青い網を生ごみの袋に掛けて網の裾を重石で完全に塞いでおく。
これで烏の被害が防げるはずだ。
常識的にはそのはずであるが烏に人間の常識は通用しない。
網の上に乗り下の生ごみの袋を突付き回して網そのものを破る。破った網の隙間から獲物を引き出して喰らう。二三羽が群がると被害はさらに拡大して一時間も立てば周辺は悲惨な生ごみ散乱状態になる。
このあたりの烏が特に獰猛なのか?それともこのゴミ捨て場のデタラメさがこういう横暴な烏を育ててしまったのか?原因はわからないがこのゴミ捨て場を自分たちの餌場にして居着いている烏がいることは間違いないことである。
網が破られるのは網が足りないせいではないのか。網を二重にすればさすがの烏も網に孔を開けるのは難しいのではないだろうか。そこでホームセンターへ行き幅5メートルの網を買ってきた。この網をコンクリートに取り付けてみた。なかなかいい感じである。
次の生ごみの日に様子を伺った。
この日はなぜか烏が来ていないようであった。たまにそういう日もある。しばらくは平穏な日が続いていたのであるがある日悪夢は再発した。
ゴミ収集車の来る時間はだいたい午前10時前後である。
私は家の生ごみを捨てに行く7時ころから監視をはじめ9時ころには必ず見回ることにしていた。
朝7時は異常なし。だが9時過ぎに言ってみると生ごみ散乱の惨状が出現していた。
何故なんだ?二重の網は破られたのか?仔細に点検するまでもなく原因ははっきりとしていた。
すでにかなりのゴミ袋が二重の網の中にあったのだが一個だけ先に設置された網と後で取り付けた網との間に置かれて重石も申し訳程度に軽い石が一個だけ乗せられていた。
これでは烏の餌食にならないほうがおかしい。
しばし唖然として眺めていた。虚を突かれた思いであった。
まさか二重にした網の間にサンドイッチのようなゴミ袋の置き方をする人がいるとは・・・・・。これでは何のために二重にしたのかわからない。上の網を浮かせているのがよくないのかもしれない。しかし上網を浮かせているということで網と網の隙間をつくり烏の攻撃をしにくくするのではないかと考えていたのである。だがその間隙を狙われたのである。烏にではなくゴミ捨て側の人間に弱点を突かれてしまった。
最初から烏と人間の両面の防御を考えていたのであり人間側の「ポイ捨て攻撃」を甘く見ていたことを反省した。だがこの人間側のポイ捨て感覚から生ごみの袋を守る手段は非常に難しいものがあると痛感せざるを得なかった。傾向として最初に捨てに来る人はきちんとしているようだが後の時間に来る人がいい加減な場所へ捨てて行く傾向が強い。
烏はそれを待っているのである。
どこか遠くから眺めて一瞬に餌場に隙があるかないかを判断するのであろう。烏に限らす鳥は物凄く眼がいい。ぱっと眺めて隙がないと思えば襲撃してはこないようだ。
烏との対決を始めてから私の姿を見るとさっと逃げ出すようになった。
烏は人間の顔を覚えて人を見分けているようだった。
そこで次の手段として見張り回数を増やすことにした。
仮に1時間放置したままだともう完全に荒らされてしまう。だがその間に一人くらいはゴミ捨てに来るとして30分の間隔で無意識の見張りは行われていると考えた。
その上に私が30分に一回行けば15分に一回の見張りをしていることには計算上はなるかもしれない。
このゴミ捨て場の脇は公道であって車はひっきりなしに通る。朝は通学の中学生が自転車でかなりの人数が通ってい行く。だがそうした車や人は烏の生ゴミ漁りにほとんど影響を与えることはない。もう烏はそういう車や通学の自転車が烏に被害をもたらさないことを学習しきっておりそばを車が通っても平気なのである。
朝7時にゴミ捨てをして点検する。それから30分ごとに監視に行く。9時前後からは散歩を兼ねてゴミ捨て場が見える範囲を往復しながら歩く。
こういう頻繁な点検はかなりの効果をあげてきた。
それでも烏が生ごみを食い散らかしていることもある。その場合は即ビニール袋で散乱した生ごみを回収して網の中へ入れておく。ゴミを回収する作業員の人にはなるべく手間をかけないようにしないといけない。おそらくこのゴミ捨て場は作業員の人達からは「アソコはひでえなあ・・・・ろくな奴がいない」と言われているに違いないと思っている。もし自分がゴミ回収をする立場で見ればここはあまりにもひどすぎるのだ。
