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2016年11月09日 イイね!

古の設計者の想いとは(初代カルタス後期・前編)

古の設計者の想いとは(初代カルタス後期・前編)古の設計者の想い、第6回です。
今回も、ちょうど30年前となる1986年(昭和61年)に変更を受けたクルマということで、数ある中から初代カルタスのマイナーチェンジを取り上げることにします。

車種別総合研究では、毎月一台を取り上げる企画ながら、全くの新型車やフルモデルチェンジだけでなく、時折マイナーチェンジも取り上げられていたりしました。
カルタスもその内の一つというわけです。


本編に行く前に、カルタスのマイナーチェンジまでの経緯を軽くなぞってみます。



カルタスは、スズキとしては久方ぶりとなる小型乗用車として、1983年9月に登場。
スズキは、800で一度小型乗用車市場に参入したものの、同車は新型が登場することもなく生産中止となり、その後は一部を除いて軽自動車専門メーカーとしての立ち位置が長く続いていたのです。

カルタスの開発は、当初こそスズキ単独だったものの、途中から提携関係となるGMが共同で参画する形となりました。GMは、提携以前に企画していたSカー構想をカルタスに重ねたため、同車の成り立ちにはGMの意向がかなり反映されています。

当初は、3ドア1000のMTのみでしたが、その後、AT・ターボ・5ドア・1300と徐々にバリエーションを増やしていきます。


と書いてくると、順風満帆のようですが、実はここまで記載した成り立ちが影響して、輸出こそ大成功したものの、国内では苦戦とスズキでは判断していたようです。当然、その対策として、気合が入ったテコ入れがおこなわれ・・・というのが今回取り上げるマイナーチェンジとなります。もっとも、このマイナーチェンジ、その名以上の大幅変更がされています。スズキは、ビッグチェンジという言い方をしていますね。


インタビューの方も、そんな内情が表れていまして、ターボ追加時点のインタビューでは「GMの意向があって・・・」という答えが多かったのですが、それが一転した内容となっています。今回の掲載にあたり、改めて読み返したところ、下手に削らない方がいいかなと判断するに至り、前後編でやってみようと思います。

前後分けたと書きつつも、どうしても長くなってしまうのですが、そこは当時のスズキの思いの反映ということで酌んでいただければ、幸いです。


記事は、いつもの高原 誠氏(川島 茂夫氏)が、当時、鈴木自動車工業(株) 四輪商品企画部 第一グループで主査の職にあった、石川 勝士氏にインタビューする形で進んでいきます。

これまでとの回とはまた違った、石川氏の熱意を感じてみてくださいませ。


高原 新カルタスのコンセプトから・・・。

石川 今までもかなり訴えてはきているんですけども、カルタスのビッグチェンジの目的というのは、旧のカルタスの弱点を補ったというのが基本的な考え方なんですが、いってみれば国内の市場のニーズにマッチした変更を行ったということです。

 ご存じだと思うんですけども、旧型のカルタスの生い立ちというのは、やはりスズキ独自でつくったということではなくて、GMと共同開発ということで、GMの要求されたスペックというのがかなり入っております。従いまして、出てすぐに結論が出たんですが、いってみれば国内向けではない。というより以前に、社内で国内販売展開のため国内営業との打ち合わせをやった時点で結論が出たんです。社内でももう難しいというような話もありました。せっかくスズキが小型車をつくったというようなことで、運輸省の認可も取った、国内に販売しろというようなことで、国内にも売ってみようというようなことで、まず、スズキ自動車の姿勢を世に問うという形の中で、小型車にも進出する。

 従来、800ccというクルマがありますね。あれで一度、軽4輪のメーカーから、一応、脱皮したことがありましたけれども、すぐ生産中止したもんですから、それ以降、ずうっと小型車というのはスズキはなかったんです。しかし、せっかくつくったから出してみよう、結果はもちろん想像した通りだったわけです。58年の10月に出しましたから、58年の末のころにはそういった話が出ておりましてね。市場に出てすぐにもうその反響が返ってきました。

 それから1年たって、59年の終わりぐらいには我々が動き出したんです。その時点で、じゃ、カルタスを国内向きにするにはどうしたらいいんであろうか、というようなテーマで調査も含めまして、市場の動向であるとか、カルタスの現実の販売の分析とかいうようなこと、またユーザー分析がスタートいたしまして、結果、ターゲットを変えなければならないという結論だったんです。

