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2019年02月25日 イイね!

1992年のエテルナのオプションカタログ

1992年のエテルナのオプションカタログここのところ、意図せずながらもブログではトヨタ車ばかりが続いていますので、何か良さげなネタがないかと、もはや魔窟と化している(笑)カタログ保管棚を詮索。ふと見つかったのが、このカタログでありました。

タイトル画像からお判りのとおり、1992年にギャランと時を同じくしてモデルチェンジされたエテルナ。かなりのマイナー車であろうことは疑いようもなく、更にオプションカタログともなると、相当なレアネタであることも異論はないかと思います。

今回は、このカタログをお題に話を進めていくことにいたしましょう。1992年5月の発行とありますので、登場当初のものとなるようです。


以下、カタログに沿って進めていきます。

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最初に掲載されているのは、オーディオとなります。
三菱グループ内にオーディオメーカーがあった関係もあり、歴代の三菱車のカーオーディオ(特に上級グレード)は、ライバル車と比べると豪華なシステム構成となることが常でした。このエテルナも、上級グレードはCDチェンジャーコントロール機構付きのフルロジック1DINサイズオーディオを標準設定。市販品では同機能が付いた製品が主流となっていたものの、純正品ではラジオ・カセットのみの方がまだまだ多かったですから、一歩先んじていたと言えます。標準のスピーカーも、フロントドア・リヤトレイの両方に16cmが設置されるだけでなく、インパネにも10cmが設置された6スピーカー構成という豪華さ。

更にオプションでは、ライブビジョンと名付けられたTVモニターも選択可能(ナビゲーション付はMMCSとなります)。更なる上級車には、オーディオやエアコンコントロール機能を組み込んだマルチモニターが人気を集めていて、こちらもMMCSが設定されていましたが、そうした機能を持たないものも選択可能というのが珍しくありました。
この配置だとモニターがインパネの上段を占めてしまい、操作頻度の高そうなエアコン&オーディオが下に追いやられてしまうのですが、操作性よりも見た目の豪華さを追うことが許された時代ですね。



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オーディオの紹介が続きます。
中級グレードには、チェンジャーコントロール機能なしの1DINサイズ・カセットデッキが標準。こちらもCDプレーヤーやCDチェンジャーの追加が可能でした。
CDチェンジャーは6連奏をトランクに床置き。トランク容量は限られてしまいますが、音飛びを減らすにはこの位置が良くて、こうした装着は市販品含めて多くみられました。

右頁は純正品と入れ替える形の市販品の紹介。
ここでは、三菱・パイオニア・ケンウッドの3社が並んでいます。各社がカーオーディオで激戦を繰り広げていた時代で、ほぼ機能や値段は横並びながらも、デザイン等には各々の主張があったことが見て取れるかと思います。



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AV製品が続きます。後席モニター、カービデオ、電子手帳等、当時のミドルサルーンとは思えない設定がされていました。ディアマンテやデボネアの用品と紹介されても違和感がありません。

近年ではETC2.0が受信の役目を担うビーコンが出始めた時期となります。アンテナをリヤボード上に置くというのは珍しいと思います。熱線が電波を遮断する要因となるため、フロントのダッシュボード上に置くのが後の主流となっています。



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セーフティに類されたオプションです。
コーナーセンサーは左側のみでリモコンポールはフロントのみ設定されていました。
他車では他の位置の設定もありましたが、必要度の高い位置のみとされていた形です。



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セーフティのオプションが続きます。
この見開きにあるのは、同年代のオプションカタログで既視感のあるものばかりです。チャイルドシートが3銘柄設定というのは珍しいかもしれません。


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スポーティに類されたオプションです。
大人し目の位置付けを意識してか、エアロパーツの設定はリヤスポイラーのみで、フロントやサイドの設定は無。こうした設定は珍しい気がします。

アルミホイールはメーカーオプションで設定されていたのが、ディーラーオプションでも選択可能ということだと思います。



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ドレスアップ/コンフォートで類されたオプションです。
私の最大の驚きが、このウッドパネルでした。何と木目調ではなく、ゼブラウッド製の本木目です。当然、それなりのお値段設定となっていまして、相当な希少アイテムだと思います。バブルの残り香としても、ミドルサルーンでそこまで求められていたのかは当時でも謎であります。

