
思い出のクルマ第22回です。
回数を増やすべきかは悩みどころですが、グロリア・セドリックの違いということでカウントを増やしてみます。まぁ、どちらでもいい話ですね。
通称は、形式名のY30。ワゴンはWY30、バンはVY30で区別されることが多いようです。(実際は、エンジン別でさらに細分化されるのですが)
初登場の1983年から1987年までは、セダン・HTと変遷を同じにするのですが、1987年のY31へのモデルチェンジの際に変更されたのはセダン・HTのみで、こちらは据え置かれることとなります。通説では、遅れて登場する初代シーマに開発能力を注ぐこととなり、台数の少ないワゴン・バンが割を食ったということになっています。
遅れてモデルチェンジをされるのかと思っていたら、何と90年代末期まで法令適合のアップデートくらいで大幅な改良を受けることなく継続生産されています。
もっとも、90年代に入りワゴンブームが盛り上がる中で、そのクラシカルな装いに一定の支持があったりであるとか、少数ながらも根強い官公庁需要があったのもモデルチェンジが延ばされた要因かもしれません。
この辺、トヨタの70マークIIワゴン&バンと重なる部分ですね。(セダンは一世代だけ進んでいたのも同様)
前段はこのくらいで、いつものとおり、カタログを紹介。
セダン・HT独立後も法令適合の関係で、微妙な改良は数多くされていたりなのですが、今回は1991年(平成3年)6月のカタログとなります。
2015/5/9 画像を全て更新すると共に一部追加をしました。

ワゴンSGLの外観
クラウンは130系へのモデルチェンジの際に、今泉主査の意向もあって、ロイヤルサルーンも加えて上級志向を強めますが、こちらは先述のとおり、そのまま据え置かれます。ボディカラーは、Y31登場時に追加されたもの。
上級志向=価格上昇なので、フリートユースの多いこの手の市場では、両車で上手く住み分けが出来ていた感もありますね。
ワゴンSGLの室内
当時の日産車では曲線を基調としたインパネが主流となる中で、こちらは一世代前の所謂”絶壁インパネ”。エンジ系の内装色と共に80年代の雰囲気を残しています。もっとも、90年代流のモダン化が進む中では、むしろクラシカルな雰囲気が魅力的だったのも事実。この内装自体は、コスト縮減要素が入る前の作りですしね。
ワゴンの装備及びメカニズムの紹介
ワゴンのみ備えるサードシートを特徴としていました。
バンと共通ながら、リヤクォーターのサイドウィンドーが開けられるのも歴代の特徴でしたね。
左頁は、ワゴンSGLのリヤビュー
右頁は、ワゴンのグレード紹介
1985年のマイナーチェンジでSGLが追加されています。この時点では、後年人気の沸騰したベンコラは、28D・6 GLのみとなります。
バンGLの外観
バンも当初は、CA20SとLD28のシリーズだったため、1G-Eと2Lを搭載したクラウンよりも経済志向(ディーゼルは逆)だったのですが、VG20E追加時にGLを追加して豪華さで逆転します。(クラウンバンは、グレード名称こそスーパーデラックスでしたが、実質はセダンデラックス相応でした。)
バンGLの室内
フロント部分のみは、ワゴンGLとほぼ同等。リヤシートは法令適合の関係と格納時に平らになることが優先されているため、ワゴンとバンで明確に作りわけがされています。
バンのメカニズムと装備の紹介
ワゴンと同じような内容ながら、構成が逆なのが興味深いですね。
リヤシートを折り畳むと2mを超える荷室長は、このクラスならではの特徴でした。
左頁は、V6(VG20E)を搭載したグレード一覧
右頁は、その他(CA20S・RD28)を搭載したグレード一覧
V6シリーズは、ワゴンと共通のフロントマスクですが、その他はセダンスタンダード同様、1985年のマイナーチェンジ時でもそれ以前のマスクのままとされます。

左頁は、主要諸元表
VG20E搭載車で1,400kg前後、CA20S搭載車なら1,300kgを下回っていますから意外と軽かったりします。サードシートを備えるワゴンよりもバンの方が重いのも意外。積載対応のために、足回りが強化されているのが要因?
