
ここのところ、意図せずながらもブログではトヨタ車ばかりが続いていますので、何か良さげなネタがないかと、もはや魔窟と化している(笑)カタログ保管棚を詮索。ふと見つかったのが、このカタログでありました。
タイトル画像からお判りのとおり、1992年にギャランと時を同じくしてモデルチェンジされたエテルナ。かなりのマイナー車であろうことは疑いようもなく、更にオプションカタログともなると、相当なレアネタであることも異論はないかと思います。
今回は、このカタログをお題に話を進めていくことにいたしましょう。1992年5月の発行とありますので、登場当初のものとなるようです。
以下、カタログに沿って進めていきます。
最初に掲載されているのは、オーディオとなります。
三菱グループ内にオーディオメーカーがあった関係もあり、歴代の三菱車のカーオーディオ(特に上級グレード)は、ライバル車と比べると豪華なシステム構成となることが常でした。このエテルナも、上級グレードはCDチェンジャーコントロール機構付きのフルロジック1DINサイズオーディオを標準設定。市販品では同機能が付いた製品が主流となっていたものの、純正品ではラジオ・カセットのみの方がまだまだ多かったですから、一歩先んじていたと言えます。標準のスピーカーも、フロントドア・リヤトレイの両方に16cmが設置されるだけでなく、インパネにも10cmが設置された6スピーカー構成という豪華さ。
更にオプションでは、ライブビジョンと名付けられたTVモニターも選択可能(ナビゲーション付はMMCSとなります)。更なる上級車には、オーディオやエアコンコントロール機能を組み込んだマルチモニターが人気を集めていて、こちらもMMCSが設定されていましたが、そうした機能を持たないものも選択可能というのが珍しくありました。
この配置だとモニターがインパネの上段を占めてしまい、操作頻度の高そうなエアコン&オーディオが下に追いやられてしまうのですが、操作性よりも見た目の豪華さを追うことが許された時代ですね。
オーディオの紹介が続きます。
中級グレードには、チェンジャーコントロール機能なしの1DINサイズ・カセットデッキが標準。こちらもCDプレーヤーやCDチェンジャーの追加が可能でした。
CDチェンジャーは6連奏をトランクに床置き。トランク容量は限られてしまいますが、音飛びを減らすにはこの位置が良くて、こうした装着は市販品含めて多くみられました。
右頁は純正品と入れ替える形の市販品の紹介。
ここでは、三菱・パイオニア・ケンウッドの3社が並んでいます。各社がカーオーディオで激戦を繰り広げていた時代で、ほぼ機能や値段は横並びながらも、デザイン等には各々の主張があったことが見て取れるかと思います。
AV製品が続きます。後席モニター、カービデオ、電子手帳等、当時のミドルサルーンとは思えない設定がされていました。ディアマンテやデボネアの用品と紹介されても違和感がありません。
近年ではETC2.0が受信の役目を担うビーコンが出始めた時期となります。アンテナをリヤボード上に置くというのは珍しいと思います。熱線が電波を遮断する要因となるため、フロントのダッシュボード上に置くのが後の主流となっています。
セーフティに類されたオプションです。
コーナーセンサーは左側のみでリモコンポールはフロントのみ設定されていました。
他車では他の位置の設定もありましたが、必要度の高い位置のみとされていた形です。
セーフティのオプションが続きます。
この見開きにあるのは、同年代のオプションカタログで既視感のあるものばかりです。チャイルドシートが3銘柄設定というのは珍しいかもしれません。
スポーティに類されたオプションです。
大人し目の位置付けを意識してか、エアロパーツの設定はリヤスポイラーのみで、フロントやサイドの設定は無。こうした設定は珍しい気がします。
アルミホイールはメーカーオプションで設定されていたのが、ディーラーオプションでも選択可能ということだと思います。
ドレスアップ/コンフォートで類されたオプションです。
