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角鹿のブログ一覧

2016年06月17日 イイね!

ニラたまスープ。




  ニラレバをつくったときニラがあまった。
  そこでニラ玉をつくろうかと思ったのだけれど卵が一個しかなかった。
  方針変更してニラ玉スープにしてみた。


  ニラを適当に切る。
  鍋で沸騰したお湯に入れる。
  ふえるわかめを投入。
  出しじゃこの粉末調味料を投入。
  醤油でスープの濃さを調整。
  溶き卵一個を入れてほどなく完成。

  ニラはまだ一束の3分の1残っている。
  冷蔵庫に入れておくとけっこう鮮度が保てる。


ついでに「ニラ」について少し調べてみた。


学名
Allium tuberosum
Rottler ex Spreng. (1825)

英名
Oriental garlic、Chinese chives


100 gあたりの栄養価
エネルギー
88 kJ (21 kcal)

ニラ(韮、韭、Allium tuberosum)はネギ属に属する多年草。緑黄色野菜である。

名称[編集]

『古事記』では加美良(かみら)、『万葉集』では久々美良(くくみら)、『正倉院文書』には彌良(みら)として記載がある。このように、古代においては「みら」と呼ばれていたが、院政期頃から不規則な転訛形「にら」が出現し、「みら」を駆逐して現在に至っている。近世の女房言葉に二文字(ふたもじ)がある。

方言では、ふたもじ(二文字。千葉県上総地方)、じゃま(新潟県中越地方)、にらねぎ(韮葱。静岡県、鳥取県などの一部)、こじきねぶか(乞食根深。愛知県、岐阜県の一部)、とち(奈良県山辺郡、磯城郡)、へんどねぶか(遍路根深。徳島県の一部)、きりびら(沖縄県島尻郡)、ちりびら(沖縄県那覇市)、きんぴら(沖縄県那覇市)、んーだー(沖縄県与那国島)などがある[5]。

特徴[編集]

夏には葉の間から30 - 40cmほどの花茎を伸ばす。花期は8 - 10月頃。花は半球形の散形花序で白い小さな花を20 - 40個もつける。花弁は3枚だが、苞が3枚あり、花弁が6枚あるように見える。雄蕊(おしべ)は6本、子房は3室になっている。子房は熟すると割れて黒色の小さな種を散布する。

本種の原種は、中国北部からモンゴル・シベリアに自生する Allium ramosum で、3,000年前以上前に栽培化されたと考えられる。この種とニラを同一種とみなす場合もある[6]。株分けまたは種によって増やす。

全草に独特の匂いがある。このため、禅宗などの精進料理では五葷の一つとして忌避される。匂いの原因物質は硫化アリル(アリシン)などの硫黄化合物である。

生産[編集]

国内生産量は約6万トンで、全生産量の4割超を1位の高知県と2位の栃木県が占め、次いで茨城県、群馬県、宮崎県、福島県、北海道が続く。

ニラの生育に適した温暖な気候で知られる高知県香南市、また餃子の街である栃木県宇都宮市の周辺などが主な産地として有名。

以上は(Wikipediaより抜粋)。


そういえば山梨県に「韮崎」という地名がある。何かのとき行ったことがある。
昔は「ミラ」と呼ばれていたものがいつしか「ニラ」になったということです。

さらについでにクックパッドでニラ料理を見るとけっこうあります。
なぜか卵とニラを組み合わせたものが人気のようです。


ふわ!シャキ!!豚もやしニラ玉

節約&時短!お助けメニュー★ニラ玉もやし 

♡簡単・美味しい♡にら玉あんかけ♡ 

キノコとニラの卵とじ♪ 

にら玉ベーコン♪ 

簡単節約☆ニラと卵の甘辛炒め☆ 

海老ニラ玉 

簡単♪早い 朝食に ニラと卵の お吸い物

なるほど私の作ったのはこの最後にある「ニラと卵の お吸い物 」わかめ入り、だったんですね。

と納得したところで終わりという次第です。

  

   

Posted at 2016/06/17 11:04:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2016年06月14日 イイね!

