
毎度でございまするぞなもし(;^冖^ A
とんでもない 長文になるので 分割になります(Photoは全て 我が愛車達のPhotoになります
「興味を持つ方に 一気に読んでいただき 今後の生活をしていく上での指標になれば…」
とも考えましたが…
じっくりと 事の真相を説明したいのもあり
今回は Introduction になります
まず 始めに申し上げる事があります
それは…
完結編まで 読んでいただければ幸いですが
後に 共感して頂いただけたのであれば どんな形でも構いませんので
「拡散して頂ければ幸いです」
ということです
要するに ですが 安倍総理大臣の「独白」が メインになります
その前に 現総理の 「生い立ち~政治家として」
を できる限り 簡潔に紹介いたします←でも長くなります
理由として 「歴代の首相としては 誠実さは ピカイチ」ってことです
「安倍晋三(あべ しんぞう)現在 65歳」
日本の政治家、第90代・96~98代日本国内閣総理大臣を務めている
1954年9月21日に、毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と、その妻である洋子の次男として東京都で生まれる
成蹊小学校 成蹊中学校 成蹊高等学校を経て成蹊大学法学部政治学科を卒業した
1977年春に渡米し カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが
日本人だらけで勉強に障害があると判断して通学を止め イタリア系アメリカ人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った
1978年1月から一年間 南カリフォルニア大学に留学しており
在籍したものの 学士の資格は得ていない
1979年4月に帰国し神戸製鋼所に入社
ニューヨーク事務所 加古川製鉄所 東京本社で勤務した
加古川製鉄所での経験は『私の社会人としての原点 あるいは「私の原点」だったと回顧している』
神戸製鋼所に3年間勤務した後
1982年から外務大臣に就任していた父・晋太郎の秘書官を務める
1987年6月9日 森永製菓社長の松崎昭雄の長女で電通社員の昭恵と新高輪プリンスホテルで結婚式を挙げた
1987年 参議院議員 江島淳の死去に伴う補欠選挙に立候補する意思を示したが
宇部市長・二木秀夫が出馬を表明したことから晋太郎に断念するよう説得され立候補を見送っている
1991年、父・晋太郎が急死
1993年に父の地盤を受け継ぎ 第40回衆議院議員総選挙に山口1区から出馬し
初当選(当選同期に浜田靖一・田中眞紀子・熊代昭彦・岸田文雄・塩崎恭久・野田聖子・山岡賢次・江崎鉄磨・高市早苗らがいる)
当選後はかつて父・晋太郎が会長を務めた清和政策研究会に所属する
1994年 羽田内閣施政下 社会党の連立離脱を期に野党自民党が社会党との連立政権樹立を目指して作った超党派グループ「リベラル政権を創る会」に参加
首班指名選挙では村山富市に投票し自社さ連立政権・村山内閣樹立に貢献されている
1995年の自民党総裁選では小泉純一郎の推薦人の一人になった
1999年 衆議院厚生委員会理事に就任
派閥領袖の森喜朗首相が組閣した2000年の第2次森内閣で
小泉純一郎の推薦を受け 政務担当の内閣官房副長官に就任
第1次小泉内閣でも再任した
2002年 水野賢一が外務大臣政務官在任中に台湾訪問を拒否され同辞任した際も
理解を示し擁護 小泉首相の北朝鮮訪問に随行し 小泉首相と金正日総書記との首脳会談では「安易な妥協をするべきではない」と毅然とした対応で臨んだ
拉致被害者5人の帰国は実現したものの この日本人拉致問題は日本側の納得する形では決着せずに難航した
内閣官房参与の中山恭子と共に北朝鮮に対する経済制裁を主張し 拉致被害者を北朝鮮に一時帰国させる方針にも中山と共に頑強に反対した
西岡力は 対話路線などの慎重論を唱える議員が多かった中で 安倍の姿勢は多くの支持を得たと述べている
2003年9月 衆議院解散を控える中で自民党の選挙の顔となる幹事長である山崎拓の性的スキャンダルが持ち上がったため
小泉は後任幹事長として安倍を抜擢した
閣僚も党の要職も未経験であった安倍の幹事長就任は異例であり 事前には筆頭副幹事長もしくは外務大臣への就任が有力視されていたため
小泉の「サプライズ人事」として注目を集めた
また 自民党は総幹分離の原則が長く続いており 総裁派閥幹事長は 1979年の大平正芳総裁時代の斎藤邦吉幹事長以来24年ぶりであった
11月投票の第43回総選挙で与党は安定多数の確保に成功したが
自民党単独では選挙前の過半数から半数割れとなった
ただし前回選挙からは当選者増でもあり 幹事長に留まる
幹事長時代には自民党内で恒常化していた「餅代」「氷代」(派閥の長が配下の者に配る活動資金)の廃止
自民党候補者の公募制の一部導入など党内の各種制度の改正を行った
2004年4月の埼玉8区補欠選挙では 自民党史上初の全国的な候補者公募を実施した(公募に合格した柴山昌彦が当選)
同年夏の参議院選挙では 目標の51議席を下回れば「一番重い責任の取り方をする」と引責辞任を示唆
結果は49議席で しばらく現職に留まった後で辞任した
同年9月から後任の幹事長の武部勤の強い要請を受ける形で党幹事長代理に就任した
幹事長経験者の幹事長代理就任も異例の事であった
2004年に 党改革推進本部長に就任
2005年10月31日付で発足した第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣
2006年9月1日に総裁選への出馬を表明後 憲法改正や教育改革 庶民増税を極力控えた財政健全化 小泉政権の聖域なき構造改革に引き続き取り組む方針を示す
2006年9月20日 小泉の任期満了に伴う総裁選で麻生太郎 谷垣禎一を大差で破って自由民主党総裁に選出
9月26日の臨時国会において内閣総理大臣に指名される 戦後最年少で 戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣であった
第1次安倍内閣時代
就任表明では 冒頭に小泉構造改革を引継ぎ加速させる方針を示し 国家像として「美しい国」を提示した
安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国 韓国への訪問を表明
2006年10月に就任後の初外遊先となった中国・北京で胡錦濤国家主席と会談
