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2016年12月29日 イイね!

2016年最後の投稿の話

2016年最後の投稿の話季節外れ感の強い(笑)タイトル画像は、これまでの年末投稿でもやってきた埋もれていた画像からの掲載です。

先月、茨城へ紅葉を見に出かけた際に、袋田の滝の駐車場にて撮影。

あれよあれよという間にまた1年の時が流れ、今年も残すところ僅かとなりました。
○○年前に登場したクルマという話をするたびに書いていますが、時間の経過が実感と一致しない感が強いです。何か1年経つのがどんどん早くなっている気がします・・・。


昨年同様、本日、今年最後のお墓参りを済ませていまして、明日は近所でのお散歩と用足しぐらいの年の瀬です。洗車ができるかは微妙なところ。

それでは、いつものように今年を振り返りつつの所感等を記していきます。

自車は、この一年間で例年とほぼ同じ約10,000kmを走行。総計では35,000km近くとなりました。

お出かけ日記の更新はあまりしていませんので、この機会に10,000kmの一端をご紹介。まあ、相変わらずあちこちに出かけているということで(笑)

〇2月 千葉県白間津のお花畑にて



〇3月 飛騨高山の古民家料亭にて

日独の国民車(?)と並んだ図ですが、こうして見るとサイズはむしろこじんまりぐらいだなと。そんな点も気に入っている理由の一つ。


〇8月 静岡県長泉町のクレマチスの丘にて

外気温は40度近くを指す暑い日でした。


〇9月 長野の善光寺にて

折角の善光寺参りが、雨となってしまいました


〇12月 読売ランドにて

外気温は0度近くで、凍えつつの撮影。


暑い所から寒い所まで、東西南北問わずでいろいろでかけております。その殆どに自車を用いているのですから、どうしても長距離ツアラーで長所が発揮できるクルマを求めたくなります。


そんな自車ですが、今年もほぼトラブルフリーと言っていいものの、水切りゴムの干渉による異音のためモールを交換したり、パーキングブレーキの戻りが悪くて経過観察中といった具合で、ポツポツとはありました。初回車検を経たことで、既に標準の保証期間は終了し、延長保証の期間に入りましたので、やや神経質なくらいで気にしているということもあるのですけれども。
あとは、距離と年数からして消耗品の交換は始まっています。整備記録に記したとおり、今年はサブバッテリーとタイヤの交換がありました。

タイヤは、交換する前からどれにするかかなり悩むこととなりましたが、選択したPRIMACY3は交換後の印象がとてもよくて、正解な買い物だったと思っています。MICHELINを一度購入すると、その後は指名買いが多いというのも納得できます。





現行モデルも登場後2年以上が経過し、ご近所界隈だと、既に新型の方が多く見かけるようになった気がしています。自車はそんな中でだんだんと年数を重ねていくこととなるのですが、大変気に入っていることもあり、まだまだ大事にしていきたいと思っています。



みんカラの方は、自分のクルマに関しては時折で、あとは気の向くままに進めてきました。
最近はやや落ち着いたものの、お友達・ファン共に増えている傾向は変わらずでして、楽しんでいただけていればいいなとは、常に思うことであります。


今回、折角の機会ですので、ブログ作成の舞台裏的なものを、軽く記してみます。

先ず、次のブログネタに何をやるかが決まるのは、前のブログの作成途中に決めることもあり、みんカラ投稿企画のように突如割り込むこともありますので、巡りあわせ的なものとなります。通常は、漠然と常に候補はいくつか抱えていて、その中から選ぶことが多いです。

ネタが決まると作成過程に入りますが、この作成、公開直前の中止等による順番の入れ替えは稀にあっても、並行で進めることはまずありません。速報性が必要となるネタは少なめですので、並行でも可能に映るかもしれませんけれども。
作っている期間中は、ほぼそのネタに没頭することとなります。この没頭していろいろ調べたり、考えたりする間というのはとても楽しくて、自分がブログを作る上での原動力の一つだと思っています。
調子のいい時や思い入れの強いクルマだと視点だとか使う言葉が直ぐ浮かんできますし、もちろんなかなか浮かばないこともあります。それでも途中でやり直したものはあっても、ボツとしたものは今のところはありません。

ほぼ、自分の中で言葉が出尽くしたところで、一通り読み直し、修正を経て最初の作業は完了。

こうして公開にたどり着いたブログは、非常にありがたいことに、有意義なコメントをいただくことが大半ですので、公開後もネタについて考えている期間がしばらく続きます。

特に強く思うのは、コメントをいただくことで、ネタに対する認識が整理されたり、あるいは認識が研ぎ澄まされるのだなということです。コメントのやり取りには、そんな感じが出ているのではないでしょうか。そういうことからすると、うちはブログ単体だけではなくコメントのやり取りも、見どころの一つではないかと思っています。本当に感謝、感謝なのです。
なお、昨年も書いた通り、文字入力はほぼ自宅PCに限定しているため、返信までにどうしても時間を頂戴する点はご容赦願いたい点です。

以上の過程が一段落すると、再び次のネタ作成が本格的に始まることとなります。

一応、自分の中ではこんなサイクルで回っているのですが、まわりの方の作られ方というのも、お聞きしてみたい感はありますね。


PVのトータル数を改めて見てみると、登録日はあまり関係なくで増えていますので、きちんと調べて・考えての過程は欠かせないなと思います。ネタ元とする車種に影響される面は否めませんが、トータルで上位にあるのはその点でなるほどと思えるものが多いですし。
あとは、時間が経ってから見た時でも、何とか耐えられるものでありたいなとは。これは時代の流れ等、他の要因もあってなかなか難しい気がしますけれどね。


話は横飛びしましたが、今年最後のご挨拶

当ページに訪問をされた方、イイね!を押してくださった方、コメントを残された方全てに深く御礼申し上げます。
趣味を兼ねつつで何かを残せればと思い、続けてきました。振り返ると、結構積み重なったと感慨深くなる一方で、まだまだ書きたいネタは尽きることがありません。
玉石混合の情報が溢れる昨今ではありますが、そんな中、ここを見られた方が楽しい一時を過ごせたりとか、あるいは多少なりともお役に立てていれば、大変嬉しく思います。


引き続き、来年以降も今のままで続けていこうと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。
Posted at 2016/12/29 22:40:18 | コメント(12) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2016年12月25日 イイね!

古の設計者の想いとは(Y31セドリック・グロリア編)

今年も残り一週間を切りました。前々回ぐらいから、そろそろ今年のまとめを意識し始めているのですが、今回は少し前から始めて結構好評な設計者の想いかなと。

これは元ネタの数が多いのでどれをやるかは難しいところなのですが、過去のPV総数を眺めてみると、好評なものの一つにY31グランツーリスモ(当該Blogはこちら)がありまして、それなら日頃の感謝も込にして、Y31を選抜するとちょうどいいかなと思った次第です。

何回か書いているとおり、私も好きなクルマでありまして、かなり長くなるのですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。


ということで、古の設計者の想い第8回、前段から入っていきます。

今回、高原 誠(川島 茂夫)氏がインタビューされているのは、当時日産の商品開発室 主管の職にあられた三坂 泰彦氏となります。

三坂氏は、当時日産(日本のメーカー?)初の文科系の開発リーダーということで話題となりました。前代から大きく変わったY31の成り立ちを紹介していくうえで、市場調査や広報はもちろん、販売の最前線も経験されている三坂氏の想いというのは少なからず影響していると言えるのです。

