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2020年11月26日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る37(ミラクオーレ)

思い出のクルマをカタログで振り返る37(ミラクオーレ)今年もまた、スズキとダイハツにより軽自動車の年間販売台数のトップ争いが行われているようです。ここ20年ぐらいの風物詩とでも言いますか。

そんな2社ですが、長い歴史の中においては、スズキが自社の軽自動車にダイハツのエンジンを搭載して販売していた時期があったりします。

若い方には意外に感じられそうな、この出来事ですが、発端は軽自動車枠の拡大と排ガス規制となります。第一次の軽自動車ブームが過ぎた70年代中盤、排ガス規制への適合の関係から、多くが2ストロークから4ストロークに移行する中、スズキは2ストロークのまま拡大の方針を採ります。この2ストが、乗用車の53年規制に適合困難という話が浮上したのです。

当時のスズキの国内販売は、軽自動車のみ。商用車が継続できたとしても、乗用車が継続できないのは死活問題に近い訳で、急遽他社からの供給を求めることに。その結果、ダイハツのエンジンが供給されることになります。当時もライバル関係にあった2社なのですが、この供給関係には確かトヨタが絡んでいたと記憶しています。

結局、期限間近になって2ストの53年規制適合が可能となり、スズキはフロンテに自社製の2ストエンジンとダイハツ製の4ストエンジンを併存させる形となります。この供給、スズキ側はあくまでも暫定的な対応という認識だったようで、約1年後に行われたフロンテのモデルチェンジでは、RRからFFに転換すると共に自社製の3気筒4ストエンジンを採用。この辺りは、スズキの強かさが感じられて仕方ありません。

このフロンテのモデルチェンジと同時に発表されたのが、47万円で大きな話題となったアルトです。アルトは価格優先ということもあり、当初は2ストのみでの発売ではあったのですが。

アルトは、他社先んじた新規格でのモデルチェンジと低価格を武器に販売台数を伸ばし、火が消えかかったかのように見えた軽自動車を再興させることに成功します。当然、他社もこの動きは無視できず、早速スバルは、それまでレックス バンスタンダードとして売っていたグレードをファミリーレックスと名付け、4.4万円の値下げを敢行。48万円で追随します。

この一連の流れの中でアルトから遅れる事、約1年で登場したのが今回紹介するミラクオーレとなります。ダイハツの軽自動車としては、途中やや大規模なマイナーチェンジは挟んでいるものの、フェローMAX以来、約10年ぶりのモデルチェンジでもありました。


いつものように前置きが長くなりました。
ここからはカタログの紹介に入っていきます。
どうしても先代との対比視点で書いてしまいますので、先代のカタログのリンクを先に貼っておきます。先代のカタログはこちら



今ではミラの名のみが残りますが、当時はクオーレの4ナンバー仕様のみ、ミラがサブネーム的に付けられていました。ダイハツのボンネットタイプ軽自動車は、時にメインネームとサブネームが下剋上状態になるというのがお家芸の一種でもありますね。

「これからのタウンミニ」というコピーが掲げられていますが、むしろ前面に出ていたのは「1.5BOX」だったように記憶しています。1BOXと2BOXという言葉が既に定着していた時代にあって、従前の2BOXではなく1BOXの背が高くてノーズが短いという特徴を取り入れているというのが主張でした。

そのアピールは、新鮮に映ったデザイン共々新たな潮流として受け入れられることになります。もっとも、デザインのテーマとしては同じ流れに映る初代シティの開発陣によると、ミラクオーレはパッケージングとしては軽自動車の枠内にあると分析されていたりします。アップライトなドライビングポジションを実現させるべく、コンポーネンツの大半を新設計したシティほどの革新さはないということなのでしょう。

むしろ大きく流れを変えたのは、リヤピラーを起こした点で、それまではバンに映るということで、皆が避けていたテーマへの挑戦は評価すべき点かと思います。3ドアからバンを起こしたように映るアルトに対して、バン単体としても成立するデザインのミラクオーレは対照的でもありました。

ホイールベースは先代から60mmの延長。先代は新規格に対応する際にバンパーの延長で対応していましたから、ようやくの新規格設計でもありました。ホイールも従前の合わせタイプから、今風のものとなる等、10年分の進歩は各所に散見することができます。





