
さて、某の肝心の仕事についてだが
これがまた ひどいものでして
腕はそこそこであったが
やんちゃな気質に…
究極の手荒れがダメ押しして
二年目にして 転勤先(男性のスタッフのみ)のサロン(当時 別名:刑務所)で ダメ男の烙印を押され(_ _;
「おまえみたいなやつは知らんわ!」
「どうでもええわ!お前は!」
暖かいお言葉であったが
毎日毎日 しゃれにならん 罵声と叱咤と激励の嵐が炸裂しまくりの日々…
パンチはなかったが、蹴りが入る
(´ヘ`;
唯一の慰めは…
練習のない日と 殆どない休日のパチの「一発終了」狙い!
┌(_ _,)┐
だったのであるが 仕事を辞める気など毛頭なかったよ
「くそったれが!」「今に見とれよ!」「絶対に辞めん!」
ヾ(#`皿´)σ
これらの心の叫びが奮い立つ原動力になっていった
これがなかったら 間違いなくダメになっていたと今でも思う
無論の事…
服装(清潔感)
姿勢(背筋)
話し方(爽やかさ)
物腰(しなやかさ、上品さ)等
それぞれの先輩のいいところを盗み
徹底して変えていったのである
もう強引にでもストレスでブチブチいく寸前まで必死に変えていったのである
(#`皿´)
二年目こそ 直(まさ)しく修行地獄だったO…rz
辞めるか やり抜くかしか選択肢は与えてくれなかったのである
カッティング技術において社内「No.1」でもある
て×××オーナーは…
特に「レザー(剃刀)カット」は圧巻であった
当然 周りに認められるまで やり抜くしかない
女キラー目指してマシーンと化し”@てt4mれそDl:%。qAb,?qふじこ
(●皿●)凸Mother Fxcker!!
当時 飴なんぞ一切なし!
間断なき「鞭」のみ(_ _;
一日の終了後 中華屋で飯を放り込み…
虚ろな眼で寮(たこ部屋)へ向かう日々…
着いたら着いたで 先輩からの追い討ち
月一の23時頃に始まり翌3時前後までの約4時間(半分は某への追求)にわたるミーティング(四面楚歌
それが終わって「ふーっ」と一息つきかけたところへ…
先輩が「飲みに行くか?」
行ったところで、またしても叱咤の嵐!
堪ったもんやない!
((⌒`))
!l li
∧,,∧
n#`Д´>n Voooh!!
(‐,_,ノ
「Fuji 5.5inch」since 1987~今でもバリバリに切れまっせ(^-^)b
だが この刑務所(マ××美容室 ア××店)
ここで育った者たちは 不思議と店長クラスへと羽ばたいていくという神話(実績)があった
当たり前といえば…
「 あ た り ま え 」や!
むちゃくちゃな教育しやがって!!
Щ(`皿´)Щ
当然の事であるが成果はでるものなのだ^^;
入社当時 同期の中で群を抜いていた美貌の持ち主(いい女)「鈴×ま×み」を認めさせる事もできたようだ
「ま×み」
某にとっては、唯一の(女を意識させない)よき友でもあった
マジでいい奴&メチャ美人だったが重症の天然女
一年目の研修期間中での話し…
同期で一番の仲良しだった「ふくx」は「まxみ」にゾッコンだった
だが「まxみ」は相手にしていなかったのだが…
いxxけ店のビラ配り(一人千枚をポスティング)で 出発した際「まxみ」と話すチャンスが出来た(今しかないぜよ!