といったところで、以下、紹介していきます。


引用ここから----------------------------------------------------------

高原 まず、先代から新型車に変わるにあたって、そのコンセプトの継承分と変更分などを・・・。

三坂 今回のつくる側の考え方は、できたかできないかは別なんですけどね、継承分とプラス分とを両立させようというようなのがあって、要はバリアブル技術というか可変技術、だから走りと音とか、走りと乗り心地とか、それから音振性能と出力・馬力とか、そういう相反する要素がありますね。そういうものをトレードオフでこっちをやったからこっちを捨てるとか、それで我慢しろとかいうような感じではないつもりなんですよね。ですから、乗り心地については従来の乗り心地。従来と全く同じではないんですけれども、後ろに乗った人についても別に不満にならないというか、進化させて、それにプラス走り分を追加する。そうするとどうしても走りを追加した分だけ乗り心地が悪くなる。でもそれを両立させようというのが一つのねらいになるんですよ。そういう意味で言うと、従来から変えた部分というのは、いわゆる風格だとか豪華とか、そういう部分の言われ方、それ自体にあんまり意味がないようなもんですね。そういうものについては少し削除してあるんですね。それ以外は、やっぱり基本の走りというのが昔あったかどうかは別ですけども、それにプラスして更にそれを進化させたいという部分がプラスに・・・。

 表現でいうと、私どもは走りと品質と安全性、そういう部分がベースにありまして、そのほかに、今までのY30はその時代の要請でしたんですけども、風格だとか豪華だとかステータス性だとか、そういうものの味つけでつくっていたわけですね。今度はその風格だとか豪華というのは・・・風格は必要だと思うんですね。で、豪華というものの色合いが多少、変ってきたというんですかね。じゃ豪華というのは何が豪華か。走りがいいというのも豪華の一つだろうと。見栄えだけじゃなくてね。そういう豪華をつけると。それで、400万円ぐらいする、安いものでも300万円すると、そういうクルマに乗ってて、200万円のクルマに走りで負けるというのは許されないんじゃないかというつもりがありましたんで、ある意味ではそういうものには、よーいドンで完全に勝つかどうかは別として、不満になる、むこうより悪いっていうか、完全に不満になるような水準にはしたくなかったというのが今回の出発でしてね。


高原 当然、このクラスのオピニオンリーダーというか、メインになるユーザーの世代交替とか、質の変化みたいなものがあったと思うんですよね。このへんはどういうふうにとらえていますか。

三坂 今回、クルマとしてはそういうことでしたけどね、流れとしては先代からずっとそういう流れがありまして、ユーザーの質という言い方がいいか悪いか分からない・・・ユーザーの違いですね。それはもう先代から一般にセドリック・グロリアというショーファードリブンの後ろに乗る人メインのクルマで、後ろに乗る人が5割も6割もいるんではないかというようなイメージでとらえていましたけれども、実際にはそういう人はいないんですよね。まあ1割。調査データですから振れがあるんですけども、まあ1割が2割になることは絶対ない。ですから、その部分はまあ1割とか1割5分ぐらいあるんですね。タクシーは別としてね。そういう人以外の8割とか8割5分の人たちが何を求めているかということだったんですよ。簡単に図式化すると5割ぐらいがショーファードリブン的だと思うんですね。

 あと3割とか4割ぐらいは、俺はこんなにカネを出したのにあれより負けるのはけしからんとほんとに思う人ですね。そういう人が3、4割いるかなと思っています。その人たちのためにはもちろんそういう必要があったんですけれども、それ以外にはその5割が仕事を考えながら乗ってても危なくない、そういう性能コンセプトが必要だという感じが僕は前からの調査等でもしていましたね。それに合うようなクルマというのが必要じゃないかな。

高原 まずグランツーリスモを見て、あのあたりがひとつ試験というか、このクラスのユーザーの対象がどこまで変わったか、これで試してみようかというようなね。

三坂 いや、そんなに人が悪いわけじゃないんだけども。やっぱり同じブランドで同モデルですわね。その中でいわゆる多様化と言われてますでしょう、そういう層を確保しようとしたらどういう方法があるかということを出発にして考えたわけです。そうするとブロアムの3L、これはやっぱり従来に近い路線で要るだろう。この中でブロアムの2Lは、これは新しいエンジンを積んでいますけども、これもやっぱり、今回も量はいちばん多いですし、そういう量の多い部分というのはあまり変えられない部分。で、グランツーリスモ。ほんとはもっと2ドアとかオープンカーとか、リムジンをつくってみましたけど、ああいうやつで車種をレッスンしてその中でバリエーションを増やしていくというか、そういう方法でしか対応できないなというふうに私は考えたわけです。だからグランツーリスモだけをセドリックだと言って売ることの危険さを回避して、ブロアムのブロアム、昔のイメージを踏襲していく、そういうところは皆さま方から見ると、なんか中途半端だとか物足りないとかいうところはあると思いますね。

----------------------------------------------------------引用ここまで


Y31の登場した1987年(早くも来年で30周年・汗)は、セドリック(1960年登場)とグロリア(1959年登場)が登場して四半世紀が過ぎた時点となります。方向性が定まった感の強い両車の統合(1971年)からでも15年という短くない時間が過ぎていました。その中で、蓄積されていた伝統は少なからずありましたし、この種のクルマって、ある意味、日産車の双六のゴールみたいなところがありますから、なかなか変えたくても変えられない位置にありました。

その一方で、このクラスにはクラウンという王道を歩むかなり強いライバルがいて、この2車というのはクラウンと付かず離れずの関係が続いていました。ただ総体的にみると、だんだん寄り切られつつあったのです。さらには、円高を見据えてホンダレジェンド、マツダルーチェ、三菱デボネアといった他メーカーもこのクラスに参入するに至っては、そろそろ変わらないと衰退を余儀なくされる状況でありました。

そんな厳しい状況の中で、登場したのがこのY31となります。


先ずは、ユーザー層の分析が興味深いところです。
このクラスとなると、当時は公用車や社用車を連想させる「リヤシートに乗せてもらう車」をイメージしたものですが、意外とその数は少なかったという話です。
また、残りのユーザーの中で、あれより負けるのはけしからんとほんとに思う人の数が意外と多い印象もあり。430ぐらいから、ハイソカーブームの盛り上がりを反映して、この2台を若者が買うという構図が出来上がりつつあった関係もあるのでしょうね。この時期だと、ローレルよりは平均年齢層が若いというのが話題となった頃でもありますし。


インタビューの中では、ライバル車との関係は殆ど語られてはいませんが、変えられない部分と新たに加えた部分というのは語られています。
簡単に分類してしまうと、変えられないのはブロアムで、新たに加えたのはグランツーリスモとなるようです。ブロアムも技術の進化を反映させて、従前の領域は守りつつ性能を向上させたとなるのですが。





車種のレッスンの一つとして語られている「ロイヤルリムジン」。
オーテックを活用することで、ワンオフやショーモデルに留まらない国産初の本格的なリムジンとして誕生しました。ストレッチ長は、センター部450mm+リヤドアの延長150mmの計600mm。

少量生産故の高価格もあって大きな成果とはなりませんでしたが、リヤドアのみ延長したモデルは”L”として長く生産され、他車にも同様のモデルを生むきっかけとなりました。



多様化の一つとして語られているのはこちら。





多様化への対応というだけでなく、このグランツーリスモは、セドリック/グロリアが新世代に入ったことも象徴する一台でした。
エアロパーツを纏いメッキパーツを減らした外観デザイン、やや深めのバケットシートやスカイラインと共用する3本スポークステアリング等を備えるインテリアは、従来この種に見向きもしなかった層を新たに憧れさせることとなっていきます。