ボンネットを前傾させたデザインは、VWゴルフに影響されたものと思っています。ここまでの傾斜は日本車ではあまりなくて、当時の流行だった角目の採用と合わせて、失礼ながらダイハツもこんなデザインができるんだという驚きがありました。先代のデザインからの飛躍という観点でもそれは同じであり。

アルトは価格実現のために、助手席のキー穴も省略するという割切りぶりでしたが、こちらはサイドストライプの採用も含めて、ややコストに余裕があったかなと推測させます。お値段は、このAタイプで49.3万円。アルトの2.3万円高でした。





フロントがゴルフなら、リヤビューにはルノー5が重なります。

大型と書いてあるリヤコンビネーションランプは、当時としても小振りでリヤゲートの開口を優先したかなと推測します。これもバン様式で(ガラスハッチとなるクオーレの5ドアは全く変えていますね)、一度は採用したシビックも2代目では変更したくらい、敬遠されがちなデザインでしたが、思い切っての採用でした。ミラのアイコンの一つとなった感はありまして、後のエッセやミライース等、このデザインへのオマージュと思えるものがいくつかあったりします。

先代のバンは、上下2分割のリヤゲートを持っていましたが、この代では1枚ものに改められています。





従前の営業車需要に留まらず、セカンドカー需要としても買われたこの種のボンネットバンは、早期からイージードライブが求められ、先ずファミリーレックスが登場直後に電磁クラッチを用いたオートクラッチ仕様を追加します。続いてのアルトは、2速のトルコンAT仕様を追加。

操作性の面では当然ATとなりますが、性能的には4速ギヤが使えるオートクラッチが勝る、という一長一短がありました。ダイハツはこの時点では、オートクラッチを採用しています。

朧げな記憶ですが、当時の自動車雑誌のテストでは、アルトのATの最高速は100km/hに届かず、ミラクオーレのオートクラッチは、+10km/hほどだったかと思います。エンジンの違いもありますから、一概にミッションだけの差とは言えませんけれどね。
当時の軽自動車の法定最高速度は80km/hでしたから、当時のアルトの性能でも問題とはなりませんでしたし、120km/hで巡行できる今の軽自動車の性能は、隔世の感があるとも言えます。

また、オートクラッチ仕様のみ画像のセンターコンソールが標準。このコンソールは足元の邪魔になるという評価が多かったようで、2年後のマイナーチェンジでは省略されています。

また、トルコンATとオートクラッチの評価は、前者に軍配が上がり、登場後3年経過したマイナーチェンジでは、オートクラッチはトルコンATに設定変更されることになります。

エンジンや足回り等は、先代からの継続ということもあってか、比較的簡易な記載。女性ドライバーの比率が多くなることを想定していた可能性もありますけれど。

エンジンの出力は、乗用車版の31ps/6000rpm、4.2kg-m/3500rpmに対して、こちらは29ps/6000rpm、4.0kg-m/3500rpmとやや低スペック。当時は商用車の方が排ガス規制が緩かったですから、実際は軽量と相まって逆転していたかと思います。

この世代のリヤサスは、リーフ式。先代のバンの踏襲でもありますし、アルトも同様でしたから、商品力のビハインドとはなりませんでした。





エクステリアが10年分の進歩なら、インパネもまた同じ進歩を感じさせるデザインでした。

機能的にも、ベンチレーションの改善が大きく。先代は独立ヒーターだけで、換気は走行風頼り。停車中の強制換気機能はなかったのです。

ステアリングコラムはマルチユースレバーも含めて、恐らく先代からの継続。当時のダイハツは、シャレードも含めてライトとワイパーのスイッチ位置が今とは逆でした。他社でもこうした配置は、時折見受けられて、現代様式に統一されるのはもう少し後となります。このミラも、途中のマイナーチェンジで逆に改められていた筈。

販売直前で仕様変更が入ったのか、トリップメーターが消されていますね(笑)





続いてはインテリア。
商用車ですから、リヤシートはミニマムサイズ。画像では助手席を前に出して足元の狭さを見せないようにしていますけれど。

フロントシートなんかは、シンプルの極みに映るかもしれませんが、先代のスタンダードのシートからすれば、立体的な形状のツートンになって、リクライニングが付いただけでも、えらく豪華になっていたのです(笑)

リヤシートを狭めた分、リヤラゲッジは拡大されています。先代のセダンは、トランクタイプということもあり、物を入れるのだけでも一苦労していたのとは大きな違い。リヤシートとリヤラゲッジの配分は、税金の安さも考慮しつつでユーザーの選択に任された形です。当時は、これで十分割り切れるという買われ方をしていました。





