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Nuk-P@RailStarのブログ一覧

2013年03月04日 イイね!

継続か、解散か。(5)

継続か、解散か。(5)切れ目のない連載は途切れましたが(^_^;)、マツダのモータースポーツとWW2に関する当ブログも5話目に突入です。

今年、2013年のデイトナ24Hはマツダにとって話題満載でした。

最も注目すべきは、マツダの主力チームのGRAND-AMマシンが、20Bエンジン搭載のRX-8から、「SKYACTIV-Dクリーンディーゼル」搭載の新型アテンザ(マシン名:Mazda6 GX)に一新されたことでしょう。

長らくGRAND-AMで高い戦闘力を発揮し続け、直近では2008年、2010年のデイトナでクラス優勝を果たしているRX-8。そのマシン開発にも深く関わってきたSPEEDSOURCEチームが、ディーゼルエンジンとともに全く新たなチャレンジを開始したのです。
このプロジェクトが如何に力の入ったものであるかは、マツダの看板技術「SKYACTIV」を前面に押し出していることや、昨秋のプロジェクト発表からNewマシンの発表に至るまでの動きを、マツダ本社や北米マツダが積極的にアナウンスしてきた事実からも十分に感じ取れます。

そして、Newマシン、Newテクノロジーの陰で見逃してはならないのは、元マツダワークスドライバーにして、「ミスター・ルマン」の名を欲しいままにする寺田陽次郎氏(65)の起用。
氏の豊富な耐久レース経験を買われ、主にヤングドライバー達の指南役を期待された通算8回目のデイトナ参戦ですが、寺田選手が過去にデイトナで刻んだ3度のクラス優勝の足跡も、「POLE POSITION誌」世代の私にとっては大変印象深いもの(^^.)。

最初の栄冠は言うまでもなく、1979年のサバンナRX-7(12Aエンジン)による衝撃的なIMSAデビューWIN。
この勝利は、その前年にGatoradeカラーのRX-3でオート東京からテスト参戦。その時に悩まされたデイトナ特有のファクター”砂塵”に徹底対策を施した上でもぎ取ったという戦略的なものでした。当然ながら、これが記念すべきRX-7のIMSA初勝利です。
3年後の1982年には、パワーに勝る13Bエンジンを搭載したRX-7で格上のGTOクラスにチャレンジし、総合4位という素晴らしい戦績で、再びデビューWIN(RX-7通算25勝目)。そして1985年、レギュレーション見直しによりGTUクラスに編入されることとなった13B搭載車で再びデイトナのクラス優勝を勝ち取りました(RX-7通算62勝目)。

そんな初代RX-7と寺田選手の華々しい活躍のシーンを「POLE POSITION」誌が伝えていた頃から、すでに30年近くが経過していますが、今回のマツダのチャレンジは、新開発の「SKYACTIV-D」エンジンで、新設されたGXクラスに斬り込んでいくという全く新しいもの。過去、日本人チームによる初めてのル・マン参戦(1973年)をはじめ、道なき道を自ら切り拓いてきた寺田選手のデイトナ復帰には、単なるノスタルジーを超越した”必然”すら感じてしまうのです。

まさに、寺田選手のデイトナ復活は、過去を知る者にとっては「これ以上ない」最高のキャスティング。
そして、その嬉しいニュースをリアルタイムで我々に届けてくれたのは、「MZRacing」が繰り出すウェブサイトやFacebookだったわけです。
時代は移り、30年前と全く同じハード・ソフトは何ひとつないけれど、「あの頃」と「現在」のアメリカンレーシングとマツダの挑戦を、少しずつ重ね合わせ始めていた私。
どうやら、ここには過去との比較でガッカリするような要素がないばかりか、

「当時と変わらぬマツダのチャレンジスピリットがずっと継承されていたんだ!?」

そう気付き始めた私の背中をポンと押すようなニュースが、今年のデイトナ24Hとほぼ時を同じくして、北米マツダから発表されました。

(つづく)
Posted at 2013/03/04 22:00:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年03月02日 イイね!

