「うわっ・・・」
今朝、新幹線ホームから駅の表側の風景を眺めて、私が思わずこう口にした理由は・・・
一両編成の列車がいたっ!
(おいおい、ツッコミたくなるけど本題はそれじゃないよ 涙)
・・・からではなく、昨秋から解体工事に入っていた駅ビルが完全に姿を消してしまっていたから。
もっとも、砕かれたコンクリート外壁から鉄骨が剥き出しになっていて、思わず「廃墟」を想起させた解体途中の姿よりは随分マシだとも言えるのですが(苦笑)。
それにしても、私が幼い頃から見慣れていた三階建ての駅ビルが姿を消しただけで、こうも駅正面の風景が丸見えになってしまうという衝撃的な事実。
この光景を目の当たりにした私の心にあらためて浮かぶのは、空虚感とか喪失感といった情緒的心情ではなく、実はただ単に駅ビルという名の小さな建物がそこに存在していただけなのに、あたかもそこに強い求心力が働き、街の中心的役割をガッチリ担っていたかのように「錯覚」していたんだという、今更ながらの気付き。
想像以上に狭かったその敷地をじっと見渡していると、幼少時分と現在の目線の違いを差し引いたとしても、その思いを強くします。
地下街から階上まで数多くの飲食店や商店が立ち並び、この徳山駅ビルが活況を呈していた日々は・・・すでに遠い遠い過去の話。
私たち家族が移り住んできた十年前ですら、ビル内の営業店舗はほぼ撤退し、空きスペースの一部を周南市が細々と利用していただけで、すでに存在感は希薄になっていたし、今から2年前、駅の改札口とも直結する新しい南北自由通路が併設されると、もはや駅ビルとしての機能も消滅。
あとはただ解体の時を待つだけの身となっていたのです。
ま、形あるものはいつか壊れる運命なわけで、いかに幼少時からの思い出が詰まった建物だったとはいえ、私は別段未練めいたものは感じていません。
むしろ一番の問題は、老朽化のため解体したはいいものの、跡地に建設される予定の新しい駅ビルの姿やその有効活用について未だに市民のコンセンサスが十分得られておらず、今後に対する期待感や盛り上がりに欠けることですね・・・。
しかし、私からすれば、何を建てるにしてもどう活用するにしても、まずはそれ以前の問題として、駅周辺の交通アクセスの改善に着手しないことには、たとえどんなに魅力的な建物ができても、本質的な街の活性化には繋がらないはず、とやや冷めた目で見ています。
それこそ、昭和の時代を象徴するような自動車最優先のロータリーが残存するだけで、駅に近付こうとすれば自転車は酷く遠回りを強いられ、歩行者は何度も何度も地下道を上り下りさせられるという、交通弱者に全くもって優しくない旧態然とした周辺インフラに手を付けないで、駅周辺の活性化なんてあり得ない、とさえ思うわけです。
まずもって、寂れゆく地方都市を何を基軸にして復興させていくのか、明快なコンセプトなり将来像なりがあって、次に、その実現手段として魅力的な施設の誘致やインフラ整備などが具体的に議論されるべきなのに・・・
お●所ってこんなゼロベースの発想はご法度なのかしら??
などと、不自由な遠距離通勤を覚悟してまで、生まれ故郷の街になんとかお金を落とそうという、心ある小市民(但し、自称)は思うのでした。
Posted at 2016/02/03 00:29:44 | |
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隠れ家のある街 | 日記