最後の見開き、左上にはもう一つのグレード、Bタイプが紹介されています。
実はこれまで掲載されていたのは、安い方のAタイプで、とかく豪華さを訴えがちなカタログとしては珍しい構成かと思います。

アルトの例もありますし、ダイハツとしても売れ筋はAタイプと予想していたのでしょう。実際は5.3万円のプラスで装備が充実するBタイプが売れ、軽自動車の装備は高級への道を進むことになります。ミラも2年後のマイナーチェンジでは、更なる上級グレードCタイプ、その翌年にはスポーティなSタイプを追加。ここが分水嶺だったと言ってよいでしょうね。

下にはカラーバリエーション。
今だとブラックが加わりそうですが、当時は軽自動車のカラー設定としてはあり得ず。ビジネスユースで買われそうなことからすると、シルバーがBタイプのみなのは意外で、ブルーと逆でもよかった気はしますけれども。





裏表紙には諸元表と、イメージキャラクターだった岡田奈々さんが掲載されています。

アイドル要素も備えた女優さんがキャラクターとして前面に登場するのも、この辺りが走りで、他社も追随することになります。次はどなたがキャラクターとして登場されるのか、当時は密かな楽しみでもありました。


といったところでいかがだったでしょうか。

このミラクオーレ、先行したアルトを徹底的に研究し、ネガと判断した部分をつぶして登場したことを改めて感じます。スズキが先行して、ダイハツが後を追う。今でもよくある流れなのですが、その源流はここにある気がしてなりません。

商売としては大成功で、ミラはシャレードに続いてダイハツの懐を潤すことに大いに貢献します。先代のフロンテとクオーレでは、販売台数で大きな差が開いていたのに対して、ミラは末期に向かって台数を伸ばしアルトの台数に肉薄することになるのです。

アルトとミラの対決は、販売台数だけでなくハイパワーモデル、モータースポーツと場面を変えながら、激突を繰り返していきます。

冒頭にここ20年の風物詩と書きましたが、その基となったのも、このミラに行き付くように思うのです。


最後に思い出話を記すことに。
先代にあたるMAXクオーレを6万円で父が買ってきたという話は、これまで何度か書いています。実は、この選択は最初から決まっていたわけではないのです。

このミラクオーレも検討の段階は経ています。残念ながら、家族4人で乗るには狭いという理由で選択には至りませんでした。それならということで、5ドアのクオーレも候補に挙がったのですが、こちらは価格がネックに。

この型が登場して2年経過の時点でしたから、ミラ・クオーレ共々、まだ中古車もタマが無かったですし、あっても高価格、さらに人気も高くて直ぐに売れてしまう状態だったのです。

そうこうしている内に、父が「お安いのない?」で買ってきたのがMAXクオーレだったと。それでも一度はこの型を検討した後ですからね。玄関先で「車を買ってきた」と言われ、外に出て実車を見た時のショックと言ったら、それはもう。今でも鮮明に覚えている出来事です(笑)

今となっては、MAXクオーレも懐かしく、琴線に触れる一台ですけれど、当時は家にある間ずっと、カッコ悪いよなって思っていました。

要はそれぐらい大きな変わり方をしているんですよね。
ダイハツにとっては、初代シャレードに次いで転換点となった一台に違いありません。名車の一台とも思います。個人的な心境には、そんな理由で若干複雑なものが混ざってしまうんですけれどね。
2020年11月24日 イイね!

続・クラウンセダン生産終了の報道に接して

メーカーの公式発表はされていない以上、しつこいかなという少なからずの逡巡はあったのですが、軽くの補足ということで。

先々週の中日新聞のスクープを裏付けるかのように、全国紙の一部には先週こんなニュースが流れています。

【読売新聞】
・「クラウン」後継モデル、SUV風に…初の世界展開へ

【朝日新聞】(全文は会員限定)
・新クラウン、SUV風 22年予定 セダン人気低迷


記事の通りなら、先日のスクープ記事への問い合わせ対応に苦慮した挙句、内部的にも隠しきれなくなったということなのでしょう。

販売店関係者に限るとはいえ、恐らくこの時期の説明は想定外だった筈。本来なら、もっと後、現行型の販売台数が減ってから発表することで、仕方ない感を強調することを考えていたのだろうなと。

