2016年10月17日
さようなら、じーちゃん
先日、祖父の葬儀に行ってきました。
がんでした。
最初手術したのが昨年4月。開腹してみると既に末期状態であり、しかも全身いたる所に転移してたり、べつの単発のがんが見つかったりと手が付けられない状態でした。
その時、祖父は抗がん剤をやらないで、好きなもの食べて余生を過ごすのも勇気だと言われたそうです。
祖父は納得して退院しました。
この時点で、余命は3か月だと医者に言われました。
夏は超えられないだろう、と。
しかし、祖父は夏の花火を見ることができました。それどころか共に正月を迎え、再び桜を眺めることができ、また夏の花火を見ることができたのです。
その間、何度も体調を崩して入退院を繰り返しました。その度に今度が山場だと言われた夜を乗り越えて生還してきました。
正直、医者の方も驚きの生命力だったようです。
最初は『あんたホントに末期がん患っているのかよ!』とツッコミが入るほど元気だった祖父も、帰省するたびにだんだんと衰えていました。
最後に会ったのはシルバーウィークの連休中。
その時は既にご飯を食べても気持ち悪くなって吐いてしまうので、ジュースと点滴だけになっていました。
それでも、意識ははっきりしており、買ってもらった相棒の話や仕事の話をすることができていたんです。
祖父の最後は10月の三連休も明けた11日未明でした。
その日朝、母から連絡があり、無くなったことを告げられました。
その日は仕事もあるだろうからいいから、明日帰ってこいと。
連休中、自分は前2日地元イベントに出展するために仕事であり、最後一日は疲れ果てて寝ていました。
もしその時仕事が無く、地元に帰っていたのなら。
祖父と最後の会話ができたのかもしれません。
ちょうど就活で帰っていた弟と両親、見舞いに来てくれた人たちとは話ができていたそうです。
弟たちが祖父と話した翌日、病院から緊急の連絡を受けた両親が急行した時にはすでに息を引き取っていたそうです。
そのすべてに、自分は立ち会うことができませんでした。
最後の会話は『次に帰るのは暮れの正月になるな。だから、それまで生きてろよな。それじゃ、またな』といったものでした。
でも、その『またな』は訪れませんでした。
今まで何度も山場を乗り越えてきた祖父だから、今回もまた大丈夫だろう。
その時はそんなことを思っていました。
しかし、口には出さないだけで色々苦しんでいたのかもしれません。
祖父は医者嫌いでした。
検診にも行かず、いい加減おかしいと思って行ったときには既に手遅れの状態。
もっとちゃんと検診に行かせられていたら。
その後の展開は変わっていたのかもしれません。
でも、おそらくそれでも祖父は行かなかったのでしょう。
強がりなのかホントなのかはわかりませんが、祖父は痛みや苦しみをほとんど口にしませんでした。それは担当した医者や看護師の人が『何も言わないから何をやって良いのかわからない』と両手を挙げるくらいです。
だから、何かあったとしても倒れるギリギリまで黙っていたのだと思います。
そうやって何も言わずに、そして自分も何も言えずに、祖父は旅立っていきました。
水曜日は家に帰ってきていた祖父と一緒に寝ました。
木曜日は通夜の後に葬儀屋に泊まり、同じ建物で寝ました。
話しかけても何も返してくれないけど、最後に会えなかった分一緒にいました。
そして金曜日、祖父は新しい道に旅立っていきました。
その身にはもう二度と触れられないけれど、その声はもう二度と効くことができないけれど。
でも、祖父が資金提供してくれた相棒に乗っている時。
ステアリングを握った時、エンジンをかけた時、もはや両手足の延長となっているクロスバイクに乗った時。
そんな時、また祖父に会える気がしています。
相棒たちを通じて、祖父は見守ってくれている。
だから、たぶん大丈夫。
そして・・・
さようなら、じーちゃん!
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Posted at
2016/10/17 18:37:26
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