首都圏では緊急事態宣言が出ている状況でありまして、ワクチンあるいはオリンピック・パラリンピックが今後の動向に大きな影響を与えつつも、未だ予断を許さない状況であるとは言えそうです。
各自動車メーカーの展示施設も休業するところがあり、また他所では営業時間を短縮するといった状況。さすがにこれだけを目的とした外出は、憚られるところがありながらも、必要な買い物のついでということで、ご容赦いただこうと思う次第です。
まぁ、現況についてはあまりくどくど書かず、訪れた際に展示されていた車について軽く書くことでブログ更新を兼ねようということで。展示車とは言っても、現行車ではなく、全てヘリテージものとなります。

ダットサン デラックスセダン(1953年:DB-5)
初見の車となります。
日本の戦後乗用車史は、ダットサン110とクラウンを以て幕が開けたとされることが多く、両車以前のこのダットサンDB(DS)シリーズやトヨペットセダンは実車はもちろん、資料もごく限られたものとなります。
当時を伝える存在として非常に貴重な車であることは間違いなく。
故徳大寺有恒氏が高校生時代に初めて乗った車というのは、この一つ前のDB-4が該当となるようです。
技術的には戦前からの継続であり、このサイズながらも4ドアというのは大半の用途がタクシーだったからのようです。
今視点では可愛らしくも映るスタイリングですが、同時代のアメリカ車が憧れだったことからすると、カッコ良くは映らなかったのだろうなとは。何より、自家用車という概念が一般的とは言い難く、車とは自分で運転するものではなく乗せてもらうものだった時代ですね。

ダットサン セダン(1955年:A110)
DB-5から2年を経ての大きな進化となります。
進化の背景にあったのは、この少し前に提携を行ったオースチンの技術の吸収。
エンジンこそDBシリーズから引き継いでいましたが、シャシー&ボディは一新。
スタイリングはむしろ簡素化されたように映るかもですが、殆どハンドメイドだったボディ製作が大幅に合理化&近代化されたからがその理由。
技術提携の成果は大きく、A110は進化を続け、やがて初代ブルーバードに襷を渡します。
当時まだ貧しかった日本においては、タクシーの主力車種であり、当時の日産はクラウン&マスターを揃えるトヨタよりも販売台数では勝っていました。初代コロナが急遽開発された理由でもあります。

ダットサンブルーバード 1200ファンシーデラックス(1963年:DP312)
登場後、ベストセラーの地位を駆け上ったのが初代ブルーバード。その最終型となります。
ファンシーデラックスは、日本初の女性仕様車ということで記念碑的存在でもあり。ようやく裕福な家庭が自家用車を持ち始めた時代にあって、女性仕様車というのも理解が難しいところですが、既にライバルだった2代目コロナは女性人気が高かったことが、追加設定された理由なのかなというのは推測。
理由はさておき、女性仕様車と名付けられたクルマ達が一時期のブームとなったのは1980年代初頭。そこから遡ること20年近く前に登場しているのですから、先見の明があったことは疑いようもなく。先見過ぎて、商売的には成功作とは言い難かったようですけれど。
あと、最初のDB-5と比較すると、僅か10年で大きく進化していることに驚かされもします。1980年代の10年間が大変化の極みというのは私見ですが、この時代もまた創成期ならではの進化があったということなのでしょう。

ニッサン MID4 (1987年:MID4-II)
1987年のモーターショーの最大の目玉でした。初代シーマと並んでいる画もあって、シーマは間もなく市販となりましたから、次はこちらという期待が持てたのですが、結局市販化には至らず。
歴史のIFの前提で、発売されていれば時代はバブルの最高潮の時期。結構華々しい成果を上げていたのかなと。もっとも、Z32やR32 GT-Rに至る過程の作であることは疑いようもなく、結果的には正しかったというのも一理ではあり。
MID4は、この2年前のモーターショーに出品されたI型からの進化が驚きのもう一つ。日産のスタイリングが大きく変革していた時期というのが大きいでしょうね。今視点だと、リヤテールにはZ31後期の面影を重ねつつ、キャビンの造形にはS15を重ねてみたりもします。

スカイライン GT-R(1989年:BNR32)
登場した時も衝撃的で、事実ストリートやレースシーンを大きく変えた存在ですが、近年は輸出が主要因で数を減らしたこともあって、最早手の届かない伝説的存在に昇華した感があります。
R32からR34に至るGT-Rは第二世代と類されて、箱スカ&ケンメリGT-Rの第一世代とは別の存在と定義されていた時代がしばらく続いていましたが、今では共通性の方を強く感じます。
最近、スカイラインの歴史についに終止符が打たれそうという報道がありました。真偽はもちろん、この先どうなるかも判りませんが、その長い歴史の中で、このBNR32が頂点の一つとして君臨し続けることだけは絶対に揺らがないと確信しています。

テラノ V6-3000 R3M(1990年:WD21)
そんなに昔とは思えずながら、もう30年も経ったのかと思わされる一台です。
私的にはデビュー時よりも、このV6ガソリンの方が驚きでした。当時のライバル車、ハイラックスサーフは4気筒2000、パジェロも4気筒2000のターボという中での登場でしたからね。まだ3ナンバーの税金が引き下げられる前でしたから、こと日本国内においては、VG20のNAorTURBO、あるいはCA18のTURBOとかの方が販売台数が見込めた筈なのです。北米輸出が主力で、それを国内用にも転用したという話ではあるのですけれどね。
この車には、映画「いつかギラギラする日」のカーアクションを思い出される方も多いのかなと思います。カーアクションは、セダンあるいはスポーツカーの専売特許的認識でしたから、テラノがそれらに負けず劣らずで画面狭しと走り回る姿には、初見でかなり驚かされ、認識を改めさせられもしたものです。
車高が高いため、誤認もし易いのですが、実は5ナンバーサイズ。改良を重ねる中で、グリルガード・オーバーフェンダー・背面スペアタイヤ(これだけは当初から設定がありましたが)と満艦飾方面に進んでしまうのですけれど、まだシンプルな初期型というのは、却って古臭さを感じさせなかったりします。
今のSUVというのは、サイズといい、時代が一回りして、またこの頃に回帰した感もありますね。
これの5ドアのディーゼルターボは、同級生の家で営業車兼で買っていたなというのは、私的な思い出。
昨今の世相や近年の車の売れ筋から、以前ほど純粋に車を楽しめなくなったのかなと思う時も時折あるのですけれど、それでもまだ絶望はしておりません。
こうした展示車から、浮かぶ言葉・書ける言葉もまだまだ失っていないようですし。
相変わらず自車を愛でつつも、新車や旧車が楽しませ続けてくれることを祈念してブログの締めといたします。