そんなことを推測させるのは、長く続いたフレームを10代目で外すときに、工場関係者から泣いて反対されたというエピソードを残しているくらいだから。工場と同様、販売店も思い入れを少なからず持つ車種でしょうし、モノコック化よりもはるかに大きな変革となると、説明会の状況が少々気になるところではあります。

気になると言えば、マイナーチェンジ直後でこんな説明となると、今後現行型の販売はどう推移していくのやら。駆け込む需要と見限る需要、両方ありそうで。

もっとも見限り離散したとしても、その受け皿がない気はするんですけれどね。クラウンに最も近いと思うレクサスも、既にGSはなく、残るはIS・ES・LSの3車。どれもこれまでのクラウンとは違う車だと思うのですが。また輸入車のセダンというのも、移行はあれども、受け皿となると疑問符が生じ。



何れにしても、私的には、マークXが廃止になる際に書いた危惧が、僅か1年足らずでほぼ当たってしまいそうなこと、改めて一人のセダンファン、クラウンファンとして、とても残念に思います。

後継車はハイランダーをベースとしたシャシーに、恐らく今推しているファストバックの上物。さらに世界展開。どう考えても、クラウンという名前が積み重ねてきた姿、また思い描く姿からは完全にかけ離れるであろうことは疑いようもありません。

トヨタとしては、得意の独自名称「セダンプラス」とやらで新たなセダン像を訴求し、セダン需要とSUV需要の両方を取り込もうというのでしょう。でも、物理法則は異なるカテゴリの両取りなんて不可能ですからね。プラスを求めれば、必ずマイナスも生じます。そのマイナスはセダンが失ってはいけないものも含まれている筈で。

成り立ちからして、私としては如何に取り繕うとも、後継モデルに(名前が残るかは疑問符が付きますが)「いつかはクラウンに」の思いが引き継がれることはありませんし、興味すらも湧かないだろうと予想しています。



今更ながらの話なのですが、、、
アスリートの存在が大きくなり過ぎて、拡販(あるいは延命)に大いに寄与したことは認める一方、クラウンの方向性を迷わせてしまったかなと、つい考えたりします。スポーティを求めるとしても、ロイヤルの世界の中に留める、ロイヤルツーリングとして併存させるべきだったのかなとも。あるいは、アスリートとロイヤルで併存させるとしても、理想はアスリートで入門してもらって、やがてはロイヤルに乗り継いでもらうだったのかもしれません。

ジャーマン3のセダンはトップにハイパフォーマンスモデルがあるから。アスリートの方が平均年齢が若いから。
そんな断片情報を繋ぎ合わせてマーケティングを行った結果、クラウンはスポーティで若返るを選択し、自らの砦をないがしろにしてしまった感が否めない、とはこれまでにも書いてきたことです。

それでも、アルファード、輸入車、レクサスはもちろん、アスリートでさえも違和感が生じる、クラウンロイヤルだけがフィットするTPOというのは、これまでこの国には少なからず存在していました。そのためだけにあえてロイヤルを求めるユーザーが存在していたのです。

作り手側が、それだけでも理解していれば、こんな迷走(と断言してしまいます)を演じずに済んだのではないかと思えて仕方ありません。
まぁ、長い歴史を持つ車ですから、理想像は多種多様。見解も多々ありそうで。

加えて、今回のことでセダンは時代遅れと断言されたようで、心情的には尚更残念感が伴っています。



しかしながら、残念が殆どの今回の記事群で、興味深くかつかすかな光に映ったのが、パトカーの生産は続けるという部分です。

パトカーとして求められる機動力の最適解はセダンなのでしょう。

記事の内容からは、今のまま先代型の生産を続けるのか、現行型ベースで新たに作るのかは不明確ですし、私の単なる思い付きに過ぎないと前置きをした上で。

パトカー向けの生産が先代型の継続なら、この際、先代型を一般向けにも復活させたら、と思うのは私だけでしょうか。

現行型の登場から2年半を経ていることもあり、先代のシエンタばりに完全復活となると、かなりの大事かと思います(もっともISがある以上、ターボ・ハイブリッド共々困難とは断定しきれませんが)。それでも、例えば、パトカー仕様をベースにシート地等最小限の変更を加えた上で、2.5を「クラウン ロイヤル」、3.5を「クラウン アスリート」と銘打って復活させるだけでも、クラウンファン(と一部のマニア)を喜ばせることができそうに思うのです。

みん友さんがコメントで寄せられた「お別れカー」。
トヨタが極めて寛大な心で実現させるとして。現行型のリヤクォーターを変えろなんて要望よりも、まだ現実味はある気がしますし、当面の対応としては一番収まりがいい気がするのです。
Posted at 2020/11/24 19:55:05 | コメント(6) | トラックバック(0) | 気になったニュース | クルマ
2020年11月16日 イイね!