バイザーやナンバーフレームは一種類のみの設定。廉価品はなく、上級品のみが設定されている形ですね。



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前頁とは逆のコンフォート/ドレスアップとされたオプションです。
比重が逆ということですね(笑)

この中ではツールクッションが珍しいと思います。上級グレードのみの設定ですし、この価格なら標準設定でも良かったような・・・。



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レジャーで類されたオプションです。

チェーンは、14インチは標準的なスチールの設定ですが、15インチはスプリングチェーンとスーパーサイルチェーンのみでした。注意書きからすると、ホイールハウスのクリアランスが少ないためということのようですが、フロント装着の想定の割にクリアランスを詰めていたことを想像させます。

ラック類も多数の設定がされていました。今では、積載を求めるならセダン以外でとなりそうですが、当時はラック類で対応するというのも多く見られました。ラック類のステーはルーフモール部に設置ということで、モールが別部品で設定されているというのは当時ならではのきめ細かさに感じます。



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シートカバーはフル・ハーフ共に3種類の設定。近年ではこうしたハーフカバーの設定は無ということが多く、設定があっても1種類止まりが殆どです。当時は、販売店の付属品設定を上と中から選んで(グレードで分ける場合もあり)、お安いのは付けたいけれど価格を抑えたいという分かれ方でした。複数設定もそれなりに意味があったのです。



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フロアカーペットも3種類の設定。柄だけでなく、毛足の長さと密度も見せているのは珍しくかつ良心的だと思います。長くみっちりが高くなるのはお約束ということで(笑)



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最後に表表紙と裏表紙を見開きで。
裏表紙だけだと何やら・・・ですが、リヤスポイラーを付けたリヤビューなのですね。

といったところでいかがだったでしょうか。
あまり取り上げられる機会も少なかろうというクルマですので、諸考察を書いてみます。

エテルナは、新型車ミラージュの発売に合わせて新たに設立されたカープラザ店向けのギャランというのが元々の出自でした。ギャランシグマエテルナ→エテルナシグマという名前の変更はあるものの、大同小異のバッジエンジニアリングの関係が3世代続いています。その関係が崩れたのは、この型の先代となります。

先代ギャランでは、ギャランシグマの4気筒セダンを置き換える形でシグマ名を取り去り、4ドアセダンのみで先行発売。この時点では、ハードトップ及び6気筒セダンはギャランシグマ・エテルナシグマの両方に設定される一方、エテルナシグマのみ4気筒セダンも残されています。

その後、従前のエテルナシグマを残しつつ、ギャランをベースにやや屋根を低くした5ドアのエテルナをカープラザ向けに発売。その翌年、ギャランのマイナーチェンジと合わせる形で、5ドアのルーフラインをベース=ギャランよりもルーフラインを低くした4ドアセダン、エテルナ・サヴァがエテルナシグマの4気筒セダンの後継として追加されています。このサヴァについては、三菱流解釈のカリーナEDあるいはエメロードの前史と見ることができるかと思います。

残されたシグマ系は、その後3ナンバーサイズに拡大されたディアマンテ・シグマが後継となるのですが、今回のお題からは外れるため、ここでは触れずとします。

こうしてギャランと別の外観を纏ったエテルナは、この代になってルーフラインだけではなくボディデザインを大きく変えるという選択を取りました。先代、特にギャランは男性受けしたものの女性受けが今一つという市場調査結果があったようで、ギャランは先代のイメージを受け継ぎつつややマイルドに寄せる一方、エテルナでは更に女性受けを意識したボディデザインとされています。別ボディの想定があったからこその戦略ではあったのですが、実を伴ったとはいい難い結果に終わりました。結局、次世代ではアスパイアに名を変えて、ギャランとのバッジエンジニアリングに戻されています。シグマ時代を含めた歴代視点で見ると、この世代は大きな差別化を行えた唯一の世代と見ることができるわけです。