翌日には 盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り 小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した
北朝鮮が核実験を実施したことに対しては
「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」
として非難声明を発するとともに 対北強硬派のジョン・ボルトンらと連携して国連の対北制裁決議である国際連合安全保障理事会決議1718を可決させ
個別でより厳しい経済制裁措置も実施した
同年9月から11月にかけ 小泉時代の負の遺産とも言える郵政造反組復党問題が政治問題化する
12月には 懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現した
一方で 同月 安倍が任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で
佐田玄一郎内閣府特命担当大臣(規制改革担当)兼国・地方行政改革担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任
この後、閣内でスキャンダルが続いた
2007年3月 安倍の北朝鮮による日本人拉致問題に対する非難と従軍慰安婦問題への謝罪に消極的であることが「二枚舌」とワシントンポストに批判されたが
4月下旬には米国を初訪問し 小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした
参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み 日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため
多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップを行った
5月28日 以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣が議員宿舎内で 首を吊って自殺
こうした中 6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアで大きく報じられた
同月6日 - 8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加
地球温暖化への対策を諸外国に示した
また 議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた
7月3日には久間章生防衛大臣の原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化
安倍は久間に厳重注意に処し 久間は直後に辞任 後任には小池百合子が就任した
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々 自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚
選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした
同年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し
「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」
とこれまでの実績を訴えた
選挙前 安倍は「そんなに負けるはずがない」
と楽観視していたとも言われるが 結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を下回る大敗であった
これまで自民党が強固に議席を守ってきた 東北地方や四国地方で自民党が全滅
勝敗を左右する参議院一人区も 軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた
参院選直後の7月31日の自民党総務会において
「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)
同日 アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた
翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と自民党内からも批判された
8月19日から8月25日のインドネシア・インド・マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり 症状は次第に悪化し始めた
しかし、慶應義塾大学病院の主治医によると(17歳のときに発症したという)潰瘍性大腸炎の血液反応はなく
機能性胃腸障害という検査結果であったという
選挙結果や批判を受け
8月27日に内閣改造 党役員人事に着手した(第1次安倍改造内閣)
ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き 求心力を失う
9月9日、オーストラリア・シドニーで開催された APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において
テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は 内閣総辞職することを公約した
この間も安倍の健康状態は好転せず 体調不良により APEC の諸行事に出席できない状況となり 晩餐会前の演奏会を欠席した
2007年9月10日に第168回国会が開催され 安倍は所信表明演説の中で
「職責を全うする」という趣旨の決意を表明した
なお この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった
2007年9月12日午後2時「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を急遽行った
また 理由についてはテロとの戦いを継続する上では自ら辞任するべきと判断したとした
これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった
退陣表明の翌日(9月13日)慶應義塾大学病院に緊急入院