 それが今回のビッグチェンジの最大の目的だったんです。従来のカルタスのユーザー層がだいたい35歳から40歳ぐらいがメインで売れていたというようなことで、それを20歳代にしたいというのが結論だったんです。いわゆるリッターカーのハッチバックスタイルの車種でのユーザーの分析をしてみますと、ほとんどが20歳代のところが市場ということで、我々も当然、マスのいちばん大きなところをねらわないと台数が増えない。

 当初、我々が目標にしていた3,000台という台数がございまして、大体がそれに対する約60%ぐらいの達成率だったんです。それを70%、80%、100%、3,000台をクリアするにはどうしても一番マスの大きな部分をターゲットにしなかったら、これはもう無理であるという結論に達しました。従いまして、今回のビッグチェンジというのは基本的にはそういう若者、いわゆる20歳代の人たちにどう受けるかというのがメインテーマだったんです。ですからスタイリング、それから外観もぜんぶ含めて変えたんですが、一番メインに考えたのは、カルタスの知名度というやつをどうしても上げなきゃならんということで、去年あたりずうっと1年間、タチ・シリーズで特別仕様車という展開をいたしまして、カルタスの知名度も80%ぐらいまで上がったんです。それまでは大体50~60%の知名度でしたから、40%ぐらいの人たちが知らなかった。しかも調査の結果ではリッターカークラスを買っているお客さん、もちろんクラウンを買っているお客さんに、カルタスどうなんだって知っているわけないんであって、シャレードを買ったりスターレットを買ったり、いわゆるリッターカー、1300ccクラスまでのお客さんにカルタスを聞いても60%ぐらい。去年、タチ・シリーズを一生懸命やりまして、その結果、知名度も80%ぐらいまでいったんですけど、まだ20%ぐらいは知らないということで、その人たちにまずはカルタスの知名度を上げなきゃならない。考えたのが、クラス初をまずやって、目玉を作らなければならないということと、その目玉もかなり強烈なものでなかったら・・・。


高原 衝撃を与えない。

石川 そうなんですね。ただカルタスの形が変わりましただけじゃ、とてもお客さんが来てくれないということ。またメカ的にもエンジン関係、我々の企画の目的、企画の趣旨をかなり理解してくれて、ツインカム自体が世界初というようなことなんですけれども、新しいメカニズムをいろいろ盛り込んだ。そういう意味ではかなりアピールできるようなものができたわけなんです。

 もう一つ、我々が非常に気にしていたのは、20歳代のヤング諸君というのは、相当の知識人でありまして、我々なんかよりは相当多い知識を持っている。各メーカー、各クルマのメカニカル的な問題、それからクルマの持っている性格そのもの、いわゆるメーカーの姿勢そのものも、そういう意味では理解しているということなんです。従って、ただカルタスが形を変えましただけじゃ、とにかく駄目だ。その人たちはプロ級の知識を持っているんです。かなり詳しくて、我々のほうでも話ししてみてもちょっとたじたじとなるぐらいに・・・。そういう意味で設計のほうでもかなり頑張ってくれまして、いわゆる国産初だなんてことではなくて、世界初をまず持ち込もうということで、メカ的にもその人たちにも振り返ってもらえるような、恥ずかしくないものをつくらなきゃいかんということでできたのがGT-i。




 もう一ついえるのは、従来のターボというものは、後で追加したときに旧型のカルタスターボの企画書を私、書いたんです。他社もターボも出てきているし、どうしてもターボが欲しいからつくってくれということで企画書を書いて設計を出して、カルタスがターボを付けて走ったときにはけっこう走りましたから、スズキでもこういったものができるようになったかということで、多少、喜んだところもあったんです。そうとう荒っぽいというか荒々しいやつと、いわゆるマイルドにして発売したやつ、性格の違うターボをいろいろつくりましてやってみた結果、結論としましては、どちらかというとマイルドに仕上げたいということで旧型のカルタスをつくったんです。ATも含めましてカルタスを発売したところが評価は、やっぱり基本のカルタスがかんばしくないから、それにターボを載っけたってかんばしくないわけで、迫力がないという評価が出ました。今回のビッグチェンジの中でターボも変えまして、カルタスもやはりドレスアップしました。馬力もとにかく強烈に出しまして、これなら他社のターボと比較してもらっても遜色はないというように仕上げまして、恥ずかしくないターボに仕上げたつもりでいるんです。



