
当時、私・アル君は神戸市三宮を主住居として、淡路島にある某大手電機メーカーのサポート担う為、洲本市物部を副住居にしておりました。
大震災当日は三連休明け、其の前週末は神戸で新年会催されました。
当日は洲本市に居り、早朝の寝込みを襲う激しい縦揺れ突き上げで目覚め、直後には激しい横揺れ、かつてない程の揺れに啞然としながらも落ち着きを取り戻し、未だ寝れると思った若かりし頃でした。
すぐさま固定電話(携帯電話なんて無い)が鳴り響き、弊社の大幹部より「地震の情報は無いが被害懸念される」と、洲本のセンターへの出社要請です。
出社道中は晴天で暖かく平穏通りの状況、センターへ出社すると事務所内の観音開きロッカーより資料が溢れ出ていました。
暫し、主な顧客の被害確認しながら、事務所の整理する。
神戸支社へ一報の連絡すると、珍しく支社長自ら電話に出て「こっちは大変よ、ビル崩壊しアッチコッチで火災発生」と、驚きの状況に戸惑いました。
それ以降、電話は不通になったが、震源地は淡路島や甚大な被害発生の状況が分かりつつです。
そうこうしている内に、近郊の徳島より様子確認で2名のスタッフ到着。
情報把握が明らかになっていくと、被害の大きさに啞然となりました。
又、ありえない光景では“高速道路倒壊”、高速道路の安全神話を揺るがす大惨事です。
震災発生後は、「がんばろう神戸」を掲げての復旧復興になります。
復旧復興の内容は割愛させて頂きますが、ボランティア皆様の素晴らしさには感銘致しました。
全国から数多くのボランティアが被災地へと駆けつけ、多くの被災者に勇気と希望を与えました。
淡路島のRスーパーでは、ボランティアの方々が炊出し目的で買物時、食材を無償提供されておりました。
人の絆、優しさがどれほど大切なものか改めて強く感じました。
その反面で怒りを覚えたのは、火事場のクソ泥棒たとえの窃盗集団が乗り込んできた事です。
私も三宮で直面し、心無い阿保面した輩達に、タイソンばりのメガトンパンチを放っとうと血気盛んになりましたが、阿保には関われんし業務優先し、通報のみに抑えておきました。
各企業に於かれては復旧の目処が立つと、阪神・淡路大震災より学んだ事柄を活かす防災マニュアル作成をしました。
弊社でも某寺院に合宿し関係者集結(私も参加)、人名を守って被害を最小限に抑え、事業の継続や早期再開を図るには、防災マニュアルを設け、万一に於いても適切な行動が取れるようにしました。
当時は携帯電話の配付無く、安否確認は学校にある様な連絡網でした。
防災用品や非常食も、各拠点に配布されました。
又、耐震免振の観点より、事務所内の改善も実施です。
不幸中の幸いか、従業員で震災による死亡者はいませんでした。
只、三宮駅前にある営業所はビルの2~3階に被害あり崩壊と見做され、ハーバーランドに移転しました。
【携帯用の防災マニュアルも都度更新され、全従業員へ配付されてます】
阪神・淡路大震災より本日で28年が経つ中で、神戸の街は少しずつ少しずつ復興を遂げてきました。
そんな神戸には、大震災の記憶や教訓を今に伝え、災害について学び考えることができるスポットが複数あります。
「人と防災未来センター」と、「神戸港震災メモリアルパーク」です。
「人と防災未来センター」は、阪神・淡路大震災をメインテーマに、台風や水害などの自然災害のことについて学べる災害ミュージアム。
館内は地震をテーマにした西館と、体験型展示を中心とした東館に分かれています。
「慰霊と復興のモニュメント」は、中心部の三宮にある東遊園地に位置する阪神・淡路大震災の慰霊碑。
1995年1月17日に発生した震災を忘れることなく記憶し、復興の歩みを後世に伝えるためにと建てられました。
地下には瞑想空間があり、震災で亡くなられた方の名前を刻んだプレートが掲示されています。
1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災、その犠牲となった6434人の方のご冥福を心よりお祈り致します。
【昨年の動画:被災局サンテレビの記録 阪神淡路大震災】
私・アル君は震源地の近くで居ながら、生きてます、生かされてます。
この命に感謝し、今を一瞬を大切に人生を歩みます。
大震災は恐ろしいです、一瞬で今まで気づき上げたモノを破壊し、人の命までを奪います。
南海トラフ大地震や東海地震、首都直下型地震など、大災害が高確率で発生すると予測されています。
様々な教訓や備えにより、大切な命を守りましょう。
神戸は、お洒落で美しい街並みです。
又、愛機・B7嬢で出向きます。
1月17日は忘れない(阪神淡路大震災)!!!
では又 by アル君(^^)/~~~