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parl-siroのブログ一覧

2016年03月27日 イイね!

日産ギャラリー セドリック・グロリア展示イベント(後期)

日産ギャラリー セドリック・グロリア展示イベント(後期)前期は見られたものの(レポはこちら)、ここ最近の多忙により、後期は見送ることになるかなと危惧していたイベントですが、何とか期末ギリギリに出かけることができました。

これで3ヶ月連続の横浜行となりますが、琴線に触れるイベントをやられる以上、訪れないわけにはいかないのです(笑)


それでは、早速、展示車の紹介から。

最初は、1973年 セドリック カスタムデラックス











このクルマも、私は初見です。

先月のセダンと見比べると、ウィンドーのフルオープンを可能にすべく前進させられた太いCピラー、それとのバランスを取るべく斜めにカットされたバックパネルがプロポーションの違いとなって表れています。

この時期としては珍しい角型ヘッドランプ、やや装飾方向に走ったリヤテール等は、この後のハードトップ軍の様式がこの時点で決まっていたことが判ります。

その形状が特徴的な、通称”富士山キャップ”は、ナロートレッドだからこそ、採用可能となった形ですね。

幼少時代の記憶では、この世代はセダンの方が多くて、ハードトップ、特に4ドアの方は見かける機会が少なかったように思います。そんな中で、多かったのはこの色でして、私がこの型から真っ先に連想する色でもあります。意外と白やシルバーはセダンこそ見かけたものの、こちらは少なかった記憶なのです。

実車を前にしての初発見は、リヤドアのトリムがセンターピラーの上部を覆う形となっていること。ウィンドーをフルオープンにした時のトリムの見せ方から、こういう設計となったのでしょうが、細かい配慮を感じました。


ちなみに、このイベントでは、このクルマの開発に関する映像が流されていました。

デザインの基礎は当時のアメリカ車にあったことや、2ドアハードトップを基に4ドアハードトップを起こす苦労が感じられると共に、コンピューターが入り込む前ということでまだまだ手作業の多い時代の設計が見えて貴重な映像でした。SPRING LIVE と重なってしまったことで、音声は殆ど聞こえなかったのが、残念ではありましたが。



もう一台は、1991年 セドリック グランツーリスモSV













以前に称賛ブログとして取り上げたことがある(リンクはこちら)くらい好きな一台です。

商品企画が何より卓越であり、出来上がった商品も上々。
この後のセドリック/グロリアの方向性を決定付ける一台ともなりました。

私的にも、フロントフォグを埋め込んだ、このエアダムに憧れたものです。

黒やグレーのダークカラー、あるいは一転してホワイトが多かった印象で、このイエローイッシュシルバーは珍しいと思います。ダークグレーのインテリアとのマッチングも上々で、この組み合わせも何気にイイですね。

そのインテリアですが、てっきりツィード調ファブリックだと思っていたシート地は、実はカラーミックスモケットだったんですね。この時期としてはパーソナル感を感じるシート地で、その先見性を改めて見た思いがします。

230の時代では太かったCピラーも、この時代になると、6ライトとの両立が可能となって、後席の開放感もはるかに増しています。この辺りは長年の経験と蓄積があってこそでしょうね。

この後は、安全性が重視される時代となって、このボディ形状は終息に向かうこととなります。


この2台は、セドリック/グロリアの歴史というだけではなく、70年代前半から20年間の長きにわたる、4ドアハードトップの歴史をも見せてくれますね。



さて、このセドリック/グロリアの展示イベントは今月で終了となります。
来月からは、サニー50周年展示イベントとなるようです。

このイベント、初代と2代目が主とのことで、選抜理由は理解しつつも、個人的琴線はもう少し後の世代だったり。それでも、中期は見たいなと思っております。



以下は、おまけ画像です。





日産ギャラリーの駐車場として指定されている、横浜三井ビルの1階では、同ビル内にある原鉄道模型博物館のイベントとして、原寸大のD51を段ボールで製作したものが展示されていました。

その大きさに圧倒されると共に、細部までの再現には感心することしきりなのです。
Posted at 2016/03/27 23:01:26 | コメント(4) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ
2016年03月23日 イイね!

