宝山寺の境内は急峻な山の斜面にありさながら山岳寺院の趣である。
目の前には岩窟を穿った巨大な岩山の壁に直面し半ば閉鎖された空間で伽藍は見上げるばかりの空中楼閣の様相を呈している。この狭い境内にはしかし濃密な神霊信仰の時間と形象が秘められているのだ。
まるで天に突き刺す鉾杉のような青銅の宝塔がひときわ目立つ。
宝塔は錫杖の先端のようにも思えて力強さを感じさせる。
その脇を抜けると右手に本堂がある。
ここは真言律宗大本山生駒山宝山寺中興開祖の湛海(たんかい)律師が自ら造立した不動明王が本尊として祀られている。
湛海律師は大和葛城山麓の山林で千日不出の木食行を行い満願の日に不動明王から精霊の宿る生駒山を暗示されたという。一念発起して生駒山に入り自ら不動明王像を刻して本尊としたと伝えられている。

★正面瓦屋根が「本堂」。湛海自作の「不動明王」を本尊として祀っている。前右に「天神」がある。
湛海は聖天行者として高名だがその当時にあって稀代随一の腕をもつ仏師であり、宝山寺の「五大明王像」や唐招提寺に安置されている「不動明王像」は国の重要文化財に指定されている。
本堂の左には「生駒聖天さん」として親しまれ西日本を代表する聖天信仰を集めている「聖天堂」がある。鳥居の脇に狛犬がありその奥に線香の煙が上がっている。ここで香を焚き右手の階段を上がれば聖天堂の外拝殿である。
この「聖天堂」に祀られているのは「大聖歓喜天」である。
聖天また歓喜天というのは仏の守護神の一つである。

★「聖天堂」(通称・天堂)。これは3棟の建物が一体となった珍しいもので「八ツ棟造り」という様式である。 鈴の吊り下がっているのが外拝殿その奥に中拝殿があり一番奥に大聖歓喜自在天「生駒聖天」が祀られている天堂がある。天堂の屋根の上には火炎宝珠がある。
いずれも桧皮葺きであり棟や破風の数が多い。残念ながらいまは改修工事中で屋根がシートで覆われて全容を見ることができなかった。
仏教において仏像や曼荼羅などになり信仰の対象になるのはみな広い意味では「仏」であるが、その由来や性格に応じて「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」の4つに分けられる。
簡単に言えば「如来」とは悟りを開いた「仏」、「菩薩」とは仏になるための修行中の者、「明王」は如来の化身とされ力づくで民衆を教化する。不動明王などもその一つで恐ろしい形相をしている忿怒(ふんぬ)の形相をしている像が多い。この3種類の諸尊に対して、聖天の属する「天部」というのは仏法の守護神・福徳神が多い。
なんとなく大日如来とか釈迦仏という知名度の高い「如来部」の仏像と比べると「天部」の神々はその他大勢で十把一絡げの守護神のような格下で非力な感じがするが決してそんなことはない。個性的でユニークな仏尊揃いであり古来多くの信仰を集めてきた。
もともと天部神はインドの土着信仰の神々が多い。それがインドでヒンズー教の神となり仏教に取り入れられさらに日本に来ると八百万の日本古来神と習合して独自の変化を遂げていくのである。

★「聖天堂」の前には賽銭箱がある。歓喜天にはつきものの「巾着」の形をしている。単体の歓喜天像が手にしている巾着には砂金が入っているとされ巾着は商売繁盛利益倍増のシンボルとなっている。また大根も歓喜天にはつきもので大根の白色は息災を意味し食すると体内の毒や煩悩を消す作用があるとされている。
天部の神を代表するものに、梵天、帝釈天、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王、弁才天(弁財天)、大黒天、吉祥天、韋駄天、摩利支天、歓喜天、金剛力士、鬼子母神(訶梨帝母)、十二神将、十二天、八部衆、二十八部衆などがある。
天部神は本尊の周辺や仏壇の周囲に安置される場合など多種多様だが毘沙門天、弁才天などは独立して堂の本尊として安置され拝まれている。
これら「天部」神の特徴は「現世利益」に霊験あらたかな神が多くそれゆえに現世利益信仰を集めるものが多数存在していることだ。聖天すなわち歓喜天はその代表格の天部神である。

★聖天を祀る天堂と拝殿の前には鳥居がある。鳥居の左右には狛犬がある。このあたりは神社形式そのものだ。鳥居の扁額には「歓喜天」としるされている。鳥居をくぐり線香と賽銭をあげおもむろに右手を向けば「聖天さん」の拝殿がある。

