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2022年01月27日 イイね!

大阪トヨタ70Specialのリーフレット

大阪トヨタ70Specialのリーフレットブログをじっくりと構築する時間が取れずの状況は変わらずでありまして、それならばとあまり考えずで文章が浮かぶネタを、カタログ書庫から発掘してくるのです。

これまで取り上げてきた特別仕様車は、ほぼメーカーが企画したものを取り上げてきました。こちらの方が有名どころが多い一方、販社企画の方は浅瀬の軽いものから知る人ぞ知るやら、メーカーでは浮かばない発想やらの深海域のものまで混在となります。こんなのあったんだ的なものは、やはり販社企画だろうと認識する訳です。

そんな迷宮のような販社企画の特別仕様車、今回は浅瀬からのご紹介となります。
どちらかというと、チラシではなくリーフレットを作ったことの方が珍しいと言えるかもしれません。

企画の理由は、大阪トヨタが設立45年目にして新車販売台数70万台を突破した記念となります。設立は戦後間もなくの昭和21年(1946年)だそうですから、平成3年(1991年)に作られたものとなります。

以下、ご紹介。

【コロナ 70Special】
●ベース車両:1800ニューセレクトサルーンG、1500ニューセレクトサルーンG
●1991年10月 - 11月
●限定台数:450台
(特別装備)
 ・オートエアピュリファイヤー
 ・サイドバイザー
 ・フロアマット
 ・ハーフカバー
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先ずは、登場4年目でモデル末期となっていたコロナ。
ベース車両はニューセレクトサルーンGということで、末期の特別仕様車となります。後期セレクトサルーンGについてはこちら


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中間グレードのセレクトサルーンをベースとしながらも、オートエアコン、2DINサイズの4スピーカーオーディオ、電動格納ミラー、ハイマウントストップランプが追加されていて、一般的には充分満足できるグレードでした。さらに欲を言えば、ピラーアンテナではなくガラスアンテナ、185/70R13タイヤも欲しくなりますが、そこまで求めるならEXサルーンをどうぞ、ということだったのでしょう。

特別仕様の4点は、装着率の高かった用品ですね。この年代辺りから愛車セットは外されるようになり、エアコンが工場装着となった替りもあってかエアピュリが入るようになります。


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裏面には価格。
当時、MTの設定もありましたが、主役は既にATでした。

約30万円引きのお買い得価格は末期ならでは。販売店用品も付いていますし、商談ではもう5万円ぐらい上乗せできたかもで。
当時は消費税が外税で6%の課税。このクラスだと消費税込みで諸費用が約20万円の追加だったと記憶します。1500でコミ150~160万円、1800でコミ160~170万円くらいで買われていたのではないでしょうか。

当時乗っていた一人の実感として、1800のプラス10万円は結構な悩みどころでした。毎年の自動車税+5,000円の他、任意保険料の料率、燃料代も変わってきますからね。1800の方が確実に余裕はあるものの、1500でも実用上は困らないと判断が右往左往(笑)。



【マークII 70Special】
●ベース車両:ハードトップ 2000グランデ
●1991年10月 - 11月
●限定台数:450台
(特別装備)
 ・サイドバイザー
 ・ナンバーフレーム
 ・フロアマット
 ・オートエアピュリファイヤー
 ・ハーフカバー
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続いては登場後3年経過でモデル後半に突入していたマークII。
ベース車両は、ハードトップの2000グランデ。”ハイメカグランデ”とも呼ばれていたグレードですね。

こちらも当時の最多量販グレード。マイナーチェンジ当初は2500も売れたものの、モデルの終盤と景気後退が重なり、再び2000ハイメカの比率が上がっていました。画像のスーパーホワイトIVは、一番売れたボディカラーでもあり、この仕様は、当時の街角の風景の一部だったと言っても過言ではありません。

こちらにもハイメカグランデをベースとした特別仕様車、グランデ リミテッドがありましたが、この設定からは外されています。6スピーカーの新リミテッドに切り替わる谷間だったからかな、というのは推測。


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追加装備は、コロナの用品にフロントのナンバーフレームを加えたもの。リヤはガーニッシュが囲っていましたから、なくても見栄えに大きな影響はなく。

参考までに、81マークIIのオプションカタログは、こちら
ちなみに画像と価格からすると、複数種類があったこれら用品は
 ・サイドバイザー:ステンレスLL型
 ・ナンバーフレーム:81タイプ(樹脂製)
 ・フロアマット:サキソニー
 ・ハーフカバー:ハーフS
で設定されていたようです。

東京トヨペットではフロアマットがワンランク下のシャギーとなるのみで、他の設定は同じ。また、東京以外ではフロアマットにサキソニーを設定する地区も多数でした。


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こちらも価格はAT車。このクラスだとMTは余程の希望でないと、セールス氏がリセールの不利を理由にして止めていた筈です。実際、3年経過の時点で新車時の倍以上の価格差だったと記憶しています。MTが希少価値から見直されるのは、もっと後年の話なのです。

やはり約30万円引きですね。後5万円行けた筈というのも同様。翌1992年に入ると、値引き販売に拍車がかかり、末期には本体からだけで35万円~40万円引きとかで売っていました。これまた経験談ということで。