継続か、解散か。(4)

継続か、解散か。(4)仰々しいタイトルでのブログも、4話目に突入しました(^_^;)。

‘80年代から’90年代初頭のように、マツダワークスが世界の舞台にチャレンジする姿を追いかけたいと願う、アツいマツダモータースポーツファンたちが結成したWW2。
今再び、あの興奮や感動を味わうことのできる「パラダイスな」環境が整ったとしたら・・・掲げた夢の実現をもって、ひと区切りをつけることもできるのではないか。
場合によっては”嬉しい解散”も、”無念の継続”も考え得るのです。

前回、かつてのモータースポーツ冊子「POLE POSITION誌」を、現在の「MZRacingサイト」に置き換えることで、私達のパラダイス到達を阻む壁の一角は崩れそうな気がしました。

では、MZRacingが今も伝え続けている世界中のレースシーンに、かつてのワークス活動を呼び起こすような飽くなきチャレンジは含まれているのでしょうか・・・。

ここで、話題をデイトナ24時間レースに戻します。

1980年、「POLE POSITION誌」が創刊。
その記念すべき第1号が伝えたのは、マツダRX-7による北米IMSA GTUクラスの制覇でした。
これはその前年、マツダとマツダオート東京がワークス体制で臨んだ1979年開幕戦のデイトナ24時間レースにて、デビュー戦となる初代RX-7がワークストリオの片山/従野/寺田組のドライブにより、GTUクラスでセンセーショナルなデビューWIN(1-2フィニッシュ)を達成。
総合順位でも5位・6位に入るというこの快走が発端となり、W.ボーレン選手やR.マンデビル選手なども含め、IMSAのGTUクラスに大勢のプライベートRX-7ユーザーが誕生、ついに80年には初の年間チャンピオンを獲得したというストーリーでした。
この後、RX-7は1984年まで5年連続でIMSA-GTUクラスを制する快進撃を続けます。

その一方で、1982年のデイトナには再びワークスチームが登場し、13Bエンジンで武装したRX-7でGTOクラスにチャレンジ。
ここでも片山/従野/寺田組がポルシェ・カレラやフォード・マスタングを蹴散らして総合4位に食い込む快挙。RX-7がデイトナのGTO/GTUクラスをダブルで制覇します。
(なお、この年のGTUチャンピオンは、かのJ.ダウニング選手でした)
また、1984年のデイトナでは、GTPクラスに出場したBFグッドリッチチームのローラ・マツダT616が、夜明けを迎えた13時間過ぎに総合2位まで浮上。ほんの一瞬に過ぎませんが、ロータリーエンジンによるデイトナ24H総合優勝が頭をかすめたのが、この年でした。

そんな1980年~1984年頃が、デイトナそしてIMSAにおけるRX-7やマツダREの活躍の最初のピークだったといえるでしょう。北米で一定の戦績を収めたマツダは、次なる照準をル・マンやWRCなど欧州のモータースポーツフィールドに定め、レーシングREのマルチローター化や、レース専用シャシーの開発へと舵を切っていくのですから。

しかし、ここまでのマツダの北米レース活動には、見逃してはならない点があります。

その昔、レースを始めたばかりの東洋工業が、必勝を期したファクトリーチーム団を結成し、110SやR100で東南アジアやヨーロッパのレースを転戦していた黎明期と違い、ここ北米ではノウハウの豊富な現地有力チームと、マツダやマツダオート東京(のちのマツダスピード)、そして、マツダの看板を背負うワークスドライバー達が巧みに連携する、効率的なジョイント体制を早くから構築していたことが窺えるのです。
これはその後、「マツダRX-7・GTO」がP.ハルスマー選手によって前人未到のIMSA通算100勝を達成したり、GTPクラスのマツダ・アルゴや、GTUクラスのマツダMX-6がデイトナのバンクを駆け抜けた、次なる活躍のピーク・・・’80年代後半から’90年代にかけての活動にもしっかり継承されます。

なお、この頃の私のハイライトは・・・マツダスピードが「#77・マツダ767B」(別名:767デイトナ)でエントリーし、片山/従野/ロビンソン組が5位入賞した1989年のデイトナ24H。
767B好きの私にとっては、やはりこのデイトナ戦が最も印象深いです(^_^)。

さて、そんな第二のピーク期の中でも、マツダがワークス体制を敷いてGTOクラスへのチャレンジを宣言したのが、1990年。
ルマン用と同じ4ローターREを投入し、さらにパワーアップした北米のレース活動を伝えてくれた当時の「POLE POSITION」誌にて、時にチームスタッフのウェアに、時にトランスポーターの広大な側面に登場していたのが、「Mazda Motorsports」という、凛としたロゴでした。

そう、私達WW2もそのフラッグを大切に保管し、幾度となくS耐レースのチームPITに掲げてきた、あのロゴだったのです。

(つづく)
Posted at 2013/03/02 14:10:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年03月01日 イイね!

