2025年06月07日
ボブ
これはフィクションだ。
6月の夕方の7時は、まだ、明るい。
駅に向かって歩いていた。
小柄な女が歩いている。
ポニーテールが歩くたびに揺れている。
25歳ぐらいだろう。
決して派手さはない。
むしろ地味である。
目線は真っ直ぐと前を捉えている。
街の人に紛れてはいるが、一目で分かった。
3年前に振られた彼女だ。
すれ違った。
「マナ」
声にはならない声が出ていた。
数本歩いた。
背後から聞こえた。
「えっ。アキ?」
振り返ると、彼女はこちらを見ていた。
ゆっくりと歩み寄る。
彼女の瞳は強い意志を感じさせる強さを秘めている。
マナ「アキなの?やっぱり、アキだ」
アキ「そうだ」
マナ「元気そうね」
その笑顔は当時の彼女そのものだ。
アキ「君も」
マナ「そう、みえる?」
アキ「何年振りかなあ」
覚えてはいるが、聞いてみた。
マナ「3年よ。3年前の今頃。そう、今日」
アキ「覚えているんだね」
マナ「アキって、相変わらずね」
彼女は何か言葉を飲み込んだ。
アキ「時間、ある?喫茶店でも?」
マナ「いいえ、あの店に行かない?」
この時間なら、彼女に別れを告げられたバーは開いている。
バーの重い扉を開け、マナを先に。
マスターが驚いた表情を隠した。
マスター「いらっしゃいませ」
マスター「こちらの席へ」
案内された席は別れを告げられた椅子。
アキ「マスター、この席は」
マナ「良いじゃない?マスター覚えていたのね」
マスターは無言だ。
マスター「ご注文は?」
マナ「何か強いお酒を・・・マルガリータ」
アキ「じゃ、同じものを」
マスター「マルガリータです」
マナ「乾杯」
無邪気な明るい声だ。
この声には、やられる。
この状況は俺に勘違いをさせる。
だめだ、振られた元彼女と振られたバー、振られた椅子でカクテルを飲んでいる。
マスター「マルガリータ・・・無言の愛・・・カクテルには言葉があるんです」
マスターは席を外した。
アキ「そんな、意味のカクテルって」
マナ「知らなかったの?アキはいつも私と飲んでいたわよ、このマルガリータ。私、勘違いしていたのかな」
マナは、こちらを見向きもせずに微笑んだ。
あかん。
完全に勘違いしちゃうだろ。
マナ「どうしてた?」
アキ「3年前、しばらくは落ち込んでいた。最近になって、立ち直ってきた」
マナ「・・・そう・・・」
つまらなそうに答える。
マナ「私から言わせるつもり?」
アキ「何?」
マナ「だから、アキは私から連絡先を聞かせるつもり?」
アキ「えっ?いや、連絡先を交換してくれないか?」
マナ「・・・良いわよ」
マナ「・・・アキは相変わらずね」
マナ「これ、飲んだら帰るわ」
アキ「送るよ」
マナ「いいわ。1人で帰る」
アキ「君をマナって呼んでも良いかな」
マナ「さっきから私はアキって呼んでいたわよ」
マナを駅まで送り別々の電車に乗った。
数日後、マナから電話があった。
マナ「アキ、相変わらずね。私から電話させるなんて」
アキ「ごめん」
マナ「あの店で会いたい」
アキ「分かった。7時に」
マナ「少し、遅れるわよ」
アキ「構わんよ」
マナ「ふふっ」
店で30分程待っていると重い扉が開いた。
マナが立っていた。
マナ「この席ってリザーブなの?」
ためらいなくアキの右側に座るマナ。
マナ「こちら側、アキの右側が私の指定席なんだ」
マスター「ご注文は?」
マナ「マルガリータをお願い」
アキ「同じものを」
マナ「先に飲んでいなかったの?」
アキ「いや」
マスター「マルガリータです」
マスターは席を外した。
アキ「髪を切ったんだね」
マナ「そうよ。ボブにしたの」
アキ「大人っぽく感じるよ」
マナ「私は大人よ」
唇を尖らせる。
マナ「乾杯」
マナ「会社を出る時に上司に言われたわ。男はボブに弱いって。あれって、セクハラよね」
アキ「確かに弱い」
マナ「同じ言葉も言う人が違うと感じ方が変わるわね」
マナ「私、カクテルの言葉を覚えた」
マナ「次はカーディナル」
アキ「(優しい嘘)か・・・」
アキ「では、マティーニを」
マナ「(長いお別れ、遠い人を想う)ね」
マナ「ありがとう」
マナを駅まで送り、別々の電車に乗った。
気まぐれな女だ。
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Posted at
2025/06/07 05:40:07
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