誰しも、パートナーを名前で呼んでいる事だろう。もしくは、愛称とか。
それは、名前というものが、パートナー個人を指す呼び方であるためである。
しかし、名前で呼ぶということは、一定の親密さを表すことでもある。例外もあるが、一般には、初対面の人間をいきなり名前で呼ぶことはしない。
では、俺がパートナーである彼女を名前で呼ぶようになった時は?
思い返せば、俺達の関係が始まった時だった。
彼女は、元々俺の先輩だった。
両親が教育方針で揉めた結果、受けられる所も受けられなくなるからと、消極的な理由で受験した中高一貫校。
彼女は、そこの1学年上の先輩だった。
この学校では、中学時代に高原学校、世間一般的な言い方をすれば林間学校かな。そこに1年生と2年生の合同で行く習慣があった。ここでは、班行動をする場面があり、そこで同じ班となったことが、彼女と初めて話したきっかけだった。
彼女との接点は、案外多かった。
彼女は文芸部で、俺はパソコン部。共に、パソコン室を使う部活であったこと。
通学に同じ私鉄を利用していたこと。
お互い話すようになるまでは、さほど時間はかからなかった。
電車の中で話すようになり、往路や帰路の駅までの道で、見かければ声をかけることもあった。
帰路のコンビニでプリンを買って、駅で食べたのをよく覚えている。
だが、こうした時間は長く続かなかった。
中高一貫校と言うだけあり、本校は進学校だった。それはつまり、学年が上がるごとに勉強が忙しくなっていくことを意味する。
そして、それまで同じルートで通学していた彼女は、「勉強のために、通学時間を減らしたい」と言って別のルートで通学するようになり、学年が違うこともあって、いつしか彼女を見かけることすらなくなっていった。
最後に話したのは、彼女の卒業式の日だった。
下学年が全員そろって卒業式を終えた卒業生を出迎える習慣があり、それが最後に話したときだった。
「卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ありきたりなその言葉が、最後の言葉だった。
そうこうしている内に、自分も勉強で忙しくなっていく。
既に、自分にはやりたいことがあった。
『地質学を学びたい』
それが自分の決めた進路だった。当時成績が追い付いていなかったため、かなりの難関であったが、無事希望していた信州大学へと合格することができた。
その忙しい時間の中で、俺は彼女の事を忘れていった。
そして迎えた入学式の日。
雪国らしく、入学式のシーズンには、桜でなく雪が舞う、この信州の地で。
声を掛けられ、振り向いたその先には、彼女が居たんだ。
勉強していい大学に入ること。
当たり前のように教えられてきたその考え方は、私にとってよく分からないものでした。
音楽が好きでピアノを習ったり、文学が好きで文芸部に入って小説を書いたり、いろいろしては来ましたが、そのどれもがあくまで趣味の範疇であり、そこから将来のビジョンが見えていなかったのです。
『自分が何をやりたいのか。何のために進学するのか』
そういった道しるべが無く、ただ漠然と文系に進んでいた私は、未来というものが良く分からなかった。
その結果が、受験の失敗と言う事実として、私の目の前に立ちふさがりました。
ただ単に、数学や英語、現代文や古文漢文等をやっているだけでは、大学に受かることはできなかった。
それも当然ですね。私には目標というものが無かったのですから。
そうして進路に悩んでいた時、思い出すのは一人の男の子の事でした。
地震学について、地質学について。
話している内容は、私にはあまりわからないことばかりでしたが、それはもう楽しそうに、目をキラキラと輝かせながら話すその様子は、とても印象に残っていました。
だから、その時私は思ったんです。
彼にもう一度会いたい、と。
心機一転して、私は理系へと転身することにしました。
もちろん、それは非常に困難なことであると理解していました。
幸い、彼が望んでいた信州大学の地質科学科は、文系の私でも受験可能な試験項目でした。
その道の先に、彼が待っていると信じ、一年間、必死に勉強して、遂に合格を勝ち得たのです。
そして、雪の舞う入学式の日。
式場となるアリーナの理学部コーナーへと向かう人の列の中に、見知った背中を見つけました。
直しきれていない癖毛は、昔見たままで。
どこか落ち着かない様子でキョロキョロとしているその姿は、懐かしさを覚えます。
彼と確信した私は、入試以上に緊張しましたが、その背中に声を掛けました。
『おひさしぶりです。私の事、おぼえていますか?』

つづく
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Posted at
2021/01/06 19:42:12