継続か、解散か。(3)

継続か、解散か。(3)「マツダワークスが世界の舞台に挑む姿をまた応援したい」

そんなアツい想いを抱くWW2の私達が、あれからニ十年以上経過した今において・・・当時の頂点活動を支えた実質的基盤を全て失った現状において・・・パラダイスに思えたあの頃と同じような興奮や感動を再び味わうことはできるのでしょうか。

唯一、解決の糸口となり得るのは、現状に即したパラダイスの再定義を試みること。つまり、その舞台や登場人物、組織、技術、発信媒体など、当時の構成要素のひとつひとつについて、現代版の何かに置き換えられないか、検証していくのです。

「でもきっと、それはどれも難しいよなぁ・・・」
そんな諦めムードが支配する折り、2009年9月に突然何の前触れもなく立ち上がったのが「MZRacingサイト」でした。
私はそのNewサイトのイントロ部分の行に思わず目を奪われました。

~世界のモータースポーツで活躍するマツダ車を応援します~

その言葉の通り、全世界の多種多様なモータースポーツフィールドで活躍しているマツダ車と、それに関わる人々の横顔にフィーチャーし、アツい声援を送るタイムリーなレポートの数々。
また、最新の情報のみならず、時には私たちが懐かしむ「かつてのパラダイス」のワンシーンに迫るヒーローインタビューや、マツダワークスの足跡を振り返る秘蔵の写真集企画のコーナーまでも。

これぞまさしく、私達WW2が当初掲げていたコンセプトに近いもの。
しかし、その緻密なネットワーク、群を抜くその発信スピード、そして何よりもそのパワフルさ・・・どれひとつとっても、私個人が趣味で片手間に運営するWW2サイトとは全く比較になりません(苦笑)。
実はWW2だって、過去のマツダワークスチームの全戦績を一挙に紹介する一大コーナーの構想があるにはあったのですが、未だにその調査すら開始できていないのが現状なんです(爆)。

思いはさらに駆け巡ります。
このMZRacingサイトがレポートする最新ムーブメントの中に、いつかマツダのワークス活動が載ったとしたら・・・
それはまさに「現代のPOLE POSITION誌」ではありませんか!
紙媒体全盛の時代から時は移り、今やこのサイトこそが、その機能を果たすのに最も相応しい存在であると私は確信したのです。

これで、マツダワークスの息遣いをファンに伝えくれるメディアは登場してくれた。
少なくとも、立ちはだかる壁の一角は崩れた・・・そう思える意義深い出来事でした。

(つづく)

ここからは余談になります・・・

ファン待望の「MZRacingサイト」出現のその陰で、私が返す返すも残念だったのは、その直前、9月初旬のスーパー耐久・岡山ラウンドで、ST3クラスの予選ポールと2位表彰台を射止めた私達の「WW2 RX-7」の大活躍が、惜しくもこのサイトに載らなかったこと。
マツダ車によるモータースポーツ活動を応援してきたWW2と、世界中で活躍するマツダ車を発信するために生まれてきたMZRacingサイト。
お互い、根底には同じ想いが流れているはずの両者の間でタスキが渡らなかったことはホントに痛恨の極み。
せめてサイトの立ち上げがあと半月早かったら・・・とつくづく思います。

さらに余談ですが、これはひとえに私の不徳の致すところだと前置きした上で・・・

S耐初参戦の2001年からずっと、毎回タイムリーさには欠けていたものの(苦笑)、私達のS耐サポート活動の足跡をしっかり刻んできたWW2サイトのレースレポートも、前年の2008年分を最後に途絶えてしまい、この栄光の2009年分は不発に。
チームとWW2の集大成のレースともいえるあの岡山戦の大興奮は、遂に記載されることはなかったのです。(AUTOSPORT誌にはしっかり載りましたけどね)
時に、薄氷を踏むような車検通過(※予選通過ではありません 笑)であっても、失意の最下位完走レースであっても、努めて前向きにポジティブな現場報告をしてきたWW2レポート。
「いつか見てろっ!」という秘めたる想いがやっとスパークし、堂々と胸を張れる素晴らしいリザルトを手にしたまさにその時、本家本元のWW2レポートが終焉を迎えてしまったのは、皮肉としかいいようがありませんでした・・・。

余談は以上でオシマイ(苦笑)
Posted at 2013/03/01 22:46:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年02月28日 イイね!

