
今回はPhotoと話は何の関係もなく 修羅の群れのシーンの よかった部分をランダムでうpしてるだけです
どうか ご理解のほど 宜しくお願い申し上げ奉り候😞
毎度で御座いまするぞなもし😊
「あんたみたいな カタギのお嬢さんが 見舞いに来るような男じゃねー 帰んな!」
「死神にも見放されたか…」
「オメーも相当な 朴念仁だな!」
「馬鹿でなれず 利口でなれず 中途半端じゃ尚なれず… それが この世界だ…」
「我慢するのも 男の道だぞ!」
稲川会初代の稲川聖城会長体制(稲川氏が極道の組織をつくりその後 後継者にバトンを渡した期間)の期間は1949~1986年です←ここが伏線だぜ(`・ω・´)b
その後 5年間は 石井隆匡氏に継がれてます(1986~1990)
そして 聖城氏の実子が1990年から第三代目会長として稲川会をまとめてます
その後は省略致します🙏
Part I の続きです
そう思いながら 某は3部作目を鑑賞していって…
余談;オリジナルでは「北大路欣也」氏が この 石井隆匡氏を演じていたらしいが 映画界的には互角であって…云々←おまいは覚えてないだろうな(`_ _´)b
業界では 物議を醸し出す一歩手前だったとか…とうい話なのだそうだが
そんなことはどうでもいい!
重要:何故 聖城氏は自分の実子が「極道の道」=オヤジの世界に入ることを 反対しきれずに 渋々?自分の世界に入れ
「石井隆匡氏(1963年 第五代目横須賀一家総長就任)に託したのか?」
これが 全てを物語ってるんですが…
どういうことかは この後分かるんですが←流れ的に勘弁してやってね(´-ω-`)b
この話の続きとしては…
その後も
自分の都合であったのか 子供たち(舎弟たち)がどういう風に育っていくのかを見守る地位になりたかったのか…は いざ知らず
石井隆匡氏に
「総裁になるから二代目を決めようと思っていてな…」
って…
で 石井隆匡とは 古い兄弟分クラスだった
「趙春樹(他国出身の元 愚連隊の「首領」であり 若い頃から石井氏とも モロッコの辰とも兄弟の仲)」
を 二代目にしようと思うが どう思うか?
と 石井隆匡氏に聞くが 返事は
「はい 適任です 趙春樹氏なら 間違いなくあとを継げます 云々…」
ってか…
石井隆匡氏本人が 見た目が極道らしくなかったのかどうか…
極道らしい振る舞いをせず「常に紳士」だったのが極道らしく気に入らなかったのかどうか…
そんなことはいざ知らず
横須賀をまとめ上げ ヤクと賭博を廃止して 正業をする方針で何社も会社を立ち上げ 税金も納める組織作りをし
警察からも
「お咎めなし」
の組織を作り上げ 勢力を更に拡大してきていた功労者であった筈の
「石井隆匡」
を 真っ先に 任命を考えて行動するのが…
正しい選択肢だったのではなかったのかと 思うんですよね😓
でも
実際のところ 聖城氏は趙春樹氏に会い 二代目襲名の話を持ちかけるが…
何度も 二代目へと勧める聖城氏に対し趙春樹氏は頑なに拒否しながら云う
「彼が推薦しても お受け出来ません 彼は そういう男なんです」
「彼こそが 後継者に相応しく 彼しか第二代目はいない 私は 彼のためなら命を賭けて何だってする…」
「どうか 今回の話はなかったことにして下さい」と…
そして 聖城氏が趙春樹氏に云う
「そうか…お前は 本当に立派な極道になったな」
と…
で 再度 石井隆匡氏(この時点では 横須賀一家五代目総長)に 二代目の話をしに行くが
(その前に すでに趙春樹氏から説得されている状態の中で)
石井隆匡氏は間伐入れず聖城氏の任命を受諾する😊
なんちゅう 「忠義一徹」
言い換えれば…
「どの場であれども 与えられたポジションは完璧にやり遂げます!」
って 言ってるようなものであり 頭脳も凄まじければ 如何なる境遇であれ常に冷徹であり…
確実に任務を遂行してきている石井隆匡氏…
やっぱ 怖かったんでしょうね…
あの 最高峰の任侠極道=稲川聖城氏であっても
稀代の経済極道=石井隆匡氏には勝てないって…
それが分かってたから 早めに石井隆匡氏を 石塚儀八郎氏の組から引き抜いて 勢力を拡大させながら 即座に二代目を決めず 挙げ句の果ては…
実際に 稲川聖城氏の舎弟クラスの井上喜人氏(横浜愚連隊四天王のひとり)が 石井隆匡氏のところへ来て
「俺と五分の兄弟になってくれないか? どうか頼む!」
と…
それに対し 石井隆匡氏が返事する
「井上さんっていったら稲川親分のところの切り込み隊長でもある お方であり 光栄の至りですが この返事は 少し待ってもらえませんか?」
