
保管庫の奥からの発掘モノもほぼ一巡。
時間を取って、新たなる資料を探さねば、です。
今回取り上げるのは、1991年(平成3年)1月発行のトヨタのProduct LINE UPです。今から遡ること、干支二回りの24年前となりますね。
どこで貰ったのか、記憶は定かではないのですが、現在は営業終了しているアムラックス東京あたりが出所だと思います。一昨年末に終了となった同所の開設は1990年(平成2年)9月だそうですから、まだ初期の頃に貰った形となります。開設からは若干のタイムラグがありますが、その間におけるトヨタの新車の変更は一部改良や特別仕様車の追加のみでしたので、同所の開設当初のラインナップとしても間違いではありません。
貰ったまま、保管庫の奥に眠ってしまって、干支二回り。その間引っ越しも二度ありましたが、その際も開かれることはなく。
そんな資料も今見返すと、この頃がイイ年代・好きな年代の末期だったなと懐かしく思えるのですから、不思議な運命を感じます。やはり資料は簡単に捨ててはいけませんね。・・・などと自己肯定。もっとも限度を超えると整理がえらいことになるのですが(笑)
本資料を紹介していく上で最大のポイントは、「セルシオ(レクサス)前後」だと認識しています。セルシオの登場が1989年10月。北米でのレクサスLS400の発表は、もう少し前になります。同車の発表前後で、明らかにクルマ作りが変わっているのが見て取れると思います。
もう一つのポイントは、国内における新車販売台数のピークは1990年ということで、最もラインナップが膨張化した時期とも言えます。販売系列を5系列抱えていた当時は、今よりも実に多くの車種&車型&仕様を持っていたのです。
その辺りの解説は後回しで、資料を紹介していきます。
最初の見開きは、この手の資料でありがちな、「企業スローガン」的なもの。
80年代末期までは、クルマの基本性能である”走る・曲がる・止まる”や”品質”を良くすることに注力してきて、事実長足の進歩を遂げたのですが、90年代に入ると、安全性や環境性能が新たな課題となります。
ハードは良くなったけれど、ソフトは置き去りと言う視点で語られるようになったのもこの頃ですね。
左上のテストコースを走る一群を、セルシオ後世代の代表としてイイと思います。1990年当初という事情もありそうですが、おそらくトヨタ自身も新世代群を理解した上で、登場させていますね。
ここからは、大 → 小のサイズ順に紹介されています。
この頁の中では、セルシオ以外は全て前世代。
セルシオとセンチュリーを除けば、5ナンバー枠の制約に囚われていたという言い方もできますね。この枠の中で、全体的なフォルムよりも、むしろディテールに凝った作りが非常に魅力的でもあるのですが。
続いては主にミドルサイズセダン
ビスタ・カムリ、カリーナED・コロナExivが後世代でその他は前世代。
ここの後世代組は、国内専売という点で前世代との共通項も感じられます。
もっともビスタ・カムリは、翌年以降登場するセプター&ウィンダムが本流であって、国内向けのナローボディを従来シャシーの改良版に載せて一足早く登場させたという若干複雑な事情を抱えていたりですが。
続いてはスポーティカーとベーシックカーの上級
セリカとMR2は部品共有しつつの後世代。
曲線を強調したフォルムは、明らかに新世代の息吹を感じるものでした。
国内ではイメージリーダーの役割を担いつつ、北米での大量販売を目論んでいたのですが、スポーティカーやセクレタリーカーの市場縮小という予想外の展開となります。
カローラ&スプリンターはこの時点で(センチュリーを除いた)乗用車系の最古参。
シリーズ内のラインナップの整理は、この世代でほぼ完了していますが、発行後間もなくモデルチェンジされます。
続いてはベーシックカー
カリブ以外は全て後世代となります。
プラットフォームは前代からの引き継ぎですが、思想は明らかに後世代。
同じベーシックカーでも、スターレットは欧州やアジア圏、4姉妹の3ドアハッチバックは国内専売で、それ以外は北米も想定ということで、販売先によって求められるものの違いが見えてくるようでもあります。
ラインナップの最後は主に乗用車系以外の紹介です。
エスティマをワゴン・バン系に含めない辺りに、トヨタの想いが読み取れます。乗用車系の順列に並べたくないという想いもありそうです。
89年登場のハイエースとハイラックスを前後どちらに類するかは、意見が分かれそうですが、私的印象では前世代。エスティマとランクル80は後世代ですね。
最後は販売・サービス店の紹介とトヨタホームの紹介です。
80年に発足した最後発のトヨタビスタ店も、この頃には系列の一つとして独り立ちをしていたのが、読み取れると思います。80年当初には同じ5系列を抱えながらも、89年にプリンス店とチェリー店を併合した日産とは対照的な展開となりました。
もっとも5系列の最盛期はこの辺りとも言え、この後新車販売台数の縮小に伴い併売車種が増えると、元々勢力の弱かったトヨタオート店やトヨタビスタ店は徐々に苦境に追いやられていくこととなります。
最後にまとめです。
北米におけるレクサスブランドの展開とそのイメージリーダーであるLS400(セルシオ)の開発は、「源流主義」と呼ばれる、トヨタの力を総動員して根源から考えるものとなりました。
この過程で得られた成果は、大きな物がありましたが、その一方でそれまでトヨタが得意としてきたものを一部否定した部分もあったように思います。
簡単に抽出すると、細部までの作り込みを特徴としてきたクルマ作りが、もう少し大所的な視点で作られるようになった点、もう一つは、過剰な部分が減ってもう少し合理的になった点辺りでしょうか。
後者は、翌年以降のコストダウン重視と結びついて、また別の顔を見せ出すのですが、そのことについてはここでは触れません。
それともう一点、これはセルシオとの関係はないように思うのですが、先日別件のコメントにあった「国際化が進んだ」というのが、的を射ていると思います。
円高や普通自動車の減税に伴う事実上の規制緩和は、輸入車にとって明らかに追い風となることが予想されました。今後増えると予想される輸入車に対抗するためにも、それまでのある種、国内のみを見た展開のままでは、市場維持が難しくなると判断されていたのです。
実はこの時期にクルマ作りが変わったのは、トヨタだけではありません。
日産は、同時期に国外にインフィニティを展開して、国内では「901運動」を掲げます。マツダは、社運を賭けた5家体制で勝負に出ます。他社だって同様です。
そこでは、80年代初頭のハード面だけとはまた違った、詳細を書くと一大歴史スペクタクルになりそうな総力戦が繰り広げられたのです。
そんな激戦もこの時期を頂点にして、「昨日より今日、そして明日が確実に良くなる時代」は終わりを告げることとなります。もちろん、このパンフレットを貰った時点では、そんな歴史的な転換は知る由もなかったのですが。
この魅力的なクルマたちを上回るラインナップが何時の日か揃うことを願いつつも、「あの頃は良かったな」といろいろ思い返さずにはいられないのです。