ゴミ回収の人の立場になってみれば生ごみが散乱していないほうがいいのは当然である。
だが少しでも速く回収して次の場所へ行きたい作業員の人にとってあまりにも厳重なのも効率が悪いのではないだろうか。重石を十個も二十個も置かれていればそれを外すのはかなりの手間である。
烏から生ごみの袋を厳守するということばかり考えてゴミ回収の手間が膨大になることを失念してはいないのだろうか。そう思えば重石やなにやらはほどほどにしないといけないなと思うのである。
そうこうしているうちにやはりこんな「一人人海戦術」の見張り作戦はあまりにも効率が悪いと思い始めた。
朝から5回、6回も点検してもわずか5分間でも巡回の隙を烏に狙われればオシマイである。
これでは3時間あまり常時見張りをしていないといけないことになる。しかも雨が降る日には巡回も面倒くさくなるの。こういう頻繁な巡回を繰り返しているうちにやはり最終的には構造物をつくるしかないのだろうと思うようになってきた。最初からきちんとしたゴミ置き場を作っていればこんな烏の被害にあうことはないのである。
これは突然思いついたことではない。最初からなぜもっとしっかりしたゴミ置き場をつくらないのかと思ってはいた。だがつくれるものならばとっくに作られているはずだ。それがないのは作れないという現実があるのだろう。そう思うしかなかった。
そこで微々たる改善改良をしてみているのではあったが対処療法であり根本的な解決には程遠い。最初からわかっていることであった。
烏の立場になってみればこの餌場を失うことは生命維持に直接関わることである。一家をあげて総攻撃の態勢を取っている。烏にとっては人間との戦いに負けるわけにはいかないのだろう。
烏だけでなくここらには野生の鹿も多くさらにイノシシがやっかいだ。いま地中で伸び始めた筍をイノシシは掘りまくり喰いまくっている。山や河原には遠目に白い部分があるとそれは決まってイノシシが掘り返して喰った筍の皮なのである。
少子高齢化でこの地域の人口は減るばかりだがその何倍もの野生生物が我が物顔で生きている。
野生の王国の中に人間が家や畑に生物に襲われないように手製の囲いを作って暮らしているのが現状なのである。
このゴミ捨場もそういう場所の一つなのである。
つい先だってのこといつものように朝から5回目くらいの巡回に出かけた。
遠目にゴミすればの脇の道路上に烏がいるのが目についた。
何かを突っついている。この野郎!ダッシュしようと心では思うが体がすぐには動かない。
それより速く烏は私の姿を見つけるとぱっと飛び立った。逃げたあとに白い袋が残されていた。
そこでダッシュすればよかったのだが私はもう烏は逃げたものと安心して歩いていた。
だがその時である。烏が猛スピードで舞い戻ると白い袋に取り付きその中から何かを咥えるとふわっと飛び上がり逃げていった。
一瞬のできごとであった。
あんにゃろめ!近づいてみると揚げせんべいの袋であり中にはまだたくさん入っていた。
こんなものを食べもしないで捨てるとはどういうことだ。
ゴミ捨ての状況をみていると開封もしない食品や丸ごとのパンの袋とかも少なくない。
袋の中にあればわからないのだが烏が引き出してくれるので生ごみの実態がわかるのである。
だがそれはこの際は関係がない。
やはり生ごみの袋は食い破られそこからこの煎餅の袋だけが引きぬかれていた。
ほかにも生ごみは詰まっているので来るのが遅ければ被害はさらに拡大していただろう。それにしても烏に舐められたものである。あのおっさんはまだ来ないだろう。だったら一個でもかっさらおうではないか。烏はこう判断して舞い戻ってきたのだ。自分の目の前で舐めた真似をされて黙ってはおられない。
ついに最終決断を下した。
こうなったらやってやろうじゃないか。たとえ敵が千万人いようとも単騎決戦を挑もうではないか。
あの烏どうして九両三分二朱。ずいぶん古いことを言ってしまった。
江戸時代は十両を盗むと打首になった。死刑である。窃盗で死刑とはなかなか厳しい刑法があったのである。だが江戸も後半になると貨幣価値がだんだん下落し十両で死刑はちょっと厳しいのではないかという雰囲気になってきた。そこでお上は十両の死刑基準を引きあげて二十両にしたのかと言えばノーである。そこは日本伝統の解釈の変更を行い実質的な刑量のバランスを取ったのである。どういうことかと言えば仮に十七両を盗まれたと訴えでた者に対して奉行はこのように言うのである。