1985年のカーオーディオのリーフレットから(富士通テン))

1985年のカーオーディオのリーフレットから(富士通テン))本当に久方ぶりのカタログ話(用品編)となります。

確認してみたところ、前回はなんと4年半前。とかく他の話題に行ってしまいがちですが、合間にはきちんと資料的部分も残したいなと思ったりもして。

今回取り上げるのは、やはり1980年代のカーオーディオから、タイトル通り1985年の富士通テンです。今はデンソーテンが社名となっていますね。メーカー名より当時のブランド名の”Biyo”の方が有名かもしれません。

入手元は、資料にも記載のとおり、1985年の東京モーターショー。
当時、購読していた”CAR and DRIVER”誌の広告に影響された私は、クルマと同じくらいカーオーディオに興味を持っていて、用品館も楽しみの一つだったのです。

ちなみにタイトル画像は、リーフレットを入れて配布されていたクリアケースとなります。

前置きは軽くで、早速リーフレットを紹介していきます。



表紙には、当時の最高機種だったブラックバージョンが掲載されています。

ワンボディに主流が移る前ということで、これら全てでのサイズは2.5DIN。クルマのオーディオスペースは2DINが主流でしたから、アンプはダッシュボードから吊り下げるか、座席下への配置とならざるを得ませんでした。

煌びやかという言葉が相応のイルミが印象的ですが、この状態はデッキとチューナーが同時作動しているようで、実際はもう少し点灯箇所は少なかった筈です。

チューナーの表示は、85.1MHz。
当時はFMヨコハマが開局直前で、J-WAVEの開局は3年後の1988年。この周波数は、埼玉県民的にはNHK-FMでありまして、ずいぶん渋い所を突いているなと思ったのですが、もちろんそれは見当外れ(笑)
関西の方には当然となる、FM OSAKAが正解なのでしょう。さすが、本社を神戸市に置く会社だなと。



見開きの部分は、大判の割に細かい字が多いので分割で掲載してみます。



先ずは、上段のアピールの部分から。
Dシリーズの名の通り、このリーフレットでは横幅180mmサイズの物のみ紹介されています。日本車ではトヨタが180mmの規格化に先行していて、日産車等は150mmから180mmへの移行期でした。他社では両サイズを並行して作るところがありましたし、バイヨも150mmのMシリーズがあったようです。既にDシリーズへの統一を想定していたのでしょうね。

この後取り上げる2シリーズとも、イルミはオレンジとグリーンで切替可能。他社ではどちらかとなることが多い中、特徴となる機能ではありました。





先ずは表紙にもなっている、上級のブラックバージョン。
掲載は、次のバージョンとの差異もあってか、全てオレンジのイルミとなっています。先に書いた通り、グリーンに切替可能で、こちらだとより純正っぽくなっただろうなと。

当時の高級車の純正デッキを凌駕する機能と凝ったイルミ機能を持っています。
全て揃えると約20万円ですから、それも道理です。

当時の各機能は、メーカーにより略名含めて名前が不統一だったのですが、富士通はトヨタ純正の表記とほぼ同じですね。

オートマチックカセットドアの採用は、この機種が初めてというのが意外です。





もう一つがシルバーバージョンとなります。
位置付けとしてはブラックの下位。記憶が確かなら、ブラックは後から追加されてモデルだと思います。
グレードが異なるのですから、ブラックボディも作って互換を持たせれば良いように感じますが、メーカー的にはセットで買ってくださいよということだったのでしょうね。

シルバーボディにグリーンのイルミの組合せは、やはり社外品っぽく映ります。

片隅のワンボディデッキアンプは、純正ラジオとの組み合わせを想定した機種となります。

どうしてもトヨタのイメージが強いのですが、装着例は日産車や三菱車も掲載されています。





裏面はスピーカー等。

BOSEが高級品として認識されていた時代ということで、コラボモデルがありました。スピーカーとアンプはBOSE。車種別に音響特性を持たせたカートリッジが味付けのポイントだったのでしょうね。
そのカートリッジは、当時社外品に交換する事例が多かったと感じられる車種が揃っています。マークII3兄弟やセリカが含まれていてもよさそうですが、この辺りの選抜は謎ですね。