 目玉といたしましては、やはりツインカムを頭としてターボを強力にしたということで、スポーツ志向をかなり強力に出したつもりです。ビッグチェンジの中でこれからの展開はともかくとして、まずシンプルに訴えるべきは訴えたいというようなことがありました。とにかく若向き、従ってスポーツ志向という志向で変えたのが今回のビッグチェンジというふうに考えております。

---------------------------------------------------------------引用ここまで

導入部分で書いた内容を、明確な形で語られています。
輸出特化という選択肢もあったはずですが、そこを国内向けに仕上げようとする熱意は、やはり凄いなぁと思います。

また、今でもカルト的扱いで、時折取り上げられる、タチ・シリーズについても、設定の理由等、語られています。必然性とかではなく、知名度を上げるための選択だったのですね。


さらに、当時の20歳代のヤングへの分析が興味深いですね。
これを読まれている方がお若かったりすると不思議に思うかもしれませんが、当時は自動車雑誌や単行本も多くて、それらで学んだ知識を数多く持つヤングというのは、決して珍しくもない普通の存在だったのです。俺もその一人だという方、私含めて思い当たる方も大勢いらっしゃるだろうとも思います(笑)

ここから30年という時間が経った今となっては、国内向きのクルマ作りとか、プロ級の知識を持つ20歳代のヤングとか、様々な面でだいぶ隔世の感が出ているかもしれませんね。



ターボの改良に関して、他社のターボという話が出ていますので、参考に掲載してみます。

○マーチ ターボ




直列4気筒 987cc
最高出力:グロス85PS/6,000rpm
最大トルク:12.0kg・m/4,400rpm
燃料供給装置:電子制御燃料噴射






○シャレード ターボ


直列3気筒 993cc
最高出力:グロス80PS/5,500rpm
最大トルク:12.0kg・m/3,500rpm
燃料供給装置:キャブレター





これらライバル車に対して、前期カルタスターボのスペックは次のとおりでした。

直列3気筒 993cc
最高出力:グロス80PS/5,500rpm
最大トルク:12.0kg・m/3,500rpm
燃料供給装置:電子制御キャブレター

マーチに対してはややパワーが劣るものの、シャレードに対してはほぼ同等でした。
リッターカーとしては後発であることからすると、もう一歩必要という考えだったのでしょう。


改良後のターボのスペックは次のとおりです。

直列3気筒 993cc
最高出力:ネット82PS/5,500rpm
最大トルク:12.0kg・m/3,500rpm
燃料供給装置:電子制御燃料噴射

ネットはグロスより約15%マイナスと言われていましたから、これならライバル車に負けないというのも、素直に肯けます。


さらにスポーツ志向の強いGT-iのスペックは次のとおり。

直列4気筒 1298cc
最高出力:ネット97PS/6,500rpm → 110PS/7,500rpm
最大トルク:11.2kg・m/5,500rpm → 11.2kg・m/6,500rpm
燃料供給装置:電子制御燃料噴射

トルクこそターボよりもやや劣るものの、高回転まで使えるツインカムならではのハイパワーとなっていました。また、1987年10月には、さらなるハイパワー化が図られています。



インタビュー記事を続けます。

高原 外から見ていると、初めにGMの要望で、いわゆる下駄替わりの経済車というところがあって、その後、脱皮して、ホビーライクなほうに・・・。

石川 これはうちのトップポリシーが変わったと考えていただきたいんです。というのはカルタスをつくったときにはGMに対しても、我々もそうですが、いわゆるトップから受けた指示は・・・軽4というのは国内だけのものであって世界に通用しないんです・・・いわゆる世界に通用する下駄をつくれって言われたんです。国内の下駄はできた、世界の下駄をつくれということで、今うちでもアルトに800ccを積んで出しているんですが、社長の考え方、指示の中に、とにかく世界に通用する下駄をつくりなさいという指示がありまして、それで開発したのがカルタスだったんです。指示通りつくったクルマが年間14万台が世界には出ております。従いまして、国内も入れれば14万3000台ほど生産しているんですけれども、14万台が世界に出たという下駄は、僕は間違っていないと思います。ただ、国内が余りにも特殊な事情であるということです。

 それともう一つ、去年のモーターショウにはうちのRS-1を出しまして、これは社長に内緒で出したわけでも何でもありませんので、社長の許可を得まして出した結果、いわゆるスズキ自動車として変わらざるを得ない方向にもういってしまった。RS-1を一つ東京モーターショウに展示したばかりに、社長が、スズキ自動車の、企業として下駄つくれと言えなくなっちゃったと思うんです。それなりの評価を受けましたし、いわゆるスズキ自動車らしいものが出た。若者の力をフルに発揮させろ、というのが今年の年頭の辞なんです。


