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アクティブアスパラのブログ一覧

2025年07月27日 イイね!

鉄道による新車輸送

鉄道による新車輸送先日、「日産追浜工場の想い出 」をアップしましたが、アスパラには思い出深くても50年以上前の話ですから、いまの若い方々には当時の時代背景は伝わらなかった気がします。

追浜工場で生産した新車を陸送していくという話ですが、その行先に横須賀駅があることに首を傾げられる方もいらしたでしょう。昭和の末期には鉄道による新車輸送が盛んに行われており、横須賀線横須賀駅も輸送基地の一つになっていました。

鉄道による新車輸送はその後すっかり廃れてしまい、アスパラの記憶も怪しいので、今回あらためてネットでいろいろ調べてみました。

1960年代には衰退して行く国鉄の貨物輸送を立て直すために拠点間輸送を指向して、その中で自動車メーカーで生産された新車を鉄道で各消費地へ輸送するというビジネスに大きな期待が生まれました。試行錯誤を経た後、1966年10月から本格的に自動車輸送が始まりました。開始時点では9ヶ所(籠原、大宮操、東小金井、川崎河岸、横須賀、厚木、笠寺、百済、川西池田)の輸送基地が用意され、その中に日産追浜近在の横須賀駅もありました。いずれの輸送基地もメーカー工場の近くあるいは大規模消費地です。

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写真はWikipediaから拝借
輸送には自動車輸送に特化した「ク5000形 」という貨車が使用されました。全長20.5mの車体に1200 cc - 1900 cc級なら8台、800 cc - 1000 cc級なら10台、360 cc級なら12台のクルマが積載できました。

始めたところ大いに好評で、国産自動車メーカー全てが鉄道による新車輸送を採用したため9ヶ所でスタートした輸送基地は1970年には29箇所にまで急速に増えました。専用貨車であるク5000形は合計932両も製作されて、1972年には国内自動車生産の30%にあたる79万台のクルマが鉄道で運ばれました。

当時の様子がよくわからないので、国土地理院の空中写真閲覧サービスを利用してみました。
【横須賀線 横須賀駅】
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1977年12月26日撮影 国土地理院

横須賀駅
いまでは横須賀線末端部の寂しい駅ですが、当時は多くの貨物側線があることに驚きます。
一角にある車載設備は比較的小さな規模です。

【岡多線 北野桝塚】
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1977年11月9日撮影 国土地理院

びっくりする規模なのはトヨタの上郷貨車センターです。
鉄道輸送の有用性が認識されたので、1970年にはまだ建設中だった岡多線をトヨタ自動車向けの自動車輸送用に北野桝塚まで部分開業させています。上郷貨車センターはトヨタ輸送が管理していて1万台分のモータープールがを用意され、北野桝塚駅から構内までは専用線で結びました。最盛期にはここから1日10往復、貨車140両で自動車1,300台を出荷するという規模となりました。
豊田市内には元町、堤、高岡といったトヨタの車両工場が集中しており、この上郷貨車センターは大変有用です。さすがトヨタで、やるとなったら一気呵成です。旅客営業が始まるまでの6年間、東海道線岡崎とトヨタを結ぶ10キロ近いこの区間はまさにトヨタの専用線でした。
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(『日本の新しい鉄道』久保田博 昭和47年 保育社刊 p74-75より)
最盛期の上郷貨車センターの写真ですが、車運車ク5000へ積み込んでいる様子もわかり、その盛況ぶりが伺えます。

【御殿場線 岩波】
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1976年10月6日撮影 国土地理院

今度調べていたら、さらに興味深いことを知りました。なんとご近所の御殿場線岩波駅から関東自動車(後のトヨタ東日本)東富士工場までもかつては専用線があり、なんとここから新車を出荷していたそうです。

専用線は、岩波駅の北1kmほどの場所で御殿場線から分岐し、カーブを描いて工場敷地へ入りますが、途中には川を渡る橋や東名高速道路の高架下を潜るトンネルもあります。この専用線は総延長は2.2kmで、1982年11月に廃止されたそうです。