レバニラ炒め。




 牛レバーで「レバニラ炒め」をつくってみました。
 作り方はふつうの方法です。
 下処理したレバーに塩コショウして小麦粉をまぶしました。
 油で炒めていったんとりだし。
 ごま油でもやしとニラを炒め、レバーをもどして中華味の粉末と醤油、オイスターソースで味付けしました。
 あっさりとして食べやすいです。
 ご飯のおかずにいいと思います。
 
 何が忙しかったわけでもないのに一ヶ月ほど投稿の間が空きました。
 前回「頭塔」で春日大社の藤の花を見物に行ったころでした。
 奈良県と大阪府の堺にある葛城方面に行きたいと思いつつ漫然と時間が過ぎています。

 吉野川でも鮎釣りが解禁となりました。
 梅雨でよく雨が降りますが山も川も色彩が濃くなりもう夏の景色です。
  
Posted at 2016/06/14 12:24:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 身辺雑記 | 日記
2016年05月06日 イイね!

「頭塔」


「頭塔」(ずとう)。奈良市高畑町。

 奈良市にある神社仏閣は大仏様のおわします東大寺、藤の花で彩られた春日大社、五重塔で有名な興福寺、鑑真和尚で知られる唐招提寺などなどいずれも観光スポットとして有名なものが多い。
 そのなかであまり知られていないがひときわ特異な存在として異彩を放っているのが「頭塔」という極めて珍しい仏塔である。
  「頭塔」は「ずとう」と読む。
  なにやらネーミングだけでも怪しげな雰囲気が漂う。
  
  
 高畑町の家並みの向こうに何やらこんもりとした丘が。文字とおり住宅街の真ん中にあるのが頭塔だ。


  
 かつての頭塔への入り口の門(右側)。いまは閉鎖されている。

 
 かつての入り口の門の真ん前にある「仲村表具店」さん。こちらが少し前まで頭塔の鍵を管理され案内もされていた。

 
 頭塔の下は小広い駐車場になっている。
  
  現在のインドやパキスタン、アフガニススタンの仏教遺跡には釈迦の仏舎利を収めた仏塔(ストぅーパ)が残されている。ただ古代インドはその後イスラム教徒の侵略を受けているので仏教遺跡は多くは破壊されてしまった。仏塔も残って入るが仏像の頭部が損傷したり喪失したりして完璧なものは数少ない。現在でも他宗教や偶像崇拝を敵視するイスラム教徒過激派による仏教遺跡破壊は続いており古代インド地域の仏教遺跡も悲惨な状況である。
  

現在、頭塔の入り口は「ホテルウエルネス飛鳥路」の脇から入る。同ホテルさんが普段は管理人役をされている。この広い路を左へ行けばじきに春日大社や奈良公園浮御堂につながっている。ホテルの向かい側にある老舗の蕎麦やさん。

    
  それはさておいて古代インドの仏塔は土とか石で造営されているがまた支那へ入ると仏塔はストゥーパの音が漢訳されて「卒塔婆」また「塔婆」となった。支那の卒塔婆は石造の大建築で巨大な塔建築物が多く見られる。
 さらにそれが朝鮮、日本へ入ると高層の木造建築の塔に変わる。
 日本の仏教寺院にある五重塔、三重塔、また多宝塔などはみなインド式仏塔にならった日本式の仏塔なのである。
 

瓦屋根の下には釈迦像などの石彫刻のレリースがある。
まさに古代インドの仏塔を彷彿とさせる仏塔構造になっている。
 
 
お寺にある五重塔などの塔の原点はインドの仏塔すなわち仏舎利を収めた仏塔(ストゥーパ)である。
 インドにある仏塔をイメージして日本では五重塔などの塔が造られているのだ。
 形は変わっていても仏教信奉者にとっては釈迦の仏舎利あるいはその代用品を収めてある仏塔に込められた釈尊への尊崇の念や仏教信仰の精神は国が変わり形が変わってもいささかも変わるものではない。
  この頭塔の珍しいところは木造の五重塔といった形式ではなく土を土台としたピラミッド形状をしているところである。しかも七段の矩形の階段状になった角層に石積みがなされ釈迦の石彫レリーフが嵌めこまれインド風のストゥーパを想わせる雰囲気を湛えている。このような仏塔はおそらくは日本に唯一と言っていいのではなかろうか。
  