高原 以前、インタビューしたときはたしか歯切れが悪いといいますか、こういうのは国内市場で他社さんと比較するとどうも、というような感じだった。いや、GMのほうからこういう・・・。

石川 1型のときのカルタスでこうやってインタビューを受けたら、ぼく何といって答えたらいいか分からないですもん、ほんとに。

---------------------------------------------------------------引用ここまで

もちろん当時の社長は、つい最近まで陣頭指揮を執られていた、鈴木 修氏です。

モーターショウに出品した一台のコンセプトカーが、社のポリシーを変えたことが語られています。そのRS-1とはなんぞや?という方はこちらをご参照くださいませ(出品時の名称はR/S1のようですが、そこは気にしないということで)。


カルタスがビッグチェンジした直後には、アルトにもツインカムとハイパワー化されたターボという2枚看板が立ったのですから、ポリシーが変ったというのは大袈裟とも思えません。インタビュー時点では、アルトワークスは登場直前でしたが、当然脳裏にはあったでしょうし。

”下駄をつくる”と語られているそれまでのモデル展開からすると、この時期以降のモデル展開は明確に変わっていきますね。


といったところで、いかがだったでしょうか。
もしかすると、前回のシティ以上に地味なモデルなのかもしれませんが、その裏にあった設計者の想いを感じていただけると、とても嬉しく思います。


前編だけでも長くなってしまいましたので、後編へ続けることとします。
後編は、マイナーチェンジとしては異例のリヤサスの変更とデザインの変更が話の中心となります。


(参考文献)
・月刊自家用車誌 車種別総合研究
・自動車ガイドブック1985-1986、1987-1988、1988-1989


(画像の引用元)
FavCars.com
2016年11月04日 イイね!

古の設計者の想いとは(2代目シティ編)

古の設計者の想いとは(2代目シティ編)古の設計者の想い、第5回です。
今回は、ちょうど30年前となる1986年(昭和61年)10月に登場した2代目シティを取り上げることにします。

シティは初代がインパクトのある存在であったこと、そこに続く2代目が初代から大きく変容したことで、このモデルチェンジは当時話題となりました。

その大きく変えた理由は後程程のインタビュー記事から読み取っていただくとして、その前におさらいや2代目との比較も兼ねて初代に触れてみることにします。


○初代シティR(1981年10月登場)




当初1200で登場したシビックですが、年を重ねるごとに大型化したことに伴い、ホンダはこのクラスが空白地帯となっていました。

その間、2度のオイルショックもあって省資源に資するコンパクトカーを求める声は増大。そんな背景から生まれたのがこのシティでした。

これ以前のホンダ車は、背が低く・長さがある一方でホイールベース短くといったクルマばかりだったのですが、このシティは全長:3,380mmという今の軽自動車並みの長さと全高:1,470mmという、当時のクルマ達の中では群を抜く高さが特徴でした。

このディメンションから生まれる、ユーモラスなスタイリング、軽量を生かした走り、専用のトランスバイク”モトコンポ”、話題となったCM等の相乗効果から生まれる強い主張は、安いから乗るを好きだから乗るに変換させることとなり、瞬く間に人気車の一角に駆け上がることとなります。


さらに、この初代シティは、やや過激なモデルを次々追加するクルマでもありました。
有名どころを列挙してみます。

○シティターボ(1982年9月登場)



○シティターボII(1983年10月登場)



○シティカブリオレ(1984年7月登場)



そのいずれもが、約1年おきでの投入かつ時の話題となっています。
これら以外にも、”マンハッタンルーフ”と名付けられたハイルーフ、”ハイパーシフト”と名付けられた副変速機、燃費競争への参戦となった、EII・EIII等もあったのですから、その謳い文句のとおり”シティはニュースにあふれている”存在だったのです。


その間、ホンダは次々ニューモデルの投入やモデルチェンジを実施しますが、その何れもが”低く・広く”というクルマだったため、背の高いシティは年を重ねるごとに、だんだんと異端となっていったのも、もう一つの事実でした。

また、同クラスには、次々と他メーカーも参戦。そのどれもが、シティほどではないにしろ、やや背の高いクルマ達でありました。ホンダのトゥデイを除けば、軽自動車共々、小さいクルマはやや背の高いのが主流となっていったのです。