1980年のレパードのアプローチ・カタログ

1980年のレパードのアプローチ・カタログ当初は、前回で4回に渡った初代レパードは完結のつもりでしたが、おまけ話的にもう一回です。

お友達の営業部長さんからいただいたコメントにあるアプローチ・カタログですが、内容的にネタとして十分な要素を持ち得ていますので、時計を逆戻しして取り上げてみます。ご笑納いただければ、幸いです。

時代を経て最後期に馴染んだ目に再度の最初期がどう映るのか、という視点で比べてみるのも面白いかもしれませんね。

そんなアプローチ・カタログ、発行はもちろん登場時の1980年9月となります。



最初に取り上げた本カタログ以上に「自由に何を賭けるか。」が大きく掲げられています。

本カタログでは、ホワイトが前面に出ていましたが、こちらはシルバー。
当初のイメージカラーはシルバーの印象が強くて、加山雄三氏が出演されていたドラマに出ていたのも、この仕様だったと思います。(おぼろげな記憶では「探偵同盟」は確実。「愛のホットライン」もこれだったかと。)

シルバーのボディカラーと組み合わされる、時代を先取りしたレッドの本革が鮮烈ですね。





今回取り上げた理由の大半が、このページです(笑)
笑いを堪えつつで、ご一読くださいませ。

いい意味の個人主義と自由主義に賛同しながらも、男性賛歌の部分に時代を感じてしまうといったところでしょうか(笑)

続いて、以前に取り上げたこれと同じく、全会一致の場に同席したかったと思いつつ、レパードの思想に符号するとされている部分を、抜粋してみます。

いやホントに、クルマの説明そっちのけで、キャラクターへの起用理由を語っているのは、後にも先にもこれぐらいですって。

・自由な魂とイデーを持ち、人生の愉しみ方、行動の楽しさを知っている男。
・仕事も家庭も同時に愛し、ほどよくコントロールしながら疲れを知らない男。
・陽焼けした肌に前向きのパワーを秘めた男。
・何事にもスリリングをモットー、全力投球の男。

お友達のslcinquechentoさんからのコメントにいただきました通り、当時の加山さんは40代前半でした。
私は既に追い越してしまいましたが、我が身がこのような男になれているとはとても思えず・・・orz


その隣のエゴン・ファステンバーグ氏ですが、少し調べてみたところ、王室の血をひく、正しくプリンスだったようです。意外なところでは、この方の母方はフィアット家の一族出身だったとか。ご本人は2004年に亡くなられていますが、元奥様のダイアン・ファステンバーグさんとの関係で語られることが多いようです。 ・・・以上、検索結果から軽く記載





本カタログの掲載画像を重ねつつで、両ボディが紹介されています。
今回、気付いたのですが、前期のみドアハンドルは2ドアがカラード、4ドアは黒地と作り分けられているのですね。何とも芸が細かいところです。

個人的には、300ターボのクリスタルホワイトに魅了されつつも、このアイボリーっぽいホワイトも結構好きだったりします。同時期の910ブルーバードにも見られたブラウンの内装との組み合わせが、結構オシャレだと思うのです。これに、ブロンズガラスを組み合わせたいですね。







装備類やメカニズムの紹介は、重複となりますので省略しちゃいます。
最後期の透視図と比較すると、何かしらの発見があるかもしれませんね。





4ドアハードトップのバリエーションです。
280X・CFと200X・Fは、省略されていますね。
その一方で、1981年のカタログにはない、ライトブルーの設定があり。
最初の回で書いたバリエーションと合わせて謎の部分です。





