
週初めにnon_limitさんがいち早く教えてくださったのですが、このたび
MZ Racingのサイトに、元マツダワークスドライバー従野孝司氏主催の走行会「YORINO GP」が紹介されました。
MZ Racing は、2009年秋に突如立ち上がった「マツダモータースポーツFANサイト」で、世界中で行われているマツダ車によるモータースポーツ活動をリアルタイムで精力的に紹介する一方、マツダの過去のモータースポーツの歴史を詳しく振り返るなど、マツダのモータースポーツファンにとって魅力溢れるコンテンツをパワフルに発信中のサイトで、ファンの間では早くもバイブル的な存在になりつつあります。
マツダワークスの復活を熱望し、プライベーターのマツダ車でのモータースポーツ活動を応援する私達のWW2も、当初は過去から現在に至るまでのマツダ車の全戦績をサイト上で紹介する構想を持っていたので、MZ Racingサイトの登場には正直「先を越された」と思うと同時に、その素晴らしいパワーには「こりゃあ追いつけない」と思わず観念しかけたものです(笑)。
MZ RacingもWW2も、世界のモータースポーツフィールドで戦うマツダ車のカッコ良さを、そこで生まれる大きな感動や楽しさと一緒に、一人でも多くの人に伝えたいという、根底にある思いは全く同じであり、WW2としても、多少の失礼を承知で言わせてもらうなら、途轍もなく強力な『同志の出現』を心から歓迎しているところです。
ところで、その記念すべきMZ Racing初掲載の記事に、私のRX-7の画像が引用されたのは全くの想定外でして(笑)、当のオーナーが一番驚いている次第です。
4/29に開催した第1回「YORINO GP」の参加マシンや現地TSタカタサーキットの風景ではなく、なぜ当日のパドックに姿のなかった(苦笑)私の赤CHARGE号が選ばれたのか・・・私なりに思い当たる選定理由は2つ。
一つは、私が愛車のモチーフにしている'89ル・マン24時間レース出場マシン「#202 CHARGE MAZDA 767B」のエースドライバーが、他ならぬ従野孝司選手であること。無論、「T.YORINO」のネームステッカーは両側のドアの前方、3人のドライバーの先頭を切ってしっかり貼付けてあります。
そしてもう一つは、この外観に込められた私の思い。
自身初のレース観戦となった'89年10月の「インターチャレンジFUJI1000kmレース」で私が度肝を抜かれたのが、マツダワークスの2台の767Bが奏でる比類なきド迫力の4ローターサウンドと、目に痛い程の存在感を放つCHARGEカラーのアピアランスでした。
つまり、そこで私が味わった生涯忘れ得ぬ「大きな感動」と、その感動を現在にもう一度!という強い願望を、「マツダ」RX-7をキャンバスに表現していることが、MZ Racingサイトの関係者にしっかり伝わったのだと思っています。
Posted at 2010/05/26 13:50:58 | |
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隠れ家発のWW2 | 日記