開発の狙いが語られたことで、各概要に入っていきます。
最初はスタイリングから。

引用ここから----------------------------------------------------------

高原 今回は従来に比べるとセダンと4ドアハードトップのスタイリングがだいぶセグメントされているという感じがしたんですけど、やっぱりそういうのも・・・。

三坂 そう。セダンの上にハードトップがあるというのが従来型なんですよ。まあ形が似ていたということがあってね。要するに縦に長かったでしょう。そうじゃないというのがあって。ただセダンはあんまり受けてないんでね。やっぱりセダンという目でご覧になるのか分かりませんけども。まあスタイリングが悪いのかもしれません。そういう意味では別の役割分担をやらせたいというのがあったんですね。

----------------------------------------------------------引用ここまで

Y31とY30(本当は後期としたかったのですが、画像の都合で前期)をハードトップ・セダンの順で並べてみます。

〇Y31


〇Y30


ベースは共に5枠にあるため、この4台、サイズはほぼ変わりません。デザイン代が限られる中で、如何に表現するかというのが見せどころの一つでもありました。

Y30の時点でフロントは低く、リヤは高くというウエッジシェイプの傾向が取り入れられていますが、Y31ではそれをさらに進めた形となります。
フロントを低くするのは顔を小さくすることと同義であり、車格落ちを懸念してなかなか思い切れないところですが、ついに踏み切ったと言えます。クラウンも120のハードトップを作る際に相当苦労したと語られている部分です。

ハードトップとセダンの対比では、従来よりも両車の専用部品を増やすことで、大幅に印象を変えることに成功しています。

この初期セダンって、「間違いだらけ~」でも評価が高くて、私的にも評価しているデザインなのですが、この時代はあくまでもハードトップが主流でセダンはオーナー層には難しかったですね。
ただ、これはY31セダンのデザインが悪かったのが原因とは思えません。クラウンは120の時にハードトップとセダンを分けたものの、ハードトップに人気が集中したため、130ではセダンをハードトップに近づけるという策を採るのですが、ハードトップ集中の傾向は変わることがありませんでした。



引用ここから----------------------------------------------------------

高原 ところでエンジンを、上2つを、新設計というと何ですけど、一つは完全新設計で一つはだいぶ改良を加えたと。ターボが2つありますよね。それとノンターボ。このあたりの選定と改良点を・・・。

三坂 まず一番下からいくと、あのクラスで特別スポーティに走るというのがあって、痛痒を感じずに走れるレベルということでね。あれもいわゆる吸入管を少しバリアブルでやっているんですけどね。そういう必要最低限にしたいというのがあったんですね。ですから、あれは普通にお乗りになる方は非常にいいエンジンだと私は思っているんですね。ただのアスピレーションの2Lのやつですね。3Lと2Lのあそこのところでブロアムは、やっぱり3Lが欲しくても買えない・・・カネの面じゃなくていろんな制約があるでしょう?

高原 ええ。

三坂 ああいう人たちの動力性能的に不満を感じさせるのは申し訳ないなという意味で、2Lの排気量の中では、最大出力、最大トルクをねらえという指示なんですよね。何をやってもいいということだったんです。まあエンジンルームのスペースだとか何とかでインタクーラーが入らなかったけどね(笑)。なくてもあれは相当なレベルはいっていると思うんです。5ナンバーといえどもそういう使われ方をしているわけですから、精いっぱい頑張ったわけですよ。それでエンジンが出てきたんですね。

 それから3Lについては、私どももいろいろあったんだけども、一つ燃費の問題もありましてね。燃費を気にする人ではないんですけれども、リッター5kmを切るととたんにクレームが出る。これはターボが悪いとか何とかじゃなくて、基本のエンジンはあれですから、ターボの性能というか、燃費性能という意味ではやっぱり今までのやつに無理があったのかもしれません。ですから、今回の燃費はかなりよくなったと思うんです。それでいて走りが悪くなったとか、そういうことはないと僕は思っているんですよ。むしろよくなっている。


----------------------------------------------------------引用ここまで

続いてはエンジンの解説です。
バリエーションとしては、基本的には先代からの継承なのですが、2LターボがSOHCからDOHCに変更されているのがトピックでした。
この指示がスゴイですね。「何をやってもいいから、最大出力、最大トルクをねらえ」とは(笑)
このVG20DET、実際はツインターボを備えた1G-GTにスペックでは若干劣っていたのですが、スペックに表れないフィーリング等の部分含めて、高く評価されていました。
また、インタビュー中にあるインタークーラーは後期で備えられることとなります。

3Lの方は、翌年にシーマに搭載されるVG30DETの開発が進んでいたはずですが、こちらは従来のVG30ETの改良型となります。
VG30ETは、燃費の改善が言われています。Y30まではフェアレディZやレパードも含めて、トルコン容量の関係で電子制御フルロックアップが使えなかったのが大きかったようです。
Y31ではようやくこちらにも新世代ATが載せられたことで、改善に成功します。VG30ETは画像がありましたので、スペックを掲載しつつで、燃費数値の改善を表してみます。





エンジン型式:VG30ET
総排気量:2960cc
最高出力(ネット):195PS/5,200rpm
最大トルク:30.0kg・m/3,200rpm
10モード燃費:7.5→7.9km/L
定地走行燃費:15.2→16.6km/L






ガソリンエンジンについては、この後もエピソードを交えつつでフィーリング面の話が続くのですが、ここでは省略します。

エンジンの話の最後はディーゼルです。


引用ここから----------------------------------------------------------

高原 もう一つ、ディーゼルなんですけど、あれはそろそろターボが付いてもいいんじゃないかと思っていたんですけどね。

三坂 ええ。これは僕もそう思ってる(笑)。ところがやっぱり、開発コスト・・・優先順位の問題もあるんですけど、なかなか・・・。いろんな人に言われてるんですけど、答えようがないんでね。僕もそう思うから(笑)。やっぱりディーゼルのRD28ですけども、これにターボを付けて、ベンツの300Dのターボに拮抗するか上回るようなものをつくりたいと思っているんですよ。静かさを含めてね。今度のやつはアイドリングの音をものすごく静かにしたつもりなんです。

----------------------------------------------------------引用ここまで

元々ガソリンエンジンをベースとした日産の6気筒ディーゼルは、LD28の時代から高く評価されていました。
Y30の後期でLD28がRD28に代わって、こちらも静粛性やスムーズさ等、さらに高く評価されたのですが、ガソリンの方がどんどんパワフルになる中では、そろそろもう一段のモアパワーが求められてもいました。
Y31では、シーマの途中追加もあってか、リソースの制約が各所に見受けられます。最大はワゴンとバンの世代交代を見送ったことですが、ディーゼルのターボ化見送りもそこに含めてもよさそうです。

結局RD28Tは、ここから5年以上を経てから、サファリスピリットに搭載されることとなります。ディーゼルがあまり注目を集めなかった時代ですので、それでも販売的な影響は然程なかったはずですが、惜しい感もありますね。


引用ここから----------------------------------------------------------

高原 エンジンの次というといよいよ足回り。今回いきなり全車4輪独立懸架。かなり思い切って・・・。

三坂 ええ。クラウンは上のやつだけでしょう、DOHCとですね。さっき言ったように普通のエンジンのセドリックというのがいちばんセドリックらしいかもしれないんですね、まあ従来から言うと。らしいというのは変だけどもね。そういう人が乗ってて足に不安を覚えるようなものがあるとすればね。リジッドだってよく知っておりますけども、そういうことについて許されないんじゃないかという気がするんですね。やっぱり今度いうクラシックSV、クラシックだって280万とか、250万以上するわけでしょう。そういうときにやっぱり走りで不安を感じて運転してて要らない気をつかう。疲労のもとにもなるし、そういうものについてはやっぱり避けたいというわけですね。

高原 全車に採用しているということは重要なコンセプトというか、ねらいですね。

三坂 そうです。だからブロアムだけに付いているとか、そういうようなものはよくないんじゃないかなというふうに考えているんですね。

高原 その中でいろいろと車種によって味付けされたんでしょう?