2ドアハードトップのバリエーションです。
こちらもワインレッドツートンが設定されています。ライトブルー共々、ターボ追加時に整理された可能性が高いですね。


右には、日産店の他車種が掲載されています。
バイオレットが1977年の登場(79年に角目に変更)で、Zの登場は1978年。さらにブルーバードは1979年という具合ですが、これらと並べると、レパードのスタイルが如何に先進的だったかが鮮明になる構図です。70年代と80年代の違いとでも言うべき設計年次の差を、感じずにはいられません。その分、その先進性が理解され辛かったとも言えるのですけれどね。





最後は、おまけ的に当時のチラシも掲載してみます。
レパードのデビューは9月30日ですから、デビューフェアまで約3週間の日数の開きがあります。この辺りは、今よりノンビリしていた感がありますね。なお、当時配布されたこれらのグッズ、今でも残っていたら、それこそお宝だと思います。


といったところで、軽く余談的に取り上げてみました。
ここから35年以上の時間を経た現在、抜粋したような男たちには、果たしてどんなクルマが似合うのでしょうね?
Posted at 2016/03/23 22:12:01 | コメント(9) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2016年03月18日 イイね!

1984年のレパードのカタログ

1984年のレパードのカタログ初代レパードの特集、第4回です。

前回書いたとおり、セドリック/グロリア、フェアレディZが、L型から最新のV6であるVG型に変わる中で、レパードは、ローレル、スカイラインと共にL型のまま留め置かれていました。

そのため、これら3車については、いつ新世代エンジンへと変わるのか、雑多な憶測記事が表れては消えていきました。

そんな中、突如表れたグレードが、今回紹介する中心です。


カタログは、1984年12月発行のレパードからとなります。



1984年6月21日 300ターボ・グランドエディションが追加。
前年9月にフェアレディZで初登場した、当時の国産最強エンジンであるVG30E-Tが、3日前にセドリック/グロリアに追加されたのに続いて、レパードにも搭載されたのです。

パワーウォーズが、毎月のように自動車雑誌で騒がれていた当時、日産はその中心にありました。

それでも、この手の入れ方は本当に意外でした。
3ナンバーはマイナーチェンジの時点で落とされていましたから、200をVG20に換装するとばかり想像していたのです。200は従来のままで、新たに300ターボを加えてくるとは、全くの予想外でありました。

最初のコピー「パワー・エリート」がズバリ当て嵌まりそうなのですが、この時には「華麗なる豹」が使われていますね。





そんな訳で、最初の見開きには、もちろん300ターボがその座に収まります。

外観上の差異は、エンブレムと、新たに設定された15インチアルミ&60タイヤ、カラードマッドガードくらいと、意外と差異は付けられていません。
この時代の3ナンバーは、ある程度の違いが求められる一方で、変え過ぎると5ナンバーユーザーが同様の仕様を求めるとかで、その程度が難しいと読んだ記憶があります。

ホワイトのボディカラーには、従来の色に替わって、この後、日産の白を代表する色となるクリスタルホワイトが、グランドエディションのみの専用色として、設定されています。

ソアラが始めて一世を風靡していた、スーパーホワイトの後追いと言えばそれまでですが、日産ファン的には、この純白を待っていた方も多かったのでしょう。

メッシュアルミは、逆にソアラがレパードの後を追う形となりますね。





ターボ ZGX・スーパーエディションのリヤビューです。
ドアミラーの販売比率が上がりつつあった時勢を反映して、ドアミラー車の画像がこの位置に登場しています。

こちらは、300ターボの追加に伴う変更もありませんでした。
15インチアルミ&60タイヤの設定追加ぐらいは、されていてもよかったように思うのですけれどね。

テール、トランクリッド、リヤバンパー等から構成されるデザインは、この後のC33ローレルの後期に通ずるものを感じたりします。





300ターボは、2ドアにも同時に設定されていました。
こちらのボディカラーは、従来のシルバーツートンに替わって設定されたダークグレーツートン。

上に濃色&下に淡色という組み合わせは、2代目レパードにも繋がるもので、結構似合っているように感じます。この色領域で訴求するのは、当時としては冒険ながらも、戦略的にアリだった気がしますね。