東富士工場から東名を跨ぐ専用橋を渡るとそこには車載基地があるというまことに効率良い設計です。それまで沼津で車載していたものを1969年7月に専用線が完成して岩波に移転したそうです。と言うことは御殿場線を新車を満載した貨物列車が走っていたことになります。


実はYoutubeに「今もくっきり残る御殿場線の廃線跡」というのがあり、廃線跡があることは最近になって知りましたが、工場を建設するときの工事線かと勝手に勘違いしていました。

大いに盛んになった鉄道による新車輸送でしたが、1972年をピークにその後は国鉄では労働争議によるストライキが続発したため、安定輸送への信用を一気に失って衰退していきます。1984年末にトヨタが鉄道輸送を廃止してからは、日産栃木から横浜港に運ぶ列車が例外的にしばらく残ったものの、鉄道による自動車輸送は終わりました。

既にみなさんの記憶からも消えつつありますが、確かに「鉄道による自動車輸送」というのは一つの時代を築きました。できることなら産業遺産として記憶に残していただきたいものですが、年寄りの繰り言でした。
Posted at 2025/07/27 19:36:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2025年07月19日 イイね!

自動車学校の優等賞

自動車学校の優等賞私が住む静岡県東部でいま全国的な話題になっているのが、伊東市市長の学歴詐称問題です。いや〜実に恥ずかしい話です。
卒業したと思って東洋大学法学部卒業と言っていたが、実は除籍されてましたと仰ります。

4年生の頃は不真面目な学生でほとんど大学に行っていなかったけれど4年間在籍したから卒業はしたと思い込んでいたとのこと。不真面目な学生という点ではアスパラも人後に落ちませんが、卒業するための単位を工面するのにどれほど苦労したことか。教授の部屋にお願いに行ったことも何度かありますし、後輩達からは「4年で卒業できたのは奇跡」と賞賛されるほどの綱渡りでした。しかし、このとき発揮したマネージメントが、その後の社会人生活の基礎になってものすごく役立ちました。

さりながら卒業したことの証明を見せろなんて言われると、アスパラも戸惑います。卒業証書はあるはずですが、50年も前のことですからどこにやったかとうに忘れました。就職の時に卒業証明を提出しただろうし、同窓会から会報が送られて来て寄付のお願いだってされているくらいだから、卒業しているのは間違いないと思うのですが、あらためて「エビデンスを」と言われると立ち往生します。

いまさら学歴を問われる場面はないでしょうが、卒業証書の行方は気になって家中探したら、本棚の奥から何本か筒が出てきました。その中の1本が母校東京理科大学の筒です。
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ジャーン! 
中から出てきた卒業証書。これにて一件落着です。

何本か出てきた筒の中で高校の卒業証書と一緒に出てきたのは
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なんと自動車学校の「優等賞」です。いや〜、こんなこともありました。

当時は受験を終えたばかりですから学科試験なんかお手の物です。その頃は法令、構造、安全と3教科でしたが、法令で1問間違えて95点になった以外、構造も安全も満点でした。実技はクルマに乗りたいばっかりに通い詰めて、最低なら27時限で済むところを35時限も乗ったので、これも楽々100点でした。

試験結果の発表会場では、隣に座った年配のおじさんとおしゃべりしていました。彼は終始「大丈夫かなぁ」と結果を心配しています。試験官が入ってきて「今日は優等賞が出ました」と言ってから私の名前を呼び上げました。すっと立って前に出ていくときのおじさんのびっくりした顔。賞状を貰って帰ってくると「あんた、すごいなぁ」と尊敬のまなざしでした。アスパラの人生におけるもっとも華の場面です。彼も合格していて良かったです。

大船自動車学校はとても良い雰囲気の学校です。なにしろ鎌倉、逗子、葉山、藤沢という高級住宅地から生徒が集まり、そこのお嬢さん達がぞろぞろやって来ます。免許取得という同じ目標に向かっているから自然と連帯感が生まれます。アスパラも湘南鵠沼(くげぬま)のきれいなお嬢様と顔見知りになりましたが、彼女が試験を滑っているうちに私が卒業してしまい、それ以上には発展しませんでした。もっとゆっくり在校すればなにかあったかもしれません。残念なことでした。

卒業証書を探していて思わぬものを見つけましたが、長い学校生活でアスパラがいただいた賞状は、この自動車学校のものただ一つです。貴重なものが出てきました。
Posted at 2025/07/19 20:42:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 雑記帳 | 日記
2025年07月15日 イイね!

