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parl-siroのブログ一覧

2014年08月29日 イイね!

Mercedes STAR Collection 2014の話

Mercedes STAR Collection 2014の話タイトルの会場に昨日夫婦で出かけてきました。

最初のお断りとして、会場内は撮影していません。
何かそんな雰囲気じゃないなぁと感じたんですよね。他にも報告は上がっているようですので、会場内の画像に興味ある方はそちらをご参照くださいませ。


そもそものきっかけは、先ずメールニュースが届きまして、曰く「参加を希望するなら招待状を印刷して持ってきてね」と記されていました。続いて担当氏からも郵送で招待状が到着。



この手のイベントって、これまでは全く縁がありませんでしたので、興味半分で出かけてみようと思い立った次第。出かける方としては「ちょっと豪華な展示会かな」ぐらいのノリなのですが、思い違いが多分にあったことが後に判明するのです(笑)。


先ずはホテル入口から東京タワーを撮影




現地到着後、郵送された方の招待状で受付を済ませますと、封筒記載の番号と同じカウンターへ向かうようご案内。カウンターは、いくつかの販売店舗ごとに20以上並んでいまして、当然、黒スーツの営業氏がズラリ。この時点で既に圧倒されつつ、担当氏の登場を待つこととなります。

きっとMy Mercedesからの印刷だと、住所を基に地域の販売店を案内されるんでしょうね。


ほどなく、いつもの担当氏が来られまして、「今ライブの最中なんで、会場内で聞いていてください。終わった頃に参ります。」となりました。

会場内は、ライブ中ということで照明も暗くされていて、展示車を次々見比べるという感じではまるでなく。結局端の方の席で飲み物とお菓子をいただきつつ、音楽鑑賞に勤しむことに。

来場者の感じといい、アウェー感が漂います。末席の2人は「招待されたとはいえ、来ちゃってよかったのかなぁ。末席で正解だったね。」とヒソヒソ話すのです(笑)。


話のとおり、ライブ完了後、担当氏登場。
ここからはいつものごとくで、クルマ話を中心の世間話など。
ここでも机上話が殆どで、結局会場内で見たのは、EクラスとCクラスくらい。後者は興味ある方多数のようでありました。この場はオープン展示場のごとく、勝手に見て回る雰囲気ではないことくらいは、多少鈍い私でも解ります(笑)。


Cクラス関連の話としては・・・

 ○204は、ワゴン含めて早期に在庫がなくなった。在庫切れ後に商談に来た方も多数。
 ○205は売れ行き好調だが、輸入も順調。納期待ちが長くなることはなさそう。
 ○CLAは相変わらず納期が長いため、結果的にCクラスの方が納車が早くなる。だったら・・・ということで車種変更された方も。

だそうです。

ちなみに上記理由からか、S205の登場時期は当初の来年初めの予定からどんどん早くなっているようです。


お土産に画像のグラスをいただいて、帰宅となりました。



こういう場も回数をこなせば、「慣れていくのね。自分でもわかる。」byセイラさんとなるのでしょうか。

本流のユーザーというより、なんちゃって感が強いユーザーですから、そもそも次回参加があるかが疑問でありますが(笑)。
Posted at 2014/08/29 20:50:20 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | 日記
2014年08月27日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る18(3代目カローラ)

思い出のクルマをカタログで振り返る18(3代目カローラ) 思い出のクルマ第18回です。

自車の1年点検は、予想通り何事も無く終了しました。
交換部品はE/Gオイル、同フィルター、ワイパーブレードのみで、次の1年に向けて新たなるスタートとなります。

点検の際に乗せてもらおうと思っていたW205は、相変わらず試乗車がフル回転しているようで、機会に恵まれなかったのが若干心残りですが。


さて、本題に入ります。

3代目カローラは、1974年(昭和49年)4月に登場。排ガス対策に開発力を注がざるを得なかったため、当時の通例だった4年間でのフルモデルチェンジは叶わず、1年延ばしの1979年(昭和54年)3月まで、約5年間のモデルライフとなります。