検査の結果
胃腸機能異常の所見が見られ かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した
安倍内閣メールマガジンは9月20日配信分において「国家・国民のためには 今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下 これをもって最終号を迎えた
なお 病院側は 安倍首相の容体は回復してきているものの退院できる状態ではないとした
このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが
与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた
20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた
9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い 自身の健康状態及び退陣に至る経緯について
「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」
と釈明し 政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ
多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳しながら謝罪した
さらに首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては
「法律にのっとって判断した」としたが これについては 毎日新聞により 政府内でも批判の声があると報じられた
9月25日 第1次安倍改造内閣最後の閣議に出席し その後国会へ登院して 衆議院本会議での首班指名選挙にも出席した
第1次安倍改造内閣最後の閣議で 閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した
安倍は最後の閣議の席上 全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた
26日には皇居で行われた自民党総裁福田康夫首相の親任式に出席し正式に辞職し再び病院へと戻った
突然の辞任への反応としては
安倍は辞任の理由として
「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」
「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢は記者会見で「打診を受けたことは1回もない」と否定し
以降も「意見を変える気はない」と明言)
一方、自身の健康への不安のためとする理由も、与謝野馨(当時、内閣官房長官)が同日中会見で述べている
24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた
もともと胃腸に持病を抱えており 辞意表明当日の読売新聞・特別号外でも持病に触れられていた
また 辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ 風邪をひいた旨を返答している
この「胃腸の持病」について 安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで 特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしている
臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で
かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明について
野党側は「無責任の極み」であるなどと批判した
与党側でも驚きや批判の声が上がったほか 地方の自民党幹部からも批判が出た
9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では 70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している
安倍の突然の辞意表明は 日本国外のメディアもトップニュースで
「日本の安倍首相がサプライズ辞職」「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた
欧米諸国の報道でも批判的な意見が多かった
辞任の原因として
2007年当時の医師の診断ではカルテ上は「腸炎、または急性腸炎」で一般に言う「腹痛」であったが
実際には「潰瘍性大腸炎」を患っていた
潰瘍性大腸炎は1973年に特定疾患(2015年からは指定難病)に指定されている
麻生・与謝野クーデター説について
安倍の辞任において 幹事長の麻生太郎と官房長官の与謝野が安倍を辞任表明に追い込んだとする
「麻生・与謝野クーデター説」
が自民党の新人議員の一部によってメディアを通じて広められた
この「麻生・与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は
9月18日の閣議後の会見において明確に否定した
さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし
与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて
「知っていてもおかしくない」と 中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した
内閣総理大臣退任のその後として
体調回復と活動の再開を…
慶應義塾大学病院から仮退院し 東京・富ヶ谷の私邸で自宅療養に入った
11月13日に新テロ特措法案の採決を行う衆議院本会議に出席し 賛成票を投じた後
福田康夫首相や公明党の太田昭宏代表へ体調が回復したことを伝えた
2007年末 『産経新聞』のインタビューにて
「『美しい国』づくりはまだ始まったばかり」
と述べ
2008年からは活動を本格的に再開し
「ジワジワと固まりつつある良質な保守基盤をさらに広げていく」と答えている
2008年1月、『文藝春秋』に手記を寄稿
2007年9月の退陣に関し 体調悪化のため所信表明演説で原稿3行分を読み飛ばすミスを犯したことが
