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角鹿のブログ一覧

2015年02月19日 イイね!

奈良見物⑥「宝山寺」中。

 宝山寺の境内は急峻な山の斜面にありさながら山岳寺院の趣である。
 目の前には岩窟を穿った巨大な岩山の壁に直面し半ば閉鎖された空間で伽藍は見上げるばかりの空中楼閣の様相を呈している。この狭い境内にはしかし濃密な神霊信仰の時間と形象が秘められているのだ。
 まるで天に突き刺す鉾杉のような青銅の宝塔がひときわ目立つ。
 宝塔は錫杖の先端のようにも思えて力強さを感じさせる。
 その脇を抜けると右手に本堂がある。
 ここは真言律宗大本山生駒山宝山寺中興開祖の湛海(たんかい)律師が自ら造立した不動明王が本尊として祀られている。
 湛海律師は大和葛城山麓の山林で千日不出の木食行を行い満願の日に不動明王から精霊の宿る生駒山を暗示されたという。一念発起して生駒山に入り自ら不動明王像を刻して本尊としたと伝えられている。



★正面瓦屋根が「本堂」。湛海自作の「不動明王」を本尊として祀っている。前右に「天神」がある。


 湛海は聖天行者として高名だがその当時にあって稀代随一の腕をもつ仏師であり、宝山寺の「五大明王像」や唐招提寺に安置されている「不動明王像」は国の重要文化財に指定されている。
 本堂の左には「生駒聖天さん」として親しまれ西日本を代表する聖天信仰を集めている「聖天堂」がある。鳥居の脇に狛犬がありその奥に線香の煙が上がっている。ここで香を焚き右手の階段を上がれば聖天堂の外拝殿である。
 この「聖天堂」に祀られているのは「大聖歓喜天」である。
 聖天また歓喜天というのは仏の守護神の一つである。


★「聖天堂」(通称・天堂)。これは3棟の建物が一体となった珍しいもので「八ツ棟造り」という様式である。 鈴の吊り下がっているのが外拝殿その奥に中拝殿があり一番奥に大聖歓喜自在天「生駒聖天」が祀られている天堂がある。天堂の屋根の上には火炎宝珠がある。
 いずれも桧皮葺きであり棟や破風の数が多い。残念ながらいまは改修工事中で屋根がシートで覆われて全容を見ることができなかった。



 仏教において仏像や曼荼羅などになり信仰の対象になるのはみな広い意味では「仏」であるが、その由来や性格に応じて「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」の4つに分けられる。
 簡単に言えば「如来」とは悟りを開いた「仏」、「菩薩」とは仏になるための修行中の者、「明王」は如来の化身とされ力づくで民衆を教化する。不動明王などもその一つで恐ろしい形相をしている忿怒(ふんぬ)の形相をしている像が多い。この3種類の諸尊に対して、聖天の属する「天部」というのは仏法の守護神・福徳神が多い。
  なんとなく大日如来とか釈迦仏という知名度の高い「如来部」の仏像と比べると「天部」の神々はその他大勢で十把一絡げの守護神のような格下で非力な感じがするが決してそんなことはない。個性的でユニークな仏尊揃いであり古来多くの信仰を集めてきた。
  もともと天部神はインドの土着信仰の神々が多い。それがインドでヒンズー教の神となり仏教に取り入れられさらに日本に来ると八百万の日本古来神と習合して独自の変化を遂げていくのである。


★「聖天堂」の前には賽銭箱がある。歓喜天にはつきものの「巾着」の形をしている。単体の歓喜天像が手にしている巾着には砂金が入っているとされ巾着は商売繁盛利益倍増のシンボルとなっている。また大根も歓喜天にはつきもので大根の白色は息災を意味し食すると体内の毒や煩悩を消す作用があるとされている。


  天部の神を代表するものに、梵天、帝釈天、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王、弁才天(弁財天)、大黒天、吉祥天、韋駄天、摩利支天、歓喜天、金剛力士、鬼子母神(訶梨帝母)、十二神将、十二天、八部衆、二十八部衆などがある。
  天部神は本尊の周辺や仏壇の周囲に安置される場合など多種多様だが毘沙門天、弁才天などは独立して堂の本尊として安置され拝まれている。
  これら「天部」神の特徴は「現世利益」に霊験あらたかな神が多くそれゆえに現世利益信仰を集めるものが多数存在していることだ。聖天すなわち歓喜天はその代表格の天部神である。


★聖天を祀る天堂と拝殿の前には鳥居がある。鳥居の左右には狛犬がある。このあたりは神社形式そのものだ。鳥居の扁額には「歓喜天」としるされている。鳥居をくぐり線香と賽銭をあげおもむろに右手を向けば「聖天さん」の拝殿がある。