国内・輸出共に販売面では大成功。前後世代より、約1年販売期間が長かったということもありますが、歴代では最多の販売台数を記録していたはずです。

そのため、よく見かける車ではありました。サンバーの回で紹介したお隣さん、父の交友関係、親戚も乗っていましたね。

もっとも、あまりのタマ数から、次世代登場以降は市場でのダブつき感も強かったようです。中古車輸出が今ほど盛んではなかったこともあり、悪評高かった50年規制、続いて51年規制のクルマから比較的早期に解体送りになっているのが見受けられました。(年数換算すると5年落ち未満(!)だったり)


この世代は、大きく分けて、

 1.1974年4月 ~ 1977年1月の前期
 2.1977年1月 ~ 1978年4月の中期
 3.1978年4月 ~ 1979年3月の後期

に分類できます。
それ以外にも排ガス規制期のクルマらしく、一部グレードだけを抽出した順次適合としたため、改変はかなりの回数になります。

今回のカタログは、そんな排ガス対策も一段落した1978年(昭和53年)5月発行の後期からとなります。
2015/5/31 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。 




ライバル車たち(特にサニー)の一新に対抗すべく、前回変更から僅か1年3ヶ月での再変更となります。後期型を象徴する大型バンパーの採用により、全長は170mm延長されて、ついに4,000mmの大台を超えています。この延長は、全長が車格の大半を決めていた時代ならではの改良。「隣の車が短く見えます」でないと商談が不利になってしまったのですね。

中期型までは、1400・1600と1200・1300でエンジンフード・フロントグリル・リヤテール等を別部品にして差別化が図られていましたが、後期型では中期型と同一部品のリヤテール以外を統一しています。





セダンデラックス(モイスチャーグリーンM(メタリック))
徐々に法人比率が上がっていましたが、まだまだオーナー層も多かったグレード

前段に書いた大型バンパーは、当時流行していた衝撃吸収式(通称:5マイルバンパー)に見えますが、吸収機能は備えません。
デラックスはフロントもドラムブレーキ、1300はさらに6.00-12インチ、バイアスタイヤを採用しています。





続いて、セダンの中心グレードだったハイデラックス(クリアーブルーM)
こちらは個人ユースが大半でした。

今回の改良により、タルボ型ミラーやキャップレスホイールの採用、ドアサッシ・センターピラー・ロッカーパネルの黒塗装化が図られていて、見た目の商品力は向上しています。
1300ハイデラックス以上は13インチタイヤを採用。





左は1300ハイデラックスのインパネ
中期型になる際に、インパネ外枠以外のデザイン変更やカラーコーディネート化が図られているため、今回の改良では大きな変更はなし。
デザイン自体は、上端が横一線で展開されるインパネ、低い配置の空調、埋め込み式のメーター等、70年代流の様式。

右は1600ハイデラックス・エクストラのインパネ
排ガス規制導入とほぼ同時に始まったエクストラインテリアも、試行錯誤を重ねた上で、この頃には追加&変更装備が大体決まっていきます。
木目調インパネ、キャストウッドステアリング、木目シフトノブの印象が強いのですが、カローラではキャストウッドステアリングはオプションとなります。





左はセダン1300ハイデラックスの室内
こちらも中期への変更の際に、カラーコーディネート化が図られているため、シートの材質向上くらいで大きな変更はなし。
初期型は部分ファブリックでしたが、この時点では前面は全てファブリックとなっています。

右上はセダン1600ハイデラックス・エクストラの室内
エクストラの真骨頂はシート材質の向上でした。
カローラではフロントシートのローバック化、リヤシートへのヘッドレスト&タイヤハウスカバーの追加も行われていて、ベースグレードとは大きく印象を変えています。
この頃には、「内装のトヨタ」という評価も定着しつつありました。

右下はハードトップ1600GSLの室内
紹介の都合で省略していますが、このカタログはハードトップとの合冊となっています。





メカニズムの紹介です。
ようやく排ガス規制が一段落した頃で、エンジンの主力は、53年規制に適合した1300と1600でした。

リヤサスは、カローラセダンとしては最後のリーフスプリング。
他車がコイルサスを採用していく中では、競争力を失いつつありました。

デラックスは前輪ドラムブレーキ、1300のシートベルトはNLR式というあたりは、安全性が商売に結び付きにくかった時代ならではの設定です。





セダンの他グレードを並べて掲載してみます。
1300と1400・1600のリヤテールの微妙な違いが、解り易いかと。
一見同じように見えるバンパーも、GSLのみ注文装備だった衝撃吸収式が装着されています。