こちらだと諸費用込みで220万円ぐらいでしょうか。この時期まで上がる一方だった給与は、この後から伸び悩む一方、クルマは確実に高くなっていきます。これまでの検証からしても、恐らく一番クルマが安かった時代と言っていいかと思います。今、150万あるいは220万円で買える車となると…。


当時の販売台数を調べて見ると、コロナ、マークIIハードトップの5ナンバーが共に前年並みの月販約9,000台を売っています。先述の通りマークIIハードトップの3ナンバーは約8,000台→約4,000台へと半減しているのですけれど、5ナンバーは根強かったのです。末期にも関わらずの強さは、トヨペット店が強力に販売推進を行っていたことが大きかったのでしょう。今回ご紹介したのは、その一環ということで。

売る方の状況としても、バブルは既に崩壊していたものの、新車販売への影響は少し遅れた感があって、景気後退の影を感じながらも、直ぐに巻き返せるぐらいの楽観視だったかと思います。新型車は納期が伸びるが当たり前でしたし、末期の在庫車の奪い合いとかも珍しくない話題でした。そんな右上りでやってきた新車販売がかつて経験したことのない明らか後退局面に入るのは、1992年の半ば以降と言えるでしょうね。


最後の余談的に。
両車の裏表紙でもお判りの通り、この時点での大阪トヨタは、他の都道府県のトヨタ店とは異なる取扱車種となっていました。乗用車に関してはトヨペット店系となる一方、商用車はトヨタ店系という並びは、東京地区とも異なる大阪地区特有の物でした。

主力となる乗用車が逆の扱いというのは混乱の元でもあったようで、その後、大阪トヨタと大阪トヨペットは2006年8月に双方の社名に変更するという珍しい変更を行っています。2020年5月には全車種併売となっていますから、経緯こそ異なったものの同じ結果に至るという話ではあるのですが。
2022年01月16日 イイね!

20年前に新成人を迎えたクルマ達(2022年版)

文章作成がやっとの状況に新たなお題を捻出できる余裕もなく、今年も昨年に続いてのネタをお送りすることにします。(昨年版はこちら

1年進んだことにより、1981年4月2日から1982年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

引用元の関係で、輸出仕様の画像が多く含まれていますが、可能な限り国内仕様に近いものを選んではいまして、雰囲気がつかめれば幸いです。

〇トヨタ

7月2日 セリカ(フルモデルチェンジ)

この年度はソアラに続いてのDOHC-6搭載が大いに話題を集めたセリカから始まっています。

初代は、このジャンルを開拓し大いに普及させた記念碑的存在でした。続く2代目は、斬新なデザインを求めてアメリカに設立したデザインスタジオCALTYの案を採用したところ、曲線基調のデザインが国内では受けず、後発の3代目シルビア(&ガゼール)に苦戦を強いられています。

デザイン案を国内に戻して、直線基調で再びの若者人気を狙ったのがこの3代目。2000GT以来のリトラクタブルライトを採用したXXは、好評で受け入れられますが、ライズアップライトを採用した4気筒は期待に反する結果に。

販売の主力となる北米においては、2代目の方がデザイン評価は高く、ブラックマスクへの変更を経て、FFへの転換を図る次世代では再び曲線基調へと振れることになります。




9月7日 カリーナ(フルモデルチェンジ)
1月26日 コロナ(フルモデルチェンジ)

スクープ記事では、共にFFへの変更が噂された2台でした。
前年のセリカ・カムリのみへのIRSの採用、2代目までは同時に変更されてきたセリカのモデルチェンジが初めて先行となったことが噂の根拠ともなり。

結局、セリカから少し遅れ、FRを継続しての登場となりました。
このセグメントは、910が登場して以降、ブルーバードが独走していて、多くの顧客を抱える販売店は、(特にコロナは)新型車の早期登場を熱望。その過程においてFRの堅持要望が強かったのだろうというのは推測。

カリーナは、新型車効果でブルーバードの連勝記録に挑んだものの、マークIIに続いて、僅かながら及ばず。連勝記録をV27で止める役目は、最大のライバルであるコロナが果たすことになります。

当時は、それまで別のシャシーだった両車がシャシー共用となったことが話題となりました。兄弟車ながらも割と異なっているように映ったものですが、こうして並べて見ると、血筋は争えずの感はありますね。

この世代、FF化までの過渡期の感は否めず、コロナが先行してFFに主力を移した後、カリーナも後を追うことになります。




3月24日 カムリ(フルモデルチェンジ)/ビスタ(新発表)

販売前年秋のモーターショーに、F-120の車名で5ドアが参考出品という過程を経ての発表でした。

先代のセリカ・カムリは、当初カローラ店に投入された後、僅かに遅れてビスタ店の設立と同時にビスタ店との併売となっていましたが、この代で兄弟車関係へと進化しています。

当初は両モデル共、4ドアの1800 5Fのみということで、生産が立ち上がった仕様を急遽投入した感が否めずでした。先代がカリーナの兄弟車だったことと合わせて車格設定が理解されず、(特に専門家筋の)評価は極めて高いながらも、販売に苦心する要因となっています。


前年度にマークII3兄弟、ソアラとアッパーミドルクラスを固めたトヨタは、この年度で一つ下のミドルクラスの陣容を一新しています。70年代末の時点では、ミドルクラス以上は日産が優勢、以下はトヨタが強いという力関係があり、このクラスの強化は課題ともなっていました。
ブルーバードの独走もあって、相当に力が入っていたことは見て取れますが、この後の動きからすると、過渡期特有の混乱や不整合が各所に散見できた感はありますね。



