
先日からみんカラで大きな話題となっている通り、このたびマツダ787Bのルマン優勝車(787B-002)が、ACOからの招待を受けて20年ぶりにサルテサーキットに凱旋。
6月11日(土)の決勝スタート前に、大観衆の前で素晴らしいデモンストレーション走行を披露しました。
'91年に総合優勝のチェッカーを受けた張本人・J.ハーバート選手が久々にステアリングを握り、'8500rpmシフト’という本気モードで計3周、当時の姿そのままに4ローターREの魅力的なサウンドを轟かせてくれました。
そして、デモ走行を終えたハーバート選手は表彰台へと導かれ、ゴール後に脱水症状が酷くて立つことができなかった栄光のポディウムへ。まさに20年越しの夢を実現するという、マツダファン、ジョニーファンならずとも思わず涙腺が弛むような、感動のフィナーレまで用意されていました。
当時の記憶の残る人はもちろん、伝説としてよく知る若い人にとっても、迫力のオンボード映像をはじめとする数々の動画により、こうして20年の時を経て蘇った素晴らしい感動を分かち合うことができたと思います。
迫力ある生のサウンドが聞けた現地のファンはホントに羨ましいですね。
そんな素晴らしいデモ走行を実現するために、今年787B-002は大掛かりなメンテナンスを受けました。
ユーノディエールを300km/h以上で駆け抜けることを想定し、マシンは徹底的に分解整備され、スリックタイヤやブレーキ、そして驚くべきことに、至宝の4ローターエンジンまでも新調。
渡仏前、美祢自動車試験場(旧・MINEサーキット)で実施したテスト走行では、元マツダワークス御三家の片山義美、従野孝司、寺田陽次郎の三氏が駆け付け、マシンの仕上がりに太鼓判を押すという、完璧なまでの準備プロセスを踏んだのです。
'92年、マツダが突如モータースポーツの頂点活動休止を宣言してから、もう19年。
実戦部隊だったマツダスピードは10年以上も前に解散、もはやあのルマンチャレンジも完全に過去の出来事になってしまった今のマツダにとって、このレベルのマシンメンテナンスでさえ、その実現には様々な困難や障壁があったであろうことは想像に難くありません。
しかし、それでもマツダがルマン凱旋を決断したのは、そこに伝えたいメッセージがあったからだと思うのです。
それは、決して諦めずに独自の信念を貫いてきたマツダのDNAであり、SKYACTIV技術の開発につながるチャレンジスピリットであり、そして、震災に負けない「がんばろう日本」のメッセージであり。
まさに今回のデモ走行は、それぞれのタイミングがうまく噛み合った素晴らしいパフォーマンスでした。
そこで、私はマツダにあえて言いたいと思います。
20年経った今もなお「日本車唯一」であるルマン総合優勝の栄冠、そして、それを支えた17年間にもわたる壮大なチャレンジの歴史。何れもマツダファンの大きな誇りであるし、強い心の支えともなっています。
ただそれも、今回のハーバート選手の笑顔の表彰台で、ひとつの区切りを迎えたと思うのです。
もういい加減に、次の新しいチャレンジを始める時です。
誤解のないように言えば、本業たる自動車の開発・製造において、マツダが独自の発想で道を切り拓き、果敢な挑戦を続けていくことは、ある意味当然のことだとファンは理解しています。
会社の規模に相応しい中位のシェア目標達成に向けて奮闘を続ける実ビジネスの世界とは別に、白黒がハッキリする勝負の世界に信念を持って挑み、全力で戦い続ける。
そう、マツダが'92年までずっと提供し続けていた「筋書きのない現在進行形のドラマ」を、今こそ再開させてほしいのです。
リアルタイムの挑戦を通じて私達の心が揺さぶられてこそ、より身近な存在であるマツダのクルマに独自の存在価値を見出し、強い愛着を感じることになるわけです。・・・ま、これは何を隠そう、JSPCのレース観戦から始まり、最後には大のマツダ好きに行き着いた私自身の例なんですけどね(^^ゞ。
これは紛れもなく、ブランドとの強い絆が誕生したことを意味します。
マツダは、過去30年弱のワークス活動で決して全てをやり遂げたわけではありません。
最大の宿題といえる世界3大24Hレース制覇のためにデイトナ総合優勝を狙うもよし、SKYACTIVの量産車イメージそのままにツーリングカーやラリーを目指すもよし、あるいは全く新しいカテゴリーに打って出るもよし。
ぜひ、モータースポーツ好きの夢とロマンを乗せて、再びマツダに駆け出してほしい。
今回のルマンの素晴らしい感動と興奮を胸に、WW2代表として一層その思いを強くした次第です。
Posted at 2011/06/18 02:54:55 | |
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