★天堂前の線香場。ここで線香を上げる。


★外拝殿の屋根が真新しい桧皮葺きになっているのがわかる。

  
 歓喜天はもともとインドの土着のシヴァ神系の神で「ガネーシャ」という神に起源をもっている。
このガネーシャというのは頭が像で体が人間という神様である。インド系のカレー店などにいくと極彩色のヒンドゥ教の神像などが印刷してあるがこのガネーシャもよく見かける。いまでもガネーシャはインド人の信仰を集めており新規事業の立ち上げや除災厄除、財運向上には欠かせない。智慧・学問の神でもあり霊験豊かとされる。インドでもこういう現世利益で信仰を集めとくに南インドではガネーシャ祭りが盛んなところがある。
  古代インドでは、ガネーシャはもともとは何でも破壊し邪魔をする魔王のような存在であった。このような障害大魔神であり万事の妨げとなる障碍(しょうげ)を司る神だったが、やがて仏教を信仰して改心し障碍を除いて財福をもたらす神として広く信仰されるようになった。
  本来はインド土着のシヴァ系の神であったガネーシャがヒンドゥ教に入りさらに仏教の神に入っていくのである。


★上から俯瞰した境内の光景。


  インドで仏教が起こったのは紀元前5、6世紀頃のことだ。それから1000年ほど経った西暦500年~600年ころにインド仏教で密教が発生する。もともと仏教はバラモン教やヒンドゥ教シヴァ神などの神々とは一線を画して煩悩や欲望を滅することで悟りを得ようとするある種哲学的な道を歩んでいた。しかし民衆が現世利益信仰を求めてヒンドゥ教人気が高まると仏教も次第に土着文化や宗教を取り入れ呪術・儀礼を強調しはじめ仏教保護と怨敵降伏を祈願する憤怒相の護法尊が次々と誕生していった。また多数の新奇な仏尊が礼拝対象となるなど各地の民族宗教と一体化しながらいわゆる新興仏教として密教化が展開されたのである。それ以後北部からの北インドへのイスラム教の侵略もあり仏教が衰退する13世紀まで700年間ほどインドからアジアへと密教が広まっていくことになる。
  いってみれば唐の時代の中国ではインド渡来の仏教系新興宗教のような密教が最先端の格好いい新仏教として一世を風靡していた。そこへ出かけていった日本の仏僧にしてみればびっくり仰天。なんとかこの新しい仏教を学び密教の奥義や秘法、教典仏像仏画などを日本へ招来しようと考えたのである。
 日本への密教の導入は唐へ渡った天台宗の最澄が一部を持ち帰るが、その後の空海の存在が大きかった。空海はインド密教に精通した恵果に師事し正統真言密教を習得し帰国して高野山で真言密教を布教した。


★天神は菅原道真公をお祀りする。縁のある牛の置物がたくさん置かれている。天神様の境内に牛の石像や銅像が置いてあることが多い。「牛は天神様のお使いだから」とされる。


 かくして日本でも古来の仏教に加えて密教新時代が到来することとなる。
 こういう背景の中ではるか彼方のインドの土着の神々ははるばると神国日本の新たなる異能神として鮮烈なデビューを飾り多くの信仰を集めるのである。
  生駒聖天こと大聖歓喜天もその一つである。
  「和漢三才図会」には湛海が聖天像を造立したいきさつが大要次のようにしるされている。
  「宝山湛海律師はつね日頃から歓喜天法を修していたのであるが、ある時壇上に歓喜天が出現したので一万座の華水供と千日の浴油供を修して供養したら歓喜天の真の姿が顕れた。それは象頭人身(象の頭をした人間)の男女抱擁の二尊であり女天は七尺ばかりの象の鼻をした天女形で男天は俊偉な偉丈夫であった。湛海はその姿を描いて鋳工に命じて尊像を造らせた。これが生駒山宝山寺の聖天像で湛海は貞享3年(1686)に聖天堂を建立した」
  つまり大聖歓喜天は象の頭をした男女が抱き合っている姿をしているという。門外不出の秘仏として代々秘密裏に祀られてきたものであり貫主以外はその尊像を直接頑拝することは許されていないものと思われる。秘仏とされているため拝観することはできないので参拝者は厨子の中に収められた歓喜天像の代わりに置かれた十一面観音像を代理で参拝することになっている。
  聖天像は日本において単独の像もあるがこのような「象頭双身男女像」つまり象頭男女立位交会像が多い。


