
フェローマックス購入後、3年程経過すると家族状況や社会情勢も変わってきます。
あれほど第1次マイカーブームで売れた軽自動車も、購入した人々は性能に不足を感じたのか、次々ランクアップで、カローラ・サニー等の大衆車やコロナ・ブルーバード等の小型車への代替に走ります。そのため、軽自動車は、ちょうど家で購入した1970年を頂点に、次第に斜陽の時代を迎えます。(さらに軽自動車を追い込んだのは1973年の車検制度の開始ですね)
父も世間の流行のとおり(?)、家族が増えたのと、転居に伴い小型車を駐車可能な車庫スペースが確保できたこともあって、4人家族がゆったり乗れるクルマを物色し始めます。
結果、代替車となったのは、父の友人が安全コロナ2000SLの下取りで放出することとなった初代マークIIセダンです。
初代マークIIは、当時ベストセラーだったアローラインコロナのモデルチェンジ版として設計されましたが、発売直前に紆余曲折があって新型車として登場することになります。登場時はスタイルや性能が好評で、かなりの販売台数を記録しています。特に好評だったのは最上級のHT1900SLで、納車待ち3ヶ月ということもあったようです。(東京トヨペット社史より)
当時の雑誌の記事を読み返す限りでは、その後、登場時の勢いは続かず、周囲の車に埋没する形で、父が購入する頃には、(特にセダンは)不人気車=お買い得車に分類されるようになっていたようですが。
若干長めの前振りとなりましたが、ここから1969年(昭和44年1月)発行のカタログを解説していきます。
2015/4/26 画像を全て更新すると共に一部追加しました。
「コロナから生まれた理想のコロナ」と最初に謳われています。
セダンのエンブレムに位置を合わせる形で目次が記載されているのは、上手な処理ですね。
右頁は、概論なのですが、スタイルの所で、「外国のデザイナーの手を借りてはいません」というのが当時の状況を表しているようで興味深いところです。
3代目コロナの面影を残しつつも、カーブドガラスの採用やセミ・ファストバック化により、近代化されたスタイリングです。フロントグリルには、この時代から樹脂材質を使い始めています。
右下にあるフロントピラーの紹介では、実車と異なる位置に貼られたエンブレムが確認できます。市販段階では、リヤフェンダーとなりましたが、この位置も検討されたのかもしれませんね。
左頁にある、パッドを多用したインパネは、3代目コロナや当時のライバル車と比較すると、豪華に見えるよう工夫されています。ステアリングホイール自体は同時に改良されたコロナと同じ部品ですが、センターパッドは模様を入れた別部品にして、差をアピールしています(笑)
右頁上のリヤスタイルですが、リヤウィンドーとトランクから形成される若干尻下がりの曲面フォルムは、初代カローラから始まって、ブラボーコロナやセリカ・カリーナへと続く当時トヨタが好んで使ったスタイルですね。給油口はナンバープレートの裏にあったりします。
右頁下はこのクラス初の装備ということで、強制換気機能をアピールしています。
コラムシフト車は、上にある布張りベンチシートが標準で、布張りセパレートシートが注文で選択可能となります。フロアシフト車は、右頁下のレザー張りセパレートシートが標準でした。
リヤシートの足元は広く見えますが、フロントシートの前出しによるトリック分を考慮してください(笑)。
家にあったのは、外装色(クリームオパール)もそのまま(ただし黒のレザートップ付)のセダン1600DX。コラムシフトながらセパレートシートという仕様でしたので、外観やインパネの画像は特に懐かしいのです。
ここからは他グレードを紹介していきます。
ハードトップ1600DX
3代目コロナで初登場して人気を博したハードトップは、もちろんマークIIでも引き継がれることになります。
この雪の中でリヤチェーンのみ、さらに上の画像はそれすら無・・・というのは無粋なツッコミですね。
こちらは1600SL。
コロナSの後継かつブルーバードSSSの対抗という位置づけのスポーティ仕様となります。外観はDXと印象があまり変わりませんが、室内は、木目の3本ステアリング&シフトノブ、タコメーターやセンターコンソールの追加もあって、DXとは雰囲気が大分異なりますね。
マークII登場直後に行われた世界一周について書かれています。
3代目コロナでは、開通したばかりの名神高速道路を使って高速性能をアピールしたのですが、わずか数年で世界を股にかけたテストとなったのです。
クルマの性能はもちろん必要ですが、それ以上にテストドライバーの苦労が偲ばれる内容になっています。
左頁は、主に営業車向けの1600(スタンダードとは呼ばず)。