そんな背景の中から、5年ぶりのモデルチェンジとして登場したのが、今回の主役となる2代目となります。





一見しただけで初代とは大きくディメンションを変えたのがご理解いただけると思いますが、その裏付けとしてサイズを列記してみます。

 ・全長:3,560mm  (+180mm)
 ・全幅:1,620mm  (+50mm)
 ・全高:1,335mm  (-135mm)
 ・ホイールベース:2,400mm  (+180mm)
 ・トレッド(前):1,400mm  (+30mm)
 ・トレッド(後):1,410mm  (+40mm)

長く・広くなったのもありますが、-135mmという高くから低くへの転換がやはり一番大きい。同クラスの中でも背の高いクルマが一転して、最も背の低いクルマになったのですから。

背の高いクルマの多い昨今のクルマで例えると、N-BOXやウェイクが背の低いクルマにモデルチェンジしたようなものと言えるでしょうか。実際にそんなことが起こったら、やはり大きな話題となりますよね。

この一大変容、もちろんその裏には周到な時代への読みがあります。
今改めて読み返すと、なかなか鋭い感覚だったんじゃないかと思える・・・ということで本編に入っていきます。


今回の対談形式を取ったインタビューは、一方がいつもの高原 誠(川島 茂夫)氏が、開発者側となる、当時、(株)ホンダ技術研究所 栃木研究所 取締役主任研究員の職にあられた、平松 竹史氏に行う形での進行となっています。

その他にも、開発者側からは、主任研究員(エンジン担当)の職にあった板倉 清之氏と主任研究員(シャシー担当)の職にあった飯倉 政雄氏のお二方も参加されているのですが、このブログではメカニズムの部分をあまり触れていないこともあって、今回の引用からは割愛させていただきました。


それでは、スタイリングの話から入っていきます。

高原 見た目、一番衝撃的に変わったのはスタイリングだと思うんですが、ここまで変えた真意というのは・・・。

平松 先代のシティといいますと、一応4人が乗る、今回のは、やっぱりパーソナルトランスポーターという性格というか、日本でのマーケットがそのようになってきましたからというのが一番でございます。従いまして、先代はとにかくしっかり4人乗る。あるいは4人の人が持ってくる荷物を載せるというのが先にありましたものですから、今回はそういう意味でドライバーズカーといいますか、プライベートカーとして自分が乗れば、前席優先といいますか、そちらに焦点を当てました。

高原 かなり技術が外から見えるようなスタイリングというか、どうだほかの会社でここまでできるか、というような印象を受けるんですけど。

平松 それは考え方が二つありまして、一つの考え方としてはメカニズム、マシーンの部分、機械の部分はミニマムに、対する人間の部分はできるだけ大きく、それはクルマづくりの考え方が一つ同じですね。

 やり方としまして、私どものデザインの基本にまずプロポーションが先にある。(中略)ですから、見せるためには、基本的にはプロポーションが先にくるので、という考え方を先代のシティ、同時に2代目のプレリュード、1982年に商品化したものから、デザインの基に骨格ありきという方法論です、これを打ち出しました。

 私どもは他社に対する違いということを一生懸命考えておりますけれども、その点、自分ちに対する違いというのをちょっと忘れたかもしれません(笑)


高原 同じようにすると意図したものではない。


平松 それはあくまで、さっき言った二つの考え方と方法論などによりまして、他車に対する違い、ホンダの味を出そうとした、目的はそっちです。

---------------------------------------------------------------引用ここまで

先に紹介したとおり、初代シティ以降のホンダ車というのは、そのどれもが”ワイド&ロー”、特にローの部分を特徴としていました。同クラスの他社と比較した時に、車高あるいはスカットルの低さというのが印象的だったわけです。

また、ハッチバックでは3代目シビック以降は、基本的にロングルーフ形状。

そんな基本構成を纏っていたホンダ車達を並べてみます。


○アコード エアロデッキ




 ・全長:4,335mm
 ・全幅:1,695mm
 ・全高:1,335mm
 ・ホイールベース:2,600mm
 ・トレッド(前):1,480mm
 ・トレッド(後):1,475mm




○3代目シビック




 ・全長:3,845mm
 ・全幅:1,630mm
 ・全高:1,340mm
 ・ホイールベース:2,380mm
 ・トレッド(前):1,400mm
 ・トレッド(後):1,415mm




