これはスタッドレスの性能が発展途上だった影響もあるのでしょう。こうして見てくると、あまり古くないようでいて、確実に時代背景の反映はありますね。


右頁は、用品設定の王道(?)、フロアマットとシートカバーです。
緞通やらロイヤルやら、お値段ビックリ級もあった、同時期のクラウン系とかマークII系と比較すると、慎ましい(堅実な)設定ですね。





左頁は、この頃から販売比率の上がり始めたワゴン専用用品の紹介です。
RVブームの反映ということで、やや派手目のストライプが設定されていました。この後、特に90年代後半と比べると、まだまだ大人しいのも事実ですけれどね。


右頁からは、品番と設定の一覧となります。
品番は、20年以上前のもので残っていないでしょうから、迷いつつも掲載してしまうことにします。グレード別の設定等、細に入り組んでいるのを感じていただければと思います。きっと裏には、細かい検証が存在していたのでしょうね。









最後は、アクセサリーの類となります。

といったところで、いかがだったでしょうか。
初めて見る方には当時流の設定を、そうでない方は当時を思い返して懐かしさを、感じていただければ幸いです。


カタログを掲載するだけというのも何ですので、いつものように私的付則を少し。
カローラは、登場と共にマイカー時代の幕を開けて以来、時代と共に成長を続けてきました。カローラの成長よりも時代の成長が早くて、最初は憧れだった存在が、段々とイメージが低下して見られるようになったのが、80年代です。

80系の途中から主査となった斎藤明彦氏は、その点を危惧されていて、FRからFFへの移行期における車型の整理という一大事業を遂げられる一方で、新しい車格の創造ということを強く意識されていました。

「今までの悪いイメージを払拭したい。それは即できることではないから、2代ぐらいをかけてやりたい。」というのは、当時の自動車雑誌のインタビュー記事によく見受けられました。上級指向を強めた90系や100系というのは、氏のそんな思いを反映したモデルだったわけです。

100系は、上級グレードに魅力が集中した設定が裏目に出て、登場と前後した景気後退の波が直撃します。90系の末期の最多量販は、SE系ではなく、XE系だったのですが、100系は当初、SE系にこそ力が入っていたものの、中間にこれというグレードを持たずというのは、意外と販売には効いていたと思います。(この状況に対して、LX-LIMITEDを早期に追加したのは、さすがですが)

中間グレードを補完する一方で、カローラ自体は結局ベーシックな方向に回帰していくこととなります。そのことは、成長を続けたカローラの大きな転換点でもありました。このマイナーチェンジは、その第一歩だったのです。

100系自体は、内外装の意匠だけに留まらず、実質の部分も極めて上等だったのですが、トヨタとしてはやり過ぎという認識もあったのでしょう。そのやり過ぎな性能は、今でも国外で存在感を発揮していたりするのですけれどね。


今になってみると、90・100系路線を続けて、ニュースタンダードを構築するという方向性もあったように思うのですが、それまで売れ続けたことで、既存ユーザーの声が無視できないほど膨らんでいたことが、その選択を許さなかったのだろうと想像します。当時は、ベストセラーカーを続けている最中でもありましたから、クラウンのようにベーシックグレードを切り離すという選択も難しかったでしょうし。


このままだと長くなりますので、最後に100系への思いを少しだけ。
私、100系は歴代の中でも好きな世代、上位にあります。当時の斎藤主査の思いに共感していて、その集大成的存在に映るからです。今後も含めて、国内で売るカローラを、これだけお金と力をかけて作れる機会は、なかなか訪れまいとも思いますね。

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何シテル?   07/31 22:03
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