〇日産


6月19日 スタンザ/オースター/バイオレット(フルモデルチェンジ)

発表の席上で社長自ら「かなりの車種をFF化してゆく。このクルマはそのようなプロジェクトの第一弾。そして世界戦略車でもある。」と高らかに宣言し、正しく鳴り物入りで登場したのがこの3兄弟でした。

FF化に伴い、社運を賭けた級の投資をし、エンジン・サスペンション等殆どのコンポーネンツを一新。ボルト、ナット以外は全て新設計から生まれた新型車は、従来のイメージを刷新し、専門家筋の評価は極めて良好。ところが、一番肝心な販売が燦々たる結果となりました。

専門家が評価する車は売れないというジンクスは既に存在していましたが、ここまで真逆の結果は極めて稀であり、当の日産にとっても全くの想定外だったことも間違いなく。
販売不振の理由は、新し過ぎて理解されなかったことが第一。何より大きかったのは、車格の設定が新車価格も含めて、当時のベストセラーであるブルーバードに近付き過ぎたことでしょう。

特に同じ販売系列となるバイオレットでは致命的なミスであり、僅か1年で販売中止という結果となっています。この結果、この3兄弟だけに留まらず、日産本体、あるいは他社の販売戦略へも少なからぬ影響となりました。

出来の悪くない大いなる意欲作が販売戦略で失敗。日本車の有史に残る出来事だと思いますし、だからこそ嫌いになれないモデルなのです。
(スタンザFXのセールスマニュアルはこちら




8月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)

この時期で一番注目を集めたモデルチェンジだったと思います。

ローレルとの兄弟関係がより近くなる一方、それまでノーズの長さを変えていた4気筒と6気筒がロングノーズを共用することになり、賛否が分かれる話題となりました。

先行して4気筒のみとされていたブルーバードとの競合関係が緩和されたものの、この選択がスカイラインの分水嶺の一つとなった感はあり、判断も分かれるだろうと思うところです。

モデルチェンジから少し遅れて、久方ぶりの4バルブDOHCを搭載したRSが追加され、新たな柱となります。一方販売の中心だったGTは、新世代6気筒と4ATの投入が遅れたことを主な要因として、マークIIに追い付かれ、やがて逆転される結果に。長年のライバル、マークIIを3兄弟に増やし、ソアラやセリカも絡めてスカイライン一大包囲網を構築したトヨタが強かであり、スカイラインが翻弄されたとしても仕方なかったと言えますけれども。




10月13日 サニー(フルモデルチェンジ)
1月12日 ローレルスピリット(新発表)

FF化されたファミリアが人気急上昇となっていた時期に、カローラより先行してのFF化ということで注目されたモデルでした。

やはりFF化のインパクトは大きく、カローラの国内販売台数V70を阻止しています。以降はカローラの巻き返しにファミリアも加わっての販売合戦が繰り広げられることに。

4ドアが好調に売れたものの、2BOX人気に押されてクーペが国内では苦戦したのは想定外だった筈。結局2年後のマイナーチェンジでは、クーペに替わってハッチバックが新たに設定されることになります。

少し遅れて追加されたローレルスピリットは、モーター店向けのサニーというのが当初の想定。やがては増えてゆく差異も、当初は極一部に留まっていました。ボンネットとFフェンダーに追加されたエンブレムでもローレルとの繋がりを主張していたのだな、というのは今回並べての比較での発見でした。


トヨタとは逆に、コンパクト・ミドル・アッパーミドルと偏りなく登場させたのが日産でした。どれも意欲作なのですが、カリーナとコロナを兄弟関係にしてしまったトヨタと比べると、先に登場していたブルーバードやパルサーとの関係等、整理&再構築の点では後手となった感が強く。背景には鶴見と荻窪の確執があったことは疑いようがなく、後に開発体制は厚木に一元化されるものの、日産の財務体質を蝕む一因となっていきます。



〇三菱

1月22日 ランサー・フィオーレ(新発表)

従前は2BOXのみだったミラージュは、マイナーチェンジでミラージュIIに呼称を変更し、3BOXの4ドアセダンが追加されています。新たに兄弟車として投入された三菱店版ミラージュII4ドアがランサー・フィオーレでした。

ミラージュIIの3ドアには、このクラス初のターボが投入され人気を集める一方、4ドアにはMDと名付けられた可変気筒エンジンが一部グレードに設定され、当時の低燃費ブームに話題を投じています。

ランサーが2代目に変わる際、車格を少し上げ1600と1400を主体としたことに伴う空白地帯への補完という役割だったのだろうなとは。

この時期の三菱は、クライスラーとの提携関係に引き摺られ、新車の開発が遅れていた感がありました。ミラージュも登場から4年近くでのマイナーチェンジということで、ライバル車との関係は覆せず。ランサー・フィオーレは、2年足らずで2代目へと進化することになります。



2月22日 コルディア/トレディア(新発表)

コルディアもまた、前年秋のモーターショーに参考出品されています。
セレステの後継車を想定した三菱店向けのコルディアXG、ミラージュからの上級移行を想定したカープラザ店向けのコルディアXP、ランサーの後継を見据えつつ同格の新型FF車としてカープラザ店に投入されたトレディア。どれも、コンパクトとミドルの中間を狙っていた点も含めて、三菱なりの戦略はあったのだろうと思います。

