毎日寒いですね。少し早いですが春の来るのを先取りして漢詩を一つ。
蘇軾(そしょく)の詠んだ『春夜』という漢文の詩を紹介します。
左から右によんでください。
「春夜」 蘇軾 作
春 宵 一 刻 値 千 金
花 有 清 香 月 有 陰
歌 管 楼 台 声 細 細
鞦 韆 院 落 夜 沈 沈
●書き下し文
春宵一刻 値千金
花に清香有り 月に陰有り
歌管 楼台 声 細細
鞦韆 院落 夜 沈沈
現代語訳(口語訳)
春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほどすばらしい
花は清らかに香り、月はおぼろにかすんでいる
歌声や楽器の音が鳴り響いていた楼閣も、今はかすかに聞こえるばかりで
ぶらんこのある中庭では、夜が静かにふけてゆく
https://manapedia.jp/text/3816
以上は↑「manapedia」よりの引用です。

この解釈では「manapedia」というブログは受験関係のサイトのようですからもちろん漢文の試験で点の取れるように記述されております。
しかし、それでは少し味も素っ気もなくて物足りないと思われる方もおられるかもしれません。
中国詩文では暗に恋愛感情を詠んだものも多いのでこの詩もそういう解釈で読んでもおかしくはありません。
この『春夜』という詩を詠んだのは中国有数の詩人で政治家でもあった蘇軾(そしょく)という人です。この詩は「値千金」という言葉で有名です。
以下は私の勝手な解釈です。
退屈な宴会に義理で出たものの蘇軾はそこで出会った意中の女を酔いにまかせ「おおそなたは美しいのう。少し酔ざましの散歩に付き合ってくれぬか」などと甘言を弄してうまく連れ出した。 中庭を歩いていると高殿の宴会の騒ぎ声は低くなりそろそろお開きになるようだ。
ここは宴会とは違い別世界で気に入りの女をそばにして二人きりだ。
たおやかな女の腰まで届く長い黒髪はまさに柳腰の風情さながら春の夜風に揺れて艶かしく髪の甘い脂粉の香りが鼻孔をくすぐる。まわりは夜の帳と春霞に覆われて誰にも見られことはない。二人だけの甘味な時間が漂うばかりだ。
ちょうどおあつらえにブランコがある。
美女と二人でブランコに乗ってしばし値千金の春の夜を楽しんでいる。
この時間がいつまでも続けばいいのだけど。
春の夜は朦朧として霞んだまま更けてゆく。
ざっとこんな感じの詩である。
さらに勝手な妄想を言えばこの詩に出てくるブランコは一つである。
宴会を離れて一人で庭に出てブランコを見たという解釈もある。たしかに春の宵はいい気持ちだという気持ちはわかるが値千金とも言うには至らないだろう。春の宵に絶世の美女がいればこそ蘇軾のような天才詩人の詩魂が揺さぶられるというものだ。そして春の夜の天から値千金の言葉が詩人の手のひらにはらりと降臨してくるのだ。
そういうことで独断と偏見によってブランコは一つとする。
そこにどのように二人で乗るのか?そこに見えない情景を見るのが詩というものである。
野暮は言わないけど中国文学の挿絵にそういう春画の図を見たことがある。
このような情景を思い浮かべれば「値千金」「夜沈沈」の「春夜」は蘇軾の書いた傑作というほかはない。
たわけた妄想を書いてきたが現実に戻れば今年は例年になく毎日が寒くて春の宵など永遠に来ないかと思われるほどだ。
値千金という言葉は今ではいろんな場面で使われている。あなたにとっての値千金は何だろうか。
この詩のようなそんな美女がいるなら値は千ではなく値万金だろうが美女とデートする場面など妄想を尽くしても想像すらできない。まことに残念である。人生に悔いが残るとすればそのあたりだろう。だろうではなく断定できる。とまあこんなところに力こぶを入れる必要もないのだけれどものはついでなので蛇足ながら。
昨年は歯医者通いで明け暮れた。かろうじて残った自前の数本の歯。これこそがこの身にとっては値千金である。なんでこんなことを書かねばならないのか。最後は惨めな気持ちになるではないか。まあでもそんなものだろう。案外、蘇軾さんも実際には私とどっこいどっこいであるのだが妄想癖があってあんな詩をでっち上げたのかも知れない。中国の詩人に負けるのもちょっと口惜しいのでそういうことにしておこう。
「これがまあ 終の栖(すみか)か 雪五尺」 一茶
●漢詩や中国語に興味のある方向け。漢詩の紹介、朗読の動画リンク。↓。
北京語は聞きやすいですが単なる棒読みで詩の朗読としてはイマイチ。
それでも中国語で漢詩を読む雰囲気は少しは味わえます。
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Posted at
2022/01/12 11:47:07