2ドアのリヤビューです。
マイナーチェンジの時点で、2ドアのテールはこの配置に変更されています。

4ドアがC33の後期なら、こちらはC33の前期を彷彿させるといったところでしょうか。







300ターボのインパネとその紹介です。

専用装備として、静電容量式高精度デジタル燃料残量計、雨滴感知式間欠オートワイパー、番組予約機能付きラジオ、頭出し機能付きデッキ等が新たに採用されています。

燃料残量計は、燃料に着目して情報伝達を行なうという点で、マイナーチェンジ時に消えたドライブコンピューターの再アプローチと言えるかもしれません。ただ、入力ボタンを所狭しと並べたドラコンと比べると、地味な印象が強いですね。ハイパワーの代償で燃費はそれなりの数字だったでしょうから、その後の発展性も含めて、有用な装備だったと思います。

ワイパーは、この時期、日産に装着車の多かった雨滴感知式のオートです。
ボンネットにセンサーを備えるこの装備は、一時期装着車が減少しましたが、有用性が再認識されて、センサーをフロントウィンドーに備える形で、また装着車が増えつつあります。当時こそ、ギミックに類された印象が強いですが、その先見性は高く評価されるべきですね。







300ターボのインテリアとその紹介です。

ダブルラッセルの布地、縫製共々、新たに起こされています。
縫製は、これまた2代目レパードの先取りの感があります。ラグジュアリーとスポーティのいい結実点というのは、個人的感想です。

本革は当初のままですが、時代が追い付いたというか、あえて変える必要を感じさせないデザインですね。

それまでは、2ドアと4ドアで分けられていた布地は、さすがに両ボディ間で共通とされていますが、2ドアにはトランクスルー、4ドアにはリヤアームレストという分けは同じです。後で書く台数からすると、この作り分けは結構驚きだったりします。

オーディオは、先に書いたとおり、新機能が追加された新タイプとなります。





エンジンの紹介です。
当然、VG30E-Tが見開きの大部分を占めています。

最高出力230ps、最大トルク34.0kgmというスペックは、当時日本車の最強でした。L20E-Tの145ps、21.0kgmはもちろん、ソアラの搭載する5M-Gですら175ps、24.5kgmというスペックでしたから、その差は大きなものだったのです。

ただ、自動車雑誌には、クルマはパワーのみでは語れないとか書かれたりしていたんですよね。これがソアラ有利の場合では、高級車には圧倒的なパワーが必要、となるのが時代を隔てた今では実に不思議なのですが(笑)

さすがに、L20系こそ、小さいながらも紹介されていますが、最後までひっそりと継続されていた、Z18の紹介は省略されていますね。





300ターボには、パワー・エコノミーを自動切替式にしたオートマチックのみ設定されていました。VG30E-Tのハイパワーに対応するため、実はロックアップ機能は省略。

300の追加に合わせて、L20Eは、この時点でようやく、OD付フルロックアップオートマチックが選択可能となっています。

ホイールは、6J-15というサイズながら、トレッド幅から推測すると、オフセット値は変更されていないようです。この辺りは、もう少し見た目重視でもよかったかもしれませんね。









バリエーションの紹介です。
300ターボと引き換えに、ターボGXと200X GXは落とされています。
豪華装備が求められていた世の中の趨勢に合わせて、全体的に上級移行したと言えそうです。





主要装備一覧と主要諸元表です。





最後に価格表を掲載してみます。


といったところで、いかがだったでしょうか。

かくして追加された300ターボですが、それなりに話題とはなったものの、既に独自の市場を築きつつあったソアラの牙城は崩せず、今と違い3ナンバーがとても高かった時代では、主力グレードとなることもありませんでした。結局、少数台数が販売の上乗せとなるに留まります。

販売台数(いつものように自販連データを当時の月刊自家用車誌から引用)
 ・レパード3000
  1984年:689台、1985年:338台

 ・ソアラ2800・3000
  1983年:7,483台、1984年:4,387台、1985年:6,482台

販売目標台数は不明ながら、この台数では、おそらく想定以下だったことでしょう。もっとも、これだけ手を加えたにも関わらず、累計販売台数で1,000台強という数字なのですから、ある意味とても贅沢なクルマだったのかもしれませんね。