三坂 そう、味はね。味というのは、先ほどのグランツーリスモとは違っているように、役割分担はそれぞれあるんだけども、味の違いはそれなりにあっても、売れ数として落ちるとはあんまり言えないんだけど、1ランク下の足は使いたくなかったんですね。

----------------------------------------------------------引用ここまで

走るの次は曲がるの話です。
クラウンが120でフレームを一新してロイヤルサルーンに4輪独立懸架を採用したのに対して、Y30は全車リヤリジッドに留まっていましたから、商品力の点で大きなビハインドとなっていました。

当然、4輪独立懸架を採用してくるのは読めたのですが、営業車を切り離して乗用車系全車に採用というのはインパクト大でした。デザインが変わったのはもちろんですが、この点も新世代を実感させるものがあったのです。読み違えていたのは私だけではなく、そこにはクラウン陣営も含まれていました。こちらは130で4輪独立懸架をハードトップの一部に拡大するものの、Y31の乗用車系全車採用の前には完全に後手の感が否めず。結局マイナーチェンジでY31系とほぼ同様の採用率に引き上げることとなります。


ここでは語られてはいませんが、販売の最前線を経験されていたことで、何がイメージ構成や商品力として効くのか敏感に捉えていたのだろうと推測するところです。



三坂氏が「セドリックらしいかもしれない」と語る、クラシックSV。
Y30時代まではSGL名で比較的売れ筋のグレードでした。語られているとおり、大事に考えられたグレードですが、Y31以降、上級指向が顕著となる中で販売比率は下がっていくこととなります。



引用ここから----------------------------------------------------------

高原 エアサス仕様とグランツーリスモ系と標準仕様と3タイプの足を設定されたんですけど、これの各々の特徴を軽く・・・。

三坂 まずエアサスはさっきの何とかと何とかの両立というやつでありますけど、やっぱりバネ定数が変えられるというのは一つプラスですわね。そういうことでエアサスを付けようというのはそういう意味なんですよね。やっぱりいちばん苦労したというか気にしたのは、差ですよね。スポーティの足とノーマルの足の差。あの足の差をどれくらいにするかというのがひとつ気にしたところですね。これはいわゆる材料を一つ増やしたんだから、一つのクルマで二つの足というか、そういうことですね。

 それからノーマルというかブロアムのメカサスのほう、あれについてはいろいろ実験の連中とも乗りながらやったんですが、固さというか、それについてはやっぱりセドリックの分というか、そんなものがあるような気がしてね。僕はもっと固くできるかなと思ったんですけども、やっぱりテストコースで走るのと一般路とではぜんぜん違うわけですね。テストコースだとノーマルなやつを、グランツーリスモじゃないやつはやっぱりやわらかいんですよ。ところが街へ出ると固いんですよ。まあ固いといってあの程度なんですね。これはやわらかいと思っていたんですけど、実験の連中は、こんなに平らな高速で走れる公道なんかないんだから、一般路を走ってみたらすぐ分かりますよといって、夜中に外へ出てみたんだけど、やっぱり一般公道というのはかなり悪いですね。でこぼこもあるしね。そういう意味ではあの程度が分というか、セドリッククラスだと。

 グランツーリスモはもっと固くするとかいう話はあったんですけども、今までアーバンとかアーバンXとかありましたけども、あのクルマの後継なんですけど、やっぱり昔のアーバン系というのはほとんど売れなかったんですね。


高原 あ、そうなんですか。

三坂 あれは2%ぐらいしか売れてないんですね。今度のやつはグロリア系で2割ぐらい売れてて、セドリック系で1割ぐらい売れてて、トータルで14%ぐらい売れているんですね。だから、市民権というと変だけど、セドリックの中にこういうバージョンがあって、それを一つのテコにしてセドリックの方向というものを出そうとしたときには、売れなきゃやっぱり話題にもならんし、そんなセドリックあるの?という話になっちゃうし、それじゃ設定した意味がない。そういう制約を考えていくと、あんまりガッチガチにできなかったということがあるんですね。だからそういう制約をなしに、もう一つつくれというんなら、まあできるということ。10%以上の構成を取ろうとすると、それもあの程度・・・。あと少し固くするかやわらかくするかではあるんだけれども、その差というのはあの程度だなと言っておりますがね。

----------------------------------------------------------引用ここまで

その4輪独立懸架ですが、味付けの話を細かく語られています。
従来あったスーパーソニックの進化版の意もある最上級のエアサス。これは完全に別物ですね。
あとはメカサスですけれど、グランツーリスモ系とそれ以外のセッティングをどこに置くのか。サスペンションの変更で操安がよくなるのは当然として、乗り心地をどうするかというのは、選択される際の重要ポイントだけに本当に難しかったようです。

グランツーリスモ系の販売比率は、以前に引用した部分でもありますが、再掲。これまた以前に掲載していますが、アーバン系を遡ると、SGLFに行き当たります。ブロアムとは違ったお洒落感を求めたシリーズですね(この話に関するBlogはこちら)。もっともあくまでも主流はブロアムにあったのも事実。ユーザー層の傾向からするとシリーズの柱がもう一本必要と判断されたときに、新たに出てきたのがグランツーリスモです。
このシリーズは従来とは一転して大成功を収めることとなります。言われている比率は初動のものであって、この後はどんどんグランツーリスモ系の比率が上がっていくこととなるのです。
今でもY31というとグランツーリスモを想像される方は多いのではないでしょうか。セドリック/グロリアの変化の象徴を重ねられる存在ですね。




ほとんど売れなかったと語られているアーバン系。
スポーティ&ファッショナブルを求めて、主に内装部分を変えていますが、外装部分はほぼノーマルのままだったこともあり、知名度の低さも相まって、差別化に苦労していた印象があります。


引用ここから----------------------------------------------------------

高原 ちょっとお聞きしたかったのは、今までのセドリックユーザーというものの操縦性と乗り心地の評価というのはどういうふうに変わってきているか・・・。

三坂 乗り心地、操縦性の評価というのはあんまり返ってないんですよ。というのは、あんまりそういうふうに乗っておられなかったんだと思うんですね。あの中型クラスのクルマというのはそういうもんだというふうだったんだろうと思うんですよ。だからこれは操安が悪いとか、そういう話は余り聞かなかったわけです。もちろんジャーナリストの方にはいろいろ言われました。こんなものクルマじゃない、というようなこともありましたけども、一方、お客さんからはあんまりそういうふうに言われなかったんですね。でもいいものはいいだろうと。言わなかった人でもね。よくすることについては反対はないはずなんで、そういう分類をしたんですけども。今までの2Lについて操安性が悪いというようなものはそうはなかったですね。

高原 スーパーソニックサスの廃止というのもなんかもったいないなという・・・。

三坂 そうですね。初めそんなのもあったらどうかなって言ってたんですけども、スーパーソニックサスは5リンクと組み合わせてやっているでしょう。今回、エアサスを最上級の足として使っているでしょう。アーバンXに付いて、ですけども、そういう意味で、エアサスのセンサーって11基あるんだけども、ああいうやつで今までのスーパーソニックサスペンションを上回るものができたということで、スーパーソニックサスペンションを止めたんですよ。先ほどのあれと同じように、1番上があって、スーパーソニックサスがあって、普通のサスがあってもいいじゃないかという話はありますがね。ああいうのは車種をつくるのは大変なんですよ。前のができればいいってもんじゃなくて、足も変わっちゃったしね。

高原 そうそう簡単にはつくれない。

三坂 そうはできないですね。

----------------------------------------------------------引用ここまで

操安に関して、ユーザーの反応とジャーナリストの反応の違いというのが面白いところです。Y30まで採用されていたルースクッションシート等と絡めつつで、こんなものクルマじゃないという評論も確かに存在していました。高価格という点もあって、強い批判にさらされていたのですが、ユーザーの方はむしろ達観していたと言えるのかもしれません。
こういった結果からすると、ジャーナリストの反応を無視するというのも選択肢の一つだったはずですが、そうなることはありませんでした。

