
前回の更新より間が空いてしまいました。
その間、マイファン&みん友の仕組みはフォロー&フォロワーへ移行。5年以上の長期(?)に渡り使ってきた中で、一番大きな変更かなと思うところです。これまでの申請→承認という経由を経なくても相互に繋がれますし、また隠れファンというのも存在できなくなった訳で、広く浅く明らかにの方向とは言えますかね。。。正直、まだまだ使いこなせる気はしませんが、ユーザーの意向を押し切って変ってしまった以上、慣れていくしかないのでしょう。
使いこなせていないは、実は言い訳でもありまして、フォローがフォロワー数に全く追いついていない状況については、当面ご容赦いただくよう、お願い申し上げます。
・・・といったところで、さて今回の更新ですが、自車ネタは今のところ取り上げられるような持ちネタなしということで、カタログネタから2代目マークII-Lでやることにします。
今回話題にする、このクルマ、父が乗っていたということで、
初期のブログで取り上げているのですが、ずっと探し続けていたカタログをついに入手できましたので、カタログを主で思い出は追加分のみを従にして書いていこうと思います。
ずっと探しながらも、見つからなかったのはこちらのカタログとなります。
両表紙に見開きも加えて、1枚の画像となっています。
リヤシートの上に、貴族的な(?)アイテムを散りばめた構図ですね。
このカタログについて、マニア視点で解説すると、2代目マークIIの初期型のカタログは、バリエーション追加や一部改良に対応する形で2年弱の期間の内に、3回の改訂が入っています。以前取り上げたのは第1版で、今回のは第4版。第3版までは一部を除き、基本的にセダン&ワゴンとハードトップで分かれていたのですが、第4版ではさらに6気筒だけが独立しています。中期以降は、バン以外が全て一冊にまとめられていますので、この時期特有の別れ方でもあります。
父が買ったクルマは、昭和48年4月製造で第4版の時期に該当するため、このカタログをずっと探していたのですが、流通期間は僅か4ヶ月程度であることに加えて、遡ること40年以上という時間の経過も大いに影響して、存在を知ってから10年以上の時を費やすことになってしまいました。
今回は説明の都合もあり、第2版の時に追加され、単独のカタログが作られた、Lツインキャブのものも抜粋して取り上げてみます(タイトル画像はこちらの表紙から)。こちらは幼少時代に入手したものとなりますが、今からだと入手は同じく難しかろうと推測するところです。
かくして、2代目マークIIの初期型6気筒のみを取り上げることとなったのですが、このモデル&グレードに特化した取り上げ方というのは、前例があるのかいな、と思ったりします。別の言い方をするなら、ここらしい取り上げ方と言えるかもしれません(笑)
さて、いつもの悪い癖で前置きが長くなってしまいました。
ここからは、本題のカタログ話に入っていくことにします。
最初は見開きを使って、グリーン・スパイスM(メタリック)のツインキャブ・5速のハードトップが掲載されています。下はツインキャブ専用カタログから(以下、同じ順で掲載)、ムーンライト・ラベンダーMの同グレード。
この時点では、GSSを別として、この仕様がシリーズ最上級グレードであり、イメージリーダーでもありました。6気筒は、当初シングルキャブ仕様の4速とATのみが設定されていましたが、約半年遅れで新たに5速を加えた上でツインキャブ仕様が上位追加とされています。
マークIIは4ドアのイメージの方が強いかもしれませんが、3代目までのイメージリーダーはこちらの2ドアハードトップがその役割を担っていました。
ボディデザインには、アメリカ車からの影響を受け、この時代の最先端だったファストバックを採用。ブルーバードU、ローレル、スカイライン、ルーチェと同クラスの2ドアハードトップ達は、皆同じ領域にあったと言っていいと思います。
必然的にCピラーは太く、リヤウィンドーの下端は高くということで、バックカメラもなかった時代、後方視界は極めて限られるという欠点はあったものの、世の大人達はこのデザインに熱狂したんですよね。
このホイールは、GSSが先行採用したもので、初期型6気筒系ではツインキャブ5速の専用装備でした。好評だったようで、中期以降はLX・LGに(末期にはGSLにも)展開されています。サイズは、他グレードよりワンサイズ幅広い5J×14。