販売台数を回復させるには、200シリーズのエンジン換装が最も効いたと思うのですが、結局それはモデルライフを通して、実現されることはありませんでした。

おそらくこれは、レパードと同じ日産店に、V6の2000ターボを搭載したブルーバードマキシマの投入が決まっていたことから、そちらとの競合を考慮したのだろうと推測しています。(レパードのベースは910系だったことからすれば、形は違えども一時的に2世代を併売していたという見方もできますね)


この300ターボの追加が最後のテコ入れとなったレパードは、ローレル、マキシマ、スカイラインと同クラスへの新型車投入の影響を受けることで、徐々に台数を減らしながら、コンセプトを変えた2代目に引き継がれることとなります。


2代目の開発陣による初代への分析は・・・

 ・先に行き過ぎて強烈すぎだった
 ・当時はそういう新しい技術を、とにかく技術を売る時代だった
 ・(市場調査をすると)やはり派手派手しいとか、斬新すぎるとか・・・

といったところですが、何よりも

 ・コンセプトをきちっと絞って、ターゲットを絞ってということをやらないために、性格があいまいになった

という分析が的確かなと思うところです。
こうして4回に渡って歴史を振り返ってみると、アダルト・ヤング、4ドア・2ドア、スポーティ・豪華等々、間口が広く取られた反面、こうした間で揺れ動いたと結論付けたくなりますし。

そこには、開発主査が理想とする高級車像がストレートに反映されていた(ように映る)ソアラに対して、そうした思想や体制が(少なくても表面には)見え辛かったレパードの差が表れているのかもしれません。

しかしながら、このレパード、自身は決して成功作とは言えない成績に終わっていますが、初回で述べたとおり、スペシャルティーカーの領域からハイオーナーカー領域へのアプローチを行うという手法は決して無駄ではありませんでした。

4ドアスペシャルティは、初回で述べたとおり、他車に影響を与えて、さらに現在に続くコンセプトなのです。

現役時代は、様々な内的要因や外的要因に翻弄されたレパードですが、こうして振り返ってみると、自動車史の中で結構ポイントとなる位置にあるように思ったりします。このクルマが売れていたら、あるいは上手に育てられていたとしたら、その後の歴史は大きく変わっていたのかもしれませんね。
Posted at 2016/03/18 06:35:49 | コメント(14) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2016年03月14日 イイね!

1983年のレパードTR-Xのカタログ

1983年のレパードTR-Xのカタログ初代レパードの特集、第3回です。

今回は1982年9月20日に行われたマイナーチェンジが主な内容となります。

このマイナーチェンジ、調べていく内に、あれここを変えていないの?という意外な部分がいくつかありまして、そんな発見を共有していただければ、幸いです。

掲載するカタログには、今回も兄弟車のTR-Xを採用。
マイナーチェンジ直後のとどちらにするか悩んだ末に、この時期に追加されたドアミラー車の画像を尊重して、1983年10月発行のものとしました。

それでは、以下紹介していきます。



次に掲載する見開きの関係で、ページ数が一枚余る形となるため、表紙と組み合わせてみました(笑)

新たなるフレーズ「頂点は感動」が大きく掲げられています。
その下には、このマイナーチェンジの目玉的内容として、「光通信ステアリング」と「ECCS(エックス)トルコン」の2つが記載されています。
共に詳細は後述するとして、「ECCS(エックス)ターボ」に続いてのトルコン、さらに車名もTR-Xということで、韻を踏んでいる形です。





綴じ込みを開いた大写しの画像です。
非常に理解し易い世界観が描かれています。「デートカー」というジャンル分けにも適した使い方かと(笑)

