• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

parl-siroのブログ一覧

2015年04月30日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る25(120クラウン アスリート)

思い出のクルマをカタログで振り返る25(120クラウン アスリート)思い出のクルマ第25回です。

120クラウン自体は、新車時にはそのCMのとおりに「いつかは」と憧れましたし、免許を取って車に乗り始める頃には、何とか手が届く範囲の価格帯まで下りてきていて、実際に購入した同級生がいたりもしたのです。

ただ、普通のカタログ紹介に終始することもないかというのと、このクルマに母方の伯父が乗っていたことがありまして、後述の理由から思い出に残っているものですからその話を主にすることにします。



クラウン アスリートという名前から連想される姿は、既に170系以降となっている方が殆どだと思われますが、少しコアな方だと120系や130系にもこの名前が使われていたことをご記憶の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

クラウンの特別仕様としては、先に110系後期から登場したエクレールがあって、そこにアスリートが加わった形ですが、その登場当初の頃のカタログを2冊紹介します。


最初は1984年(昭和59年)5月のカタログからです。
以下の3仕様が、同年6月 - 7月の全国限定発売特別企画車として予告されています。



110系後期から設定のあったエクレールは、120系前期にも設定されていました。
110系後期同様に、スーパーエディションがベースとなります。ベース車同様、2000EFI・2000ターボ・2400ターボディーゼルの3タイプが設定されていました。
特別装備のとおり、お求めやすいクラウンながら、ちょっと豪華な気分が味わえるというのが特徴で、売れ筋の価格帯でもありました。

後期には、それまでの量販グレードであったスーパーサルーンが廃止される代わりに、若干装備が厳選されたスーパーセレクトが設定されることとなるのですが、その装備に近いあたり、市場模索を兼ねつつだったと推測します。





初登場のアスリート。
エクレールをベースにツインカム24と4輪独立懸架を装備したとするべきか、ツインカム24唯一のグレードだったロイヤルサルーンの装備を厳選したとするべきかは、微妙ですね。
今にして思えば、何となくセドリック/グロリアにあった人気グレードのターボSあたりにヒントを得たような気もします。

他エンジンと違って、ツインカム24はスーパーサルーン等の中間グレードを持ちませんでしたので、こうしたお買い得グレードの価値は高いものでした。

エクレールと違って、オートエアコンとデュアルオートエアコンのオプション選択をすることはできませんでした。





カリーナ、マスターエース、ハイラックスとトヨタ店扱いのRVには、サーフが付くならクラウンにも付けてしまおうという企画(もちろん違います)。

120系のワゴンでは、従来型以上の上級グレードとしてスーパーサルーンを設定したところ、予想以上に好評だったので、さらなる上級グレードへの設定を模索していたのだろうと思います。

グランドサーフ自体は、エクレールやアスリートと違って、この時のみで終わりますが、ワゴンとしては、後期でスーパーサルーン エクストラに上級移行、さらに130系ではロイヤルサルーンが追加されたことからすると、十分需要が見込めるという判断がされたのでしょうね。





左頁は、上記3グレードの主要諸元と主要装備一覧となります。

右頁からは、1984年9月のカタログとなります。
前月には、2800から3000に変更されると共に一部改良を受けているため、エクレール・アスリートも改良後がベースとなります。





前回は、エクレールも特別企画車と記載されていましたが、この時には特別仕様車と記載されています。

前回との違いは、

 ・専用モケットシートの表皮並びにドアトリム表皮のデザイン変更
 ・AM/FM電子チューナーラジオの追加
 ・アルミホイールのOP選択が可能に

となります。

ドアミラーが可倒式となっているのは、ベースグレードにも共通する改良です。

同時期には、マークII3兄弟がモデルチェンジをして、クラウンとの競合関係が従来以上に激化していましたので、一年早くモデルチェンジしていたクラウンへのお買い得モデルの追加は必要不可欠だったのです。
(クラウンとの競合については、クレスタのセールスマニュアルをご参照くださいませ)