○初代トゥデイ




 ・全長:3,195mm
 ・全幅:1,395mm
 ・全高:1,315mm
 ・ホイールベース:2,330mm
 ・トレッド(前):1,225mm
 ・トレッド(後):1,230mm



一般的には、シティもこの3台の中に組み込まれたように受け取られていました。
今視点で改めて比べてみると、シティはリヤクォーターを跳ね上げていませんし、シビックよりも全長が短いにも関わらずホイールベースを伸ばして4肢を張り出させたりといったデザインは、むしろこの後に登場した4代目シビックの3ドアに近いものを感じるのですが、それはまだ先の話。普通の見方だと一緒に映りますよね。



インタビューは、スタイリングからインテリアに移っていきます。

高原 インテリア、特に全車にフルトリムを採用っていうことで、だいぶ高そうに見せるということに対して頑張った。

平松 クルマの常識にもう今は日本ではなってしまいましたですね。最近の、例えば若い人が多いわけですけれども、そういう人の基準というか、価値判断の基準が、たぶん家にあるおやじのファミリーカー、ご時世ですから、うちのクルマにはアコードかレジェンドぐらいはだいたい持っているでしょうね。

高原 あっちが基準になる。

平松 そうなっちゃっているんですね。だから、それがさっき言ったフルトリムの問題であり、質感でしょうし、メカニズムのほうでいえばATなんかを4速にしているということも、一つにはそういうことですね。お客さまの基準がそこまできてしまった。

高原 久々に、後席に座って、足が前席の下に入らないという(笑)・・・。それで、何となくこうやって座りますよね、ちゃんと。そうすると見ると寸法はあるんですよ。あるんだけれどぜんぜん広い感じがしない。どうしてかなって・・・。例えば屋根をすぼめていますので、そういう視覚的なものにしろ、低いにもかかわらず足を前に投げ出せないんですね。

平松 それは、さっき言った明快に分けたから。シビックまでのクルマとそれ以下。もっと言うと、最近は大衆車なんていう言葉はすっかり死にまして、せめて1.6といいましょうか、それ以上の我慢のないファミリーカーと、それ以下のおれ用のクルマという時代ですよね。

 そういう2分類のほうが、最近では正しいようですよね。基本的にベーシカルなものを一回つくり上げて、それに一点足そうという考え方でつくりました。もう一回ワールドベーシック・パーソナルトランスポーターとしてのコンセプトを、一回おにぎりを握ってみて、そうするとこれは面白くないわけですな。


---------------------------------------------------------------引用ここまで

スタイリングの部分でも語られていますが、この2代目、セカンドカー需要であるとか、若者のパーソナルカー需要を強く意識していたことが、語られる言葉から垣間見えてきます。

初代は若者向けに見せつつも、経済的なファミリーカーとしても使える存在だったのですが、2代目ではより若者向けの部分を狙ったというわけですね。

言及はされていませんし、仕様的にも背伸び感はないのですが、考え方としてはある種「小さな高級車」の考え方に通ずるようにも感じます。



話としては、本題からやや外れるのですが、興味深かった部分を2つ抜粋してみます。


高原 全車にラジアルタイヤを標準装備した。


平松 そんなのは常識ですからね。軽自動車だって、うちはラジアルですよ。トラックだってディスクですから。


高原 やっぱりポテンシャルに合わせた性能は必要?

平松 必然的にそうなってくるんでしょうね。何で違うんですかって、それはエンジンの出力が違うか、車重が重いか、何か明快な答えがなく、雰囲気だけで変えたんじゃ具合悪いでしょう。

高原 こっちはおカネを安くするためにこういうタイヤにしましたじゃ通用しないということですか。

平松 そりゃあかんでしょう。

(中略)

高原 エンジンがエンジンですから、あのエンジンだったらタコメーターはやっぱり必要?

平松 付けておきませんと、せっかくこれが7000回転まで使えるというのに・・・。大部分の人は、普通だったら5000ぐらいでやめてしまう。分かっていただくためにあれは要るんであるって、それで全車付けているんです(笑)

---------------------------------------------------------------引用ここまで

80年代に入って、ラジアルタイヤの普及が進んだのですが、まだ安いクルマではバイアスタイヤの設定が一部残っていた時代です。
特にシティは、全車165/70R12というサイズ。12インチと言えども70扁平ですから、当時としては十分セールスポイントとなる点でした。廉価グレードでもタイヤの仕様を落とすことをしなかったのは評価できます。ルックス的にも細いタイヤでは決まらなかった面はあると思います。

