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Nuk-P@RailStarのブログ一覧

2014年01月25日 イイね!

意義ある第一歩

意義ある第一歩先日発注したGRAND-AM優勝記念のキルティングベストはまだ我が家に到着していませんが・・・
昨日の会社帰り、ついつい別の散財をしてしまいました^_^;。

ハイ、このたび私のコレクションに加わった1/43スケールモデルの名は・・・

#55・Mazda LMP2 SKYACTIV-D Racing

そう、2012年のル・マン現地で、マツダがSKYACTIV-DエンジンによるLMP2クラス参戦を発表した時に初めてお披露目され、その年のマツダファンフェスタ(岡山)でファンの目の前に姿を現したあのル・マンプロトタイプマシンです。
私たちは、これまで聞き慣れたレーシングREのサウンドとは全く異質の、野太いターボサウンドを轟かせながらサーキットを疾走するこのマシンの姿を、思い思いに想像したものです^_^;。

そして、あれから1年半が経過した先日、このマシン(ローラ・マツダ)が実際にサーキットトラックを走り始める歴史的瞬間がやってきました。
しかし、最新マシンのデザインは「ソウルレッド+SKYACTIVデカール」に一新されてしまっていたので、昨年までALMSシリーズを駆け抜けたダイソン・レーシングのMZR-R搭載マシンを彷彿とさせるこのカラーリングも、結局は展示用のみに終わったことになります。

つまり、実戦マシンとしては"幻"となったこのスカイブルーのカラーリング。
ただ、マツダがLMP2クラスへのエンジンサプライヤーというカタチで全く新たなル・マン復帰を宣言したあの日のサルテ・サーキットの情景とともに、このブルーはきっとファンの記憶に残るアピアランスとなったことでしょう。
マツダのレーシングカーでは過去、マツダ787Bのシェイクダウン仕様やゲーム版のステルス仕様、マツダ767Bのル・マンTカー仕様など、必ずしも実戦経験のないマシンまでもがモデル化され、都度熱心なファン(苦笑)が買い求めてきましたが、今回の参戦発表モデルもまさにその類の1台となりましたね(^o^)。

過去のレーシングREやMZRエンジンでのノウハウを一旦リセットし、全く一から走り出すディーゼルユニット・SKYACTIV-D Racing。
このLMP2マシンが、強力なライバル勢に伍してキラリと光る走りを披露するまでは、きっと多くの困難や試練が待ち受けているでしょうけど、ここでマツダの強みとなるのが"飽くなき挑戦"の歴史。
マツダ787Bがル・マンで日本車初の栄冠を勝ち取る12年前、マツダオート東京チームがシルエットフォーミュラで偉大なる24時間レースに挑み始めた1979年のマシン(マツダRX-7・252i)に、そんな思いを重ね合わせてみた次第です。
Posted at 2014/01/25 14:09:22 | コメント(4) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2014年01月09日 イイね!

SKYACTIVの新チャレンジ 【USCC・プレビュー】

SKYACTIVの新チャレンジ 【USCC・プレビュー】北米のモータースポーツシーズン開幕を告げる、デイトナ24時間レース。開催まであと半月ほどとなったこのレースは、ル・マン24時間、スパ24時間と並び、世界の3大耐久レースのひとつに挙げられる、格式高い伝統のビッグイベントですね。

それに加えて、2014年はアメリカンレーシングの大きな転換期。

近年、本格的なレーシングプロトタイプカーと市販車イメージの強いグランドツーリングカーの混走で人気を博してきた2つの異なるレースシリーズ、「ALMS」(アメリカン・ルマン・シリーズ)と「GRAND-AM」が統合され、「USCC」という新シリーズがスタートすることになったからです。
中でも、全米の名だたるTOPチームが集結するレーシングプロト(Pクラス)では、DP(デイトナプロト)マシンとLMP2マシンが直接対決。各カテゴリーのメンツをかけた「異種格闘技戦」風の戦いが早くも予想されるこのIMSA・TUDOR USCCシリーズ、そのレース展開に今からワクワクしてしまいます。