★天堂前の線香場。ここで線香を上げる。

★外拝殿の屋根が真新しい桧皮葺きになっているのがわかる。
歓喜天はもともとインドの土着のシヴァ神系の神で「ガネーシャ」という神に起源をもっている。
このガネーシャというのは頭が像で体が人間という神様である。インド系のカレー店などにいくと極彩色のヒンドゥ教の神像などが印刷してあるがこのガネーシャもよく見かける。いまでもガネーシャはインド人の信仰を集めており新規事業の立ち上げや除災厄除、財運向上には欠かせない。智慧・学問の神でもあり霊験豊かとされる。インドでもこういう現世利益で信仰を集めとくに南インドではガネーシャ祭りが盛んなところがある。
古代インドでは、ガネーシャはもともとは何でも破壊し邪魔をする魔王のような存在であった。このような障害大魔神であり万事の妨げとなる障碍(しょうげ)を司る神だったが、やがて仏教を信仰して改心し障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されるようになった。
本来はインド土着のシヴァ系の神であったガネーシャがヒンドゥ教に入りさらに仏教の神に入っていくのである。

★上から俯瞰した境内の光景。
インドで仏教が起こったのは紀元前5、6世紀頃のことだ。それから1000年ほど経った西暦500年~600年ころにインド仏教で密教が発生する。もともと仏教はバラモン教やヒンドゥ教シヴァ神などの神々とは一線を画して煩悩や欲望を滅することで悟りを得ようとするある種哲学的な道を歩んでいた。しかし民衆が現世利益信仰を求めてヒンドゥ教人気が高まると仏教も次第に土着文化や宗教を取り入れ呪術・儀礼を強調しはじめ仏教保護と怨敵降伏を祈願する憤怒相の護法尊が次々と誕生していった。また多数の新奇な仏尊が礼拝対象となるなど各地の民族宗教と一体化しながらいわゆる新興仏教として密教化が展開されたのである。それ以後北部からの北インドへのイスラム教の侵略もあり仏教が衰退する13世紀まで700年間ほどインドからアジアへと密教が広まっていくことになる。
いってみれば唐の時代の中国ではインド渡来の仏教系新興宗教のような密教が最先端の格好いい新仏教として一世を風靡していた。そこへ出かけていった日本の仏僧にしてみればびっくり仰天。なんとかこの新しい仏教を学び密教の奥義や秘法、教典仏像仏画などを日本へ招来しようと考えたのである。
日本への密教の導入は唐へ渡った天台宗の最澄が一部を持ち帰るが、その後の空海の存在が大きかった。空海はインド密教に精通した恵果に師事し正統真言密教を習得し帰国して高野山で真言密教を布教した。

★天神は菅原道真公をお祀りする。縁のある牛の置物がたくさん置かれている。天神様の境内に牛の石像や銅像が置いてあることが多い。「牛は天神様のお使いだから」とされる。
かくして日本でも古来の仏教に加えて密教新時代が到来することとなる。
こういう背景の中ではるか彼方のインドの土着の神々ははるばると神国日本の新たなる異能神として鮮烈なデビューを飾り多くの信仰を集めるのである。
生駒聖天こと大聖歓喜天もその一つである。
「和漢三才図会」には湛海が聖天像を造立したいきさつが大要次のようにしるされている。
「宝山湛海律師はつね日頃から歓喜天法を修していたのであるが、ある時壇上に歓喜天が出現したので一万座の華水供と千日の浴油供を修して供養したら歓喜天の真の姿が顕れた。それは象頭人身(象の頭をした人間)の男女抱擁の二尊であり女天は七尺ばかりの象の鼻をした天女形で男天は俊偉な偉丈夫であった。湛海はその姿を描いて鋳工に命じて尊像を造らせた。これが生駒山宝山寺の聖天像で湛海は貞享3年(1686)に聖天堂を建立した」
つまり大聖歓喜天は象の頭をした男女が抱き合っている姿をしているという。門外不出の秘仏として代々秘密裏に祀られてきたものであり貫主以外はその尊像を直接頑拝することは許されていないものと思われる。秘仏とされているため拝観することはできないので参拝者は厨子の中に収められた歓喜天像の代わりに置かれた十一面観音像を代理で参拝することになっている。
聖天像は日本において単独の像もあるがこのような「象頭双身男女像」つまり象頭男女立位交会像が多い。

★天神のそばになんと寄付金「一億円」の寄付石柱があった。
聖天はもともとはインドのガネーシャ神であることはすでに述べた。
このガネーシャはインドのヒンズー教においてはもともとは破壊魔であり障碍神としての性格が非常に強かった。しかしそういう悪鬼のガネーシャだったがインド仏教すなわちインド密教に取り込まれる段階においてガネーシャを善神へと転換させるには観音菩薩の存在が不可欠なのだ。
ここにガネーシャをめぐる一つのストーリーがある。
『加持祈祷秘密大全』という伝来本には次のような伝承が紹介されている。
「昔、魔羅醯羅列王という王がいた。この王は牛肉と大根を好んで食していたが、牛が尽きてくると、続いて死人の肉を食する様になり、死人が尽きてくると、生きている人の肉を食する様になった。これに耐えかねた大臣以下の諸臣、軍兵、国中の人民は遂に蜂起し、魔羅醯羅列王が倒そうとした。其処で王は大鬼王毘那夜迦(ヴィナーヤカ)となり、眷属を率いてその国から飛び去った。その後、国中に疫病が流行する様になった為、大臣と人民は十一面観音に救いを求めた。これを受けて十一面観音は慈悲心を起こし、毘那夜迦女に化して毘那夜迦(ヴィナーヤカ)の許に赴いた。毘那夜迦女を見た毘那夜迦(ヴィナーヤカ)は激しい欲情を起こしたが、毘那夜迦女は欲情を満たす条件として仏教への帰依と疫病の流行を止めることを提示した。毘那夜迦(ヴィナーヤカ)はその条件を受け入れ、遂に欲情を満たすことができたと言う。」
中国また日本への密教伝来において障礙神としてのガネーシャの姿は双身歓喜天の由来譚とも強く結び付けられていた事がわかる。