★天神のそばになんと寄付金「一億円」の寄付石柱があった。

  聖天はもともとはインドのガネーシャ神であることはすでに述べた。
  このガネーシャはインドのヒンズー教においてはもともとは破壊魔であり障碍神としての性格が非常に強かった。しかしそういう悪鬼のガネーシャだったがインド仏教すなわちインド密教に取り込まれる段階においてガネーシャを善神へと転換させるには観音菩薩の存在が不可欠なのだ。
  ここにガネーシャをめぐる一つのストーリーがある。
 『加持祈祷秘密大全』という伝来本には次のような伝承が紹介されている。
「昔、魔羅醯羅列王という王がいた。この王は牛肉と大根を好んで食していたが、牛が尽きてくると、続いて死人の肉を食する様になり、死人が尽きてくると、生きている人の肉を食する様になった。これに耐えかねた大臣以下の諸臣、軍兵、国中の人民は遂に蜂起し、魔羅醯羅列王が倒そうとした。其処で王は大鬼王毘那夜迦(ヴィナーヤカ)となり、眷属を率いてその国から飛び去った。その後、国中に疫病が流行する様になった為、大臣と人民は十一面観音に救いを求めた。これを受けて十一面観音は慈悲心を起こし、毘那夜迦女に化して毘那夜迦(ヴィナーヤカ)の許に赴いた。毘那夜迦女を見た毘那夜迦(ヴィナーヤカ)は激しい欲情を起こしたが、毘那夜迦女は欲情を満たす条件として仏教への帰依と疫病の流行を止めることを提示した。毘那夜迦(ヴィナーヤカ)はその条件を受け入れ、遂に欲情を満たすことができたと言う。」
  中国また日本への密教伝来において障礙神としてのガネーシャの姿は双身歓喜天の由来譚とも強く結び付けられていた事がわかる。


★参考画像です。「歓喜天双身像」。さまざまな双身像があるが基本はこういうものである。

  この劇的な改心ストーリーがインドから中国そして日本へと伝搬し日本でも踏襲された。聖天=ガネーシャは単独神ではなく必ず密教においては観音菩薩とともに双身仏として祀られているのである。だからこそこの明暗黒白大どんでん返しの双身抱擁の形にこそ仏恩の偉大さ仏果ご利益の絶大さが秘められておりそのゆえの秘法秘仏の大聖歓喜天なのである。
  歓喜仏像において女天は観音菩薩の化身で同じであるが、男天のガネーシャは大日如来の化身とする場会いもある。
  宝山寺ではどうかといえば、「男天は大自在天の化身、女天は十一面観世音菩薩のお身代わり」とされている。
  この男天の「大自在天」というのはインドのシヴァ神の別称である。
  「大自在天」といえば仏教では天界の中で最上位の色界の頂にありて三千界の主である。
  シヴァといえばヒンドゥー教の3最高神の一柱。インド最強の神で宇宙の破壊と再生の欲望の魔神である。ちなみにほかの二柱は創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ。シヴァは破壊を司るのである。ちなみに、シヴァの象徴はなんと「リンガ」(男根)でありまして、これは世界共通の生命力と豊穣のシンボル。このシヴァが暴れ疫病を起こして民を苦しめていたので十一面観世音菩薩が姿を変えてシヴァに近づき
「もし私を抱きたければ仏法に従い、善行をしなさい」と諭し我が身をもってシヴァの欲情を満たすことで改心させシヴァは仏教の守護神に生まれ変わることができた。
  この姿を示したのが湛海の造立させた象頭双身抱擁の生駒聖天像なのである。
  この歓喜天の伝承で思い出すのがお初徳兵衛の心中談を書いた近松門左衛門の「心中天網島」である。あの中の一節「「色で導き、情けで教え、恋 を菩提の橋となし、渡して救う観世音」を思い出す。お初は大坂三十三箇所の観音廻りをする。「観音さまは衆生を救おうと、三十三のお姿に身を変えて、人々を色で導き、情けで教え、恋を悟りの橋にしてあの世へ掛けて渡してくだされる、その誓いは言いようもなく有り難い。」
 この情景と十一面観世音がシヴァを善神へと我が身をもって双神抱擁で導く姿と重なるのである。
 ちなみに聖天信仰のご利益は除病除厄、富貴栄達、恋愛成就、夫婦円満、除災加護となんでもござれのオールマイティー。「貴賎、智愚の別なく、又富めるも貧しきも皆な悉く願に応じ祈りに任せて利益し、化導し給う」(「歓喜宝暦」平成27年)と書かれている。


