スッコ~ン!
島田紳助氏のユニークなCMが記憶に残る
ボンゴフレンディ。
最大のウリだったのが、量産車への採用は日本初となった開閉式の屋根
「オートフリートップ」(AFT)。
冒頭の「スッコ~ン!」は、AFTを全開にした時の突き抜けるような開放感を、氏が軽妙に表現したフレーズでした。
さて、ボンゴフレンディは1995年に登場した「1.3BOX型」のレクレーショナルビークルで、途中数度のマイナーチェンジを経て、2005年末に生産中止されてから、すでに6年以上が経過しました。
で、8人乗りの背高ミニバンとしては、後継のビアンテが存在するにもかかわらず、未だに山口・広島界隈では彼方此方でこのフレンディの姿を見かけます。
そしてその中心的存在は、スッコ~ンというフレンディ最大の武器を持つAFT車なんですよねぇ(^_^)。
私はビアンテ以前の多人数移動用のクルマとして、2001年式のフレンディを1年あまり所有していました。
フレンディの購入を検討し始めたのは2007年の2月のことで、すでに中古車しか選択肢はありませんでした。
そこで、私が絶対に譲れなかった、①ボディ色:グリニッシュオパールマイカ(薄緑)2トーン、②エンジン:2.5L-V6DOHC、の2つを必須条件に、全国のマツダディーラーを中心にネット検索を開始したのです。
そして浮上した候補車が、走行6万キロの標準ルーフ車と、走行4万キロのAFT車という、外観良好な2台。
何れも都内のマツダディーラーのUカーセンターだったため、その後、実車確認や手続きのため何度も日帰りの東京往復を敢行するハメになったのですが、私が最終的に選んだのは、室内のタバコ臭が唯一の懸念材料ながらも、予算に見合ったリーズナブルな価格が決め手となった標準ルーフ車の方でした。
そして、待望の薄緑のV6フレンディが納車されたのが3月下旬。
べリーサを新車購入した1ヶ月半後という、結構チャレンジングな増車だったわけですが(苦笑)、ちょうど私がみんカラを始めた頃の出来事だったので、その顛末は事細かにハッキリ覚えています。
そんなわけで、相次ぐニューカマー登場の陰にすっかり隠れてしまったのですが、ボディ色&エンジンともに条件を満足していながら、惜しくも走行4万キロのAFT車は、我が家の一員に加わることはありませんでした。
ただ、このAFT車、走行距離が少ないだけでなくて、メーカーOpt.のナビ&リアDVDモニター等、装備のレベルも格段に充実していたのです・・・。
何よりも、当時3歳と1歳だった我が家の子供たちが本心から喜んでくれたのは、この「屋根裏部屋付き」のクルマであったに違いありません(^_^;)。
(このことは後日、地元ディーラー展示の別のAFT車でハッキリ証明されました・・・)
もし、プライスタグに「120万円」もの大差がなかったら・・・。
いや・・・もし、「マツダが次期ミニバンを開発中」とのスクープ誌情報を私が知らなかったら、我が家はこの魅力的なAFT車を迎え入れていた可能性もあったんですよねぇ。
たぶん、こんな「他にない」飛び道具付きのフレンディを所有していたら・・・きっと今の我が家のマイカーのラインナップも大きく変わっていたことでしょう。
でもまぁ、これも運命です。
今も近所で見掛ける「夢ふくらむ」AFT車に羨望の眼差しを浴びせつつ、4年目を迎えた大切な相棒のビアンテと一緒に、フレンディとはまた違ったワクワク感を創出していかねばなりませんね。
Posted at 2012/04/21 13:48:51 | |
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隠れ家のフレンディ | 日記