セダンのグレード一覧です。
排ガス規制が始まるまでは、SLとGSLはツインキャブエンジンを備えたスポーティグレードだったのですが、排ガス規制でエンジンが減らされたため、装備を増やした上級グレードに位置付けが変更されています。

中期からハイデラックスとGSLに追加設定されたエクストラは、同グレードをベースに室内の質感向上を図った仕様です。
この当時はカローラに限らず、クラウンからカローラまでフルライン・エクストラが展開されていました。
ここでの成果は、次世代の上級グレードSEに結実していきます。
エクストラといえば、この色(エクストラカッパーM)ですよね。





主要装備一覧と内外装色一覧です。
ボディカラーは、セダン・HT共に9色で、内装色は3色。
グレードによる制約はありますが、効率第一主義になる前のカラー選択の楽しさが残されていた時代ですね。





主要諸元表
1977年10月に行われた1200 → 1300の排気量拡大により、従前からあった1400はカタログに残されてはいますが、最後まで53年規制に適合されることはなく、ほぼ受注生産状態となります。

後期型では排ガス規制対応も一段落して、グレード整理がされています。
これより少し前だと、53年規制と51年規制、あるいは排ガス対策方式(TTC-CとTTC-L)が混在、さらにATの53年規制適合はMTより遅れたりと、カタログの諸元表はカオス状態になります。さらにこれらの変更が順次行われたため、発行年月の僅かな違いでも諸元表は異なることに。

販売の最前線はかなり混乱していたでしょうね。



さて、ここからは、記憶に残るエピソードを紹介。

この世代を通せば、他にもそれなりの数あるのですが、一番印象の強いエピソードを紹介します。

父の友人の一人が、このクルマを2年落ちの中古車で購入していました。
仕様は1300ハイデラックスの4MTですから当時の最多量販グレード。色はサイレンスゴールドMでした。
確かこの話には父も一枚噛んでいて、マークIIを購入した営業氏からの購入だったと記憶しています。納車時は、走行1万キロの極上車。

ところが、この極上車も、納車後間もなくその方の息子さんが免許取り立てで運転することとなり、たちまち一変。あちこちぶつけまくること、その回数は数えきれないくらい。修理が終わった翌週末には別の箇所をぶつけて再入庫なんていうこともありました。

原因は運転技術ではなく、乗り方に起因していたようです。
曰く「(某映画のインターセプターの)真似をしようとして、80kmでハンドルきってサイド引いたらエンストしちゃってできなかったんだよね」という具合。お解りのとおり、クラッチを切らなかったための失敗ですが、もしもクラッチ切りをしていたら、当時のクルマでその速度、事故を誘発した可能性は高かったでしょうから、エンストで済んだのはむしろ幸いだったと思います。

そんな乗り方でシートベルトの着用義務がなかった時代でありながら、奇跡的に同乗者含めて誰も怪我することなく、させることなく。破損自体も自損ばかりで誰にも迷惑はかけなかったのですから、30年以上経過した現在では「今は昔・・・」で済む話ではあります。

相次ぐ入庫にも嫌な顔一つ見せず、豊富だった解体車のパーツを活用しながら中古車展示場の片隅で、「安い・早い」の片手間修理を続けた職人の技もなかなか見事でありました。

修理返却の過程で、同乗する機会も何回かありましたが、当時の4K-Uエンジンは、4速MTとの組み合わせだと90km/hを超えたあたりから、一段と騒音が高まって唸りだしたのが記憶に残っています。
直進性も何やら怪しく、100km/hでの連続巡航は難しそうな印象ではありました。まぁ、上記のとおり酷使されていた車ですから、その分は若干割り引いて考える必要はあるのでしょうが。


そんなこんなで元は極上車も、2年後には走行6万キロ、ルーフと前後ガラス以外の外板パネルは全て交換歴か盛り沢山のパテによる再塗装品、おまけでフレーム修正歴まであるR点の程度極悪車に変容。
都度修理はしていたため、一見では大きな傷無に見えるというのがさらに一癖。