★聖天の原型となっているガネーシャの姿。象頭人身。いまでもインドではご利益信仰の対象として大人気である。


 最後に密教独特の秘技についても書いておきたい。
 それは「浴油供養」というものである。「浴油供」と言われる。天聖堂では中央に祀られている天尊厨子から天尊を温めた胡麻油を満たした「多羅」に移し頭から油を杓で注いで信者の祈願を行っている。
 毎日欠かすことなく午前二時に天尊の「浴油供」を行っているという。
 献納された石柱に刻まれた「永代浴油」とはこの天尊油供のことだったのである。
 「生駒はァ~哀しいいぃ~女町~」と三笠優子の歌った生駒・宝山寺新地の女たちもきっとここで聖天さんに手をあわせて幸せを祈ったことだろう。
 大阪や地元奈良の商売人はじめ日本全国津々浦々生駒聖は天多くの人びとの信仰を集めている。
 いまインドにも中国にも歓喜仏の聖天さんはない。
 だがここではインド土着の神様が姿を変えて衆生の願いを聞いてくれている。
 シルクロードを伝わってきた密教は奈良の生駒山でいまだに生き生きと伝承され善男善女の信仰を集めている。
 まさに奈良はシルクロードの終着駅なのだと思う。
 寒い冬の日なので人は少ないがお参りする人が途絶えることはない。
 見上げると冬空の灰色の雲の間に青空が覗いていた。
 聖天堂外拝殿でガランガランと鈴の音が鳴った。
 
 
 
 
Posted at 2015/02/19 22:13:26 | コメント(1) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2015年02月17日 イイね!

奈良見物⑤「宝山寺」上。

  奈良盆地と大阪平野とを隔てる生駒山地はさほど標高の高くない丘陵性の山地である。
  生駒山地は河内国と大和国との国境に位置し、北は京都府の岩清水八幡宮のある男山丘陵から南は交野山(341m)、飯盛山(314m)、主峰の生駒山、高安山(487m)、信貴山(437m)を経て大和川に至るおおむね南北30km余り、東西5kmほどの地域である。
  地理的には平城京の前衛として北や西の外地から都である奈良盆地を守る盾のように横たわっているかのようでもある。
 夕方になると生駒駅あたりから夕焼けに染まった阿部野ハルカスのシルエットがくっきりと眺望できる。もちろん阿部野ハルカスからも大阪の市街地の向こうになだらかな生駒山地の丘陵を見渡すことができる。
 生駒山地の主峰は生駒山(642.3m)である。
 生駒山の山頂を示す三角点は奈良県側にあり生駒山上遊園地の中にある。
この生駒山がいつころから霊山として信仰を集めるようになったのかその縁起は定かではない。ただかなり古くから生駒山は精霊の棲む山として人々が畏怖を抱く場所であったようである。
 「生駒山寳山寺縁起第一」という書物には次のように書いてある。
 「唯鬼魅盛んにして能く人を怖す、山下の里人たりといふとも、昼七ツ下りて此の山に入ることあたハず、又材木伐採するものあれハ。、或ハ火難を得、又ハ悪病を受く」 
  つまり生駒山は現在のように開発されていない妖気漂う霊峰だった。
  原生林の樹木に鬱蒼と覆われており魑魅魍魎の棲む山として山麓の村人から忌避される存在であったようだ。
  そのような恐山に敢然と分け入り壮絶な修行を続けた一人の律僧がいた。
  その人物こそ今日の生駒山宝山寺の基礎を築いた中興開祖「湛海律師」であった。
  中興開祖というのは生駒山宝山寺はもともと役小角行者が655年に開いたとされる修行道場であり役行者を開基としており後に弘法大師の空海も修行したと伝えられている。当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったと伝えられている。
  そういう霊山としての古い歴史を持つ生駒山に新たな中興の祖となるべく入山したのが湛海律師その人であった。
  湛海律師は生まれは伊勢の人である。勢州安濃郡一色村(現在の三重県津市一色町)に嘉永6年(1629年)2月1日に生まれている。17歳で京都愛宕山に登り7日間の断食修行を行う。18歳で江戸へ出て深川永代寺で修行を行う。この永代寺で湛海は聖天(歓喜天)に対する修法に優れ江戸の大火で焼失した永代寺八幡宮の復興ではその祈祷の効験を発揮したという。
  その後高野山、京粟田口の歓喜院、奈良風の森南禅寺での修行を経て延宝6年(1678年)初めて数人の弟子とともに生駒山に入った。
  湛海ははじめ不動尊の行者としての道を歩もうとした人であるが縁あって聖天の示現を受け不動明王を守本尊として聖天の外護に依ることで請願成就を祈念し精進修行衆生救済へと邁進しようとしたと言われている。
  したがって宝山寺では本尊は「不動明王」、鎮守神として「歓喜天(聖天)」を聖天堂(天堂)が祀られている。
  この「現世利益」万能の「不動明王」と「聖天」を二大看板として地元の奈良一円はもとより大阪方面からも現世利益を願う庶民からの絶大な信頼と篤い信仰を集めている。現在でも参拝者は年間300万人を越えるといわれている。