また、タコメーターの設定の理由も面白いところです。
この時代、ATにはタコメーターが不要という議論にはならないのです(笑)。まだまだ高回転まで回して、ピークパワーを競っていた時代ですからね。



話は続いて、ATに入っていきます。

高原 話が前後しちゃうんですけれども、オートマチックを全車に4速っていうの、これもまた大英断・・・。

平松 ずっと今まで、一つはこういう安いベーシックカーというのが燃費燃費って追求しましたね。私どもの初代のシティもMTで18km/L、燃費指向のEタイプは19km/Lにして、すぐ20km/Lになっておりますけれども。またそれがどんどん進化して、24km/Lまで最終的にはきたわけです。そういうようにやってきますと、特訓選手で燃費を出していくというのが、ちょっとばかげているねと。ハイギヤードにしたり、えらいコストをかけたりね。見てますと、みんなMTばかり特訓してATはほったらかしちゃうんじゃない?ATナンバー1いこう。これからの時代はATですから。


高原 ないがしろにはできない。

平松 走りもね。要するに小さいクルマのATにしたら走らないし、燃費も悪いし、段数も少なくて使い勝手が悪い。そういういろんな意味で、これからはこの世界でやろうと。だからフィールドをマニュアルミッションの世界から変えたわけです。結果的にお客さんの評価も、いま6割超えました。販売店が下ろすデモカーを除きまして、本当のお客さまの受注伝票を見ましても62%ぐらい。

高原 小さいほうでもどんどん・・・。

平松 それとパワーステアリングが9割です、91%。ですから、さっき言いましたようにAT、パワーステ・・・。プライベートカーとしては、そういう世界が出てきた。それは自分自身で固いタイヤを履いてスポイラーか何か付けてギトギトしながらやるんじゃなくて、軽いよ、楽だよ、静かだよ・・・。これからはプライベートカーというほうはそういう世界なんでしょうね。

---------------------------------------------------------------引用ここまで

ATの比率が50%を超えたのは1985年です。
このクラスのATの主流は3速であり、この少し前までは2速の設定も残っていたくらいです。1500ccクラスに広げてみても、4速ATを採用していたのはカローラ、サニー、シビックくらい。それも一部グレードのみに限られるという状況でした。
それにも関わらず、全車4速ATの採用は、全車5速MTにした点も含めて、間違いなく大英断と言えるものですね。

先に出た、おれ用のクルマの話もそうですが、時代であるとか市場が欲していたものへの先読みは実に的確だったのだと思います。この後、AT・パワーステは装備されているのが当然となっていきますし。


高原 また話がコロッと変わっちゃうんですけど、どうもドライビングポジションがしっくりこない。ペダルが非常に手前に来ているというんですか・・・。

平松 おっしゃる意味は、ハンドルが遠いという意味ですか。これはシビックのハンドルと同じなんですよ。

高原 いや、更には腿が当たるんですね。

平松 それも同じなんです。あれ、全く同じポジション。


高原 どっちかというと、ぼくは前に出してポジションを取るんです。ハンドルが近めのほうが好きなんです。

平松 まあそれはいろいろ勉強させていただきますけれども、もう一つ言えるのは、これは寸法だけじゃないんだなあというのが、今回つくって分かったんですよ。というのはフロントウィンドウがわりと出ていますね。出ていると、人間というのはそういう物理的な寸法だけじゃなくて、ガラスからの相対感というのでおのずと自分で寄っていきたいんですね。そうすると、なにペダルがこんな所にある? っていう感じとか、心理的に自分をガラス、あるいは周りの物体に対してどこへ置きたいという自分のくせがありますから、これもさっき言いましたように、シビック3ドアと同じですと言ったんですけれども、シビックの3ドアよりウィンドウが前へ出ている。そうするとハンドルが中に立って、ちょっと中空にあるような感じがして、人間は前に来ている・・・。

---------------------------------------------------------------引用ここまで

この話は、私自身の実感としてあります。クルマはまるで違いますが、W204とW205の関係が同じだったりするのです。前席周辺の寸法的には両者大きな違いはないのですが、感覚的なものが影響してかW205の方がやや前寄りになるんですね。それでリヤの足元のスペースを稼ぐ空間構成となっている。

話をシティに戻すと、シビック3ドア自体がややハンドルが低めの位置だったのでしょうから、それで人間が前に出るとすると、空間的には厳しいものがあったでしょうね。画像で確認する限り、シートリフター的なものも備えてはいなかったようです。