そんな車を、「シャレードを買いたい知人がいるんだけれど、その人、昼間は仕事で忙しいんだよね」と馴染みのダイハツのセールス氏を夜に呼んで査定&商談させた挙句、即決で話をまとめたのが策士であるなら、「引き取ってよく見たら、あの下取り車とんでもない代物じゃないですか。一般売りはとてもできないので、関連業者に卸しましたが、それでもねぇ、、、ハハハ。」と話すセールス氏も大物でありました。
策士がとぼけて、その話はそこで終わったのですが、今にして思えば、セールス氏はきっと内情を解っていたのだろうと思います。

お互い、長年にわたる信頼関係があったために、さしたる問題にもならなかったのですが、当時はまだノンビリしていたということもあるでしょうね。
誤解のないよう、その後も両者の良好な関係は続いたと、申し添えておきましょう。

この世代のカローラというと、何よりこのクルマに関することをイロイロ思い出す私なのです。
2014年08月23日 イイね!

代車試乗記(Edition C)

代車試乗記(Edition C)ここのところ、カタログ話ばかりをしてきましたが、その間も自車は好調に距離を伸ばしています。初期トラブルという言葉はどこへやら・・・

先月1万キロを超えたという報告をしましたが、今月はちょっと早めながらも1年点検の月なのです。(入庫の際に、担当営業氏と「あっという間の1年でしたね」などと懐かしんでみたりもして。)

せっかくの機会ですので、今週末は、この辺の話をお送りします。

点検自体は本日入庫の明日返却の予定となっています。「悪い箇所があったら連絡します」とのことでしたが、今のところ連絡はないようなので、ダイアグ上でも故障歴は残ってはいないはず。


今回の点検に際しては、事前に代車の手配をお願いしておりまして、先方のご厚意によりお借りしたのは、こちら。



先代の最終仕様となるEdition Cのユーティリティパッケージ付。5,000km弱の距離を刻んでいます。

外野的目線では自車と同じ車なのですが、いろいろと仕様違いはありますので、これはこれで興味深いのです。ついでに自車の状況も判断できるという点でもお借りできたのはありがたく。

乗ってみての違いは後述するとして、外観上では、Edition C限定のタイヤ&ホイールとフロントグリルが大きな違い。(期せずして内外装共に自車の紹介写真とほぼ同じ角度となっていますので、違いが気になる方は比較してくださいませ)

このホイールは見込みどおり、掃除がズボラでも汚れがあまり気にならないですね。この車、代車稼業が続いていたようで、あまり手入れをされてこなかったようですが、一番汚れるホイールも何とか見られる状態にはあります。これが自車だとリム周りがすぐ黒くなって、放置をすると目立つんですよね(笑)。

フロントグリルは、W204の大勢となったセンターにエンブレムを構えるタイプですが、自分的にはエンブレムはボンネットに直立していて欲しいと思います。これまた後述するRaderSafetyPackageとの両立にはこちらの方が都合が良いのも理解できますが。





インパネも、自車と間違い探しレベルの比較をすると結構な違いがあります。

ショールームで見た時にはピラーから上の黒トリムが圧迫感を感じたのですが、実際に乗ってみるとあまり気にはなりません。同じくピアノラッカー調からの変更が疑問だったダークアルミニウムトリムも黒主体の室内にはイイアクセントとなっています。これだけでも、実際乗ってみなければ判らないものなのです(笑)。


そんなこんなで、つい嬉しくて分析がてら100km以上乗った印象では・・・

予想外に差が少なかったのがタイヤが起因する乗り心地。
今回の車は、225/45R17のContinental Sports Contact5を履いていましたが、自車の205/55R16、BRIDGESTONE TURANZA ER300との比較でも、低速時に大き目の凹凸に遭遇すると、若干揺さぶられるかな、くらいで乗り心地が悪くなったとは思えず。(昨年の契約前試乗の際にも、大きな差は感じなかった、と書いていたので一安心) むしろロードノイズの差が気になるのですが、こちらはサイズだけでなくタイヤの銘柄に起因する部分があるかもしれません。
操縦性も全体ではあまり変わらないように感じましたが、回避的な操舵を入れた際のレスポンスは確実に速くなります。
W204は実用第一よりも若干スポーティな方向に振られていますので、225/45の方が全体の統一感は出る気がしますね。(乗り心地含めてどっちもイイがより正確なのですが・笑)