しかしながら当時は、コンパクトクラスはカローラ・サニー・ファミリアが大乱戦。ミドルクラスはブルーバード・コロナ・カリーナが同様の戦いの真っ只中にありました。特に前者は、販売奨励金の投入に伴う大幅値引き、相当数の自社登録や業販卸によるノルマ消化とルール無用の様相を呈してもいて。

そんな乱戦は、巻き込まれなかった車の方が少ないくらいであり、どちらかと言えば地味系のニューネームが喰い込んでいける余地は殆どなかったことは間違いなく。

結果的に、こと国内においては、日産のT11 3兄弟と同等、あるいはそれ以上の燦々たる結果となってしまいます。しかしながら、後年追加された4WDの1800ターボが冠雪のラリーフィールドにおいて成績を残している点は、忘れずに書き残すことにします。


コロナとブルーバードの少し上、マークIIやスカイラインも見据えた位置に置いたギャランΣとΛが成功を収めて以降、三菱はトヨタと日産のラインナップの中間を狙う商品構成となっていました。少ない車種構成で二大大手と対峙する工夫でもあったのでしょう。
コルディア/トレディア以降、三菱は2社のラインナップの隙間ではなく、正面から対峙する車種構成へと修正が図られていきます。その点では三菱のターニングポイントとなった車種という見方はできるかと思います。

この時期は、フルラインターボが一つのキーワードでした。2000に続き1800を登場させていたターボは、ミラージュIIに1400、コルディア/トレディアに1600版が設定され、200cc刻みの構成を成立させています。折角のフルラインターボでしたが、近過ぎて使い分けに苦慮した感はあり。また、爆発的に盛り上がったターボブームもこの頃には峠を過ぎ、下り坂の局面に入っていました。その点、もう1年早ければまた違う結果だったかも、とは。
後年にはフルライン4WDやフルラインGDIがあり、同じ頃にはフルラインバンパーガードという揶揄もされた三菱。その端緒がフルラインターボですね。



〇マツダ


9月1日 コスモ(フルモデルチェンジ)
10月16日 ルーチェ(フルモデルチェンジ)

元々先代のコスモは、北米からの要望を背景に、2代目ルーチェをベースとした2ドアクーペという成り立ちでした。117クーペ程度しかなかったラグジュアリークーペへの参入。排ガス規制に伴い牙を抜かれた車が相次ぐ中、燃費を代償としたパワフルな走りもこのカテゴリでは例外的に受け入れられ、困窮を極めていたマツダが立て直すきっかけとなりました。

その後、コスモにはノッチバック&ランドゥトップに仕立てたLが追加され、ロングライフモデルとなる一方、ルーチェは追加車種としてのレガート名をサブネームとした過渡期を経て、正式に3代目となります。

結果的に2世代のシャシーが併存していた形であり、このクラスのラインナップの整理は課題の一つとなっていました。

この両車、2ヶ月弱の間に何故か五月雨式の登場であり、9月1日時点では2ドアのレシプロ版のみ登場。10月1日にレシプロのみのコスモ4ドアHTが追加された後、10月16日にコスモにもロータリーとサルーンが追加され、両車が出揃う形となっています。

それまでは全く別の車種として認知されていた両車を、マツダ店向けのルーチェ、マツダオート店向けのコスモという形で統合したのは明らかに失策であり、販売台数が伸び悩む理由ともなりました。
それまでの経緯からすると、コスモの2・4ドアHTとルーチェサルーンまではいいものの、コスモサルーンは蛇足だった感が拭えず。またルーチェにはもっとサルーンに近い別の4ドアHTが投入されていれば、結果は変わっていただろうと思わされたりします。

遅れて投入されたロータリーも、燃費を重視して、それまでの13Bに変わり12Aの設定。ターボブームでハイパワーに慣らされた市場では歓迎されなかった変更であり、これも後に追加される12Aターボや13Bが当初から設定されていれば、とは。


前年に投入されたファミリアが想定をも超える大成功を収めたマツダは、この両車でさらに波に乗ってと考えていたであろうことは容易に推測できます。期待に反する結果と書きつつも、マツダも想定していなかったであろうロングライフ商品となった点は書き添えたいところです。
この型のサルーンは、カスタムキャブと名前を変えて20年近くも売られ続けているのですから。



〇ホンダ


9月22日 アコード(フルモデルチェンジ)/ビガー(新発表)

コロナやブルーバートは少し異なる購買層の確保に成功したアコードもライバル車のFF化による競争の激化が予想される中、どう進化するのか興味を持たれた一台でした。

2代目は初代の熟成路線であり、ベルノ店の最上級車として兄弟車のビガーを加えての登場。ビガーが1800のみとされたのは、少し下に置かれたクイントへの配慮でしょうね。

国内においては、同級他車が次々FF化する中で、初代程の存在感を発揮できず、どちらかというとあまり目立たない存在となります。一方、北米では初代に続いて大人気となり、初の現地生産車ともなります。規格型の角目4灯を用いたビガーのフロントマスクは、輸出仕様の転用だったりしますね。



10月29日 シティ(新発表)