最初からこの路線を明確にしていれば分かり易かったのに、と思います。この時点だと、ソアラの最初のCMと印象が重なるのが惜しい感があります。

サッシュレスの大きなドアで窓は全開。王道ではありますが、何ともカッコイイ構図ですね。





4ドアハードトップのフロントビュー。
グレードは、マイナーチェンジに伴い、2800が落とされた替わりに追加された、新たなる頂点、ターボ ZGX・スーパーエディションです。

マイナーチェンジの要点に、「グリルを変えてヘッドランプの一体感を増した」とあります。この変更、好みの問題ではあるのですが、個人的にはレパード共々、前期に一票を投じます。

その一方、後期に一票を投じたいのは、クリアランスランプの部分がアンバーからクリアに変更された点と丸から形状変更されたフードエンブレムです。何れも好みの範疇ではありますが(笑)

お気付きの方がいるかもしれませんが、ドアミラーが追加されているにも関わらず、見開き画像の差替えはされていません。後掲の画像からすると、やはりドアミラーの方が似合う感がありますので、そのままだったのは勿体なかったように思いますね。





4ドアハードトップのサイドビューです。
ターボのグレード名称に追随する形で、ノンターボのグレード名も、F→GX、CF→SGX、SF→ZGXに変更されています。

グレードは、販売の中心だったと思われる、200X SGX。
この角度からだとパネル類の変更がないことから、マイナーチェンジ前後の見分けは難しいと思います。

ワインレッドメタリック(#926)のボディに、レッド&グレーのインテリアというカラーコーディネートも変更がありません。

右上の解説には、この時期から使われ始めた「プラズマ」の表記があります。この部分は当然差替えで、マイナーチェンジ直後では、「(ECCS)」と書かれていました。ドアミラーの件と合わせて、細かいのか、何とも不明なところです(笑)





4ドアハードトップのリヤビューです。
グレードは、TR-Xらしいと言える、180 SGX。
マイナーチェンジでは、テールランプを変えて、リヤフィニシャーを追加しています。ここも、テールランプの配置を変えなかった4ドアでは、前期のスッキリ感に一票です。

SGXでは、新たに装備されたフルカバーも相まって、より豪華に見えるようにはなりました。画像でお分かりのとおり、6気筒系とはあえて形状を変えた専用品とする辺りも細かいですね(笑)。





2ドアハードトップのターボZGX
こちらも4ドアと同様の変更を受けています。
TR-Xでは、レパードのカタログにはあるリヤビューの画像が省略されていますが、変更点は同じです。

2ドアはテールランプの配置が変更されて、4ドア以上に見た目の変更がありました。こちらの変更はかなり悩んだ末に、後期に一票を投じることにします。





ターボ ZGX・スーパーエディションのインパネです。
やはり新たなる装備、光通信ステアリングが目立ちます。この後のC32ローレルでも採用された形状ですね。スーパーエディションではこれが革巻きとなります。

何度見返しても、このインパネは質感も高くて、パーソナルカーとして納得できるデザインだと思います。一部スイッチのデザインにおいて、繊細さが欠けるように映るのが、若干惜しい点で、ここが改善されるともっと良かったように思います。その分、当時のハイテク満載感が出ているとも言えるんですけれどね(笑)





ZGX・エクストラパック装着車のインテリアです。
SF-Lに相当するグレードの代わりとして、ノンターボのZGXにはエクストラパックが設定されることとなりました。

シート形状や生地は、従前のSF等から変更を受けていないようです。

この画像を見ていると、同時期からトヨタはワインレッドの内装に傾注し始めますが、日産はこのままベージュで押してもよかったんじゃないかと思えます。
ワインレッドの後追いをやってしまいますが、トヨタが後にセーブルと銘打って、この色領域に辿り着いたことからすれば、先駆けだったように映るんですよね。

ハイソカーの4ドアには、ルースクッションの採用が多くなり始めた時期ですが、レパードに採用されることはありませんでした。クルマの性格的にもそれで正解だったと思いますが、分かり易い豪華さの点では不利だったかもしれません。ここも、今視点の方が評価し易い感がありますね。