逆に差を感じたのが、アイドリングストップとATのシフトショック。
前者は再始動の際の振動が確実に減っています。昨年の年次変更で制御を変えたのかなと不思議でした。
後者も明確な差で、Edition C に軍配なのですが、自車も最近気になりだした感があるので、こちらは制御より経年劣化の可能性が高いとみました。もっとも走行距離は、僅かな違い(?)ですから、それが事実ならこの先の自車の劣化が心配ではあります。時折発生する内装の異音は同じ箇所から出ていたのには一安心しました(笑)。


横浜で初体験したディストロニック・プラスは、今回しばらく試してみました。ブレーキの効かせ始めが遅いことと、停止寸前の抜きが弱い点は違和感を感じましたが、それ以外の制御は実に感心するばかりです。ブラインドスポット、レーンキーピングの両アシストと合わせて安全性は確実に向上しますから、今から買うなら自分でも装備するでしょうね。
もっとも、これらに慣れてしまうと、レンタカー等未装備の他車が運転できなくなるんじゃないかと(要らぬ)心配もいたします(笑)。

その他、ユーティリティで追加となるパークトロニックに運転席フルパワーシートもあれば便利なのは事実ですから、自車選択の際に、ストイックに絞りすぎたかなと思ったりも。。。

自車擁護の最大の砦でもある、趣味で判断の分かれそうな内外装の仕立てを別にすれば、追加装備は実に的を得た選択です。最終型特有の完成度の高さと相まって実に良い旨味が出ているのが印象的でありました。


それにしても、私的にはこれで十分満足できるのに、”本気を出した”新型はもっとイイというのですから、際限のない話ではあります。
Posted at 2014/08/23 06:45:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | W204 | 日記
2014年08月19日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る17(デルタ)

思い出のクルマをカタログで振り返る17(デルタ) 思い出のクルマ第17回です。


一昨日に、データドライブの一つがご臨終になりまして、復旧に時間を取られていました。バックアップがあったため、時間は要しましたが、大した支障はなく復旧作業は完了。
無くなった時にしみじみわかる、バックアップのありがたさ(笑)。


さて本題に戻しまして・・・

前回のビガー、想像以上に好評だったようで嬉しく思っております。アップする時は、反響はどうだろうと考えながらの作業なんですね。

今回は、正直なところ、思い出のクルマシリーズに入れるべきか迷いました。まぁ思い出のクルマに違いはないので、含めて良かろうと判断。たまには、ネタ要素も満たされるクルマを紹介してみます。

勘の鋭い方はお判りのとおり、”ランチア”デルタではなくて、”ダイハツ”デルタなのです。

ついてこられる方はお付き合いくださいませ。ちなみに書いている当人自身、乗用車ならまだしも、トラックの話ともなると、詳しい訳ではありませんので、追い越されてもついて行けないようでしたら、ご容赦願います。

特に商業車系って、実体験に基づく物が多かったりするわけで、そうなると私は全く未体験なのです(笑)。


それでは、デルタとの関係から紹介。

このシリーズの初回で紹介したコロナ2000GTのオーナー氏、ダイハツデルタを数台所有、それを2年おきに代替される優良顧客でありました。仕様は固定で、「高床3方開き、2トンダブルタイヤの3000ディーゼル」。何故にダイハツかというと、父が購入したMAXの営業氏を紹介した縁が長く続いたようです。

ここ数年の動向は存じ上げないながらも、その営業氏が退職する際には、後任を挨拶に連れて行ったという話を聞いていますから、おそらくダイハツがトラックから撤退するまでは縁が続いていたと想像します。