継続か、解散か。(2)

継続か、解散か。(2)'92年のモータースポーツ活動休止宣言以来、一向に復帰のアナウンスをしないマツダを憂えるファン達が集まり、一刻も早いワークスチーム復活を願って結成したWW2。

そんなWW2がいつか「区切りの日」を迎えるとしたら・・・

その答えはあらためて語るまでもなく、前回のブログの文脈からも明らかですね。
「いつか再び、マツダワークスチームの勇姿を追いかけたい」
私達のこの想いが実現するその日に他なりません。

では現実的に、今から二十数年前に私達が満喫した「パラダイス」は再現するのか。
何といってもそこに横たわるのは、オギャアと産声を上げた赤ちゃんが立派な大人に成長するくらい長い沈黙期間です。話はそう単純でないばかりか、ことごとくその実現を阻むような客観的事実のオンパレードであることに気付かされます。

あれから21年が経過しても未だに復活宣言をしないマツダ本体はさておき、世界の最前線に挑み続けた実戦部隊にして、私たちファンの羨望の眼差しと注目を一心に集めた憧れの「マツダスピード」。
何より、魔の’92年以降も独自にモータースポーツ活動を続け、私たちファンを絶望の縁から救ってくれた誇るべきプロ集団、「マツダスピード」。
今あらためて振り返ってみると、私が現在のような盲目的な(笑)マツダスピード信者となったのは、マツダスピードがワークス部隊として世界で活躍していた'92年までよりも、マツダの後ろ盾を失った'93年以降のマツダスピードの単独活動(JTCCレース参戦、マツダスピードクラブイベント開催、アフターパーツ販売等)を通じ、その絆が強まっていった結果のような気がします・・・。
そのマツダスピードが今から14年も前に解散し、実体として存在しないなんて、一体誰が予想できたでしょうか・・・。

そして、POLE POSITION誌が創刊した1980年の時点で、すでにマツダワークスのTOPに君臨していた憧れのヒーロー・片山義美氏、従野孝司氏、寺田陽次郎氏も、時折りイベントで元気な姿を見せてくれるものの、すでに第一線を退き、モータースポーツ界における立場も一変。しかし、彼らの残した偉大な足跡を現代に引継ぐ次世代のワークスドライバーは、誰一人として存在しないのです。
さらには、私達がいつも到着を心待ちにした「POLE POSITION」誌自体も、”魔の”1992年を最後に発行が途絶え、制作元のアドインターナショナルも消滅しています。

そう、「一時休止」のコトバがまだ耳に残る’90年代半ばであれば、元の枠組み・元のメンバーのまま完全復活を果たす可能性も残されていたかもしれませんが、無情にも時は流れ、もはやふた昔も前の思い出話になってしまいました。

日進月歩のモータースポーツの世界。
立ち止まることは即ち後退を意味するとはよく耳にする言葉ですが、今やそれを通り越し、「え?マツダって昔レースをしてたの?」と驚かれても不思議でない現状を見るにつけ、私たちの描いたパラダイスを復元しようにも、人材・資金・組織・技術・そしてマインド・・・不可欠な構成要素がことごとく「無に帰してしまった」といっても過言ではないかもしれません。
「飽くなき挑戦」・・・強い意志を持ち、逆境にもめげずチャレンジし続けることの大切さ、尊さは、他でもないマツダ自身がかの「POLE POSITION誌」で何度も繰り返し説き、また、自ら実証してきたことではありませんか。

だいたい、冊子の存在だって、この20年ですっかり一変しましたよね。
新聞や雑誌などの紙媒体が主役の座を電子媒体に奪われてからすでに久しく、その電子媒体も家置きのPCから個人の携帯タブレット端末へと、日々進化を続けているわけです(私はまだ縁がありませんが 笑)。

「かつてのパラダイスの再現を夢見ることなんて、どう考えても無意味なことなのさ・・・」

厳しい現実を前に、さしもの私もいよいよ夢の実現を諦め、WW2の看板を下ろす時がやって来たのか・・・そんなネガティブ思考が私の脳裏を過ぎり始めていた頃、
「決して諦めるのではなく、今の時代に合ったパラダイスを再定義すりゃイイのさ」
という、至極真っ当なポジティブ思考に私を行き着かせる契機となった、ある出来事があったのです。

それは、残暑厳しい2009年の秋。
奇しくも、私達WW2が長年サポートしてきたS耐マシン「#78・WW2 RX-7」が、通算12戦目となる「岡山400kmレース」にて、ST3クラスで堂々の予選ポールポジションを獲得、決勝ではTOPとハナ差のクラス2位でフィニッシュし、夢にまで見たチーム初表彰台をGetした「あの9月」のことでした。

(つづく)
Posted at 2013/02/28 21:12:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記
2013年02月27日 イイね!