実を伴わなかったについては、ギャランを含めて語る必要があるかと思いますので、時を遡りしつつで、もう少し対象を広げて書いてみます。
ギャランは、元々コロナ・ブルーバードと同クラスに位置していましたが、1976年にシグマというサブネームを付けて以降は、従前からの2大ライバルに加えて、マークII・ローレルといった上級車との競合も意識した車格設定が行われるようになりました。車種数の少なさを補えること、(半ば系列専用車と化していたデボネアを除けば)三菱の最上級車となること、(結果的に)トヨタ・日産との直接競合を避けられること等に意義を見出したからなのですが、一方で車格の位置付けの曖昧がキャラクターを不鮮明にした弊害をもたらしもしました。

車名をギャランに戻し、本来の車格に戻したのがこの先代となるのですが、この代では先に書いたディアマンテ・シグマという上級車が加わったにも関わらず、以前の中間車格に戻った感が否めません。おそらく国内専用車ではなく輸出への配慮もあったのだろうとは思うのですが。

コロナ・ブルーバードと比較した時には3ナンバーサイズや6気筒エンジンが贅沢に映る、またマークII・ローレルと比較した時にはボディサイズの小ささもありやや格落ちに映るというのが競争力の阻害となりました。比較の仕方次第とも言えるのですが、当時はネガ>ポジという捉え方が一般的だったように思います。

加えて、不運だったのは登場の少し前まで極限状態に膨らんだバブル景気の崩壊。
これまで持て囃された贅沢さというのは、一転して敬遠されることとなりました。当時、コロナ・ブルーバード等の伝統ブランドを除きこのクラスで人気を集めたのは、プリメーラ・レガシイといった質実剛健なクルマたちで、その点ギャラン共々三菱は、先代で獲得したこのクラスの販売シェアを他社に譲ることとなってしまいます。急遽、三菱もお買い得グレードを前面に出しての再構築を図りますが、当初のイメージを覆すには至りませんでした。こうした経緯を辿ったこともあり、次世代のセダンでは新開発のGDIを前面に出した1800と最上級の2500V6ターボという中間が抜けたバリエーションで構成されるに至ります。


今視点で見ると、全長4,610mm×全幅1,730mm×全高1,395mmで構成されるボディサイズは大き過ぎず、エンジンルームには小排気量のV6が搭載ということで中々面白い存在に映るのですが、時代の巡り会わせに恵まれませんでしたね。

見方にも依りますが、プログレ・ブレビス、ユーノス500、アスコット・ラファーガといった小型高級車が見直されているのであれば、この兄弟も同じ再評価があってもよいように思うのです。


俯瞰的視点で見ていったときに、このエテルナというのは意欲的な取組がありながらも、評価されずに終わった一台ということになるかと思います。同じような経緯を辿った同時代の車となると、クロノス兄弟が先ず筆頭、同じ三菱だとエメロードが先に思い浮かんできます。また三菱の小排気量V6だと、同年代のミラージュ・ランサーですよね。これらはマイナー車視点で語られることがあるものの、このエテルナというのはそこからも外れた稀有な存在に映ります。ボディスタイルにその象徴を見るのですが、何となく無色で強い主張も感じないのが、その理由の一つかもしれません。

だからこそ、こうした機会で振り返ってみるのも趣深い気はします。同時代のクルマたちを対象としたミーティングにこのクルマ、それがさらに今回取り上げたようなオプションを纏った姿ともなれば、注目を集めることは間違いないと思うのです。少なくても私は視線を奪われます。

最後は無理繰りまとめた感もありますが、日本車の長い歴史の積み重ねの中にあっては、埋もれつつある存在だけに、こうした機会に改めて着目していただけると、取り上げた身としてもとても嬉しく思います。
2019年02月07日 イイね!

カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3追加編)

カタログで振り返る身近にあった車の足跡(その3追加編)前回の更新より間が空いてしまいました。

その間、マイファン&みん友の仕組みはフォロー&フォロワーへ移行。5年以上の長期(?)に渡り使ってきた中で、一番大きな変更かなと思うところです。これまでの申請→承認という経由を経なくても相互に繋がれますし、また隠れファンというのも存在できなくなった訳で、広く浅く明らかにの方向とは言えますかね。。。正直、まだまだ使いこなせる気はしませんが、ユーザーの意向を押し切って変ってしまった以上、慣れていくしかないのでしょう。

使いこなせていないは、実は言い訳でもありまして、フォローがフォロワー数に全く追いついていない状況については、当面ご容赦いただくよう、お願い申し上げます。


・・・といったところで、さて今回の更新ですが、自車ネタは今のところ取り上げられるような持ちネタなしということで、カタログネタから2代目マークII-Lでやることにします。


今回話題にする、このクルマ、父が乗っていたということで、初期のブログで取り上げているのですが、ずっと探し続けていたカタログをついに入手できましたので、カタログを主で思い出は追加分のみを従にして書いていこうと思います。


ずっと探しながらも、見つからなかったのはこちらのカタログとなります。
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両表紙に見開きも加えて、1枚の画像となっています。
リヤシートの上に、貴族的な(?)アイテムを散りばめた構図ですね。


このカタログについて、マニア視点で解説すると、2代目マークIIの初期型のカタログは、バリエーション追加や一部改良に対応する形で2年弱の期間の内に、3回の改訂が入っています。以前取り上げたのは第1版で、今回のは第4版。第3版までは一部を除き、基本的にセダン&ワゴンとハードトップで分かれていたのですが、第4版ではさらに6気筒だけが独立しています。中期以降は、バン以外が全て一冊にまとめられていますので、この時期特有の別れ方でもあります。

父が買ったクルマは、昭和48年4月製造で第4版の時期に該当するため、このカタログをずっと探していたのですが、流通期間は僅か4ヶ月程度であることに加えて、遡ること40年以上という時間の経過も大いに影響して、存在を知ってから10年以上の時を費やすことになってしまいました。

今回は説明の都合もあり、第2版の時に追加され、単独のカタログが作られた、Lツインキャブのものも抜粋して取り上げてみます(タイトル画像はこちらの表紙から)。こちらは幼少時代に入手したものとなりますが、今からだと入手は同じく難しかろうと推測するところです。


かくして、2代目マークIIの初期型6気筒のみを取り上げることとなったのですが、このモデル&グレードに特化した取り上げ方というのは、前例があるのかいな、と思ったりします。別の言い方をするなら、ここらしい取り上げ方と言えるかもしれません(笑)

さて、いつもの悪い癖で前置きが長くなってしまいました。
ここからは、本題のカタログ話に入っていくことにします。

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最初は見開きを使って、グリーン・スパイスM(メタリック)のツインキャブ・5速のハードトップが掲載されています。下はツインキャブ専用カタログから(以下、同じ順で掲載)、ムーンライト・ラベンダーMの同グレード。

この時点では、GSSを別として、この仕様がシリーズ最上級グレードであり、イメージリーダーでもありました。6気筒は、当初シングルキャブ仕様の4速とATのみが設定されていましたが、約半年遅れで新たに5速を加えた上でツインキャブ仕様が上位追加とされています。

マークIIは4ドアのイメージの方が強いかもしれませんが、3代目までのイメージリーダーはこちらの2ドアハードトップがその役割を担っていました。

ボディデザインには、アメリカ車からの影響を受け、この時代の最先端だったファストバックを採用。ブルーバードU、ローレル、スカイライン、ルーチェと同クラスの2ドアハードトップ達は、皆同じ領域にあったと言っていいと思います。

必然的にCピラーは太く、リヤウィンドーの下端は高くということで、バックカメラもなかった時代、後方視界は極めて限られるという欠点はあったものの、世の大人達はこのデザインに熱狂したんですよね。


このホイールは、GSSが先行採用したもので、初期型6気筒系ではツインキャブ5速の専用装備でした。好評だったようで、中期以降はLX・LGに(末期にはGSLにも)展開されています。サイズは、他グレードよりワンサイズ幅広い5J×14。
このホイールに組み合わされているタイヤは、リボンがないことから、オプションのワイドラジアル。ワイドといっても、あくまでも当時の基準という事で、サイズは185/70R14ですし、構造も今の主流のスチールではなくテキスタイルとなります。スポーツカーでもラジアルの採用はまだまだ少なかった時代ですね。