そんな縁から入手したカタログなんですが、ダイハツファンあるいはトラックファンでも、このカタログは珍しいんじゃないかと思います。

2015/5/20 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。

初代デルタも使われていたのは間違いないのですが、さすがにこちらのカタログは持っていません。

そのため、2代目のカタログから紹介。1980年(昭和55年)3月の発行となります。ちなみに解説の内容に困ったため、今回は最小限に留めます(笑)。





内装の紹介
フロアチェンジですが、3人乗り。
当時のダイハツらしく、ワイパーとライトのスイッチは現在と逆位置に配置。





エンジンは、3.0LディーゼルのB型、2.5LディーゼルのDG型、2.0Lガソリンの5R型が車種別に選択可能でした。
この内、DG型がダイハツオリジナルとなります。(トヨタは2.5Lディーゼルとして2J型エンジンを持っていました)









ボディバリエーション各種
現在と比べると、はるかにシンプルな構成でした。









続いて、3代目のカタログを紹介。1984年(昭和59年)9月の発行となります。



トラックでは汚れが目立つということで、白は敬遠されてきて、先代もカーキ色に近いライトグリーンやブルーだったのですが、この代で採用されています。





旧型に設定のあった2000ガソリンの5R廃止の替わりに、3400ディーゼルの名前だけだとロータリーと間違えそうな(?)”13B”が追加されています。
また旧型にあったDG型ディーゼルは、排気量を拡大されたDL型に変更されています。







時代は、トラックにも快適性が求められ・・・ライバル車に続いて豪華仕様が追加されます。





標準仕様はシンプルながらも、テレスコピック&チルトステアリングが採用。パワステ・エアコンも選択可能になっています。

従来、逆位置だったライトとワイパーの両スイッチも現在と同じ位置に変更されています。





この時期には、ローデッキがだいぶ増えてくるんですが、買われていたのは耐久性重視で相変わらず高床でした。











初代や2代目は時折、父が大量の荷物運びをする等の際に借りてきていました。当時の私には、乗り降りから難しく、乗ってみればディーゼルの音は勇ましく、4輪板バネのサスは逞しくと、まさしくプロスペックのクルマでありました。

エアコンはもちろん、パワステすらなかったのですが、父は結構平気で運転していたのですから尊敬いたします。今の私は、当時の父の年齢にほぼ等しくなりましたが、同車が目の前に実在していたとして、普通に都内を運転できる力量は持ち合わせていないのです(笑)。


ちなみに使われていた方の評価では、頑強第一の2代目の方が評価高で、改良されたはずの3代目はむしろ弱いとか使いにくいと苦情が出た辺り、プロスペックの奥深さが感じされる話ではあります。

豪華装備と無縁だったトラック達も、さすがに年号が平成に変わる頃には使用者要望があって、エアコンだけは装備されたようです。



実はこの話を書くために最近の2トン車について、各社のHPを調べたあとで当時のデータに遡ったのですが、スペック差はもとより、何より驚いたのはその価格差だったりします。

現在の2トン4ナンバーのディーゼルは約400万円也。ハイエースのスーパーGLでもディーゼルだと300万円を超えていますから、順当ではあるんですが、高級乗用車並みの価格は意外な方が多いかもしれません。

これが昭和55年当時の価格だと約140万円。デルタそのものズバリの価格は判らなかったのですが、同級他社の価格からの推定ですから大きな違いはないでしょう。 1/3近くの価格は、物価差を考慮しても、相対的にかなりお安いですね。

もっとも当時は、現在とは比べようもないくらい機能が違うのは事実なんですけれども。下手な乗用車よりも余程進化しているのが、小型商用車だったりしますしね。
2014年08月16日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る16(2代目ビガー)

思い出のクルマをカタログで振り返る16(2代目ビガー) 思い出のクルマ第16回です。

今回は、それまであまり気にしてこなかったホンダのセダンを初めて意識したクルマになります。今でもこのクルマは好きでして、少し前にあった「歴代Honda車人気投票」でも迷わずコレに票を投じました。何より書いている内にイロイロ思い出して文字量が増えていたりもします(笑)。


歴史をもう少し遡ると、初代のアコードも小さな高級車として見ていた部分はあるんですが、何となく小さいながら背伸びしているみたいな感がありまして、ウチで買おうとはなりませんでした。

そんな見方が変わりだした契機は、GX71の新型車情報を仕入れるために買ったCAR and DRIVER誌を継続購入しだしたことでしょうか。この誌、若い世代が主な購入層だったためか、ワンダーシビックやプレリュードが読者の人気車種でした。シティ以降に登場したホンダ車が共通して持つ、何となく知的というか小洒落た感が人気の理由だったと思います。