井上氏が云う「俺は どれだけ時間がかかっても待ってますよ」
と…
そして 石井隆匡氏は 帰って 石塚儀八郎氏に 井上氏が持ちかけてきた話の全貌を打ち明ける…
石塚儀八郎氏が云う「そりゃ めでてー話じゃねーか! …で 盃はいつなんだい?」
石井隆匡氏が云う「そんな… オヤジ(石塚儀八郎氏)に断りもなく返事なんて…」
石塚儀八郎氏が返す「俺のことを気遣う必要なんてねー 今まで 石塚組をここまで大きくしてきてたのはお前なんだよ!」
「よくここまでやってくれたって感謝してるぐらいなんだぜ!」
「お前は ここにいる器じゃねー! お前は まだまだ これからもっとでっかくなっていく器なんだよ!」
etc
が そこまで石塚儀八郎氏に突き放されていても困惑している石井隆匡氏が…
その後は申すまでもないのですが…
そして その後の関西の山口組の三代目若頭(日本一の若頭)であった
「山本健一」氏
との親戚関係になるべく盃を交わし…
のちに関西(山口組から分派した勢力)とのゴタゴタを回避するに至るが
日本の警察の暴力団組織への取り締まりの基準が変更され警察側の「非現行犯逮捕」が可能になり
石井隆匡氏は投獄されてしまうのだが その服役中に山本健一氏の訃報を聞き悲しむ…
出所後の状態なんて 山口組の分裂に伴う関東への進出の目論見からくる勢力の凄まじさは
「仁義なき戦い」
以外のなにものでもなく これを収束させるのに 石井隆匡氏が第二代目会長に就任してからも
自らが関西に何度も足を運び就任から2年後にこの
「山・一戦争」
をカタギには一切迷惑をかけずに終結させている
そして…
「竹下昇」氏の総裁選でも日本のある政府(竹下派の上層部の政治家)から要請があって 暴力は一切なしで右翼も左翼も含め弾劾するものを封じ込めて
竹下氏を 総理大臣にする「闇の総理」としての成果を果たしている
極め付けは
全身にタトゥー(昔でいう:刺青)を刻み込んで自分に土下座して
「オヤジと同じ道を歩ませてください!」
とまで腹を決められた 我が子を連れ 石井隆匡氏のところへ行く…
横須賀一家五代目総長(稲川会の傘下)である石井隆匡氏は
稲川聖城氏に頭を下げられ 「(甘やかせない)実子を おまえが育て上げてくれないか…どうか 頼む」と…
そして 石井隆匡氏がこう答える「任せてください 若(稲川裕紘氏)は 立派に育て上げます!」
そして 年月が過ぎ…
三代目の(極道としての)精神がいかほど石井隆匡氏によって叩き込まれていて今後どう指揮を取っていくのかは知ったこっちゃないが…
どう考えたって 石井隆匡氏自身も
「修行を積ませ ブタ箱を経験させて手塩にかけて育て上げた総裁(聖城氏)の実子(稲川裕紘氏)しかいねーな!」
ってなりますよね?
でも本編では 稲川裕紘氏修行の様子なんてほんの少しで 石井隆匡氏の功績も殆ど表現されてなくって…
イラつきながらも鑑賞してて
いつまでたって観ていても
第二代目会長 石井隆匡氏の盃のシーンのカケラもない💢
って感じてたんですけどね〜
でも 諦め半分で観ているうちに
き
た
よ
き
た
よ
来ましたよ😃
長くなってるので Part III に続きます😓
Part III は 毛色がガラッと変わります=石井隆匡氏が活かされていなかった愚痴はこれで終わりです
いつも長々と お付き合い頂き感謝ですm(_ _)m
どうもありがとうございます😊
あとがき:これは 生きてきて…いろいろ勉強してきて感じたことなんですけど
いつの時代も やはり(ヒントは本田宗一郎氏の格言的なモノ)
「師匠に触れ 息吹を感じ 心を感じ 鍛えられながら 直接 師匠から学ぶ!」
これがないと 「継承」って マジで難しいんだなって…
これは 歴史が物語ってるんですよね
手塩に掛けて育てて来た弟子達を皆悉く 敵(財務省)の手(薄汚い手口)で洗脳させられて後継者を失った安倍晋三氏
遡れば 勢力を拡大していても「脱税で御用」になり衰退していった USAのアル カポネもそうだし
更に遡れば 真の弟子を第三代目の日目上人にまでしか後継として伝授できなかった 日蓮大聖人 もっと遡れば 釈迦牟尼世尊もそう…
未だ忘れることのない言葉を某なりに解釈しての詩として…
「上下関係を問わず 共に切磋琢磨していかなければ どんな組織でも必ず腐敗していく!」
「どこまでいっても 人間たるものは 恩を忘れてはならなく その恩を返せる人になっていかねば 全ては 水泡に帰す…」
「周りは関係ない! たとえ何があろうとも 己が どう行動するか…その一瞬一瞬の選択で全てが決まる!」