そこでの私の注目は、もちろんマツダです。

昨年のデイトナ24時間では、北米マツダ&スピードソースから3台の「Mazda6 GX」がデビュー。SKYACTIV-Dエンジンによる全く新しいチャレンジをスタートさせたのは、記憶に新しいところです。
結局、ディーゼルパワーを得たMazda6 GXは、緒戦デイトナこそ初期トラブルのオンパレードで下位に沈んだものの、その後急速にマシンの熟成が進み、初優勝を挙げた第4戦からシーズン最終戦の第12戦まで、破竹のクラス9連勝を挙げる大活躍。
エントリー台数が3~4台と寂しさが否めなかった新設GXクラスとはいえ、マツダは堂々と2013年のマニュファクチャラーズタイトル獲得に成功しました。

一方のALMS(アメリカン・ルマン・シリーズ)では、北米マツダはここ数年、大御所のダイソン・レーシングとジョイントし、精力的な活動を続けてきました。
SKYACTIV-Gの前身にあたるMZR-Rエンジン(2.0Lターボ)を搭載したローラ製マシンで、2011年にLMPクラスを完全制覇(チーム/ドライバー/マニュファクチャラーズ)したのをはじめ、数々の勝利を獲得したほか、KERSの搭載やイソブタノール燃料の使用など、グリーン・エネルギーにも積極的にチャレンジ。
改良型の直噴エンジンで戦った昨年はタイトル獲得こそなりませんでしたが、チャンピオンマシンのHPD ARX-03cと常に表彰台を分かち合う活躍を見せました。

そしてマツダは、両シリーズの流れを汲む2014年の新生USCCに、「ローラシャシー+SKYACTIV-Dエンジン」のパッケージで参戦することを発表しました。
つまり、長年ALMSを戦い抜いてきた戦闘力のあるシャシーと、昨年GRAND-AM史上初で話題を呼んだディーゼルエンジンを合体させ、またまた新たなチャレンジをスタートさせるというわけです。

・・・と聞いて思い出すシーンは2012年の6月、ル・マン24時間レースのスタートを控えたサルテ・サーキット。
マツダは、21年前に日本車初の歴史的勝利を挙げたル・マンの現地で、SKYACTIV-Dエンジンを核に、ル・マンへ再挑戦することを高らかにアナウンス。
その会場に颯爽と姿を見せていたLMP2仕様のプロトタイプマシンが、その後、”足掛け3年”もの歳月を経て、いよいよ実戦を走り始めると思うと、ホントに興奮を禁じ得ません。

それにしても驚いたのは、先日のデイトナ・テストデーに参加した2台のマツダのニューマシン「マツダLMP2 SKYACTIV-Dレーシング」(ローラ12/80・マツダ)のカラーリングが、ル・マンでのスカイブルーからソウルレッドに一新されていたこと。
お馴染み「MZRacingサイト」の掲載画像には、魂動デザインの象徴でもある鮮やかなレッドをまとったボディと、一面に貼り巡らされた「SKYACTIV」のデカールが。
マツダの最新プロダクツの中核を成すこの2つの要素で構成された、2014年仕様のこのマシンをファクトリーマシンと呼ばずして、一体何をそう呼べというのでしょう!

今まさに私の脳裏に浮かんでいるマシンは、「白ボディ+青ライン」という”かつての”ワークスカラーをまとったマツダのGr.Cカーであり、IMSA-GTOマシンなのです。

1999年、マツダワークスの復活を願うアツい思いから立ち上げた「WW2」。
‘80年代から‘90年代にかけて、私たちファンがアツい視線を送った黄金期のマツダワークス活動と比較してみれば、主役となるレーシングエンジンをはじめ、エンジニアリングの体制、レーシングチームの編成や拠点など、ありとあらゆる構成要素が異なっている今回のUSCCチャレンジ。言うまでもなくそこには、片山氏・従野氏・寺田氏という伝説のワークスドライバーの名前も、名監督の大橋さんの姿もありません。
しかし、新生USCCにシリーズ唯一のディーゼルエンジン搭載車で走り出そうとする今、その根底にあるマツダの“チャレンジングスピリット”に関しては、全く同じ種類のものが息衝いていると私は感じています(^o^)。