2代目シビック以降、保守的な新型車が続いたホンダが、久方ぶりに放った革新系ビックリ箱がシティでした。

若手で構成された開発陣が作ったモデルは、初代シビックを連想させる、安いからではなく好きだから選ぶのだと言えるクラスレス感にあふれていました。追い込まれていた状況からの開き直りに映る点も、両車の共通点。

全高1,460mmは今の基準では標準的な数値ですが、当時の小型乗用車としては驚きの高さであり、ステアリングやシート等もパッケージングに合わせる形で新たに起こされています。ミラの後追い的に書かれたこともありますが、その点は大きな違いであり。

市場人気は沸騰し、当時としては例外的な値引き殆ど無でも飛ぶように売れていきますが、反面一時的なブームとなってしまったのは想定外だったのかもしれません。この後ターボが登場すると、人気はそちらに移行した後、急速にしぼんでしまうことになります。

ここで構築されたパッケージングは、シビックシャトルでも活用されますが、当のシティは2代目で真逆のクラウチングスタイルに大変身。細く長く売るが理想的だったと思いますし、それが可能だった意欲作だったと思うのですけれども。


シティの爆発的ヒットが明らかなターニングポイントとなったホンダは、この後、2代目プレリュード、3代目シビックとヒット作を連発し、80年代の躍進に繋げていきます。



〇スバル

8月20日 レックス(フルモデルチェンジ)

アルト/フロンテが起爆剤となった新世代の軽自動車は、ミラ/クオーレを経て、この年レックス/レックスコンビが登場しています。

スズキに続いてのRRからFFへの転換となりますが、スバル360からの伝統的レイアウトからの変更という観点では、一大転機だったことも間違いなく。最後までRRを続けたサンバーとの決別点という見方もできますね。

ライバル車を研究した上での最新型は性能面での評価は高く、4ナンバーのコンビに設定された上級仕様は、他車にも影響を与えています。女性比率が急上昇していた軽自動車においては、ミラのようにスタイリングが人気を牽引するとはならなかった点が惜しまれ、その辺り、当時のスバルらしい一台と言えるかもしれません。



〇いすゞ

5月13日 ピアッツア(新発表)

10年以上も生産が続き、後継車の登場が急務だったのが117クーペ。
後継車は、1979年のモーターショーに「アッソ・ディ・フィオーリ」名で参考出品された後、市販版が新たな名称「ピアッツア」と名付けられ市場投入されています。

近年の研究において「アッソ・ディ・フィオーリ」と「ピアッツア」の関係は先行開発と市販版の関係ではなく、全く別物として時期をずらしつつの開発だったことが推測されていたりもしますね。

いすゞ期待の一作でしたが、販売はもちろん、人気も前評判程には盛り上がらずの結果となりました。

一つには、ベースとなったジェミニが既に末期状態で登場せざるを得なかったこと、もう一つには、117クーペの時代にはライバル車として思い浮かぶのは、2代目コスモぐらいで強いて言えばセリカXXが挙げられるくらいだった上級のラグジュアリークーペ市場に、レパードやソアラが参入したことが挙げられるかと思います。レパードやソアラと重なるピアッツアの価格設定は、スペックで比較となった時に不利であることが明白でした。他車には脇目も振らず、一目惚れでの購入以外は成立しにくい車種だったとも言えます。

この時期にはアスカの開発も隣で進行していた時期となりますが、ピアッツアのタイミングとは合わず、アスカはFFということもあって、ジェミニベースは当初からの方針でもあったのでしょうね。

今視点だと明らかな先進性が見て取れるデザインも、当時は識者が高く評価したくらいで一般的な人気とはならずでした。直線的なデザインの車が人気を集める中で、理解され辛い存在だったのだろうとは。

この数年後に、ピアッツアからの影響が感じられる3ドアクーペがいくつか登場。
登場から年月を経るほど、内外装の仕立てが再評価された感はあります。デザインだけで買う価値あり、という認識も後年の方が成立し易くなった気も。



〇ダイハツ

10月8日 シャルマン(フルモデルチェンジ)

モデルチェンジ時期が重なっていたカリーナとの新たな兄弟関係の構築、あるいは冗談半分で今度はカローラ30ベースと揶揄されたのがシャルマンの新型車。順当に(?)カローラの70系ベースで登場しています。

登場の背景に20と30の併存があり、各所に20の面影を残していた初代に対して、ほぼ70の印象を消した内外装を纏えたのは、デルタワイド(&タウンエース)、シャレード、ミラ/クオーレとヒットモデルを続けられていたのが大きな理由でしょうね。決して多くの台数とは言えないものの、廃止の選択を躊躇うくらいの事情も存在していたのでしょう。

このモデル自体は、当初クラスを超えた豪華仕様アルティアが話題となったものの、その後は埋没した感は否めません。70関連だと、後にカローラバンの生産を受託するようになるダイハツ。FRで残った利点を走りや廉価に生かせれば、また別の展開も可能だったかもとは思います。シャレードやミラがライバル車と争いつつで売れていましたから、シャルマンまで手が回らなかったと想像はできますね。
(シャルマンの思い出話はこちら


この時期の日本車の動きとしては、殆どの社の利益の源泉だった北米輸出が、現地メーカーや雇用への圧迫という理由で台数制限が導入され、大きな転機を迎えていました。ホンダを皮切りに現地生産の検討を始める一方、排ガス対策も一段落して、まだまだ成長していた国内市場に活路を見出すようになります。