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続いては、セダンツインキャブのリヤビュー。
上段はミッドナイト・ブルーMかパープリッシュ・グレーMのAT、下段はシュノンソ・ホワイトの5速となります。

AT・5速共に、エンブレムで主張できた時代ですね。両仕様間でエンブレムの位置を変えているという芸の細かさも判ります。エンブレムは、オイルショック前ということでその数の多さ=豪華さの主張というのもこの時代の特徴です。

画像は非装着車のようですが、パワーステアリング装着車は、現在のハイマウントストップが多く設置されている位置(後年、71や81でESCやTEMSのステッカーが貼られた位置)に「POWER STEERING」のステッカーが誇らしげに貼られていました。多くのディーラーの標準在庫には、装着車も含まれていたこともあり、メーカーオプションの中でも装着率は高かったようです。タイヤがはるかに細いとはいえ、150kg以上のエンジンを搭載していますから、今基準だと必須装備と言えるでしょうね。

ATが履いているダブルリボンのバイアスが標準のタイヤとなります。

セダンでは、ハードトップほどのファストバックは成立せず、こちらはセミファストバックの分類。それでも他のセダンと比べると、スペースよりもスタイリング重視だったことは明白です。



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イメージリーダーはツインキャブに譲りましたが、台数はこちらの方が多かったように思えるシングルキャブの2台です。

奥はパレンツ・シルバーMのハードトップ、手前は先に掲載したツインキャブATと同じクルマらしきセダンとなります。

カタログには、ツインキャブとシングルキャブ間でエンブレムが異なると書かれていますが、配置や数は同じはずだったため、色違いがあったのかな、ぐらいでしょうね。新たな探求のお題でもあります(笑)

ツインキャブの画像と見比べると判るのですが、セダンとハードトップでの共通部品はAピラーより前のみで、それより後ろは全くの独自デザインでした。加えて、フロントグリルも異なるデザイン。このクラスのスペシャルティーカーが存在しなかった当時は、この種のハードトップがその種の需要に応えていたことから、こうした変え方が必要だった訳です。


父が乗っていたのは、以前に書いたとおり、ミッドナイト・ブルーMのセダンシングルキャブでした。
このカタログ、よく見るとセダンの前後バンパーにフェンダーポールを模したらしき落書きがありまして、実は家にあったのも付いていたものですから、むしろ喜んでしまった次第。リヤポールは設定がなかったか、あるいは入手不可だったかでフロント用にステーの延長加工を施した上で付けたと記憶しています。
セダンでもトランクエンドは全く見えませんでしたから、リヤポールは実用にも役立つ用品でありました。固定式でしたから、付けた時点で自動洗車は利用不可となってしまったんですけれどね。



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上はAT、下はMTのインパネ。

インパネカラーは、ゴールドと名付けられた内装色のみカラードとなりますが、他の内装色ブラック・ブルー・レッドには全てこの黒が用いられていました。

ヒーターコントロールの右下のレバー追加とセンターの吹き出し口の変更から、エアコン装着車であることが判ります。(エアコンレスの場合は、上のリンク先をご参照ください)

ステアリングコラム脇にチョークレバーがあるので、共にツインキャブ仕様。シングルキャブのエアコン付は、同位置に”TOWN”と書かれたアイドルアップのスイッチが付いていました。スイッチ関連で記すと、まだこの時代は、ライトやワイパー等、今では位置がほぼ確定したものも含めて、計器類や各種スイッチ等の配置には、様々な試行錯誤がありましたが、そんな中では比較的整理された配置が行われているように思います。

また、作り込みの緻密さも高いレベルにありました。内装のトヨタという評が立ち始めた頃ですね。


サイドブレーキは初期型のみステッキ式。センターコンソールはその分、広く取れるはずが、高さが低くて、あまり容量の恩恵はありませんでした。

第4版の画像で一つ気になったのは、グローブボックスの開閉ボタンです。同時期に、回してあけるつまみに変更されているはず(家にあったのはつまみの方で、取扱説明書への反映も確認済)なのですが、カタログはボタンのまま、変更されていません。