頭塔の後ろ側へ回る区切りあたり。樹木のあるのが一応後ろ側ということになる。


  この頭塔は東大寺からも春日大社からもそう遠くはない高畑町の住宅街のなかにある。
  このあたりもともとは住宅街ではない。
  春日大社の原生林の森の隣にあってこんもりした森のなかに頭塔は造営されたものだったろう。
  だが時代が移り変わるうちに宅地開発が進みこの頭塔の小山だけが取り残された形で周りをびっしりと住宅が埋め尽くしていったものであろう。
  この頭塔も昔は単なるこんもりとした木に覆われた古墳のような小山であった。
  もしかしたら取り潰され平坦にならされて住宅地の一部分になっていたかもしれない。


「頭塔復元想像図」

  しかし頭塔の秘められていたこの場所は破壊されることはなかった。
  寺院もなにもないただのこんもりと雑木の茂るだけの丘、にも関わらずである。
  では何が1300年あまりの長きにわたって単なる小さな円形の丘だった頭塔を守ったのか?
  想像だがこの土地に住む人々の伝承によるものではなかろうか。
  「ここは古くから聖霊の宿る場所だ」
  「玄昉和尚の頭が埋められており軽々しく壊すと祟があるぞ」
   といった伝承が代々言い伝えられてきたものなのだろう。
   びっしりと立ち並ぶ人家に取り囲まれ残された円形の小さな森。
   頭塔はまるでタイムマシンに切り取られた異空間であり化石のように存在している場所なのだ。
  特異な形状から頭塔は「謎のピラミッド」と話題になった。
  頭塔と呼ばれる階段状の土塔は、基壇裾から最上壇までは7段の階層となっており約10メートルの高さである。
  一辺32mの矩形でまさにピラミッドさながらの形をしており、仏教的には立体曼荼羅のように多数の石彫仏(重文)が四面に配されている。
  
  
  木々の茂る後ろ側へ回り込む。

  頭塔は大正11年に国の史跡に指定された。
  昭和61年から発掘調査が行われ頭塔の概要が判明した。
  平成3年から復元整備が始められ平成12年度に今日の姿となった。
  頭塔は現在国史跡の重要文化財に指定されている。
  
 
 春のGWには保存会の方々が総出で見学者のために説明や案内をしておられた。おかげで楽しく見物できた。黄色い服の人が保存会の人。この日、4月30日は見物に来る人がひっきりなしだった。私は春日大社で藤の花を見物したあとで奈良町で昼食をとりその後陽射しの強い二時から三時ころにかけて頭塔を見物した。


 頭塔ができたのは奈良時代のことだ。
 そのことは 『東大寺要録』の記録にあり「奈良時代の僧、実忠によって造営された」と書いてあるということだ。
  この古文書では頭塔は「土塔」(どとう)と表記されているという。
  土塔には違いないが石彫や石積みもあるので正確には土だけではない。最初は土塔だったものが時間をかけて次第に石を積むなどしてだんだん堅固なものになっていったのであろうか。古文書の文字記録だけを根拠としているため仔細については明らかにはなっていないのだろう。
  その一方で、平安時代の『七大寺巡礼私記』にはこの頭塔は僧・玄昉の首塚であるという伝承が記録されている。
  東大寺の記録では「土塔」だが、僧・玄昉首塚説という平安時代の記録が出てきたことにより首塚説を根拠として「頭塔」という呼び方が定着していたものかもしれない。
  いずれにしても奈良時代末期においてインド仏塔様式を取り入れたストゥーパでありそれまでの日本にはなかった極めて特異な仏塔であることにはまちがいない。


石積みの階層のある表側と違いこちらは発掘前の様子がそのまま保存されている。こちら側はお寺の墓地として利用されてきたようだ。

  
  なぜこの頭塔が玄昉の首塚とされているのかは定かではない。
  玄昉は奈良時代の法相宗の僧。養老元年(717年)遣唐使に学問僧として随行、阿倍仲麻呂、吉備真備とともに入唐して智周に法相を学ぶ、在唐は18年に及び、その間当時の皇帝であった玄宗に才能を認められ、三品に準じて紫の袈裟の下賜を受けた。
  阿部仲麻呂、吉備真備とともに奈良時代を代表する国際人にして天才だった。
  約20年後の天平7年(735年)次回の遣唐使に随い経論5000巻の一切経と諸々の仏像を携えて帰国した。吉備真備とともに藤原氏に代わって権勢を振るったが人々の憎しみを買いのち失脚。
  天平17年(745年)筑紫観世音寺別当に左遷、封物も没収され、翌天平18年(746年)不遇のうちに任地で没した。
 
