「阿房(あほう)と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。何も用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」
私が大好きな内田百閒(うちだひゃっけん)(1881-1971)先生による「阿房列車」の書き出しです。昭和25年(1950)という私が生れた頃のお話しですが、明治生まれの頑固親父は気骨に溢れユーモアたっぷりです。「用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないと決めた。」と続きます。当時の国鉄は三等制で普通の人はもちろん三等に乗り、一等なんていうのはいまのグランクラスか更にその上という感じです。
百閒先生に憧れるアスパラですが、いまやお出かけはクルマばかりなので、「阿房列車」になぞらえて「阿房自動車」を走らせております。
お盆休みに入る直前の8月10日(木)、なにも用事はないけれど箱根に行って来ようと思いました。今年のお盆はただならぬ人出が予想され、ヒマな隠居はこんな時は遠慮すべきですから
、最後のチャンスと連休前日に
「阿房自動車」を出動させたのです。
用事はありませんので、気の向くままです。
気の向くままに走ったら、懐かしい道ばかりになりました。
【深良みち】
箱根に登るならマイペースで走れる「深良みち」です。
「深良みち」とはアスパラが勝手につけた名称ですが、東名裾野IC近くの岩波から箱根用水の流れる深良川沿いを箱根外輪山の湖尻峠に向かう県道337号仙石原新田線のことです。湖尻峠近くはまだ狭い道が残っていて対向車に気をつかいますが、前半はすっかり改良された快走路です。見た目より勾配がキツいようで、少し力のないクルマだと登り坂に難儀するらしく、アスパラが吹っ飛んでいくと横に避けて道を空けてくれます。無理に頑張って邪魔をしたりせず、後ろのクルマにすぐ道を譲るというマナーが最近は多くなってきて、これはお互いとても良い気分です。
【芦ノ湖スカイライン】
湖尻峠に上がれば、右に芦ノ湖スカイライン、左に箱根スカイランが伸びています。芦ノ湖スカイランを箱根峠に抜けると800円、箱根スカイラインを長尾峠に抜けると360円とそれぞれ通行料がかかります。どちらも全線転回禁止で通り抜けるのが本来ですが、折角ここまで来たのだからと途中の駐車スペースで折り返えさせていただきました。モータリゼーション勃興期の1962年に藤田観光が開発したドライブウェイ(2007年NIPPOに売却)であり、自動車雑誌が頻繁に試乗コースに使うくらいですから、さすがに楽しく走れます。
沿道で有名な富士山ビューポイント 三国峠
富士山にはちょっと雲がかかり過ぎです。
【箱根スカイライン】
湖尻峠に戻り、ついでに箱根スカイラインも走らせてもらいました。こちらは静岡県道路公社が1972年に開通させていますが、芦ノ湖スカイランよりはカーブも勾配もキツくて、少し緊張した走りになります。
途中のビューポイントは箱根芦ノ湖展望公園。
駐車場から少し坂を上がると、芦ノ湖を見下ろせます。
反対側に見える富士山は、やっと雲がどいてくれました。
湖尻峠からは、芦ノ湖スカイラインの支線になっている湖尻線(1972年開通)を下ります。さすがにここでは通行料を払うのだろうと料金所に停まったら、「そのまま通過してください」の張り紙があり徴収員不在でした。
【箱根ゴールデンコース】
箱根ロープウェイの終点桃源台(とうげんだい)でトイレ休憩してから、さて腹も減ったので小田原に行こうかと思いましたが、小田原までどう走るか考えているうちに、箱根ゴールデンコースを辿ることを思いつきました。
箱根ゴールデンコースというのは、箱根湯本~強羅の登山電車、強羅~早雲山のケーブルカー、早雲山~桃源台のロープウェイというコースで1960年のロープウェイ開通で繋がった昭和という時代らしい箱根観光ルートです。上空のロープウェイは東急系で、直下の道路は西武系という有名な箱根山戦争を象徴する場所を通り抜けます。
途中の強羅、小涌谷、宮ノ下には結構人が出ており、外人さんが多いのには驚きました。箱根のメインルートですから、登山電車の出山鉄橋手前から箱根湯本駅前まで、しっかり渋滞に嵌まりました。この日の渋滞はここだけです。
【だるま料理店】
アスパラ様御用達の「だるま料理店」です。
老舗の雰囲気ですが、お高くなんかとまっていません。
働いているおばさんもお客も年配ばかりで、すっかり落ち着きます。
もちろん「こだわり天重」です。
前にお店のおばさんが「体の大きな板前さんが作ると、かき揚げが大きくなる」と笑っていましたが、どうやらこの日もそのイタさんだったようで、それこそ立派なかき揚げでした。
【真鶴道路旧道】
お腹が満ち足りて、帰りは海岸線を走りましょう。小田原から南下する国道135号はいまは無料開放されていますが、元は1959年日本道路公団によって作られた真鶴道路です。海岸沿いというよりまさに海の上を走っているようで、夕方のドライブなんかなんとも言えず気持ちが良い道です。
【真鶴ブルーライン】
2/3位のクルマはそのまま無料の国道を進みますが、アスパラは豪毅に真鶴ブルーラインに入ります。真鶴駅付近の渋滞解消のため、日本道路公団が1982年に開通させましたが、現在は神奈川県道路公社に移管されています。料金は200円ですがETCカードが使えず、料金所で少し並びます。ETCの無い頃はどこの料金所でも渋滞させられて腹を立てていたなんて、昔のことを懐かしく想い出しました。
ところで、この真鶴ブルーラインは真鶴半島をトンネルで抜けますが、トンネルの両側が海面近くにあるため、トンネル内には「津波浸水地域」と大きな警告が出ています。地震が来たらトンネルを抜けて早く外に避難しろということでしょうか。走りながら恐くなります。
【湯河原新道】
湯河原まで戻ってくれば、このまま熱海経由で熱函道路を帰るのが順当ですが、大観山に登って暮れゆく芦ノ湖、箱根外輪山、富士山の景色を見たくなりました。
湯河原駅前を過ぎて新幹線をくぐったところで右折して湯河原新道に入ります。湯河原新道なんて道はご存じない方が多いでしょうが、1968年に神奈川県道路公社が温泉街のバイパスとして開通させました。裏山の高いところを抜けていく快適な道路ができたのに何故か利用者が少なくて、とうとう有料道路を止めて町に譲渡されたという、なんとも珍しい道です。
【椿ライン】
大観山に行こうと思ったのは、結局この椿ラインを走りたかったからでしょう。この日一番緊張する道です。日が傾いて暗くなっていますので、無理な突っ込みは慎んで余裕を残して走ります。窓を開けて風を入れながら気持ち良く走っていましたが、登っていくうちに天気が怪しくなりました。たちまち雨が吹き付け、霧に包まれます。こうなったら無事に峠を越えることが最優先です。大観山で景色を楽しむつもりが、濃霧と吹き付ける雨でそれどころではなく、クルマを降りるなんてとてもできません。
「阿房自動車」を優雅に楽しむつもりが、最後はアドベンチャーになってしまいました。
走行記録です。
Posted at 2023/08/13 20:18:38 | |
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