右頁は、当時まだ珍しかったワゴンです。
マークIIワゴンと言うと、未だに70Gの印象が強いのですが、ここが起源となります。実はバンとバックパネルの構造を変えているあたり、まだ日本では普及していなかったワゴンを根付かせようという意欲が感じられます。
シリーズ最上級となるハードトップ1900SL
グレード構成で判る通り、ハードトップの方がセダンよりも上級の設定でした。
ミニクラウン的位置づけの豪華仕様となる1900DX。
初期の1900DXは、中期以降に設定されたGLに近い設定のため、中期以降の同グレードより装備が充実しています。
1600DXからの主な追加装備は、衝撃吸収ハンドル、可動式フェンダーミラー、パワーアンテナ付き自動選局式ラジオ、リヤセンターアームレスト、リヤシートベルト等となります。
1900DXはハードトップにも設定がありました。
1900SLがスポーティな性格なのに対してこちらは豪華仕様の位置づけ。
左側では、安全対策項目の一覧がグレード別に参照出来るようになっています。
このカタログでは、ヘッドレストが標準なのは一部グレードのみですが、安全対策のために、44年中盤以降は全車標準装備となります。
同じ1600DXでも、フロアシフト車はフロントディスクブレーキが標準ですが、コラムシフト車はフロントディスクブレーキは注文装備で、標準はドラムブレーキとなります。(この部分のエピソードは後述)
右側では、主な装備が紹介されています。
リヤシートバックには、当時豪華に見えたエンボス模様入り。
現在に通じるワイパースイッチの位置と格納式シガーライターは珍しい装備に分類していいでしょうね。
左頁は、搭載エンジンの一覧です。
左2つのシングルキャブ車の冷却ファンは4枚羽根でしたが、クーラーの装着率も低い当時では、これでもあまり問題とはなりませんでした。
当時のシングルキャブのエアクリはヘッドの上に平置き、ツインキャブはヘッドの横に縦置きとされていました。
右上にはメカニズムを見せるための透視図があります。
フロントサスはダブルウィッシュボーン、リヤサスは板バネという当時の標準的な設定となります。(ライバル車、ブルーバード&ローレルはフロント:ストラット、リヤ:セミトレの4輪独立懸架ですので、比較すると見劣りしてしまうのも事実ですが)
セダン1600DXのプロペラシャフトは直結式というのが時代ですね。(間もなく直結式プロペラシャフトは他車で安全性を問われることになります)

左頁には、装備一覧と設定色一覧。
この表は簡易な内容のため、実車の装備は、グレード間格差がもう少しあります。
ボディカラーは、生産の都合かセダンとハードトップの設定色が完全に分かれていることもあって、全21色という多彩な設定でした。(セダン1600DXは、その内8色の選択が可能)
右頁では、様々なテストが行われたことが解るようになっています。
この後もしばらくは、同様の画像がカタログを飾ったのですが、何時しか消えてしまいましたね。
裏表紙には、諸元表が掲載されています。
最後に家にあった仕様等を紹介します。
グレード:1600DX
ボディカラー:クリームオパール
登録:1969年7月(昭和44年)
購入:1974年(昭和49年)?
譲渡:1976年(昭和51年)6月
廃車:1979年(昭和54年)
購入時の記憶はありませんが、おぼろげながらに記憶に残るブレーキ換装について触れてみます。
家にあったのはコラムシフトの標準仕様であるドラムブレーキでしたが、(特に低速域の)利き味は危険領域に分類してもいい、掛け値なしのカックンブレーキでした。父は我慢できず、同乗の家族にもさすがに危ないということで、ディスクブレーキ一式への換装を行っています。
(息子も前車で15インチディスクへの大径化&ブレーキブースターの容量アップと同じようなことをしています・爆)
他の追加装備は、記憶にあるだけでも、フォグランプ、サイドバイザー、リヤマッドガード、前後コーナーポール、ハイマウントストップランプ、オートアンテナ、8トラックステレオ。おそらく大半が購入後の追加だと思います。この装備群を見ても、親子の血は争えない感がありますね(笑)。
譲渡先は、私から見て母方の叔父。このため時々は乗せてもらえる機会もありました。家の次車と比べても、末期は完全に時代遅れのシロモノでしたが、物心付いた時に家にあった車として、今見ると、とても懐かしい車です。
旧車としてはマイナーなため、イベント等で見かける機会は少ないのですが、トヨタ博物館には同車のセダン1900DXが展示されていて、出かけた際には、実車の前で親子共々思い出に浸ったのでありました。