このホイールに組み合わされているタイヤは、リボンがないことから、オプションのワイドラジアル。ワイドといっても、あくまでも当時の基準という事で、サイズは185/70R14ですし、構造も今の主流のスチールではなくテキスタイルとなります。スポーツカーでもラジアルの採用はまだまだ少なかった時代ですね。
続いては、セダンツインキャブのリヤビュー。
上段はミッドナイト・ブルーMかパープリッシュ・グレーMのAT、下段はシュノンソ・ホワイトの5速となります。
AT・5速共に、エンブレムで主張できた時代ですね。両仕様間でエンブレムの位置を変えているという芸の細かさも判ります。エンブレムは、オイルショック前ということでその数の多さ=豪華さの主張というのもこの時代の特徴です。
画像は非装着車のようですが、パワーステアリング装着車は、現在のハイマウントストップが多く設置されている位置(後年、71や81でESCやTEMSのステッカーが貼られた位置)に「POWER STEERING」のステッカーが誇らしげに貼られていました。多くのディーラーの標準在庫には、装着車も含まれていたこともあり、メーカーオプションの中でも装着率は高かったようです。タイヤがはるかに細いとはいえ、150kg以上のエンジンを搭載していますから、今基準だと必須装備と言えるでしょうね。
ATが履いているダブルリボンのバイアスが標準のタイヤとなります。
セダンでは、ハードトップほどのファストバックは成立せず、こちらはセミファストバックの分類。それでも他のセダンと比べると、スペースよりもスタイリング重視だったことは明白です。
イメージリーダーはツインキャブに譲りましたが、台数はこちらの方が多かったように思えるシングルキャブの2台です。
奥はパレンツ・シルバーMのハードトップ、手前は先に掲載したツインキャブATと同じクルマらしきセダンとなります。
カタログには、ツインキャブとシングルキャブ間でエンブレムが異なると書かれていますが、配置や数は同じはずだったため、色違いがあったのかな、ぐらいでしょうね。新たな探求のお題でもあります(笑)
ツインキャブの画像と見比べると判るのですが、セダンとハードトップでの共通部品はAピラーより前のみで、それより後ろは全くの独自デザインでした。加えて、フロントグリルも異なるデザイン。このクラスのスペシャルティーカーが存在しなかった当時は、この種のハードトップがその種の需要に応えていたことから、こうした変え方が必要だった訳です。
父が乗っていたのは、以前に書いたとおり、ミッドナイト・ブルーMのセダンシングルキャブでした。
このカタログ、よく見るとセダンの前後バンパーにフェンダーポールを模したらしき落書きがありまして、実は家にあったのも付いていたものですから、むしろ喜んでしまった次第。リヤポールは設定がなかったか、あるいは入手不可だったかでフロント用にステーの延長加工を施した上で付けたと記憶しています。
セダンでもトランクエンドは全く見えませんでしたから、リヤポールは実用にも役立つ用品でありました。固定式でしたから、付けた時点で自動洗車は利用不可となってしまったんですけれどね。
上はAT、下はMTのインパネ。
インパネカラーは、ゴールドと名付けられた内装色のみカラードとなりますが、他の内装色ブラック・ブルー・レッドには全てこの黒が用いられていました。
ヒーターコントロールの右下のレバー追加とセンターの吹き出し口の変更から、エアコン装着車であることが判ります。(エアコンレスの場合は、上のリンク先をご参照ください)
ステアリングコラム脇にチョークレバーがあるので、共にツインキャブ仕様。シングルキャブのエアコン付は、同位置に”TOWN”と書かれたアイドルアップのスイッチが付いていました。スイッチ関連で記すと、まだこの時代は、ライトやワイパー等、今では位置がほぼ確定したものも含めて、計器類や各種スイッチ等の配置には、様々な試行錯誤がありましたが、そんな中では比較的整理された配置が行われているように思います。
また、作り込みの緻密さも高いレベルにありました。内装のトヨタという評が立ち始めた頃ですね。
サイドブレーキは初期型のみステッキ式。センターコンソールはその分、広く取れるはずが、高さが低くて、あまり容量の恩恵はありませんでした。