 
 墓標として五輪塔が並んでいる。
 
 ではこの仏塔をつくった実忠とはどんな人物だったのか。
 頭塔をつくたっとされる「実忠」は、奈良時代の僧である。
 「良弁に師事して華厳を学び、760年(天平宝字4年)目代となる。東大寺を始め奈良西大寺・西隆寺の造営に参画し、東大寺大仏光背の造作や、百万塔を収める小塔殿・頭塔(土でできた塔)の造営を行った。その後、東大寺少鎮・三綱のうちの寺主及び上座・造寺所知事などを歴任し、東大寺の実務面で大いに活躍した。東大寺二月堂の十一面悔過会(けかえ)(通称お水取り)は実忠が始めたものとされる。著書には、815年(弘仁6年)一生のうちに自らがたずさわった事業を列記した「東大寺権別当実忠二十九ヶ条」がある。」
  (Wikipedia「実忠」より抜粋)


頭塔の周りには見学者のための木製の回廊がめぐらされている。
  
 おもしろいことに実忠は日本人ではなくインドの婆羅門僧という説がある。
 最初いまの福井県の若狭に渡来し小浜の神願寺(今の神宮寺)で数年の修行を行ったあと都の奈良へ上り東大寺の良弁の弟子となった。実忠は大仏仏開眼供養を行ったほか、西大寺 や西隆寺の造営に造営技術者として関わった。師良弁の没後には東大寺の造営、財政を担当し、修理別当となり東大寺の発展に大いに寄与したとされる。
  また実忠は753年に二月堂を創建して修二会を始めたという。
  3月2日まだ厳寒の若狭神宮寺から神人と寺僧で鵜の瀬へお水送り神事が執り行われる。
  この若狭から地下水脈を通して二月堂へ水を送る儀式を行うと10日後の3月12日深夜に二月堂の「若狭井」から送られた水が湧き出すという。このお香水を若狭井から汲み上げ観音様に御供えする儀式が修二会である。
 この実忠が頭塔を建設したとされているのだが、先に述べたように実忠はインド人僧だったという説がある。そこに頭塔がインド風の仏塔そっくりという秘密を解く鍵がありそうだ。
 頭塔がまさにほかの木製の五重塔などとまったく違い土塔であり古代インドに多く見られる仏塔形式にそっくりであることも実忠がインド僧であったとしたらうなずける。


入場料金は300円だった、この日は特別なのか頭塔の写真入りのクリアファイルがいただけた。よい記念になった。


  また寺院の造営に関わった匠の技術を持っていたことを考えると頭塔の設計や建築も実忠が行ったという説には信ぴょう性がある。実忠はインド渡来僧であり同時に寺院建築の専門家であったと言えるかもしれない。実忠がインドからの渡来僧であるという根拠はわからないがさもありなんと思われる。  
 そのあたりも含めて頭塔は考古学的には判明しているのだろうが文化的な背景についてはいまだ多くのミステリーに包まれている。


後ろ側の墓標群。頭塔とは関係ない後世のものだ。

 奈良時代にはるばると遠いインドから日本へ僧が来ていたのか?
 と思われるのももっともだがこの時代の奈良は国際都市である。
 唐僧ももちろんいたがインド婆羅門僧もいたのである。
 もっとも有名なのはインドから来た婆羅門(バラモン)僧の「菩提僊那」(ぼだいせんな)である。
 菩提僊那は唐の都長安でたまたま日本から来た第10回の遣唐使の日本人と出会う。おそらく日本の留学生たちは菩提僊那の経歴を知り「ぜひ日本へ来て本場天竺の仏教を伝えて欲しい」と懇請したものであろう。
 天平八年(736年)5月菩提僊那はベトナム僧仏哲(ぶってつ)を弟子に連れ渤海(ぼっかい)国から船出し、難波津(大阪港)に上陸したのである。平城京では、行基(ぎょうき)に迎えられ新設の大安寺に僧坊を与えらる。
 やがて、天平勝宝3年(751年)に、日本での僧としての最高位である僧正(そうじょう)を贈られる。
 その翌年に東大寺大仏が完成し晴れやかな入仏開眼供養法要を執り行われた。