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続いてはインテリア画像。

左はハードトップのフロントシート。右はセダンのリヤシート。
第4版の方は内装色ブラック、ツインキャブ専用カタログは内装色ブルーで掲載されています。

内装色ブルーは、第1版のレッドと共に、中期型まで設定されていました。

当時らしいブラックと当時でも珍しいブルーの対比とも言えますね。意見が分かれるかなと思いつつも、明るくて涼しげなこのブルーの内装色って、私は今でも好ましく感じます。これに影響されているのだろうと思うのですが、明暗が選べるなら、今でも明るい内装色を優先して選ぼうとしますし。もっとも、時代は巡って、今ではブラックが殆どとなってしまいましたね。

シート地には、その後一世を風靡するモケットは登場前で、こうした織物生地が高級を訴えていました。
ハードトップはもちろん、セダンもパッケージングは明らかに前席優先ながら、センターアームレストやパーソナルランプ等、後席向け装備も充実しているのは興味深い点です。



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シングルキャブとツインキャブのエンジンが並んで掲載されています。
当時は、ヘッドの上に丸いエアクリーナーを置くのがシングルキャブ、ヘッドの横に横長のエアクリーナーを置くのがツインキャブのお約束で、エンジンフードを開けた時の識別点でもありました。パワフル=燃料を多く燃やす時代でしたから、メンテナンスの容易さと合わせて両者に需要があったんですよね。

さらにツインキャブには、ハイオク(M-B)とレギュラー(M-BR)の両仕様があって、ここではパワフルなハイオク仕様が掲載されていますが、後にレギュラー仕様に絞られていくこととなります。

タイヤは北海道地区を除いたバイアスのみチューブレスで、その他はラジアルを含めてチューブ付きが標準でした。5速仕様は、タイヤ&ホイールの設定だけではなく、バネも強化されていたようです。中期以降では、Lをシングルキャブのみとする一方、ツインキャブの特に5速仕様をよりスポーティなLXに発展させた形ですね。



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主要装備一覧表には、表が小さくて落書きもある第4版ではなく、ツインキャブ専用版を掲載してみます。

表中の5速と外装関係3項目がツインキャブ専用となるのみで、その他はシングルキャブも変わりません。
今の視点では明らかにシンプルな装備に映るかと思います。パワステ、パワーウィンドー、エアコン、ステレオというフル装備の基準は、ハードトップのみパワーウィンドーが標準というだけで、残りは全てオプション。トランクオープナーやリモコンミラーといった装備でさえ、中期以降に加えられたものとなります。それでも当時基準では、十分に高級車に属せる充実ぶりだったのです。

ボディカラーを第4版と比べたところ、セダンのウォーム・シルバーMが、この表ではハードトップのみ設定のあるパレンツ・シルバーMに統合となっていました。全体的に、セダンの方は落ち着いた濃色の設定が多い一方で、ハードトップの方は明るい色が多いという対比となっています。

当時のボディカラーは、ボディ別に加えてグレード別での使い分けもあり、4気筒まで範囲に加えると、ハードトップとセダンだけでも全22色が複雑に入り組んで設定されていました。オイルショック以降は、さすがに無駄という事で色の統合が行われています。



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ボディサイズは、全長4,420mm×全幅1,625mmですから、縦方向はカローラアクシオと同等、横方向は明らかに一回り小さいサイズとなります。重量は、1,100kg+α。ここに6気筒の2000ccを積むのですから、動力性能は十分パワフルと言えるレベルにありました。
もっとも、このエンジンの最大の価値は、4気筒では味わえない静粛性と滑らかさにあったのですが。

私の長らくの誤解に、シングルキャブ仕様の最高出力がありました。初期型は110馬力で、中期以降は115馬力と信じ込んでいたのですが、実はクラウンのマイナーチェンジに合わせる形で、48年1月を境に115馬力にパワーアップしています。家にあったのは、初期型=110馬力と当然のように思っていまして、真実を知るのに30年以上の時間を要しました(笑)。中期以降は、排ガス対策のデバイス追加が入り込んできますので、家にあったのが一番パワフルだった世代となります。その価値を知らず、フロントマスクが大幅に変わった後期に憧れていたんですよね。