アスリートも引き続き設定されます。

アスリートには、エクレールの追加内容に加えて、フロントスポイラーも追加されています。

こちらもマークII3兄弟のツインカム24を購入対象とするなら、もう少し足すだけで購入できるクラウンとして、トヨタ店的にはありがたい存在だったのだろうと想像します。





前回と違って、グランドサーフが設定されていないため、2頁を使って特別装備が紹介されています。





前回同様、裏表紙には、主要諸元表と主要装備一覧が掲載されています。



ということで、いかがだったでしょうか。
改良後のエクレールの項で軽く触れたとおり、新型マークII兄弟にはクラウンに匹敵する車格を宣伝する一方で、クラウンにはちょっと背伸びをすれば買えるグレードを同時期に設定する辺り、実に抜け目のない商売としか言いようがありません。


最後に、思い出話を少し。既にクラウンの新型は140系になっていた時期に、叔父が120クラウンを中古で購入します。前から見ると完全に後期でグリルには”TWINCAM24”のエンブレムがありました。

最初は、後期のTWINCAM24とは珍しいなと思っただけなのですが、後ろ姿を見てビックリ。そこには前期テールがあったのでした。グレードエンブレムは、”Royal Saloon”と”TWINCAM24”。こういう仕様を見ると、ついベースを特定したくなるのは悪い癖。サイドモールは前期でしたので、クリアランス・グリル・フォグ等を一式交換した前期と断定。

こりゃ前期改の後期仕様だなと思ったのですが、どうも室内の様子もおかしいのです。エアコンはリヤスイッチのないレバー式マニュアルでドアトリムの布地面積もロイヤルにしては少ないような・・・。これは、ひょっとすると、ロイヤルのエンブレムを付けたスーパーサルーンかも、と思って見回すと、シフト周辺にはECT-Sのスイッチがありますし、タコメーターは9000回転まで目盛有。外装のこともありますから、何が本来仕様で何が改造仕様なのか、キツネにつままれたような気分になったのでありました。


散々悩んだ末に、その場では特定できなくて自宅に帰ってから、今回のカタログで確信。正解は、2型アスリートベースのロイヤルエンブレム&後期マスクへの一式換装!。即特定できなかった時点で、前オーナーに一本(笑)。


思い返せば、このクラウンは当時から前期改の後期仕様が多かったような記憶があります。その頃、何度も群馬県の某解体に通っていたのですが、そこには120クラウンが多数積まれていて、特に後期はフロント周りやリヤテール周辺が外された車が殆どでした。
おそらく前期改の部品に使われたということなのでしょう。(当時430へのグリル交換にも使われていましたけれどね)


120クラウンというクルマ自体は、歴代の中ではちょっと若向きっぽくて、ハイソカーの頂点的存在で、と他にもいろいろ語るべきキーワードがあるのですが、何か一つというなら、このことを真っ先に思い出す私なのです。
2015年04月28日 イイね!

1993年のターセルのオプションカタログ

1993年のターセルのオプションカタログもうなかろうと思っていたら、またもや棚から出て来たオプションカタログが今回の主役です。

記憶おぼろげですが、4代目ターセルの前期を購入していた関係で、一部改良実施と同時に貰ったカタログでしょうね。

この一部改良は、1992年のマイナーチェンジに続いて、1年で実施されています。既に日本車全体で、コストダウンが進行中の時期にもかかわらず、このモデルはメーカー想定以上に好調だったこともあってか、一部コストダウンの形跡は見られるものの、仕様充実も多いというのは、かなり珍しいケースかもしれません。


今回のオプションカタログは、そんな1993年(平成5年)8月版となります。



「STYLISH QUALITY」ということで4ドアの最上級であるVZに各種用品を装着した画像が掲載されています。
ボディカラーは、1992年のマイナーチェンジで追加されたダークブルーイッシュグレーメタリック(183)。この色は、この時期には上はマジェスタから下はこのターセル&コルサまで、セダンのほぼ全車に設定されています。

