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2021年06月28日 イイね!

十三峠紀行 その②大和川の付替え工事

 大和川は昔は大和盆地から亀の瀬を経由し現在の柏原市に入ると南部から流れてくる石川と合流して北へと流れていた。
 これは地形の傾斜によるものだが大和川水系では大雨が降るたびにたびたび大洪水、水害が発生していた。
北へ向かって伸びる大和川の支流は川底が高く土砂が堆積した天井川となっている。そこに大雨が降ると増水した石川の濁流を合わせ飲み込んだ川が暴れ龍のように氾濫し周囲を水浸しにする。田畑橋や家屋を容赦なく押し流し水没させる。毎年の被害への備えはしているものの何十年に一度の大洪水には為す術もない。

 河内平野の村人にとっては恨みの大和川である。
 もともと大阪は大きな内海だった。だが南からは大和川、北からは淀川が大量の土砂を運んできた。この二つの川が大阪湾の内海を少しづつ埋め立て大阪の陸地を形成したのだ。
 とくに南部の石川を合わせ北上する大和川が大量の土砂を運んできた。この大和川の土砂流によって大阪は自然に内海が埋め立てられて陸地になったのである。そこまではよかった?のだがその後も網目のように水系を拡大した大和川が河内・摂津へ洪水被害をもたらすのである。
 
 大和川は深い固定した川筋ではなく泥湿地斜面を気ままに流れ洪水のたびに流れを変えるような暴れ川だった。そういう大和川だったがやがて流れが固定されるようになった。それが新たな問題を生んだ。
 もともと大和川は流れが強く周囲の土砂を削り取り流れてくる土砂流なので川筋が固定されると川底に土砂がたまるようになった。川底が周囲の田畑より3メートルも高い高い天井川となってきたのである。こうなるとひとたび洪水が起こったとき周りの低地へ大量の水が溢れ出し被害はさらに大きくなっていった。

大阪湾の変遷

以下の画像は「平野区誌」より

縄文時代早期(約9400年前)
縄文時代、海水が上昇。
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縄文時代早期(約8000年前)
海水が内陸部に入り内海となる。
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縄文時代前期の後半(約5500年前)
上町台地だけは半島として残り河内湾が誕生した。
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縄文時代中期の初頭(約4500年前)
その後、川から流れてくる土砂が堆積し河内湾は塞がれ状態になる。
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弥生時代中期(約2000年前)
河内湾は淡水化が進み少しずつ陸地化していった。
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十三のいまを歩こう 新之介のブログより

 
 

 大阪は昔から制御不能の大和川の治水対策が最大の課題だった。
 河内平野の洪水防止や農業開発を目的として流路を西へ付け替える「大和川の付替え」構想は古くはなんと奈良時代以前からあり、日本書紀、続日本紀に記述がある。実際に大和川に関する治水工事の歴史は古墳時代に遡る。
 たとえば現在の大阪天王寺区・阿倍野区に「堀越」「北河掘町」「南河堀町」「堀越神社」などの地名がある。これは『続紀』巻第三十九にある延暦7年(788年)ごろに和気清麻呂が河内川(現在の平野川)を西へ分流させるべく本格的な流路変更の工事の名残の地名だと言われている。
 
 
◎付替え前の主な大和川洪水の記録

832年 8月の大風雨により河内・摂津に被害。
1544年 畿内大洪水により、河内・摂津に甚大な被害。
1563年 5月の8日間にわたる断続的豪雨により、河内国の半数が浸水、死者16,000人余。
1620年 5月、志紀郡の堤防が決壊、水田24,000石分の被害。
1633年 8月、柏原村をはじめとする各村の堤防が決壊、民家50軒、死者36人、水田20,000石分の被害。

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新大和川という赤い字の下が付け替えられた「大和川」。その上に扇状に広がっているのが旧大和川。

 そのため大和川の洪水被害地域の村々は大和川の流れを柏原の大和川と石川の合流点から真西へ向け、住吉・堺方面へ流す案を何度も幕府に嘆願していた。大和川を真西へと水路を変えられれば洪水がなくなる上、これまでの川が干上がり新田開発が可能となる。これで村は一石二鳥の利益を得ることができる。
 しかし陽が差せば日陰が生まれるのも世の常である。
 大和川の新たな付替え予定地にあたる村々では人工的な水路変更により甚大な被害を被ることになる。
 昨日まで田畑だった先祖伝来の土地が川底に沈むのだ。同じ村が運河によって行き来もままならない分断状態に引き裂かれることにもなる。人の住む集落密集地を避けて工事図面を引くとしてもそこにはたいがい先祖の眠る墓地がある。そうなると墓を移転させなければならない。おまけに工事によって損害を被るだけで何も得することはない。
 これは村の死活問題である。大和川付け替えなどやってほしくない。当然この地域では激しい反対運動が起こった。村の有志が江戸まで反対請願へ下ったという記録もある。
 