地理的に言えば今は後ろ側のようだがこっちに入り口の門があった。
したがってかつてはこちらが見物の表側であっただろう。

 聖武天皇の臨席を得て行われた国家最大のイベントにおいて僧侶代表として開眼の導師を務めたのが誰あろうインド婆羅門僧の菩提僊那だった。
  東大寺の大仏すなわち盧遮那仏は聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。
開眼の導師を務めるのはインド僧の菩提僊那、華厳経を講ずる講師は大安寺の隆尊律師、華厳経を読み上げる読師は元興寺の延福法師である。大仏の瞳を描き入れる儀式は、聖武太上天皇が体調不良のため、菩提僧正が担当した。
  仏開眼会に列席した僧は「1万数千人」におよんだ。とんでもない人数だが事実である。
  正倉院御物として保管されている文書に万僧の交名(名簿)があり参列者の尊名がすべて記されている。


実にユニークな姿形をした頭塔である。
インドやパキスタン、アフガニスタンの仏教遺跡に来た錯覚にとらわれてしまう。
いま戦場となって久しい中央アジアの仏教遺跡はどうなっているのだろうか。


  松明の火の勇壮さで知られる東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)だが儀式の最初には東大寺大仏殿と大仏の造営に関わった人々の名前を読み上げられる。
 そのとき読み上げる名簿の「過去帳」の初めの部分には次のように記されている。
  
大伽藍本願聖武皇帝
聖母皇大后宮 光明皇后
行基菩薩
本願孝謙天皇
不比等右大臣 諸兄左大臣
根本良弁僧正 当院本願実忠和尚
大仏開眼導師天竺菩提僧正 供養講師隆尊律師
大仏脇士観音願主尼信勝 同脇士虚空蔵願主尼善光

造寺知識功課人

大仏師国公麻呂(だいぶっしくにのきみまろ)
大鋳師真国(おおいもじさねくに)
高市真麿(たけちのさねまろ)
鋳師柿本男玉(いもじかきのもとのおだま)
大工猪名部百世(だいくいなべのももよ)
小工益田縄手(しょうくますだのただて)
材木知識(ざいもくのちしき)五万一千五百九十人
役夫知識(やくぶのちしき)一百六十六万五千七十一人

金知識(こがねのちしき)三十七万二千七十五人
役夫(やくぶ)五十一万四千九百二人



夏草に覆われた頭塔。
ここは天平時代に渡来したインド婆羅門僧たちの布教に殉じた崇高な魂の墓標でもある。



 この「当院本願実忠和尚」というのが「二月堂」「頭塔」をつくった「実忠」であり、その後に記されている「 大仏開眼導師天竺菩提僧正」というのはインド、唐を経て奈良へ来た婆羅門僧の「菩提僊那」なのである。この儀式で聖武天皇に代わって長さ57cm、直径4cmの特大の筆で大仏に眼を入れたのは菩提僊那でありそのときに使用した実物の筆も正倉院に保存されている。
ちなみに菩提僊那の墓は奈良市中町の「霊山寺」にある。
 
 東大寺大仏殿の造営や開眼法要で重大な役割を担ったインド渡来の婆羅門僧たち。
 ついには異国日本の土となった彼らにとって「頭塔」は故郷天竺を偲ぶ望郷の塔、であったのかもしれない。
 いま新緑の5月、頭塔は四方の後半部分を森だった補修前の姿をそのまま残すという粋な設計により若草や樹木の緑が燃え上がるように青空に映えて美しい。天平時代のインド渡来僧たちもこの緑と青の色彩の中に遠い故郷の風景を偲んだのであろうか。



参考情報
◯頭塔を知るために◯



  「ホテル ウエルネス飛鳥路 から眺めた頭塔」



  「頭塔」



  「頭塔 福智院」





★関連情報URL★
 「不思議な奈良のピラミッド『史跡 頭塔』@奈良市高畑」

  ↑。地図がリンクしてありますので現地への行き方がわかります。
Posted at 2016/05/06 17:59:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2016年05月02日 イイね!