パーソナル無線は150mmサイズのものが掲載されています。デッキより高いお値段に驚かされますが、携帯電話のなかった時代にあっては、便利なコミュニケーションツールではありました。

社外品のみではなくクラウンの純正CDプレーヤーも掲載されています。
ほぼ同時期にマイナーチェンジされた120系後期で採用されたもので、これが初の純正品となります。世界初だったパイオニアの社外品からは約1年の遅れ。
2DINサイズですが、カセットデッキを含めることはできず、CDチューナーとなります。外れたカセットデッキは、前期では時計がおかれた位置に独立して配置することで両立させていました。
灰皿が近くにあり埃等の侵入を嫌ってか、CD部にトレイ式を採用する辺りが、純正らしい箇所ですね。



近日発売の形で付属していたのはこちら。



先ずはCDプレーヤー。
カセットデッキに比べると高価でしたが、音質や使い勝手の点で新たなソースとして認知されつつありました。

このCDプレーヤーは、近いデザインのものが1986年に変更されたトヨタ車のオプションとしても採用されています。





もう一つはイルミ付きの置き型リヤスピーカー。
元々置き型は、埋め込み型よりも高価になりがちだったのですが、純正とは明らかに異なる見栄えが大いに受け入れられ、当時の社外品のマストアイテムの一つとなっています。

高音質の追求は更なる差別化の表れですし、イルミといった付加機能もその流れの一つでした。90年代以降はトレードインに主流が移りましたから、当時ものアイテムと言えるでしょうね。


といったところで、いかがだったでしょうか。

当時のカーオーディオの人気製品は、パイオニア、アルパイン、ケンウッド辺りが挙げられますが、その他にも今回取り上げた富士通テンの他、ナショナル、クラリオン、ソニー等があり、各社日夜新製品の開発を繰り広げ、虎視眈々と市場制覇を狙ってもいました。

純正品に飽き足らない層が、高価を投じやすい製品でもありましたし、純正品もまた社外品に連れられる形で性能を向上させてもいたのです。

クルマ本体と同様、カーオーディオもまた80年代が面白かった時代と言えます。
これまで何度か取り上げている他社製品共々、当時の息吹が伝われば嬉しく思います。また、意外と記録が残っていない時代でもあり、この情報がお役に立てればありがたく存じます。
Posted at 2020/11/16 21:47:37 | コメント(8) | トラックバック(0) | カタログ話(用品編) | クルマ
2020年11月11日 イイね!

クラウンセダン生産終了の報道に接して

少し前にクラウンを取り上げたばかりですが、こんな報道をされては見過ごすことはできませんので。

【中日新聞】(全文は会員限定)
クラウンセダン生産終了で調整 トヨタ、22年に新型投入
「いつかはクラウン」転機 セダン終了調整

15代続いた名門は、FF化どころかセダン型をやめてSUVへの一大方針転換ですか。後継車の登場が2022年ということは、だいぶ開発は進んでいる段階ですね。車名が残るのか、現行型を併売するのか辺りも含めて、細かい所はまだ流動要素はありそうですけれど。


クラウンについては、ライバル車が失速したことも大きいのかな、先代くらいから、進むべき方向を見失っている印象を受けていまして。現行への変更が想定したほどの支持を得られなかったことが致命的で、窮地に追い込まれたのだろうと推測しています。こうなると、先日の一部改良は完全に見切られたのか、併売に向けての助走期間なのか、判断が付きにくくなりました。。。

時代背景は否定できないのですけれど、折角長年に渡って築き上げた地位を自ら降りていたように映るのが、何ともやるせない点ではあります。減少傾向から終焉に至るまでの、「まだやりようがあるだろうに…」というもどかしさは、マークII&マークXの販売台数減少から廃止に至った過程と重なるところでもありますし。


クラウンが最も売れた1990年って、セダンの最盛期でもありました。販売台数のベスト5は、カローラ、マークII、クラウン、カリーナ、コロナの順。カローラの姉妹車にはスプリンター、マークIIの姉妹車にはクレスタ、チェイサーがありましたから、実に膨大な台数を売り続けていた訳です。30年という年月を経て、クラウンとカローラ以外は既に廃止されてしまいましたけれど。