この年に登場した新型車達は何れも、国内市場を戦い抜くために必要とされた駒だった訳です。兄弟車が数多く登場しているのも、各販売チャンネルに供給するためであり、総力戦の火蓋が切って落とされたという見方でいいかと思います。


この年度に登場した新型車達へ、あまり取り上げられない視点を意識しつつで書き加えた我流の解説。結構厳しい書き方をしているかもですけれど、後年に登場したモデルよりは明らかに国内市場を意識した成り立ちを愛おしく思いつつで書いていたりします。何より個人的には前回で取り上げた車たちよりも明らかに書きやすくもありまして。

私と同世代以上にとっては懐かしく、以下では情報と想像だけで知る年代かと思います。当時への橋渡しの一助として、ご笑覧いただけるとありがたく存じます。



【画像の出展】
FavCars.com
Posted at 2022/01/16 20:27:08 | コメント(7) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2022年01月10日 イイね!

2022年に新成人を迎えるクルマ達

時間が取れれば、久方ぶりの首都圏の雪から思い出話でも書きたかったところなのですが、新年明けて以降、何かと忙しく。
それどころか、タイミングを逃すわけにはいかないこのお題を作るのすら、時間に追われる始末。また、この年は意外と登場車種が多いじゃないかと、嘆いてみたくもなる訳で。

何とか間に合わせた自分を褒めつつ、それでは2001年4月2日から2002年4月1日の期間に登場したクルマ達を取り上げてみます。

今回は自動車ガイドブックの掲載順に合わせて、日本車はメーカーのアルファベット順としてみます。

〇ダイハツ
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10月10日 マックス(新発表)

軽自動車の新規格適合から一段落して、モデルライフの谷間で派生車種を追加していた時期となります。ダイハツからはマックスが登場。
自分的にはしばらくぶりの名称を懐かしみましたが、販売的にはミラやムーヴといったメインストリームに呑まれた感は否めません。結局一世代で絶版となっています。



〇ホンダ
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4月5日 ステップワゴン(フルモデルチェンジ)
6月21日 フィット(新発表)

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7月2日 インテグラ(フルモデルチェンジ)
9月18日 CR-V(フルモデルチェンジ)

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12月21日 モビリオ(新発表)
2月7日 ザッツ(新発表)

90年代末を彩ったクリエイティブムーバーの一部が2世代目に突入しています。この辺りは初代の好評を受けてのキープコンセプトとなっていますが、その分初代程のインパクトとはならなかった感はあります。

ホンダとしては、この年登場したフィットとモビリオが成功したことの方が大きいでしょうね。特にフィットは長年続いたカローラのベストセラーの座をついに交代させる存在となりました。

軽自動車の派生車種、ホンダからはザッツが登場。これまた一世代での絶版車ですね。



〇マツダ
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2月15日 スピアーノ(新発表)

唯一の新型車はラパンのOEMでした。オリジナル車種は、経営が苦しかった時期かつアテンザ以降の新世代の仕込み時期となり、この年はお休みでした。毎週のように大廉売を繰り返していた時期とも言えそうな。



〇三菱
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6月20日 エアトレック(新発表)
10月11日 ekワゴン(新発表)

一大騒動となったリコール隠しも何とか一段落して、この年はこの2台が登場。
SUVと軽自動車という体制は、既にこの時期に片鱗が現れていたとも言えそうです。前者はあまり大きなインパクトとはならなかった感が強いですが、後者は三菱の軽自動車の中心車種に成長。騒動がなければ、その後の三菱の軽自動車の歴史は変わっていただろうと思わされたりします。


〇日産
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6月18日 スカイライン(フルモデルチェンジ)
10月16日 ステージア(フルモデルチェンジ)

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2月26日 マーチ(フルモデルチェンジ)

リバイバルプランを引き続き展開していた時期となります。
この中でスカイラインは守旧派のファンから集中攻撃の様相となりました。S54からR34までの流れとは明らかに異なるけれど、初代への先祖返りじゃないのと言われて腑に落ちたというのは当時の思い出話。そういえば、ジャパンやR30だって売れていたのはXタイプだったよなとは。

私的にはむしろ肯定的に受け入れられなかったのがマーチ。ヴィッツやフィットとの比較だけでなく、パッケージング的には先代よりも後退に映ったくらいで。無論、見る目の無さを反省。
実は時代を超えられる存在だったのでは、というのは私感。このまま続いていれば和製フィアット500になれたのかなとも。続けられなかったのが実に日産らしいとも言えるのですけれど。



〇スバル
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2月12日 フォレスター(フルモデルチェンジ)

前年のインプレッサに続き、フォレスターも2世代目に進化。インプレッサ同様、中身は熟成路線と言えるものですが、フォレスターとしてはキャラクターの確立の点が大きかった世代かなと。この年に登場したクルマ達の中でも、古さをあまり感じないなというのは私感。



〇スズキ
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11月16日 MRワゴン(新発表)
1月22日 アルト・ラパン(新発表)

スズキもまた、軽自動車の派生車種を登場させています。
MRワゴンは、Aクラスからの影響を感じさせる一台。2代目も登場していますが初代とは結構大きく変わることに。この世代だと、むしろモコの方が印象も強かったりしまして。

ラパンも時間の経過を感じさせない一台ですね。登場時点ではここまで続くとは予想できませんでした。大きく売れたというよりは、根強い人気が潜在するが今も変わらずで続く理由なのでしょうね。