暑い頭を冷やせる?算数の問題です。



なにげなくネットを見ていたらこんな数学問題が出ていました。

1000人に一人しか解けないという謳い文句なのですが。

いろんな計算式がアップされています。

いささかトンチ問題みたいです。

 ≪ヒント≫ 数式の上と下の関連付けに注目すると・・・・。

http://tekkamaki10.com/?p=6235

解答と解説。↑。

ではこれが簡単にわかった人もわからなかった人も次の算数問題はできますか?

◯分数の問題
 
①1/2  +  2/3 =

 
②3/4 × 2/3=


③1/2 ÷ 4/5 =


◯体積の問題

   1L(リットル)は(   )dL(デシリットル)です。
   
  
◯速さに対する単位の変換

   時速90kmは分速何mでしょうか。   
  
◯台形の面積を求める

            12cm 上辺
         ・・・・・・・・・・・・・        ーーー
        ・          ・        ↑
       ・            ・     高さ14cm
      ・              ・      |
     ・                ・     |
    ・                  ・    ↓
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ーーー   
            16cm  下辺
  
  上の台形の面積はいくらでしょうか。
  
   以上、問題終わり。  


  正解は下の方に書いてあります。
  ちなみにこの問題は
  
  「解けますか?小学校で教わった算数」
   という問題集でなんと100円ショップに行ったら売っていました。
   
  うーん算数苦手だったしほんとに解けるのか?
  と思って100円+消費税8円合計108円で購入してきました。
  ついでにボールペン5本セットも。
  なかなか書きやすいです。
  
  
  この問題を書いていて普段エクセルを使っていないのでかなり苦しみました。
  というのは分数を書こうにもテキストのソフトでは書けません。
  そこでこんな/を使う方法でしか書けませんでした。
  やっぱりエクセルは必要なんだなと痛感しました。
  また同じく図形の問題もあったのですがお絵かきソフトを使いこなせないと簡単な図形も描けません。
  いろいろやってみましたが台形を書くことができませんでした。
  ペイントとかピクセルで四角形は簡単に出るのですがそこから台形に加工したりサイズを変更して切り取るという図形作成の基本がマスターできていませんでした。トホホ。
  
  そこで点と線を組み合わせてお粗末な台形を作成いたしました((;_;)。
  パソコン教室にいまさら通うのもなあ・・・・というわけでいささか不完全燃焼です。
  で小学校の算数の問題はできたのかって?
  うーん恥ずかしながらかなりできませんでした。
  できたのもありますが、えらく時間がかかりました。
  やっぱり算数は苦手だなといまさらながら自覚させられた次第です。
  こういう算数の問題のほかにも「大人の塗り絵」というものもあってなかなか100均あなどれない。
  「大人の塗り絵」は隠れたヒット商品になっているそうです。
  このような問題や手作業をやるのもボケ防止にもよさそうです。
  



   
★正解★
 ◯分数の問題
   
 ①  7/6 (約して 1と6分の1)

 ②  1/2 分数同士のかけ算では分数同士、分母同士をそれぞれかけます。

 ③  5/8 

     分数の割り算では割られる数に割る数の分子、分母を上下逆転させた数(逆数)をかけます。 
   
   
 ◯体積の問題
 
      10   1Lは10dLです。
      
      
 ◯速さに対する単位の変換     
   
    分速 1500m
   
  ◯台形の面積を求める
  
     196平方cm
     
     台形の面積は(上辺+下辺)×高さ÷2 で求められます。 
   


   小学校の算数で鶴亀算、植木算、切手算などという問題をやった記憶があります。いまもやっているんでしょうか?ネーミングがなんとなく「和算」っぽいですね。
   

Posted at 2016/05/02 15:47:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 四方山話。 | 日記
2016年05月01日 イイね!