「このままでは首相の職責を果たすことは不可能と認めざるを得なかった 決定的な要因のひとつだった」
と告白するなど辞任の主な理由は健康問題だったとしている
2008年3月5日 安倍は勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、塩崎恭久や世耕弘成らが入会した
設立総会において
安倍は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任」と語り 同懇話会の座長に就任した
3月6日 清和政策研究会(町村派)の総会に出席し
「首相として1年間 美しい国づくりに全力を傾注してきたが 残念ながら力が及ばなかった 私の辞任に伴い みなさんに風当たりも強かったのではないか 心からおわびを申し上げたい」
と述べて所属議員に謝罪した
第45回衆議院議員総選挙直後に行われた2009年自由民主党総裁選挙では 麻生太郎とともに
平沼赳夫の自民党への復党と総裁選挙への立候補を画策したが 平沼が難色を示したため実現せず、西村康稔を支援した
2度目の総裁就任は
2012年9月12日 谷垣総裁の任期満了に伴って行われる2012年自由民主党総裁選挙への出馬を表明
自らが所属する清和会の会長である町村信孝の出馬が既に取り沙汰されていたこともあり
前会長の森からは出馬について慎重な対応を求められていたものの これを押し切る形での出馬となった
当初は 清和会が分裂選挙を余儀なくされた事や5年前の首相辞任の経緯に対するマイナスイメージから党員人気が高かった石破茂 党内重鎮からの支援を受けての出馬となった石原伸晃の後塵を拝していると見られていた
しかし 麻生派 高村派が早々と安倍支持を表明した事などが追い風となり
9月26日に行われた総裁選挙の1回目の投票で2位に食い込むと 決選投票では
1回目の投票で1位となっていた石破を逆転
石破の89票に対し108票を得て 総裁に選出された
一度辞任した総裁が間を挟んで再選されるのは自民党史上初である
決選投票での逆転は
1956年12月自由民主党総裁選挙以来となった
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し 政権与党に復帰する
同年12月26日 安倍が第96代内閣総理大臣に選出され 第2次安倍内閣が発足した
1度辞任した内閣総理大臣の再就任は 戦後では吉田茂以来2人目である
首相再登板後は デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で 日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ
多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示す
大胆な金融緩和 機動的な財政出動 民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は アベノミクスと称される
「アベノミクス」は2013年新語・流行語大賞のトップテンに入賞し 安倍が受賞した
参議院議員選挙(2013年)での勝利
第1次安倍政権時に大敗を喫した第21回参議院議員通常選挙(前述)以降 参議院では政権与党が過半数を下回るねじれ国会が続いていた(2009年の第45回衆議院議員総選挙から2010年の第22回参議院議員通常選挙までの期間を除く
2013年7月21日の第23回参議院議員通常選挙で 政権与党の自民・公明両党が合わせて半数を超える議席を獲得し「ねじれ」は解消した とした
任期満了に伴う2016年7月10日の第24回参議院議員通常選挙では
北海道 東北地方 信越地方 沖縄県で苦戦したものの 前回を上回る議席を獲得した
安倍はこの結果を受けて アベノミクスが信任を得たものと主張した
東京都議会議員選挙(2017年)での敗北…
2017年7月の都議会選挙では57議席から23議席に減らし 2009年の都議選時の38議席にも満たない過去最低の議席数に留まった
これについて 安倍は「大変厳しい都民の審判が下された 自民党に対する厳しい叱咤と深刻に受け止め 深く反省しなければいけない」と述べた
敗因については
「政権発足して5年近く経過し 安倍政権に緩みがあるのではないかという厳しい批判があったのだろう」
「真摯に受け止めなければいけない 政権を奪還したときの初心に立ち返って全力を傾ける決意だ」と説明した
「第48回衆議院議員総選挙」
選挙前と同じ284議席を獲得し 安倍自民党が大勝した
小選挙区で218議席 比例代表で66議席を獲得した
小選挙区の候補者は 北関東ブロック 東京ブロック 南関東ブロック 近畿ブロック 中国ブロックで比例復活も含めて全員当選した
小選挙区の候補者3名が無所属で当選後 公示日に遡って自民党公認となった
「2025年万国博覧会の大阪招致構想」について
2018年11月23日 パリで行われたBIE総会において大阪府が2025年日本国際博覧会の開催地に選ばれた
安倍はビデオで
「大阪、関西、日本中の人たちが皆さんをお迎えし 一緒に活動することを楽しみにしている 成功は約束されている」
と大阪招致をアピールした
開催決定後 世耕弘成を「国際博覧会担当大臣」に任命することを固めている
参議院議員選挙(2019年)の結果
「第25回参議院議員通常選挙」
自民党は57議席を獲得した
改選前から9議席減となり 非改選の議席を含めた単独過半数を維持できなかった
通算組閣回数・首相通算在職日数
2019年9月11日に内閣改造を行い 第4次安倍第2次改造内閣が発足
これにより通算組閣回数は11回となる
2019年11月20日 首相通算在職日数が「2887日」となり それまでの桂太郎(2886日)抜き歴代最長となった
連続の在職期間は 大叔父の佐藤栄作に次ぐ歴代2位である
↑
以上は 「ウィキッペ=ウィキペディア」からの抜粋です
そして 現総理が「腹を割って自身の本心を打ち明けた人」
三橋 貴明 著 『日本経済 2020年危機 経済学の「嘘」が日本を滅ぼす』から抜粋
↓
2017年12月12日、安倍総理との会食が始まった。
ただ、そこには「政治的意図」があったということが、後に判明した…
総理の告白
私にとって 3つの敵が邪魔になっている…どうしても 私だけでは難しい部分がある だから 協力して欲しい。
この会食を通して そんな声を受け取ったように感じた
そして 総理が今最も苦戦しているのは ある3つの敵がいるからだ..