先日のテストデーは初期トラブル対応に追われ、全く満足のいくタイムが出せなかった2台のローラ・マツダ。
正直なところ、昨年まで十分な実戦経験を積んできたTOPチームのプロトタイプマシン勢との実力差は現時点では大きく、今シーズン中に目立った戦績を挙げられるかどうかは全く不透明な状況です。
それでも、デイトナのレースウィークが実質的なシェイクダウンだった昨年のレースに比べれば大きな進歩^_^;。
それに・・・かつてマツダがル・マン24時間で栄光を掴むまでには、足掛け実に17年、十数回もの飽くなき挑戦を余儀なくされたわけですから、マツダの戦いを見守るファンだって、無類の耐久力を備えているはず(^_^;)。

身近な事例でいえば、私たちWW2がサポートしてきたスーパー耐久シリーズのRX-7(78号車)だって、通算で十数回ものチャレンジを経て、参戦当初の予選通過も危うい状況から、最終的には堂々のクラスポールを獲得できるまで進化したわけですから、意志あるところに必ず道は開けます。

今再び、”勝利への意志”The Will for Win)を携え、USCCという大海に漕ぎ出すローラ・マツダに、昔のマツダワークスの姿を重ね合わせ、温かくもアツい視線を注いでいこうではありませんか!

・・・WW2の皆さん、イイですね?(と、一応問いかけてみる 笑)

(ところで、デイトナの本選も同じカラーリングなんだろうか・・・?!)
Posted at 2014/01/09 21:03:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年12月10日 イイね!

年に一度のポールポジション

年に一度のポールポジション画像は、岡山での「マツダファンフェスタ2013」に出撃する前夜。
我が家のメインカー・赤CHARGE号が、久しぶりにロングカーポートの最前列へと収まっています(^O^)。

ここ数年、幼稚園送迎の機会がなくなって、ノーズ先端が軒先からはみ出してしまうカーポート最奥の位置が指定席となっているRX-7。
翌朝4時半の出発に備え、こうして最前列に鎮座させてみると、玄関先の雰囲気は一変。
いつもの青いデミオはもちろん、オレンジのビアンテでさえも敵わない圧倒的な存在感に、初めてのお客さんはきっと「一体この家は何屋さん?」と戸惑ってしまうことでしょう(^_^;)。

て、そんな赤CHARGE号をもってしても、あたかも周囲の風景と同化してしまったが如く、何ら違和感を感じさせなかったのが、岡山国際サーキットのパドック。
迫力満点のレジェンドレースカーやその忠実なレプリカマシン、そして現役バリバリのレーシングカーが所狭しとひしめき合う様子には興奮を禁じ得なかったし、周囲を取り巻く大勢のマツダファンがアツい視線を注いでいる光景は感動的ですらありました(^o^)。

ここで私が思い出すのは、ちょうど1年前のこのマツダファンフェスタ。
サバンナRX-3やファミリアロータリークーペなど、並居るレーシングレプリカのド迫力を目の当たりにし、自らの精進不足を痛感したことは、当時のみんカラブログでも白状した通り。
それが転機となり、長年ずっと温め続けていたルーフのCHARGEカラー化をやっと実現へと向かわせたわけですが、今回、光栄にもパドックの中央付近に駐車するという、またとないチャンスを得てみると・・・まだまだ“迫力不足”の一言。
今夏のルーフのCHARGEカラー化を境に、クルマの雰囲気が「ちょっと派手なロードカー」から「どこか地味な競技マシン」へと移行してしまい、期待されるモディファイレベルを自ら引き上げてしまったことをはからずも証明する結果となってしまいました(^_^;)。

さ、1年後に向けて気合いを入れ直さないと!(苦笑)