継続か、解散か。(1)

継続か、解散か。(1)仰々しいタイトルですみません(^_^;)。
今回はマツダのモータースポーツの話です。

今年の1月、「Mazda6 GX」による”初めて”の、そして「SKYACTIV-D クリーンディーゼル」による”画期的な”、デイトナ24時間レースへの参戦が実現しました。
マツダファンの大きな期待とレース関係者の注目を浴びた緒戦、レースの神様がマツダに与えた試練はあまりにも手厳しく、デビュー戦となった3台のMazda6 GXは、開始早々から様々な初期トラブルに見舞われ、レース中盤で全滅という残念なリザルトに終わりました。

早いものでそれからもう1ヶ月。
大きな敗北感を味わったチームもすでに気持ちを切り替え、次戦に向けて急ピッチでマシンに改良を加えていることでしょうね。
北米のGRAND-AMシリーズ初登場という歴史的な参戦を果たしたディーゼルマシン。今後どんなリベンジを果たしてくれるのか、楽しみでもあります。

ところで、私がこのように最新のマツダレースカーの動向に一喜一憂している傍で、常に自問自答に陥ってしまうのが、「これはマツダのワークス活動なのか?」という疑問。

今から14年も前のことになりますが、私が1999年に立ち上げた”WW2”というクラブは、1992年秋の突然のモータースポーツ活動休止宣言以来、一向に復帰のアナウンスが聞こえてこないマツダのモータースポーツ活動を憂えるファン達が集まり、一刻も早いワークスチーム復活を願って結成したものでした。
「いつか再び、マツダワークスチームの勇姿を追いかけたい・・・」そんな想いを胸に、私たちは活動の一環として、様々なカテゴリーで頑張っているマツダのレーシングカーとプライベーター勢に熱い視線を送り続けました。
最も身近なところでは、縁あってRX-7でスーパー耐久レースに参戦する広島のプライベートチームとジョイントする機会に恵まれ、2001年から2009年まで9年間、岡山ラウンドを中心にスポット参戦を続けるチームの活動のサポートを行ってきました。
2001年の緒戦はマシンもチームも満身創痍の状態で、予選通過と決勝完走を果たすだけで精一杯でしたが、私たちの”WW2”を公式マシン名に組み入れてもらえた時の感激と、身の引き締まるような思いは、今でも忘れることができません。

さて、“WW2”という一見物騒な?クラブ名の「2つのW」の由来となったのが、“The WILL for WIN”
かつてマツダが発行していたモータースポーツ誌「POLE POSITION」上にしばしば登場していたキャッチフレーズです。

'80年代初頭から'92年にかけて、マツダが挑んできた各種のモータースポーツフィールド(プロトタイプカー耐久/ツーリングカーレース/ラリーなど)にフォーカスしたレース専門の情報誌が「POLE POSITION」。世界の舞台から発信される迫真のレースレポートが、マツダワークスチームの生々しい息遣いをファンの元に届けていました。
中でも特徴的だったのは、マツダ固有の技術であるロータリーエンジンを核にして、コース上で直接相対するライバル勢は当然のこと、時に理不尽なレギュレーションとも間接的に戦いながらも、「勝利への意志」を胸に秘めて世界の頂点を目指し続けるという、執念にも近い”飽くなき挑戦”。
これが読者に大きな感動と強い共感をもたらし、常に厳しい競争が繰り広げられるモータースポーツの偉大さと、そこに潜む無限の魅力を伝えてくれたものです。

そんな「現在進行形」のマツダワークスの姿を、リアルタイムで追い続けたあの頃。
無論、見開きだとB2サイズほどになる大きなカラー冊子が読者の手元に届くまでには、「リアルタイム」とは言い難いほどのタイムラグが存在していたはずですが、プロのカメラマンが鋭く切り取ったダイナミックなShotの数々、そして、敏腕ライター諸氏がレース関係者の生の声も交えながら綴った迫真のレースレポートを前にすれば、時間差を意識させられることは全くなかったですね(^^)。

マツダワークスがチャレンジしていた世界の大舞台。
毎戦毎戦、TV中継されるような超メジャーレースでは、リアルな順位変動やマツダ車の動向に一喜一憂し、後でじっくりと読むレポートではその現場に潜んでいた技術的背景、戦略的背景の詳細解説に思わず惹き込まれる・・・そんなアツい日々の再来を願って、WW2を結成した私。
熱烈なレースファンたちが集い、それぞれが思い出の名シーンやお気に入りのマシンについて語り出したら止まらなくなるようなコアな集団の私達ですが、そんなWW2がいつか"区切りの日"を迎えるとしたら、それは・・・

首謀者の私には心に刻んだ思いがありました。

(つづく)
Posted at 2013/02/27 22:58:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 隠れ家発のWW2 | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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