奈良新聞の雑記帳という投稿随筆に掲載された一文を紹介します。
令和3年3月20日(土曜日)付。スマホ撮影なので見にくいかもしれません。字を大きく撮影するため4分割しました。
3月13日は奈良市内では東大寺二月堂のお水取り行事が終わって春日
大社のお祭りがある。しかし大東亜戦争末期の昭和20年3月13日は米軍
爆撃機による大阪への民間人大虐殺包囲爆弾投下があった。
爆撃は大阪住民が寝込み逃げることもままならない深夜から未明にかけ
て行われた。ここは戦場ではない。非武装の日本人を狙った皆殺しのため
の爆撃であった。
大阪大空襲で廃墟となった大阪市内。
卑劣なアメリカ人は戦うときに激戦の戦場ではなくその背後にある民間人虐殺を騙し討のように繰り返してきた。戦争においてそうした民間人虐殺行為の残忍な歴史を持つのがアメリカである。
アメリカ大陸侵略でも原住民の殺戮でこの手を使っている。まさに鬼畜である。
●サンドクリークの虐殺
1864年11月29日にアメリカのコロラド地方で、米軍が無抵抗のシャイアン
族とアラパホー族インディアンの村に対して行った、無差別虐殺。Wikipediaにも詳しい記述がありますので「サンドクリークの虐殺」で検索し関心のある方は御覧ください。
大阪大空襲も現代版の「サンドクリークの虐殺」だ。深夜、大阪上空に274機の
B-29が襲来し約2,000メートルの低空からの一般家屋をねらった夜間の爆撃投下
を行った。米軍の落としたのは日本の木造家屋を
燃やすために開発された焼夷弾でいわば火のついた油を家屋へふりかけるようなものだ。
大阪市内は当然火の海となり難波や心斎橋は猛火に
包まれており、既に避難の術がなかった。真夜中だが真昼のような大火災
が起こり3時間半の爆撃で3987名の死者。負傷者8500人、678名の行
方不明者が出た。大阪大空襲の被災者は50万人といわれる。
その後の空襲爆撃も含め1万人以上の人が犠牲になった。痛ましい悲惨な
民間人無差別殺人という爆撃惨殺であり米軍のまぎれもない残虐な戦争犯
罪である。
この随筆は奈良にいた現在92歳になる女性が若き日に記憶していたその
日の出来事である。
この92歳の方の文章を読んで絶句しました。3月13日、大阪大空襲、日本のメディアはもうこうした悲惨な出来事は忘れたかのように何も報道しない。戦時中とは言えアメリカが日本へ行ったこういう残忍な殺戮行為を忘れていいものだろうか。戦争の悲惨さ、平和の大切さを思うならば、日本が二度とこういう悲惨さを味わわないためにもあらゆる意味で国防強化を何にもまして推進すべきではないだろうか。残忍な殺戮者、侵略者は大東亜戦争のアメリカで終わりではないのだから。
あらためて「人間が原因の災いは罪が重い」という玉井さんの思いを噛み締めました。
下のリンクは大阪大空襲の記録です。動画の証言もありますのでご覧ください。
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Posted at
2021/03/20 13:13:39