そんな私が今回、もっとも刺激というか衝撃を受けたのが、無類のオーラを発するこのマシンでした。



これは一体何だ?と思ってしまう方も多いと思いますが、これは初代サバンナRX-7をベースにしたシルエットフォーミュラ(グループ5)マシン。

思い返せば、マツダのル・マンチャレンジの歴史も、1983年に717Cという本格レーシングカーが登場する以前は、RX-7の名を冠したシルエットフォーミュラマシンがその主役。
僅差の予選落ちに泣いた’79年のRX-7・252i、決勝に進出するもリタイアを喫した‘81年のRX-7・253、そして、待望の初完走を果たした’82年のRX-7・254と、空力性能を中心に弛まぬ進化を続けていきました。
それとほぼ時を同じくして、日本でも’70年代終盤から‘80年代前半にかけて、シルエットフォーミュラレースが隆盛期を迎え、迫力満点のカウルをまとったバラエティ豊かなモンスターマシンたちが、GCのサポートレースや全日本耐久戦で、各地のサーキットを華麗に駆け抜けていたのです。

そんな往時の雰囲気をプンプン漂わせるこのマシン、その姿は私の脳裏に強烈に焼き付きました。

ただ、当時の国内レースリザルトをくまなく調べても、この「ゼッケン43番」らしきマシンはなし。
思わず見入ってしまうような流麗なボディワークも、上記3台のワークスマシンの中では最初期の252iに近いものの、明らかな相違点も多く、どうやら明確なモチーフが存在するわけではなさそう。
実は・・・グループ5マシンの代表格のポルシェ935やBMW M1などと、本国ドイツで戦っていた伝説のRX-7シルエットフォーミュラ??? ・・・などと、想像は無限に拡がりますね(笑)。
Posted at 2013/12/10 23:55:51 | コメント(3) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年09月11日 イイね!

心の中に生きる名車

心の中に生きる名車いやー、参りました。
今回は表紙の写真を見ただけで、一発ノックアウト状態でしたからね・・・。
シェル&ダンロップカラーの‘88年ルマン参戦マシンが表紙を飾るRacing onの最新号は、待望の「ポルシェ962C特集」です。

いわずもがなポルシェ956/962Cは、FIAがグループC規定を導入した’82年から伝統のル・マン24時間レースで6連覇を達成したのをはじめとして、日米欧の同カテゴリーにおいて「耐久王者」の名を欲しいままにした名車です。
今回の特集では、1985年から本格投入された962Cについて、これまで製作された全てのシャシーNo.を詳細に紐解きながら、その偉大な足跡を振り返るという、グループCファンには堪らない内容(^o^)。

実はこの私も、ポルシェ962Cには忘れ難い思い出があります。
その出会いは1989年の10月だというから、今から24年も前の昔ばなし(大汗)。
秋の冷たい雨が降りしきる中、初めてのレース観戦に訪れた富士スピードウェイで、このモンスターマシンは私を待ち受けていました。

開催されていたのは、’89全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)第5戦の「インターチャレンヂFUJI1000kmレース」。
グループC/IMSA-GTP規定のレース専用マシンが1000km先のゴールを目指し、300キロ超のスピードで5時間以上、ダイナミックな富士の旧コースを走り続けるという、迫力溢れる耐久レースでした。
当時はバブル絶頂期にまっしぐらの時代で、スタート前のダミーグリッドの賑やかさや、サーキット全体を取り巻く華やいだ雰囲気は、今なお強烈に脳裏に焼き付いています。
色とりどりのスポンサーカラーをまとった参戦マシンは裕に20台を超え、コース上はチーム関係者やキャンギャル、観客らで埋め尽くされ、路面がよく見えないほどでしたね。

もちろん、私の一番のお目当ては、4ローターREを搭載する2台の「チャージ・マツダ767B」
1989年のル・マン24時間レース、予選で速さを見せたトヨタ/ニッサン勢が決勝レースでは次々にトラブルに見舞われ脱落していく中、ヒタヒタと順位を上げ続けた3台のロータリー勢が総合7位・9位・12位で全車完走し、IMSA-GTPクラスを1-2-3で制覇。
日本のTV中継では、国産勢唯一の生き残りとなったレース途中から、俄然マツダが大きな注目を浴びることになりましたが、最後までその期待を裏切ることがなかったステディで力強い走り。
その勇姿をぜひこの目で確かめてみたかったんですよね・・・。