★参道から鳥居を望む。石段の左右には灯篭が並んで美しい。



★お寺であるが巨大な石の鳥居が出迎えてくれる。明治になり「廃仏毀釈」と言って仏教寺院が壊された。それまでは「神仏習合」でありお寺と神社が同居しているのが普通であった。宝山寺には本尊は不動明王だが鳥居もあれば狛犬あり天神さんもある。江戸時代そのままの神仏習合ワールドを今もありがたく味わえる日本風古典的聖地なのである。ちなみに、山麓のケーブルカーの駅名が「鳥居前駅」だった。この鳥居は昔は下の参道入口にあった鳥居をこちらに移築したものだという。「鳥居前駅」というのは昔鳥居が下にあった時代の名残だ。





★ずらりと並ぶ石柱に寄進者のお名前と寄付金の金額が彫られている。



★「永代浴油」の文字が目を引く。「浴油」ってなんなのだろう?密教系の秘儀の匂いを感じられたあなたは鋭い。「浴油」については次回に。聖天信仰に無縁の人間なのでこういうことは来てみて初めて分かることが多いよ。



★しばらく登って振り返る。左手は駐車場。車でここまで上がる人が多いですな。トイレもあります。かなりの急勾配な参道ではあります。



★宝山寺の説明文。  


  
★山門。「惣門」というのそうだ。幕が綺麗ですな。



★いたるところに寄付の石柱が建っている。ご利益のあったお礼なんでしょうな。





★惣門をくぐるとすぐ右に売店、レストラン。左に石像のある場所がある。空海さんと地蔵さんなどがならんでいる。



★七福神さんもあります。神仏習合のデパートあるいは現世ご利益のワンストップバンキング?
早くもなんでもありのご利益ワールド全開ですな。



★「中門」がある。急斜面に宝山寺の伽藍がだんだん開けてくる。この建築空間の演出もなかなか憎いね。神社はきれいさっぱりして透明だが仏教系は凝りに凝って空間にもいかにも感が漂う。やはり外来宗教系の匂いがする。



★手洗い場。屋根の作りが非常に凝っている。





★絵が奉納されている。ひとつひとつ非常に名品である。日本画の名画を見ているようだ。



★いよいよ本丸に到着。なにやらすごい金属の塔が建っている。



★山の中腹なのでそんなに広くはない。そういう密閉性の高い空間にぎっしりと伽藍がひしめきあっている。


 歩いて登ったのでこのあたりでもうかなりへばってます。
  
Posted at 2015/02/17 22:52:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2015年02月16日 イイね!

奈良見物④「生駒新地」(宝山寺新地)。


 ★写真はクリックで拡大します。


奈良と大阪の境目に位置するのが生駒山である。
 前々から行きたいと思っていた生駒山へ行くことにした。屋上にはレトロな生駒山遊園地があるというし山を下る谷筋など東大阪市側には神社仏閣も多いようだ。
 まずその前に奈良県のパワースポットとして知られる聖天さんこと宝山寺を見物しよう。
 宝山寺へ上がるには車道も整備されているが歩きの場合はケーブルカーが便利だ。
 近鉄生駒駅からコンコース続きで同じ近鉄が経営する生駒山ケーブルカーの「鳥居前駅」をめざす。宝山寺は仏教寺院なのになんで参道入り口に鳥居があるのか?まあ細かな疑問はさて置いてじきに「鳥居前駅」に到着した。
 改札の前に立て看板があり「生駒山上遊園地」は冬場は閉鎖していると書いてある。こりゃ知らなんだ。時間があれば遊園地で遊んでみようと思っていたがアテが外れた。いかに事前調査が不足した行き当たりばったりの奈良見物であるかがわかる。
 それでも少し待っているとケーブルカーがゆっくりと下ってきた。
 犬のような顔をしている。遊園地へ行く子どもたちを喜ばせるために作ったのだろう。
 乗客はほとんどいない。












 朝晩の通学通勤の時間帯を除けば山上遊園地へ行く客がケーブルカー利用者のほとんどだろう。遊園地が閉鎖しているわけで人のいないのも頷ける。宝山寺へ参詣する人もいるだろうが自家用車で行く人が多いのかもしれない。
 ケーブルカーはゆっくりと動きだした。
 勾配のきつい急斜面の両側には一般の住宅が建っている。
 生駒の町並みがおのずと視界に広がってくる。
 江戸時代中期に創建された生駒聖天・宝山寺の門前町として栄えたのが生駒の町である。  ケーブルカーは「宝山寺」駅に着いた。
 ここから宝山寺まで歩いて登るのであるが、この間に広がる参道沿いの和風旅館街がいわゆる「生駒新地」または「宝山寺新地」と呼ばれるまことにディープな歓楽地なのである。
 駅から少し歩くと「聖天通り 観光生駒」のアーケードが出迎えてくれる。
 ここから参道がはじまり同時に歓楽旅館街となる。