「盗まれたのはその方の落ち度がないとはいえまい」
「へい左様でございます」
「ならば盗まれた金額が十七両というのは少し多いではないか」
「へえ恐れいります」
「わかったらよい。盗まれたのは九両三分二朱ということでよいな」
「その通りでございます」
こんな風に金額をぎりぎり十両未満にすることで窃盗犯を死罪から減免するのが普通であった。
そこで窃盗にあった被害者は「この盗人野郎め、どうして九両三分二朱・・・・」と歯ぎしりしたという噺が人口に膾炙したのであった。
と余談が過ぎた。
この烏、どうしてくりょうか、と気負ってはみたが自信はなかった。
こうなれば最後の構想を実現するしかない。
烏対策の決定版である立体的な構造を持ったゴミ捨て場の構築である。
だが気持ちはあっても材料がないのである。
ゴミ置き場に何かの囲いをつくりその上を網を覆うような構造にしたい。
正面と右側は立派なコンクリート壁があるので手前にさえしっかりとした囲いをつくって動かないようにすれば網で覆われたゴミ捨ての箱ができる。
だいぶ前に製材所でもらってきた角材の残りがある。これは使えるが囲いになる板がそもそもない。
そこで近くの空き地に行った。ここに野ざらしになっている板があることを知っていたからだ。もう二年ほどそのままにしてあり放置してあると思われる。
なので貰ってきて使ってもいいだろうと勝手に判断した。
幅は三十センチくらいで長さは二メートルほどある。厚みは二センチくらい。これはかなり重要な材料だ。
家のベランダを探すと防風に使っている厚手のベニヤ板があった。これは薄いベニヤを何枚も重ねて厚みが一センチくらいあるものだ。水分を含み表面のベニヤがかなり波打っている。しかし強度はありそうなのでこれもベランダから取り外しゴミ捨場へ運ぶことにした。ほかにはベランダで使っていた長さの違う角材や薄い板などを二つ三つ取り外して構造材に使うことにした。
ほかにはホームセンターで買った押入れの底上げにつかう桐板風のスノコも二枚持ちだした。
これだけあればどうにかこうにか格好がつくだろう。
このところ雨がよく降る。
雨上がりの一七日の金曜日。昼過ぎから作業に取り掛かった。
向かいの竹林ではうぐいすが鳴いている。暑いほどの陽ざしの中で限られた材料を使いノコギリとクギ、金槌さらにネジとドライバーを使いながらゴミ箱づくりを行った。
設計図はない。目分量だけで作業を進めた。
だんだん汗が出てきて足元がフラつきはじめた。
なにしろ肉体労働はやったことがないので基礎体力が不足している。しかも大工とか構造物を作った経験もない。クギを打つにも何度も打ち損じをしてクギの頭を外す。そんな自分が嫌になるが嘆いている暇はない。
二時間後どうにかこうにか囲いだけのゴミ捨て場ができあがった。
青い網をかけてみるとなかなかいいではないか。
材料不足は否めないがこれを第一弾として今後追加工事をしていけばいい。
何しろコンクリートの上に木の板を立てて置いただけの囲いなので安定度がいまいちである。そこで板の足場に重そうな石を置いて動かないようにするなどなんとか強度を図る小細工をしておいた。
専門のから見れば素人細工もいいところでとても合格にはならない冷や汗ものである。
自分でも納得はできないがこれしか出来なかったので諦めるしかない。
なんとか構造全体が弱体であることを理解していただきやさしく使っていただきたい。
今日は日曜日である。
明日が新ゴミ置き場の最初の生ごみ回収日である。
果たして烏は撃退できるのか?
夜の七時ころゴミ置き場を見に行った。するとなんとすでに五個のゴミ袋が捨ててあるではないか。きちんと中に入っており網もきちんと掛けられていた。
なるほど朝にゴミ捨てに来ていたのは烏に荒らされないようにやむなくそうしていたのではないか。できれば前夜にゴミ袋を出しておけば忙しい朝にゴミ捨てくることはない。たぶんこの新しいゴミ捨て場の光景を発見した
ご婦人がたが「これなら前の晩からゴミ袋を入れておいても大丈夫じゃない?」と判断してゴミ袋を運んできたのではないかと想像された。
果たして明日の結果はどうなるのか。
烏はこの新しいゴミ捨て場に手も脚も嘴もでないのか?それとも何か想像もつかない新しい攻撃技を繰り出して完璧と思われる防御態勢を突破してくるのか?
明日のゴミ回収がいささか楽しみではある。
願わくば完全勝利を納めていることを・・・・。