〇トヨタ
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4月3日 ソアラ(フルモデルチェンジ)
4月6日 Will VS(新発表)

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5月14日 イプサム(フルモデルチェンジ)
5月21日 カローラ・スパシオ(フルモデルチェンジ)

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6月4日 ブレビス(新発表)
7月6日 ヴェロッサ(新発表)

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8月1日 クラウン・セダン(フルモデルチェンジ)
9月27日 カムリ(フルモデルチェンジ)

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11月16日 ヴォクシー/ノア(新発表)
12月25日 プレミオ/アリオン(新発表)

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1月25日 マークIIブリット(新発表)

他社が苦戦する中、独走状態に入りつつあったのがトヨタ。新型車の数だけでも、当時の状況が垣間見えたりします。
ヴィッツに端を発したコンパクトカーの再構築は一段落ということで、他のセグメントが主となります。それでもこの車種数。今の車種構成からすると、これだけの新型が出ることは、もうなかろうとも。
内訳的には、新発表は幾つかあれど、車名変更に因るものが大半。当時は車名を変えなくてもいいのでは、と思ったものです。セダン・イノベーション最後の挑戦とも言えそうな。

国内市場を完全に抑えたトヨタは、世界一を取りに行く体制となっていきます。その体制はリーマンショックで大やけどとなるのですけれども。

当時の界隈で一番話題になったのは、実はクラウンセダン。
150という確立したセダンワールドから、クラウンコンフォートの上級版への変更は果たしてフルモデルチェンジと言っていいのか、熱い論議が交わされたものです。当初はスーパーデラックス系のみでしたが、バンパーとサイドモールを大型化してロイヤルサルーンと名乗らせるに至っては、深夜のファミレス座談会の格好のネタともなりました。

父が「新しいクラウン、テールランプがたくさん点いて、カッコイイじゃない」と言い出し、「実はあのシャシー・・・」と即座に止めたのも、今では懐かしく思い出されたりします。



昨年に引き続き、輸入車も掲載してみます。
引用元から、画像は現地仕様が大半であり、モデルイヤーを含め、当時の国内仕様と微妙に異なっている箇所があります。雰囲気が伝わればということでご容赦くださいませ。

〇GM
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9月4日 シボレー・トレイルブレイザー(新発表)
10月22日 シボレー・クルーズ(新発表)

〇フォード
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4月17日 モンデオ(フルモデルチェンジ)

〇クライスラー
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5月25日 ボイジャー(フルモデルチェンジ)
9月25日 チェロキー(フルモデルチェンジ)

〇ジャガー
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8月29日 Xタイプ(新発表)

〇ランドローバー
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1月23日 ディフェンダー(新発表)

〇VW
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7月10日 ルポ(新発表)

〇アウディ
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5月14日 A4(フルモデルチェンジ)

〇BMW
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10月18日 ミニ(新発表)
10月18日 7シリーズ(フルモデルチェンジ)

〇メルセデス・ベンツ
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10月24日 SLクラス(フルモデルチェンジ)

〇アルファロメオ
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9月19日 147(新発表)

〇マセラティ
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10月10日 スパイダー(新発表)

〇ルノー
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3月27日 カングー(新発表)

〇プジョー
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9月26日 307(新発表)
10月22日 607(新発表)

〇シトロエン
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6月21日 C5(新発表)

〇ヒュンダイ
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5月15日 XG(新発表)


今年も輸入車は感想を一纏めで。
本国発表からしばらく経ての国内導入が含まれることから、日本車以上に多彩ですね。今も続くモデルが含まれる一方、少量の輸入のみで打ち切られたモデルもあって、その点でも多彩。

この年の輸入車で一番話題となったのはBMWでしょうね。ミニのクラシックからの大きな変容に驚かされ、別の意味で7シリーズのスタイリングに驚きもし。

ミニはどうなるのかと思っていたら、その後はバリエーションを拡げて大きな成功に。逆に中身はモンデオと知りつつも、佇まいがいいなと思えたジャガーのXタイプはその後失速。これだけでも、登場時点の個人的評価なるものはあてにならないと自戒を込めて認識するのです。


こうして並べて見ると、その後も続いていて、(特にキャラクターを変えていないと)もう20年?と思える車種がある一方、あっという間にしぼんで、今ではカルトカーに類される車種も含まれていたりします。20年という時間の中で評価が変わった車も多数。等しく時間は流れている筈なのですけれどね。


私自身は、81マークIIセダンの2台体制を整えると共に、実家を出て自分の居を構えた年となります。「男30 GTアゲイン」というCMコピーを思い出しながら、30代を迎えての一大転機を進めていたことは間違えないのですが、これで人生設計の大半は整ったという想定は大きく外れる結果となります。

何事も未来が予想と異なることは多々あるということですね。


【画像の出展】
・マックス、eKワゴン、MRワゴン、ザッツ:自動車ガイドブック
・他車:FavCars.com
Posted at 2022/01/10 05:59:11 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然昔話 | クルマ
2022年01月01日 イイね!