 といっても誰も人が歩いていない。まことに閑散としている。人の気配もない。
 どこへ飛んで行くのかカラスが一羽カァーカァーと鳴いている。
 時計を見るとまだ午前10時である。どこの旅館街でも閑散とした時間帯であることにはまちがいない。
 それにしても森閑とした空気はなんなのだろう。
 14軒ほどの和風旅館のほかにとくにこれといった店舗もない。人家もあるが生活感があまり感じられない風景である。
 空き店舗があり窓ガラスに「売値500万円」という貼り紙があるが文字が日焼けして色あせている。長い間売れないのであろう。
 なんとなく寂れたふうである。
 もう世間の風に取り残されて消滅を待っている昭和レトロな旅館街といった侘しい風情しか漂っていない。








 廃業したまま放置されている旅館もあるようだ。
 表向きは普通の旅館街なので中には「日観連」や「JR協定旅館」に加盟の旅館もある。
 文字とおり普通の観光旅館も混じっているのかもしれない。
 ただ料理旅館と看板を出している旅館の玄関まわりをよく見てみると「生駒料理旅館組合」のプレートに並んで「風俗営業許可店」だの「一八歳未満の方は入店お断り申し上げます」などと小さく書いてある。
  一八歳以下が利用できないで風俗営業をしている料理旅館とは・・・・・。
  これが「生駒新地」の「新地」たるゆえんのものである。
  だが霊験あらたかな宝山寺・聖天さんのご加護ご利益なのか、ここ生駒新地の由緒ある遊興地としての歴史は途絶えてはいない。生駒山新地というマニアックな新地風俗の命脈はいまだに細々とではあるが続いているようなのである。






  江戸時代から信仰を集めた宝山寺だが明治になると参拝客を目当てに旅館やお茶屋ができていたようである。大正7年に日本初のケーブルカーが開通。増加が見込まれる参拝客を当て込みこれと時を同じくして地元の旅館業者は置屋組合を結成した。
 そして旅館へ女性を派遣する形での歓楽地営業が本格的に開始されるようになった。
 一時は参道の下からずらっと門前まで旅館がひしめきあたっというから大変な賑わいぶりだった。戦時中一時中断したものの戦後に復活した。
  生駒山の中腹という世俗を離れた独特の遊里の風情が人気を呼んできた。
  「生駒新地」はまるで歓喜天ワールドへタイムスリップでもしたかのような不思議な感覚を醸し出していた。
  ここには呼び込みや案内人もいないしそれらしい女の子がいるわけではない。
  利用客は旅館へ入ると女将さんに頼めば生駒に二軒ある「生駒芸妓検番」に連絡を取ってくれてそこから好みにあった相方さんが派遣されてくるというシステムになっているそうだ。ただ御多分にもれずいまどき新規募集しても若い女性が応募してくれることもなく検番に所属する女性の若返りが宝山寺新地活性化の課題となっている。だが、なかなか難しく結果として女性の高齢化が進んでいるのが現状であるという。
  そのぶんほかの新地では味わえないしっとりと落ち着いた時間が過ごせるとして一定のファン層がついているとも言われる。ただ利用客も高齢化が進みやがてはこの生駒新地の灯も消え行く運命にあるのかもしれない。


●BGM●
「女町エレジー」 藤圭子




  
  
Posted at 2015/02/16 21:22:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2015年02月15日 イイね!

奈良見物③「天理参考館」。

天理大学付属「天理参考館」を見学した。
貴重なコレクションを収蔵していることで知られており前々から行きたいと思っていた。
天理教教会本部の隣に位置し天理大学や天理高校など教育施設の集中している地区の中にある。
一階にある説明文とビデオを見るとなぜ天理大学が作られ参考館ができたかがわかる。
これらは天理教の世界への布教「天理たすけ」の推進するために二代目眞柱の中山正善氏がまず外国語の習得できる外国語大学を設立。これがいまの天理大学の前身となった。さらに海外布教のためには海外の歴史生活文化を知ることが不可欠であると考えて布教の事前学習資料館としての参考館を建設したという。これが現在の天理大学付属天理参考館になった。




★一階にある説明文。




★どでかい石像の頭が出迎えてくれる。

一階のロビーに入ってすぐに巨大な石像の頭があるのに驚かされる。
これはメキシコの3000年前のオルメカ文明の石像の頭(レプリカ)だという。

展示内容は一階と二階が「世界の生活と文化」、三階が「世界の考古美術」となっている。
最初に三階から見学した。
まずこの天理参考館のあたり一帯が縄文時代遺跡であり「布留(ふる)遺跡」と呼ばれている。その出土物を中心に出土品が数多く展示されている。まさにこれこそ天理参考館の展示物の白眉といえるだろう。
最初に布留(ふる)遺跡の部屋を見た。