当時の憧れと言えば、5速に親子して憧れたものです。これも今視点でスペックを見ると、クロスレシオに加えて最終減速比も低い5速は、シフト回数が増えるばかりで、動力性能のメリットはあるものの、静粛性や経済面でのメリットはほぼなかったように見受けられます。5速のシンクロは、この時代特有のポルシェタイプというのも特徴的ではあり。
こうしたことだけでも、何事も思い込みというのは恐ろしいものであります。



この2代目マークIIは、登場直前まで次世代コロナとして構築された初代と、ミニクラウンの価値観で礎を築き、その後の方向性を決定付けた3代目の谷間で、マークIIというクルマのキャラクター作りを模索していた世代にあたります。

コロナとクラウンの線上から離れて、パーソナルやスペシャルティにその解を求めたというところですが、その結果として、想定したほどの支持が得られることはありませんでした。その理由には、あまりトヨタらしくないデザインやキャラクターであることや、直接のライバルとなるスカイライン・ローレルという日産の両車が強かったことを見出すことができます。しかしながら、何より最大の影響は、中期以降、マークIIとは真逆の実直な方向で構築し、オイルショック以降の世相の波にも乗れた安全コロナが直ぐ隣で売られていたことでしょうね。当時の販売台数を調べてみると、コロナは、5代目が登場以降、同クラスのベストセラーに駆け上がり、そのまま長らく存在し続けた一方、マークIIの台数は反比例するかのように、急降下となってしまっていたりします。

新車当時ですら、そんな状況だったのですから、3代目登場以降の中古車市場においては、それに輪をかけて苦しい様相となり、ついには不人気車の代名詞的存在ともなってしまいました。(ちなみに、同時代のもう一つの筆頭格は、ブルーバードU)
メーカーの方はそんな状況に対して、大きなテコ入れを図ることもなく、比較的早期から解体送りという淘汰が始まった印象が強かったりします。その結果、80年代半ばには後期も含めて、街中で見かける機会は激減していたように記憶しています。

それだけに、今でもマークIIという切り口で振り返る際には、初代や3代目は取り上げられることはあっても、この2代目というのはそれらの添え物扱いとなっているように思います。メーカー視点では、当時は不人気ながらもその後見直されたクジラクラウンとも異なる、ある種黒歴史的な扱いとなっていることを感じずにはいられません。


こうして、書き進めてくると否定的な内容が続いてしまうのですが、誤解のないように書くと、だからといって、私の中の思いが揺らぐことは一切ありません、とは。特別な思い入れを持つ一台と迷わずに言える存在なのです。


クルマの評価というのは、特に新車時代には、性能や相対的意義、さらには好嫌も絡めつつで語られることが大半です。これが旧車の域に達すると、当時の評価や後世への影響という観点が主に移るでしょうか。

でも、それら視点からの評価というのは、どんなに論を積み重ねたとしても、各人の思い入れや思い出という価値観の前には、何の意味も成さないものと自戒を込めつつで思います。これは別にクルマに限らずですが、好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。


以下、2019/2/11追記
いただいたコメントに導かれて、この型の6気筒セダンで忘れることのできない一台を画像を上げつつで紹介することにします。

altalt

altalt

画像は「太陽にほえろ!」から。
同番組では300回前後(1978年頃)から登場。596回(1984年)で壊されるまで、一定期間で入れ替わる覆面車=広報車以上に、長く使われたクルマでした。同番組に限らず、放映時期が重なる「大追跡」や「俺たちは天使だ!」でもその姿を確認することができます。

内装色がブラックでバックランプ脇にエンブレム付となるため、ホワイトのAT車をベースに下半分を黒で塗ったようです。登場からしばらくはキャップレスでしたが、末期には(センターマーク無となる)後期4気筒用キャップを装着していました。

この型の本職の警ら用としては4気筒が使われましたので、劇用ならではの仕様ではあるのですが、家にあったクルマの姿と重ねつつで当時はTV画面を眺めていたのです。

プロフィール

「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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