日産追浜工場の想い出

日産追浜工場の想い出今日のニュースは日産自動車が2027年度末で追浜工場における車両生産を終了することを発表したと報じています。

アスパラにとって追浜工場はすごく思い出深いところです。1971年大学2年生のときに、アルバイトでここの完成車を陸送するアルバイトをしています。日産の孫請けという零細企業のお仕事です。

当時でも陸送の主体はキャリアカーへの搭載でしたが、端数が出ると自走して届けるお仕事ができて、この会社に降ってきます。
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運ぶ車は510ブルーバード。
長いブルーバードの歴史でも、最もヒットした車種ではないでしょうか。

運ぶ区間は追浜工場から、横須賀駅、横浜神奈川新町、川崎といったところですが、時として静岡県の沼津、長野県の松本なんていう遠距離もありました。

伝票を渡されるとモータープールに行って運ぶクルマを探します。概ねの駐車区域は伝票に表示されているものの、あとは型式と色を頼りに当たりを付けて、ボンネットを開けて1台1台車台番号を確認するという気の遠くなる作業です。
やっとクルマを見つけたら仮ナンバーをつけ、給油して、洗車機を通して、守衛の確認を受けて出庫です。出庫作業はこんなに手間がかかるので、近距離だと割が合いません。

あとクルマには燃料なんかほとんど入っていません。出庫前に給油しますが支給される燃料は最小限。確か横須賀駅で1リッター、横浜で2リッター、川崎が3リッターだったと思います。横須賀駅は距離が近いので問題ありませんが、横浜は横浜駅より先の神奈川新町まで行くので2リッターでは厳しくて、うっかりするとガス欠する区間でした。

そんな訳ですから、燃料計の針はまったく振れません。速度計だって先輩からの申し伝えでケーブルを外しているので針は動きません。道交法違反ですが積算計が回ってしまうとお客様に申し訳ないという気遣いです。

免許を取ってまだ1年半くらいの小僧が新車を運んでいたのですからとんでもない話ですが、そんなことはあたりまえなのが高度経済成長時代です。

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そんな中である日みんなが一堂に集められました。
610ブルーバードUが発表になり、いまから出荷を始めるいう話です。
Jラインという特徴あるフォルムは斜め後方の視界が極端に悪く、運転には充分注意するようにと敢えてご注意がありました。

新しいブルーバードUに乗り込んで一斉に横浜に向け出発すると、信号で停まる毎にまわりのクルマが声を掛けてきます。「なんですか、このクルマは」「外車ですか」と大騒ぎです。うれしくなって得意満面でクルマを走らせました。

いつも運んだあとは電車で戻って追浜駅からバスに乗っていたので、追浜はとても懐かしい町です。日産追浜工場が中心の町ですから、これからは大きく様変わりするでしょう。

アスパラの青春がまたひとつ消えそうです。
Posted at 2025/07/15 20:57:42 | コメント(3) | トラックバック(0) | 昔の話 | クルマ
2025年07月15日 イイね!

Macへの移行が完了しました

Macへの移行が完了しました10月に迫るWindows10のサポート終了に備えてMacを導入したことは3月にご報告しました(Macに悪戦苦闘 (汗))。

WindowsからMacに切り替えることもあり、予期せぬトラブルが多発しそうで、しばらくの期間は従来のWindowsとMacを併存させて徐々に移行させるという手法をとりました。アスパラの頭は衰えが目立ちますから、それくらいの余裕を付けないと心配です。

Macへの切り替えは、やはりいろいろ戸惑うところはありましたが、WinとMacでの世界観の違いというように感じます。でもこれはちっとも辛いことではなく、Macの操作は覚えるとすこぶる快適です。ひとつひとつ身につくことがうれしくなってきます。