私の最大の驚きが、このウッドパネルでした。何と木目調ではなく、ゼブラウッド製の本木目です。当然、それなりのお値段設定となっていまして、相当な希少アイテムだと思います。バブルの残り香としても、ミドルサルーンでそこまで求められていたのかは当時でも謎であります。
バイザーやナンバーフレームは一種類のみの設定。廉価品はなく、上級品のみが設定されている形ですね。
前頁とは逆のコンフォート/ドレスアップとされたオプションです。
比重が逆ということですね(笑)
この中ではツールクッションが珍しいと思います。上級グレードのみの設定ですし、この価格なら標準設定でも良かったような・・・。
レジャーで類されたオプションです。
チェーンは、14インチは標準的なスチールの設定ですが、15インチはスプリングチェーンとスーパーサイルチェーンのみでした。注意書きからすると、ホイールハウスのクリアランスが少ないためということのようですが、フロント装着の想定の割にクリアランスを詰めていたことを想像させます。
ラック類も多数の設定がされていました。今では、積載を求めるならセダン以外でとなりそうですが、当時はラック類で対応するというのも多く見られました。ラック類のステーはルーフモール部に設置ということで、モールが別部品で設定されているというのは当時ならではのきめ細かさに感じます。
シートカバーはフル・ハーフ共に3種類の設定。近年ではこうしたハーフカバーの設定は無ということが多く、設定があっても1種類止まりが殆どです。当時は、販売店の付属品設定を上と中から選んで(グレードで分ける場合もあり)、お安いのは付けたいけれど価格を抑えたいという分かれ方でした。複数設定もそれなりに意味があったのです。
フロアカーペットも3種類の設定。柄だけでなく、毛足の長さと密度も見せているのは珍しくかつ良心的だと思います。長くみっちりが高くなるのはお約束ということで(笑)
最後に表表紙と裏表紙を見開きで。
裏表紙だけだと何やら・・・ですが、リヤスポイラーを付けたリヤビューなのですね。
といったところでいかがだったでしょうか。
あまり取り上げられる機会も少なかろうというクルマですので、諸考察を書いてみます。
エテルナは、新型車ミラージュの発売に合わせて新たに設立されたカープラザ店向けのギャランというのが元々の出自でした。ギャランシグマエテルナ→エテルナシグマという名前の変更はあるものの、大同小異のバッジエンジニアリングの関係が3世代続いています。その関係が崩れたのは、この型の先代となります。
先代ギャランでは、ギャランシグマの4気筒セダンを置き換える形でシグマ名を取り去り、4ドアセダンのみで先行発売。この時点では、ハードトップ及び6気筒セダンはギャランシグマ・エテルナシグマの両方に設定される一方、エテルナシグマのみ4気筒セダンも残されています。
その後、従前のエテルナシグマを残しつつ、ギャランをベースにやや屋根を低くした5ドアのエテルナをカープラザ向けに発売。その翌年、ギャランのマイナーチェンジと合わせる形で、5ドアのルーフラインをベース=ギャランよりもルーフラインを低くした4ドアセダン、エテルナ・サヴァがエテルナシグマの4気筒セダンの後継として追加されています。このサヴァについては、三菱流解釈のカリーナEDあるいはエメロードの前史と見ることができるかと思います。
残されたシグマ系は、その後3ナンバーサイズに拡大されたディアマンテ・シグマが後継となるのですが、今回のお題からは外れるため、ここでは触れずとします。
こうしてギャランと別の外観を纏ったエテルナは、この代になってルーフラインだけではなくボディデザインを大きく変えるという選択を取りました。先代、特にギャランは男性受けしたものの女性受けが今一つという市場調査結果があったようで、ギャランは先代のイメージを受け継ぎつつややマイルドに寄せる一方、エテルナでは更に女性受けを意識したボディデザインとされています。別ボディの想定があったからこその戦略ではあったのですが、実を伴ったとはいい難い結果に終わりました。結局、次世代ではアスパイアに名を変えて、ギャランとのバッジエンジニアリングに戻されています。シグマ時代を含めた歴代視点で見ると、この世代は大きな差別化を行えた唯一の世代と見ることができるわけです。