★参考画像です。「歓喜天双身像」。さまざまな双身像があるが基本はこういうものである。
この劇的な改心ストーリーがインドから中国そして日本へと伝搬し日本でも踏襲された。聖天=ガネーシャは単独神ではなく必ず密教においては観音菩薩とともに双身仏として祀られているのである。だからこそこの明暗黒白大どんでん返しの双身抱擁の形にこそ仏恩の偉大さ仏果ご利益の絶大さが秘められておりそのゆえの秘法秘仏の大聖歓喜天なのである。
歓喜仏像において女天は観音菩薩の化身で同じであるが、男天のガネーシャは大日如来の化身とする場会いもある。
宝山寺ではどうかといえば、「男天は大自在天の化身、女天は十一面観世音菩薩のお身代わり」とされている。
この男天の「大自在天」というのはインドのシヴァ神の別称である。
「大自在天」といえば仏教では天界の中で最上位の色界の頂にありて三千界の主である。
シヴァといえばヒンドゥー教の3最高神の一柱。インド最強の神で宇宙の破壊と再生の欲望の魔神である。ちなみにほかの二柱は創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ。シヴァは破壊を司るのである。ちなみに、シヴァの象徴はなんと「リンガ」(男根)でありまして、これは世界共通の生命力と豊穣のシンボル。このシヴァが暴れ疫病を起こして民を苦しめていたので十一面観世音菩薩が姿を変えてシヴァに近づき
「もし私を抱きたければ仏法に従い、善行をしなさい」と諭し我が身をもってシヴァの欲情を満たすことで改心させシヴァは仏教の守護神に生まれ変わることができた。
この姿を示したのが湛海の造立させた象頭双身抱擁の生駒聖天像なのである。
この歓喜天の伝承で思い出すのがお初徳兵衛の心中談を書いた近松門左衛門の「心中天網島」である。あの中の一節「「色で導き、情けで教え、恋 を菩提の橋となし、渡して救う観世音」を思い出す。お初は大坂三十三箇所の観音廻りをする。「観音さまは衆生を救おうと、三十三のお姿に身を変えて、人々を色で導き、情けで教え、恋を悟りの橋にしてあの世へ掛けて渡してくだされる、その誓いは言いようもなく有り難い。」
この情景と十一面観世音がシヴァを善神へと我が身をもって双神抱擁で導く姿と重なるのである。
ちなみに聖天信仰のご利益は除病除厄、富貴栄達、恋愛成就、夫婦円満、除災加護となんでもござれのオールマイティー。「貴賎、智愚の別なく、又富めるも貧しきも皆な悉く願に応じ祈りに任せて利益し、化導し給う」(「歓喜宝暦」平成27年)と書かれている。

★聖天の原型となっているガネーシャの姿。象頭人身。いまでもインドではご利益信仰の対象として大人気である。
最後に密教独特の秘技についても書いておきたい。
それは「浴油供養」というものである。「浴油供」と言われる。天聖堂では中央に祀られている天尊厨子から天尊を温めた胡麻油を満たした「多羅」に移し頭から油を杓で注いで信者の祈願を行っている。
毎日欠かすことなく午前二時に天尊の「浴油供」を行っているという。
献納された石柱に刻まれた「永代浴油」とはこの天尊油供のことだったのである。
「生駒はァ~哀しいいぃ~女町~」と三笠優子の歌った生駒・宝山寺新地の女たちもきっとここで聖天さんに手をあわせて幸せを祈ったことだろう。
大阪や地元奈良の商売人はじめ日本全国津々浦々生駒聖は天多くの人びとの信仰を集めている。
いまインドにも中国にも歓喜仏の聖天さんはない。
だがここではインド土着の神様が姿を変えて衆生の願いを聞いてくれている。
シルクロードを伝わってきた密教は奈良の生駒山でいまだに生き生きと伝承され善男善女の信仰を集めている。
まさに奈良はシルクロードの終着駅なのだと思う。
寒い冬の日なので人は少ないがお参りする人が途絶えることはない。
見上げると冬空の灰色の雲の間に青空が覗いていた。
聖天堂外拝殿でガランガランと鈴の音が鳴った。