と打ち明けてくれた
1つ目:この勢力は 何をやっても「常に安倍総理の敵」であるとのこと
森友問題や加計学園問題などのリークをしてあるゆる形で安倍総理を引きずり降ろそうとしているということ
2つ目 : この勢力のせいで 日本は欧米から食い物にされ 日本の格差はどんどん広がっている
3つ目:この勢力は あらゆる政治家や官僚に根回しをしていて非常に厄介だと…
この敵こそ最後の任期で何とかして ”彼らによる洗脳”を解き 日本を正しい方向へ導きたいと…
これらの3つの敵とずっと闘ってきたが 中々手強く 総理もここまでとは思っていなかったようである
ただ 最後の3つ目の勢力に対しては 何とかしてでも対処していかないと 本当に日本が手遅れになるかもしれないと危機感を感じていた
なぜか?
それは、2年後に迎えるかもしれない
「日本経済2020年危機」を迎える可能性が極めて高く それに対応できないからである
この「日本経済2020年危機」は 一部の間ではかなり問題視されており
オリンピックを迎えると同時に起きるかもしれない出来事なのです
もし この危機を迎えてしまうと
「日本国民の給料がさらに下がり 今以上に生活が苦しくなり 貧困化が加速します」
「また 世界のGDPの内5分の1を占めていた経済大国日本が 韓国にすら抜かれる可能性もあります」
「そして 今の日本を苦しめている自然災害の影響もさらに大きくなるかもしれません」
「それだけではなく 超円高となり日本株が大暴落して世界的な金融危機を迎える可能性もあります」
オリンピックが騒がれている一方で 水面下では「日本経済2020年危機」が進みつつあるのです
正直ここまでの話を聞いても 納得できない そんなわけあるはずないと あなたは思っているかもしれません
もちろんその気持ちは分かります
ただ、起きるはずないと思っていたことが ある日突然起きてしまうのです
例えば 2008年に起きた「リーマンショック」
大手投資会社が経営破綻したことで 世界的な金融危機を迎えました
日本もその影響を受け 沢山の人が職を失い 自殺者も増えました
歴史的にも まさか と思っていたことが何十年に一回は起きています
リーマンショックから約10年が経った今
今度は「日本経済2020年危機」が発端となり 世界的な金融危機が起きる可能性もあるということです
それを防ぐためにも 沢山の方に今の日本の現状 2020年に潜む日本の危機 総理との会食で交わされた事(総理の意思)などを知ってもらいたいので それらについて詳しく解説した書籍を作りました
そのため これからお伝えする書籍の中には 表では語ることのできない内容を一部記載しています。(書店にも並びません)
以上 が 三橋 貴明 著 『日本経済 2020年危機 経済学の「嘘」が日本を滅ぼす』
の まえがきに なります
国民が知らないといけない 事実を 「総理自身が 何をやっても勝てないと言うことを悟り」独白されてます
某が 感じていた また 十数年にわたって 思っていたことは「可愛いこと」であって
「国を滅ぼしかねない(いやいや 真剣に考えれば 日本は 数十年後に 日本でなくなる
これから 再度
三橋 貴明 著 『日本経済 2020年危機 経済学の「嘘」が日本を滅ぼす』
を熟読し 簡潔に要点を まとめて(分割するかたちで)投稿させていただきます
勿論 未だかつてない 大暴露になるのを承知で著作権も何もかも無視して
投稿する予定です←結構時間がかかると思います(あまりにもアカデミック過ぎる著作なので
頭の中で どこまで 理解出来て 分かりやすく まとめるには時間がかかるようです
気長に待っててください
因みにですが 首相の三つの敵の一つは「お金を動かしているヤツ」です
アカデミックで すみませんでした^ - ^;
次回の タイトルは
「Limitations Of The 98th Prime Minister ABE」
になりますが まとめきれなければ続編がある いつもの展開に なりそうです
でも今回程長くはなりませんよw
いつも 長々と お付き合い頂き感謝ですm(_ _)m