
さて、速報の通り富士登山に行ってきました。
以下長文
去年の夏休みは沖縄に家族旅行に行き、相当な散財となったので、今年はボーナスも減ったので、地味に近場のイベントということで、一生に一度は登っておきたい富士山に登ることにしました。
事前練習の大山登山でカミさんが脱落し、息子と二人での挑戦ですが、息子は8合目より上、1合登る毎にゲームソフト1本というボーナスにつられての参加の色合いが濃厚でした。
事前に本を買ったり、道具を揃えたり、はたまた近所の山を登ったりして準備を進めてきました。
決行は7月30日、登頂は31日の計画とし、44歳の誕生日に登頂するようにセッティングしました。
しかし用具の準備は予想外に費用がかさみ、息子のトレッキングシューズとリュックサックはカミさんの流用にもかかわらず、私のトレッキングシューズ、リュック、ミドルウエアー、ストックや息子の雨具、酸素缶、ヘッドランプなど購入し、65,000円もかかってしまった。ちっとも節約になっていない。これに高額な富士スバルラインの道路代や山小屋の宿泊料などが追加されたわけである。
前置きはこれくらいにして、いよいよ本題に入るが、富士スバルラインにはいるやいなや、特殊な道路舗装がされていて「あたまを雲の上に出し~♪」と道路から音楽が聞こえてくるお出迎えが待っていて、気分が高揚する。
スバルライン五合目駐車場には11時頃に到着したが、駐車場待ちで渋滞している。しかし丁度よい高地順応の時間稼ぎだと割り切り、20分ほど渋滞につきあう。駐車場に入ってからのんびりと準備を進め、高地順応を図りつつ、焼きおにぎりを買ったりして時間をつぶす。
そしていよいよ12時20分に登山道に入ります。登山道の入り口には馬と馬車がいましたが、特に馬車を引く馬が大きくて驚きました。まるでラオウが乗る黒王号(見たことはないが)のようでした。登山道入り口から6合目までは大した山道ではなく、ピクニック気分で進めました。しかし途中、注意書きが読めないのか、登山道脇の落石の恐れがあるような石の上にわざわざ腰かけて記念写真を撮影してはしゃいでいる外国人数人がいて、「まさかこいつらこのままの乗りで上まで行くんじゃ・・・」といやな予感が走りましたが、無事6合目で引き返してくれました。
6合目に辿り着くと、いよいよ本格的な登山道の始まりです。最初は黒いザラザラした石粒の坂道を登っていきます。平日でしたが至る所にツアー客がいて、その群れにまぎれて進みます。
ちょっと疲れたなというところで、新7合目(2700m)に到着し、最初の山小屋「花小屋」に到着しました。しかし花小屋は激混だったのでやり過ごし、次の日の出館で小休止をとりました。ここでおにぎり2個購入。息子は「うまいうまい」と言ってペロリとたいらげました。
7合目からは足場が岩場になり、所々手を使わないと登れないほどの斜面になります。山小屋が連続していて、こまめに休めるので良いですが、ここでの体力の消耗は小さくありません。7合目最後の山小屋は東洋館(2936m)ですが、ここだけ別世界の立派な建物で、夕食もハンバーグが出るそうで、息子はなぜ予約を東洋館にしなかったのか、と未練タラタラでした。
しかし東洋館を後にして、いよいよ8合目を目指して進みだすと、7合目の岩場登りの影響で、急激に体力が消耗しだします。だんだん気温も下がり、雨も降り始めて疲労が増してきます。この頃から携帯酸素の吸入を頻繁にするようになりました。(私はあんまり効果が体感できなかったが)
標高も3000mを超えて、いよいよ高山病の恐怖も忍び寄ってきます。この東洋館から八合目最初の太子館まではかなり長く感じました。しかし太子館(3040m)に着いても、今日の宿、元祖室はまだまだ上です。この8合目区間の踏破にはかなり苦労をし、午後6時10分、出発から5時間50分を要して、やっと初日の宿、元祖室(3250m)に到着しました。こちらも東洋館に負けず劣らずのきれいな山小屋で、想像していたよりもずっと快適に過ごせそうな感じでした。