結局のところ私はそこで、思わず目を奪わてしまう派手なCHARGEカラーと、耳をつんざく強烈なロータリーサウンドが織り成す圧倒的な存在感に、マツダならではの個性・主張を認めることとなり、それ以降、マツダという自動車メーカーとロータリーエンジンに強く傾倒していくことになったのは、過去にも何度か吐露してきた通りです(^_^;)。

ただ、私が富士のグランドスタンドで一瞬にして心を奪われた4ローターサウンドの「比類なき個性」も、その瞬間、富士の裾野に響く数多くの「別の」エンジンサウンドが立派に存在していたからこそ、あらためてその違いを明確に感じ取ることができたわけです。
高周波のREサウンドとは明らかに一線を画し、お腹の底に響くように野太いターボサウンドを発しながら、次々に目の前を駆け抜けて行ったライバルマシンたち。
紛れもなくその筆頭格が、上位から中団あたりまでのグリッドをくまなく埋め尽くしていた、多彩なプライベートポルシェ勢だったのです。
元はといえば、同じカスタマー向け仕様の962Cながら、ボディワークやシャシーのモディファイや、エンジンのチューニングレベルはチームによって千差万別。その上、各メインスポンサー色に染められた個性的なマシンカラーリングも相俟って、962Cのバラエティの豊かさは見る者を全く飽きさせませんでした。

そんな私が当時、肌で感じ取っていたグループCレースの世界とは・・・

1989年の時点ですでにワークス活動は休止状態にあったものの、それに代わるセミワークス格の有力プライベーターを筆頭に、多くのプライベートポルシェが各国のグループCレースに大挙して参戦。シリーズの根幹を成す不動の存在となっていたそのポルシェの胸を借りる格好で、ジャガーやメルセデス、トヨタ、ニッサンといった新興ワークス勢が少数精鋭で挑んでいるという、戦いの構図でした。
一大勢力を形成したポルシェ勢の存在なくしては、グループCカテゴリーの隆盛はおろか、その存続すら危なかったはずだし、それはとりもなおさず、ポルシェという自動車メーカーが戦闘力の高いレーシングカーをプライベーター向けに数多くリリースし、必要なパーツ供給を忘れなかったからこそ、実現したわけです。

とりわけ、JSPCでポルシェを擁するプライベートチームはどこも高いエンジニアリング能力を有していて、NOVAチームなどは”東洋のポルシェワークス”と呼ばれていたほどの実力チーム。
結局のところ、私がグループCレースに開眼した1989年、速さに勝る国産ワークス勢を向こうに回しJSPC王座を手にしたのは、”クニさん”こと高橋国光選手が駆るADVANポルシェだったのですから、極東の地でポルシェ962Cが見せた”意地”と”底力”は大変印象的でした。
ルーツとなる956の登場から10年近く経過していながら、未だに衰えぬ強さを備えていたからこそ、新興ワークス勢の実力を測る恰好の「ものさし」と成ったわけだし、いつしかそれが「踏み台」と変わっていったんですよね・・・。

ポルシェはグループCの偉大なるスタンダード。
そんな思いがあっただけに、翌々年の1991年5月、JSPC・富士1000kmレースで我らがマツダ787Bがポルシェ962C相手に見せた力強い戦いぶりは、私にとって忘れられない思い出となっています。
NOVAチームがニッサンにマシンスイッチするなど、一時期に比べるとすっかり勢力が衰えたポルシェ勢。その中で最速マシンの地位を保っていたトラストチームの日石ポルシェに対し、このレースがシェイクダウンレースとなった787B-002号車が互角に渡り合い、224周レースの最後の最後まで、同一周回で激しい4位争いを見せたのです。
これは正直、私にとって大きなサプライズであり、と同時に、この上なく勇気付けられる出来事でした。
(その翌月、この787B-002号車がフランスでまさかの偉業を成し遂げることになります)

前身の956と併せて一時代を築き、王者の名を欲しいままにした後、晩年には超えるべき"壁"としてライバル勢に立ちはだかり、そして、敗れていったポルシェ962C。
その偉大な功績はいつまでも衰えることなく、その雄姿はグループCファンの心の中にずっと生き続けることでしょうね。
Posted at 2013/09/11 23:31:34 | コメント(1) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年03月05日 イイね!