第4版の画像で一つ気になったのは、グローブボックスの開閉ボタンです。同時期に、回してあけるつまみに変更されているはず(家にあったのはつまみの方で、取扱説明書への反映も確認済)なのですが、カタログはボタンのまま、変更されていません。
続いてはインテリア画像。
左はハードトップのフロントシート。右はセダンのリヤシート。
第4版の方は内装色ブラック、ツインキャブ専用カタログは内装色ブルーで掲載されています。
内装色ブルーは、第1版のレッドと共に、中期型まで設定されていました。
当時らしいブラックと当時でも珍しいブルーの対比とも言えますね。意見が分かれるかなと思いつつも、明るくて涼しげなこのブルーの内装色って、私は今でも好ましく感じます。これに影響されているのだろうと思うのですが、明暗が選べるなら、今でも明るい内装色を優先して選ぼうとしますし。もっとも、時代は巡って、今ではブラックが殆どとなってしまいましたね。
シート地には、その後一世を風靡するモケットは登場前で、こうした織物生地が高級を訴えていました。
ハードトップはもちろん、セダンもパッケージングは明らかに前席優先ながら、センターアームレストやパーソナルランプ等、後席向け装備も充実しているのは興味深い点です。
シングルキャブとツインキャブのエンジンが並んで掲載されています。
当時は、ヘッドの上に丸いエアクリーナーを置くのがシングルキャブ、ヘッドの横に横長のエアクリーナーを置くのがツインキャブのお約束で、エンジンフードを開けた時の識別点でもありました。パワフル=燃料を多く燃やす時代でしたから、メンテナンスの容易さと合わせて両者に需要があったんですよね。
さらにツインキャブには、ハイオク(M-B)とレギュラー(M-BR)の両仕様があって、ここではパワフルなハイオク仕様が掲載されていますが、後にレギュラー仕様に絞られていくこととなります。
タイヤは北海道地区を除いたバイアスのみチューブレスで、その他はラジアルを含めてチューブ付きが標準でした。5速仕様は、タイヤ&ホイールの設定だけではなく、バネも強化されていたようです。中期以降では、Lをシングルキャブのみとする一方、ツインキャブの特に5速仕様をよりスポーティなLXに発展させた形ですね。
主要装備一覧表には、表が小さくて落書きもある第4版ではなく、ツインキャブ専用版を掲載してみます。
表中の5速と外装関係3項目がツインキャブ専用となるのみで、その他はシングルキャブも変わりません。
今の視点では明らかにシンプルな装備に映るかと思います。パワステ、パワーウィンドー、エアコン、ステレオというフル装備の基準は、ハードトップのみパワーウィンドーが標準というだけで、残りは全てオプション。トランクオープナーやリモコンミラーといった装備でさえ、中期以降に加えられたものとなります。それでも当時基準では、十分に高級車に属せる充実ぶりだったのです。
ボディカラーを第4版と比べたところ、セダンのウォーム・シルバーMが、この表ではハードトップのみ設定のあるパレンツ・シルバーMに統合となっていました。全体的に、セダンの方は落ち着いた濃色の設定が多い一方で、ハードトップの方は明るい色が多いという対比となっています。
当時のボディカラーは、ボディ別に加えてグレード別での使い分けもあり、4気筒まで範囲に加えると、ハードトップとセダンだけでも全22色が複雑に入り組んで設定されていました。オイルショック以降は、さすがに無駄という事で色の統合が行われています。
ボディサイズは、全長4,420mm×全幅1,625mmですから、縦方向はカローラアクシオと同等、横方向は明らかに一回り小さいサイズとなります。重量は、1,100kg+α。ここに6気筒の2000ccを積むのですから、動力性能は十分パワフルと言えるレベルにありました。
もっとも、このエンジンの最大の価値は、4気筒では味わえない静粛性と滑らかさにあったのですが。
私の長らくの誤解に、シングルキャブ仕様の最高出力がありました。初期型は110馬力で、中期以降は115馬力と信じ込んでいたのですが、実はクラウンのマイナーチェンジに合わせる形で、48年1月を境に115馬力にパワーアップしています。家にあったのは、初期型=110馬力と当然のように思っていまして、真実を知るのに30年以上の時間を要しました(笑)。中期以降は、排ガス対策のデバイス追加が入り込んできますので、家にあったのが一番パワフルだった世代となります。その価値を知らず、フロントマスクが大幅に変わった後期に憧れていたんですよね。