古文書
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↑反対の嘆願書(写真:柏原市立歴史郷土資料館)

恐れ乍らのご訴訟。
こういう書き出しでの賛成、反対の対立する村からの陳情文書が残されている。

賛成の立場から河州摂州両国の百姓が主張あしたこと。

①大和川の流れを川違えしていただければ、水害に苦しんでいる十五万石余の百姓が永久に助かる
②大和川が運ぶ土砂で、新開池・深野池や川々は大坂河口までことごとく埋まってしまう。
③一年の内にも度々家まで水につかり食べるものもなくなって困っている。
④川違えの実施が延び延びになって十五万石余の百姓は何の為すべもなく餓死するしかない。
 恐れ乍らご慈悲をいただき、お願いの通りの川違えをしていただければ、私ども一同、末代までのお助けと有難く存じ奉ります。


これに対して川違えで田畑が運河の犠牲になる河州志紀郡船橋村柏原村から住吉手水橋迄の村の百姓の反論である。

①川違えを指示されますと、川底になってしまう村々は水底となり、住むことも出来ず路頭に迷う。
②新川筋の南側は悪水が流れ込みやすい地形で四五万石も水場になってしまう。
③新川より北側のかなりの村は日損場(にっそんば)=水不足、になってしまう。
④とにかく、川違えの実施は摂州河州数郡の百姓の命にかかわる。ご慈悲の上、これ迄のように中止して下されば有難い。
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写真を拡大してみるとわかりやすいです。

左の大きな階段状の白いのが淀川 右の海につながる濃い青色が新たに付け替えられた大和川
中央の全体に広がる薄い茶色は新田開発される旧大和川水系
一番下の真ん中が大阪城
「南・奥河内から情報発信🎵 フォロバ100💛💙💚」ブログより

 大和川付け替えが請願されてから約50年。1703年、幕府はついに付け替えを決定する。
 当初三年はかかると予定されていたが、工事は実際には8ヶ月足らずで完了した。
 工期が短くなった一つの要因は川底を掘り下げないで平地を川底にして左右に土手をつくる簡便な工法をとったことがある。それでも土地によって一筋縄ではいかず瓜破や浅香では台地を掘り下げるなど難渋を強いられた場所もあった。
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工事は分担して同時進行で進められた。幕府と各藩の請け負った工区。↑

 かかった費用は71,500両。現在で考えると約140億円である。幕府はそのうち37,500両ほどを負担し、残りを工事を任命された各藩が分担した。だが結果的に得をしたのは幕府で、旧大和川流域の新田開発の入札で幕府には37,000両ほどの収入があった。幕府の工費負担はこれでほぼ回収されている。こういう計算が成り立ったので幕府は大和川付替えを決断したのかもしれない。
 工事に要した人員は毎日1万人で日当も支払われている。
 旧大和川水系は新田に生まれ代わった。川床に開発された新田には砂地が多く、木綿の栽培に適していた。そこで綿花が盛んに栽培され、木綿栽培が盛んになった。
 現在旧大和川の上には学校やグラウンドなどの公共施設が多くあり、花園ラクビー場もその一つである。
 
 つい先日大阪の八尾市、東大阪市へ行った。そのとき柏原市を通ったが巨大な大和川の堤防を見た。ああこれが大和川付け替えの土手なのだなと実感できた。この巨大な土手ならどんな大洪水が来ても大丈夫のように思えた。なにしろ古墳時代から大阪は治水工事を営々として続けている土地柄なのである。大阪は水の都と言われるが治水の都と言ってもいいくらいだ。
 新しい大和川の土手はその後も補修されて立派な堤防となり大阪府民に散歩やサイクリングなどで利用されている。
 
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 古町墓地 (柏原市古町)
旧大和川左岸の堤防上にあります。

これでやっと大和川と別れ、次回の、その③は一路「平群町」をめざします。それにしても大阪府を大和川が南北にど真ん中で分断しているとは驚きですね。しかも地元の熱心な請願が半世紀も続けられて実現したという。テレビの大河ドラマにしてもらいたいものです。
Posted at 2021/06/28 10:34:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 奈良見物 | 旅行/地域

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