他誌ではありますが、Y30後期のインプレに対する開発者の回答として、「やれるだけのことは現モデルで手を打ちました。まだ十分でないこともあり、次のモデルに盛り込んでいきたいと考えています」というのがあったのですが、それが盛り込まれたのがY31ということなのです。

スーパーソニックサスに関して、足が変わったというのを理由に挙げられていますが、リヤセミトレとの組合せはレパードが先に出ていますので、出そうと思えば出せた気はします。これもまたリソースの制約ということなのでしょう。その後の結果からすると、この選択は正しかった気がします。



引用ここから----------------------------------------------------------

高原 最後にまとめとして、全体像とセールスポイントを。

三坂 今回、要するに全体像としてはやはりユーザー層を見直してみると。それに合うような形にクルマ自体をしようとしたということなんですね。それに尽きると思うんです。そういう意味ではユーザー層が急に変わったわけじゃなくて、従来変わってて我慢しておられた方がいるんじゃなかろうかと。そういう我慢をしていただいている方に我慢しなくて済むようなものにしたいというのがありましたね。それが今回のコンセプトの初期の基本の考え方ですね。

 それに伴ってセリングポイントが出てくるんですけど、やっぱりいま売れるポイントの最大はスタイルですよ。

 先ほどのスタイルとの関係もありますけども、塗装なんかも今回はずいぶん気を使いました。工場の設備を含めてずいぶん変えたんですよ。欧州のトップレベルの塗装とそう見劣りのしないレベルにつくったと思っています。エンジンがあって、足があって、屋根があって、ということでいくと、400万円と100万円とどこが違う?という話がありますが、それぞれが違う。それがやっぱり高級車としてのセリングポイントだと思っているんですね。そういう部分を今回は最大限やってみようということでございます。


----------------------------------------------------------引用ここまで

まとめとして、挙げられているのは、ユーザー層が変わっているのに車の方が変わっていなかったということなのでしょう。歴史を振り返ると、やはり330から430の時に大きく変わって、その後のY30で進化はしたものの、変化はしなかったというのが大きい気がします。その分、Y31は大きく変わったと言えるかもしれませんね。

で、思想の部分が変わっているのに、売れる最大のポイントにスタイリングを挙げるというのが意外です。もっとも三坂氏らしい気はします。
この回の三坂氏の話は私の好きな回の一つなのですが、その中でも、最後の部分は印象に残っています。

この頃既に、高級車とは何かという論がありましたが、何か突出したものではなく、トータルのパッケージとしての高級車というのは説得力があります。
高級車とは何かというのは、今も続くというか、今だからこそやりたくなるお題でもありますけれどね。


といったところで、いかがだったでしょうか。
セドリック/グロリアの長い歴史の中で、エポックメイキングの一つとして、確実に挙げたくなるのが、このY31です。
何がエポックなのかというと、技術的な部分よりもむしろ思想的な部分だと思っています。

グランツーリスモの時にもかなり書いていますので、詳しく書くことは避けますが、クラウンの存在抜きには語ることが難しかった両車が、独自の世界を確立したというのは、それぐらい大きなことなのです。そして、その世界観というのは、クラウンへも影響しただけでなく、今でも上級セダンの価値観として通用するものを持っているのですから。

三坂氏は、この両車を成功させ、さらにシーマを「現象」とまで呼ばれる更なるヒットに導いています。その後は、開発部門の統括に上がられ、以降はあまり印象としては残っていないのですが、トヨタがプログレを開発する際に、製品化を急いだ理由として、三坂氏が同じことを考えているはずだから、というのがあったくらいですから、ユーザーの求める製品への勘というのは変わらず優れたものだったことを想像させます。

私の中では、スカイラインを語る時に桜井真一郎氏の存在が欠かせないように、Y31を語る時には欠かすことができない方なのです。
名車の背景には必ず優れた開発者がいる、ということで今年分の設計者の想いを締めたいと思います。

長文になり易いこのシリーズへのお付き合いをありがとうございました。
また、引き続き来年以降もよろしくお願いいたします。


(データの参考・引用:斜字・下線部)
・自動車ガイドブック

(画像の引用元)
FavCars.com
2016年12月21日 イイね!

ニットテープヤーンの話

ニットテープヤーンの話いきなりではありますが、「ニットテープヤーン」という言葉をご存知ですか?
5年ほど前にアパレル業界で話題になった「テープヤーンニット」ではなく、あくまでも「ニットテープヤーン」です。

ご存知とされる方はきっと私と同じ領域に属される方だと思います(笑)。
この言葉は70年代のトヨタ車のシート生地の一つとして、当時はレザーやファブリックと並ぶ形で記載されていました。

まだまだ言葉の意味も知らなかった幼少時代、ビニールレザーとファブリックの違いは何となく判っても、なんだこれ?ということで私の記憶に強い印象として残ったのです。


今回は、その「ニットテープヤーン」に関する調査結果について、備忘録を兼ねて残すことにします。


先ずは、「ニットテープヤーン」とは何かという話から

ニットは、「編み物。編んだ服や布地。」を意味する言葉となります。テープヤーンは、こちらによるとテープ形状の糸だそうです。テープのように扁平(平べったい)形状を指すとも。
二つの言葉を組み合わせると、テープ形状の糸を編んで作った生地ということになりますね。

「テープヤーンニット」はセーター等で使われた言葉ですが、「ニットテープヤーン」はシートの生地名というのは、大きな違い。編み物を指すというあたりは織機を発祥とする会社らしいと言えそうではあります。



タイトル画像には、ニットテープヤーンが一番解り易い画像は・・・ということで、2代目マークIIGSLのシートの画像を用いてみました。シートサイドがビニールレザーで、センター部分が今回話題とするニットテープヤーン。編み物らしい独特の風合いを感じていただければと思います。

なお、調査・説明に際して、メーカーサイトにあった当時のカタログ画像を引用しています。

主眼は、車種説明用の外装画像と今回の主題となるシート画像なのですが、編集の都合からインパネ画像を残してあるものもあります。



話はさらに続いていきます。
次は、どの車から始まって、どんな車種に採用され、どのあたりで終わったのかという話です。

採用車種こそ何となくで掴んでいたものの、それ以外は長い間把握できなかったのですが、さすがの情報化社会でありまして、調べを進めることで、この辺りも最近、完全ではないながらも、ほぼ把握できてしまいました。

以下、採用順に列記していきます。

2018/8/7 初代カリーナの終期について誤記を確認したため、修正しました。

2017/11/30 初代マークIIと4代目コロナの追加と、それに伴い2代目マークIIと5代目コロナの記載内容を変更しました。また、初代セリカの終期について誤記を確認したため、修正しました。


●初代 セリカ GT(1970/10 ~ 1975/101977/1

初採用は、当時かなりの話題となった新車種の最上級グレードとなります。

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当時のプレスリリースにはこの採用に関して、次のように記載されています。

引用ここから--------------------------------------------------------------

GT仕様には、新設計のビニールテープの編物(ニット)をシート材質に使用している。とくに通気性にすぐれている。

--------------------------------------------------------------引用ここまで

まだ布地のシートではなく、ビニール生地のシートが主流だった時代、冷房の普及も少ない中では、通気性の確保はとても重要だったのです。


その後、追加されたGTV(1972/8~)にも同じシートが採用された後、LBにも形状こそやや変更されるものの、生地自体は同じものが採用(1973/4~)されています。
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終期は、5051年排ガス規制の適合に伴う、大幅改良時。この時にはGTVも含めたGT系は、ざっくりとしたツィード調の布地へ変更されています。