同誌を買い出した頃は、まだ2代目アコード&初代ビガーの末期。これはシティの前に登場していた車で、4wA・L・BやPGM-FI搭載等改良はされていたものの、スタイルはオーソドックスかつホイールベースは短くという旧世代。そのため、新世代待ちみたいなのが当時の情勢でしたね。海の向こう、北米では現地生産も始まっていて、一足先に人気が盛り上がっていたのですが。


当時のライバル車たちはというと、、、
FFセダンは、まだ第一世代で効率重視の視点から、合理性 > 質感。一方、6気筒を積んだFRセダンはハイソカーブームの最盛期で、演歌調とも評された内外装の意匠を持っていました。
コレ、同誌の読者層には趣味が悪いと嘲笑されていたんですよね。


同じく旧世代に属するクイントが一足先に華麗なる変身を果たしたことで、更なる期待が盛り上がる中、登場となった3代目アコード&2代目ビガー。
詳細はカタログを用いて説明しますが、最新のスタイルとメカニズム、何よりワンダー シビックやプレリュードの持つ小洒落感を持ち込んだクルマでありました。当時はえらく新しいセダンが登場したなと衝撃的だったのです。


ちなみに、設計者(荻野道義氏)へのインタビュー記事から抜粋すると、

 ○スタイル、サスペンション、エンジンそして室内と4つの点を基本ベースの高いところで実現するというのが根本の発想。
 ○このクルマのメインはあくまでも1.8lOHC。DOHCの特に2.0lはイメージリーダ的存在
 ○我々は一所懸命4つのお願いをやりましたけれども、我々は将来この延長線上でいくんだというところを感じていただけるとそれ以上の喜びはない

が主だったところでしょうか。


それでは、当時のカタログを振り返ってみましょう。後述の理由から、出展は兄弟車のビガー。一部改良が行われた昭和61年5月の内容となります。
2015/5/3 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。



トップグレードとなる2.0Siのフロントビュー
同年代のライバル車と比較すると、フロントカウル&ノーズの低さが同年代のホンダ車に共通する特徴。
リトラクタブルライトは、その低さをさらに強調するアイテムですが、セダンとして見ると好みが分かれそうな部分。私自身は、後年登場する固定式ライトのアコードCAの方が好みでした。

タイヤ&ホイールは最上級グレードまで13インチに留まりますが、”低く・薄く”の見た目には、むしろ貢献しています。





1.8SOHCの上級グレードMXL。

先代同様、ナンバープレート位置がアコードと異なるバンパー下部となります。リヤハイデッキは、プレリュードから始まった当時の本田風味ですが、ワンダーシビック4ドアがビジネスライクという評価だったためか、こちらはリヤウィンドーを大きくラップラウンドさせて傾斜させています。

リヤウィンドーの傾斜角は、今に至るまで実用性とパーソナル感のせめぎ合い。あまり傾斜させるとリヤデッキが短くなって車格感が低く見えるという問題もあります。この時期のホンダ車は、いいバランスでデザインされていると思いますね。





エンジンの解説
種類は、1.8SOHCの12バルブ+シングルキャブ、1.8DOHC+デュアルキャブ、2.0DOHC+PGM-FIの3タイプ。2.0のDOHCは、カムリ・ビスタに続くもの。他社のハイパワーモデルは、まだターボが多かったのですが、この辺で潮流は決まったように思います。

また普及グレードにもマルチバルブを採用。こちらも他社が追随することとなります。トヨタがハイメカツインカムでDOHCを一気に普及させたのも、この辺の影響を受けているような。





サスペンションの解説。
プレリュードでフロントダブルウィッシュボーンを採用していたのですが、こちらは後輪にもダブルウィッシュボーンを採用。
他車は、FF化の際に4輪ストラットを採用することが多かったので、FF車世界初となるこの機構は衝撃的でした。





スタイリングの解説
フロントロー&リヤハイデッキのスタイリングは、ウルトラ・ロー&ワイドと表現されています。
特徴的なノーズの低さに連動する形で、ライバル車よりも車高が低く抑えられています(車高:1,355mm)。以前に紹介したカリーナEDの車高でも1,320mmですから、キャビン上下方向の寸法はかなり厳しい制約を受けているのですが、低く座らせることで解決策としています。パッケージの方向性はこの後登場するレジェンドも同じでしたね。