継続か、解散か。(6)

継続か、解散か。(6)やっと最終回です(^_^;)。

「Mazda6 GX」、「SKYACTIV-Dクリーンディーゼル」、そして「寺田陽次郎選手」。
今年のデイトナ24Hでマツダが提供した注目すべき話題の数々を、「MZRacing」が繰り出すタイムリーなレポートでキャッチ。

これを機に私は、ここアメリカンレーシングの世界においては、かつてマツダのモータースポーツファンが「POLE POSITION」誌を読み耽っていた頃の「パラダイス」に近い雰囲気がある、と感じ取るに至りました。
もちろんその雰囲気は今に始まったことではなく、近年でいえばRX-8によるGRAND-AMシリーズへのチャレンジや、MZR-Rエンジンを搭載したプロトタイプカーによるアメリカン・ルマンシリーズ(P1/P2)へのチャレンジにおいてもしっかり息衝いていたもの。
むしろ、私が気付くのが「あまりに遅過ぎる」と謗られても仕方ないくらいです。
現に、私の赤CHARGE号には、2010年のGRAND-AM完全制覇の記念ステッカーが鎮座しているわけですから、自らの不明さ、鈍感さを恥じるばかり(^_^)。

んな時に突如、北米マツダから発表されたとあるロゴ。
それは、現在の「マツダのモータースポーツ活動の総称」だというのです。
デイトナ24Hレースというビックレース開催の陰に隠れ、思わずスルーされてしまいそうな小さな記事ですが、そこにかの「Mazda Motorsports」の文字がしっかり刻まれていることを私は見逃しませんでした。



おそらく世間的には、よくある「新ロゴ発表」のNewsのひとつに映ったかもしれません。
しかし、今回の私の拙い連載ブログの第4話でも触れたように、これとフォント違いの「Mazda Motorsports」ロゴが、’90年代初頭、マツダワークスの北米レース活動の最前線で力強く踊っていた事実を知る者にとっては、まさに感無量。
しかも、ただ単にリバイバル的な懐かしさだけでなく、”文字通り”カタチこそ変われど、あの頃から現在まで、マツダのチャレンジングスピリットがしっかり継続していることを誇示しているようにさえ思えます。

「少なくとも北米のレース活動は、あの頃と大きく変わっていないようだ」
私はこの新ロゴ発表の報に触れて、マツダワークス復帰を願うWW2として、極めて明るい展望が開けていることを確信したのです。

では、このアメリカンレーシングの望外な展望をもって、私達WW2は夢が叶ったとして、「区切りの日」を迎えることができるのでしょうか・・・。

やっとブログタイトルの話に戻ってきましたね。
答えは・・・残念ながら「NO」です。

この重たい結論については、日本やヨーロッパ、アジアなど、北米以外のモータースポーツフィールドの状況をくまなく検証しないことには簡単に出せないでしょう。
とりわけ、「サルテサーキットに再びロータリーサウンドを!」とWW2サイトで叫んでしまっているように、長年マツダワークスがチャレンジスピリットを炸裂させる舞台であり続けた栄光の「ル・マン」。ちょうど昨年のル・マン24Hレース当日、SKYACTIV-Dクリーンディーゼルを搭載するLMP2マシンによるルマンへの再挑戦がアナウンスされたばかりではありませんか。
この伝統あるレースへのカムバックを宣言したマツダ。ひとまずはその具体的な足取りが我々ファンの前にハッキリと示される日を待ちたいと思います。

私は今回、WW2結成14年目にして初の存廃検討を通じ、発展的解散に向けた明るい兆しを感じつつも、まだ私達の大きな看板の行方を議論するのは早計と判断しました。
ここは焦らずじっくりと、マツダが世界中で「現代版のパラダイス」を演出してみせるのか、じっくり見極めていきたいと思います。

(おわり)
Posted at 2013/03/05 21:21:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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