★布留(ふる)遺跡から出土した矢尻の数々。



★見事な深鉢。縄文中期、高さ40・2センチ。



 ★硬玉大珠。原石の玉は新潟県の糸魚川産。木の棒の先に硬い粉を付けて回転し穴を開けている。写真ではわからないが最初に開けようとして失敗した浅い穴の跡がある。




 
 ★布留(ふる)遺跡出土品による古墳時代の祭式の再現。

 
 
 次に向かい側の大部屋へ移り、世界の考古美術の部屋を見学した。ここには日本、朝鮮半島、中国、オリエントの展示品があった。



 ★古墳時代の埴輪。日本。6世紀。高さ74・9センチ。


 
 ★古墳時代の「三角縁神獣鏡」。日本。



 
 ★仏像の掘られた石柱。四面に仏像が彫られている。中国。



 
 ★まだ金の残る銅鏡。中国。




 ★壺。中国。



 ★立像。中国。



 
 ★三彩の像。中国。


 
 ★ミイラの棺。エジプト。
 
 
 次に二階から一階へと移動。途中にガラス張りの休憩室もあり外の景色が眺められる。
 世界各国の珍しい文化、造形、信仰の紹介がある。 



★アイヌの民族衣装。


 
 ★朝鮮半島の「チャンスン」。村の守り神として道端に建てられてている。

 
 
 ★赤道直下のボルネオ島の民族文化。


 
 ★インドネシアのバリ島。すべての造形物が神々の姿でありバリ島は別名・神々の島と呼ばれる。



 ★祖霊とともに生きる台湾の先住民族の文化。



 ★人形。中国。


 
 ★パプアニューギニアは20世紀まで知られない世界の秘境だった。「仮面」、「楯」、「精霊像」など。



 
 ★チベット。羊の皮を浮袋にして川を渡るイカダ。


 とても充実した貴重なコレクションの数々に圧倒された。
 次の予定もあり一時間半ほどしかいられなかったがもう少し見たい気がした。ぜひまたじっくりと見学に来たいものだ。

 関連情報URLに、天理参考館の公式HPをリンクしておいた。
 いろんな展示物の動画もあるのでご関心あれば御覧ください。
関連情報URL : http://www.sankokan.jp/
Posted at 2015/02/15 21:49:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記
2015年02月14日 イイね!

奈良見物②「天理ラーメン」。


 天理ラーメンといえば、「天理スタミナラーメン」と「彩華ラーメン」が二大看板メニューだ。
 にもかかわらず食したのはそのいずれでもなく麺屋「一徳」というお店のラーメンであった。
 理由ですか?天理教教会本部を見学したあと近くにある天理大学参考館という博物館を見学。そこでもう昼も過ぎた午後1時ころ。なんで何か食べようかな、と。そうだせっかく天理に来たのにラーメン食べてないな。で、とりあえず一番近そうな場所にあっておいしそうな店というのが「一徳」であった。
 店のある場所の地図を見ると天理市役所の前の通りで川原城町交差点と天理本通りの中間くらいにある。天理大学参考館から川沿いの道を歩いてしばらく行くと左手に天理市役所の建物が見えてきた。屋根がとんがった不思議な形をしている。
  最初の交差点は「天理大橋北詰」でその少し先が「川原城町交差点」だった。左折すれば天理市役所だが右折すれば「天理本通り」にぶつかる。その中間くらいにラーメン「一徳」があるはずだ。
  この地図は今朝、宿の主人に貰ったものだ。 
  「天理ラーメンというのはどういうラーメンなんですか」
   こう聞いてみた。
 「よく知られているのがですね・・・・」
  と一枚の地図を帳場の脇からさっと取り出して見せてくれた。
  ラーメンについて質問する泊まり客が多いのだろう。
  主人の手作りの天理ラーメン地図である。
  簡単な天理市中心部の略図と主だったラーメン店の名前と店舗の位置がしるしてあった。
 「天スタと菜華が天理ラーメンの代表でしょうね」
   天スタというのは「天理スタミナラーメン」で「彩華」というのは「彩華ラーメン」である。
   昨夜歩いた時にも道路の脇に屋台のラーメン店が出ているのを何箇所か見かけた。あれも天スタだったのだろう。屋台の前の道路に車が3台ほど止まっていた。車で食べに来るほど人気のあるラーメンなのだろうと想像できた。
   残念ながらどちらも食べたことがない。
 「ほかにあっさりとした淡白な味でおいしいのが一徳です」
   という説明だった。