183は、自分がJZX81で選択した色でもあるのですが、設定車種のあまりの増え方に若干戸惑ったものです。





「FINE PROPORTION」「CUTE HIP」ということで、同じく3ドアの最上級であるVZに各種用品を装着した画像です。
こちらのボディカラーも1992年のマイナーチェンジで追加された新色でライトグリーンメタリック(6M9)。

以前にも触れたことがありますが、この代のデザインは3ドア・4ドア共に秀作だと思っています。このリヤデザインはその中でも特に見所の一つかと。





左頁が「COCKPIT」、右頁が「CABIN」に関する用品です。
サイノスではメーカーオプション設定のあったMOMO製ステアリングが、こちらでは用品設定されています。

手動式リヤカーテンは、プライバシーガラスが普及する以前ならではの用品ですね。同じくガラスネタで珍しいのが、UVカットフィルム。やがてUVカットガラスが採用されることで、短期間の用品設定に終わっています。





左頁が「UTILITY」、右頁が「EXTERIOR」に関する用品です。
基本的には、前期からの継続が多いようです。
カップホルダーと灰皿&シガーライターの位置関係が1992年の変更で逆になったというのは、オーナー視点のトリビアです。
サンシールドストライプやリヤサンシェードもプライバシーガラスの設定がないからこそ成立する用品ですね。





左頁が「SOUNDS」、右頁が「SAFETY」に関する用品です。
スペシャル・スペースサウンド・パッケージは、この世代のデビュー当時がバブル全盛期だったことを物語る装備です。もっとも実際の売れ筋は、ワンボディだったのでしょう。
サイルチェーンも今では消えてしまった用品ですね。





裏表紙には「NICE ITEM」ということで、キー関連の用品が紹介されています。
ワイヤレスドアロックは、第2世代ということで従来からのキーホルダーに加えてキータイプが登場しています。



ここからは最初に触れた1992年以降の変更について書いていきます。

(1992年のマイナーチェンジの主な内容)
 1.4E-FEエンジン搭載車のオートマにロックアップ機構を追加
 2.5E-FHEエンジン搭載車のオートマを油圧制御から電子制御に変更
 3.SRSエアバッグのオプション設定追加
 4.ドアインパクトビームの追加
 5.フロントシートベルトのインナーバックルをシートトラック付に変更
 6.シートベルトウォーニングランプの追加
 7.ハイマウントストップランプのオプション設定を拡大
 8.2DINサイズCDチューナデッキのオプション設定追加

1と2は、このクラスもAT比率が上昇する中で商品力向上が必要という認識だったということなのでしょう。3~7は、この少し前から新たな課題となった安全性向上への対応ですね。

一方でコストダウンからは逃れられず・・・

○VEグレードの廉価化
 ・マッドガード(カラード → 黒)
 ・ウィンドーシールド(熱戦吸収 → 透明)
 ・インナーリヤビューミラー(防眩有 → 無)
 ・フットレスト(有 → 無)

○VX・VEグレードへのマニュアルA/C標準化
 ・VXのコントロールパネル(プッシュ式 → レバー式)

という変更も含まれていました。(後年知ったのですが、VEの変更に関しては、新型車解説書にも記載無)


(1993年の一部改良の主な内容)
 ・エアコンの冷媒変更(CFC-12 → R134a)
 ・ウォッシャー連動時間調整式間欠フロントワイパーの設定拡大
 ・ライト消し忘れブザーの設定拡大
 ・カップホルダーの一部標準化

その一方では、
 ・運転席P/Wスイッチの照明数減少(全席 → 運転席)
 ・シートアンダートレイの装着車減少
 ・VEグレードのドアミラー(電動式 → 手動式)
という内容もあるのですが。

他車・他社含めてコストダウン路線を邁進していた時期の割には、内外装色が減らされることもなくて、よく持ちこたえているなという好印象を持っていました。


もっとも、その反動が1994年9月のフルモデルチェンジであったのかもしれません。そこでは、コストダウンが第一目的であったかのような変更が数多く目に付いたのです。

コストダウンへの是非は一概には言えませんが、現在視点でも、この世代はマイナーチェンジ前後を問わずで魅力的に感じることと、次世代にはそこまでの感情を持てないことの理由には、コストダウンという言葉が大きく関係していることだけは間違いがないと言えるのです。
2015年04月25日 イイね!