「ビラなんか配ってる場合やない!」そう思い
「まxみ!ちょっとつきあえ!」と言い ビラをゴミ箱に全部放り込み…
ま×みのも捨てさせた(その後 ま×み は 少しだけでもと ゴミ箱からビラを拾い ポスティングしていた…
多分 自分の分を全部拾い上げて 某との付き合いを断って ポスティングに行っていたら…
間違いなく 「ま×み」に 惚れていただろうな
でも…こんなもんだ
そして まる一日使って なんとかして
ま×み を説得しようとしていた…
公園を見つけベンチに座り 某の方から腹を割っていろんな話をした
ふくxの事を話し…
某の本心も…
やがて まxみも いろいろ話してくれた
そういえば…
高校時代も「みxこ(別嬪)」という よき友がいたのだが…
まxみ もまたいいヤツだった
某はその日 まxみの本性を知ったのだが…
ぶっ飛ぶくらい美人なくせに天然で性格もお茶目で…
そのくせ しっかりしていた
圧倒されたのと 格の違いにより結局…
「ふく×」と くっつける事はできなかった(無念
気がつけば一日中話していたのだったが…
あの日は唯一
心底、楽しいと実感できた日であった
2年目のサロンでの 恐ろしくキツイ修行の中…
親交を深めていった同期の仲間の中でクルマを所持していたのは
矢×(プレリュード4WS 2000cc
×置(レパード2000cc
×置とは刑務所(ア××店)内での付き合い程度だったが 一度だけ 仲良しになりかけた時期があった…(何故 仲良しにならなかったのかは また 後日…ブログにて
ある休日前の夜 休みが重なって…
×置 が言う…
「あした とろん家に行こうや?一緒にドライブしよや…云々」
某は(当時は嫌いな奴じゃなかったのもあり)快く 了解していた(^-^)
で…当日 ドライブしながら 車中でいろいろ会話して…
某的には…
ライセンスがあってクルマを持っていて…
ということが どれだけ楽しいのかを ×置 から教えられた1日だった
「某は いつになったら免許を取って マイカーが持てる身分になれるんだ?」
やはり 同僚がクルマを持ってると 嫌でも触発されるものだ(マジ裏山
…で
話は変わり 某の変化についてであるが(To the FUTURE
…(美容師を)辞めてからも名残があったのか
親戚の葬儀で帰省した際…
久々の対面にもかかわらず 姉に こう言われたorz
「職人なんかやっとらんとホストやれ!稼ぎまくれ!あんたならできる!女から金取りまくったれ!!」
姉とはいえ なんて事をいうんや
(´・ω・`)
某は旱魃入れず「あんな上下関係の酷いとこ行けるかい!心まで腐る気はない!!」
と返していた
(o^冖'=)b
話を戻し
三年目も転勤だった(またかよ
今度は刑務所とは対象の
女性スタッフのみのサロンであった
「この中にひとり 男がおる!おまえやろ!!!」
「いや ちゃいまっせ!!」
「よし!そやったら 2ch に行ってカキコして叩かれまくってこい!!」
「(´・ω・`)知らんがなー」
「上手く逃げよったな…ほな 森田健作主演の漢のドラマを言うてみー!!!」
「俺はおとこだ!!」
「お(以下略)」
∧..∧
n(。 。;)n
その、女の中に男がひとりというサロンではあったが…
唯一 店長(女性:Kさん)とは仲良しだった
某の役職は「リーダー」であったが この時期であれば優秀なスタッフなら「チーフ(リーダーの上)」になれるのであった
四年目で「店長」ならトップクラスだった
四十数店舗中 僅か数人だ
それだけ四年目で店長になる事は「狭き門」に値していた
(´・ω-)b
で…
某はというと…
手荒れの末期で指先の皮膚(表皮)が(親指を除く)両手8本とも剥がれ
常に痛みと変な(指先から出る)排出物に悩まされる事…
入社一年目の秋からエンドレスで何かに とり憑かれているかの如く四六時中苦しめられていた
当時 食事の時は全てスプーンかフォークを使っていた
箸など つかめる状態ではなかった…
痛いのだ
Щ(`皿´)Щ
痒みに耐えられず掻きまくる
そして血で赤くなり それが痛みに変わり 夜もまともに眠れない
当時の眠る手段とは…
(まる1年これしか聴かなかった)DokkenのBack For The Attack(4th)をラジカセにぶち込み ヘッドフォンをし ガンガンに鳴らしまくる…
という やり方だ!
プラスα 副腎皮質ホルモン剤(ベトネベート・クリーム=長期使用不可)
なぜか眠れたのだった
(=^冖^=)
結成する筈の「メタルバンド」も消滅した
もう…
彼女もいらん!
いや どのみち いても触れないのだから いないほうがマシだ(爆
そんな事よりも技術!
「カッティング」がすべてだった(^ ^)b
因みに 三年目のサロンでの裏山は…
後輩が乗っていたクルマは ミラ ターボ(燃費が10km/l超えないと嘆いておった
因みに て×××オーナーの愛車は ソアラ 2.8GT LIMITED パール ツートン
まあ 羨ましいったら ありゃしねー(^-^)
で…
三年目の思い出は「まxべ(や×ぐ×組系の組長の息子)」との出会いであった
同期組は、二つのカレッジで分けられていたのだが…
その「なxやカレッジ」の仕切り屋というやつだ
スクーリング初日に目をつけられ 危うかったが 上手く交わして…
気が付けば その日の晩からパーティーに呼ばれていた
スクーリング終了後はサロンに戻る規則だったが
電車で一時間掛けて
お店に もどっても する事がない…
駄目もとで て×××オーナーにコールし
許可を請うのだった…
いよいよラストの第3部へ 続く…
恐ろしく 長くなってしまい 大変に 申し訳ございませんでした
最後まで マジで ありがとうございますm(_ _)m