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これが切り替え前のWindowsの環境です。
写真を編集する都合もあり、27インチ画像編集用ディスプレイと23インチのサブディスプレイを並べています。
デスクトップパソコンはサブディスプレイの陰に隠れています。

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陰に隠れるパソコンは、作業開始時に電源ボタンを押すだけで、あとは意識されない存在です。

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写真編集のためにスペックを盛ったパソコン(MacBook Pro M4 14インチ)です。
居間でも使えるようにMacBookにしましたが、ありがたいことに手持ちのiPadProがサブディスプレイに使えることがわかりました。14インチのMacBookと11インチのiPadの2画面で作業できて、これは助かります。

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そうは言っても、気合いを入れて作業するには、やはり27インチを絶対に使いたいです。
MacBookとHDMIケーブルで接続するだけで簡単に2画面が実現しました。

これで一応完成形にはなりましたが、Windows機を引退させたらきちんとMac用キーボードを置きたくなります。Windows用に昨年東プレのキーボードを高いお金で導入したのは無駄になりました。

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Appleのマジックキーボード(タッチパッド付)とマジックトラックパッド
Macはマウスよりトラックパッドの方が使い易いというご意見が多いので、トラックパッドを採用します。

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これで従来の環境が整いましたが、裏側でMacBookにいくつもの配線が繋がっています。キーボード、タッチパッド、プリンターは無線接続でも残りは有線接続です。

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写真左側がメインディスプレイに繋がるHDMIケーブル、右側は下から電源ケーブル、サブディスプレイへのUSB-C→HDMI変換ケーブル、スキャナーへのUSB-C→USB-A変換ケーブルです。

ノートブックにしてから居間で気楽にみんから徘徊、新聞電子版の購読、メール・LINEの確認などが便利になり、なんとボランティアの会合にもパソコンを持っていくようになりました。持ち出すときにこれらを外して、帰ってきたらもう一度接続するだけのことと言っても、やっぱりスマートではありません。

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手を出してしまったのがドッキングステーション。
各周辺機器とドッキングステーションをあらかじめ接続しておけば、持って帰ったパソコンを1本のケーブルでドッキングステーションにつなぐだけです。
迷いましたが、折からのAmazonプライムセール20%引きにつられてしまいました。

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これで本当に完成です。
ドッキングステーションは想像以上に便利です。この写真ではイヤホンを繋いで充電していますが、ここにiPhoneを接続したら簡単に写真が転送できました。本体の端子もたくさん残っていて、まだまだ拡張性は充分です。

おかしなことにMacのキーボードを発注した途端に、古いパソコンは電源を入れてもWindowsが立ち上がらなくなりました。復旧手順を調べれば良いのでしょうが、もう面倒臭くなってWindows機は即刻片付けてしまいました。長い間ご苦労様でしたが、あっけない幕切れです。データ移行が終わっていたのは幸いでした。
Posted at 2025/07/15 14:16:49 | コメント(3) | トラックバック(0) | パソコン | クルマ
2025年06月25日 イイね!

箱根に紫陽花を撮りに

箱根に紫陽花を撮りに隠居老人の筈が、何故か忙しさに追いまくられ、教養がある(今日用がある)老人を心掛けてはいるものの、いささか度が過ぎています。

そんな訳でご報告が遅れましたが、先週6月18日(水)に箱根に紫陽花を撮りに行ってきました。写真クラブの6月撮影会ですが、今回は参加人数が少なく、長老ご夫妻と撮影会担当Oさんと私の4人だけで、我が愛車ActiveHybrid3で出かけました。

あじさいですから元々は超有名な大井松田近くの開成町に出かけるつもりでしたが、熱い日が続いていて日陰が乏しい田んぼの中という開成町には恐れをなして、箱根に上がることに変更しました。

集合時間もいつもは5時ですが、夏至直前で日の出に合わすのはもうたいへんなので、それは諦めて6時集合に日和りました。

【行程】
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  長泉町→駿東広域農道→岩波
 →深良みち(県道337号仙石原新田線)→
①深良用水 穴口
 →湖尻峠→芦ノ湖スカイライン湖尻線
②湖尻
 →早雲山線(県道735号大涌谷湖尻線)→
③上湯配水池
 →早雲山線(県道734号大涌谷小涌谷線)→
④強羅(ごうら)
 →彫刻の森→国道1号→
⑤小涌谷(こわきだに)駅
⑥強羅公園
 →国道1号→箱根峠→三島塚原IC→長泉町