他社は4ドアハードトップを売りにしていましたが、この時期のホンダ4ドアはサッシュレスドアにあまり興味を示さず、何れもプレスドアとしていました。セダンでもハードトップに負けないくらいスタイリッシュなパッケージングではあります。





インパネ
フロントカウルからインパネを斜めに傾斜させて開放感を演出するテーマはFF初代カローラ辺りと共通するモチーフですが、こちらは当時のホンダ流で、ドアトリムからの連続感も重視。
フロントカウルが低いため、インパネの上下高が制約されてしまい、オーディオは1DINサイズを標準とします。





インテリア
シート材質はモケットですが、トップグレードであってもギラギラ光らせず落ち着いた色調の範囲に止めています。先のインパネデザインと相まって、品質感は同級のトヨタ車を凌いでいる感を受けます。
この時期にホンダ車のファンが増えたのは、独創のメカニズムと共に内装の趣味の良さがあったと思います。





左は装備品の紹介
右はトップグレードの2.0Si
この画像にある液晶デジタルメーターは、装着車が少なかったと記憶しています。





1.8のグレード一覧
ホワイト全盛期にも関わらず、中間色にイイ色が揃っています。
当時は、ホワイト・シルバー・ガングレー辺りを良く見かけました。





装備一覧表及び主要諸元表

アコードにはあった最廉価グレードが落とされているため、標準装備は、全車一定水準をクリアしています。

全長4,535 × 全幅1,695は、マキシマやギャランシグマに続くFF4気筒の最大サイズ。先代がむしろコンパクトな方でしたので、新型は一気に拡大された感を受けました。






新車価格表

その頃のホンダって、ようやくディーラー網の整備が始まった頃。当時よく出かけていた池袋には東池袋駅近くにベルノ店があって、ビガーの他にもプレリュードやインテグラ等、いくつかのカタログを貰っています。店舗に入ろうとした契機も両スペシャルティカーではなく、このクルマでしたね。



デビュー当時は、まさしくゾッコンでした。同級生の家でカリーナEDを購入する際、こちらを勧めていたりします。この年のカー・オブ・ザ・イヤー受賞を嬉しく思ったりして。
もっとも翌年に、こちらの影響を受けて豪華派に転じた(それでもマークII3兄弟よりは知的に見えた)FF2代目となるカムリ&ビスタが登場したことで、好みはそちらに傾いていきます。

当時は、製造地の近くに住んでいたため、ホンダ車に乗っている関係者も多かったのですが、自分でコロナを買う頃にはモデル末期になっていたこともあって、購入候補とはなりませんでした。

今の視点からすると、十分購入できる範囲だったため、もう少し注目しておくべきだったなと少し後悔していたりもします。(少し前には、スーパーステージを含む後期のカタログを収集してみたりして)


振り返ると、あの頃のホンダは本当に勢いがあったと思います。前年末に登場したシビック&CR-XのSiの興奮も冷めないうちに、クイントから転じたインテグラが全車に同エンジンを搭載(ただし一部はキャブ仕様)して登場。夏には、大人気だったプレリュードに2.0Siが追加、さらに今回紹介したアコード&ビガー。秋には、競争が激化していた軽自動車(ボンネットバン)に再参入する契機となったトゥディが登場、そして年末近くには、保守層でがっちり固まった高級車市場に挑戦したレジェンドの登場。
一連のラインナップは、今の視点の方がむしろ神がかって見えますかね。
まぁ、あの頃は良かったという話は、長年のホンダファンの方が想いも強いはずでうまく表現できると思いますので、私からはこの程度ということで。


ただ、同年代のトヨタセダンがもはや再現不可能であろう作り込み重視であったのは、当時のライバル車、特にミドルサイズ以下ではホンダ車の影響が大きかったという認識を持っています。

現在のセダンは既に直接のライバル車が不在という状態が長く・・・
厳しすぎない競争関係はお互いにとって良い刺激になると思うのですけれどね。

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何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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