実を伴わなかったについては、ギャランを含めて語る必要があるかと思いますので、時を遡りしつつで、もう少し対象を広げて書いてみます。
ギャランは、元々コロナ・ブルーバードと同クラスに位置していましたが、1976年にシグマというサブネームを付けて以降は、従前からの2大ライバルに加えて、マークII・ローレルといった上級車との競合も意識した車格設定が行われるようになりました。車種数の少なさを補えること、(半ば系列専用車と化していたデボネアを除けば)三菱の最上級車となること、(結果的に)トヨタ・日産との直接競合を避けられること等に意義を見出したからなのですが、一方で車格の位置付けの曖昧がキャラクターを不鮮明にした弊害をもたらしもしました。
車名をギャランに戻し、本来の車格に戻したのがこの先代となるのですが、この代では先に書いたディアマンテ・シグマという上級車が加わったにも関わらず、以前の中間車格に戻った感が否めません。おそらく国内専用車ではなく輸出への配慮もあったのだろうとは思うのですが。
コロナ・ブルーバードと比較した時には3ナンバーサイズや6気筒エンジンが贅沢に映る、またマークII・ローレルと比較した時にはボディサイズの小ささもありやや格落ちに映るというのが競争力の阻害となりました。比較の仕方次第とも言えるのですが、当時はネガ>ポジという捉え方が一般的だったように思います。
加えて、不運だったのは登場の少し前まで極限状態に膨らんだバブル景気の崩壊。
これまで持て囃された贅沢さというのは、一転して敬遠されることとなりました。当時、コロナ・ブルーバード等の伝統ブランドを除きこのクラスで人気を集めたのは、プリメーラ・レガシイといった質実剛健なクルマたちで、その点ギャラン共々三菱は、先代で獲得したこのクラスの販売シェアを他社に譲ることとなってしまいます。急遽、三菱もお買い得グレードを前面に出しての再構築を図りますが、当初のイメージを覆すには至りませんでした。こうした経緯を辿ったこともあり、次世代のセダンでは新開発のGDIを前面に出した1800と最上級の2500V6ターボという中間が抜けたバリエーションで構成されるに至ります。
今視点で見ると、全長4,610mm×全幅1,730mm×全高1,395mmで構成されるボディサイズは大き過ぎず、エンジンルームには小排気量のV6が搭載ということで中々面白い存在に映るのですが、時代の巡り会わせに恵まれませんでしたね。
見方にも依りますが、プログレ・ブレビス、ユーノス500、アスコット・ラファーガといった小型高級車が見直されているのであれば、この兄弟も同じ再評価があってもよいように思うのです。
俯瞰的視点で見ていったときに、このエテルナというのは意欲的な取組がありながらも、評価されずに終わった一台ということになるかと思います。同じような経緯を辿った同時代の車となると、クロノス兄弟が先ず筆頭、同じ三菱だとエメロードが先に思い浮かんできます。また三菱の小排気量V6だと、同年代のミラージュ・ランサーですよね。これらはマイナー車視点で語られることがあるものの、このエテルナというのはそこからも外れた稀有な存在に映ります。ボディスタイルにその象徴を見るのですが、何となく無色で強い主張も感じないのが、その理由の一つかもしれません。
だからこそ、こうした機会で振り返ってみるのも趣深い気はします。同時代のクルマたちを対象としたミーティングにこのクルマ、それがさらに今回取り上げたようなオプションを纏った姿ともなれば、注目を集めることは間違いないと思うのです。少なくても私は視線を奪われます。
最後は無理繰りまとめた感もありますが、日本車の長い歴史の積み重ねの中にあっては、埋もれつつある存在だけに、こうした機会に改めて着目していただけると、取り上げた身としてもとても嬉しく思います。