1985年のバラードのオプションカタログ他

1985年のバラードのオプションカタログ他今回は1980年代のホンダ車の第2弾ということで「バラードセダン」を取り上げてみます。

少し前に、1980年代のホンダ車について、「初代シティが大ヒットして以降は、ほぼ連続してヒットを続けることとなります」と書いたのですが、そんなヒット作を連発する中にあっても、”ほぼ”以外に当てはまるクルマも存在していたわけです。

このクルマは、その筆頭かもしれません。
クルマの出来自体は、(特にこの2代目は)決して悪くなかったように思うのですが、地味な存在のままモデル半ばでひっそりと消えていってしまいます。

モデル廃止から30年近く経った今では、脚光を浴びることは先ずなく、その存在自体、記憶の片隅に追いやられていた方が多いのではないでしょうか。

であれば、ここで再び取り上げるのも良かろうかと思いまして。
実はオプションカタログだけ掲載しようかと思ったのですが、車両概要のおさらいも兼ねて本カタログも掲載してしまいます。


発行は、1985年(昭和60年)9月となります。



2代目バラードは、先行した「CR-X」に遅れること3ヶ月の1983年9月に3代目シビックと共に登場しています。

当初は、セダンでは珍しいセミリトラクタブルライトを採用していましたが、1985年9月のマイナーチェンジを機に、固定式ヘッドランプに変更されています。

画像は、マイナーチェンジで新たに追加された最上級の「CR-Z」。





全体のフォルムは、80年代前半の第1期FFサルーンに共通する、高い屋根と立たせた各ピラーから構成される「ビッグキャビン型」です。

他社よりも明らかに低いボンネットが、高さを生かしたキャビンとトランク部分と対象的です。

画像は、「CR-M」から改称されたセカンドグレードとなる「CR-G」。





室内の紹介で、主にCR-Zが紹介されています。

同時期のカローラは、マークII風のマルーン内装色で絢爛豪華に走り始めていますが、こちらは当時のホンダ車に共通するシンプルながら趣味の良さそうな内装となります。
ATは当初、最上級グレード以外は3速のセミオートでしたが、マイナーチェンジに伴い、1.5Lはロックアップ機構付4速フルオート、1.3Lも同機構付3速フルオートに進化しています。他社の同クラスは、カローラの上級グレード以外、3速がまだまだ主流でしたので、4速オートマチックはセールスポイントになり得る仕様でした。





メカニズムの紹介です。
当初は、1.5Lに「PGM-FI」仕様もあったのですが、マイナーチェンジに伴いキャブ仕様のみに絞られています。
また、シビックには途中3ドアだけでなく4ドアにも1.6DOHCの「Si」が追加されたのですが、こちらは同系列のクイント インテグラへの配慮もあってか追加されることはありませんでした。

足回りは、フロントはトーションバーが特徴的なストラット式、リヤはトレーリングリンク式ビームを採用していました。





装備の一部と全グレードが紹介されています。
1.5Lに2グレード、1.3Lに2グレードの計4グレードとなっています。





主要装備一覧表と主要諸元表となります。

ボディサイズは、全長4,160mm × 全幅1,625~1,640mm × 全高1,385mmですから、現在のグレイスのサイズ、全長4,440mm × 全幅1,695mm × 全高1,475~1,500mmと比べると一回り以上は小さくなります。
このあたりが当時の同クラスの標準的なサイズでしたね。



続いてはアクセサリーカタログです。


表紙と裏表紙をつなぎを兼ねて最初にご紹介





最初の見開きで目次が紹介されています。
プレリュードとは異なり、実車は登場しません。





CR-Zに各種オプションを装着した状態が掲載されています。
小さい画像の方では、CR-Lにスイッチ。
ボディのフルカラー化はされていませんが、赤のボディカラーにはむしろいいアクセントになっているような気もします。