メカニズムの紹介です。
先に書いたとおり、この頃始まった「PLASMA(プラズマ)」の文字が飾られています。
当時、古来に類されつつあったL型をプラズマシリーズに含めたことが話題沸騰となっていますね。特段、シリーズの基準があるわけでもなく、メーカー都合の宣伝ではあるのですが、ユーザー側も熱かった時代らしいと言うべきでしょうか。

新世紀と銘打たれていますが、マイナーチェンジに伴う変更も行われていないようです。

マイナーチェンジの時点では、既にV6を開発中の噂は出回っていて、この時点ではセドリック/グロリアに続いて、フェアレディZにもV6が搭載されていました。もちろん、レパードにもV6待望論があったものの、その期待は予想とは違った方向で実現されることとなります。

6気筒についてはこのぐらいとして、4気筒にはZ型を継続採用。これが実に意外な判断でして、同時期にマイナーチェンジされたローレルに加えて、部分改良のスカイラインや末期になりつつあった910ブルーバードにまでCA型が展開されたことからすれば、最後までZ型のまま4気筒を残したこととあわせて、その判断の理解に苦しみます。


ターボには、「ECCSトルコン」ということで、電子制御の4速オートマチックがようやくの採用。セドリック/グロリアから始まった展開は、ローレル・スカイラインとあわせてレパードにも約半年遅れでの採用となっています。

実は4速化されたターボに対して、ノンターボ系は3速のまま据え置かれています。調べて分かったのですが、L20Eの4速化は、グランドエディション追加と同時だったようです。これまた、セドリックやローレルではターボと同時にL20Eも4速化されたことからすれば、意外な判断です。スカイラインはターボのみ先行して、L20E&LD28は1983年のマイナーチェンジまで見送られていることからすれば、スポーティ系は後回しということだったのかもしれませんが。

タイヤは、マイナーチェンジ直後に60扁平タイヤが認可されていて、ソアラは1983年のマイナーチェンジ時に採用していますが、レパードはこの段階でも60扁平の設定はありませんでした。マークII系やローレルの採用が、次世代まで見送られたのと同じだったのかもしれませんが、スタイル優先で早期に採用してしまうのは、訴求力としてアリだったと思いますね。





ここからは各種装備の紹介です。

最初にくるのは、マイナーチェンジの目玉、光通信ステアリングです。
当時は、ステアリングのセンターパッドにスイッチを備えること自体、慣性マスが嵩むこともあって、賛否が分かれていましたが、今のスイッチ多数の時代の先駆けとして高く評価されるべきだと思います。手元にあって、確かに使い易い位置ではあるんですよね。

ターボ追加時に登場したデジタルメーターは、ノンターボにも拡大採用されたものの、デザインの変更はされませんでした。見易さを求めて日進月歩していた部位ですから、改良が入っていてもよかったかもしれません。





SF-Lが落とされたことで、本革シートを標準とするグレードはなくなりましたが、ZGX・スーパーエディションとZGX・エクストラパック装着車では、装着車設定の形で、同じデザインの選択が可能でした。その一方で、後席の左右3点式ベルトは2点式に変更され、中央席のシートベルトはオミットされていますね。

オーディオは、ZGXのみ、新たにFMダイバーシティアンテナが採用され、チューナー部のデザインも受信アンテナを表示可能するものに変更されています。あえて表示させちゃう辺りが、初物装備らしいとは言えそうです。

パワーウィンドーには、イグニッションキーを抜いた後も30秒間は作動可能とするタイマー機能が追加。その他にも、応急用タイヤ、ブロンズガラス、ドアミラー等、この時期に登場し始めた装備には、きちんと対応されていますね。







4ドアハードトップのグレード一覧です。
ターボ追加時にやや方向変更されたことで複雑化したグレード構成が、名称変更もあって、スッキリとしました。
ちなみにTR-Xには、200X・GXとターボGXの設定はありませんでした。