今となっては個人的な思い込みに過ぎないのですけれど、クラウンとカローラはセダンの柱であり、だからこそ最後まで続くと思っていたのです。カムリより先に終了となるとはさすがに予想もできませんでした。

マークXの廃止に続いてクラウンもセダンを止めるとなると、本当に戻れる車がなくなるなと。私が共感し憧れたのは車名だけではないですから。


実はこの話、セダン型の限界に留まらず、主に国内市場に向けた商品の限界も表れているように感じています。クルマというものが、開発にあたって必要とするお金と人が膨大になり、その償却には一定台数を売らないと存続ができない状況になって、幾年月。縮小傾向に入っていることが否めない国内市場だけでは、既に台数の確保は難しい局面なのでしょうね。ガラパゴスと揶揄されるカテゴリがいくつかありますが、台数が減ったものから淘汰されていくのかなと心配もさせられて。


ここからは、思い出に浸るべく、個人的にクラウンの頂点と確信する130型の画像を貼ってみます。





我が国の小型乗用車枠を基準に、日本の最高級車(ショーファードリブンを想定したセンチュリーを除く)を、目一杯のコストをかけて構築。販売台数だけでなく、高品質、作り込みのち密さ、完成度の高さ等、歴代随一と信じて止みません。

ちょうど免許を取れた頃と重なっていて、やはり簡単には手の届かない存在でした。「いつかはクラウン」、私もその一人だったのです。

それにしても、平成から令和にかけてのこの約30年の間に、この国の車は何が得られて何が失われたのか、あるいは失われようとしているのか。色々考えさせられるものがあるのが今回の報道です。

130クラウンの画像の出展
FavCars.comより
Posted at 2020/11/11 20:01:36 | コメント(16) | トラックバック(0) | 気になったニュース | クルマ
2020年11月06日 イイね!

下回りの点検

クラウンの話は一段落させて、たまには自分のクルマの話をしようかと。

最近になって、方向転換や車庫入れ等で後退しながらハンドルを切りこんでいった時に時折異音が出るようになりまして。

夏場の車検時に交換したスタビリンケージが原因なら馴染めば消えるだろうと様子見をしていたのですが、毎回ということではないものの異音の発生が止む気配はなく。

年内には8万キロに達しそうな走行距離からすると、下回りのブシュが最も怪しいと推測しつつも、最悪ステアリングラックだったりするとシャレになっていないため、早めに点検してもらうことに。
サービス部門の体制は未だコロナ禍の影響下にあるようで、事前予約が今のところの推奨。急を要する故障ではありませんので、少し前に予約の後、持ち込んでみました。

点検結果は、原因の特定ができず。
症状が出るか試してもみたそうですが、こちらもこれというものが特定できずと。常に出るわけではない症状ならではの話ではありまして。
リフトアップして下回りを点検した結果ということで、明らかに悪いと言えるものが無かったのであれば、食い下がる意味もなく、様子を見つつで乗ればいいかなと気持ちを切り替えることにしました。数か月後には半年点検の予定もありますからね。整備手帳ネタを増やし損なったのが残念。

いつもお世話になっている、サービスフロント氏曰く「私も確認しましたが、走行距離の割にブシュ類はむしろ良好な状態。」だそうで、お世辞半分としても単純な私は悪い気はしないのです(笑)

その際「据え切りしないようにされています?」と聞かれまして。もちろん私の答えは「極力避けるようにしています。壊すのが怖いですから。」となるのですが、何やら納得できるものがあった様子から、恐らく据え切りを行うことでブシュへの負担となるのだろうなと推測した次第。

ブシュへの負担の点では、純正のタイヤサイズも軽減する方向に作用しているのでしょうね。

折角持ち込んでいただいたので…と洗車されての返却は、支払の生じなかったこちらの方が恐縮してしまいました。

綺麗にしてもらった機会に、自車近影


W206のテスト車の姿が見え始めてきた昨今ですが、点検結果もあり、まだまだ乗れそうと自画自賛。当面の目標は10万キロ表彰。できれば壊れずで(笑)
Posted at 2020/11/06 23:09:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | W204 | クルマ

プロフィール

「帰還後の近況 http://cvw.jp/b/1984303/48316556/
何シテル?   03/16 21:58
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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