標準状態ではAM式電子チューナーのみ(ただし、CR-Uを除く)ということで、オーディオ関係のオプションが充実しています。

もっとも他社の同クラスの標準は、プッシュボタン式のAMラジオが大半だった時代ですから、電子チューナーはむしろ進歩的な設定でした。





プレリュードのオプション同様、「ALPINE」、「Clarion」、「PIONEER」の3社から選択可能でした。
ALPINEには、FMチューナー付カセットステレオという珍しい設定もあったようです。





シビックの兄弟車らしくアルミホイールの設定も豊富です。
エアロディッシュ全盛期ならではのデザインが揃います。
14インチの2ピース・エアロは左右別設定、メッシュを一捻りしたタービン・メッシュ等結構凝った設定なのです。





キャリア他の「Joyful Accessories」に類された装備群です。
電動伸縮式のリモコンポールはこちらにも設定がありました。
ハロゲンフォグライトはスタンレ-製。

同時期のトヨタ車のフォグライトだとハロゲンだけでなく白熱式の設定等種類が豊富だったりするのですが、こちらは種類を絞っていますね。





「Stylish Exterior」に類された装備群です。
現在ではベーシックキットに類される用品が並びます。

エアロパーツ全盛期らしく、この大人しいセダンにもリヤスポイラーの設定がありました。





フロアマットやシートカバー等内装関係が紹介されています。

フロアマットの「Hマーク・レッド」のデザインは斬新ですね。
シートカバーは不要のデザインに見えますが、意外とチェックのフルシートカバーを装着している事例は多かったように記憶しています。

トランクフロアマットの装着事例は、廉価グレードのCR-Lらしく、さしたるトリムを持たないことが確認できますね。





左頁は、ホンダ純正ケミカル。右頁は、設定一覧表となります。





最後にバラードの新車価格表を掲載します。
当時の同クラスの売れ筋は、CR-LとCR-Gの中間ぐらいだったはずなのですが、ちょうど抜けてしまっていますね。もう一つのお高めの売れ筋には、CR-GやCR-Zがピタリと嵌っていたのですが。



ということでいかがだったでしょうか。
先に触れたとおり、このバラードセダンは、翌年の1986年10月にはクイント インテグラの4ドアセダンと入れ替わる形でモデル廃止となり、初代から通算しても僅か6年ほどの短い歴史を閉じてしまいます。

成功とは呼べない結果に終わった主な要因は、登場当初こそシビックの4ドア的役割を担いながらも、本家のシビックにサルーンが追加されるに至って、完全な姉妹車となってしまい、販売力の弱いこちらが割を食ったということなのでしょう。

ただ、販売店内の後継となったインテグラの4ドアは5ドアを吸収する形で一定の成功を収めたこと、提携先での後継となったコンチェルトが国内では成功とは言えない結果に終わったことを考慮すると、どうも別の原因があったように思うのです。

当時のホンダ車は、他社よりも欧州車風味と評されながらも、実は国内で成功したのは北米での躍進も担ったモデルが大半だったりします。だとすれば、当時のホンダ車では、本来の欧州車風味よりも、この頃急速に国際化した北米コンパクト風味の方が好まれていたという意外な(?)仮説が成立する気がします。

もっとも世界戦略車などという存在が信じられた時代ですから、○○風味とやらが曖昧になりつつあったのももう一つの事実なんですけれどね。
2015年04月23日 イイね!