春日大社の藤を見物。


「猿沢の池。」

みんカラSHARAKUさんのブログで「春日大社」の下がり藤を見物という記事があった。美しい藤棚の写真があった。昔見た亀戸天神の藤の花を思い出した。
そこで4月30日(土)に外国人観光客で賑わう奈良の春日大社へ藤見物にでかけた。近鉄奈良駅から歩いて行くことに。まずは小学校のときに修学旅行で奈良に来た時宿泊したのが「猿沢の池」の前にあった「魚佐旅館別館」。ちょうど向かい側あたりにあったのだが残念なことに時代の流れには抗しきれず先年、廃業された。修学旅行の写真を見ると東大寺大仏殿や若草山で写した写真があるのだが春日大社の写真はない。とすると今回が初めての訪問になるのだろう。期待が高まる。



「興福寺の五重塔」
猿沢の池に沿った緩やかな坂道を登って行くと興福寺の五重塔が見えてくる。
明治維新の廃仏毀釈で南都奈良の仏教寺院も壊滅的な打撃を受けた。真偽の程は不明だがこの興福寺の五重塔も50円で売りに出されあやうく解体されてしまうところだったが買い手がつかず免れたという逸話が残っている。現在、この塔は国宝となっている。


歩道の街灯柱には鹿の絵が。



春日大社の鳥居が見えてきた。
大型のトラックが前を横切る。
奈良公園の周りはこうした大型トラックの通行が多い。


鳥居を潜ると別世界だ。
都会の喧騒と隔絶された森が広がっている。土道の参道が樹林帯のなかを延々と続いている。


奈良名物の鹿もあちこちに散策している。
春日大社の鹿は数は多くないがみなおとなしく礼儀正しい。
観光客が近づいても静かに佇んでいる。



子鹿が愛くるしい眼をして人間を物珍しそうに見つめている。
この季節の春日大社の参道と鹿苑はバンビの森である。
今年生まれたての子鹿は7月ころに鹿苑にデビューする予定だ。




写真撮影をされてもあまり嫌な顔をしないし逃げることもない。
鹿の餌として「鹿せんべい」が10枚150円で売られている。


やがて「萬葉植物園」の横断幕が見えてきた。


植物園入り口の看板。



入園料500円を払って中へ入ると広大な敷地にさまざまな植物が植えてある。
万葉集に出てくる植物が説明つきで植栽展示してある。
もちろんこの時期の目玉は「藤」である。


藤棚を前に記念撮影。手前は麦畑だ。雑穀類も植えられている。
藤棚の左手には小さく浅い池があるがここには縄文時代に咲いていた「大賀蓮」が植えられている。


盛大に咲いている白い花は「だいこんの花」。
大根は神前のお供え物になるのだろうか。



ここには20種類約200本の「藤の花」が栽培されている。
今日はちょうど見頃だった。

























植物園の中にはいくつか池もあり菖蒲なども植えられている。




カメラを趣味とするグループもたくさん見かけた。






朽ちて倒れた巨大な倒木。そこに木の種が根を張って若木が育っている。樹木の輪廻のサイクルともいうべき植物の命の営みを見ることができる。


「万葉植物園」を出て再び参道を歩く。
やがて遠くに鳥居が見えてくる。
春日大社の敷地は広大で参道はかなり長い。



「春日大社」鳥居前の左側にある巨大な自然石の表示。


快晴の空に鳥居の朱がはえる。


ここはまだ社殿の入り口附近。回廊。







拝殿前の賑わい。写真の正面には「砂ずりの藤」という藤棚がある。




なんといつも拝見させていただいている奈良の小仏さんが一日早い4月29日に春日大社の藤見物のブログをアップされておりました。奈良の小仏さんの写真をご覧ください。私は拝殿まででUターンしましたがさらににそこから特別拝観されている春日大社の本殿まで紹介されております。春日大社はまさに藤に彩られた神殿ですね。


◯関連情報URL◯
 
 「春日大社」

Posted at 2016/05/01 22:22:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記

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「外国人の「外国免許切替(外免切替)」制度をめぐり短期滞在者がホテルの住所で日本の免許を取得することについて、ホテル滞在による「支障は把握していない」とする初の答弁書を閣議決定した。それで良いということだ。
日本保守党の竹上裕子衆院議員の質問主意書に25日付で答えた。無責任だろ。」
何シテル?   05/18 14:14
 趣味は囲碁、将棋、麻雀、釣り、旅行、俳句、木工、漆絵、尺八など。 奈良、京都、大阪、和歌山の神社仏閣の参拝。多すぎて回りきれません。  奈良では東大寺の大...
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