高原 これは国内だけに展開なさるんですか。

平松 ええ。クルマづくりとしては世界用でといいますか、見据えてつくりましたけれども、今は残念ながらドルが160円です(笑)

高原 商売にならない(笑)


平松 なかなか深刻。


高原 最後に、非常に興味深かった価格設定なんですけど、かなりお安い。特にBBは、これでもうかるのかなというぐらいの設定なんで・・・。

平松 大変サービスさせていただいていると思います。あの開発チームはEEを「ジス・イズ・シティ」と思ってつくったものでございます。GGというのは、これを扱う店がクリオでございまして、ホンダの中でレジェンド以下ラグジュアリーカーを扱っているところでございますから、販売チャンネルのイメージに合わせたものがGGであり、技術的にはディス・イズがEEでございます。

 先代のシティが最終価格が84.5万円で、今度は88.8万円ですから、4万3000円?


高原 ちょっとアップ。0が増えています(笑)


平松 ですから、わりとご推奨ではないかと思います。何といいましてもこのマーケット、さっき言ったように、例えばお兄さんがどっか自分のクルマを買おうとすると、シビックのところまで行っちゃうんですね。選択の基準が。今、ご時世でしょう。それを飛び越えないで、ちょっと待ってというためには、バリューフォーマネーが最大マスを占めているクラスに対して、一つ違う明快な措置をしなければマーケットがないんですからね。ないというかたいへん小さいものですから。ですから価値を高めてお値段を安くして待つマーケットをつくりたいわけです。

 

---------------------------------------------------------------引用ここまで

(東京地区標準価格(単位=万円):MT/AT)
 ・GG:103.9/112.4
 ・EE:88.8/97.3
 ・BB:82.7/91.2 

プラザ合意により1ドル200円を超えていたものが、ほんの短期間で1ドル160円ですから、輸出の比率が高かった自動車産業は大きな影響を受けました。当時は自主規制の名のもとに輸出台数の総量規制をかけていましたから、なおさらですね。

この時の為替変動は、現地生産が加速化するだけでなく、輸出の主力モデルが従来のカローラ、シビックからカムリ、アコードに移ったりであるとか、アキュラ、レクサスをはじめとする高級車ブランドの展開等、一つの転機となりました。

シティも、輸出も想定したはずが国内専売を強いられるという形で影響を受けています。このサイズ、この価格帯のクルマを国内だけで展開するというのは、この時期でも相当に苦しかったはずですが、その分、純粋に国内の動向を見据えて作れたのかもしれません。


おそらく開発陣は、国内の背景として第二次ベビーブーム世代が大量に免許を取って走り始めていたことを意識していたのだろうと思います。私自身、その中の一人ですから、全体を通して結構共感できる部分が多いということはあります。評価の中には「若者に媚びている」という形で否定的な見解を出されることもあったのですが、その後の流れからしてもクルマの方向性の考え方としては間違っていたとは思えません。

シティが投げかけた質感であるとかAT・パワーステで楽々といったあたりは、同クラスの他車に影響した部分ですね。


そういった努力にも関わらず、結局のところ、国内のユーザーの動向としては、時を前後して起こったバブル景気に乗る形で開発陣の思う以上に贅沢志向が進んだことは否めません。自分のクルマとしては、やはりシビックのところまで行くケースが多かったように思うのです。


シティはマイナーチェンジにより、1.3やインジェクションモデルを追加し上級指向を強めることとなるのも、こうしたユーザーの意識に対応した感が強いですね。

ただ、販売の主流はお買い得感を強調したFitに落ち着くこととなります。

○マイナーチェンジ後の最上級、CZ-i


もっとも、このシティ1.3のインジェクションモデルは、軽量・パワフル・重心の低さ等の特徴を生かし、国内のモータースポーツシーンにおいて、クラス内では無敵の存在であったことは特筆すべき事項です。当初は追いすがるライバル車もありましたが、その強さは徐々に孤高の存在となっていきます。(1.2でもMTなら、0→400mを17秒台半ばで走るのですから、一層パワフルな1.3インジェクションの速さは推して知るべし)

こうした活躍というのは、開発者が想定していた事なのかはいささか怪しいところではありますけれども。

(参考文献)
・月刊自家用車誌 車種別総合研究
・自動車ガイドブック1986-1987

(画像の引用元(CZ-iを除く))
FavCars.com

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「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
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