2003年のJZX81マークIIの中古車画像

81関連の過去資料の画像更新は一先ず完了。
この作業、一度アップしたブログの画像更新ということで、自己満足の意味合いが強い気もしますが、だからこそ拘ってみたくもありまして。

作業に際しては、一度使った資料を再発掘することとなるのですが、その際に出てきたものを今回のネタにすることとします。

以下3枚は、今から12年前となる2003年4月にトヨタの中古車検索サイトで抽出した81を印刷したものとなります。

1.1992年 2.5 グランデ 35万円

ボディカラーは、ブルーイッシュグレー(182)



2.1992年 2.5 グランデ 35万円

ボディカラーは、ダークブルーイッシュグレー(183)



3.1990年 2.5 GTツインターボ 32万円

ボディカラーは、エクセレントトーニング(24S)
上の2台より2年古いですが、この頃でも展示の機会の減っていたツインターボ、しかも人気のあった黒ツートンということで展示に至ったと推定。



販売店は、全て横浜トヨペットとなります。
ここは、他地域と比べると、比較的程度の良さ気なタマが展示されることが多く、かつ他地域では展示されなくなった晩年でも店頭に並ぶことが時折あったように思います。

この時点で、1995年まで続いたセダン以外は最終型でも11年が経過しています。
この頃が、前期型こそ難しいものの、後期型ならまだ何とか81をトヨタディーラーで購入できた最末期ですね。以降は、展示台数がめっきりと減ったような記憶があります。
(後年知ったところによると、東京トヨペットでは、初登録後13年以上経過した下取り車は、原則解体送りにしているそうで、横浜トヨペットもきっと同じような扱いをしているということなのでしょう)

お値段は既に底値で、下取りでも程度が良くなければほぼ解体送りでしたが、程度上から下までたくさんの台数が普通に街中を走っていて、一時代前の印象こそあったものの、あまり見劣りはしなかったような気がします。

自動車解体でも、入庫量のピークは過ぎていたものの、まだまだ入庫は続いていて、欲しいパーツは容易に入手できていた頃でもあります。自動車リサイクル法の施行前ということで、素人でもヤードに入り易く、自分で欲しいものが外せるというのが何カ所もあったのですから、今では隔世の感がありますね。

安く買って、壊れても保証で直して、解体パーツを活用して気軽に手を入れる、そんな楽しみ方が容易に可能だったのです。もっともそのことは、たとえ上物でも容赦なく使い捨てにされた時代、ということでもあったのですが。


そこから10年以上の時が経過して、今では店頭に並ぶお値段こそあまり変わらないものの、タマ数が激減して買うのも難しければ、部品の製廃も進行、解体でもめったに入庫しない車となってしまいました。

最終型から20年以上を経過した最近では、ようやく旧車扱いされ始めたというのも、こうして振り返ってみると、なるほど納得なのであります。


当時の81を現在に当てはめると110が該当するのでしょう。
あまり見劣りがしないというのは、当時の81以上だと思いますが、何となくいろいろ違って見えてしまうのは、私が歳を取ったからだけではなく、制度を含めてクルマを取り巻く環境が変わったということが大きいのでしょうね。
Posted at 2015/04/23 20:57:18 | コメント(6) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2015年04月20日 イイね!

那須と会津におでかけ

那須と会津におでかけ週末を挟んで、愛車プロフィールの「イイね!」が100を超えていました。
「イイね!」を付けていただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

平穏無事な日々が続いていることで、取り上げる機会は減りつつありますが、これからもよろしくお願い申し上げます。


今回は、その愛車で、駆け巡った「おでかけ日記」をお送りします。



今回は、奥様の親族も同行。W204の後席は大人4人の長距離には決して広いとは言えないながらも、自車を使用しています。
行先は、初日は那須にて宿泊。2日目は喜多方まで北上、会津若松に寄って帰還というコースとなります。実は期せずして、桜を満喫するコースともなりました。