●初代 マークII GSS/GL(1971/2 ~ 1972/1)

セリカGTに初採用された約2ヶ月後に2度目のマイナーチェンジが行われたマークIIにも、早速採用されています。

設定はGSSの標準装備の他、GLにも従来のグランド織に加えて選択可能というやや変則的な形でした。ここで興味深いのは、GLのスポーティ版となるGSLは従来通り通気性発泡レザーのままだったことです。

全体的な設定のされ方から、ややスポーティな印象の強いニットテープヤーンですが、初期にはラグジュアリー系での採用も模索していたのかもしれませんね。

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画像の引用元:FavCars.com


画像は、同型の後期セダンながら1700DXとなりますので、参考ということにて。



●4代目 コロナ 1900/2000SL(1971/2 ~ 1973/8)

マークIIのマイナーチェンジとほぼ同時に追加されたコロナ1900SLにも採用されています。

それまでの1600/1700SLは通気性発泡レザーでしたから、セリカGT同様、最上級グレードらしい特別感の演出ということなのでしょう。この時点では、マークIIとの関係が微妙な所ではありますが。
4代目コロナは、1900を追加した僅か半年後の1971/8にマイナーチェンジ、さらに翌1972/8にもマイナーチェンジが行われますが(この時、1900から2000に変更)このシート地の関係は不変でした。

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画像の引用元:FavCars.com


画像は、1900SLの初登場時。
シート地の他、バンパーガードの追加、ラジエターグリル・ホイールキャップ・エンブレムの意匠変更等、独自の仕立てが各所にありました。



●初代 カリーナ GT(1971/4 ~ 1977/81977/1

セリカの兄弟車となるカリーナですが、GTの設定は登場と同時ではないため、セリカよりも後となります。シート形状は異なるものの、生地はセリカと同じくでの採用です。

約2年後に追加されるHT系、さらにその1年後にHTのみ追加された2000GTも、という具合に採用グレードが拡大されていきます。

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セリカと同時に行われた50年排ガス規制への適合では、GT系のうち1600は廃止されたため、HT2000GTのみとなりますが、シート生地はそのままモデルチェンジ51年規制適合時まで継続されています。51年規制適合時にニットテープヤーンからツィード調の布地に変更されたのはセリカと同様です。

初代セリカとカリーナについては、GT系の専用装備となりますね。



●2代目 マークII GSL/GSS/LX(1972/1 ~ 1976/12)

GSSは継続となりますが、GLの選択装備からGSLの標準装備という形で整理が行われています。一つ下のSLは通気性発泡レザーの継続でしたので、上級スポーティの演出の一つでもありました。
この時点で上級スポーティグレードに設定するという方向性が固まったと言えるでしょうね。

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2代目で追加となった6気筒系にも、翌1973/8にスポーティグレードのLXが追加され、GSLと同じシートが採用されています。
これらグレードの内、GSSは50年規制適合時にグレード設定が落とされますが、GSLとLXはエンジンの変更のみで継続され、モデル終期までシートの変更はありませんでした。



●初代 スターレット ST Gパッケージ(1973/4 ~ 1975/10?)

パブリカの上級として新発売されたスターレットは、セダンよりもクーペが先に発売されています。クーペのグレードは、フリーチョイスと名付けられ、セリカで先行導入されたフルチョイスシステムがやや簡素化された設定でした。

数多くの選択が可能でしたが、事実上の最上級となるST Gパッケージにニットテープヤーンが設定されています。

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外装画像はSTに適当なものがなかったため、SRで代用しています。

ピンホールが設けられた、一見セリカGT風のシートは、その生地もあって、上級感を訴求していました。


なお、スターレットの終期に?を付けた理由を余談半分で記載しておきます。
継続生産車への50年規制の適用開始時期は1975/12/1からとされていました。(1975/10に50年規制車が大量に導入された理由でもあり)。その一方でカローラ等他車を含めた乗用車系の3Kエンジン搭載車は、50年規制適合車が存在せず、1976/2/2に51年規制適合車が登場していることから、その間空白の時期があったと推測できるためです。(同時期、1400と1600のみで構成されたカローラのカタログの存在は確認済)



●5代目 コロナ 2000SL(1973/8 ~ 1975/10)

コロナは、1973/8に5代目へ進みますが、2000SLには新たに追加されたセダンも含めて、引き続き採用となりました。この時、新たに濃淡2色のテープを折り合わせることで、豪華さをより訴求するという改良が行われています。

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終期は、50年排ガス規制の導入に伴うグレード廃止。
翌1976/6には、EFIからキャブレターに変更され51年規制に適合した新たな2000SLが追加されますが、こちらは2000GTに採用されてたバケット形状に、部分ファブリックという組合せが新たに起こされたため、ニットテープヤーンの復活とはなりませんでした。



●3代目 カローラGSL/スプリンターGS(1974/4 ~ 1976/12)

時期からすると、2代目カローラ/スプリンターでの設定があってもよさそうですが、実際の導入は3代目からとなります。新たに設定された、スポーティ&ラグジュアリー系の最上級グレードのシート生地とされています。

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1975/10の50年規制適合時には、レビン/トレノ系こそバリエーションから落とされましたが、GSL/GSはツインキャブからシングルキャブへの換装のみで、そのまま継続されたため、翌年のマイナーチェンジまではニットテープヤーンの採用が続いています。

ちなみに1976/1登場のリフトバックでもシート生地の設定は同じでした。



●5代目 クラウン セダン デラックス(セパレートシートのみ)(1974/10 ~ 1976/11)

クラウンについては、登場時期からしても4代目のSLに採用されているのではないかと推測するのですが、確証が得られなかったため、ここでは割愛。

ここまではスポーティ系のグレードでの採用でしたが、5代目クラウンでは意外なグレードに採用されています。

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同じデラックスでも、ハードトップ系は通気性発泡レザー、またセダン デラックスでも6人乗りは部分ファブリックと細かく分けられているため、表題のとおりになります。

このグレードだと、スポーティさを狙ってというよりは、ビニールの持つ耐久性の高さを買われてなのかなと推測できます。

ただし、採用期間はあまり長くなく、中期型へのマイナーチェンジの際には、6人乗りに合わせる形でセパレートシートもセミファブリックとされています。



1975/10に大幅に採用車種が減り、さらに1976年末にはカリーナGTのみとなった採用車種が一度なくなるニットテープヤーンでしたが、新たなる復活があったことでもう少し継続されることとなりました。



●2代目 セリカGTV(1977/8 ~ 1978/9)


1975/10の変更により、セリカからは設定がなくなっていたニットテープヤーンですが、2代目セリカへのモデルチェンジにより、GTVのみ再びの採用となっています。

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ただ、この復活、あまり長くは続かず、翌年にGTVに替わるGTラリーが新たに設定されると、そちらではソフトビニールレザーが採用されたことで、ニットテープヤーンの設定はしばらくの間、途絶えることとなります。



私的には、長い間ここまでがニットテープヤーンの歴史だと思っていました。
ところが、この後もさらに意外な車種での採用があったのです。

乗用車ではファブリックが主流となったことで役目を終えたのですが、まだビニールが主流だった商業車での活用が図られることとなります。



●ランドクルーザー40 Lパッケージ(1980/8 ~ 1981/8)

ランドクルーザーの56が60にモデルチェンジされた際、40系には新たにGパッケージが設定されています。Lパッケージにはニットテープヤーンが採用され、標準グレードのビニールレザーよりも上級感を訴求していました。

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カラーコーディネートから一見では判別が難しいのですが、センター部の目の細かさはニットテープヤーンならでは。