箱根に登るにはマイナーなルートですが、裾野市岩波から深良(ふから)川沿いに湖尻峠を目指します。

【①深良用水 穴口(あなぐち)
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頂上が近づいた穴口には、静岡県の誇り「深良用水(箱根用水)」のトンネル出口があります。

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深良用水隧道の案内板
江戸時代の初めに、水に困っていた深良村の名主 大庭源之丞(おおばげんのじょう)が芦ノ湖の水に目を付けて、箱根外輪山の下をくり貫くトンネルを1670年に完成させ、静岡県側に水をもたらしました。それ以来の実績で芦ノ湖は神奈川県にありながら、そこの水は静岡県側のものです。ありがたいご先祖様の功績です。

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豊富な水のお陰で近くの森の中は霧が立ちこめ、朝陽を浴びて見事に光芒が現れています。

【②湖尻】
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湖尻と言えばこの景色、海賊船です。

【③上湯配水池】
湖尻から大涌谷を目指しますが、大涌谷は噴火やら火山ガスやらの心配で、夕方5時〜翌朝9時まで通行止で入れません。
仕方がないのでそのまま早雲山を目指します。
この道はかつて西武系の駿豆鉄道が作った早雲山線という有料道路でしたが、箱根山戦争と呼ばれた西武と東急の争いの中では、東急系の箱根登山バスがここを通ろうとするのを遮断機を下ろして実力で排除するという大騒動だったそうです。

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大涌谷すぐ近くの上湯配水池あたりでは、地面からもうもうと煙が上がっています。火山ガスに巻かれる心配があるので、長時間立ち止まらないようにと注意があります。

【④強羅(ごうら)
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強羅から彫刻の森の間は、箱根登山鉄道と道路が併走します。
この時期登山電車は「あじさい電車」のヘッドマークを付けて走ってます。

【⑤小涌谷(こわきだに)駅】
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箱根登山ケーフルカーと箱根登山電車

箱根駅伝では踏切通過が注目される小涌谷駅ですが、あじさいを絡めた登山電車の写真を狙いました。
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【⑥強羅公園】
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9時になったのでやっと開いた強羅公園に入りましょう。
ここのあじさいがきれいだというのがOさんの事前情報です。

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噴水も涼を誘いますが、それにしても熱い。
登山電車を撮るのに夢中になったせいか長老はダウン気味で、風通しの良いベンチで休憩されます。

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Oさんとあじさいを探し歩いたら、階段のところにあじさいの鉢が並んでいました。

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とても見事な咲きっぷりです。

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ポーズを変えて何枚も写真を撮っていたお嬢さんがいたので、お願いして1枚撮らせていただきました。やはり女性を入れると絵になります。

「暑い」でなく「熱い」という状態です。
10時半になりましたが、このまま撮影を続けようという気力はもうありません。
早々と撤収しましたが、帰ってきたら段々に体調が危なくなってきます。水をガンガン飲んで、昏々と昼寝したのでなんとか切り抜けましたが、どうやら熱中症になりかけたようです。

熱中症を身近に感じました。気づかないうちに重症になるようで、体調の異変に気がついたころはもう手遅れなようです。これは気をつけないといけません。

真夏の撮影はやはり良い写真が撮れません。
熱さと戦ったというご報告です。
Posted at 2025/06/25 17:37:02 | コメント(2) | トラックバック(0) | 箱根 | クルマ

プロフィール

「@福六 さん、やっぱり先を越されてしまいました~!宿とお風呂とお料理の詳細な報告を、よろしくお願いしま~す。」
何シテル?   11/05 19:18
アクティブアスパラです。 42年間の会社勤めを終えて、いまや隠居生活です。体が動くうちにしっかり遊んでおかなければと、テニス、スポーツジム、写真にと毎日大忙し...
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