ということで、外環経由の東北道を、途中羽生PAでの小休止を挟んで、那須ICまで一気に北上します。

数週間後には大混雑となる地も、まだ時期が早かったらしく、全く混雑せずで最初に到着したのは、「道の駅 那須高原友愛の森」。

東京では2週間ほど前に散ってしまった桜も、ここでは満開ということで、早速撮影。





時間調整の後、昼食に向かったのは事前情報を拝見していた「ジョセフィーヌ」。
パフェの評価が高いお店ですが、今回いただいたのは「那須の内弁当」です。





写真のとおり、結構なボリュームの割に野菜が主というのがポイント高しです。


その後、「Flange」 → 「コピスガーデン」 → 「チーズガーデン」 → 「南ヶ丘牧場」と巡りますが、あいにく天気は強風と時折雨。

宿泊先の「TOWAピュアコテージ」に到着後も、遊び疲れと吹き飛ばされそうな強風という悪天候のため、夕食以外は外に出る気にはなれず。。。



コテージをバックに自車近影。雨の中を走った後なので、薄汚れているのはご容赦くださいませ。



明けての2日目。
「昼食を喜多方で」というリクエストに応えるべく、車を向かわせます。
最速は、東北道 那須IC → 磐越道 会津若松IC となりますが、遠回りとなるため、料金の割にあまり時間差がないのが気に入りません。
そこで、昨年使った国道294号線を目指して、県道21号 → 県道68号 → 県道281号と繋ぎます。

国道294号線は、途中の釈迦堂川沿いに満開の桜がずっと続いていて見事な光景でした。時間があれば自車と共に撮影でもしたいところですが、高速使わずでたどり着くために、そのまま通り過ぎることに。

ノンストップで、ほぼ正午に喜多方着。高速使用プラス30分といったところでしょうか。

喜多方市内も桜は満開。市役所をバックにして桜を撮影。





昼食の後、「山中煎餅本舗」にてせんべい炭火焼にチャレンジ。
これは実に面白くかつ貴重な体験でありました。自分で焼いて、そのまま食すこともできますので、オススメします。


次の目的地は、鶴ヶ城。
会津縦貫道を使えば会津若松市内までは一気なのですが、城の周辺は観光客と桜見物の駐車場待ちで渋滞中。
喜多方の昼食待ちにて、意外と時間を取っていたことから、私のみ駐車場の列に並んで、同乗者には城内に入っていただくことに。


駐車場所は何とか確保できたため、鶴ヶ城と桜を撮影。







この後昨夏にも寄った、JR七日町(なぬかまち)駅内にある「駅cafe」で小休止しますが、そろそろ宵闇が迫りつつあり。

距離的には国道118号線を南下して、国道289号線(甲子道路)、あるいは国道121号線 → 国道400号線に繋ぎたいところですが、ディナーに間に合わないと困るという時間の制約を優先して、磐越道 会津若松ICから東北道 西那須野塩原ICまで一気に南下。


目的のお店は、かなり混んでいましたが、急いだ甲斐あって何とか待たずで席を確保できました。この地で夜食の後は、再び矢板ICから東北道を再び南下。羽生PAで小休止の後、東京に帰還しました。

2日目の走行距離はタイトル画像のとおり。1日目と合わせると約600kmの行程となりましたが、満タン出庫では無給油にて往復可能でした(燃費は14.3km/L)。

大人4人の荷物に大量のお土産まで無理なく積載可能なトランクの広さが今回の発見也。走行性能といい燃費といい、やはり長距離ツアラー向きなのです。
Posted at 2015/04/20 23:15:17 | コメント(2) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2015/4 >>

   123 4
567 8910 11
12 1314 15161718
19 202122 2324 25
2627 2829 30  

リンク・クリップ

1989年式マークII3.0グランデG感想文 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/08/05 19:34:14

愛車一覧

メルセデス・ベンツ Cクラス セダン メルセデス・ベンツ Cクラス セダン
2013年9月14日納車 アドバンストライトパッケージ ボディカラー:988 ダイヤモン ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1995年12月登録(同型最終年月) 2001年6月購入 2013年9月譲渡 ボディカ ...
トヨタ マークII トヨタ マークII
1992年6月購入 2009年3月一時抹消 2009年6月永久抹消 ボディカラー:18 ...
トヨタ クレスタ トヨタ クレスタ
1991年7月登録 2000年11月購入 2001年6月譲渡 ボディカラー:27N パ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation