
今日のニュースは日産自動車が2027年度末で追浜工場における車両生産を終了することを発表したと報じています。
アスパラにとって追浜工場はすごく思い出深いところです。1971年大学2年生のときに、アルバイトでここの完成車を陸送するアルバイトをしています。日産の孫請けという零細企業のお仕事です。
当時でも陸送の主体はキャリアカーへの搭載でしたが、端数が出ると自走して届けるお仕事ができて、この会社に降ってきます。

運ぶ車は510ブルーバード。
長いブルーバードの歴史でも、最もヒットした車種ではないでしょうか。
運ぶ区間は追浜工場から、横須賀駅、横浜神奈川新町、川崎といったところですが、時として静岡県の沼津、長野県の松本なんていう遠距離もありました。
伝票を渡されるとモータープールに行って運ぶクルマを探します。概ねの駐車区域は伝票に表示されているものの、あとは型式と色を頼りに当たりを付けて、ボンネットを開けて1台1台車台番号を確認するという気の遠くなる作業です。
やっとクルマを見つけたら仮ナンバーをつけ、給油して、洗車機を通して、守衛の確認を受けて出庫です。出庫作業はこんなに手間がかかるので、近距離だと割が合いません。
あとクルマには燃料なんかほとんど入っていません。出庫前に給油しますが支給される燃料は最小限。確か横須賀駅で1リッター、横浜で2リッター、川崎が3リッターだったと思います。横須賀駅は距離が近いので問題ありませんが、横浜は横浜駅より先の神奈川新町まで行くので2リッターでは厳しくて、うっかりするとガス欠する区間でした。
そんな訳ですから、燃料計の針はまったく振れません。速度計だって先輩からの申し伝えでケーブルを外しているので針は動きません。道交法違反ですが積算計が回ってしまうとお客様に申し訳ないという気遣いです。
免許を取ってまだ1年半くらいの小僧が新車を運んでいたのですからとんでもない話ですが、そんなことはあたりまえなのが高度経済成長時代です。

そんな中である日みんなが一堂に集められました。
610ブルーバードUが発表になり、いまから出荷を始めるいう話です。
Jラインという特徴あるフォルムは斜め後方の視界が極端に悪く、運転には充分注意するようにと敢えてご注意がありました。
新しいブルーバードUに乗り込んで一斉に横浜に向け出発すると、信号で停まる毎にまわりのクルマが声を掛けてきます。「なんですか、このクルマは」「外車ですか」と大騒ぎです。うれしくなって得意満面でクルマを走らせました。
いつも運んだあとは電車で戻って追浜駅からバスに乗っていたので、追浜はとても懐かしい町です。日産追浜工場が中心の町ですから、これからは大きく様変わりするでしょう。
アスパラの青春がまたひとつ消えそうです。
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昔の話 | クルマ
Posted at
2025/07/15 20:57:42