ただ、これまた長くは続かず、翌年に部分改良が入った際には、Lパッケージはファブリックに変更されてしまいます。



●2代目 ハイエース バンDX(1980/10 ~ 1982/8)

ランクルに続いての採用は、ハイエースバンでした。

意外と小改良が多いモデルですが、後期型に該当するバン デラックスに採用されています。

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画像の引用元:FavCars.com


画像は、ディーゼル追加時のものですが、実際はこの後のバンパーが黒くなったモデルとなりますので、シート画像は省略します。

3代目ハイエースにバトンタッチするまで、最後の活用が図られました。


といったところで、いかがだったでしょうか。
当初は、最上級グレード用に開発されたシート生地が、時代を経る中で、スポーティグレード → 廉価グレード → 商業車へと転用されることが明確な構図となっていると思います。

1970年の時点では、ビニールレザーが主流だった乗用車のシートも、70年代半ば過ぎにはファブリックに主流が移っていく中では、ニットテープヤーンの採用が難しくなっていくのも自然な話ではあります。

その間、布地の改良により耐久性が確保できるようになったという技術的側面がありますし、排ガス規制の強化に伴うスポーティグレードの縮小や、それらと入れ替わる形でモケットシートを中心とする室内の豪華さを強調したエクストラインテリアの展開という時代的背景も、影響しているのは間違いありません。

今では、本革シートが好まれる一方で、それに追随する形で人工皮革も採用事例が増えてきています。一見ニットテープヤーンの復活の可能性はあるように思えますが、空調機能の充実が、その昔のような通気性を要求していないことに気付かされます。

そもそも、当時の生産設備は遥か昔に失われているのでしょうし。


最後の採用から、間もなく35年を経ようとしていますから、実物を体験している方も少ないのだろうと思います。だからこそ、こうした形で形跡を残しておくのは、多少なりとも価値あることだと思いたいですね。 
Posted at 2016/12/21 23:43:23 | コメント(9) | トラックバック(0) | カタログ話(雑談編) | クルマ
2016年12月18日 イイね!

オレンジ色の車(みんカラ投稿企画)

一つ前の投稿に注力していたため、完全に出遅れてしまいましたが、気を取り直して、取り掛かってみました。ここまで参加した以上、ここだけ不参加というわけには参りませんし(笑)

いつもなら最初に殿堂を一台挙げるのですが・・・、今回は1台の特別枠選定が誠に困難なため、6台並列としました。

挙げたクルマを見ていただければ、並列もご納得いただける選択ではないかと。

〇いすゞ ベレット(GT typeR)

画像の引用元=qsya.blog136.fc2.com

私が生まれる前に登場したクルマながら、旧車雑誌等で印象に残ったクルマです。
長らくの間、GT-Rだと思っていたのですが、GT typeRとのこと。生い立ちはレーシングカー由来だそうで、なるほど納得です。



〇三菱 ギャランGTO

画像の引用元=FavCars.com

こちらも私の生まれる前に誕生したクルマです。旧車雑誌で・・・というのは上のベレットと同様。こちらは白のイメージもありますが、同世代のギャラン共々、挙げても納得の一台ではないかと。



〇日産 チェリー

画像の引用元=FavCars.com

古いクルマが続きます。
日産はフェアレディZの432Rが筆頭なのですが、画像に苦しみ、それならばということで次点のこちらを選抜。これは2ドアのGLですが、スポーティモデルのX1との組合せの方が印象強く。
テールランプの大きくなった後期では、ターコイズに近いブルーのGLの印象が強くなりますが。

この下のレビンまでは、黒いボンネットとの組合せも似合うクルマ達です



〇トヨタ カローラ レビン

画像はメーカーサイトより引用

このレビンは、緑の時に予想された方もいたのですが、僅か半年の前期(カローラとしては中期)のカタログを持つ身としては、こちらを挙げたくなる次第。

トレノや後期だと、ご指摘のとおりモスグリーンの印象が強くなりますね。

次点は2代目パブリカのSR。トヨタのGTにはモスグリーンを筆頭に挙げたい一方で、SRにはこちらの系統の色を挙げたくなるというのが、面白いところであります。



〇ホンダ シビックRS

画像の引用元=FavCars.com

これも、挙げなくてはならない一台でしょう。
世代的には、この後の2代目シビックCXや初代アコードGXの方が親近感がありますが、それらもこれへのオマージュと言えますし。

時を隔てて、フィットRSが再びこの色を求めたというのは有名な話ですね。



〇スバル レオーネ スイングバック

画像は自動車ガイドブックから一部編集して引用

間もなく80年代を迎えようという時期に登場。
レオーネ自身が2代目で一クラス上に上がった隙間を狙ったクルマですね。
そんな生い立ちからバリエーションが広かったのですが、この前期1.8 4WDはイメージカラーだったオレンジの印象が強くなります。1.6 SRXだと青ですね。



ということで、他色に比べると年代が古くなる気はします。
2000年代になってくると、日産やホンダが再びこの色を前面に出し始めますが、その中間となる80・90世代の印象が抜け落ちてしまうため、このような結果となりました。

それにしても、並び順は名車が並んで見事ながらも、実車よりは誌面からの方がイメージ構築に貢献している感は拭えません。



ここまでだと普通に終わってしまいますが、特別枠を二枠いただくことにしました。
ご笑覧いただければ幸いです。

〇日産 セドリック


画像の引用元=FavCars.com


〇日産 ローレル

画像の引用元=FavCars.com


メーカーからはカッパーブラウンの名で出されていましたが、印象としてはオレンジに近いというのがこの色でした。太陽光の下だとその印象はより一層。両車共にイメージカラーだったこともあって、見かける機会も多かったです。

同時代のトヨタはエクストラカッパーを前面に出していた頃でありまして、街中にはハイオーナーカーであってもカラフルなクルマ達が多く走っていました。

再びこの種の色に脚光をということではないのですが、白と黒の両極端ばかりでなく、有彩色がもう少し増えると街中が華やかになる気がしますね。
Posted at 2016/12/18 09:19:56 | コメント(9) | トラックバック(0) | みんカラ投稿企画 | クルマ
2016年12月17日 イイね!

40年前に登場したクルマ

40年前に登場したクルマオレンジ色のイメージのクルマというお題が出ていますが、こちらを先に投稿することにします。

最近時折挟むメモリアル企画ですが、年末間際に登場するクルマというのも少ないわけで、今年分としては今回が最後となると見込んでいます。(今年最後は、ブログ投稿ではなく、あくまでもメモリアル企画ですので、お間違いのないよう)

そんな今年最後のメモリアル企画に相応しい1台を取り上げることにします。

その車とは、今から40年前となる1976年12月17日に発表、同日発売された3代目マークIIです。
40年前ともなると、ここを見られている方でも当時を実体験で知る人は限られてくるのかもしれませんね。

振り返ればこの企画、年初に2代目ソアラを取り上げていまして、年末に3代目マークIIという配置は、自分の思い入れ的にも実に最適な選択であるわけです(笑)

それぐらい、このマークIIは、私のクルマ感の形成に大いに影響した一台であることだけは間違いありません。



思い入れを入れつつで思い出を語っていくと、長くなる予感ですので、先に3代目マークIIの概要を紹介してしまいます。

3代目マークIIは、排ガス規制の対策に苦慮していた時期を挟んだため、先代登場から4年11か月の時を経てモデルチェンジを受けました。
先代は、スカイライン/ローレルという強大なライバル車の前に惨敗に近い状態となったこともあって、エンジンこそ先代からの継続となりましたが、それ以外は、デザインはもちろんシャシー関係も一新、各種性能の充実を図るため大きな変更がされています。

充実の中には、車種体系も含まれていて、最上級グレードとしてLGツーリングとグランデ(スペイン語で大きな・高いの意だそうです)が新たに設定されることとなりました。グランデにはシリーズ初となる2600も設定されています。


先ずは、ワゴンを含めつつでセダンを主にご紹介。


セダン 2000GL(4速コラムMT)

全長:4,530mm
全幅:1,670mm
全高:1,415mm
ホイールベース:2,645mm
車両重量:1,075kg
最高出力:100PS/5,500rpm
最大トルク:15.5kg・m/3,600rpm
東京地区標準価格:1,090,000円

画像の引用元:FavCars.com



主なバリエーション等は、下の画像をご参照くださいませ。(1800追加・2000EFIの53年規制適合後ですので、バリエーションは登場直後とは異なります)



ボディサイズが拡大されただけでなく、先代では4気筒と6気筒で作り分けられていたフロントノーズ部を共通にするという合理化が図られています。デザインも旧型のセミファストバックからノッチバックスタイルに大変身。ロングノーズショートデッキのスタイルは、キャビンデザインは近い安全コロナを前後に引き延ばしたようでもあります。

インパネも、ビッグカリーナに続いて内部構造を一新し、上段に空調関係・下段にオーディオを構える構成に変更。シンプルかつ明確なそのデザインは、80年代以降の標準構成ともなりました。



続いてはハードトップ。


ハードトップ 2000GSL(5速フロアMT)

全長:4,530mm
全幅:1,670mm
全高:1,390mm
ホイールベース:2,645mm
車両重量:1,135kg
最高出力:100PS/5,500rpm
最大トルク:15.5kg・m/3,600rpm
東京地区標準価格:1,285,000円

画像の引用元:FavCars.com


同じくバリエーションはこちら。



変更点はセダンと同様ですが、ハードトップは先代がファストバックでしたので、ノッチバックへの変更はセダン以上に一新された印象が強いものでした。セダン比で10cmキャビンを短くしていますので、こちらはロングノーズ・ロングデッキに類すべきでしょうね。

マークIIの名を冠していますが、パッケージングや想定ユーザー層は初代ソアラに近い所にあります。全体的な印象は、グランデ名を先に使ったマスタングIIと重なるのが興味深いところです。

先に紹介している後期
との比較では、本来は注文装備ながらも半ば標準装備状態だった衝撃吸収バンパーがこちらでは未設定である点が最も大きい気はします。マイナーチェンジでは豪華さを強調する方向に走ったこともあって、全体的にシンプル指向が強いのが前期の特徴となります。安全コロナでの挑戦とその成功を受けて、同様に本質的な美しさを追求しているということからすると、前期型の方が思想が素直に表現されていると言えるのかもしれません。


サスペンションは、先代のフロント:ダブルウィッシュボーン、リヤ:5リンクリジッドから、フロントはストラットに変更、リヤはリジッドに加えて、上級グレードにはセミトレーリングアームが新たに設定されています。トヨタの4輪独立懸架は、2000GT以来ということで大きくアピールしていましたが、日産車に近い構成になったとも言えます。
ブレーキも、4独車には新たに4輪ディスクが採用されています。

この基本構成は、2代後のX70系まで踏襲されることとなります。



概要はこのぐらいで、以下は思い出と思い入れの話。

父が2代目を購入後、半年で登場した3代目ですが、大きく変わったなというのが第一印象でした。これを機に2代目は一気に古く映るようになったことも否めません。

当時、新興住宅街に類されるところに住んでいて、お隣さんが登場直後に初代カローラからルミナスゴールドのセダン2000GL・ATに代替。これを皮切りにご近所でもポツポツと増えていきました。ご近所界隈だとセダンGLや同L等の中級グレードが多くて、上級グレードやハードトップは街中で見かけるぐらいだったように記憶しています。


もっとも、ここまでなら、きっと新型はいいよねで終わっていたと思います。それを超える思いを抱かせたのは、最上級として新たに設定されたグランデの存在です。特にトヨタが当時展開していたエクストラシリーズと連動させる形で新色設定された、エクストラカッパーとの組合せですね。

元々父親は、2代目でも最上級のセダンLGをラブリーマルーンで買いたかった人ですから、目標を再設定させるに十分過ぎましたし、それを隣で見ていた私も多大なる影響を受けることとなりました。このクルマがなければ、私のクルマの好みは違っていた可能性は高いですし、クルマが特別好きにはならなかった可能性すらあります。
そういう意味では、最初に触れたとおり、今の私の基礎の大半はこのクルマが形作っていると言っても過言ではありません。幼少時代の経験というのは、何かと影響が大きいのです(笑)


このグランデ、クラウンの上級グレードに手が届かない層に向けて、イメージリーダーも兼ねての設定と推測しています。
専用装備となる、オートエアコン・パワーウィンドー&電磁ロック、モケットシート等は、クラウンのロイヤルサルーンに匹敵する当時の最高水準にある豪華装備でした。唯一、リヤワイパーだけは、必要性が疑問視されたようで、後期にマイナーチェンジする際に標準設定から外されていますね。

アクセサリー過多という評価も一部にはありましたが、世の旦那衆を魅了するだけの魅力がそこにはあったのです。もっとも、私がこのクルマが好きと言うと、「小学生なのに渋いクルマが好きだね」とか「ああいうのは後席に乗せて貰うクルマだよ」と耳にしたこともあったりですが(笑)


間違いなく企画が秀逸だったと思いますし、実際想定以上に売れもしたようで、トヨタにとってもいい商売となったはずです。グランデを追う形で、ルーチェはリミテッド、ローレルはメダリストを追加しますし、スカイラインも徐々にグランデの世界観に寄ってくることとなります。

この後、マークII3兄弟の大成功する基礎となったのは、一つには初代クレスタが提示したパーソナル感が挙げられますが、もう一つには間違いなくこのグランデがあります。それだけのインパクトのあったグランデは、ここから30年近く、基本的な世界観は変わらないままマークII終焉まで存在し続けることになります。


父の想いが飛び火した私は、当時どんな車よりも憧れたものです。父の友人が買われたのを羨ましく思いつつ、ずっと家に来ればいいのにと願い続けて、幸いにもその願いはかなったものの、あまり時間を経ずに家から離れていったのですから、尚更なのです。旧車に類されるようになってからも、欲しいと思ったことも数回。エクストラカッパーのセダングランデって、今でも私の中で特別な位置に存在しています。

自分名義の最初のクルマに、マークIIグランデを選択したのは、父が直前に購入した影響もありますが、この3代目の面影を重ねていたことも間違いありません。

それは父もきっと同じだと思います。
3代目後期の中古を購入しただけでなく、カローラに乗り続けている間も、いつかはマークIIに戻るぞと秘め続け、再び81のセダングランデを購入。今でもそのクルマに乗り続けているのですから。


それだけに「本当に残念」の一言に尽きるのは、そんなグランデがマークIIという名称共々消されてしまったことです。それまでの歴史を封印し、新たに与えられたマークXという名称が、私的感情をだいぶ冷ましてしまったことは否めません。
もしかすると、現車の代替の時も、マークIIグランデを名乗る存在が存続していたとしたら、そちらを購入していたのかもしれませんし。

新たな需要を狙って名称を消すということは、自身を振り返ってそういうことなのだと思います。


脱線しそうなので話を3代目に戻しますと、私的には「もう40年も経ったのか」なんですよね。81の最終型でも20年以上経過しているのですから、計算していくとなるほどとなるのですが、単体だけだと、そんな昔には思えません。

当時の人気車だけに比較的残っていて、旧車イベント等では見かけることも多いのですが、実車を前にすれば、直ぐにあの頃に戻れるような気がするのです。

(データの参考・引用:斜字・下線部)
・自動車ガイドブック1977-78年版
Posted at 2016/12/17 06:12:47 | コメント(7) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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