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2016年08月14日 イイね!

次なる十年の計 ~第三話~

次なる十年の計 ~第三話~
第二話からの続きです)

ホームタウンへの引越しと同時にマイカーを増車。
自ら思い描く理想のカーライフを追求し始めた私^m^。

賃貸マンション時代と比べると、土地に余裕のある田舎暮らしのお陰で、カーライフの幅も深さも格段の進歩を果たしたとはいえ、自ら敷いた用途別の三台体制を心ゆくまで活用し、堪能し切るためには、各車に対する適切な導線確保や車庫周辺の防塵・防水性の向上など、現在の拠点には大小様々の課題が浮かび上がっていたのも事実。

もっと効率的に、もっと効果的に・・・
築35年の古家でのカーライフをさらに充実させる次なる一手について、あれこれ思いを巡らし始めていた私に突然襲い掛かった出来事とは、2014年の夏、市内に暮らす高齢の両親に相次いだ体の変調でした。

梅雨時に起きた父の圧迫骨折を皮切りに、お盆を挟んで母の手術と父の緊急入院が続き、秋いっぱい変調が続いた父が手術に踏み切ったのがその年の暮れ。
この間、病院や役所で必要になった諸手続きはもちろん、2人の入退院や検査・診察には全て私が付き添い、ズタズタになった生活サポートは私と嫁さんで手分けを。

ただ、悪いことにこの時期は嫁さんと長男も体調を崩してそれぞれ病院通いをしていたため、私にかかる精神的/肉体的負担が激増。
全く予期していなかった生活環境の変化になかなか順応し切れず、急遽DEデミオの買い替えを企てることで、心の平静と気力の維持を図ってしまったのも、その頃の思い出話ですね^^;。
(ごめんよ、SKYACTIVデミオ・・・)

そして、両親に相次いだ健康問題は、私が自画自賛していた会心の三台体制および、それを軸とした現在のカーライフにも大きな波紋を投げかけることになります。

マイカーに両親を乗せて病院通いをする機会が爆発的に増加した結果、私に突き付けられたショッキングな現実とは、どの愛車も病み上がりの高齢者の乗降には適していなかったこと(-_-;)。
いざ2人をデミオやビアンテに乗せようにも、座面やステップの高さが適していなかったり、不安定な身体を支えるためのグリップや支えが欲しい所になかったり・・・。
この厳しい現実にはさすがの私も動揺し、慌てて明らかに”それ向き”のトヨタ・ポルテや、軽のハイトワゴン系など、従来は全く興味の対象でなかったカテゴリーにも触手を伸ばしかけたものです。
(結果的に、マツダ車からの代替は思いとどまりましたが・・・)

おまけに、父の体調回復が思わしくなく、実家のアクセラを預かって一時的に4台体制となった秋口には、鰻の寝床のような縦長の敷地の限界というものを嫌というほど思い知らされました。
もうね、一番奥のクルマをわざわざ表に出すことなんて、発想すらできませんでしたから(苦笑)。

しかしながら、一連の両親の入退院劇そのものや、我が家のカーライフの死角に気付かされた事実よりも、私が遥かに大きなショックを受けたことが別のところにありました。

それは、両親が体に明らかな変調を来して以降、付き添い役として病院通いを続けた私が各々の主治医と会話を重ねていく中で、2人の発病や発症にもれっきとした前兆や兆候があり、過去に私の与り知らないところで幾つかのジャッジポイントを経ていたという事実を、後になって初めて知らされたことでした。
つまり、2006年末にホームタウンに戻って以来、同じ市内に住んでいながら、過去8年間の両親とのコミュニケーションは甚だ不十分なもので、一人息子として、親の健康上の相談をしっかり受け止めることが全くできていなかったのです。

私はここに自らの至らなさを猛省することになったわけですが、幸いにも、慎重に主治医や本人との相談を重ねた上での思い切った判断が良い方向に作用し、両親は2人揃って当座の危機を脱することに成功。
私は一連の入退院劇を、過去の親不孝に対する最後通告だと捉えて、それ以降は仕事よりも家庭を優先する決断をしたのです。
「本日は父(母)の通院サポートで終日休み・・・」
なんて書き出しのブログ、知らず知らずのうちに結構増えてますよね(^^;)。

ただ、殊勝な?改心をして、甲斐甲斐しく両親の通院や生活のサポートをし始めると、徐々に大きな壁として立ちはだかったのが、実家と自宅との僅か2キロの距離(-_-;)。

たかが2キロ、されど2キロ。
所要時間はクルマで10分~15分の短距離とはいえ、雨の日も風の日も幾度となく往復を繰り返していると、この些細な行き来の手間の蓄積が、意外なほど体力的にも精神的にも重く圧し掛かることが判ってきたのです。
いっそのこと距離が数十キロ離れていたら、何度も往復しないような段取りをするはずなので、下手に距離が近いがゆえの罠にハマっている感じも否めませんが、とくに最近は、午前中に通院サポートをして午後から出勤した場合の心身の疲れ方が・・・半端でなくなってきたんですよねぇ。

こんな状況では、自宅周辺の環境改善に手を付けてる場合じゃないよなぁ(T_T)

と、さらなるカーライフのレベルアップへの夢は、日を追うごとに冷めていったのです。

そして、波乱の翌年の2015年は2人とも比較的順調な術後の経過を辿ることができ、ついに運命の申年を迎えます。

第四話につづく)
Posted at 2016/08/14 22:41:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | 隠れ家の新プロジェクト | 日記

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小学生の時代に到来したスーパーカーブームがほぼ終わりかけた頃、極めて身近な存在だった国産車、とりわけ強烈な個性が滲み出る'50s~'60sの旧車に強い興味を持っ...
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