こうして見ると、アルミホイールの装着画像が少ない印象があります。ここも、ハイオーナーカーとすれば妥当、スペシャルティーカーとすると疑問の選択かもしれません。

ドアミラーの追加設定に伴い、ZGXスーパーエディションの画像のみ、ドアミラー装着車の画像に差し替えられています。フェンダーミラーの画像と比べると、ノーズの長さが強調されて、やはりドアミラーの方がカッコイイですね。





2ドアハードトップのグレード一覧です。
レパードには、ノンターボのZGXが残されましたが、こちらはノンターボが整理されて、全車ターボ付に絞られています。

こちらもZGX・スーパーエディションのみドアミラーの画像に差し替えられています。





主要装備一覧と主要諸元表です。
FとGXへのリモコンミラーの採用は気付いたのですが、その他にも装備の変更はあると思います。前期と比べてみてくださいませ。


といったところで、いかがだったでしょうか。
初代レパードの歴史を語る際には、ソアラとは対照的に、マイナーチェンジに伴い2800が落とされた点を語られることが多いように思います。この後のこともありますしね。

気になって、当時の販売台数を調べてみたのですが(引用元は、月刊自家用車誌に掲載された自販連発表のデータです)、レパードの2800は1982年の1年間で313台しか売れていませんでした。これでは、落とされたのも仕方ない気がします。これは、やはりターボ追加の影響が大きいようです。

マークIIやローレルも同時期に2800を落としていることからも分かるとおり、2000ターボが登場してしまうと、価格と性能の比較から2800を喰ってしまうのです(余談ながらローレル2800は、100台以下でした)。ターボの追加が遅れたフェアレディZだと、280も3割強の販売比率を占めていたりするんですけれどね。

この点では、3ナンバーのみで9,311台も売ったソアラがむしろ例外的な存在だったと言えます。

その一方で、5ナンバー同士の比較ではレパードも善戦していました(レパード:18,256台、ソアラ:14,295台)。もっとも、善戦もここまでで、マイナーチェンジによる商品性向上は認めるものの、トヨタが規模をはるかに上回るマイナーチェンジや新エンジンを次々繰り出す中では、相対的な商品力の低下は否めませんでした。


1983年以降の販売台数の推移は、そうした結果を反映した数字となっています。

・レパード(5ナンバーのみ)
  1983年:12,815台、1984年:6,682台、1985年:3,165台

・ソアラ(5ナンバーのみ)
  1983年:20,831台、1984年:21,231台、1985年:16,392台

1983年に逆転されて以降、その台数差は開く一方だったのです。


ターボはインタークーラーでパワーアップ、さらには1G-Gツインカム24を搭載した2.0GTが新たなメイングレードとなったソアラに対して、L20ETで戦い続けるレパードでは、実際の性能以上に台数差が開いたのも仕方ありません。

レパードもマイナーチェンジを多少後送りしてでも、エンジン群を一新していたら、ここまでの差は開かなかったと思うのですけれどね。。。


次回は、そんなレパードの状況打開に追加されたグレードを取り上げます。
私的に、それは予想外の追加でありました。
Posted at 2016/03/14 03:43:28 | コメント(7) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2016年03月12日 イイね!

昭和40年男 2016年4月号の話

昭和40年男 2016年4月号の話特集中のレパードは、ここ最近の多忙によりまして、もう少々お待ちいただけますでしょうか<(_ _)>

そんな中で、告知的なブログです。


昨日発売された「昭和40年男」の2016年4月号は、「【特集】俺たちのカーライフ」 ということで、ウチ発の資料も誌面の一部を彩らせていただきました。

当時モノの特集は、資料を集めるだけでも、かなりの苦労となるのですが、そこをあえて挑まれただけに、当ブログを訪れられる方には、楽しめる内容となっていると思います。



私はもう少し後の世代となりますが、特集以外にもノスタルジックなキーワードが散りばめられた構成に共感しました。

もし、よろしければ、ご確認ください。そして、そのままお買い上げくださいませ。
Posted at 2016/03/12 07:20:07 | コメント(5) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ

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「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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1989年式マークII3.0グランデG感想文 
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