★麺屋「一徳」の外観。

   ふだんラーメンはほとんど食べないので特に味のこだわりはない。
   「川原城町交差点」から少し歩くと道路の右手に「一徳」ラーメンがあった。
   店名は「麺屋 一徳」と書いてあった。
   ほんとに小さい店で店構えも日本そば店のようなシンプルなものだった。
   ぼんやりしていたらうっかり通りすぎてしまうかもしれない。
   表に丸い木の椅子が二脚置いてある。脇には半ば壊れた黒い木の長椅子があった。 
   やはり人気店らしく店の前に行列ができることがあるようだ。
   暖簾の上に張り紙があって車が5台止められる駐車場の説明や自転車やバイクは道の脇に置いて通行の邪魔にならないようにしてくれとかいろんなことが書かれている。たしかに狭い舗道に自転車やバイクが置かれ人が5人も10人も並んでいたらとても通行できないだろう。経営者が周囲へ迷惑がかからないように気を使っていることが感じられる。
  ではさっそく店内へ・・・・・ありゃ満席だ。
  何の事はない外で待つはめに。
  店内はカウンターだけで7人くらいしか入れない。
  しばらくするとお母さんと小学生ほどの娘が来て丸椅子に座った。
  結局このとき店外で待っていたのは合計で4人だった。
  歩道の脇には自転車が3台止まっていた。 
  10分くらいして3人の若者が出てきて自転車に乗って行った。
  入ろうとしたら「片付けるから待って」と言われた。
  店主は一人で店を切り盛りしており片付けをするには客席のほうへ出てこないといけない。カウンターの前に客が座ると店主がその後ろを通るのが難しいほど狭い小さい店なのだ。
  待つことしばし。ようやく店の中へ入ることができた。
  ラーメンを食べるために行列をしたことは人生で初めての経験だった。
  カウンターに座ると隣にいた客が塩ラーメンを食べていた。
  ぱっと見スープが淡い黄金色で透明であった。
  いかにもおいしそうだった。
  いささか迷ったが醤油ラーメンを頼んだ。
  店主はイケメンの寡黙な青年であった。
  麺は細麺なのであまり長く茹でない。さっとお湯を切るとどんぶりに入れまもなく醤油ラーメンが出された。



★麺屋「一徳」 しょうゆラーメン。


  ん?醤油ラーメンなのか?塩なのか?と思うほど透明な黄金色のスープである。
  スープを一口飲むとかつお節の香りがした。
  香り立つ和風出汁の味を損ねない微妙な度合いで鶏の旨味も感じられる。
  あくまで自分の感じなので何のスープなのかわからないが和風出汁の効いた淡白でおいしいスープであることは間違いない。
  細麺の上に薄切りの柔らかい豚肉と青い野菜と白髪葱が乗っている。
  麺の茹で方は微妙に硬いが自分が柔らか麺好みなのでこれはこれでいいのだろう。
  久々においしいラーメンだった。
  母娘はご飯も頼んでいた。
  醤油も塩もラーメン700円。メニューを見ると替え玉も100円と書いてあった。
  ラーメンのメニューは醤油と塩だけである。
  なんともおいしいラーメンだった。
  天スタや彩華と並べるとおそらく同じラーメンとは思えないだろうと感じられた。

  と、ここまで書いてとんでもない間違いを書いたことに気がついた。
  自分の撮影した麺屋「一徳」の写真を見なおしたら看板には「しょうゆらーめん」「塩らーめん」と書いてあった。それを「醤油ラーメン」だの「塩ラーメン」だのと私は間違って書いていた。店主の作っていたのはあくまで「しょうゆらーめん」であり「塩らーめん」である。なんというか和風らーめん、なのだろう。お詫びして訂正いたします。

  
  天理の外食として前夜に食べたレストラン「陽ざし」も書いておきたい。
  ここは天理駅のすぐそばでJRの線路脇にある。
  「天理本通り」につながる「天理駅西」交差点を渡ると線路脇にすぐある。
  とにかくどんなものを頼んでもボリューム満点で味も申し分ない。
  最初は客がいなかったが一人来て二人来てあっというまに満席になった。それも筋骨隆々の体育会系のお兄さんたちがどかどか入ってきた。
  そうかこの近くには天理大学体育学部のキャンパスがある。
  そういう猛者が常連だけにガッツリ系の飯を食いたい人にはピッタシの店である。
  関連情報URLにリンクを貼っておいた。
  「陽ざし」というのがいかにも天理らしい。
  「陽気ぐらし」の意味を込めた「陽ざし」なんだろうと思った。
  いっぱい食べて陽気に暮らす。
  天理市はレストランにも「陽気」のあふれる宗教都市であった。


●関連情報URL  レストラン「陽ざし」
  
Posted at 2015/02/14 21:18:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 日記

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