元祖室で夕食をとります。メニューは定番のカレーライスですが、疲れもあってとても美味しく食べました。食事が済んでしまうと山小屋では何もすることが無く、床に入るのですが二人で一つの布団、ここのところの悪天候でジットリ重い布団、低い天井、隣の人との密接すぎる関係など気になり、全然熟睡できません。途中目が覚めたら、寝ていたにも関わらず激しい心臓の鼓動と頭痛、喉の痛みが襲い、「ついに高山病が来やがった!」と思いました。しかしこの体調ではとても明日登り続けることは難しいと思えました。しばらくすると、息子もやはり熟睡できないようで起きてきたので、二人で山小屋の座敷で話をしたり、夜空を見に行ったりしました。
登ってくるときは、曇りだったり、雨が降ったりしていたのに、元祖室の上空は満天の星空でした。こんな星空を見るのは凄く久しぶりです。これも良い思い出になりました。
夜半を過ぎると、ご来光を狙って登る人たちは宿を出ます。私たちはのんびり朝発なのでやっと周囲の布団が空き、広々と寝ることが出来ました。それでも熟睡とは行かず、5時半に起床します。夜中に目が覚めた時よりはましになっていますが、依然として激しい頭痛がします。息子も頭が痛いと言っています。無理やり朝食を流し込んで、頭痛薬を服用して重い体に鞭打ち、6時10分に出発しました。
元祖室を出発してから本八合目、八合五勺の御来光館あたりまでは私が大ブレーキでした。つづら折りの坂道の一辺を上がるたびに休憩、フーフー言いながら酸素吸入、このとき息子は元気で「お父さん、あともうちょっとで次の山小屋だから頑張ろうよ」とか「俺も辛いけど、ここまで来たら頑張るしかない」とか言って、私を励ましてくれました。こんな予想外の息子の頑張りに背中を押され、どうにか9合目(3600m)に辿り着きました。ここまでくればあと110mほどです。標高3776mは山頂の一角、剣が峰の標高ですので、我々の実質的なゴールは3710mの浅間神社になります。
9合目を過ぎると、なぜか私は全然辛くなくなりました。クライマーズハイという奴でしょうか?しかし逆にそれまで気丈に振舞っていた息子は大分苦しいようで、足取りがすっかり重くなりました。更に9合目から頂上までは、最後の試練かのように、急な岩場を登らないといけないのです。8合目辺りで健脚だった人もここまで来ると殆どの人はヘベレケ状態で、見ていて笑ってしまうほどペースが遅くなります。携帯酸素缶を2本消費しながら、一歩一歩進み、ついに午前9時40分、山小屋を出てから3時間半かけて登頂成功です。近年これほどうれしい思いをしたことはなかなかなかったです。気がつけばビックリするほどの青空が広がっていました。頂上に着くとお鉢めぐりをしようとしましたが、残雪が多く危険だとのことで、取りやめ、火口を見物。登頂に成功した感激で、お土産なんか買うことはすっかり忘れて足早に下山道に突入してしまいました。
下山道は砂礫の坂道が延々続き、呼吸も苦しくないので楽勝と思っていましたが、とんでもない。
油断すると転倒するし、坂が急で足に負担がかかり、7合目付近まで戻ってきたころには足のあちこちが痛くて、相当泣が入りました。それに山頂は快晴だったのに、8合目付近から雨が降り出し、雨具を着る羽目になりました。
駐車場に到着してみれば、下界はザーザー雨が降っていました。
今回の登山は本当に思い出に残る出来事でした。何より息子の意外な芯の強さ、優しさ、根性に驚かされました。そしてあの苦しさに耐え抜いた自分にも自己満足しています。まあ、その辺の人がみんな登るんだから大したことはないかもしれませんが、やはりあの標高による酸素の薄さや物理的な距離は厳しいものがあり、達成感は大きいです。登っておいて良かったです。みなさんも是非。
2009/8/1追記 下山した夜、早速ドラクエともう一本、ゲームソフト買わされました。
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Posted at
2009/08/01 00:49:36