この記事は、
島田紳助が鈴鹿8耐参戦を発表…16年ぶり復活「チーム・シンスケ」について書いています。
なんだか、青春時代がよみがえる様な気がして嬉しいぞ!
↓チームシンスケについて
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%B1
当時は、大学生で自動車部に入部し、ほとんど毎週のように鈴鹿サーキットへオフィシャルで通っていた。
(8耐だけはいつも暑過ぎて仕事も酷で、『来年は絶対に来たくない!』と言いながら、90年、91年、92年と3年連続で行っていた(笑)。)
オフィシャルは、何日も連続でサーキットに泊まりこみ、朝早くから夜遅くまでレースの運営などのお手伝いをするのだが、夜は酒盛りなどで結構盛り上がる事もあったような。
91年の8耐決勝前夜、オフィシャルの宿泊しているF棟ロビーで、オフィシャルの先輩たちが(私だけが(?))知らないおじさんと深刻な話をしていました。ただならぬ名残惜しそうな話ぶりで、ボクも話にすこしは交じろうとしていたんだが、そのおじさんは明日のレースで引退するライダーだと言う事は分かってきたんだが、2輪のライダーの顔や名前をよく知らないボクは、カヤの外と言った感じでした。
そしてそのおじさんライダーから質問が
『マシーンを(舗装してある)コース上で押しても良いのか?』と
先輩オフィシャルは、
『そりゃ駄目ですよ。後続が来るし危ないじゃないですか!マシーンはコースの外(ダート)で押してくださいよ』
そりゃそうだわなあ。とボクは思っただけだったんだが、次の日、そのおじさんが
あのチームシンスケの『千石清一』さんだと知り、超ビックリ。
チームシンスケ発足を描いた『風よ鈴鹿へ』は、大好きで本も買って読んだし、テレビドラマも録画して何度も何度も見てたんだけどね(笑)。ドラマは俳優だから顔が違うもんね。
そして、レース決勝当日、千石さんは転倒しマシーン大破させたが、コースの外を雨で泥んこになりながら何度も転びながら、ボロボロになったバイクを1時間半も押してピットまで帰ってきた。
↓千石清一さん 8耐引退レース 1991.7.28
前日の質問の通りの事になってるし、あの時は、ホント泣けたよ。でも、そのマシーンを泥まみれで押している千石さんの姿が、オーロラビジョンに映し出された時は、サーキット中でみんなが泣けたんじゃないかな?
島田紳助やイロイロな人との出会いや今まで様々なドラマの様な出来事が思い浮かび、あそこまで頑張れたんだろうな。ただ、自分の引退レースだから、と言うだけでは絶対に出てこないパワーを感じたよ。
耐久レースって、自分だけの為じゃ無く、物凄く多くの人の気持なども、一緒に走っているから、たまらんね。
今年の鈴鹿8耐は超気になるんだが、ウチらは同日に美浜サーキットでノーマルカー4時間耐久ナイターレース。
鈴鹿に生で見に行く事は出来ないんだが、8耐に負けないぐらいの、熱いレースを楽しむぞ~!
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モータースポーツ | 日記
Posted at
2011/06/08 23:00:20