右頁は、主要装備一覧表
クラウンでは先述のとおり、セダン・ワゴンはグレード間でほぼ共通ですが、バンはセダンの一グレード下同等とされていました。こちらは、VG20E搭載車であれば、ワゴン・バンでほぼ同等の装備を備えます。
カタログには価格表も同封されていたので、掲載します。
左頁は、ワゴンの価格表
右頁は、バンの価格表
最上級のSGLにエアコンを付けても250万円にギリギリ収まる価格設定。最廉価のスタンダードなら120万円少々。ここ最近で値上げされたADバンと比較すると割安に思えますね。
それでは、エピソードを紹介。
以前いた職場には、これのV20EのバンATばかりが数台在籍していました。導入時期の関係で、GL・カスタムDX・DXの全グレードあり。各車には、専属のドライバーさんが居て、私も年何回かは乗せてもらう機会がありました。
エピソード1
私、幸いにして幼少時代から車酔いには無縁でありました。遊園地のジェットコースターの類は全く駄目ですが、観光バスのエアサスぐらいならどこに乗っても全く平気。ところが、唯一「キボヂワルイ・・・」と喉元まで出掛かったことがありまして、それがこのクルマの後席でした。
場所は、中央道下りの高井戸料金所を過ぎてから調布にかけての区間。わかる人はお解りのとおり、あそこはちょうど路面のつなぎ目が連続しています。あの時は、ほぼ空荷だったこともあって上下の揺れが収まる前に次のつなぎ目で揺らりがさらに増幅されて・・・
リヤサスは過積載対応のリーフで、さらにバンの座面はほぼクッション性が皆無だったことも要因でしょうか。もう少しであわやというところで調布も過ぎて、失敗談になることはなかったのですが、忘れられない思い出です。
当該区間は、今でも時折使うことはあって、前車・現車・あとタクシー(クラウンセダン)の後席ということもありました。皆、上下に揺すられるのは同じですが、さすがに気分が悪くなることはありませんでしたから、これは組合せの妙だったのでしょうね。
エピソード2
各車に乗ったのですが、やはりドライバーさんの上手さには、ある程度の差が出てしまいます。私自身、運転をするのが好きな人ですからどうしてもそういう目線で見てしまうのですね。上手な方でも特一だと思っていた方は、本当に抜群の上手さでした。すごく丁寧でありながらも、決して遅いということはない。一言で言えば、とても滑らかかつメリハリの効いた運転とでも言いましょうか。これまで何十人と乗せて貰った中でも、最上ですね。
ある時、あまりに感心していたもので「いつも運転が上手いなぁと、思って乗っています。私も運転する時にはこういう運転をしなくちゃいけないと思うんですよね。」などと率直に申し上げました。そこから会話が弾んでいったのですが、やはりクルマや運転が好きな方でいらっしゃいました。
何でも・・・
「車名では解らないかもしれませんが、ついこの前まで、1979年のマークIIグランデに乗っていたんですよ。(もちろん知らないはずはありません・笑)色はダークグリーン。古いクルマですが雰囲気がいいなぁと思っていました。車庫に入れて大事にしていたんですけれど、熱心な方が来られたので、この方なら大事にしてくれるだろうと思って譲ってしまいました。」
「クルマは趣味にしか使わないので、オープンカーが欲しかったのですが、Z3だと妙に若者向けっぽくて年齢不相応かなと思って、3シリーズを買いました。Z4は大人が乗っても良さそうなので、次はあれかなと。」
「妻用にと思って、フィガロが出たときに即発注を入れました。でも殆ど乗らなくて、10年以上経ったのに走行1万キロ以下なんです。」
等々、次々出てくる話は大変興味深いものでありました。
で、そんな中でも忘れられない話です。
「同じ車を使っているでしょう。でも他車だと、なんでそこが?という箇所が壊れたと言うんです。注意して乗っているとちょっとした異変の時点で、本当に壊れる前に気付くはずなんです。テキトーな乗り方をする人だと故障に至るまで気が付かないのかなぁと思うんですよね。」
名指しこそなかったものの、中には思い当たるような運転をされる方もいましたからね。何よりこういう方から発せられる言葉は重みが全く違います。
あの方の運転に対する真摯な姿勢は、思い出すたびに、自分自身を振り返って反省することしきりなのです。これでも若かりし頃よりも慎重になりはしましたが、あの頃乗せてもらった運転には、まだまだ追いつけない私なのです。あと20年で年齢は追い付けますが、他人を感心させる運転はきっと無理でしょうね。
もう10年も前の話ですから、あの頃あったVY30達はほぼ代替されてしまいました。それでも忘れられない、いや忘れてはいけない思い出なのです。