2022年最初の投稿

明けましておめでとうございます。

コロナ禍が起こって以降、激動の昨今、今年も引き続きの予感です。ここも引き続き愛車共々相変わらずで続けていきたいと考えています。
本年も変わらぬお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


今年の干支は「壬寅(みずのえとら)」。

とらの名で思い出すのは、このクルマでしょうか。
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ラテン語で虎を意味するTigraを車名としたこのクルマ、当時はVitaのクーペ版として一定の知名度はあったと記憶しますが、今では懐かしいの属性かもしれませんね。


後は、タイガース ミラとかも頭に浮かんだのですが、今一つ話が広がらない感は拭えません。そこで、今年も連想ゲームのように話を拡げてしまうことにします。

私的には、虎から真っ先に連想するのは、阪神タイガース。野球をすっかり見なくなって久しいのですけれど、タイガース ミラの祈念が実現した1985年の日本一は今でも鮮明に覚えていたりします。21年ぶりの優勝ということもあり、今よりはるかに野球が日常に溶け込んでいた時代にあっては、そこまでの軌跡も含めて、社会現象と化していました。

父が関西出身ということもあり、当時は親子揃っての阪神ファン。どこかで落ちるんじゃないかと不安を抱えつつも、「こまかいこと言わんとき とにかく打ちゃええんや」とばかりに勝ち進むその姿に私も熱狂したものでした。





伝説のバックスクリーン3連発は父のカローラのラジオで聞き、優勝の瞬間は自宅のTVで見たことを覚えています。


この1985年、思い返すとクルマ業界も活況を呈していました。
流面形セリカ3兄弟、7thスカイライン、リトラのアコード、FC3S RX-7、FFジェミニ等、名メーカーから次々、今も記憶に残る名車が誕生した年となります。

一方で、フルモデルチェンジではなく車種追加やマイナーチェンジだったりしますけれど、個人的に何より印象深かったのはこの3車だったりします。
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1月7日にマイナーチェンジと同時に追加された、ソアラ3.0GTリミテッド
クラウンで先行実施された6M-GEUへの換装は予想通りでしたが、エレクトロ・マルチビジョンに何より驚かされました。トランク脇から自動で立ち上がる2本のアンテナがまた、とてもカッコよく映ったものです。


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9月9日にマイナーチェンジと同時に追加された、クラウン スーパーチャージャー
「いつかはクラウン」は当初TWINCAM24が主力。好調に売れながらも、ATと組み合わせた時の評判は今一つ(評論家筋は酷評)でした。それを覆すべく生まれたCHARGED LASREαの第一弾。
この世代、マイナーチェンジによるリファインが上手く行われた感もありますね。


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10月9日に追加された、マークII/チェイサー/クレスタのGTツインターボ
クラウン以上に好調に売れていたのがこの3兄弟。特にマークIIは社会現象としても語られていました。こちらも1G-Gベースながら、異なる解を求めたCHARGED LASREαの第二弾。
GTは、従前のTWINCAM24よりも走り重視の設定。それがまたチューンドカーっぽさを感じさせて格好よく映りました。


無理繰り感を厭わずで書いてしまうと、トヨタ版猛虎打線とでも。どれも最高潮を迎えていたハイソカーブームに乗って高価にも関わらず、毎月多くの台数を販売していました。老若男女を問わずで多くの人の心を捉え、また憧れの存在ともなっていたのです。

私も、年初にソアラで驚き、秋に出た6気筒4ドア群に心を奪われもしました。

ソアラとクラウンはこの中では少し高みにあった存在。多少なりとも身近に感じられたのが3兄弟。その中でも一番のお気に入りはこの仕様でした。
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バンパーモールとサイドモールの高さ違いを隠すのが、このパールシルエット・トーニング。当初はTWINCAM24の専用設定色でしたが、この時GTとシングルカム ルーセントにも設定を拡大しています。
GTは高望みで、シングルカムで充分とか思っていました。


今から遡る37年前(寅年で繋がらなかったのが少しばかり残念)、阪神の快進撃とトヨタの高級車に夢中になっていた日々だったなと、今はしみじみ。

当時はまだ中学生でしたから、カタログを早々に入手し、自動車雑誌共々ひたすら眺めるだけではあったのですけれどね。

それでも、精一杯の背伸びあるいは力一杯のジャンプでなら、将来もしかすると手が届くかもと感じられてはいたように思います。縁の糸が断線している諦め感はなくて、長く絡まりながらもきっと繋がっている筈という希望を持てたというか。

今の世相的には、この種の少しだけ遠い憧れはだんだん存在が減っている感は否めません。現実の生活に即した車か天上界的な趣味車の2極化が進んでいるように映っています。

それでもクルマを日常としては用いない私にとっては、手の届く範囲という条件の中で、利便性よりも性能やスタイリングでいいクルマ感を感じたいと思うのです。諦めたりせず、少しだけ遠い憧れを再び見させて欲しいというのは切なる願いです。

このブログ、主体は昔を懐かしむなのですけれど、何かしらの気付きが見出され、そこから何かが生まれるかもと思いつつで続けています。新車だけを追わないのは、現実から少し離れた場所でもありたいから。

今年も時に現実から離れつつ、東西南北の各地へ出かける日々を過ごしたいと思っています。特に今年は、第一の目標である100,000km到達も大切なミッションですしね。

また今年も初日から長くなってしまいました。
以上、初日の挨拶に代えさせて頂きます。

令和4年元旦

画像の出展
OPEL Tigra:FavCars.comより
その他:CAR and DRIVER誌の各DRIVING REPORTより
Posted at 2022/01/01 00:02:51 | コメント(9) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ

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「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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