当時の憧れと言えば、5速に親子して憧れたものです。これも今視点でスペックを見ると、クロスレシオに加えて最終減速比も低い5速は、シフト回数が増えるばかりで、動力性能のメリットはあるものの、静粛性や経済面でのメリットはほぼなかったように見受けられます。5速のシンクロは、この時代特有のポルシェタイプというのも特徴的ではあり。
こうしたことだけでも、何事も思い込みというのは恐ろしいものであります。
この2代目マークIIは、登場直前まで次世代コロナとして構築された初代と、ミニクラウンの価値観で礎を築き、その後の方向性を決定付けた3代目の谷間で、マークIIというクルマのキャラクター作りを模索していた世代にあたります。
コロナとクラウンの線上から離れて、パーソナルやスペシャルティにその解を求めたというところですが、その結果として、想定したほどの支持が得られることはありませんでした。その理由には、あまりトヨタらしくないデザインやキャラクターであることや、直接のライバルとなるスカイライン・ローレルという日産の両車が強かったことを見出すことができます。しかしながら、何より最大の影響は、中期以降、マークIIとは真逆の実直な方向で構築し、オイルショック以降の世相の波にも乗れた安全コロナが直ぐ隣で売られていたことでしょうね。当時の販売台数を調べてみると、コロナは、5代目が登場以降、同クラスのベストセラーに駆け上がり、そのまま長らく存在し続けた一方、マークIIの台数は反比例するかのように、急降下となってしまっていたりします。
新車当時ですら、そんな状況だったのですから、3代目登場以降の中古車市場においては、それに輪をかけて苦しい様相となり、ついには不人気車の代名詞的存在ともなってしまいました。(ちなみに、同時代のもう一つの筆頭格は、ブルーバードU)
メーカーの方はそんな状況に対して、大きなテコ入れを図ることもなく、比較的早期から解体送りという淘汰が始まった印象が強かったりします。その結果、80年代半ばには後期も含めて、街中で見かける機会は激減していたように記憶しています。
それだけに、今でもマークIIという切り口で振り返る際には、初代や3代目は取り上げられることはあっても、この2代目というのはそれらの添え物扱いとなっているように思います。メーカー視点では、当時は不人気ながらもその後見直されたクジラクラウンとも異なる、ある種黒歴史的な扱いとなっていることを感じずにはいられません。
こうして、書き進めてくると否定的な内容が続いてしまうのですが、誤解のないように書くと、だからといって、私の中の思いが揺らぐことは一切ありません、とは。特別な思い入れを持つ一台と迷わずに言える存在なのです。
クルマの評価というのは、特に新車時代には、性能や相対的意義、さらには好嫌も絡めつつで語られることが大半です。これが旧車の域に達すると、当時の評価や後世への影響という観点が主に移るでしょうか。
でも、それら視点からの評価というのは、どんなに論を積み重ねたとしても、各人の思い入れや思い出という価値観の前には、何の意味も成さないものと自戒を込めつつで思います。これは別にクルマに限らずですが、好きになるのに理由や理屈は要りませんし、思い出は何人にも蹂躙されることはないのです。
以下、2019/2/11追記
いただいたコメントに導かれて、この型の6気筒セダンで忘れることのできない一台を画像を上げつつで紹介することにします。


画像は「太陽にほえろ!」から。
同番組では300回前後(1978年頃)から登場。596回(1984年)で壊されるまで、一定期間で入れ替わる覆面車=広報車以上に、長く使われたクルマでした。同番組に限らず、放映時期が重なる「大追跡」や「俺たちは天使だ!」でもその姿を確認することができます。
内装色がブラックでバックランプ脇にエンブレム付となるため、ホワイトのAT車をベースに下半分を黒で塗ったようです。登場からしばらくはキャップレスでしたが、末期には(センターマーク無となる)後期4気筒用キャップを装着していました。
この型の本職の警ら用としては4気筒が使われましたので、劇用ならではの仕様ではあるのですが、家にあったクルマの姿と重ねつつで当時はTV画面を眺めていたのです。